A「これまで継続的にブログ記事を作成していて思うことの一つに「現在こうして記事を作成している環境が大きく変化した場合、これまでのように継続的な記事作成は出来るのであろうか?」といったことがあります・・。
そして、そうしたことを不図思う契機とは、継続している日常とは異なる場所、空間に(暫間的にではあれ)身を置いた時が多いように思われます・・。
自身は心理学に関しては素人ではありますが、あるいはこうした状態とは、我が国では河合隼雄が紹介し、ある程度の知名度を得たユングの心理学における『コンステレーション』といったものに何かしら関係があるのではないかと考えます・・。
心理学での『コンステレーション』とは『一見無関係に並んだ何かを突如として、その(繋がった)意味を感知させるようなこと、状態』を指すコトバであると表して、少なくとも間違いではないと考えます。
そして、こうしたことはたしかに継続している日常生活の環境においてはあまり思い至ることが少ないと考えられます・・。
とはいえ、こうした内面にて生じる出来事とは、さまざまなことを考える、あるいは学ぶ上において極めて重要であり、おそらく時代精神、地域性といった漠然、抽象的なことがらから、主体が相対する具体的な個々の人々に至るまでを理解する上において、欠くことの出来ない要素であると考えます。
そして、そうした要素が我々の心理に作用することから、我々の行うさまざまな行為とは内面において深化され、さらに進化発展を遂げることが出来るのではないかと思います・・。
おそらくこのようなことは、これを読まれている方々においても少なからず思い当たるフシがあるのではないでしょうか・・?
また一方、それ(コンステレーション)を感知する契機の多くが、日常とは異なる場所、空間に身を置いた時であるというのは、ある程度普遍化して云えることであり、吉田松陰著の「西遊日記」の冒頭にもその様なことが記され、また、そのコトバとは、映画『長州ファイブ』内にて、その主人公である山尾庸三が異郷の地にて述懐しているシーンがありました・・。
ともあれ、それ故に自身が現今継続的に作成しているブログ記事に対しても、時折、そのようなことを不図思うことがあるのです・・。
また、それ以前に、現在に至るまで、どうにか記事作成を継続的に行うことが出来た要因とは、これまでに作成した記事においても書きましたが、おそらく過去に在住したさまざまな地域での記憶であり、その意味において、あるいは今後、現在とは異なる日常に身を置いた場合もまた、今度は現在の日常の記憶が何かを書くための題材となるとなり得るのではないかとも思われるのです・・。
しかし、おそらくこうしたことは本質的には『賭け』に分類する方が適当であるのかもしれませんが・・(苦笑)。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
2017年4月27日木曜日
2017年4月26日水曜日
20170426 これまでの4月内で最も多く読まれた記事から思ったこと
A「昨日投稿記事もまた思いのほか多くの方々に閲覧して頂き、そのことから本日もまた記事作成を始めた次第です・・。
そして、本日もまた今現在特に記事の主題は決めておりません・・(苦笑)。
毎回このような調子で書いており、よく続けることが出来ているとは、我が事ながら多少面白く思うところです・・(笑)。
そういえば、今月も月末に近づきつつありますが、今月内に投稿した記事のなかで最も多く読まれていたのは4月2日投稿分の『時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」とは』でした。
また、その閲覧者数は、次点との差がかなり大きく、ほぼ独走、ダントツと評しても良い状態と云えます・・。
とはいえ、この記事が(相対的に)多くの方々に読んで頂けた理由とは今もってよく分かりません・・(苦笑)。
どちらかというと、この記事とは、作成当日が休日ということもあり、多少余裕をもって記事作成に取り組むことが出来たことから作成、投稿した二つ目の記事であり、正直なところ、そこまで多くの方々に閲覧されることを当初より期待したものではありません。
またそれは当時目標としていた600記事到達を早めるために作成した記事と評しても決して不可ではありません・・(苦笑)。
このように考えてみますと、こうした記事、文章を作成する一つの面白さとは、そういったところにもあるのではないかと思われます・・(笑)。
つまり『何であれ文章といったものは書いてみないと分からないということであり、また同時に書き続けていると、上記の事象のようなことをも含め、何かしら面白い発見をすることがあるではないか?』ということです・・。
そしてまた、こうしたことは(幾分無謀にも)公表を前提とすることから知り得たことであり、ひいては『それがブログ記事作成なるものの面白さの一つではないか?』ともいうことが出来るのではないかとも思われます・・(笑)。
また、自身とは、あるいは、こうした(手法による)文章作成であったからこそ、公表する文章であったことが補助輪のような役割を果たし、今現在ここまで記事作成を継続することが出来ているのではないかとも思われるのです・・(笑)。
しかしそれは同時にさきに示した記事の主題であった『普遍的に重み、深みを感じさせる何か』とはまた別種のものであるのではないかとも思われます。
いや、あるいは、そうしたものとは、記事作成を継続することにより自然、徐徐に文章に魂?が浸透し、読む方々に対し重み、深みを感じさせるようになってゆくものであるのかもしれません・・。
(文字および文章の持つ意味が変化するのか?それを作成する自身が変化するのか?それを読む方々が変化するのか?はたまた、それらが複合的に作用するのか?・・(笑))
そして、もしもそこに多少なりとも理があるとすれば、今現在逡巡しながら作成しているこの記事においてもまた多少の意味があるのかもしれない・・。
ここまで(あるいはこれまで通り)かなり身勝手なことを述べてきましたが、それでも実際のところ、ここまで作成してきた記事の中で百分の一、五十分の一、十分の一程度でも、ある程度普遍的に『面白い』あるいは『重み、深みを感じさせた』という記事があれば、自身としては(かなり)上出来の部類ではないかと思われます・・(笑)。
そして、それはやはり書き続けることによってはじめて達し得たものであるので、その意味では、無駄となった記事は無いとも云えるのです・・(笑)。
とはいえ、今後も多少休みを入れることがあるかもしれませんが、もうしばらく書き続けようと思います・・。
そして今回も最後にゲーテの箴言を(二つ)引用します(笑)。
「なんじが終わりえないことが、なんじを偉大にする。」
(西東詩編「ハーフィズの書」から)
「大小を問わず、性格とは、人間ができると感じたことを首尾一貫させることである。」
(「格言と反省」から)
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
そして、本日もまた今現在特に記事の主題は決めておりません・・(苦笑)。
