昨日のブログ記事において山椒、椒(はじかみ)について記しましたが、元々山椒とは植物としては蜜柑などの柑橘類に近いとのことです(同じミカン科)。
そのように考えてみますと、現在の我が国において山椒が多く栽培、生産されている県は和歌山県であり、特に有田郡有田川町のそれが有名であり、また同様に、この地域一帯とは、紀州みかんの栽培、生産においても知られておりますので、元々そうした植物(蜜柑、柑橘、橘)を栽培するのに適した地域であると思われます・・。
ちなみに、この有田郡の湯浅(あるいは南隣の日高郡由良町)とは醤油発祥の地として知られております。
また、不思議なことに有田川町と隣接する有田市の海岸に立地する「椒(はじかみ)古墳」とは長屋王の墳墓との伝説がありますが、実際はそれよりもかなり古いものであり、おそらく5世紀中、後期に造営された近畿地方における最初期の横穴式石室の様式を持つ古墳であるとされています。
また、当古墳から出土した甲冑とは、奈良県五條市猫塚から出土した極めて半島、大陸的要素が強い蒙古鉢形冑と呼ばれるものであり、その兜の形状はいくぶん洋梨を彷彿とさせます・・。
ともあれ、このように山椒から、それが属する植物のミカン科、そして国内における蜜柑の一大産地である有田郡、有田市一帯、さらにその地に存在する古墳の名称が「椒」(はじかみ)であること、さらにまた、その古墳が近畿地方における最初期の横穴式石室様式(我が国におけるその最初期のものは九州北部に多い)を持つものであるということは、なかなか面白いことではないかと思われますが如何でしょうか?
また、この椒古墳からさらに古くなりますが、記紀の垂仁天皇の御代に記されている、天皇の不老不死への御希望から、常世国に生えている非時香菓(ときじく)の実(これを食べると不老不死になるという)を求めて田道間守(たじまもり)が常世国へ派遣されたという伝承があります。
しかし残念ながら田道間守の非時香菓(ときじく)の実を持参しての帰着は垂仁天皇在命中には叶わず、このことを嘆いて田道間守(たじまもり)は垂仁天皇御陵墓の傍らにて亡くなったとされています・・。
そして、この不老不死をもたらす非時香菓(ときじく)の実こそが柑橘であったのではないかと考えられております。
また、一説には、田道間守が常世国から我が国に持ち帰った非時香菓(ときじく)をはじめに植樹した場所が、さきほどの蜜柑の一大産地である有田郡、有田市の北に隣接する和歌山県海南市であったとされています・・。
そして、こうしたことに何かしらの関連性はあるのでしょうか・・?
しかし、何れにしてもなかなか面白いことではないでしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、もう一つの柑橘類の産地であり、さる四月に発生した大地震によって被災された熊本の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年8月10日水曜日
2016年8月9日火曜日
20160808 山椒・椒(はじかみ)について・・
A「本日も若干帰宅が遅くなり、ほぼ日課としているこのブログ記事作成を開始する時間が遅くなってしまいました・・(苦笑)。
それでも、この後におよんで記事を作成しないことはいささか心苦しいため、本日分(20160808)の記事作成を始めました・・。
そういえば先日街を歩いていますと、うなぎ屋があり、そこから大変良い匂いが流れてきました・・。
そして、そこからさらにしばらく歩いておりますと、今度は中華料理屋があり、店先に出ているメニューを記した看板には「四川麻婆豆腐」と記されており、その横に「本場通り山椒を使っています。」と書かれておりました・・。
この二つを眺めた後、不図思ったことは「そういえば両方共に山椒を使うなあ・・。」ということです。
山椒とは英語では「Jpapanese pepper」とのことですが、おそらく中国の比較的南部の内陸部においては我が国同様あるいはそれより古くから料理などに用いていたのではないかと思われます。
また、私が中国での山椒の使用法について記されていたもので思い出すのは、たしか揚子江、長江の中下流域における漁法であり、山椒の樹皮を網に繰るんで、それを水中にて揉むと、山椒の樹皮から抽出される痺れ成分により水中の魚が気絶し、浮き上がってきたものを捕えるといった方法でした。
これはかつて大学図書館にあった書籍にて読み、何故だか妙に感心したため覚えておりました・・(笑)。
あるいはこうした漁法もまた古の我が国において存在していたのではないかと思われます・・。
また、そのように考えてみますと、もしかすると、この山椒の料理、漁への利用などもまた、以前ブログにて記した「照葉樹林文化」に包含されるものであるのかもしれません・・。
また、ここまで記していて同様に山椒で思い起こされたことは、たしか「古事記」の神武東征における浪速、大阪での敗退を喫した上陸戦のあたりに出てくる
「みつみつし久米の子らが垣下に植えし椒(はじかみ)口疼く吾は忘れじ撃ちてし止まむ」
