2016年6月19日日曜日

20160619 紀州鉈およびなれずしについて・・

おかげさまで昨日もブログの閲覧者数が1000人に到達しました。ここ最近は時折、突発的にではありますが、こうしたことがありますので、全体的に見れば最近の閲覧者数増加の割合とは上昇しているのではないかと思います・・。

今後も記事を作成、投稿し続けようと考えておりますので、
どうぞよろしくお願いします。

さて、本日の首都圏は昨日に比べ気温もあまり上がらず、曇っておりそのためか日差しは強くなく、夕刻には少し雨も降りました。
丁度その頃、神田神保町におり、書店の屋外にある本棚を店員さんが急いで店内に戻すのをいくつか見かけました。

本日もまた面白そうな書籍を数冊見つけましたが、購入には及ばず、書籍名、著者をメモするに留めました。

そのうちの一冊は社会学者ゲオルグ・ジンメルの著作でしたが、この方はたしか以前、対話形式のブログ記事にて出てきましたが、思い返してみますと、さらに以前、和歌山在住の頃、お世話になった先生からの御依頼で書いた記事にも、この方の文章を抜粋引用しておりました・・。

この記事のデータも現在は手元になく、大変残念ではあるのですが、その内容は紀州、和歌山にて多く見られる林業用の鉈(なた)について述べたものでした。

この鉈とは一般的に紀州鉈と呼ばれるものであり、紀州、和歌山地域一帯においては一般的な形状である(とされる)のですが、他地域出身の私からしますと、そうした地域にて日常的に用いられている道具の形状が大変新鮮に見え興味を憶えた次第です・・。

また、その他のこうしたものとして、食文化に属するものではありますが「なれずし」がそうしたものであると思われます。

この「なれずし」とは米飯を乳酸発酵させた往時の保存食品の一種であるのですが、これは現在の寿司(江戸前寿司)の祖型(少なくともその一つ)であり、現在の寿司が酢飯をシャリに用いるのは、この「なれずし」文化の流れ、あるいはその省略化、簡略化とも見做すことができます。

ちなみに紀州、和歌山においては「なれずし」と共に「なれずし」よりも後代に考案された「はやずし」と呼ばれるものがあり、これが酢飯を用いた棒寿司であり、現在ではこちらの方が一般的になっております(この「はやずし」とはかなり美味しいと思います。)。

また、和歌山ラーメン(中華そば)の多くの店にて供されている「はやずし」(以前ブログにも記しました。)とは、これを概ね一口大にしたものを葉っぱにて包んだものです。
これは形状としては奈良県名産の「柿の葉寿司」よりも若干大きく、また多少丸みを帯び、さらに酢漬けの生姜の切片が具(大抵はサバ)とシャリの間に入っていることが多いです。
そして、これと一緒に和歌山ラーメン(中華そば)を食するのが、こちらの一般的なスタイルです。

それはさておき、さきの「なれずし」とは(気温、湿度の下降に伴い)発酵が急速に進まなくなる9月以降に供されることが多いのですが、これを収穫の祭りの際に濁り酒(どぶろく)と共に飲食することが中紀北部の湯浅、有田周辺においてよく見受けられる伝統的な食文化とのことでした。

そして、この「なれずし」とは大変興味深い食品であり、且つ食べる人を選ぶと思います(においが独特ですが慣れると病みつきになるといいます。まあ西欧のある種のチーズと似たような感じがしますが・・)が、発酵食品が様々なコンテンツにおいて取り上げられることが多い昨今、興味を持たれた皆様、一度試みては如何でしょうか・・?

