2022年4月12日火曜日

20220412 株式会社新潮社 池内紀著「ちょん髷とネクタイ」時代小説を楽しむ pp.157‐158より抜粋

株式会社新潮社 池内紀著「ちょん髷とネクタイ」時代小説を楽しむ
pp.157‐158より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4103755032
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4103755036

鹿児島県と宮崎県南部にかけて、同じ地名があちこちにある。町村合併あ地名改正で急速に消えていったが、それでも出水市麓町、加世田市麓町、吾平町麓、田代町麓・・といったぐあいにのこっている。かつて薩摩領内で「外城」とよばれた防御拠点であって、総計100あまりをかぞえた。

 肥後・熊本城の壮大な石垣や濠や、再建された城を見た人は、薩摩。鶴丸城の貧弱さに驚くだろう。本丸跡は堀にかこまれ、石垣がのこっているが、加賀百万石につぐ七十余万国の雄藩にしては、なんとも小規模なものである。しかもそこには一度も天守閣が建てられず、櫓すらもなかった。城主の居城にあたる館があっただけ。鎌倉時代このかた薩摩一円を領してきた島津氏は、領民を支配するのにことさら威圧的な城郭を築く必要がなかった。「麓」を拠点とする外城がはりめぐらされ、藩内ではどこでも防備がとれる体制になっていた。西南の役で西郷軍の部隊を編制したのも「麓」の旧士族である。強力なつながりではあれ、ひとたび敗れると熊本城のように籠城ができない。

「薩摩の国の藩制は他藩と著しい相違がある」

そんなふうに断った上で、海音寺潮五郎は短編「唐薯武士」のなかでてみじかに述べている。ふつう藩士はほとんど全部が藩主を中心として城下町に集合しているものだが、薩摩藩では城下侍以外に「外城侍」というのがいて、これが城下侍の何十倍もの多数にのぼった。

「外城侍は普通には郷士という名称で呼ばれているが、他藩の郷士とはその身分も職制も違う。他藩では郷士というのは刀は差していても武士ではない。先祖が武士であった百姓がその由緒で帯刀しているに過ぎないし、領主からもよくて名主ぐらいの取扱いしか受けていないのだが、この国においては、立派に武士なのだ、また歴とした藩士なのである」

 百姓武士というもので、藩主から禄米や知行所をもらうかわりに田をもらい、みずから耕して生活している。一朝ことあれば武装して出陣するのはむろんのこと、平日にも輪番で城下に出た。

「・・・薩摩領内の俗に百二外城と言われる大きな村々に、四五百から少なくとも四五十に及ぶ家が、麓または脇本と呼ばれる部落をつくって住いしている」

 家のつくりに特徴があった。この地方に多い泥灰岩の切石か、スイカほどの大きなの自然石を積み上げた石垣、あるいは柞の生垣にかこまれ、前庭にはミカンや柿、梅、桃などの果樹があり、うしろに菜園をひらいている。

2022年4月11日月曜日

20220411 祥伝社刊 山本七平著「日本人とは何か。」ー神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー pp.146‐150より抜粋

祥伝社刊 山本七平著「日本人とは何か。」ー神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー
pp.146‐150より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4396500939
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4396500931

 「マッカーサーが日本を占領して天皇に「人間宣言」を出させた。そこではじめて日本人は、天皇が神であるという迷信から解放された。アメリカ人はそう信じているという話を聞きました。」

「ハハァ、面白い。というのは戦時中のアメリカの世論調査を見ると、天皇を日本人の唯一神と見ている人が44.2パーセントもいます。それが事実で、この事実がマッカーサーの一言で消えたとすれば、彼は神以上の人という、マッカーサー神話ともいうべき新しい神話が出てきたわけですな。アメリカ人も案外迷信深い。20世紀にもそまざまな神話ができるんだなあ」

