心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックといった人間の心、精神における現象(?)と理系学問分野における様々な物質の相変態・相転移の現象が類似しており、さらにそれがエルンスト・ユンガーがその著書「労働者・支配と形態」にて述べている「技術と人間の結びつきとは間接的である方が良い。」ということに何かしら関連があるのではないだろうか?といった内容を先日のブログに記しましたが、これは現在になり考えてみますと、我々人間にとって奥が深い主題であるのかもしれません・・。
また、そのように考えてみますと、エルンスト・ユンガーと同時代の異なる戦場にいたイギリスの詩人ロバート・グレーヴス著の岩波書店刊「さらば古きものよ」からも同様に、上に記した内容に近い要素が何かしら看取されるのではないかと思いましたが如何でしょうか?
私見とはなりますが、この当時(20世紀初頭~第一次世界大戦)のイギリスをはじめとする西欧社会の歴史的背景、価値観を知るうえでこの著作はかなり有益であるのではないかと考えます。
とはいえ、この著作とはトーマス・マン著の「魔の山」ほど著名でもありませんので、この著作とは少なくとも我が国においては「隠れた名作」という評価が適当であるのではないかと思います・・。
また、当著作文量は上下巻に分かれていますが、おそらく「魔の山」の6・7割程度であると思われます。
興味を持たれた方々、是非一度手に取って読んでみてください・・(笑)。
あるいは、時代的にもタイムリーであるのかもしれません(そうでなければ本当に良いですが・・)。
そして、ここまで記していて、不図思い出したのが、ほぼ同時代人のオーストリア・ハンガリー帝国に出自を持つ哲学者ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインです。
彼もまた前掲二者同様、第一次世界大戦の激戦に身を置いた一人であり、その著作「論理哲学論考」内の思索の多くは、戦地での勤務にて為されたということです・・。
たしかに、この二者(エルンスト・ユンガー、ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン)には相通じるものがあるように思えますが、如何でしょうか?
おそらくヴィトゲンシュタインの方が普遍的、科学的な現象面により注視し、端的には理系的な発想、著述の色彩が強く、そのことから、理系学問優勢の我が国における両者の知名度の相違を決しているのかもしれません・・。
さて、ハナシは変わって、今回投稿する記事により投稿記事数が365となりますが、特にこれといった変化はなく、また同時に今現在そういったものを望んでいるわけでもありません・・。
しかし、次回の投稿により、閏年である今年を挟んだ一年分の記事数として適当な366記事となります・・。
とはいうものの、おそらく次回(明日)の記事投稿においても特に何かが生じるということもなく、ただ自身のケジメとして「ああ、一年一カ月程度でようやく一年分として適当な記事数を作成したな・・。」ということになり、ある程度の達成感を感じる程度ではないかと思います(笑)。
ちなみに明日記す予定の記事とは今現在においてもこれまでと同様何も考えておらず、またその時になりはじめて考えると思われます・・(笑)。
そして、その意味において、明日が休日(土曜日)であることは、まことに好都合であるとは思います・・(笑)。
しかし、一体何時になると私の文体における相変態・相転移らしきことが生じるのでしょうか?(笑)。
あるいは、こうしたことは突如生じるといったものではなく、徐々に生じ、進行してゆくものなのでしょうか?
とはいうものの、そういしたことに実感が伴わなければ判然としませんので、もしかすると、以前記したように私とは(少なくともこうしたことに関しては)相当鈍感であるのかもしれません・・。
また、これはあくまでも可能性のハナシではありますが・・(苦笑)。
ともあれ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる四月の九州、熊本を中心とする大地震により被災された地域の出来るだけ速やかな復旧そしてその後の復興を祈念しております。
2016年7月23日土曜日
2016年7月21日木曜日
20160721 歴史から学ぶ・・【昨今の我が国について思ったこと】
ここ二日間ほど人間の精神における相変態・相転移について書いてきましたが、こうしたことは、ある程度大きく考えてみますと国・地域などによっても存在するように思われます。
たとえば、ある国が経験した大きな出来事(戦争・革命など)の前後において、その国の文化(の様々な面)が如何なる変化を遂げたかということを観察し考えてみますと、そこに最大公約数的に見たその国の精神における相変態・相転移の際の特徴、傾向などが見受けられるのではないでしょうか?
そして、こうしたことは様々な優れた著述家が既に述べられているので取り上げませんが、現在の我が国の状況とは、過去のどの時代に類似しているのかと考えてみた場合、もしかすると「白村江の戦い」の前の時代に似ているのではないかと思いましたが如何でしょうか?
しかし、であるからといって、今後絶対に戦争が勃発するというわけではなく、ただ古来より東アジア最大の国、中国(呼び名は色々ありますが)が熱を帯び膨張をはじめますと、それは否応なく周辺諸国に影響を与え、そこには多分に緊張が含まれるのではないかと思います。
そして、そこで生じた緊張とは、必然的にその国の同時代の精神あるいは集合的無意識などにも影響を与え、そして文化もまた変容してくるのではないかと思われます・・。
そして、こうした文化の変容は、特に都市部において容易に看取、観察することができるのではないかと思います。
また、特に具体的な個別の現象について記すことは控えますが、そこから1920年代~30年代の我が国社会の変容なども、同じようなモデルに則っていたのではないかと考えさせられます・・。
さらに、現代がさきに記したようなモデルに則っているとすれば、この時代(1920年代~30年代)を実際に生きた著述家等が概ね寿命により世を去った時代(現代)に社会の変容が生じているということもなかなか興味深いことではないかと考えさせられますが如何でしょうか?