という太平洋戦争期に突如有名になったフレーズが含まれる歌ですが、この歌に出てくる椒(はじかみ)とは山椒のことであり、大意としては「戦に負けたことを山椒のヒリヒリ感のように忘れまいぞ!」といったところではないかと思います。
そしてこれと類似する意味を持つ四字熟語が「臥薪嘗胆」であるのかもしれません・・。
ともあれ、以上の歌からは、古墳時代(多分前期?)の西日本の何処かには、家の垣根に山椒を植える習俗を持つ部族(?)がいたことが示されるのかもしれません・・。
そして、その起源とは、もしかすると、我が国の水稲耕作の故地である中国、長江中下流域にあるのかもしれません・・。
山椒とひとくちにいいましても、なかなか奥が深いものです・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
それでも、この後におよんで記事を作成しないことはいささか心苦しいため、本日分(20160808)の記事作成を始めました・・。
そういえば先日街を歩いていますと、うなぎ屋があり、そこから大変良い匂いが流れてきました・・。
そして、そこからさらにしばらく歩いておりますと、今度は中華料理屋があり、店先に出ているメニューを記した看板には「四川麻婆豆腐」と記されており、その横に「本場通り山椒を使っています。」と書かれておりました・・。
この二つを眺めた後、不図思ったことは「そういえば両方共に山椒を使うなあ・・。」ということです。
山椒とは英語では「Jpapanese pepper」とのことですが、おそらく中国の比較的南部の内陸部においては我が国同様あるいはそれより古くから料理などに用いていたのではないかと思われます。
また、私が中国での山椒の使用法について記されていたもので思い出すのは、たしか揚子江、長江の中下流域における漁法であり、山椒の樹皮を網に繰るんで、それを水中にて揉むと、山椒の樹皮から抽出される痺れ成分により水中の魚が気絶し、浮き上がってきたものを捕えるといった方法でした。
これはかつて大学図書館にあった書籍にて読み、何故だか妙に感心したため覚えておりました・・(笑)。
あるいはこうした漁法もまた古の我が国において存在していたのではないかと思われます・・。
また、そのように考えてみますと、もしかすると、この山椒の料理、漁への利用などもまた、以前ブログにて記した「照葉樹林文化」に包含されるものであるのかもしれません・・。
また、ここまで記していて同様に山椒で思い起こされたことは、たしか「古事記」の神武東征における浪速、大阪での敗退を喫した上陸戦のあたりに出てくる
「みつみつし久米の子らが垣下に植えし椒(はじかみ)口疼く吾は忘れじ撃ちてし止まむ」
という太平洋戦争期に突如有名になったフレーズが含まれる歌ですが、この歌に出てくる椒(はじかみ)とは山椒のことであり、大意としては「戦に負けたことを山椒のヒリヒリ感のように忘れまいぞ!」といったところではないかと思います。
そしてこれと類似する意味を持つ四字熟語が「臥薪嘗胆」であるのかもしれません・・。
ともあれ、以上の歌からは、古墳時代(多分前期?)の西日本の何処かには、家の垣根に山椒を植える習俗を持つ部族(?)がいたことが示されるのかもしれません・・。
そして、その起源とは、もしかすると、我が国の水稲耕作の故地である中国、長江中下流域にあるのかもしれません・・。
山椒とひとくちにいいましても、なかなか奥が深いものです・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年8月8日月曜日
20160807 ブログの継続について・・いっぽぎっく・肥後もっこす
おかげさまで昨日土曜日(20160806)も閲覧者が1000人に到達しました。とはいえ、このブログをはじめた当初は、あまり多くの閲覧者を望むものではありませんでした。
それでも、開始後1年ほど経ってみますと、特にSEO対策などを行っていないにも関わらず、さきに記した閲覧者数を得ることが出来るようになったことは、もちろん大変嬉しいのですが、それと同時に「私の記した記事とは、一体どのように読まれているのだろうか?」といった疑問もまた、自然に生じてくるのです・・。
また、記事を投稿した直後、その記事と関連が深いと思われる既投稿の記事が多く読まれていることなどは不可解ではあるものの、大変興味深い現象であり、このことから、ある程度興味を持って読んで頂いていることが分かり、それが次の記事作成の意欲にもつながっています・・。
そのように考えてみますと「ではこのような反応をする(出来る)ブログ記事の読者とは、一体どのような方々なのであろうか?」と考え、それと同時に時折生じる(私としては)不思議な出来事との関連性をも考えてしまいます・・。
以上のことから、単ににPC画面上での閲覧者数が増加しているわけでもなく、それはある程度の実態を伴い増加してきたことは理解できるのですが、ただ、そのわりには、どうも「暖簾に腕押し」の感があるといったところです・・(笑)。
いや、あるいはブログの記事などは、その程度の波及効果であるのかもしれませんが・・(苦笑)。