毎回このような調子で書いており、よく続けることが出来ているとは、我が事ながら多少面白く思うところです・・(笑)。
そういえば、今月も月末に近づきつつありますが、今月内に投稿した記事のなかで最も多く読まれていたのは4月2日投稿分の『時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」とは』でした。
また、その閲覧者数は、次点との差がかなり大きく、ほぼ独走、ダントツと評しても良い状態と云えます・・。
とはいえ、この記事が(相対的に)多くの方々に読んで頂けた理由とは今もってよく分かりません・・(苦笑)。
どちらかというと、この記事とは、作成当日が休日ということもあり、多少余裕をもって記事作成に取り組むことが出来たことから作成、投稿した二つ目の記事であり、正直なところ、そこまで多くの方々に閲覧されることを当初より期待したものではありません。
またそれは当時目標としていた600記事到達を早めるために作成した記事と評しても決して不可ではありません・・(苦笑)。
このように考えてみますと、こうした記事、文章を作成する一つの面白さとは、そういったところにもあるのではないかと思われます・・(笑)。
つまり『何であれ文章といったものは書いてみないと分からないということであり、また同時に書き続けていると、上記の事象のようなことをも含め、何かしら面白い発見をすることがあるではないか?』ということです・・。
そしてまた、こうしたことは(幾分無謀にも)公表を前提とすることから知り得たことであり、ひいては『それがブログ記事作成なるものの面白さの一つではないか?』ともいうことが出来るのではないかとも思われます・・(笑)。
また、自身とは、あるいは、こうした(手法による)文章作成であったからこそ、公表する文章であったことが補助輪のような役割を果たし、今現在ここまで記事作成を継続することが出来ているのではないかとも思われるのです・・(笑)。
しかしそれは同時にさきに示した記事の主題であった『普遍的に重み、深みを感じさせる何か』とはまた別種のものであるのではないかとも思われます。
いや、あるいは、そうしたものとは、記事作成を継続することにより自然、徐徐に文章に魂?が浸透し、読む方々に対し重み、深みを感じさせるようになってゆくものであるのかもしれません・・。
(文字および文章の持つ意味が変化するのか?それを作成する自身が変化するのか?それを読む方々が変化するのか?はたまた、それらが複合的に作用するのか?・・(笑))
そして、もしもそこに多少なりとも理があるとすれば、今現在逡巡しながら作成しているこの記事においてもまた多少の意味があるのかもしれない・・。
ここまで(あるいはこれまで通り)かなり身勝手なことを述べてきましたが、それでも実際のところ、ここまで作成してきた記事の中で百分の一、五十分の一、十分の一程度でも、ある程度普遍的に『面白い』あるいは『重み、深みを感じさせた』という記事があれば、自身としては(かなり)上出来の部類ではないかと思われます・・(笑)。
そして、それはやはり書き続けることによってはじめて達し得たものであるので、その意味では、無駄となった記事は無いとも云えるのです・・(笑)。
とはいえ、今後も多少休みを入れることがあるかもしれませんが、もうしばらく書き続けようと思います・・。
そして今回も最後にゲーテの箴言を(二つ)引用します(笑)。
「なんじが終わりえないことが、なんじを偉大にする。」
(西東詩編「ハーフィズの書」から)
「大小を問わず、性格とは、人間ができると感じたことを首尾一貫させることである。」
(「格言と反省」から)
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年4月25日火曜日
20170425 夢野久作・谷川健一・大西巨人を結ぶもの・・
A「本日の首都圏もまた日中は気温も上昇し、比較的過ごし易い一日でした。
さて、本日も記事作成を止めておこうと思いつつ記事の閲覧状況を確認しますと、思いのほか読まれていたことから、また記事作成に取り組んでいる次第です・・(苦笑)。
また、先日600記事に到達してからも、まさしくどうしたわけか継続的に記事作成を行い、気が付きますと既に新たに5記事以上を作成しておりました・・(苦笑)。
加えて、直近ここ数回の記事に関しては、先日来より読んでいる夢野久作の著作の影響を受けているようにも思えます・・(笑)。
そして、このように考えてみますと、自身に関しては、何かしら著作を読んでいる時の方が記事作成も速やかにそしてスムーズに為されるように思われます・・(笑)。
その点、ブログ記事作成当初の記事全般とは、それまでに読んだ著作の影響が複合的に見受けられ、また同時に、その文体とは現在に比べ、何といいますか、頑なであり、現在読んでみますと「ああ、たしかにこの文体では長い期間の記事作成は困難であろうなあ・・」といった感想を持つに至ります・・(笑)。
とはいえ、その一方で自身とは、そうした頑なな文体に未だ憧れているようなところもあり、そこから時にはそうした(頑なな)文体を用いて文章を作成するのもまた、大事ではあるまいか・・?といった、さきとは相矛盾ような感想をも持つに至ります・・(笑)。
それ故、今回に関しては、このさきの文章を敢えて頑な、硬質な文体を用いて書いてみようと思い立ちました・・。
さて、現在読んでいる夢野久作の著作とは、偶然ながら、以前抜粋引用した谷川健一の著作においてもその一部分が抜粋引用されていることをつい先ほど思い出した。
谷川健一の著作とは、我が国の歴史の裏面あるいは民俗などについて取り扱ったものが多いと云えるのだが、その中で何故、本来(独特な作風の)小説家である夢野久作著作内の文章が抜粋引用されているのかと考えると、おそらく、その著作内で述べられている内容が、我が国古来よりの民俗的あるいは伝統的な、物事に対する視座に基づく叙述が随所に為されているからではないかと考える。
無論、こうしたある意味、歴史を貫く内容を持つ叙述とは、さまざまな文字文化において見受けられるのであろうが、特に谷川健一、夢野久作間のそれを結んで浮かび上がってくる特徴的な要素とは、おそらく我々が古来より普遍的に持っていると内面においては実感しつつも、同時にそれを表出することは進化発展を遂げた現代の我が国社会においては相応しくないものとされるような、恐ろしくも残忍な要素ではないかと考える。
また、その意味において、著作の中にて上記と類似した要素が随所に認められる著述家として大西巨人が挙げられるのではないかと考える。
そして、そうした要素を文章にて抉り出し露見させるような性質とは、あるいは九州出身の著述家を含めた表現者全般において、ある程度広く認められるのかもしれない。
感覚的ではあるが、そうした、いわゆる露悪的な文章において、前出三者とは、たとえば(九州に出自を持たない)山本七平、大岡昇平、会田雄次、丸山眞男などの類似した内容を持つ文章と比較した場合、その全体的なトーンが異なるのではないだろうか・・?