南海電鉄の和歌山市駅近くに昔からの有名なお店があり、さきに記した「なれずし」、「はやずし」のコトもその大半は、このお店の御主人から伺ったことです・・(笑)。

ちなみにこのお店の「はやずし」はかなり美味しいと思います。和歌山市に行かれる機会がある方は是非双方(「なれずし」、「はやずし」)試されることをおススメいたします(笑)。
さらに、こうしたことをもう少し知りたい、興味を持たれた方々には以下の書籍をおススメいたします。

「すしの本」(岩波現代文庫)






  • ISBN-10: 4006030703
  • ISBN-13: 978-4006030704



  • ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
    おかげさまで昨日閲覧してくださった方々が90000人に到達しました。

    さる四月の九州、熊本での大地震にて被災された地域の諸インフラの復旧、それに続く復興を祈念しております。」














    2016年6月18日土曜日

    20160618 閲覧者数90000人到達

    A「昨日作成したブログ記事とは書きながら途中何度か強い眠気に襲われました・・。
    これまでこうした状態にてブログ記事を書いたことはありませんが、こうした状態で書かれた記事も今後、何かしらの具体例にはなるのではないかと思い、多少の加筆訂正は行いますが、削除はしないと思います・・(笑)。

    さて、本日首都圏は夏日となり、日中の外出の際は多少暑く感じられました。
    私はこうした暑いと感じられる季節になってきますと和歌山、九州でのことが思い起こされます。

    現在私は(再び)首都圏にて生活しており、朝の通勤電車や都会の雑踏にも(再び)慣れてきましたが、それと同時にかつて首都圏に暮らした折に持っていた大都市、首都東京の様々な流行的事物、文化に対する興味、関心はかなり薄れたのではないかと思います。

    これは年齢の為なのであろうか?あるいはその他の要因によるものであろうか・・?

    とはいえ、いくつかの学問分野に関しては時期、季節などにより多少の変動はあるものの、相変わらずともいっていい興味を持っていることを自覚しております。
    本日も神保町の書店街を徘徊し、いくつか面白そうな本を見つけました・・(笑)。

    また、それと関連して以前、紀州、和歌山における古墳の造営様式について記したブログ記事と関連があるのではないかと考えさせられる記述を見つけましたので、今後機会がありましたら、また抜粋引用してみようと考えております・・。
    こうしたことに興味がある方々には是非読んで頂きたく思います(笑)。

    ともあれ、こうした自身が以前に考えた、記したことに関連がありそうな書籍などの記述を見つけますと、何となくワクワクしてくることは昔からあまり変わりはないようです・・(笑)。
    また、こうした感覚がなければ学問、研究とは、どちらかというと苦行的色彩が強くなってゆき、持続可能性を持つには至らないことが多いのではないかと思いますが如何でしょうか?

    また、当然といえば当然なのですが、こうしたことは実験ありきの理系学問分野においても同様であり、実験が進捗するに伴い、自身の行っている実験に対する疑問が湧き、自然と関連論文を読んでみたり、試料の作製方法、実験方法なども追加的に検討、考察を行ってゆくようにもなるのではないでしょうか?

    ・・さて、ハナシは変わりますが、本日ブログの閲覧者数が90000人に到達しました。
    80000人に到達したのが今月はじめであったので、直近10000人の閲覧者の増加とは、なかなか速やかなものであったのではないかと思います。
    そして、これまで拙いもの(が)多い一連のブログ記事を興味を持って読んで頂いている皆様、どうもありがとうございます。

    次は、とりあえず閲覧者数が100000人あるいは記事数が365に到達するまで記事作成を継続しようと考えておりますので、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

    お蔭さまで当初、多くの閲覧者数を企図しなかったこのブログも、とりあえず、ここまで来ることが出来ました・・。

    そして2カ月前の九州、熊本で発生した大地震により被災された地域における諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」













    20260617 三つの魂?

    A「本日は若干帰宅が遅くなり、また多少疲れていたため「今日はブログ記事作成を止めておこうかな・・?」と思いましたが、まあ、それでも何かしら書いておこうと思い、書きはじめた次第です・・。

    ・・とはいえ、どうしたわけか本日は書きたいこともあまり思い浮かびません・・(苦笑)。

    そういえば、昨年もそうでしたので、この季節(春と夏の間)とは、少なくとも私にとっては文章を書くのが辛い時期であるのかもしれません・・。

    それが何故であるかはわかりませんが、まあ大抵の人には何かしら季節による、このような傾向があるのではないかと思いますが如何でしょうか?