「山本さんは笑っているけど、私は何とも釈然としないのです。されにそれが、神話をそのまま歴史として教えた結果だと言われるとね」

「私は昭和9年の小卒だけれども、神話をそのまま歴史として教えられた記憶はありませんね。第一、ヒコホホデミが海の底に下って海神の娘トヨタマヒメと結婚し、そこからウガヤフキアエズが生まれ、彼とその叔母、すなわちトヨタマヒメの娘のタマヨリヒメが結婚してカムヤマトイワレヒコすなわち神武天皇が生まれる。これが日本神話の終わりで、「日本書紀」はここで「神代」から「人代」に移るのですが、その直系の子孫がいまの天皇だなどという話は、それを事実だと小学生に言っても、信じますまい。もっとも進化論裁判(モンキー・トライアル)をやったアメリカのファンダメンタリストなら信じるかもしれませんが、日本で進化論がタブーであったことはありませんから。マッカーサーはファンダメンタリストを連想したんじゃないですか。もっとも天地創造神話が形成されたころからの天皇制がありながら、同時にコンピューターの大メーカーがある国なんて、アメリカ人には理解しにくいでしょうなあ。これも駆け足の結果で、誤解は無理もないですが、私がこの神話を読んだのは、実は「人間宣言」の後で、小学生のときではありません。」

 なぜこういう誤解を生じたか。誤解にはもちろん「種」があり、そのことは天皇の「人間宣言」の9年前すなわち昭和12年(1937年)の文部省の次の通達に現れている。

「・・・現津神(明神)或いは現人神と申し奏るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいう意味と異なり、皇祖皇宗がその神裔にあらせられる天皇に現われまし、天皇と皇祖皇宗とは御一体にあらせられ・・・」

 表現は当時の表現で大仰だが、「現津神」とか「現人神」とかいっても、それは「絶対神とか、全知全能の神」という意味ではないということ、これまた一種の「人間宣言」であり、元来、これらの言葉は道教の用語であるから文部省の定義は正しい。

 では一体文部省はなぜこんな通達を出さねばならなかったのであろうか。それは「God」を「カミ」と訳したために生じた概念の混同であったこと、同時に当時「天皇機関説」があったからであろう。「God=カミ」の訳を「甚だしい誤訳」といった人がいるが、そうはいえないまでも、きわめて混乱を引き起こしやすい訳であった。この点、16世紀に日本に来たザビエル以下のイエズス会宣教師が「Deus」をあくまで「デウス」とし、日本語に訳さなかったのは達見である。

 では西欧のGodと混同をしなかった時代の「カミ」はどのような定義であったのか。徳川時代の学者、新井白石と本居宣長の定義を次に引用しよう。まず白石の「東雅」からー。

「我国の凡そ称してカミというは、尊尚の義なりければ、君上のごとき、首長のごとき、皆これをカミといい、近く身にとりても頭髪のごときをいい、置く場においても、上なす所をさしてカミという」

 これはきわめて受け入れられやすい一般的定義で、政府をオカミ、上流をカワカミ、国の中心地をカミガタ等、ごく普通に使われ、非常に広い意味の「上なるもの」を指す。これをもう少し限定しているのが宣長の「古事記伝」における「カミ」の定義である。

「凡そ迦微とは、古の御典等に見えたる天地の諸々の神たちを始めて、其を祀れる社に坐御霊をも申し、また人はさらにも言ず、鳥獣木草のたぐい、海山など、そのほか何にまれ尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり。抑、迦微は如此く種々にて、貴きもあり、賤きもあり、強きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば、大かた一むきに定めて論ひがたき物になむありける」

さらに彼は説明を進めて次のようにいう。

「すぐれたるとは尊きことを善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず。悪しきもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。さて人の中の神は、先かけまくもかしこき天皇(すめらみこと)は、御世御世みな神坐すこと、申すもさらなり。其は遠つ神とも申して、凡人とは遥かに遠く、尊く可畏く坐しますが故なり。かくて次々にも神なる人、古も今もあることなり、又天の下を受け張りてこそあらね、一国一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし。さて神代の神たちも、多くは其代の人にして、其代の人皆神なりし故に、神代とは言なり」