そして、そこにある程度同意が為されるのであれば、おそらく、その基底にあるものとは、地方、地域独特の口語、文語を含めた言語世界ではないかと思われる。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
さて、本日も記事作成を止めておこうと思いつつ記事の閲覧状況を確認しますと、思いのほか読まれていたことから、また記事作成に取り組んでいる次第です・・(苦笑)。
また、先日600記事に到達してからも、まさしくどうしたわけか継続的に記事作成を行い、気が付きますと既に新たに5記事以上を作成しておりました・・(苦笑)。
加えて、直近ここ数回の記事に関しては、先日来より読んでいる夢野久作の著作の影響を受けているようにも思えます・・(笑)。
そして、このように考えてみますと、自身に関しては、何かしら著作を読んでいる時の方が記事作成も速やかにそしてスムーズに為されるように思われます・・(笑)。
その点、ブログ記事作成当初の記事全般とは、それまでに読んだ著作の影響が複合的に見受けられ、また同時に、その文体とは現在に比べ、何といいますか、頑なであり、現在読んでみますと「ああ、たしかにこの文体では長い期間の記事作成は困難であろうなあ・・」といった感想を持つに至ります・・(笑)。
とはいえ、その一方で自身とは、そうした頑なな文体に未だ憧れているようなところもあり、そこから時にはそうした(頑なな)文体を用いて文章を作成するのもまた、大事ではあるまいか・・?といった、さきとは相矛盾ような感想をも持つに至ります・・(笑)。
それ故、今回に関しては、このさきの文章を敢えて頑な、硬質な文体を用いて書いてみようと思い立ちました・・。
さて、現在読んでいる夢野久作の著作とは、偶然ながら、以前抜粋引用した谷川健一の著作においてもその一部分が抜粋引用されていることをつい先ほど思い出した。
谷川健一の著作とは、我が国の歴史の裏面あるいは民俗などについて取り扱ったものが多いと云えるのだが、その中で何故、本来(独特な作風の)小説家である夢野久作著作内の文章が抜粋引用されているのかと考えると、おそらく、その著作内で述べられている内容が、我が国古来よりの民俗的あるいは伝統的な、物事に対する視座に基づく叙述が随所に為されているからではないかと考える。
無論、こうしたある意味、歴史を貫く内容を持つ叙述とは、さまざまな文字文化において見受けられるのであろうが、特に谷川健一、夢野久作間のそれを結んで浮かび上がってくる特徴的な要素とは、おそらく我々が古来より普遍的に持っていると内面においては実感しつつも、同時にそれを表出することは進化発展を遂げた現代の我が国社会においては相応しくないものとされるような、恐ろしくも残忍な要素ではないかと考える。
また、その意味において、著作の中にて上記と類似した要素が随所に認められる著述家として大西巨人が挙げられるのではないかと考える。
そして、そうした要素を文章にて抉り出し露見させるような性質とは、あるいは九州出身の著述家を含めた表現者全般において、ある程度広く認められるのかもしれない。
感覚的ではあるが、そうした、いわゆる露悪的な文章において、前出三者とは、たとえば(九州に出自を持たない)山本七平、大岡昇平、会田雄次、丸山眞男などの類似した内容を持つ文章と比較した場合、その全体的なトーンが異なるのではないだろうか・・?
そして、そこにある程度同意が為されるのであれば、おそらく、その基底にあるものとは、地方、地域独特の口語、文語を含めた言語世界ではないかと思われる。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
2017年4月24日月曜日
20170424 『ハレ』を生じさせる地域の『何か』とは・・?
600記事に到達した後も相変わらず記事投稿を行っている自身に多少嫌気が差し、本日こそは記事作成を行うことを止めようと考えていましたが、習慣というものは大変恐ろしいものであり、またブログ記事の閲覧状況などを見ておりますと、ついつい記事作成をはじめてしまいます・・(苦笑)。
しかし、今現在未だ記事の主題は定まっておりません・・(笑)。
そういえば、ここ最近は首都圏においても日中は比較的温暖な日が続き、こうした陽気になってきますと否応なく関西、九州に在住していた日々を思い起こします・・。
そして、これらの日々において大変懐かしいと思うことは、先ずはじめに週末、温泉に行っていたことであり、これは今現在の自身にとってはまさに贅沢そのものです・・(苦笑)。
さらにもう一つ当時習慣的に行っていたことは、同じく週末の長い散歩であり、おそらくこうした行為が当時の自身の活力の源となっていたのではないかと現在となっては思うところです・・。
しかし、これらの習慣とは、特に自身が見出したものではなく、当時の師匠および講座の先輩の習慣をそのまま継承、継続したものにすぎません・・。
それでも、こうしたいくつかの行為を習慣的に継続することがなければ、2010年秋頃から、急激に不安定な立場となった自身の精神とは、どこかでおかしくなっていたのではないかと思われるのです・・。
また、加えて、それを補填するようなカタチで2011、2012、2013年には嬉しい意味での多忙さがあり、おそらくこれがなければ、本当におかしくなっていたのではないかとも思われます・・。
そして、この当時の出来事およびその記憶がなければ、自身はたとえ、どうにか無事に院を修了できたとしても、その後、どこかで挫け、倒れていたのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、こうしたことは全て後知恵であり、科学的根拠といったものはないのですが、おそらくこれを読まれている方々の中にも少なからず、そうした意味を持つ経験およびその記憶といったものが存在するのではないでしょうか・・?