しかし、それでもさきに記したような何かしらの反応があるということは、大変に面白いものであり、また「継続は力なり」とも申しますので、今後もとりあえず400記事程度までは更新を続け、その後も更新を続ける一方、既投稿記事の加筆修正などを試みようと大雑把に考えております。
さて、その継続というコトバで不図想起したのですが、以前在住していた鹿児島では「いっぽぎっく」というコトバがあり、これは「いっぽ」が一方で、「ぎっく」がゴムのことであり、ゴムを両方から伸ばして、その状態から片方のみ離すと一直線に弾けるのですが、その動態を人の性格にすると、一本気だが融通が利かない、それでもとにかくやると決めたら頑固にやり通すといった意味となり、そうした性格を持っているいる人を指すコトバとして使われます。
そして実際、たしかに鹿児島の方々にはこのような性格の方々が少なからずいたように思われます・・。
しかし、そうであるからといって、それが鹿児島特有というわけでもなく、おそらく北隣の肥後、熊本における「肥後もっこす」にも、ある程度類似したニュアンスがあるのではないかとも思われます。
一方で、このいわゆる頑固、一本気といった共通すると思われる性格に対し、その背景?に各々の「議論」に対する態度、払う価値が大きく異なるのではないかと思われます・・【大提灯と鍬形】。
おそらくこれは地域文化の相異によるものであるとは思いますが、それがどの程度深いものであるかとは、今現在では残念ながらまだ判然としません・・。
ともあれ、今回もここまで読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
それでも、開始後1年ほど経ってみますと、特にSEO対策などを行っていないにも関わらず、さきに記した閲覧者数を得ることが出来るようになったことは、もちろん大変嬉しいのですが、それと同時に「私の記した記事とは、一体どのように読まれているのだろうか?」といった疑問もまた、自然に生じてくるのです・・。
また、記事を投稿した直後、その記事と関連が深いと思われる既投稿の記事が多く読まれていることなどは不可解ではあるものの、大変興味深い現象であり、このことから、ある程度興味を持って読んで頂いていることが分かり、それが次の記事作成の意欲にもつながっています・・。
そのように考えてみますと「ではこのような反応をする(出来る)ブログ記事の読者とは、一体どのような方々なのであろうか?」と考え、それと同時に時折生じる(私としては)不思議な出来事との関連性をも考えてしまいます・・。
以上のことから、単ににPC画面上での閲覧者数が増加しているわけでもなく、それはある程度の実態を伴い増加してきたことは理解できるのですが、ただ、そのわりには、どうも「暖簾に腕押し」の感があるといったところです・・(笑)。
いや、あるいはブログの記事などは、その程度の波及効果であるのかもしれませんが・・(苦笑)。
しかし、それでもさきに記したような何かしらの反応があるということは、大変に面白いものであり、また「継続は力なり」とも申しますので、今後もとりあえず400記事程度までは更新を続け、その後も更新を続ける一方、既投稿記事の加筆修正などを試みようと大雑把に考えております。
さて、その継続というコトバで不図想起したのですが、以前在住していた鹿児島では「いっぽぎっく」というコトバがあり、これは「いっぽ」が一方で、「ぎっく」がゴムのことであり、ゴムを両方から伸ばして、その状態から片方のみ離すと一直線に弾けるのですが、その動態を人の性格にすると、一本気だが融通が利かない、それでもとにかくやると決めたら頑固にやり通すといった意味となり、そうした性格を持っているいる人を指すコトバとして使われます。
そして実際、たしかに鹿児島の方々にはこのような性格の方々が少なからずいたように思われます・・。
しかし、そうであるからといって、それが鹿児島特有というわけでもなく、おそらく北隣の肥後、熊本における「肥後もっこす」にも、ある程度類似したニュアンスがあるのではないかとも思われます。
一方で、このいわゆる頑固、一本気といった共通すると思われる性格に対し、その背景?に各々の「議論」に対する態度、払う価値が大きく異なるのではないかと思われます・・【大提灯と鍬形】。
おそらくこれは地域文化の相異によるものであるとは思いますが、それがどの程度深いものであるかとは、今現在では残念ながらまだ判然としません・・。
ともあれ、今回もここまで読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2016年8月7日日曜日
20160806 文章を記す際の心情について・・【円錐をらせん状に上昇・・】
おかげさまで本日(20160806)も閲覧者数が1000に到達しました。読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。
さてまた、本日は所用のため都心部に出ましたが、陽光も強く、またアスファルトからの照り返しもなかなかのものであり、本格的に夏になっていることが実感されました・・。
さて、本日またブログ記事を更新しますと380記事となり、とりあえずの目標としている400記事まで残り20記事となります。