    そして、これまで半ば惰性、習慣的にブログ記事作成を継続してきたことにより、今年のこの季節は何かしら自身の文章を作成し続ける(乗り越える)ことができるのでしょうか(笑)?

    それはここ最近になり自覚した自身の傾向(この季節になると自身の文章が書き難くなる。)と、これまで習慣的に継続してきた自身の行動(ブログ記事の作成。)との内面での葛藤あるい決闘であるのかもしれません・・。

    そしてその勝敗、あるいは妥協の結末とは、これまた私自身が握り、支配しているのことなのです・・(笑)。

    とはいえ、同時にその結果とは、私自身も未だ知り得るものではなく、ただ、そうした事態をどうにか望ましい、良い方に持っていこうとする私の努力、決意の程度?により、どのような形であれ、今後、その結果が認識され得るものとなるのではなかろうかと思います・・。

    そして、そこまで書いて不図思い起こしたことは、かつて南方熊楠が記していた「人は三つの魂を持っている。」ということです。
    このことは、ここ最近ブログ記事作成を継続してきたことにより、以前よりも、自分なりにではありますが、その意味が分かってきたのではないかと思います・・。

    具体的には、これまでの独白形式を用いた一連の記事から示される著者(A)の性格と、現在の普通、日常生活における「A」自身の性格とは、一見分離、断絶したものであると見做されるかもしれないということです(まあ、そうしますと二つですが)・・。

    また、ブログ記事とはいえ、ある程度文章を作成し続けておりますと、その詳細なメカニズムとは分かりかねますが、自身の書きコトバを司る層とハナシ言葉を司る層が分離、断絶そしてその後、無意識化の末、混淆してゆくような現象があるのかもしれません・・(無意識を支配する「A」自身で合計三つ)。

    いや・・もしかすると、このようなことは自明、当たり前のことであるのかもしれませんが、どうでしょうか・・(笑)?

    とはいえ、こうしたことを前述の南方熊楠のコトバと結び付けようとする言及、指摘とは、私としては、はじめてであり、それにより、少なくとも当ブログ記事を作成した意味にはなったのではないかと思いましたが如何でしょうか・・?

    ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
    また、二カ月前の九州、熊本での大地震により被災された地域における諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」







    2016年6月16日木曜日

    20160616 コトバ、文字、神話について・・

    A「昨日投稿した記事は3年前の丁度今頃に記した手紙がPCデータより見つかりましたので、個人特定要素を除き、これを以って記事とさせていただきました・・。

    これは見方によっては手抜きではありますが、同時に「過去の自分に手助けをしてもらった」と考えますと、まあ、そこまで悪いことでもないと思います・・。

    また、過去の自分から手助けをしてもらうことがなければ、このブログをはじめ、我々が何かを為す上において、その多くが困難となってしまうのではないでしょうか?

    しかし、そうはいうものの、では「過去の自分とは一体どのようなことが出来、どのような性質、傾向を持っていたのだろうか?」と考えてみますと、それもまた明確に想起、定義することは困難ではなかろうかとも思います・・。

    そして、そのような時、過去に自身がノートに記した日記などを読んでみますと、それは当ブログ記事あるいは手紙のように他者に対し公表することを前提としておりませんので、文章としてはひどいものであることが多いのですが、同時に書いた本人からしますと、何と言いましょうか「過去の自分自身が迫ってくる」ような感覚があり、それが落ち込んでいたりした時に記されたものであれば、否応なく再度そういった感情、気分を想起いたり考えたりすることになるのです・・・。

