2016年8月18日木曜日

20160817 灰の降る街について・・ 

本日の首都圏は台風一過によるものか大変天気も良く、また気温も思いのほか上昇しました・・。

これは町なかを歩く際に若干つらく感じる程度のものでした。

しかし、以前より何度も記すようですが、その日差し、そして気温とは、和歌山、九州(特に鹿児島)に比べると特に耐え難いという程のものではありません。

また、九州(特に鹿児島)の日差しに対しても能動的に慣れることを試み、それを継続すれば、どうにかしのげる程度までは慣れていくことも特に難しいことではないと考えます。

いや、むしろ鹿児島(市街)の夏季においては、その日差しよりも日常的ともいえる桜島の噴火による降灰に悩まされるかもしれません・・。

この(降灰の)ため、彼の地(鹿児島市街周辺)における夏季の洗濯物は、その強い日差しにもかかわらず露天にて干すことが困難です。

これには在住当初なんともいえない矛盾を感じておりました・・(笑)。

また鹿児島市街から電車、自動車などで離れて気が付くことは、路地の隅などに(火山)灰およびその痕跡がないことです。

また、それに伴い空気も幾分かキレイになっているのではないかとも錯覚します。

たしかに夏季の鹿児島(市街)においては、シャワー、入浴の際、身体の様々な部位に火山灰が付着していることに気づき、そのことから「ここの大気とは火山灰によって汚染されているのではないか?」と感じることが往々にしてありましたが、他の(空気がキレイな)地方都市と比べてはわかりませんが、少なくとも現在の首都圏と比べますと、まだ大分マシなのではないかと思われます・・。

とはいえ、鹿児島在住時は、この火山灰により洗濯以外においても悩まされ、当時乗っていた原付の運転時におけるゴーグルとは、必需品(に近いもの)でした・・。

また、それと関連することとして、彼の地の(特に夏季における)火山灰が飛散、浮遊する状況により生じる一種独特な大気の環境とは、大気を媒質であると考えた場合、他のそうでない環境と比べた場合、より強い(場の)空気の凝集性を生じさせるのではないかとも考えられますがさて、如何でしょうか・・?

そしてそうした自然環境が、戦国、幕末およびその後において(主にその団結力の強さにより)武勇、精強さを誇った島津兵、薩摩藩の物理的な意味での(まさしく微細な!)礎の一つとなったのではないかとも考えさせられます・・。

そしてまた同時にそうした環境とは、鹿児島の女性(薩摩おごじょ)達の(女性特有の)感受性に対しても少なからぬ影響を与えているのではないかとも考えさせられます・・。

こうしたことは、鹿児島在住時には、特にあらためて言語化して考えてみることがありませんでしたが、現在、彼の地から離れ、且つこうした気温が高い日になりますと、不思議なことに、そうしたことが自然と思い起こされ、そして現在それを題材として文章を記している次第です・・(笑)。

そのように考えてみますと、当然ではあるのかもしれませんが、我々人間一般とは、畢竟、自然の所産、産物であり、そこからの影響を受けつつ何かしらものごとを考えている(考えさせられている)のではないでしょうか・・?

その意味において、日常的な桜島の噴火および降灰が存在する一種独特、特徴的な大気(媒質)の環境を持つ鹿児島とは、やはり、その風土においてもまた、良い悪いといった価値判断を抜きに一種独特、特徴的な「何か」があるのではないかと考えさせられます・・。

また、最後に蛇足となりますが、野上彌生子の「迷路」内においても幾度か記されていたことでもありますが、鹿児島人によく見られるパッチリとした瞳とは、さきに記した桜島の噴火および降灰による自然環境とは、どうも相矛盾するのではないかと思われます。

そうしますと、これ(鹿児島人によく見られるパッチリした瞳)とは、自然環境(桜島の噴火および降灰)以外の、この地の人々特有の種族的な特徴ではないかと考えられますが、私見としましては、どうもそれだけではないような感じを受けます・・。

ここから先はまだ上手く言語化できませんが、機会がありましたら、また考えてみたいと思います。

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

そして今回の記事題材の北隣の熊本において、さる四月に発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」



2016年8月16日火曜日

20160816 昨日投稿の記事から・・

本日首都圏は夕刻より雨が降りはじめ、それが徐々に強くなってきております。
最も雨が強くなるのは明朝にかけてとのことですが、交通機関への影響が出ないことを願います・・。

