口腔保健工学科への編入後は、これまで全く接することのなかった科目群の学習をすることになったわけだが、これはたしかに大変であり、また、以前と比べ、明らかに体に無理がきかなくなっていることが分かり、そこから、自然と毎日少しづつ勉強をする癖がつき始めたとも云える。
また入学直後に申請した奨学金は、どうにか一種にて採用されたが、それだけでは生活はままならず、こちらでも週に2日ほど夜勤の警備員のアルバイトに就いた。これは、市内の個人経営の病院であり、急患などの突発的な出来事がなければ、そこまで体力を消耗するものではなく、仮眠をとったり、机に向かって勉強をする時間もあった。
そこまで多く顔を合わせ、長く話す機会はなかったが、当直勤務のドクターや看護師さんの中には、私が机に向かい教科書、ノートを開いて勉強しているのを見て、それが解剖学といった彼等がかつて勉強した科目である場合は「分からないことはないかい?」と訊ねてきてくださったり、あるいは飲物やパンを差し入れしてくださる方もいた。
はじめのうちは、よく分からなかったが、少し経ってから、大分前の幼い頃に児童館か床屋で読んだ記憶がある松本零士による「男おいどん」というマンガをそこから何故だか思い出させた・・。
この夜警のアルバイトは医専大の卒業後もしばらく続け、その後進んだK大学大学院医歯学総合研究科にてTAやRA、そして母校での非常勤講師のアルバイトにも就き、また、実験のため深夜に研究室に行く必要性も生じてきたことから、辞めることにした。
そういえば、入学当初の頃は、人間には歯が何本あるかも知らず、また、それぞれの歯に固有の名称があることも知らなかったが、それを学ぶにつれて、それが概ねどの人種でも同様であり、また、その形態や機能などについても同様であることには何故だか興奮し、これまでの人文社会科学系にて学んできた内容とは、どうも異なる次元にあるものを学んでいるといった実感を持つに至った。
それは端的には、物理的な意味での普遍性であり、また、そうした性質(普遍性)があることにより、異なる言語で書かれた論文などの文献も、そこまで労せずに理解することが出来るのだと悟った。
つまり、医療分野の学問がすぐれているという根源には、人体という実質を伴う普遍的なものを対象としていることがあり、そこでの新たな知見は、たとえ全人類ではないにしても、より多くの人々に対して有効であると云えるのである。
その点、殆どの人文社会科学分野の学問は、こうは行かないと云える・・。しかしながら、それだからこそ、人文社会科学の学問には価値があるとも云えるのだが、その価値とは、さきの医療分野における普遍性から生じる価値とは異なるものであるのだ・・。
そしてまた、貨幣経済の基礎を成す価値の基準と相対的に見て、より親和性があると云えるのが「人体」という普遍性が基層にある医療分野のそれであり、多くの人々はそちらの方をより重要視することであろう・・。
くわえてそれは、概ね16世紀以降に西欧諸国が世界の覇権を握るに至るまでの歴史的背景にある主要な思想とも云えるのかもしれない・・。
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