このまま順調に記事を作成・投稿することにより、今月中に400記事に到達するのではないかと思われますが、今後何かしら心境、周囲の環境の変化なども生じない保証はないため、とりあえず毎日何かしら記し続けようと思います。
また、同時に「継続は力なり」とは世間一般に流布されているコトバではありますが、現在の私の偽らざる心境としましてはイマイチその実感がなく、あるいは「この程度ではまだ継続といえる程の継続ではないのかもしれない・・。」と不図考えてしまいます・・。
また、そのように考えていた方が、この程度で変に気が大きくなるよりかは、幾分マシであると思われるため、あまり大きな心情の波を生ずるよりも、400記事という目先にある目標に到達する上においては、その路程を平穏に進むことが出来るのではないかと思われます・・(笑)。
そしてまた、そのように考えてみますと、こうした平穏のうちにブログ記事をはじめ何かしら記そうとする心情とは、かつては如上のように文章化され比較的明確に意識されるものではなく、どちらかというと『何かしらゴチャゴチャと行っているうちに記す文章の着想、閃きが訪れるのではないか?』といった心情に基づき色々と必要な文章を記していた記憶があります。
しかし、そうであるからといって、現在においては後者のような心情が全く駆逐、排除されたというわけでもなく、各々の状況において最適と思われる方法そしてその背景の心情を惹起させるのが適当であるのではないかと考えております(意識的に出来るのではあれば)。
また、それに加え、さきにのべた文章を記す際の二つの心情とは前者を計画性に基づく定住型農耕社会的なもの、後者を比較的多くの移動を伴う狩猟採集社会的なものと分類することが出来るのではないかと不図思いつきました・・(笑)。
あるいはこれをさらに一般的な日本史上の歴史区分による分類で当て嵌めてみますと、前者が弥生的、後者が縄文的とも称することが出来るのかもしれません・・。
さらにまた、これを戦闘における戦い方、用兵として考えてみますと、前者が槍、鉄砲といった遠距離まで威力が到達する武器を持つ歩兵による密集陣形による戦い、後者が鎧武者、騎士といった機動性、自由度が共に高い個人の一騎打ちを集団化したような戦いといった感じにとらえることもまた出来るのかもしれません・・。
このような戦闘、用兵の仕方にたとえて記しておりますと、今度は不図その昔に読んだ記憶がある石原莞爾著の「戦争史大観」の中にそのようなことが記されていた記憶があります・・。
そして、おそらく同著の中にこうした戦闘、用兵の歴史的な発展が円錐をらせん状に上昇しながら為されている様子として描いた図がありましたが、もしかすると、この図が無意識ながら以前記した「20160804 登山(開聞岳)とブログ作成・・具象から抽象へ・・」の主題の基となったのかもしれません・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
さてまた、本日は所用のため都心部に出ましたが、陽光も強く、またアスファルトからの照り返しもなかなかのものであり、本格的に夏になっていることが実感されました・・。
さて、本日またブログ記事を更新しますと380記事となり、とりあえずの目標としている400記事まで残り20記事となります。
このまま順調に記事を作成・投稿することにより、今月中に400記事に到達するのではないかと思われますが、今後何かしら心境、周囲の環境の変化なども生じない保証はないため、とりあえず毎日何かしら記し続けようと思います。
また、同時に「継続は力なり」とは世間一般に流布されているコトバではありますが、現在の私の偽らざる心境としましてはイマイチその実感がなく、あるいは「この程度ではまだ継続といえる程の継続ではないのかもしれない・・。」と不図考えてしまいます・・。
また、そのように考えていた方が、この程度で変に気が大きくなるよりかは、幾分マシであると思われるため、あまり大きな心情の波を生ずるよりも、400記事という目先にある目標に到達する上においては、その路程を平穏に進むことが出来るのではないかと思われます・・(笑)。
そしてまた、そのように考えてみますと、こうした平穏のうちにブログ記事をはじめ何かしら記そうとする心情とは、かつては如上のように文章化され比較的明確に意識されるものではなく、どちらかというと『何かしらゴチャゴチャと行っているうちに記す文章の着想、閃きが訪れるのではないか?』といった心情に基づき色々と必要な文章を記していた記憶があります。
しかし、そうであるからといって、現在においては後者のような心情が全く駆逐、排除されたというわけでもなく、各々の状況において最適と思われる方法そしてその背景の心情を惹起させるのが適当であるのではないかと考えております(意識的に出来るのではあれば)。
また、それに加え、さきにのべた文章を記す際の二つの心情とは前者を計画性に基づく定住型農耕社会的なもの、後者を比較的多くの移動を伴う狩猟採集社会的なものと分類することが出来るのではないかと不図思いつきました・・(笑)。
あるいはこれをさらに一般的な日本史上の歴史区分による分類で当て嵌めてみますと、前者が弥生的、後者が縄文的とも称することが出来るのかもしれません・・。