現在もまた、若干雨が強くなってきておりますが、その雨音は全般的に和歌山、九州在住時におけるそれよりかは、あまり強いものではありません・・。
さて、ハナシは変わりまして、どうしたわけか、昨日投稿した概ね書籍(「丸山眞男著「忠誠と反逆」)からの抜粋引用であった投稿記事(20160815)は、思いのほか閲覧者数が伸び、加えて、その後に多く読まれている記事もまた、当記事に関連するものが多く、これらの記事を読んで頂いている方々の見識、センスには感服すると同時に驚異(脅威)の念すら持ちます・・(苦笑)。

ともあれ
興味を持って読んで頂きたいへんありがたく思っております。

また、それ以上に、こうした反応がなければ、これまでのブログ記事作成は到底為し得なかったものと考えます。

また、このことは以前のブログ記事においても記しましたが、大切なことであると思いますので、またここに改めて記す次第です。

さて、以前のブログ記事に現在のような暑い季節(夏季)においては、思想系の書籍を読むことが面倒、億劫になると記しましたが、それでも一度手に取り読みはじめ、興に乗ってきますと、こうした書籍もまた段々と面白くなってくるようです・・。

・・いや、これもまた丸山眞男曰く「既成事実への屈服」の一つであるかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、多少言い訳じみますが、丸山眞男の著作の面白さとは、また一種独特なものではないかとも思われます・・。
硬質な文体、口語に近い文体の何れにおいても・・。

そして、おそらくそうした部分が海外(特に欧米)において丸山眞男の我が国に関しての著作が著名であることに何らかの関連があるのではないかと思われます・・。

しかし、それはさておき、この記事、抜粋引用部を読んでいただいている方々が如何なる学問的背景を持たれているかは分かりかねますが、何れであれ、昨日投稿した記事の書籍からの抜粋引部とは、現代の我々の社会を考える上において、なかなか興味深く、示唆的、そして面白いものではなかったでしょうか・・?

・・いや、こうした評価を強いることは決して良いことでありませんでした・・(苦笑)。

しかし一方、昨日作成記事の閲覧者数を確認しますと、多少こうしたことも書いてみたくもなるようです(苦笑)・・。

また、文系学問の面白さとは、一つに、こうしたものをはじめ様々な主張、意見、思想を読み、聞きそして、それらを統合し、自分なりに当時の状況(実際の状況)などを再現し、てそれを様々な手段に依り表現するといったことではないでしょうか・・?

その意味において、おそらく私は根本的には文系型の人間であると考えます。

しかし、それと同時に思うことは、多くの理系諸学問が持つ「実験」という手続き、手段とは、極めて重要、有効であり、多くの文系諸学問において、この「実験」という手続き、手段を用いることが出来ないことは、学問の性質上仕方がないのかもしれませんが、どうも「もったいない」のではないか?ということです。

つまり、文系学問分野においても、その教養的なものとして、実験的なものの見方、考え方が自然に出来るような科目群を設置し、それを各自が能動的に取り組むことが出来る環境があれば、また色々と面白い方に変わってくることも少なくないのではないかと思われます・・。

これも現在においてはあくまでも理想論ではありますが・・。

しかし、かつての我が国における中等~高等教育教養段階とは、概ね上に述べられているようななものであったのではないかとも思われます・・。

そして、それが変化した(してしまった)のは、一体どのような原因、経過を経てそのようになった(なってしまった)のでしょうか・・?

今回もここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。
おかげさまで今回の投稿にて390記事となります。
さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。










2016年8月15日月曜日

20160815 主に書籍からの抜粋 立国の根本とは・・【書籍からの抜粋あり】『忠誠と反逆』より

本日2016年8月15日分のブログ記事とはインターネット接続が出来ない環境にて作成しております。
こうし環境にてブログ記事作成を行うのは、かなり久々であり、仕方なく白紙のワード文書にて作成しはじめました。

とはいえ、このような若干の環境の変化により記事が思い浮かばなくなるということもなく、何かしら記しはじめた次第です。
さて、本日は終戦(敗戦)記念日であり、また同時に我が国の暦上においてはお盆(祖霊を祀る行事)ということもあってか、本日の通勤電車は普段に比べ幾分か空いておりました。
また特に本日8月15日は終戦(敗戦)記念日ということからではありませんが、久々に丸山眞男著・筑摩書房刊の「忠誠と反逆」を取り出し読んでみました。