また、そうした経験とは、決して捏造すること、あるいは自身の記憶を改ざんすることにより、そうした価値を無理に与えることが出来るような性質のものではなく、どうも何かの拍子に突如訪れるといった性質があるのではないかと思われるのです・・。
また、当時の自身もそうしたことには多少なりとも気が付いたようであり、どうしたわけか書店の占いに関する書籍のコーナーに足を運んでいた記憶があります・・(苦笑)。
それでも、それら占いの書籍から得た知見は、あまり多いものではなく、現在においても「どうしてああいった出来事が連続して生じたのであろうか・・?」と時折考えてしまうのです・・。
・・おそらくそれらは偶然と云えば偶然なのでしょうが、しかし自身のそれまでの人生において、この時期ほど、そうした出来事が重なることもなかったため、その発現の経路・作用機序とは精確には分からないにしても「あるいは必然であったのかもしれない・・」とも考えさせられるのです・・。
そして、もしそれらが必然であったのだとすれば、そこには多少誇大妄想の気味もありますが、本居宣長が『古事記』読解を行うための土台、基礎となった18世紀後半の伊勢国松坂の地域社会のようなものが存在するのではないかと思われるのです・・。
それ故、自身はたとえ非科学的であると批判されても、やはりそこ(さまざまな地域社会)には、ある程度の期間在住することによって感知し感応し得る『何か』があるのではないかと考えるのです。
そして、おそらく、その『何か』は、人間として顕れるならば、男性よりも女性の姿をとることが多いのではないかと思われます・・特に西日本、九州などの場合・・。
また、そうした女性とは、おそらく女王卑弥呼の時代から現今に至るまで、あまり外見的には(にも)大きく変化をしておらず、近代以降の西洋的な美的基準が浸透した我が国社会においては『特に美しい』といった評価を受けることは必ずしも多くはなく、一見すると、ごく普通にその地域にいるタイプの女性に見えつつも、その発する『何か』によって「ハッ!」と目が見開かせる、あるいは心理学でいうコンステレーションを生じさせるような魂?を持っているのではないかと思われるのです・・。
おそらく、こうした才能?もまた、さきと同様、決してマネ・捏造出来るようなものではないと思われます。
私見ではありますが、それは時と共に移ろいゆく『外見的な美しさ』よりも貴重であるように思われるのです・・。
加えて、自身はこうしたことをある特定の人物を想定し述べているわけではなく、おそらく、そういった方が何人かはいたのではないかと思う一方、それが一体誰であったかとは、今となっては問うても仕方のないことではあるまいかと考えるのです・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
しかし、今現在未だ記事の主題は定まっておりません・・(笑)。
そういえば、ここ最近は首都圏においても日中は比較的温暖な日が続き、こうした陽気になってきますと否応なく関西、九州に在住していた日々を思い起こします・・。
そして、これらの日々において大変懐かしいと思うことは、先ずはじめに週末、温泉に行っていたことであり、これは今現在の自身にとってはまさに贅沢そのものです・・(苦笑)。
さらにもう一つ当時習慣的に行っていたことは、同じく週末の長い散歩であり、おそらくこうした行為が当時の自身の活力の源となっていたのではないかと現在となっては思うところです・・。
しかし、これらの習慣とは、特に自身が見出したものではなく、当時の師匠および講座の先輩の習慣をそのまま継承、継続したものにすぎません・・。
それでも、こうしたいくつかの行為を習慣的に継続することがなければ、2010年秋頃から、急激に不安定な立場となった自身の精神とは、どこかでおかしくなっていたのではないかと思われるのです・・。
また、加えて、それを補填するようなカタチで2011、2012、2013年には嬉しい意味での多忙さがあり、おそらくこれがなければ、本当におかしくなっていたのではないかとも思われます・・。
そして、この当時の出来事およびその記憶がなければ、自身はたとえ、どうにか無事に院を修了できたとしても、その後、どこかで挫け、倒れていたのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、こうしたことは全て後知恵であり、科学的根拠といったものはないのですが、おそらくこれを読まれている方々の中にも少なからず、そうした意味を持つ経験およびその記憶といったものが存在するのではないでしょうか・・?
また、そうした経験とは、決して捏造すること、あるいは自身の記憶を改ざんすることにより、そうした価値を無理に与えることが出来るような性質のものではなく、どうも何かの拍子に突如訪れるといった性質があるのではないかと思われるのです・・。
また、当時の自身もそうしたことには多少なりとも気が付いたようであり、どうしたわけか書店の占いに関する書籍のコーナーに足を運んでいた記憶があります・・(苦笑)。
それでも、それら占いの書籍から得た知見は、あまり多いものではなく、現在においても「どうしてああいった出来事が連続して生じたのであろうか・・?」と時折考えてしまうのです・・。
・・おそらくそれらは偶然と云えば偶然なのでしょうが、しかし自身のそれまでの人生において、この時期ほど、そうした出来事が重なることもなかったため、その発現の経路・作用機序とは精確には分からないにしても「あるいは必然であったのかもしれない・・」とも考えさせられるのです・・。
そして、もしそれらが必然であったのだとすれば、そこには多少誇大妄想の気味もありますが、本居宣長が『古事記』読解を行うための土台、基礎となった18世紀後半の伊勢国松坂の地域社会のようなものが存在するのではないかと思われるのです・・。
それ故、自身はたとえ非科学的であると批判されても、やはりそこ(さまざまな地域社会)には、ある程度の期間在住することによって感知し感応し得る『何か』があるのではないかと考えるのです。
そして、おそらく、その『何か』は、人間として顕れるならば、男性よりも女性の姿をとることが多いのではないかと思われます・・特に西日本、九州などの場合・・。
また、そうした女性とは、おそらく女王卑弥呼の時代から現今に至るまで、あまり外見的には(にも)大きく変化をしておらず、近代以降の西洋的な美的基準が浸透した我が国社会においては『特に美しい』といった評価を受けることは必ずしも多くはなく、一見すると、ごく普通にその地域にいるタイプの女性に見えつつも、その発する『何か』によって「ハッ!」と目が見開かせる、あるいは心理学でいうコンステレーションを生じさせるような魂?を持っているのではないかと思われるのです・・。
おそらく、こうした才能?もまた、さきと同様、決してマネ・捏造出来るようなものではないと思われます。
私見ではありますが、それは時と共に移ろいゆく『外見的な美しさ』よりも貴重であるように思われるのです・・。
加えて、自身はこうしたことをある特定の人物を想定し述べているわけではなく、おそらく、そういった方が何人かはいたのではないかと思う一方、それが一体誰であったかとは、今となっては問うても仕方のないことではあるまいかと考えるのです・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年4月23日日曜日
20170423 書店に行き、偶然手に取った書籍から思ったこと・・
昨日投稿分の記事においても述べましたが、現在となって思うことは、対話形式の文体の方が独白形式の文体に比べ、同じ文字数を書く場合においては大分書き易いと云えます。
あまり大したことではないかもしれませんが、これは自身にとっては発見といって良いものでしょう。
さて、本日は久しぶりに大規模書店に行き、興味のある分野の書籍コーナーを徘徊しておりましたが、その中で横溝正史の某作品を何気なく手に取り読み、その次に同じ書棚に並んでいた夢野久作の某作品をはじめて手に取り読んでみたところ、その文体が何とも云えず面白く、しばらくの間読み入ってしまいました・・。
この著者による作品は怪しげな作風・内容であるとの評により、これまで敬遠、食わず嫌いであったのですが、実際に読んでみますと『はまる人にははまる』のではないかといった感想を得ました(笑)。
重ねて私見ではありますが、その文体および物語の進行の仕方とは、同じ九州福岡出身の大西巨人による「神聖喜劇」にも相通じる『何か』があるのではないかと思われますが如何でしょう?