そして、このように考えてみると「歴史から学ぶということは、少なくとも我々日本人にとっては、なかなか難しいことであるのかもしれない・・」とも考えさせられます。
さらに、ここまで記していますと、これまでの一連のブログ記事にて、その文章を抜粋させて頂いた様々な著述家の方々が現在の我が国に生きているとすれば、見るとすれば、彼等・彼女等は一体どのような感想を現在の社会に持つのであろうか・・?と考えてしまいます・・。
たしかに我々日本人とは19世紀半ば過ぎにいち早く西洋的な近代化を成し遂げ、当時膨張しつつあった西欧列強の植民地となることを免れ、また、その後の大敗を喫した太平洋戦争の後においても驚異的な復興を成し遂げ、世界に名だたる経済大国にはなりました・・。
それは、たしかに我が国民の、ある面での優秀性を如実に示すものではあるとは思います。
しかしながら他面において、それはあくまでも突貫工事的にある程度機能する組織等メカニズムを組み立てることの優秀さであり、その後の社会、組織における持続可能性、発展持続性を考慮したものではなく、むしろ、その後は、そうした組織等メカニズムに組み込まれ、あるいは単に生活を成り立たたせるための機構となり、持続可能性、発展持続性を保持するためのある種の熱意、精神(いや良心かもしれない・・。)を見事なまでに閑却するか、あるいはエピゴーネン的な換骨奪胎、再生産に終始してしまうような特質を持っているのではないかと不図考えてしまいます・・。
こういったことが単なる見当違いの妄想、杞憂であれば良いのですが・・。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる四月に発生した熊本での大地震による被災地での諸インフラの早急なる復旧そしてその後に続く着実な復興を祈念しております。
たとえば、ある国が経験した大きな出来事(戦争・革命など)の前後において、その国の文化(の様々な面)が如何なる変化を遂げたかということを観察し考えてみますと、そこに最大公約数的に見たその国の精神における相変態・相転移の際の特徴、傾向などが見受けられるのではないでしょうか?
そして、こうしたことは様々な優れた著述家が既に述べられているので取り上げませんが、現在の我が国の状況とは、過去のどの時代に類似しているのかと考えてみた場合、もしかすると「白村江の戦い」の前の時代に似ているのではないかと思いましたが如何でしょうか?
しかし、であるからといって、今後絶対に戦争が勃発するというわけではなく、ただ古来より東アジア最大の国、中国(呼び名は色々ありますが)が熱を帯び膨張をはじめますと、それは否応なく周辺諸国に影響を与え、そこには多分に緊張が含まれるのではないかと思います。
そして、そこで生じた緊張とは、必然的にその国の同時代の精神あるいは集合的無意識などにも影響を与え、そして文化もまた変容してくるのではないかと思われます・・。
そして、こうした文化の変容は、特に都市部において容易に看取、観察することができるのではないかと思います。
また、特に具体的な個別の現象について記すことは控えますが、そこから1920年代~30年代の我が国社会の変容なども、同じようなモデルに則っていたのではないかと考えさせられます・・。
さらに、現代がさきに記したようなモデルに則っているとすれば、この時代(1920年代~30年代)を実際に生きた著述家等が概ね寿命により世を去った時代(現代)に社会の変容が生じているということもなかなか興味深いことではないかと考えさせられますが如何でしょうか?
そして、このように考えてみると「歴史から学ぶということは、少なくとも我々日本人にとっては、なかなか難しいことであるのかもしれない・・」とも考えさせられます。
さらに、ここまで記していますと、これまでの一連のブログ記事にて、その文章を抜粋させて頂いた様々な著述家の方々が現在の我が国に生きているとすれば、見るとすれば、彼等・彼女等は一体どのような感想を現在の社会に持つのであろうか・・?と考えてしまいます・・。
たしかに我々日本人とは19世紀半ば過ぎにいち早く西洋的な近代化を成し遂げ、当時膨張しつつあった西欧列強の植民地となることを免れ、また、その後の大敗を喫した太平洋戦争の後においても驚異的な復興を成し遂げ、世界に名だたる経済大国にはなりました・・。
それは、たしかに我が国民の、ある面での優秀性を如実に示すものではあるとは思います。
しかしながら他面において、それはあくまでも突貫工事的にある程度機能する組織等メカニズムを組み立てることの優秀さであり、その後の社会、組織における持続可能性、発展持続性を考慮したものではなく、むしろ、その後は、そうした組織等メカニズムに組み込まれ、あるいは単に生活を成り立たたせるための機構となり、持続可能性、発展持続性を保持するためのある種の熱意、精神(いや良心かもしれない・・。)を見事なまでに閑却するか、あるいはエピゴーネン的な換骨奪胎、再生産に終始してしまうような特質を持っているのではないかと不図考えてしまいます・・。
こういったことが単なる見当違いの妄想、杞憂であれば良いのですが・・。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる四月に発生した熊本での大地震による被災地での諸インフラの早急なる復旧そしてその後に続く着実な復興を祈念しております。
2016年7月20日水曜日
20160720 人間と技術との間接的な結び付き および 相転移・相変態について・・
昨日ブログ記事にて書いた内容とは、後になり考えてみますと、以前抜粋したエルンスト・ユンガー著月曜社刊「労働者・支配と形態」の下に示す内容とも関連がるのではないかと考えさせられます・・。
『しかしながら、人間が技術と直接的でなく間接的に結び付けられていることを認識するならば、ひとは、これと全く異なる判断に到達する。
つまり技術とは、労働者の形態が世界を動員する方法なのである。
人間が決定的に技術との関係を取り結ぶ程度、人間が技術によって破壊されるのではなく支援される程度は、労働空間において通用する言語に熟達することにほかならない。
この言語は、文法のみならず形而上学をも有するがゆえに、他のどんな言語よりも重要で深遠である。
この関連において、機械は、人間同様、二次的な役割を演じる。機械は、この言語が語られる発声器官の一つにすぎないのである。さて、技術を、労働者の形態が世界を動員する方法として理解すべきであるとするならば、まず、技術がこの形態の代表者、すなわち労働者に特に適合しており、その意のままになる、ということが証明されなければならない。』
『しかしながら、人間が技術と直接的でなく間接的に結び付けられていることを認識するならば、ひとは、これと全く異なる判断に到達する。
つまり技術とは、労働者の形態が世界を動員する方法なのである。
人間が決定的に技術との関係を取り結ぶ程度、人間が技術によって破壊されるのではなく支援される程度は、労働空間において通用する言語に熟達することにほかならない。
この言語は、文法のみならず形而上学をも有するがゆえに、他のどんな言語よりも重要で深遠である。
この関連において、機械は、人間同様、二次的な役割を演じる。機械は、この言語が語られる発声器官の一つにすぎないのである。さて、技術を、労働者の形態が世界を動員する方法として理解すべきであるとするならば、まず、技術がこの形態の代表者、すなわち労働者に特に適合しており、その意のままになる、ということが証明されなければならない。』
上掲抜粋文中に記されている『人間と技術が直接的でなく間接的に結び付けられている』とは、通常の状態において人は自身の専門における特有の言語、言語体系そして、それらによる形而上学を意識上に顕現させた状態ではないものの、何らかの必要性、契機により、突如それらが意識上に顕現し、それを行使することになるということではないでしょうか・・?