この著作表題となっている「忠誠と反逆」とは、現代の我々が読んでみてもたいへん興味深い内容であり、就中その中の福沢諭吉の思想について触れた部分とは、我々日本人の近現代史(あるいはそれ以前をも)を考える上で大変興味深い記述が散見されるのではないかと思われます。
では、その一節を下に示します。


PP.55-58
「天下の大勢」という客観的な法則はあくまで法則であり、「勝てば官軍」という事実はあくまでも事実である。
しかしこの法則なり事実が自我の次元において忠誠転移の根拠になり口実となることに福沢は我慢がならなかった。

いわゆる絶対的な名分論がもし純粋に自我に内面化されたものならば、それは「盲目」であり「愚鈍」ではあっても、こうした滔々とした転向は生まないはずである。

とすれば「今の所謂大義名分なるものは、唯黙して政府の命に従ふに在るのみ。」したがって万一、西郷の企てが成功したならば、おそらく現在西郷に逆賊のレッテルをはっている役人どもも「寝返りの易くして神速なるべきは智者を俟たずして明」らかであり、「其、新聞記者の如きは展転反側の最も自在にして最も妙を得たる者なるが故に、忽ち筆を倒にして後へを攻め、以て正三位陸軍大将西郷隆盛公の盛挙を賛成」するだろう。

「実は人民の気力の一点に就て論ずれば、第二の西郷を生ずるこそ国の為に祝すことなれども、其これを生ぜざるを如何せん。余輩は却て之を悲しむのみ」。


この立地点が、後年、勝海舟と榎本武揚の行動を「三河武士の精神に背くのみならず、我日本国民に固有する痩我慢の大主義を破り、以って立国の根本たる士気を弛めた」ものとして痛烈に論破した「痩我慢の説」にまっすぐ連なっていることはもはや喋々を要しない。

福沢における「痩我慢」の精神と「文明」の精神と、「士魂」と「功利主義」との矛盾あるいは二元性ということがしばしば指摘される。

抽象的に二つの「イズム」をとりあげるならば、たしかにそうもいえるだろう。

しかし思想史の逆説と興味は、まさにそうした抽象的に相容れない「イズム」が、具体的状況のなげかけた「問題性」に対する応答としては結合するというところにある。

あたかも幕末動乱に面して武士における家産官僚的要素と戦闘者的要素とが分裂したことに照応して、忠誠対象の混乱は、「封建的忠誠」という複合体の矛盾を一挙に爆発させた。家産官僚的精神によって秩序への恭順のなかに吸収された君臣の「大義」は一たまりもなくその醜い正体をあらわした。

しかもいまやその同じ「秩序への恭順」が皮肉にも「上から」もしくは「外から」の文明開化を支える精神として生き続けているではないか。
矛盾したものの結合は実は福沢の批判する当の対象のなかにあるものであり、「近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如し」という状況判断に立った福沢は、右のような形の「封建性」と「近代性」の結合を逆転することで―すなわち、家産官僚的大義名分論から疎外され現実の主従関係から遊離した廉恥節義や三河(戦国!)武士の魂を、私的次元における行動のエネルギーとして、客観的には文明の精神(対内的自由と対外的独立)を推進させようとしたのである。


「丁丑公論」における「抵抗の精神」の力説と、「学問のすすめ」や「文明論之概略」における「人民独立の気象」の要請とは、こうして福沢の立場においては密接につながっていた。

たしかに福沢は「封建的忠誠」の分解をラディカルに推しすすめたが、その作業は、単純に「封建的」に代わって「近代的」なものをすげかえるのではなくて、現実に進行していた解体を利用して、その構成契機の役割を転換させることにあった、封建的忠誠における外面化の傾向をしてむしろ徹底させ、これをパブリックなものに高めよ。そのことによって私的=心情的契機はかえって個人の内面に定着するだろう―これが維新後の「集団転向」の現実を前にした福沢の苦肉の処方箋であった。
「葉隠」の非合理的な忠誠が逆説的に強烈な自我の能動性をはらんでいたのとちょうど裏腹の関係で、福沢はむしろ非合理的な「士魂」のエネルギーに合理的価値の実現を託した。

「本来忠節も存ぜざる者は終に逆意これなく候」というのが「葉隠」のダイナミズムであったとするならば、逆に、謀叛もできないような「無気無力」なる人民に本当のネーションへの忠誠を期待できるだろうかというのが、幕末以来十余年のあわただしい人心の推移を見た福沢の心底に渦まく「問題」だったのである。」

・・さて、上掲の著作が著されて(1960)から半世紀以上経過しております。

そして、意外ではあるかもしれませんが、ここに述べられていることは現在の我が国諸々を考える上においても示唆するものが多いのではないでしょうか・・?