 さらに彼は書記・万葉では、木霊も虎も猿もカミといわれ、海山も「磐根、木株、草葉のよく言語し類なども皆神なり」と記されていることを指摘する。

 もっとも現代では白石の定義も宣長の定義も、必ずしも正しいとはいえない。しかし重要なことは、西欧と接触する以前の日本人自身は「カミ」という言葉をそのように定義していたという事実である。


20220410 早川書房刊 ジョージ・オーウェル著 高橋和久 訳「1984年」 pp.79‐82より抜粋

早川書房刊 ジョージ・オーウェル著 高橋和久 訳「1984年」
pp.79‐82より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 9784151200533
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4151200533

「辞典の進行状況はどんな具合なんだ?」ウィンストンはそのしゃべり声に負けまいと声を張り上げた。

「時間がかかるね」」とサイムが答える。「形容詞を担当しているんだが、実に面白い」彼はニュースピークの話が出たとたんに顔を輝かせた。シチュー皿を脇にどけ、華奢な手の一方で厚切りパンを、もう一方で角切りチーズを取り、怒鳴らなくても済むようにテーブルの上に身体を乗り出す。

「第十一版は決定版になる」彼は言った。「ニュースピークを最終的な形に仕上げようとしているんだー誰もがニュースピーク以外話さなくなったときの形にね。それが完成した暁には、君のような仕事をしている人間は、きっともう一度すっかり学び直さなくてはならなくなる。おそらく君はわれわれの主たる職務が新語の発明だと思っているだろう。ところがどっこい、我々はことばを破壊しているんだー何十、何百という単語を、毎日のようにね。ニュースピークをぎりぎりまで切り詰めようとしている。第十一版には、2050年までに死語となるような単語は一つとして収録されないだろう。」

 彼は貪るようにパンをかじり、二度ほど口一杯に頬張って飲み込むと、衒学者の情熱とでも呼ぶべきものに突き動かされたように話を続けた。細面の浅黒い顔には生気がみなぎり、目からは嘲笑の色が消えていて、ほとんど夢見るような眼差しに変わっている。

 「麗しいことなんだよ、単語を破壊するというのは。言うまでもなく最大の無駄が見られるのは動詞と形容詞だが、名詞にも抹消すべきものが何百かはあるね。無駄なのは同義語ばかりじゃない。反義語だって無駄だ。つまるところ、ある単語の反対の意味を持つだけの単語にどんな存在意義があるというんだ。一つの単語にはそれ自体に反対概念が含まれているのだ。良い例が〈良い〉だ。〈良い〉という単語がありさえすれば、〈悪い〉という単語の必要がどこにある?〈非良い〉で十分間に合うーいや、かえってこの方がました。〈悪い〉がいささか曖昧なのに比べて、まさしく正反対の意味になるのだからね。或いはまた〈良い〉の意味を強めたい場合を考えてみても、〈素晴らしい〉とか〈申し分のない〉といった語をはじめとして山ほどある曖昧で役立たずの単語など存在するだけで無駄だろう。そうした意味は〈超良い〉で表現できるし、もっと強調したいなら〈倍超良い〉を使えばいいわけだからね。もちろんわれわれはすでにこうした新方式の用語を使っているが、ニュースピークの最終版では、これ以外の語はなくなるだろう。最後には良し悪しの全概念は六つの語ー実のところ、一つの語ーで表現されることになる。どうだい、美しいと思わないか、ウィンストン?むろん元々はB・Bのアイデアだがね」彼は後から思いついたように最後のことばを付け足した。

 〈ビッグ・ブラザー〉の名を耳にしたとき、熱意の醒めたような表情がウィンストンの顔をほんの一瞬だけよぎった。それでもサイムはすぐに相手の意気込みが萎えたのを見抜くのだった。

「ニュースピークの真価を理解していないな、ウィンストン」彼の口調はほとんど悲しげだった。「君はニュースピークで書いていても、まだオールドスピークで考えているんだ。君が《タイムズ》に時折書いているものはいくつか読ませてもらっている。なかなかいいと思うよ。だがあれは翻訳なんだ。心の中ではオールドスピークをあくまでも守りたいと思っている。その曖昧さや意味の無駄なニュアンスなんてものを含めてね。ことばの破壊が持っている美しさが分かっていない。ニュースピークが年ごとに語彙を減らしている世界で唯一の言語であることを知っているかい?」 