そして、この顕現のきっかけとなる必要性、契機といったものが、性質は(おそらく)異なるものの、心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックの現出(顕現)のメカニズムと類似しているのではないかとも考えられますが、これを読まれている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?とはいえ、無論、このことにより心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックが好ましいものであるとは短絡的には考えませんが・・。
しかし、同時にこの著者(エルンスト・ユンガー)のように数々のホンモノの戦場を潜り抜け・危険な状況を生き延びてきた方が上掲内容の文章を記す背景においては、心的外傷、フラッシュバックという言語を用いなくとも、あるいは同様の人間の精神、心のメカニズムを示しているとも考えられるのではないでしょうか?
また、さらにこのことに異言を試みますと、こうした現象、メカニズムとは物理、化学用語でいう相転移、相変態などにも何かしら類似した要素があるのではないかとも考えられます・・。
そして、このように記しておりますと、以前抜粋した井筒俊彦著、岩波書店刊「意識と本質 精神的東洋を求めて」および、それを補完する目的にて抜粋した「岩波理化学辞典」第5版の「相転移」の説明が想起されるため、これら両著の主要抜粋部分を下に示します。
しかし、同時にこの著者(エルンスト・ユンガー)のように数々のホンモノの戦場を潜り抜け・危険な状況を生き延びてきた方が上掲内容の文章を記す背景においては、心的外傷、フラッシュバックという言語を用いなくとも、あるいは同様の人間の精神、心のメカニズムを示しているとも考えられるのではないでしょうか?
また、さらにこのことに異言を試みますと、こうした現象、メカニズムとは物理、化学用語でいう相転移、相変態などにも何かしら類似した要素があるのではないかとも考えられます・・。
そして、このように記しておりますと、以前抜粋した井筒俊彦著、岩波書店刊「意識と本質 精神的東洋を求めて」および、それを補完する目的にて抜粋した「岩波理化学辞典」第5版の「相転移」の説明が想起されるため、これら両著の主要抜粋部分を下に示します。
井筒俊彦著 「意識と本質 精神的東洋を求めて」
「思うに、人は誰でも、その霊妙な心のうちに必ず知(事物の本質認知の能力)を備えており、他方、天下に存在する事物、一つとして本来的に理を備えていないものはない。ただ(心の表層能力だけしか働いていない普通の状態においては)事物の理を窮めるということができない。つまり、せっかく人間の心に備わる知もその本来の機能を充分に果たすことができないというわけだ。されば、儒教伝統における高等教育においては、必ずまず何よりも真っ先に、学人たちに、自分が既に理解しているかぎりの事物の理を本として、およそ天下に存在するすべての事物の理を次々に窮め、ついにその至極に到達することを要求する。こうして努力を続けること久しきに及べば、ある時点に至って突如、豁然として貫通するものだ。そうなれば、一切の事物の表も裏も、精も粗も、あますところなくそっくりそのまま開顕し、同時にその心の広大無辺の働きが残りなく明らかになる」
「格物(窮理)を実践するためには、あらゆる物について、それぞれのその理を窮め尽さなくてはならないのでしょうか。それとも、ただ一つの物だけ取り上げて、その理を完全に窮めてしまえば、あとはそのまま万理に貫通することができるのでしょうか」。伊川は答える、「たった一つの物の理を把握しただけで、どうして一時に万理に貫通することができよう」。だが、と彼は付け加える、そうかといってまた、天下にあるかぎりの一切の理を窮め尽せというわけではない、と。先に引用した一文(「遺書」十八)がこれに続く。曰く、「今日は一物の理を窮め、明日はまた別の一物の理を窮めるというふうに、段々に積習していくべきであって、こうして窮め終った理が多く積ると、突然、自らにして貫通体験が起こるのだ」と。つまり、あらゆる事物のあらゆる「理」を窮めなくとも、習熟の度が或るところまで来ると、突然、次元転換が起こる、というのである。ということは、しかし、「窮理」の最終的目的からすれば、事物の「理」、すなわち一物一物の「本質」そのものがそれ自体として問題なのではない、いやそれも問題であり重要であるにしても、むしろそれより、こうした修練を通じて、事物をそういう形で、そういう次元で、見ることの出来る意識のあり方を現成させることの方が、はるかに重要なのだということである。そのような意識の次元が拓かれて、全存在世界の原点である「太極」そのものを捉えてしまえば、ひるがえってその立場から、経験的世界の個々の事物に分殊して内在する個別的「太極」を窮め尽すことなど、いともたやすいことなのである。」
「岩波理化学辞典」第5版
「思うに、人は誰でも、その霊妙な心のうちに必ず知(事物の本質認知の能力)を備えており、他方、天下に存在する事物、一つとして本来的に理を備えていないものはない。ただ(心の表層能力だけしか働いていない普通の状態においては)事物の理を窮めるということができない。つまり、せっかく人間の心に備わる知もその本来の機能を充分に果たすことができないというわけだ。されば、儒教伝統における高等教育においては、必ずまず何よりも真っ先に、学人たちに、自分が既に理解しているかぎりの事物の理を本として、およそ天下に存在するすべての事物の理を次々に窮め、ついにその至極に到達することを要求する。こうして努力を続けること久しきに及べば、ある時点に至って突如、豁然として貫通するものだ。そうなれば、一切の事物の表も裏も、精も粗も、あますところなくそっくりそのまま開顕し、同時にその心の広大無辺の働きが残りなく明らかになる」
「格物(窮理)を実践するためには、あらゆる物について、それぞれのその理を窮め尽さなくてはならないのでしょうか。それとも、ただ一つの物だけ取り上げて、その理を完全に窮めてしまえば、あとはそのまま万理に貫通することができるのでしょうか」。伊川は答える、「たった一つの物の理を把握しただけで、どうして一時に万理に貫通することができよう」。だが、と彼は付け加える、そうかといってまた、天下にあるかぎりの一切の理を窮め尽せというわけではない、と。先に引用した一文(「遺書」十八)がこれに続く。曰く、「今日は一物の理を窮め、明日はまた別の一物の理を窮めるというふうに、段々に積習していくべきであって、こうして窮め終った理が多く積ると、突然、自らにして貫通体験が起こるのだ」と。つまり、あらゆる事物のあらゆる「理」を窮めなくとも、習熟の度が或るところまで来ると、突然、次元転換が起こる、というのである。ということは、しかし、「窮理」の最終的目的からすれば、事物の「理」、すなわち一物一物の「本質」そのものがそれ自体として問題なのではない、いやそれも問題であり重要であるにしても、むしろそれより、こうした修練を通じて、事物をそういう形で、そういう次元で、見ることの出来る意識のあり方を現成させることの方が、はるかに重要なのだということである。そのような意識の次元が拓かれて、全存在世界の原点である「太極」そのものを捉えてしまえば、ひるがえってその立場から、経験的世界の個々の事物に分殊して内在する個別的「太極」を窮め尽すことなど、いともたやすいことなのである。」