    そのように考えてみますとコトバ、文字、文章とはつくづく面白いものであると思います・・。

    何故我々はいくつかの線を連ねた形象およびその連続から様々な感情、想念、思考などを惹起させることができるのでしょうか?
    こうしたことは自明のことではあるのですが、同時によく考えてみますと、とても深い何かがあるのではないかと思います・・。

    とはいえ、こうしたことは何も現代に生きる我々のみならず、それを当初発明した世界各地の古代の人びともまた、そうしたコトバ、文字、文章の不思議さに対し、より新鮮な神秘性、神性を感じていたのではないかとも思います・・。

    そして、彼等がコトバ、文字、文章から感じた神秘性、神性に枠組み、形式を与えたものが世界各地における神話の一つの大きな源流、起源であったのではないかと考えます。

    さて、ここまで記していて不図「コトバ、文字、文章が神話に枠組みを与えたのであるならば「神話」がその原型、起源ともいえる「歴史」などは、かつてのコトバ、文字、文章と同義に近い意味があり、それ故に、文(ふみ)と史(ふみ)は同じ読み方があるのかもしれないなどど思いました・・。

    私はこうしたことは素人ではありますが、何かしらの関連はあるのではないかと思います。

    また、我々日本の神話とは、研究者の指摘するところによると東北アジアから東南アジアにかけての地域のそれら(神話)を混淆したものが多く、その原因とは様々にいわれております。
    そして、こうしたことは我々が現在用いている日本語、漢字(ひらがなは漢字を崩したもの)とも、ある程度(正)比例しているのではないかと思われますが、どうなのでしょうか?

    ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
    二カ月前の九州、熊本の大地震で被災された地域の諸インフラの早期の復旧そして、それに続く復興を祈念しております。」













    2016年6月15日水曜日

    20160615 2013のこの時期に作成した手紙(若干加筆修正)

    お疲れ様でございます。**です。さて、長旅およびそれに続くお仕事大変かとお察しします。
    こちらは現在学位審査準備の最終段階にあります。しかし、これまでの経緯から、その精神的なプレッシャー・不安感はかなりのものであり、またそれは今年に入り徐々に大きさが有意に増大しつつあることが認められます。
    そして、現在はそのピークであるのではなかろうか、あるいはそうであることを望んでいる次第です。
    また、その為か先日初めて、心療内科というところに受診しました。
    診察結果として、これまでの蓄積した疲労からくる神経衰弱のようなものとのことでした。
    しかしながら、私感としては、特に問題はなく、これまでのところはこなしており、また、周囲との人間関係も変化無く、特に悪化した様子もありません。とはいえ、周囲がどう思っているか、そして私がそれに気付いていない可能性もあります。一方において、これまでの経験より、それは可能性として極めて低いとも考えます。
    ただ、ここ最近、時折、大変暴力的・自暴自棄な観念に支配されそうになることがあるのです。
    これはなかなか自分の理性とやらで抑えることができないもので、こうなりそうな時は医師から処方された薬を服用します。そうすると不思議なもので、しばらく経つとこの精神状態が好転するので、人間の心の案外物理的な性質あるいは意外な単純さを垣間見た(感じた)気がします。
    さて、DVDをひとつお送りします。これは日本のプレーヤーでも視聴可能ですが、字幕がなく、英語の音声だけというのが、只一つのマイナスポイントではありますが、昨今流行のCGを多用した戦争映画に比べ、やはり迫力の質が違います。また、浅学な私から見てですが、史実に沿って作製されていることも認められます。
    無論**は既に御覧になり、それ以前に私は**からこの映画の存在をお聞きしていたのですが、さすがにDVD化されている事は御存じなかったのではないでしょうか?
    現象としては和歌山時代の「地獄の天使」と同様であります。
    また、しばらくしましたら御葉書書きます。
    現在、季節の変わり目ですが、どうぞ御自ください。
    加えて、どうぞ***に宜しくお伝えくださいませ。
    それでは失礼致します。