 ウィンストンはもちろん知っていた。彼は共感を滲ませるように微笑んだが、何かを口にする度胸はなかった。サイムは黒っぽい色をしたパンをもう一口かじり、少し噛んだだけで話を続けた。

「分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。必要とされるであろう概念はそれぞれたった一語で表現される。その語の意味は厳密に定義されて、そこにまとわりついていた副次的な意味はすべてそぎ落とされた挙句、忘れられることになるだろう。すでに第十一版で、そうした局面からほど遠からぬところまで来ている。しかしこの作業は君やぼくが死んでからもずっと長く続くだろうな。年ごとに語数が減っていくから、意識の範囲は絶えず少しづつ縮まっていく、今だってもちろん、〈思考犯罪〉をおかす理由も口実もありはしない。それは単に自己鍛錬、〈現実コントロール〉の問題だからね。

2022年4月9日土曜日

20220409【架空の話】・其の92 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑫】

「はい、IM大学のST先生のことであると思いますが、こちらの先生は、本職である大学教員のほかに、ご本人は「あくまでも趣味」と仰っているようですが、料理がかなり上手とのことで、それを何処かで聞き付けた出版社か新聞社が特集を組んだと云う話を聞いたことがありましたが、それとお話に出ました岡山医療専門職大学がどのように結節するかは存じ上げませんが・・あるいは、こちらのST先生が、岡山の医専大で何らかの職を得て赴任されるなどでしょうか・・・?それと、御実家が兵庫県のどちらかと云えば岡山寄りの西の方であると、どこかで読んだ記憶がありますので、何かしらの地縁などもあるのでしょうか・・?」

と返答をすると、CH院長は少し驚いた様子で「・・おお、そこまでよく知っているねえ!それに、その推理は全部正しいわけではないけれど、結構イイ線行っていますよ。うん、正直、歯科関係者から、ここまでの返事を聞けるとは思っていませんでしたが、**さんは、たしか歯科技工士でK大院の博士院生であるとお聞きしていますが、あるいは以前に文系の勉強をしていたのですか・・?」と続けて私に訊ねてこられた。そこで私は、今回CH先生を紹介してくださったD先生の医院で歯科治療を受けて、その縁からK医療専門職大学に学士編入し、そして、その後K大院に進んだが、それ以前の専門は英文学であり、ジョゼフ・コンラッドの作品「闇の奥」についての研究で修士号を取得した旨を述べた。

そうするとCH先生は更に驚かれたようで「ええ!K医専大だから向うの方々がいらっしゃるとばかり思っていましたが、**さん、あなたはこっちの人なのですか!?・・しかもD先生の患者さんですか・・。D先生とは同じ研究室に所属したことはありませんが、私が補綴の研究室で院生から医員であった頃、理工の研究室で助教をされていて、また、その少し前にS先生がK大学に教授として赴任されたのではないでしょうかね・・。まあ、そのような感じでして・・それで、先生方はお分かりであると思いますが、補綴分野での実験は(歯科)理工と協力して組み立てることが多いことから、私も当時、D先生には色々とお世話になりましたが、それからすぐにD先生は開業されることになり大学を辞められましたが、その後も勉強会や学会でお目に掛かった時は、一緒に飲みに行ったりしています・・(笑)。

まあ、D先生が大学を辞められた後、私も補綴の研究室でどうにか助教になりましたが、運が良いのか悪いのか、それから1年程経った頃に、割に近い親戚から条件の良い開業向けの物件を教えてもらい、色々と考えて、そこで開業したのが当医院であるのですが、もうあれから随分経ったようにも思えますし、また、昨日のようであるようにも感じられますが、実際には9年ほどなのですね・・。