「岩波理化学辞典」第5版
相転移
相変化(phase change)ともいう。温度、圧力、外部磁場、成分比などの変数の変化によって物質が異なる相に移る現象。
原子、分子などミクロの構成要素の相互作用による協力現象である。
相転移には第1種相転移と第2種相転移がある。
固体の融解、同素変態(→変態)、液体の気化などは第1種相転移に属し、鉄などの強磁性体がある転移点(キューリー温度)で常磁性に変るのは第2種相転移の例である。
相変化(phase change)ともいう。温度、圧力、外部磁場、成分比などの変数の変化によって物質が異なる相に移る現象。
原子、分子などミクロの構成要素の相互作用による協力現象である。
相転移には第1種相転移と第2種相転移がある。
固体の融解、同素変態(→変態)、液体の気化などは第1種相転移に属し、鉄などの強磁性体がある転移点(キューリー温度)で常磁性に変るのは第2種相転移の例である。
1) 第1種相転移(phase transition of the first kind).
熱平衡状態として2相の化学ポテンシャルμ1,μ2が等しいという条件で定まり、温度T,圧力Pによるそれらの1次導関数は不連続となるので、1次相転移(first order transition)ともよぶ。この場合、エントロピーや比体積は不連続であり、転移熱(潜熱ともいう。それぞれの場合、融解熱、蒸発熱などという)が伴い、P-T面における2相共存線についてクラウジウス―クラペイロン式が成立する。相1から相2への転移には新しい相2の核の生成が必要なので、準安定な過熱あるいは過冷却として相1が転移点を越えてある限界まで存続し続けることがある。
熱平衡状態として2相の化学ポテンシャルμ1,μ2が等しいという条件で定まり、温度T,圧力Pによるそれらの1次導関数は不連続となるので、1次相転移(first order transition)ともよぶ。この場合、エントロピーや比体積は不連続であり、転移熱(潜熱ともいう。それぞれの場合、融解熱、蒸発熱などという)が伴い、P-T面における2相共存線についてクラウジウス―クラペイロン式が成立する。相1から相2への転移には新しい相2の核の生成が必要なので、準安定な過熱あるいは過冷却として相1が転移点を越えてある限界まで存続し続けることがある。
2) 第2種相転移(phase transition of the second kind).
化学ポテンシャルの1次導関数が転移点で連続で、転移熱(潜熱)はなく、また比体積の不連続もない。2次導関数は不連続で、比熱や磁化率などが転移点で不連続となるので、2次相転移(second order transition)と呼ばれる(3次以上の導関数の連続性を論じることによって、より高次の相転移を定義することもできる)。比熱が転移温度の上下でギリシャ文字のラムダのように発散する場合が多いが、それをλ転移という。このタイプの2次相転移は臨界現象と呼ばれ、一般にある秩序変数に関する秩序―無秩序転移であって、合金結晶中の原子配列規則化、磁性体における種々の磁気的秩序の生成(磁気転移)、常伝導状態から超伝導状態への転移、液体ヘリウムの超流動状態への転移など、重要かつ興味ある多くの例がある。
2次相転移の理論は非常に進歩し、臨界点付近の異常性について深い理解が得られている。→臨界指数
これらを再度抜粋し、読んでみますと、私も含め、我々は人間の精神に対する理解が未熟であり、あるいは、前著に述べられている古の儒教伝統の方が、現代の我々よりも人間精神に対する賢明な見解を持っていたのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。
化学ポテンシャルの1次導関数が転移点で連続で、転移熱(潜熱)はなく、また比体積の不連続もない。2次導関数は不連続で、比熱や磁化率などが転移点で不連続となるので、2次相転移(second order transition)と呼ばれる(3次以上の導関数の連続性を論じることによって、より高次の相転移を定義することもできる)。比熱が転移温度の上下でギリシャ文字のラムダのように発散する場合が多いが、それをλ転移という。このタイプの2次相転移は臨界現象と呼ばれ、一般にある秩序変数に関する秩序―無秩序転移であって、合金結晶中の原子配列規則化、磁性体における種々の磁気的秩序の生成(磁気転移)、常伝導状態から超伝導状態への転移、液体ヘリウムの超流動状態への転移など、重要かつ興味ある多くの例がある。
2次相転移の理論は非常に進歩し、臨界点付近の異常性について深い理解が得られている。→臨界指数
これらを再度抜粋し、読んでみますと、私も含め、我々は人間の精神に対する理解が未熟であり、あるいは、前著に述べられている古の儒教伝統の方が、現代の我々よりも人間精神に対する賢明な見解を持っていたのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の九州、熊本を中心とする大地震にて被災された地域のできるだけ早期そして着実な諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
20160719 3年前のこの日(7/19)の記憶から・・
本日は帰宅が若干遅くなり、日をまたいだ7/20に昨日にあたる7/19の記事作成を開始しました・・(苦笑)。
7/19といえば、3年前2013年のこの日、学位審査が行われました・・。
この時のことは、現在になり思い起こしてみても、何とも落ち着かない気分になってきます・・。
しかし、当時の私とは、もっと落ち着かず、自分なりに必死にそれ(落ちつきのなさ)を抑えていたような記憶がウッスラとあります・・(苦笑)。
また同時に、そこに至るまでには、さまざまなことがあり、それは嘆いてもはじまらないことではあるのですが、一方、当時の私は、それら全てを消化、納得できていなかったのではないかと思います・・。
いや、そのように考えてみますと、それは現在においても未だ、全ては昇華、納得されていないのではないかとも思います・・(苦笑)。それ故、このことを思い起こすと、さきほど記したような落ち着かない気分になってくるのかもしれません・・。
また、一般的に、このような現象をトラウマ(心的外傷)ともいえるのかもしれません・・。
しかし、そうした過去の出来事にばかり注視することも現実的ではありませんので、実際の生活において、こうしたことは、何かそれを想起する契機を受けた時、瞬間的に、そうした(大量の)記憶の波(?)に呑み込まれるといった感じになるのではないかと思います・・(フラッシュバック?)。
このように書いておりますと、こうした過去の記憶の波が押し寄せる現象のメカニズム、作用機序とは、何も心的外傷およびそのフラッシュバックのみならず、少なくとも私の場合、いくつかの学問分野における知識、言語の相が、日常生活における何らかの契機により、突如押し寄せるといったことにも類似しているのではないかと考えさせられました。
こうしたことは、これまで読んだ書籍等に記されていた記憶がありませんが、これを読まれた皆様の中に、この現象を理解していただける方が少なからずいるのではないかと思われますが、実際のところ如何でしょうか・・(笑)?