さらにまた、これを戦闘における戦い方、用兵として考えてみますと、前者が槍、鉄砲といった遠距離まで威力が到達する武器を持つ歩兵による密集陣形による戦い、後者が鎧武者、騎士といった機動性、自由度が共に高い個人の一騎打ちを集団化したような戦いといった感じにとらえることもまた出来るのかもしれません・・。
このような戦闘、用兵の仕方にたとえて記しておりますと、今度は不図その昔に読んだ記憶がある石原莞爾著の「戦争史大観」の中にそのようなことが記されていた記憶があります・・。
そして、おそらく同著の中にこうした戦闘、用兵の歴史的な発展が円錐をらせん状に上昇しながら為されている様子として描いた図がありましたが、もしかすると、この図が無意識ながら以前記した「20160804 登山(開聞岳)とブログ作成・・具象から抽象へ・・」の主題の基となったのかもしれません・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年8月6日土曜日
20160805 文体の進化とは・・
本日はどうしたわけか体調がすぐれず、また頭も重かったのですが、これまたどうしたわけか、知人二人から連絡がありました・・。
こうした時折やってくる連絡は大変嬉しいもので、おかげさまで本日は体調があまりすぐれない中ではありますが、ブログ記事を作成することに決めました・・。
しかし、この二人が示し合わせて前後して私に連絡をしたわけではないと思われますので、むしろ、こうした現象の方が何やら不思議な感じを受けなくもないです・・(笑)。
こうした現象には何か原因、背景があるのでしょうか・・?
とはいえ、この二人が私が現在記しているブログ記事を読んで頂いているかどうかは不明ではありますが、昨春、このうちの一人からブログ作成を勧められたことを不図、思い出しました・・。
ブログ作成開始当初の頃は書籍からの抜粋が多く、また自身の文章にしても、その文体は硬く、頑なであり、また同時に脆いものであったと記憶しております・・。
そのように考えてみますと、文体においても材料などの物性のように脆性、剛性、弾性、靭性、展延性などといった表現が出来るのかもしれません・・(笑)。
そうしますと、現在記しているブログ記事の文体とは一体どのような物性としての表現が適当なのでしょうか(笑)?
しかし、そもそもそれ以前に現在の私には、ある確立された文体といったものは存在するのでしょうか?
・・とはいうものの、それと同時にかつてのブログ記事作成当初の記事と現在のそれを比較してみますと、私見として、主題の深さにおいては、かつての記事の方が相対的に深いものが多いのではないかと思われる一方、その述べたいところを記すという意味においては、最近作成された記事の文体の方が優れているのではないかと思われます・・。
あるいは、これは記事の主題が深くなくなったために生じたことなのでしょうか・・(苦笑)?
何れにせよ、抽象度が高く、分かり難くなってしまう文体と、具象的であり簡明な文体とは、とりあえず文章を記し続けることにより徐々に融和、同化してゆくものであり、またそれが文体の確立であったり、あるいは洗練といったものではないかと多少手前味噌ともいえる考えが浮かびましたが如何でしょうか(笑)?
とはいえ、これまでブログ記事を継続して作成して実感することは、何かしら書き続けることにより、以前に比べ文章として著し難かった事柄を著すことが出来るようになったことです。
そして、この所謂表現力の進化に内容、主題の深さ、充実が付随していれば良いのですが、これがさきに記したように難しいところであると思われます・・(苦笑)。
あるいはこうしたこともまた「三歩進んで二歩下がる」といった感じなのでしょうか・・(笑)?
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」
こうした時折やってくる連絡は大変嬉しいもので、おかげさまで本日は体調があまりすぐれない中ではありますが、ブログ記事を作成することに決めました・・。
しかし、この二人が示し合わせて前後して私に連絡をしたわけではないと思われますので、むしろ、こうした現象の方が何やら不思議な感じを受けなくもないです・・(笑)。
こうした現象には何か原因、背景があるのでしょうか・・?
とはいえ、この二人が私が現在記しているブログ記事を読んで頂いているかどうかは不明ではありますが、昨春、このうちの一人からブログ作成を勧められたことを不図、思い出しました・・。
ブログ作成開始当初の頃は書籍からの抜粋が多く、また自身の文章にしても、その文体は硬く、頑なであり、また同時に脆いものであったと記憶しております・・。
そのように考えてみますと、文体においても材料などの物性のように脆性、剛性、弾性、靭性、展延性などといった表現が出来るのかもしれません・・(笑)。
そうしますと、現在記しているブログ記事の文体とは一体どのような物性としての表現が適当なのでしょうか(笑)?
しかし、そもそもそれ以前に現在の私には、ある確立された文体といったものは存在するのでしょうか?