ええ、まあ、それは置いておきまして、さきのST先生のハナシですが、そう、こちらの先生は、国際関係論の研究者でありつつ著作も数多く、まあ、分野違いの私などは専ら新書ばかりを読んでいるのですが、それでも興味深く、勉強になりますね・・。いや、高校生の頃、私は、そちらの分野への憧れを持っていたのですが、しかし、私のいた高校は医科系大学の付属校でして、周囲の多くは医学部や歯学部などに進むような環境であって、それに進路指導の先生も、熱心にそちらを勧めてきましたので**歯科大学に進学したのですが、歯科の方も私にはそれなりに合っていたようで、現在もこうして続けさせて頂いていますが、少し時間に余裕が出来できますと、やはり、かつて興味を持っていた分野も気になるもので、時間を見つけては色々と読んでいますが、そうした中で、さきのST先生のハナシが新聞に載っていましてね・・。

それによると、後進に快く道を譲ることが出来るようになるためにも、現在の専門分野以外にて何か専門資格を取得しようと思い、そこで、料理が得意であることから、今度はより科学的な観点から料理や食料全般について考えることが出来るようになるために管理栄養士の資格取得を目指し、御実家からもどうにか通うことが可能で、学費が安価な岡山の医療専門職大学に学士編入試験で受験されて、通うことになったとのことですが、既にご家族が東京にいるため単身で移り住み、そこでは、学業と共に執筆や翻訳は出来るだけ続けられるとのことでした。また、出版社なども、そうした云わば「変わった学生さん」は話題になると考えて、おそらく、また、何か執筆依頼をされるのではないでしょうかね・・。しかし、こうしたことは、執筆や翻訳などで、ある程度の収入を得ることが出来ている先生であるから可能なことであり、ほかの研究者では、あまり真似は出来ないのではないでしょうかね・・。

それで、これに対するST先生の見解は「現在勤務している大学は一度退職しますが、医専大で管理栄養士の資格を得ることが出来たら、国際会議や学会での出席者参加の夕食会で料理を饗して、それらを観念的意味での材料として、国際関係論や文学でのトピックと関連させた講演や発表をしてみたい。」とのことでしたが、たしかにこれは新しく興味深く、斬新な試みであると思いますね・・。」とのことでした。」

約言すると、現役の人文系研究者が路線変更をして学士編入で医専大に入り管理栄養士を目指すということであり、たしかにそれは大変興味深いとは云えるが、果たして、その先の具体的なキャリアはどうなるのかと考えてみると、あまり思いつかず、あるいは、現在のような「転換期」とも云える時代にあっては、そうした選択も決して悪くないのかもしれないと思われたが、そこで、不図、我に返り「いや、こうしたことは私の将来にも少なからず関連するかもしれない・・。」と思い慄然としたが、その当時の私は、普段、あまりそうしたことを具体的に考える習慣がなかった・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


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ISBN978-4-263-46420-5

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2022年4月8日金曜日

20220408 気が重くなりつつも当ブログを続ける理由・・

おかげさまで、昨日の記事投稿により、総投稿記事数が1750に到達しました。そして、あと当記事を含めて50記事の投稿によって、現在、目標としている1800記事まで到達することが出来るわけですが、これは、ほぼ毎日1記事の投稿頻度で進めて、来る5月末頃に1800記事に達し、また、3日で2記事の投稿頻度にて進めますと、6月後半頃での到達への目途が立つと云えます。他方で、6月22日には当ブログ開始から丸7年となります。そのため、出来れば、それまで、あるいは丁度その頃(1800記事)に到達したいと考えていますが、そのためには、遅くとも、さきに述べた後者の投稿頻度にて、また今後しばらく進める必要性があるため、多少、気が重くなってきます・・。とはいえ、この「気が重くなる」は、去る2月末、東欧にて勃発した戦争以前、2020年からのコロナ禍から引き続いてきたものと云え、くわえて、私の場合、ほぼ慢性的とも云えるスランプなども重なり、さらに気が重くなります・・。

とはいえ、相変わらず、移動中や就寝前での読書は続けており、またここ最近は、これまでに自分が(ほぼ)知らなかった分野、世界を扱った著作をいくつか、読み進めてきたために多少苦労しましたが、不思議なもので、しばらく読み進めていきますと、徐々にその文体に慣れてくるのか、あるいは、その文章の背景にある世界観が、漠然とではあれ、認識出来る様になるのか、ともあれ、相対的に早く読み進めることが出来るようになります。