ともあれ、人間の心とはなかなか面白いものです・・(笑)。
そして、ここまで記し不図思い出したことは3年前の7/19の前後(特に後)、どうしたわけかジブリアニメの「千と千尋の神隠し」および「紅の豚」を好んで何度も観ていたということです・・(苦笑)。
また、それぞれの主題歌「いつも何度でも」「時には昔の話を」はそれ以来、とても好きになりました。
こうしたことから、楽曲の好みなどは、当たり前のことですが年齢に係らず、経験により進化発展してゆくものなのでしょう・・。
さて、それはさておき、この時にお世話になった皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に発生した九州、熊本の大地震によって被災された地域における復旧活動が速やかに進み、そしてその後の復興が為されることを祈念しております。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
7/19といえば、3年前2013年のこの日、学位審査が行われました・・。
この時のことは、現在になり思い起こしてみても、何とも落ち着かない気分になってきます・・。
しかし、当時の私とは、もっと落ち着かず、自分なりに必死にそれ(落ちつきのなさ)を抑えていたような記憶がウッスラとあります・・(苦笑)。
また同時に、そこに至るまでには、さまざまなことがあり、それは嘆いてもはじまらないことではあるのですが、一方、当時の私は、それら全てを消化、納得できていなかったのではないかと思います・・。
いや、そのように考えてみますと、それは現在においても未だ、全ては昇華、納得されていないのではないかとも思います・・(苦笑)。それ故、このことを思い起こすと、さきほど記したような落ち着かない気分になってくるのかもしれません・・。
また、一般的に、このような現象をトラウマ(心的外傷)ともいえるのかもしれません・・。
しかし、そうした過去の出来事にばかり注視することも現実的ではありませんので、実際の生活において、こうしたことは、何かそれを想起する契機を受けた時、瞬間的に、そうした(大量の)記憶の波(?)に呑み込まれるといった感じになるのではないかと思います・・(フラッシュバック?)。
このように書いておりますと、こうした過去の記憶の波が押し寄せる現象のメカニズム、作用機序とは、何も心的外傷およびそのフラッシュバックのみならず、少なくとも私の場合、いくつかの学問分野における知識、言語の相が、日常生活における何らかの契機により、突如押し寄せるといったことにも類似しているのではないかと考えさせられました。
こうしたことは、これまで読んだ書籍等に記されていた記憶がありませんが、これを読まれた皆様の中に、この現象を理解していただける方が少なからずいるのではないかと思われますが、実際のところ如何でしょうか・・(笑)?
ともあれ、人間の心とはなかなか面白いものです・・(笑)。
そして、ここまで記し不図思い出したことは3年前の7/19の前後(特に後)、どうしたわけかジブリアニメの「千と千尋の神隠し」および「紅の豚」を好んで何度も観ていたということです・・(苦笑)。
また、それぞれの主題歌「いつも何度でも」「時には昔の話を」はそれ以来、とても好きになりました。
こうしたことから、楽曲の好みなどは、当たり前のことですが年齢に係らず、経験により進化発展してゆくものなのでしょう・・。
さて、それはさておき、この時にお世話になった皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に発生した九州、熊本の大地震によって被災された地域における復旧活動が速やかに進み、そしてその後の復興が為されることを祈念しております。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
2016年7月18日月曜日
20160718 揺れる心と呪術、科学について・・
A「書き忘れておりましたが、昨日の投稿した記事で投稿総数が360に到達しました。
これまでに1年1カ月程度ブログ記事を作成してきましたが、その間に何か大きな変化はあったのでしょうか?
記したブログ記事に関しては、特に大きな変化は見受けられないのではないでしょうか?
いや、むしろ、初期に記した記事の方が内容的には(相対的に)深い洞察に基づいているものが多いのではないでしょうか・・(苦笑)?
それ故、今後無事に366記事に到達しましたら、ある程度日数の間隔を置き(実験的に)ブログ記事を書いてみようと思います(笑)。
そちらの方が良い記事が書けるという保証はどこにもありませんが・・。
しかしその一方において「366記事に到達し、一度休んでしまうと「怠け癖」のようなものが生じ、ブログ記事の作成自体を面倒に感じるようになってしまうのではないだろうか?」といった危惧もまた心の何処かに存在しています・・(苦笑)。
そして、始終緊張している方々とは、案外こうした考えにとらわれていることも少なからずあるのではないでしょうか(笑)?
とはいえ、こうした考えを心底から笑うことができないのもまた事実です・・。
さて、このようなことを記しておりますと、不図シェイクスピアの「マクベス」「ジュリアス・シーザー」そして「ヘンリー五世」内のこうした「揺れる心」を表現したセリフを思い起こさせます(笑)。
それ故、シェイクスピアの劇の面白さの一つとは、こうした「揺れる心」に(世界規模で)普遍性が存在するからではないかとも思われますが如何でしょう?