今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。


正調 田原坂

2016年8月14日日曜日

20160814 「山鹿灯篭まつり」から・・

おかげさまで昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。どうもありがとうございます。今後も少なくとも400記事に到達するまでは記事作成を継続しようと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

さて、先日投稿した記事にて垂仁天皇の御代における出来事について記しましたが、その一代後の景行天皇の御代における出来事が発端であるとされる熊本県山鹿市の「山鹿灯篭まつり」のことを不図本日思い起こしました・・。

何故、私がこの祭りを知ったかといいますと、鹿児島在住時の週末の日課であった散歩(天文館~宇宿)の際、鹿児島中央駅(西駅)前広場にて熊本県の観光広報イベントが開催されており、そこで数人の踊り手達によるこのまつり(千人灯篭踊り)が演じられているのを偶然見かけ、それが大変印象的であったことに端を発します。

その後、余程このまつりが印象的であったのか、就寝後の夢の中でも思い起こし、夢と現(うつつ)の境で「よへほ~よへほ~」と云っておりました・・(笑)。

これを読まれている大方の方々は「おそらくウソでだろう・・。」と思われているかもしれませんが、ウソではありません・・(笑)。
そして、さらにその後しばらくしてテレビのお昼の情報番組にて、この「山鹿灯篭まつり」の特集が為されているのを観て更に嬉しくなりました・・。

それで気を良くしたのか、あるいは調子づいたのか、周囲の熊本御出身の方々に「山鹿灯篭まつり」について聞いて廻っていた記憶もまたあります・・(苦笑)。

そして、ここまで記していて、この「山鹿灯篭まつり」のことが気になりインターネットにて検索しますと(なんと!)その開催時期が丁度明日からとのことで、これもまた何だか嬉しくなりました・・。

これもまた読まれている方々は「これまたウソ、でっち上げではないだろうか?」という疑念を抱かれると思われますが、これもまた偶然なのです・・。

・・これにはいささか自分でも驚いております・・(笑)。

ともあれ、如上のような偶然(?)について考えてみますと、私がこれまでに継続してブログ記事を作成してきた(より)大きな背景には、これら九州での記憶の体系が、その奥深くに存在するのではないかと考えさせられます・・。

あるいは、何かしら創造性を惹起、駆動させる文章を記していて生ずる面白い出来事とは、大小ありましょうが、一つにはこういったことが含まれるのではないでしょうか・・(笑)?

そして、もしかすると、こうしたこと(創造性の惹起、駆動)とは、経済状態の改善、向上と同程度に国の盛衰において大事な要素ではないでしょうか・・?

あるいはまた「かつての時代(明治以前)とは、現在の我々よりもそうしたことを熟知、通じていたのではないだろうか?」とも考えさせられます・・。

その意味において、古の文化、風習を単なる迷信、観念的な遺物としてのみ扱い、表層のみにおいては(あるいは経済的な有用性により)丁重に扱うその二枚舌的な態度(ジョージ・オーウェル著「1984」曰くダブルシンク)とは、そうした文化とは、思いのほか罪深いものであるのかもしれませんが、如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。
さる四月に発生した熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

                     山鹿灯籠まつり・千人踊り ~ よへほ節 ~





20160813 分水嶺・・

本日は日中所用のため東京方面に出ておりました。
本日もまた、通常のこの季節の如く気温が高く、決して快適なものではありませんでしたが、所用を終え帰宅する頃になりますと、若干陽もかげり、それに伴い幾分涼しくもなりました・・。

とはいえ、夕刻を過ぎる頃になりますと、日中の高い気温のためか、若干疲れが出たものか大変眠くなってきました。

以前にもこうしたことは時折あったのですが、このまま寝てしまいますと、本日分のブログ記事作成が出来なくなると考え、つい先ほど意を決して、記事作成のために起きだした次第です・・(苦笑)。