しかし、早く読み進めることが出来るようになったとしても、その内容の精確な理解は、それとはしばしば随伴しないことから、しばらく読み進めた頁から、また少し頁を戻り、読み返すといったことを続けつつ読み進めて行きますと、どうにか理解出来るようになるといった感がありますが、これが、さらに興味深い著作である場合、さきの手法にて読み進め、読了に至ってから、再度はじめから通読しますと、さらに精確な理解に至ることが出来るように思われます。

とはいえ、この読み進め方は、思いのほかに体力を消耗することから、ある程度の年齢に達すると困難になってくるのではないかと思われます。これは私自身の場合、そうであったと云えます。つまり、端的には、体力は以前より衰え、頭が硬くなり、そして、新たな事物を受け付けなくなっているのだと思われ、また、これについては日々実感していますが、他方で、内発的な動機による何らかの分野での活動をしている場合などは、その分野については、部分的にあまり頭は硬くならずに、比較的柔軟なスタンスにて活動することが出来るのではないかと思われます。

あるいは、こうしたこともあり、私は半ば無自覚的にではあれ、気が重くなりつつも、どうにか当ブログを続けていることが出来ているのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
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20220407 株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳「チャーチル・ファクター」 pp.257-260より抜粋

株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳 「チャーチル・ファクター」pp.257-260より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4833421674
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4833421676

イギリスが生み出した技術的ブレイクスル―のなかでも戦車は特別である。鍵となる発想がイギリス製だったという話ならよくあることだが、開発も実用化もイギリスで行われたのは特筆すべきことだ。1917年、イギリスは年間数百台の戦車を製造していた。これは当時の交戦国のなかでは最大である。

 この頃までに、チャーチルは再度タンクの製造責任者になっていた。この年の7月にロイド・ジョージがチャーチルを軍需大臣に任命して内閣に戻したのである。新聞は騒然とした。サンデー・タイムズはこのような人事は「政府や帝国全体にとって大きな危険だ」、モーニング・ポストは「あの危険で信用のできない人物、ウィンストン・チャーチル氏、体内でブラブラしている遊走腎のようなあの男がまた官庁街に戻ってきた」と書いた。

 メディアは完全に間違っていた。チャーチルはこのプロジェクトの成功には欠かせない存在だった。チャーチルは膠着状態を打開するために、ヘイグの指揮による正面からの攻撃は見たこともない狂気の沙汰だった。チャーチルやロイド・ジョージの懸念をよそに、ヘイグはベルギー・イープルの攻撃を開始させた。この作戦で約85万人の兵士が亡くなったが、そのうち35万人はイギリス兵士だった。人類がかつて経験したことがないほどに大規模な殺戮であった。ハンニバルのカルタゴ軍が、ローマ軍を殲滅しさせたポエニ戦争におけるカンナエの戦いの近代版といってもいいだろう。

 そして、ついに、十分な台数の戦車がそろった。1917年11月20日、フランス・カンブレーの戦いに400台が導入され、大きな功績をあげた。チャーチルはフル回転となった。戦車委員会を立ち上げ、1919年4月まで4459台を配備する目標を立てた。戦車工場の労働者たちが横柄な態度をとると、前線に送るぞと脅して黙らせた。そして最高に気分を高揚させる瞬間が到来した。1918年8月8日の仏アミアンの戦いで、この怪物が本当にドイツ軍を震撼させたのである。

 600台のイギリス製戦車がドイツ戦線に突入した。塹壕の上をギシギシと音を立てて進み、キャタピラーで泥をつかみ、敵の弾丸を弾き返しながら進んだ。まさにチャーチルが思い描いた通りだった。ドイツ軍のほうは、すぐに戦車を必要以上に恐れる必要はないということを学んだ。ローマ軍がカルタゴ将軍ハンニバルの持ち込んだ象に驚かなくなったように。そして数週間後には、ドイツ軍はイギリスの戦車に効率的に反撃を加えるようになった。しかし、戦車がドイツ軍の士気に損害を与えたことに変わりはなかった。ドイツ軍の軍人エーリッヒ・ルーデンドルフは、アミアンの戦いの初日をドイツ軍にとって陰鬱な日と呼んだ。この日は第一次世界大戦の「終わりの始まり」と言ってもいいかもしれない。

