筑摩書房刊 開高健著「開高健ベスト・エッセイ」pp.19-21より抜粋
ISBN-10 : 4480435123ISBN-13 : 978-4480435125
ある土地のある時代の住民の気質をそれより以前にあった歴史の性質からして判断しようとするのは、それだけだと誤ちが多すぎるけれど、それでも、ある程度までは、たとえば一つの事物を植物ですか、動物ですかと、第一に規定する程度までは、正確であるように思われる。そこでこれを西鶴について考えてみようとすると、何よりもまず彼は大阪人だったということになる。
現在の大阪人に”大阪人”の気風がどれだけ生きているかは別の問題になるが、西鶴の作風や生き方などに照らして、その特質をもし一語で答えろと無茶なことをいわれたら、私としては”才覚”だと答えておきたいことがある。それを現代風に”独創性”とか、または”アイデア”とか、いろいろ輻射した言葉を持ちだすことはできるが、彼自身が作品のなかでもっともしばしばたよりにしたのはこの言葉であった。大阪人は権力の影のしたで暮らすことができなかったので徒手空拳、ひたすた自身の創意と知力を工夫し、凝らし、飛躍させるよりほかに生きるすべがなかった。だから大阪人のなかには自分でもその衝動の根源がどこにあるのかわからないくらい深い衝動に駆られる傾向がある。
在野精神、反骨、批評精神、痛酷な冷徹、自身それに徹しなければならないので他人がそれに徹することを許す寛容、精力、好奇心、発明欲、探検精神、官能の開発と洞察・・ふつう大阪人に見られるこうした要素を、西鶴の作品、作風、登場人物たちに読みとるのはやさしいことである。ごく卑近な例を一つとってみると、坂田三吉が初手に角頭の歩をついて敗北したということなどは、どうであろうか。そういう無謀をやれば負けると知りぬきながらもあえてやってのけてしまったのだが、そこにも”才覚”精神の一端を読みとることができる。これを叛逆のための叛逆、異端のための異端と見ることはやさしいけれど、それは結果から見た見方であって、衝動が発生したときの恐怖、苦悩、それをおしきる気魄のことを考えれば、容易なことではすまなくなってくる。いかなる手段を尽くしても勝とうとする男のことを”勝負師”というのならば坂田は勝負師ではなかった。
勝てる実力が満々とあり、どうすれば勝てるかということがわかっていて、先の先まで読みぬいていながら、一挙にそれをひっくりかえしてしまい、あえて初心で未知に挑む行動に坂田はうってでたのである。恍惚と不安を背負ってたら、もろくも敗れ去っていった。”大阪人”にはいつもこのときの坂田三吉がどこかに棲みついて目を光らしていると見るべきである。安住し満足することを自身にけっして許そうとしない、ある容赦ない衝動が巣食っているのである。一度それが発動されたらさいご、あとはひたすら波にのって走り、自身を蕩尽して打倒してしまうほかない、そういう衝動である。文壇用語でこれを”破滅衝動”と呼ぶが、”破壊”と”創造”は一枚の楯の裏表にすぎない。これは石器時代からの定則である。いまさらどうこういってもしようがない。だから、そういう眼で”大阪人”を用心して観察しないことには、がめつい奴、ちゃっかり屋、計算家、ケチンボ、美食家、新物食い、軽薄、おしゃべり、指紋でべとべとによごれたレッテルをいくら読んだってはじまらないのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