そして、こうした心とは、通常の場合、その後に好ましい展開を望む傾向があり、それが、フレーザー著の「金枝篇」に描かれている古今東西様々な呪術、風習などとして古来より縷々発露しているのではないでしょうか・・?
その意味において、果たして現代の我々とは、この「金枝篇」に描かれている様々な呪術、風習が存在していた時代を超克しているのでしょうか?
私見として、それは超克されていないと考えます。
ただ、その呪術、風習を為さしめていた、背骨となっていた宗教など諸観念が科学に取って代わられただけではないかと思います・・。
しかしながら、こうした意見もかなり以前から言い古され、陳腐化したものではあるのですが・・(苦笑)。
とはいえ、この科学とは、ある程度データに基づき、かつての宗教に比べ、より多くの人間に適応可能であるとされることから、より広範囲に拡散、定着することが出来たといえるのかもしれません。
その意味において、我が国において本格的な西洋的近代化(科学技術面を主とする西洋化)がはじまった直後、九州を中心として勃発した「神風連の乱」、「西南戦争」などは興味深い出来事であるのではないかと思います・・。
また、それと同時に複数の史家、戦史研究家が指摘する太平洋戦争末期の南方戦線での帝国陸軍の(悲惨な)動向と西南戦争時、薩軍の九州内での敗走の動向が酷似することとは、何かしら現代を生きる我々にも示唆する要素があるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
あるいは、このようなことこそ「歴史からの呪詛」ではないでしょうか?
それ故、歴史を表層で祭り上げ、深層においてはその逆を態度をとるといった、いわゆる「如才ない」態度をとることは、かなり危険なことではないでしょうか?
そして、進化とは一体何でしょうか?
さる四月に発生した熊本を中心とする大地震により被災を受けた地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
これまでに1年1カ月程度ブログ記事を作成してきましたが、その間に何か大きな変化はあったのでしょうか?
記したブログ記事に関しては、特に大きな変化は見受けられないのではないでしょうか?
いや、むしろ、初期に記した記事の方が内容的には(相対的に)深い洞察に基づいているものが多いのではないでしょうか・・(苦笑)?
それ故、今後無事に366記事に到達しましたら、ある程度日数の間隔を置き(実験的に)ブログ記事を書いてみようと思います(笑)。
そちらの方が良い記事が書けるという保証はどこにもありませんが・・。
しかしその一方において「366記事に到達し、一度休んでしまうと「怠け癖」のようなものが生じ、ブログ記事の作成自体を面倒に感じるようになってしまうのではないだろうか?」といった危惧もまた心の何処かに存在しています・・(苦笑)。
そして、始終緊張している方々とは、案外こうした考えにとらわれていることも少なからずあるのではないでしょうか(笑)?
とはいえ、こうした考えを心底から笑うことができないのもまた事実です・・。
さて、このようなことを記しておりますと、不図シェイクスピアの「マクベス」「ジュリアス・シーザー」そして「ヘンリー五世」内のこうした「揺れる心」を表現したセリフを思い起こさせます(笑)。
それ故、シェイクスピアの劇の面白さの一つとは、こうした「揺れる心」に(世界規模で)普遍性が存在するからではないかとも思われますが如何でしょう?
そして、こうした心とは、通常の場合、その後に好ましい展開を望む傾向があり、それが、フレーザー著の「金枝篇」に描かれている古今東西様々な呪術、風習などとして古来より縷々発露しているのではないでしょうか・・?
その意味において、果たして現代の我々とは、この「金枝篇」に描かれている様々な呪術、風習が存在していた時代を超克しているのでしょうか?
私見として、それは超克されていないと考えます。
ただ、その呪術、風習を為さしめていた、背骨となっていた宗教など諸観念が科学に取って代わられただけではないかと思います・・。
しかしながら、こうした意見もかなり以前から言い古され、陳腐化したものではあるのですが・・(苦笑)。
とはいえ、この科学とは、ある程度データに基づき、かつての宗教に比べ、より多くの人間に適応可能であるとされることから、より広範囲に拡散、定着することが出来たといえるのかもしれません。
その意味において、我が国において本格的な西洋的近代化(科学技術面を主とする西洋化)がはじまった直後、九州を中心として勃発した「神風連の乱」、「西南戦争」などは興味深い出来事であるのではないかと思います・・。
また、それと同時に複数の史家、戦史研究家が指摘する太平洋戦争末期の南方戦線での帝国陸軍の(悲惨な)動向と西南戦争時、薩軍の九州内での敗走の動向が酷似することとは、何かしら現代を生きる我々にも示唆する要素があるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
あるいは、このようなことこそ「歴史からの呪詛」ではないでしょうか?
それ故、歴史を表層で祭り上げ、深層においてはその逆を態度をとるといった、いわゆる「如才ない」態度をとることは、かなり危険なことではないでしょうか?
そして、進化とは一体何でしょうか?
さる四月に発生した熊本を中心とする大地震により被災を受けた地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
2016年7月17日日曜日
20160717 銅鐸および師匠について・・
おかげさまで昨日も1日の閲覧者数が1000人に到達しました。
これまで興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、昨日記した記事は、これまでに記した記事のなかでも1日の閲覧者数が多い方でした。
昨日の記事はどちらかというと題材がマニアックであったとも思われますので、この現象には多少驚かされました(笑)。
とはいえ、こうした古代の墳墓をも含む古の建造物、製作物などは、それが当時の人々のどのような思い、思想を具現化したものであるかと考えてみると、なかなか面白く、またそれが当時の(ホンモノの)歴史を知る自然な第一歩目にもなることも(少なからず)あるのではないでしょうか?
そうしたものの中で、未だにある程度統一された見解が得られていない謎が多いものとして、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸が挙げられます・・。
かつて修士課程在籍時、紀伊国、和歌山の地域性を考えるうえで、一つの題材、切り口として銅鐸は適当であると考え、ある程度、銅鐸について書かれた著作を読み、県内でそれが出土した場所(複数)を実地に訪ねてみました。
結果として、いくつかの傾向、特徴らしきものは見えましたが、それがその後の時代、つまり3世紀以降の古墳時代にどのように結節しているかが分からず、とりあえず、大雑把には、室町時代と江戸時代の間に戦国時代があるように、弥生時代と古墳時代の間には倭国大乱(三国志の魏志倭人伝・後漢書東夷伝、倭人の条)の時代があり、その間に、あるいはその結果、銅鐸を用いて祭祀を行っていた主に西日本在の諸集団は、敵対する集団に屈服し、その祭祀およびその象徴であった祭器(銅鐸)を遺棄あるいは自然(土)に埋納したのであろう。といった認識に至りました・・。
また、以上の経緯を示す神話が出雲の大国主による(天孫族に対する)「国譲り」であると思われます。
その意味において出雲(現・島根県雲南町・加茂岩倉遺跡)から国内最多(39口)の銅鐸が出土していることは、大変興味深いことではないでしょうか?