また、さらに思うことは、こうした書簡形式の文体、回想などが物語随所に挟まれる物語の進行の仕方とは、読み手側にとっては多少取っ付きにくいのかもしれませんが、我が国における小説、物語の叙述形式としては、そこまで異端視されるべきものでもないと考えます。
また、今後機会を見つけ、そうした叙述形式を採る作品を自身で探してみようと思いましたが、とりあえずは一冊、夢野久作の著作を読んでみようと思います。
また、それと関連があり、以前のブログ記事にも書いた記憶がありますが、昨今どうしたわけかタイムリープ、タイムスリップもののドラマ・映画作品が多いようですが、おそらく現今もてはやされるそうした作品(のみ)によって歴史およびその時代精神を理解しようと試みることは(かなり)危ういものであり、それは我が国において特徴的とも云える、外からの圧力、プレッシャーが生じた際のヒットポイントをずらす、はぐらかすような傾向・心性に親和性を持っているのではないかと思われます・・。
インターネットが普及した現在においては、おそらくそうした我が国の表層のみでの反応・共感しているようなしぐさに隠された真意・底意あるいは場合によっては無気力などは、諸外国に広く認識されつつあるのではないかと思われます・・。
それ故、やはり大事であると思うことは、実際のところ興味を持っていないことに対して、無理に外面を取り繕い、興味があるように見せることよりも、ただ各々主体が能動的な興味を持ち取り組むことが出来る何かを見つけ、そしてそれを社会が容認することではないかと思うのですが如何でしょうか・・?
おそらく、こうしたことは理想論以前の問題ではないかと思われます・・。
さて、そこで不図思い出した文章を以下に示します。
岩波書店刊 中江兆民著 「三酔人経綸問答」P.25より抜粋引用
『人間社会のあらゆる事業は、たとえて言えば、酒のようなもの、自由は酵母のようなものです。ブドウ酒でもビールでも、材料がいかによくても、もし酵母というものがなければ、材料はみな桶の底に沈殿して、アルコールをかもし出させようととしてもダメです。専制国の事物は、みな酵母のない酒です。みな桶の底の沈殿物です、ためしに専制国の文芸を見てごらんなさい。ときには見るべきものもあるようだが、よくよく観察すると、千年たっても一様、万個あっても一種、変化のすがたなどありはしない、作者の視覚聴覚にうったえる現象は、みな桶の底の沈殿物にすぎず、作者もまた沈殿した精神で、これを模写する。変化のすがたのないのは、当然じゃありませんか。』
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
あまり大したことではないかもしれませんが、これは自身にとっては発見といって良いものでしょう。
さて、本日は久しぶりに大規模書店に行き、興味のある分野の書籍コーナーを徘徊しておりましたが、その中で横溝正史の某作品を何気なく手に取り読み、その次に同じ書棚に並んでいた夢野久作の某作品をはじめて手に取り読んでみたところ、その文体が何とも云えず面白く、しばらくの間読み入ってしまいました・・。
この著者による作品は怪しげな作風・内容であるとの評により、これまで敬遠、食わず嫌いであったのですが、実際に読んでみますと『はまる人にははまる』のではないかといった感想を得ました(笑)。
重ねて私見ではありますが、その文体および物語の進行の仕方とは、同じ九州福岡出身の大西巨人による「神聖喜劇」にも相通じる『何か』があるのではないかと思われますが如何でしょう?
また、さらに思うことは、こうした書簡形式の文体、回想などが物語随所に挟まれる物語の進行の仕方とは、読み手側にとっては多少取っ付きにくいのかもしれませんが、我が国における小説、物語の叙述形式としては、そこまで異端視されるべきものでもないと考えます。
また、今後機会を見つけ、そうした叙述形式を採る作品を自身で探してみようと思いましたが、とりあえずは一冊、夢野久作の著作を読んでみようと思います。
また、それと関連があり、以前のブログ記事にも書いた記憶がありますが、昨今どうしたわけかタイムリープ、タイムスリップもののドラマ・映画作品が多いようですが、おそらく現今もてはやされるそうした作品(のみ)によって歴史およびその時代精神を理解しようと試みることは(かなり)危ういものであり、それは我が国において特徴的とも云える、外からの圧力、プレッシャーが生じた際のヒットポイントをずらす、はぐらかすような傾向・心性に親和性を持っているのではないかと思われます・・。
インターネットが普及した現在においては、おそらくそうした我が国の表層のみでの反応・共感しているようなしぐさに隠された真意・底意あるいは場合によっては無気力などは、諸外国に広く認識されつつあるのではないかと思われます・・。
それ故、やはり大事であると思うことは、実際のところ興味を持っていないことに対して、無理に外面を取り繕い、興味があるように見せることよりも、ただ各々主体が能動的な興味を持ち取り組むことが出来る何かを見つけ、そしてそれを社会が容認することではないかと思うのですが如何でしょうか・・?