・・とはいうものの、それと同時にかつてのブログ記事作成当初の記事と現在のそれを比較してみますと、私見として、主題の深さにおいては、かつての記事の方が相対的に深いものが多いのではないかと思われる一方、その述べたいところを記すという意味においては、最近作成された記事の文体の方が優れているのではないかと思われます・・。
あるいは、これは記事の主題が深くなくなったために生じたことなのでしょうか・・(苦笑)?
何れにせよ、抽象度が高く、分かり難くなってしまう文体と、具象的であり簡明な文体とは、とりあえず文章を記し続けることにより徐々に融和、同化してゆくものであり、またそれが文体の確立であったり、あるいは洗練といったものではないかと多少手前味噌ともいえる考えが浮かびましたが如何でしょうか(笑)?
とはいえ、これまでブログ記事を継続して作成して実感することは、何かしら書き続けることにより、以前に比べ文章として著し難かった事柄を著すことが出来るようになったことです。
そして、この所謂表現力の進化に内容、主題の深さ、充実が付随していれば良いのですが、これがさきに記したように難しいところであると思われます・・(苦笑)。
あるいはこうしたこともまた「三歩進んで二歩下がる」といった感じなのでしょうか・・(笑)?
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」
2016年8月3日水曜日
20160803 記憶を辿ってみると・・
本日首都圏も気温が上昇し特に日中はなかなかの暑さでした。
とはいえ、この暑さも和歌山、九州といった西南日本に比べればガマンできるものであり、あるいはその記憶があるからこそ、現在の首都圏の暑さをどうにか普通に過ごすことができているのかもしれません。
しかしながら、そうした個人の記憶とは一体どこまで辿ることができるのでしょうか?
三島由紀夫は「仮面の告白」の中で自身の産湯の経験を述べていますが、ああいった生誕時の記憶とは実際にあるのでしょうか・・?
私の場合はどんなに遡っても三歳くらいのものがウッスラと記憶に残っている程度です・・。
そして、その当時から書籍が好きであったようで児童書をはじめ家の蔵書を色々と手に取って読んでいた、あるいは読むマネをしていたようです・・(笑)。
小学生の頃には歴史マンガ、いくつかの出版社から刊行されている歴史全集、歴史小説などを好んで読んでいた記憶があります・・。
また、小学生の頃、社会科、歴史?の課題で「歴史新聞」といったものを各々作成しておりましたが、私はこれを作成するのが好きで、本当であるかどうかわかりませんが、何人かのご父兄から「面白くよくできている。」との評価を得ていたそうです・・。
中学生の頃は歴史と同時に現代文なども好きになり、いくつかの作文が褒められ、あるいは美術において人物画が褒められた記憶があります。
そういえば、ここまで記していて不図思い出したことは、中学校時代美術部に属し部長であったことです・・(笑)。
今となってはうろ覚えではありますが、確かにそうであった記憶があります。
この中学校は在校時は特に感じることはありませんでしたが、いくつかの先進的な取り組みが為されていたようであり、また現在においては東京都23区にて区立のはじめての中高一貫校として知られているようです・・。
そして、現在になり思い返してみますと、面白い先生が多くいたのではないかと思われます。
その中でも英語の先生は教え方が上手く、その後いくつかの場面にて英語に接することになってもあまり臆することがなかったのは、もしかすると、ここでの経験が根幹にあるのかもしれません・・。
とはいえ、英語で思い起こすのは、やはり大学院在籍時であり、当時は通常の学会発表でもなかなか苦労をして観察画像を撮ったり、試料から抽出した実験データをまとめ、そして原稿らしきものを作成し、さらに予演会にて様々なダメ出しを受け、さらにそこからスライドの修正、原稿の加筆修正を経て、どうにかそれらしきものを作成していました・・。
そして、これが国際学会などの英語での発表ともなりますと、より一層大変であり、師匠のそれを真似したり、類似の研究を行っている海外の研究者の表現を真似したり(コピペではない)して、どうにかスライド、読み上げ原稿を作成していた記憶があります・・(苦笑)。
また、現在は分かりませんが、海外留学の経験がない院生達の国際学会発表にて用いるスライド、読み上げ原稿の作成とは、概ね、さきに述べたような流れで作成されていたのではないかと思われます・・(笑)。
しかし、それだけでしたらまだいいのですが、ここから更に「(英語にて)質疑応答にも対応しなければならない」という大きな難問が待ち受けているのです・・(苦笑)。
おそらく、この難問をどうにか切り抜けるためには、ある程度類似した実験の論文等を読み込み、そして、それとある程度関連付けて自身の研究内容および結果の概要を、読み上げ原稿とは異なった流れで述べることが出来る必要性があるのではないかと思われます・・。
そして、そういったことを何度か経験するうちに「あら不思議!」以前から読んでみたかった英国人作家の小説、英語で記された歴史書等が原書で読めるようになっていることを立ち読みの際に発見するのです・・(笑)。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震にて被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。
とはいえ、この暑さも和歌山、九州といった西南日本に比べればガマンできるものであり、あるいはその記憶があるからこそ、現在の首都圏の暑さをどうにか普通に過ごすことができているのかもしれません。
しかしながら、そうした個人の記憶とは一体どこまで辿ることができるのでしょうか?