また、この時期に銅鐸のことを記しておりますと、昨年丁度この時期に亡くなった一人の師匠を想起します・・。
この師匠とは、師匠であると同時にごくごく近い親戚でもあり、以前当ブログにて数度記したことのある松山在住の方がそれです。
鹿児島在住時に何度か松山に行き、そして当ブログにて度々登場した大分県臼杵市に立ち寄ることになりましたのも、考えてみますと、この師匠を訪ねたことが原因でした・・。
この方は、私のそうした(一見しょうもない)歴史ネタに対して、とても関心を示してくださり、また、私の主張に対して、さまざまな疑問をぶつけてくださったことにより、その一連の会話とは、私にとってかなり有益なものになりました。
また、追記しますと、一連のブログ記事での、少なからぬ対話形式のものは、この方との対話をモデルとして作成しております・・。
さらに、私が昨年6月よりブログ記事作成をはじめた(大きな)理由の一つとして、この方に勧められたからということが挙げられます・・。
一連のブログ記事とは、この師匠にあまり顔向けできるような面白い、良い記事ばかりではないと思われますが、とりあえずは(多少は苦しみ、そして楽しんで)継続しておりますので、まあ許容範囲内であるのではないかと思います・・(苦笑)。
(はたして本当にそうなのだろうか・・?)
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる4月の熊本を中心とする大地震による被災地の復旧、そしてそれに続く復興が速やかに為されることを祈念しております。
これまで興味を持って読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
また、昨日記した記事は、これまでに記した記事のなかでも1日の閲覧者数が多い方でした。
昨日の記事はどちらかというと題材がマニアックであったとも思われますので、この現象には多少驚かされました(笑)。
とはいえ、こうした古代の墳墓をも含む古の建造物、製作物などは、それが当時の人々のどのような思い、思想を具現化したものであるかと考えてみると、なかなか面白く、またそれが当時の(ホンモノの)歴史を知る自然な第一歩目にもなることも(少なからず)あるのではないでしょうか?
そうしたものの中で、未だにある程度統一された見解が得られていない謎が多いものとして、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸が挙げられます・・。
かつて修士課程在籍時、紀伊国、和歌山の地域性を考えるうえで、一つの題材、切り口として銅鐸は適当であると考え、ある程度、銅鐸について書かれた著作を読み、県内でそれが出土した場所(複数)を実地に訪ねてみました。
結果として、いくつかの傾向、特徴らしきものは見えましたが、それがその後の時代、つまり3世紀以降の古墳時代にどのように結節しているかが分からず、とりあえず、大雑把には、室町時代と江戸時代の間に戦国時代があるように、弥生時代と古墳時代の間には倭国大乱(三国志の魏志倭人伝・後漢書東夷伝、倭人の条)の時代があり、その間に、あるいはその結果、銅鐸を用いて祭祀を行っていた主に西日本在の諸集団は、敵対する集団に屈服し、その祭祀およびその象徴であった祭器(銅鐸)を遺棄あるいは自然(土)に埋納したのであろう。といった認識に至りました・・。
また、以上の経緯を示す神話が出雲の大国主による(天孫族に対する)「国譲り」であると思われます。
その意味において出雲(現・島根県雲南町・加茂岩倉遺跡)から国内最多(39口)の銅鐸が出土していることは、大変興味深いことではないでしょうか?
また、この時期に銅鐸のことを記しておりますと、昨年丁度この時期に亡くなった一人の師匠を想起します・・。
この師匠とは、師匠であると同時にごくごく近い親戚でもあり、以前当ブログにて数度記したことのある松山在住の方がそれです。
鹿児島在住時に何度か松山に行き、そして当ブログにて度々登場した大分県臼杵市に立ち寄ることになりましたのも、考えてみますと、この師匠を訪ねたことが原因でした・・。
この方は、私のそうした(一見しょうもない)歴史ネタに対して、とても関心を示してくださり、また、私の主張に対して、さまざまな疑問をぶつけてくださったことにより、その一連の会話とは、私にとってかなり有益なものになりました。
また、追記しますと、一連のブログ記事での、少なからぬ対話形式のものは、この方との対話をモデルとして作成しております・・。
さらに、私が昨年6月よりブログ記事作成をはじめた(大きな)理由の一つとして、この方に勧められたからということが挙げられます・・。
一連のブログ記事とは、この師匠にあまり顔向けできるような面白い、良い記事ばかりではないと思われますが、とりあえずは(多少は苦しみ、そして楽しんで)継続しておりますので、まあ許容範囲内であるのではないかと思います・・(苦笑)。
(はたして本当にそうなのだろうか・・?)