さて、本日はそのような状態にて一体どのような記事を記すか?といった意味において、なかなか興味深いものであると自身で考えております・・(笑)。

また、本日は以前より何度かブログ記事にて扱った野上彌生子著「迷路」下巻を持って出かけて途中電車内で読んでおりました・・。

この著作とは、下巻のある章だけを読んでみても、それは一つの物語(短編)として成立しており、今回はその意味においてなかなか興味深く読むことができました。

そういえば短編の名手として知られた芥川龍之介も野上彌生子同様、夏目漱石の弟子であり、そこから不図思い起こしたことは、「近代以降、長編を手掛けた著述家とは首都東京出身者が極めて少ない」というどこかで読んだ記述です。

たしかに東京出身で長編を手掛けた著述家とは、その全人口からの比率、あるいは我が国の文化の先端であることなどを加味して考えますと有意に少ないのではないでしょうか・・?

また、こうしたことは諸外国においても同様の傾向が存在するのかどうか分かりませんが、あるいはこうしたことを調べてみるのもまた、なかなか面白いのかもしれません・・(笑)。

また、そのように考えてみる場合、先ず前提として長編の定義、各々著述家の出自の定義などが重要な要素になってくるものと考えます・・。

さらに一方、こうした調査・研究・考察?とはどういった学問分野の範疇に入るのでしょうか?
文学史の中に入るのでしょうか?
あるいは社会文学史などといった分野が存在するのでしょうか・・(笑)?

そのように考えてみますと、我々とは、案外自国のこうした要素について(一般的な議題として)あまり考えないような傾向があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

とはいえ、であるからといって「こうしたことを考えるようにしましょう!」というのもあまり良いものでなく、その考えた結果から変な傾向が生じ、おかしな方向に行くというのが、少なくとも我が国社会における通例のパターン(の一つ)であるといっても良いと思われますので、まあ調査・研究・考察するのは良いとして、あまり知られないでとりあえず文書化しておくといったのが、適当であるのかもしれません・・(笑)。

そのように考えますと、文系のそうした(あまり華々しくない)研究一般とは、医学等をはじめとする理系学問諸分野のように、その研究成果が目に見えて世の中の何かを改善するといった(大層な)ものではなく、ただ後に続く同じような学問的興味を持つ(ごく少数の)人々のための指針、思考上の分水嶺にでもなれば良いといった感じで存在するのではないかと思われます・・。

あるいはそのように考えてみますと、こうしたことは理系諸学問の研究においても概ね同様であるのかもしれません・・。

とはいえ、そうした蓄積の有無とは、一見あまり価値が無いように思われますが、しかし、それこそが大きな発明、発見、開発などの礎となるのですが、通常においては、あまりこうしたことは重要なこととして認識されないようです・・(苦笑)。

それはあたかも山頂付近の小さな分水嶺を流れる小川から海に流れ込む川の状態を認識、想像し難いことに似ているのかもしれません・・(笑)。

また、ここまで記していて想起したことは、鹿児島在住時の師匠との登山の際、基礎研究の重要さを実際の小さな分水嶺を前にし、さきに記した比喩を用いて、師匠が相変わらずの口調にて説かれたことです・・。

そしてまた思うことは「ここまでどうにか私がブログ記事を継続して作成出来ていることは、もしかすると首都圏、東京から離れていたことによるのかもしれない・・。」ということです。

これは科学的根拠を示せといわれてもキビシイのではありますが、私はおそらくそうであると考えております・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に発生した熊本での大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」


2016年8月13日土曜日

20160812 主に昨日の続き【書籍からの抜粋引用あり】中井久夫著「アリアドネからの糸」

昨日記し稿した記事(20160811)もおかげさまで投稿翌日にしては、閲覧者数が伸びました。どうもありがとうござます。
この記事は主に自身の経験およびそこから生じた個人的な見解について述べた次第ですが、こうした見解が今後出来るだけ広く拡散してくれたら面白い社会になるのではないかと思いますが、これを読まれた皆様は、どのように考えますでしょうか?
加えて、予め正直に申し述べておきますと、このブログ記事(20160811)にて記されている、学会発表などの場において用いられる英語についての見解とは、特にオリジナルといったわけではなく、以前より師匠をはじめ周囲の方々が述べられていたことであり、私もまた自然とそれに賛同するようになった次第です。