おそらく、こうしたことは理想論以前の問題ではないかと思われます・・。
さて、そこで不図思い出した文章を以下に示します。
岩波書店刊 中江兆民著 「三酔人経綸問答」P.25より抜粋引用
『人間社会のあらゆる事業は、たとえて言えば、酒のようなもの、自由は酵母のようなものです。ブドウ酒でもビールでも、材料がいかによくても、もし酵母というものがなければ、材料はみな桶の底に沈殿して、アルコールをかもし出させようととしてもダメです。専制国の事物は、みな酵母のない酒です。みな桶の底の沈殿物です、ためしに専制国の文芸を見てごらんなさい。ときには見るべきものもあるようだが、よくよく観察すると、千年たっても一様、万個あっても一種、変化のすがたなどありはしない、作者の視覚聴覚にうったえる現象は、みな桶の底の沈殿物にすぎず、作者もまた沈殿した精神で、これを模写する。変化のすがたのないのは、当然じゃありませんか。』
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
20170422 【対話形式】研究分野と背景文化の違いについて・・
A「最近Bさんはブログに使っている自身の画像をモノクロ写真からイラストに変えましたね?」
B「ええ、あまり大きなことではありませんが、自身の気分の変化を狙ったものです・・(笑)。」
A「はあ、それでもこのイラストはBさんの特徴が出ていると思いますので、これはこれで良いのではないですか?
それよりも、最近何か変わったことはありましたか?」
B「・・いえ、これといって大きな変化はありませんが、ブログ記事も600に到達しましたが、引き続き何かを書いてみたいと思うことぐらいでしょうか・・(笑)?
とはいえ、ここで独白形式にて更に記事作成を継続するのも少し大変なようですし、これもまた、気分を変えるという意味で、何となく対話形式にて直近は書いています・・(笑)。
そうしましたら、面白いことに、あまり閲覧者数は以前と変わらないようですので、今後しばらく対話形式にて記事を書き続けてみようかと考えています・・(笑)。」
A「はあ・・対話形式の方がやはり文章、記事とは書き易いものなのですか?」
B「ええ、自分としてはこちらの方が独白形式のものに比べ大分書き易いと感じています。
しかしそれでも、その基礎にあるものとは、実際の対話の記憶ですので、こちらの方も継続的に補充しなければならないのですが・・(笑)。
ですから、ここでのBさんとの対話もまた、どこかでブログ記事の材料にする可能性は充分あります・・(笑)。
もちろん個人特定はされないようには書きますが・・。」
A「・・まあ、個人特定の件は大丈夫だと思いますが、やはり対話形式の方が文章とは書き易いものなのですね・・。
私も今後その形式にて文章を書く機会があるかは分かりませんが、それは少し大事なことであるのかもしれません・・。
あ!あと、それに加えて最近再度求職活動を開始されたとのことですが、その手応えはどうですか?」
B「それはまだ始めたばかりですので何とも云えませんが、今度は出来るだけ自身に合うと思われる職種に精選して応募しようとは考えています・・。
しかし実際のところ、果たしてそれで良いものであるのかとは分からず、まあこれも暗中模索の手探りで行っています・・(苦笑)。」
A「そうですか・・そんなに簡単に、すぐには見つからないかもしれませんが、粘り強く探して、これまでのBさんのさまざまな経験を生かせる大学職種が見つかることを期待しています。」
B「ええ、どうもありがとうございます・・。
また、そうしたやりとりがなければ、どこかで挫け斃れていたと思いますので、それを糧にして引き続き探し続けることにします・・。
しかし、それでもAさんも現在の職に就かれる前に***で**の仕事をされていた時期がありましたが、あの当時はやはり大変でしたか・・?」
A「ええ、あの当時はやはり自分なりに苦しんでいたと思いますよ・・。
それでも、そうした中、時折Bさんから電話があったり手紙を書いてくださいましたよね・・?
また、他にもそうした連絡を頂くことが時々ありましたので、現在考えてみますと、あの時期は、そういったものに助けられた部分が少なからずあると思っています・・。
それでもBさんの場合は歯科理工学?でしたか、そちらの関係の方々もいらっしゃると思うのですが、そちらの方々からの反応はどうなのですか・・?」
B「ええ、歯科方面の方々がいらっしゃらなければ、現在の仕事もかなり危うかったと思いますし、現在もまた、仕事を含めてさまざまな相談をさせて頂いているところなのですが、しかし歯科方面の方々とは、概ね、現在も何らかのカタチにて大学と関係されていることが多く、おそらく文系ほどに実社会と大学が離れているといった感覚ではないことから、自身としては話していて時折、何とも云えないもどかしいギャップみたいなものを感じることがあるのです・・(苦笑)。
しかし、これは仕方のないことであると思いますが・・。」
A「・・そうですか、たしかに医療関係は普通に開業している医師、歯科医師であっても大学と繋がっているところが多いですからね・・。
これはたしかに人文社会科学系あるいは他の学問分野とは大きく異なるのかもしれませんね・・なるほど・・。」
B「ええ、やはりそれぞれの学問分野とは背景となる文化もまた異なっていますので、そこから見える大学や研究機関といったものの見え方、像が違ってくるのではないかと思います。
とはいえ、自身の場合、幸いにもAさんも含め現在でも連絡を取っている人文社会科学系の大学教員、研究者がおり、またそうした事情とは、これまた幸いなことに歯科関係においても同様ですので、願わくは、今後、それらを社会にて繋ぎ合せるような職種に就きたいと思うところなのですが、なかなか難しく簡単には行かないのかもしれません・・(苦笑)。
A「そうですか・・まあ、いずれにしましても、さまざまな最新の出来事の砂かぶりの地、東京から御自身に合うと思われる職種を探してください。」
B「そうします・・そういえばAさんがいる大学にはたしか医学部はなかったと記憶していますが看護、介護系の学部はありませんでしたか?