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる4月の熊本を中心とする大地震による被災地の復旧、そしてそれに続く復興が速やかに為されることを祈念しております。
20160716 金峰町、金峯山・支石墓、甕棺墓から・・
唐突ですが、首都圏にて再度暮らしてから一年以上が経ってしまいました・・。
私は首都圏の生まれ、育ちではあるのですが、大きな人生の転機といったものは大概、地方在住の時にあった、受けてきたように思います・・・。
現在であるからこそ、率直に書けますが、当初、地方での生活とは刺激が少なく、かなり退屈に感じておりました・・。
しかし、そこでの生活に慣れるにしたがい、他の面での刺激を感じ取ることが出来るようになり、同時に何かに打ち込むには、地方での生活の方が都合が良いのではないかと考えるに至りました。
それ故、私の場合、特に和歌山と鹿児島の自然、風土そしてその延長ともいえる地域社会に対して、もう少し感謝、敬意の念を持つべきであるのかもしれません・・。
しかしながら、どうしたわけか再度首都圏に住むこととなり、また、それに慣れつつある私がおりますが、これは自身としては基本的に不本意なものであり、今後再び機会を見つけ、再度さきの二つの地方を含む西南日本の何処かに赴き、住むべきではないかと考えております・・。
それが何時になるか分かりませんが・・。
また、そうした自身のある程度具体的な望みとは、区切りの良い366記事目に書いてみようと思います。
こうしたことは「軽々しく書くのは如何なものであろうか?」とも思いますので・・。
さて、本日は所用があり、その帰りに神田神保町に行き、保育社刊のシリーズ「日本の古代遺跡」鹿児島編を見つけ、立ち読みしておりましたら、そこに主に北部九州、特に博多湾沿岸地域に多く見られる大陸(中国東北部)、半島由来の弥生時代の墓制である、支石墓(~前期)、甕棺墓(~末期)が鹿児島県西部、薩摩半島の中部から南部にかけての金峰町(現・南さつま市)にて発見されていることが記されており、かなりビックリしました・・(笑)。
鹿児島在住時、この付近の金峯山には何度か登ったことがあり、たしか山頂に金峰神社が祀られていると同時に、何故か羽をたたんだ鶴の銅像があったことが思い出されます・・。
私は苗字が苗字であるので、何となく面白く感じ、覚えていた次第です・・・。
しかし、そのように思い起こしますと、彼の地、鹿児島には「鶴」とつく地名、苗字などが他府県に比べ、多かったのではないかと思われます・・。
そして、それも地域性の一つであるかもしれません。
また、その理由とは、はっきりとは、わかりませんが・・。
しかし、何かしら面白いことであるとは思います。
さて、さきの金峰町にて発見された支石墓、甕棺墓のことを敷衍して考えてみますと「古事記」の天孫降臨のくだりにて登場する「この地は韓国(からくに)に向かいて、笠沙岬(かささのみさき)を真来通りて・・」の笠沙が、この近辺に存在することは、なかなか興味深いことではないかと思われました。
しかし、この現在の地名(笠沙)が当時も同地に存在していたかどうかは今もって不明なところではありますが・・。
しかし、いずれにせよ、弥生時代の大陸、半島由来の墓制(支石墓、甕棺墓)が九州西岸を下り、ここ南九州西岸付近にも浸透していたこと、そして、そこからもう少し南下した種子島の広田遺跡からの出土物が示す、ほぼ同時代の中国南部からの(道教?)文化が東シナ海を渡り、この地にもたらされていたことは、当時のこの地域一帯における多彩な文化の併存(国際色が豊か)を示すものであり、そのことから「当時のこの地の文化とは、一体どのようになっていたのだろうか?」と考えてみますと、なかなか面白いのではないでしょうか・・(笑)?
さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の速やかな諸インフラの復旧そして、それに続く復興を祈念しております。
また、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
私は首都圏の生まれ、育ちではあるのですが、大きな人生の転機といったものは大概、地方在住の時にあった、受けてきたように思います・・・。
現在であるからこそ、率直に書けますが、当初、地方での生活とは刺激が少なく、かなり退屈に感じておりました・・。
しかし、そこでの生活に慣れるにしたがい、他の面での刺激を感じ取ることが出来るようになり、同時に何かに打ち込むには、地方での生活の方が都合が良いのではないかと考えるに至りました。
それ故、私の場合、特に和歌山と鹿児島の自然、風土そしてその延長ともいえる地域社会に対して、もう少し感謝、敬意の念を持つべきであるのかもしれません・・。
しかしながら、どうしたわけか再度首都圏に住むこととなり、また、それに慣れつつある私がおりますが、これは自身としては基本的に不本意なものであり、今後再び機会を見つけ、再度さきの二つの地方を含む西南日本の何処かに赴き、住むべきではないかと考えております・・。
それが何時になるか分かりませんが・・。
また、そうした自身のある程度具体的な望みとは、区切りの良い366記事目に書いてみようと思います。
こうしたことは「軽々しく書くのは如何なものであろうか?」とも思いますので・・。
さて、本日は所用があり、その帰りに神田神保町に行き、保育社刊のシリーズ「日本の古代遺跡」鹿児島編を見つけ、立ち読みしておりましたら、そこに主に北部九州、特に博多湾沿岸地域に多く見られる大陸(中国東北部)、半島由来の弥生時代の墓制である、支石墓(~前期)、甕棺墓(~末期)が鹿児島県西部、薩摩半島の中部から南部にかけての金峰町(現・南さつま市)にて発見されていることが記されており、かなりビックリしました・・(笑)。
鹿児島在住時、この付近の金峯山には何度か登ったことがあり、たしか山頂に金峰神社が祀られていると同時に、何故か羽をたたんだ鶴の銅像があったことが思い出されます・・。
私は苗字が苗字であるので、何となく面白く感じ、覚えていた次第です・・・。
しかし、そのように思い起こしますと、彼の地、鹿児島には「鶴」とつく地名、苗字などが他府県に比べ、多かったのではないかと思われます・・。
そして、それも地域性の一つであるかもしれません。
また、その理由とは、はっきりとは、わかりませんが・・。
しかし、何かしら面白いことであるとは思います。
さて、さきの金峰町にて発見された支石墓、甕棺墓のことを敷衍して考えてみますと「古事記」の天孫降臨のくだりにて登場する「この地は韓国(からくに)に向かいて、笠沙岬(かささのみさき)を真来通りて・・」の笠沙が、この近辺に存在することは、なかなか興味深いことではないかと思われました。
しかし、この現在の地名(笠沙)が当時も同地に存在していたかどうかは今もって不明なところではありますが・・。
しかし、いずれにせよ、弥生時代の大陸、半島由来の墓制(支石墓、甕棺墓)が九州西岸を下り、ここ南九州西岸付近にも浸透していたこと、そして、そこからもう少し南下した種子島の広田遺跡からの出土物が示す、ほぼ同時代の中国南部からの(道教?)文化が東シナ海を渡り、この地にもたらされていたことは、当時のこの地域一帯における多彩な文化の併存(国際色が豊か)を示すものであり、そのことから「当時のこの地の文化とは、一体どのようになっていたのだろうか?」と考えてみますと、なかなか面白いのではないでしょうか・・(笑)?
さる四月の熊本を中心とする大地震により被災された地域の速やかな諸インフラの復旧そして、それに続く復興を祈念しております。
また、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
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