また、これを端的に申しますと「海外留学により流暢、キレイに話すことができるようになった英語能力と、自国内での研鑽によって培われた傍から聞くと、幾分いかめしく、古風な論文英語での能力とは、前者に比べ後者が決して劣るものではなく、むしろ第一義的に我々は日本人であることから考えると、こちら(後者)の方が、それを得るための労苦などから勘案すると、より価値があるのではないであろうか?」ということになります。
その意味において、昨日のブログ記事に記された研究者、院生(?)の発表態度とは、私に感銘を与えるものであり、且つ、その発表内容が(私にとっても)比較的分かりやすく、明晰であったことを考えると、益々その感を強くさせます。
そのように考えてみますと、古より現代に至るまで外来語の習熟を余儀なくされた我々およびその祖先等は、古においては隣国の文字言語である漢文を訳しながら読むことを学び、また近代以降に多く流入した西欧各言語においても、概ね同様の態度を以って接しました。その結果、再生産されるものとして、日本風の漢文および同様の英文といったものが生じ、また、そうした文化(?)とは、現在もなお脈々と生き続けているのではないかと思います・・。また、他面において、明治維新以降、太平洋戦争の敗戦、あるいはその後しばらくまでの医学教育におけるドイツ語においてもまた、同様のことがいえるのではないかと思います。しかし、何れにせよ、これら日本風の外来語による会話、文章にて、その意味が精確に相手に通じるのであれば、特に問題はないのではないでしょうか・・?
そして、こうしたことを国内に当て嵌めて考えてみますと、各地方における訛りにおいても本質的には同じであり、とりあえず意味が精確に通じれば良いのではないかとも思われますが、如何でしょうか・・?
・・・その点面白いことに、大学というところは基本的に関東弁、標準弁が用いられるところであり、教員、学生さん等は様々な出身地を持っているはずなのですが、大抵何故か皆さん、関東弁・標準弁を用いておりました・・。

・・・そして、ここまで記していて、不図以前抜粋引用しました中井久夫の文章が想起されましたが、もしかすると、ここに何かしら関連があるのかもしれません・・。
ともあれ、それを下に示します。」


中井久夫著「アリアドネからの糸」みすず書房刊pp.134-137より抜粋
「身体の外傷は八ヶ月すれば有機化されるが、心の外傷は恒久的に治癒しないことがありえる。」ということもできるであろう。なお、覚醒剤を使ったことのある者が長年経ってから起こす覚醒剤を使った時の異常体験のフラッシュバックも、古型の記憶の装置となんらかの関係にあるものであろう。いっぽう、新型の記憶は極限状況においては麻痺する。
これら侵入症候群と対をなすとされている麻痺・狭窄症状numbing or constrictionであると私は思う。そして、一般に考えられているように両者は交代して現れるのではなく、古型の記憶の賦活が目立つが、新型の記憶の麻痺が目立つかの相対的な違いにすぎないと私は思う。おそらく、古型の記憶はヒト以前に遡るであろう。
ゾウがかつて苛めた相手を何十年か後に攻撃したという話がある。
これに対して新型の記憶は成人言語性の成立以後である。
つまり、言語と結びついていてヒトだけである可能性がある。では人類史上いつごろのことであろうか。
その歴史的時期は不明であって、ある人は非常に古い時期にこれを措定するであろうが、無文字社会における成人文法性のあり方、そこにおける個人史の形と意味についての研究があまりに不足していること、無文字社会への共感が得にくいことのために、私はこれ以上深入りすることは避けたい。
ただ無文字言語と有文字言語との差には注目しなければならない。
無文字言語は語彙が数千を越えることができないようである。
無文字言語に近い現代の方言の語彙もその範囲である。
また、文脈を形成し維持して、文を文脈から遊離させないために、反復や常套句を盛んに使用し、複合的な文章形成を避けるという点も特徴的である。方言が成人言語でないということはできないが、もっとも発達している日本方言である関西弁でも、それを使って今書いているような議論文を私は書けない。無文字言語の世界をわれわれは方言によってかいまみることができそうである。

古型の静止型記憶が成人期までどんどん積み重なっていったとすれば、それはちょうど未整理の写真が何年、何十年分も溜まったようなもので、そういう不精をしてしまえばアルバムに仕立てることが大仕事になる。
新式の記憶が立ち現れる必要があったのは、ヒトの記憶容量の増大に促されてのことではあるまいか。ここで晩年のロラン・バルトが「(一枚一枚の)写真は未来を持っていない」といったのが思い合わされる。