三島由紀夫は「仮面の告白」の中で自身の産湯の経験を述べていますが、ああいった生誕時の記憶とは実際にあるのでしょうか・・?
私の場合はどんなに遡っても三歳くらいのものがウッスラと記憶に残っている程度です・・。
そして、その当時から書籍が好きであったようで児童書をはじめ家の蔵書を色々と手に取って読んでいた、あるいは読むマネをしていたようです・・(笑)。
小学生の頃には歴史マンガ、いくつかの出版社から刊行されている歴史全集、歴史小説などを好んで読んでいた記憶があります・・。
また、小学生の頃、社会科、歴史?の課題で「歴史新聞」といったものを各々作成しておりましたが、私はこれを作成するのが好きで、本当であるかどうかわかりませんが、何人かのご父兄から「面白くよくできている。」との評価を得ていたそうです・・。
中学生の頃は歴史と同時に現代文なども好きになり、いくつかの作文が褒められ、あるいは美術において人物画が褒められた記憶があります。
そういえば、ここまで記していて不図思い出したことは、中学校時代美術部に属し部長であったことです・・(笑)。
今となってはうろ覚えではありますが、確かにそうであった記憶があります。
この中学校は在校時は特に感じることはありませんでしたが、いくつかの先進的な取り組みが為されていたようであり、また現在においては東京都23区にて区立のはじめての中高一貫校として知られているようです・・。
そして、現在になり思い返してみますと、面白い先生が多くいたのではないかと思われます。
その中でも英語の先生は教え方が上手く、その後いくつかの場面にて英語に接することになってもあまり臆することがなかったのは、もしかすると、ここでの経験が根幹にあるのかもしれません・・。
とはいえ、英語で思い起こすのは、やはり大学院在籍時であり、当時は通常の学会発表でもなかなか苦労をして観察画像を撮ったり、試料から抽出した実験データをまとめ、そして原稿らしきものを作成し、さらに予演会にて様々なダメ出しを受け、さらにそこからスライドの修正、原稿の加筆修正を経て、どうにかそれらしきものを作成していました・・。
そして、これが国際学会などの英語での発表ともなりますと、より一層大変であり、師匠のそれを真似したり、類似の研究を行っている海外の研究者の表現を真似したり(コピペではない)して、どうにかスライド、読み上げ原稿を作成していた記憶があります・・(苦笑)。
また、現在は分かりませんが、海外留学の経験がない院生達の国際学会発表にて用いるスライド、読み上げ原稿の作成とは、概ね、さきに述べたような流れで作成されていたのではないかと思われます・・(笑)。
しかし、それだけでしたらまだいいのですが、ここから更に「(英語にて)質疑応答にも対応しなければならない」という大きな難問が待ち受けているのです・・(苦笑)。
おそらく、この難問をどうにか切り抜けるためには、ある程度類似した実験の論文等を読み込み、そして、それとある程度関連付けて自身の研究内容および結果の概要を、読み上げ原稿とは異なった流れで述べることが出来る必要性があるのではないかと思われます・・。
そして、そういったことを何度か経験するうちに「あら不思議!」以前から読んでみたかった英国人作家の小説、英語で記された歴史書等が原書で読めるようになっていることを立ち読みの際に発見するのです・・(笑)。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震にて被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。
2016年8月2日火曜日
20160802 地域性および抽象思考の積重ね・・★★★
A「昨日記した記事から、もしかしたら私の作成、投稿したブログ記事とは思わぬところで読まれているのではないかという推察が為されますが、それでもそうしたことをあまり気にしないで今後も記事作成を継続しようと思います・・(笑)。
さて、それと同時に最近再び直近に投稿した記事内容に関連する記事が多く読まれていることに気が付かされるようにもなりました・・。
このような感性とは、もしかしたら周り巡っているのでしょうか・・(笑)。
あるいは昨日夜に多少硬い書籍を読んだことによるのでしょうか?