 その日勝敗を決めたのは戦車だった。チャーチルが翌日9日に目撃した、ドイツ軍の絶望的な捕虜たちのことを考えてみてほしい。チャーチルが海軍と共同発明した機械の力でドイツ軍は完敗させられたのである。そこらじゅうに戦車の跡があった。とチャーチルは報告している。

 チャーチルは正確にはどのような役割を演じたのだろう。チャーチルは発明や発想の天賦の才があり、物事を実用的で工学的な観点から考える習慣があった。葉巻がばらばらにならないように茶色の紙製チューブ「ベリーハンドゥ」を考案したり、ノルマンディー上陸作戦のDデーに海上に浮かべた人工港マルベリー・ハーバーを固定させる方法を考えたりしたのもそうした習慣の賜物だった。子供の頃は要塞を組み立てるのが好きで、弟のジャックと平衡錘投石機をつくり、牛に向かってリンゴを投げたりしていた。

2022年4月6日水曜日

20220405 株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」 pp.215-217より抜粋

株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」
pp.215-217より抜粋
ISBN-10: 4061586610
ISBN-13: 978-4061586611

ここで私が思い出すのは、戦時下の東京で「蛇屋の娘がかどわかされた」という噂がひろがったことである。物資が欠乏し人心の荒廃した戦争末期の首都で、このように説教本に出てくるような陰惨なデマが横行したことは、作為したものであれ、自然発生的であれ、深い意味をもつと考えられる。
 それは期せずして、ささくれ立った人間の心をいっそう逆なでするようなパニック状態を、日本人の意識の深層につくり出したものにほかならなかった。疑心暗鬼の生み出す恐怖やスパイ呼ばわりされる不安、おそらくそれは憑きもの筋の恐怖とは無縁ではないのだ。
 トウビョウ(蛇神)すじとか犬神すじと呼ばれるときの、傷あとに塩をすりこむような恐怖は貧しさが慢性化している山村や漁村の荒涼とした風景をぬきに考えられるものではない。そこでは貧しさが共同体をつくって豊かさをはじき出そうと、執念をかけるのである。犬神すじや蛇神すじは、山陰や土佐などの僻地に多くみられる現象で、物質の貧しさとふかくからみ合っている。
 しかし、貧しさが豊かさを恐怖する例は現代の企業や組合や政党にもみられないことはない。そこでは貧しさー精神の貧しさが、豊かさをはじき出そうと全力をあげる。精神の貧しさのつくった共同体が組織の名で呼ばれる。無能力な者が能力のあるものを恐怖し、あらゆる卑小な陰謀をもちいて団結する。豊かさへの恐怖、それが現代の犬神すじを成立させる。
 奈良時代から今日にいたるまで「良民」の「良」には何の意味もない。それは貧しさの代名詞でしかなく、一種の虚辞である。良民証とは貧しいものが、その貧しさを逆手にとって共同体を形成し、豊かなものを仲間に入れないための検閲証明書である。
 「良」が消極的な意味しかもたないことは、私の独断ではない。日本人の伝統意識のなかでは「悪」は積極的な意味をもつのである。「悪」の伝統意識が日本の近代文学のなかでは衰弱していることを、「不幸な芸術」で指摘したのは柳田国男であった。
 今日、異端や狂気が復権を求めているのは、そうしたこととつながりがあると私はおもう。
すなわち異端や狂気は一見、先端的思想にみえるけれども、その実は伝統的意識の回復をめざすものにほかならない。それは良民から排除される恐怖、差別者が被差別者を恐怖することへの恐怖を克服する思想運動である。現代の企業、組合、政党などの良民意識と組織へのしがみつきが産み出す「犬神すじ」の差別思想・・・それを打ち破るものとして、私たちは夢野久作の「犬神博士」一冊もっている。