古型の記憶は絶対音階の世界、新型の記憶は相対音階の世界にたとえられるかもしれない。絶対音階を持つことは音楽家には非常に重要な前提条件といわれるけれども、絶対音階を持った人の不幸もある。駅や百貨店で鳴っている音楽を私が聞き流せるのは相対音階しか持っていないからである。絶対音階を持ってしまった人にはすべて音程の狂った音に聞こえて苦しくてたまらないであろう。実際そういう少女のそういう訴えを聞いたことがある。ここで自閉症児が特定のサイクルの音に反応して落ち着かなくなることが思い合わされる。たとえば冷蔵庫を止めるとそれだけで問題が解消する。彼ら彼女らはひょっとすると絶対的音階優位の世界から脱皮できなかった人ではあるまいか。電話帳一冊をまるごと覚えられるという異能も「絶対音階」的な世界に属するものではなかろうか。」
アリアドネからの糸
アリアドネからの糸
・ISBN-10: 4622046199
・ISBN-13: 978-4622046196

中井久夫

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年8月11日木曜日

20160811 学会での印象的な光景

どうしたわけか、昨日記し投稿したブログ記事(2060810)は投稿初日にしては、なかなか多くの閲覧者数を得ることができました。

読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そして、この記事(20160810)の内容に多少関連しますが、私はこれまでに幾つかの学問分野における研究者および未来の研究者達に接する機会を持つことが出来ました。

そして、ここからは私見となりますが、彼等、彼女等の多くは、各々が所属する学問分野特有の世界観を持っており、その世界観の特徴(これは未だ感覚的なものであり、上手く言語化することはできませんが)より鑑みますと、昨日の記事(20160810)に記した指摘、反応とは、文系的というよりも理系的なそれであり、また、そうであったからこそ、その指摘、反応とは、私にとって新鮮、鮮烈なものとして感受されたのではないかと思います・・。

そして、ここまで記して不図想起することは、以前出席させて頂いた国際学会にて、自身の発表を終え、他の会場での発表を見学していますと偶然、日本語訛り(加えて、そのイントネーションから西日本御出身であることが想像される)の強い英語にて明朗に話し発表をされている女性研究者、院生(?)を見かけたことです。
そして、発表後、西欧在の某大学研究者数名から矢継ぎ早に質問を受けておりましたが、彼女はこれに特に動じることもなく、時には身振り、手振りも交え、発表時と同様、明朗な日本語(西日本)訛りの英語にて質問に応じておりました・・。

また、用いている英語の表現方法、語彙などから、この方の専攻は医歯薬系あるいは理工学系専攻の方であったと思われます・・。

私はそれ以前に学会などにおいて、この様な光景に遭遇したことがなかったため、大変新鮮、鮮烈なものとして記憶していた次第です。

そして、それと同時に「このような女性研究者が今後、より多くあらわれるようになると、社会とはどのように変化してゆくのであろうか・・?」とも思った次第です。

私としては、そうした未来とは、なかなか面白いのではないかと思われ、またかつて、そうした思いを幾度か周囲の方々に語ったこともありました・・(笑)。

しかし、それと同時に、それがこの先に何らかの社会現象として生じた場合、さらにその後において、その現象に社会全般が便乗し、結局のところ、どうもおかしな方向に行ってしまうのではないか・・?
といった危惧もまた生じてきます・・。

大岡昇平の「俘虜記」などを読みますと、そのような自然に生じた現象に対し、後に全体が便乗し、結局のところおかしな方向に行ってしまうといった具体例に満ち、そのことから、いささか暗い気分にさせてくれますが、おそらくこれは少なくとも、近代以降の我が国社会における特徴の一つであると評しても良いのではないかと思います・・。

あるいは丸山眞男の述べるところの「既成事実への屈服」なども同じようなモデルに対する異なった視点からの表現であるのかもしれません・・。

そして、その同じ社会が「この先の未来だけを見つめる」といったことにヤケに力を入れていることは、何かしら不可思議、おかしな、良からぬものを感じさせます・・。

そして、情報技術が進化発展を遂げた現代においては、おそらく海外の方々に対し、そうした我が国のあまり好ましからぬ特質らしきものが透けて見えてきているのではないかとも思います。

それに加え、一つに、そのようなところから昨今の近隣諸国からの我が国に対する驕りもまた生じているのではないかと考えさせられますが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月半ば過ぎに熊本を中心に発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来る限り早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。