先日記したように最近はあまり硬くない?地域性について書かれた書籍を読んでおりました。
そうしたものを読んでおりますと、今度はもう少しそれら内容についての具体的な事象、来歴、起因等について記された書籍を自然と読んでみたくなります・・。
まあ、概論が大抵理解出来たら各論に行くようなモデルであるのかもしれません・・。
・・いや、こうした表現とは必ずしも適切ではなく、それはある程度歴史の流れを知ったならば、今度はその背景にある各時代の人々が持っていた思想の流れを知りたくなるような、つまり抽象化への指向であるとも言い表すことが出来るのかもしれません・・。
抽象、あるいは抽象化などと書きますと、一般的に具体的でなく、分かり難い、人を言いくるめるような良からぬものといった認識が比較的強くあるのではないかと思われます・・。
しかし同時に、それを適切に行うことにより、実地に沿った的確な推論、思考が為され、そしてそれらを表出、積重ねることにより、精緻な考察を行うことが出来るのではないかとも思われます。
また同時に、これは様々な条件による実験を繰り返し、検討・考察を重ね、ようやく結論に至る理系学問分野における背景思想と親和性があるのではないかとも思われます。
そういえば、山本七平は我々日本人とは、こうした時代毎の推論、思考の表出、積重ねといった作業が苦手であり、時代の区切り毎に新たに仕切りなおすといった習性らしきものがあるといったことを記していました。
こうしたことは、民俗学でいえば古来よりの「ハレ」、「ケ」そして「ケガレ」思想の関係と表現することが出来るのかもしれません・・。
あるいは儒教における「易姓革命」思想、さらにはフレーザーの「金枝篇」に記されている古代印欧語諸族における「殺される王」といった思想とも何かしら関連があるのかもしれません・・。
とはいえ「我々日本人とは、抽象的な思想を加上的に積重ねてゆく作業が苦手であるのではないか?」という、さきの山本七平の意見とは、私自身からしますと、かなり耳が痛く苦渋の肯定を余儀なくさせる何かがあります・・。
しかしながら、一方において我が国とは世界的に見て理系学問分野が強い国であるとも考えますので「では、こうした矛盾ともいえいることは、如何にして生じるのであろうか?」と考えてみますと、どうも上手く言語化することができません・・。
さて、これを読まれた皆様はどのようにお考えになるでしょうか?
また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に発生した熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの今後の早期の復旧そして復興を祈念しております。」
さて、それと同時に最近再び直近に投稿した記事内容に関連する記事が多く読まれていることに気が付かされるようにもなりました・・。
このような感性とは、もしかしたら周り巡っているのでしょうか・・(笑)。
あるいは昨日夜に多少硬い書籍を読んだことによるのでしょうか?
先日記したように最近はあまり硬くない?地域性について書かれた書籍を読んでおりました。
そうしたものを読んでおりますと、今度はもう少しそれら内容についての具体的な事象、来歴、起因等について記された書籍を自然と読んでみたくなります・・。
まあ、概論が大抵理解出来たら各論に行くようなモデルであるのかもしれません・・。
・・いや、こうした表現とは必ずしも適切ではなく、それはある程度歴史の流れを知ったならば、今度はその背景にある各時代の人々が持っていた思想の流れを知りたくなるような、つまり抽象化への指向であるとも言い表すことが出来るのかもしれません・・。
抽象、あるいは抽象化などと書きますと、一般的に具体的でなく、分かり難い、人を言いくるめるような良からぬものといった認識が比較的強くあるのではないかと思われます・・。
しかし同時に、それを適切に行うことにより、実地に沿った的確な推論、思考が為され、そしてそれらを表出、積重ねることにより、精緻な考察を行うことが出来るのではないかとも思われます。
また同時に、これは様々な条件による実験を繰り返し、検討・考察を重ね、ようやく結論に至る理系学問分野における背景思想と親和性があるのではないかとも思われます。
そういえば、山本七平は我々日本人とは、こうした時代毎の推論、思考の表出、積重ねといった作業が苦手であり、時代の区切り毎に新たに仕切りなおすといった習性らしきものがあるといったことを記していました。
こうしたことは、民俗学でいえば古来よりの「ハレ」、「ケ」そして「ケガレ」思想の関係と表現することが出来るのかもしれません・・。
あるいは儒教における「易姓革命」思想、さらにはフレーザーの「金枝篇」に記されている古代印欧語諸族における「殺される王」といった思想とも何かしら関連があるのかもしれません・・。
とはいえ「我々日本人とは、抽象的な思想を加上的に積重ねてゆく作業が苦手であるのではないか?」という、さきの山本七平の意見とは、私自身からしますと、かなり耳が痛く苦渋の肯定を余儀なくさせる何かがあります・・。
しかしながら、一方において我が国とは世界的に見て理系学問分野が強い国であるとも考えますので「では、こうした矛盾ともいえいることは、如何にして生じるのであろうか?」と考えてみますと、どうも上手く言語化することができません・・。
さて、これを読まれた皆様はどのようにお考えになるでしょうか?
また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に発生した熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの今後の早期の復旧そして復興を祈念しております。」
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