そこで仕事のハナシになってしまって恐縮なのですが、少し伺いたいことがありまして・・・・」
ここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
B「ええ、あまり大きなことではありませんが、自身の気分の変化を狙ったものです・・(笑)。」
A「はあ、それでもこのイラストはBさんの特徴が出ていると思いますので、これはこれで良いのではないですか?
それよりも、最近何か変わったことはありましたか?」
B「・・いえ、これといって大きな変化はありませんが、ブログ記事も600に到達しましたが、引き続き何かを書いてみたいと思うことぐらいでしょうか・・(笑)?
とはいえ、ここで独白形式にて更に記事作成を継続するのも少し大変なようですし、これもまた、気分を変えるという意味で、何となく対話形式にて直近は書いています・・(笑)。
そうしましたら、面白いことに、あまり閲覧者数は以前と変わらないようですので、今後しばらく対話形式にて記事を書き続けてみようかと考えています・・(笑)。」
A「はあ・・対話形式の方がやはり文章、記事とは書き易いものなのですか?」
B「ええ、自分としてはこちらの方が独白形式のものに比べ大分書き易いと感じています。
しかしそれでも、その基礎にあるものとは、実際の対話の記憶ですので、こちらの方も継続的に補充しなければならないのですが・・(笑)。
ですから、ここでのBさんとの対話もまた、どこかでブログ記事の材料にする可能性は充分あります・・(笑)。
もちろん個人特定はされないようには書きますが・・。」
A「・・まあ、個人特定の件は大丈夫だと思いますが、やはり対話形式の方が文章とは書き易いものなのですね・・。
私も今後その形式にて文章を書く機会があるかは分かりませんが、それは少し大事なことであるのかもしれません・・。
あ!あと、それに加えて最近再度求職活動を開始されたとのことですが、その手応えはどうですか?」
B「それはまだ始めたばかりですので何とも云えませんが、今度は出来るだけ自身に合うと思われる職種に精選して応募しようとは考えています・・。
しかし実際のところ、果たしてそれで良いものであるのかとは分からず、まあこれも暗中模索の手探りで行っています・・(苦笑)。」
A「そうですか・・そんなに簡単に、すぐには見つからないかもしれませんが、粘り強く探して、これまでのBさんのさまざまな経験を生かせる大学職種が見つかることを期待しています。」
B「ええ、どうもありがとうございます・・。
また、そうしたやりとりがなければ、どこかで挫け斃れていたと思いますので、それを糧にして引き続き探し続けることにします・・。
しかし、それでもAさんも現在の職に就かれる前に***で**の仕事をされていた時期がありましたが、あの当時はやはり大変でしたか・・?」
A「ええ、あの当時はやはり自分なりに苦しんでいたと思いますよ・・。
それでも、そうした中、時折Bさんから電話があったり手紙を書いてくださいましたよね・・?
また、他にもそうした連絡を頂くことが時々ありましたので、現在考えてみますと、あの時期は、そういったものに助けられた部分が少なからずあると思っています・・。
それでもBさんの場合は歯科理工学?でしたか、そちらの関係の方々もいらっしゃると思うのですが、そちらの方々からの反応はどうなのですか・・?」
B「ええ、歯科方面の方々がいらっしゃらなければ、現在の仕事もかなり危うかったと思いますし、現在もまた、仕事を含めてさまざまな相談をさせて頂いているところなのですが、しかし歯科方面の方々とは、概ね、現在も何らかのカタチにて大学と関係されていることが多く、おそらく文系ほどに実社会と大学が離れているといった感覚ではないことから、自身としては話していて時折、何とも云えないもどかしいギャップみたいなものを感じることがあるのです・・(苦笑)。
しかし、これは仕方のないことであると思いますが・・。」
A「・・そうですか、たしかに医療関係は普通に開業している医師、歯科医師であっても大学と繋がっているところが多いですからね・・。
これはたしかに人文社会科学系あるいは他の学問分野とは大きく異なるのかもしれませんね・・なるほど・・。」
B「ええ、やはりそれぞれの学問分野とは背景となる文化もまた異なっていますので、そこから見える大学や研究機関といったものの見え方、像が違ってくるのではないかと思います。
とはいえ、自身の場合、幸いにもAさんも含め現在でも連絡を取っている人文社会科学系の大学教員、研究者がおり、またそうした事情とは、これまた幸いなことに歯科関係においても同様ですので、願わくは、今後、それらを社会にて繋ぎ合せるような職種に就きたいと思うところなのですが、なかなか難しく簡単には行かないのかもしれません・・(苦笑)。
A「そうですか・・まあ、いずれにしましても、さまざまな最新の出来事の砂かぶりの地、東京から御自身に合うと思われる職種を探してください。」
B「そうします・・そういえばAさんがいる大学にはたしか医学部はなかったと記憶していますが看護、介護系の学部はありませんでしたか?
そこで仕事のハナシになってしまって恐縮なのですが、少し伺いたいことがありまして・・・・」
ここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年4月22日土曜日
20170421 医療・介護系資格養成課程の一部共通化について【対話形式】
A「作成記事が600に到達した後も、ほぼ流れにて数日間記事作成を行い、本日こそは記事作成を休もうと考えましたが、つい先ほど、不図、先日、知人との会話にて出てきたことを思い出し、これを書いてみようと思い立ちました・・(苦笑)。
以下、対話形式にて・・
B「・・どうだい、仕事の方は上手くいっていますか?」
A「ええ、ボチボチで、あまり良いとは云えませんが、それでもつい先日、直接的には仕事とは関係がないところでいくつか面白いことがありましたので、今後それらがさらに進展し、良い具合で進んでくれたら良いとは考えていますね・・(笑)。」
B「そうですか・・そういえば先日読んだ新聞記事で看護師、理学療法士、作業療法士などの医療資格と介護福祉士、社会福祉士といった介護系資格の学校での養成課程の基礎的な部分が、ある程度共通化することが模索されていると書かれていましたが、これは以前にAさんが話していたことに近くはないですか・・?」
A「・・ええ、たしかにその様な内容のことを以前、B先生にお話ししていたと思いますが、それは本当ですか?」
B「うん、つい先日の**新聞の一面記事に載っていましたよ。
私はこれを読んで「おお、Aさんの云っていたことに近いな。」と思って憶えていたのですが、こうした制度が出来れば、今後の社会にて見込まれる人材不足が、一人が複数の資格を取得することによって、ある程度は解消できるのかもしれませんね・・。
また、それに加えて君が云っていた医療・介護系の資格養成の専門学校と文系大学が合併するような動きが加われば、更に良くなるかもしれませんね・・。」
A「たしかにそれはそうなのですが、しかしそれは今現在の段階では、まだ多少困難ではないかとも思われます・・。
何故ならば、双方共にそれぞれの学問分野における既存の伝統といったものがありますからね・・。
つまり、その場合、それぞれの学校、大学の教育システム、カリキュラムを大幅に変えたり、さらにはそれぞれの組織自体もまた、大々的に変えないと多分ダメですからね・・。
ですから、B先生に云うのも何ですが、それは医学部、歯学部などといった、既に養成課程において伝統のある組織、カリキュラムがある学問分野と同一視して考えることは難しいのではないでしょうか・・。
・・とはいえ、やはり、そうした変革とは、必ずしも必要というわけではありませんが、今後その必要性が増大する可能性が高い、医療・介護分野における多職種連携においては、養成段階基礎教育の共通化によって使用専門用語が共有されることは大変都合の良いことであるとは思うのですが・・。」
B「・・まあ歯科医学分野においても医歯工連携やチーム医療の必要性が叫ばれてはいますが、それはあくまでも既存の各分野研究者、教員に対してのアプローチといった色彩が強く、それらを養成する段階、つまり学生たちに対する学部、学校教育に関してとは聞きませんから、やはり、こうした養成段階基礎におけるカリキュラム、履修科目の共通化とは、現段階では君のいう通り難しいのだろうねえ・・。
それと、資格養成の専門学校と文系大学との合併もまた、現在の社会が示す少子化に伴う大学全体の斜陽化に対して良い効果を齎すのではないかと思われますが、これもおそらく前と同様、難しいのだろうねえ・・。」
A「・・ええ、もちろん、現在の状況とは決して楽観視出来るようなものではありませんが、それでも幾つかの資格間の養成段階基礎における共通化とは、少なくとも悪い兆しではないと考えますので、今後もしばらく情勢を静観するのが良いのではないでしょうか・・?」
B「うん、とりあえず事態は変わってはきているようですから、現段階ではそれで良いのかもしれませんね・・。」
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
以下、対話形式にて・・
B「・・どうだい、仕事の方は上手くいっていますか?」
A「ええ、ボチボチで、あまり良いとは云えませんが、それでもつい先日、直接的には仕事とは関係がないところでいくつか面白いことがありましたので、今後それらがさらに進展し、良い具合で進んでくれたら良いとは考えていますね・・(笑)。」
B「そうですか・・そういえば先日読んだ新聞記事で看護師、理学療法士、作業療法士などの医療資格と介護福祉士、社会福祉士といった介護系資格の学校での養成課程の基礎的な部分が、ある程度共通化することが模索されていると書かれていましたが、これは以前にAさんが話していたことに近くはないですか・・?」
A「・・ええ、たしかにその様な内容のことを以前、B先生にお話ししていたと思いますが、それは本当ですか?」
B「うん、つい先日の**新聞の一面記事に載っていましたよ。
私はこれを読んで「おお、Aさんの云っていたことに近いな。」と思って憶えていたのですが、こうした制度が出来れば、今後の社会にて見込まれる人材不足が、一人が複数の資格を取得することによって、ある程度は解消できるのかもしれませんね・・。
また、それに加えて君が云っていた医療・介護系の資格養成の専門学校と文系大学が合併するような動きが加われば、更に良くなるかもしれませんね・・。」
A「たしかにそれはそうなのですが、しかしそれは今現在の段階では、まだ多少困難ではないかとも思われます・・。
何故ならば、双方共にそれぞれの学問分野における既存の伝統といったものがありますからね・・。
つまり、その場合、それぞれの学校、大学の教育システム、カリキュラムを大幅に変えたり、さらにはそれぞれの組織自体もまた、大々的に変えないと多分ダメですからね・・。
ですから、B先生に云うのも何ですが、それは医学部、歯学部などといった、既に養成課程において伝統のある組織、カリキュラムがある学問分野と同一視して考えることは難しいのではないでしょうか・・。
・・とはいえ、やはり、そうした変革とは、必ずしも必要というわけではありませんが、今後その必要性が増大する可能性が高い、医療・介護分野における多職種連携においては、養成段階基礎教育の共通化によって使用専門用語が共有されることは大変都合の良いことであるとは思うのですが・・。」
B「・・まあ歯科医学分野においても医歯工連携やチーム医療の必要性が叫ばれてはいますが、それはあくまでも既存の各分野研究者、教員に対してのアプローチといった色彩が強く、それらを養成する段階、つまり学生たちに対する学部、学校教育に関してとは聞きませんから、やはり、こうした養成段階基礎におけるカリキュラム、履修科目の共通化とは、現段階では君のいう通り難しいのだろうねえ・・。
それと、資格養成の専門学校と文系大学との合併もまた、現在の社会が示す少子化に伴う大学全体の斜陽化に対して良い効果を齎すのではないかと思われますが、これもおそらく前と同様、難しいのだろうねえ・・。」
A「・・ええ、もちろん、現在の状況とは決して楽観視出来るようなものではありませんが、それでも幾つかの資格間の養成段階基礎における共通化とは、少なくとも悪い兆しではないと考えますので、今後もしばらく情勢を静観するのが良いのではないでしょうか・・?」
B「うん、とりあえず事態は変わってはきているようですから、現段階ではそれで良いのかもしれませんね・・。」
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
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