    2016年6月14日火曜日

    20160614 集合的無意識、時代精神 萃点、やりあて・・。

    これまでの私のブログを閲覧して頂いている方々の多く(半分以上≠60%以上)とは、面白いことにマッキントッシュユーザーの方々です。

    PC使用者全体におけるマッキントッシュユーザーの割合とは決して高くないのですが、それに比べて上記のブログ閲覧者数の割合とは、なかなか特徴的であると思いました・・。

    また、これは現時点においては単なる現象であり、その背後に如何なる原因、理由が存在するかは未だ見当がつきませんが、それでもなかなか面白い現象であると思っております。

    今後ブログ記事の作成を続けることにより、その原因、理由が分かってくるのかどうか分かりませんが、とりあえずは記事作成を継続してゆこうと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

    また、それと同時に作成した記事がどのように読まれており、またどのような評価が為されているかということもなかなか興味深いことではありますが、これもさきと同様、未だ見当がつきませんが、少なくとも悪意的であると感じることはありませんので、まあ、とりあえずはこれで良いのではないかと思います・・。

    さて、本日においては何故か20151129に書かれた記事の閲覧者が多く、この記事の内容とは、昨年フランス、パリでのイスラム過激派によるテロ事件が欧米メディアにより「KAMIKAZE」と評されたことに基づいた対話形式のものでした。

    また、この記事においては米国による広島、長崎への原爆投下が為されたことに対して米国側からの謝罪が為されていない、また今後も為されることがないであろうと記しておりましたので、このブログ記事を記した時点(20151129)から、その情勢とはいくらか変化したのではないかと思います・・。

    そのように考えますと、私の書いたブログ記事も多少は世界情勢に言及しており、またそのことを現在このように記すことにより、世界情勢の推移を示しているのではないかと不図思いました。

    こうしたことを書きますと何だか夜郎自大、自意識過剰の感がありますが、同時にそういったことが継続的にブログ記事を作成していて「何だか面白いな」と感じるところでもあります・・(笑)。

    また、そのようなことを考えてみますと、どうも心理学者のユングが説いた集合的無意識あるいはヘーゲル等が説いた時代精神なるものが存在するのではないかとも考えさせられます・・。

    とはいえ、そういったものが存在するとしても、それを私がキチンと精確に認識出来ているかとは、全く別であり、まあ、先ず出来ていないのではないかと思います・・(苦笑)。

    しかしながら、ブログなどを含め、ある程度継続的に文章を作成してゆくと、時折、偶然でそうしたことを認識させる現象、考えさせる契機が生じることもまたあるのかもしれません・・。

    そして、それは子供の頃の鉄棒の逆上がりのように一度出来ると継続的に出来るようになるものであるのか、あるいはそうでないのか分かりませんが、とりあえず、そうした思考様式を持つ、経験したということにはなり、それはそれで少なくとも無益ではないものと考えます。

    また、もしかすると、かつて南方熊楠が述べた「萃点(すいてん)」、「やりあて」などにも通じる考えであるのかもしれません・・。

    ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

    また2カ月前の九州、熊本での大地震によって被災された地域の諸インフラの復旧そしてその先の復興を祈念いたします。

    20160613 文体の獲得の認識について・・

    本日も帰宅が遅くなってしまい、また生憎の空模様であったため「今日はすぐに休んでしまおうかな・・」と不図思いましたが、それでもとりあえず何かしらは書いてみようと思い、今現在日を越えて昨日のブログ記事の作成に取り掛かっております・・。

    そういえば、かつて読んだ中井久夫の著作の中で
    「人は自身の文体を得る時は、はっきりとその瞬間を認識、自覚するものである。」と記しておりました。

    そうしますと「今現在の私とは果たして自身の文体なるものを獲得しているのであろうか?」と否応なく自問自答することになるのですが、これは今現在よくわかりません・・。

    かつて一時期(2012~2013頃)よくコトバ、文章が出てくる、湧いてくる時期があり、その後、スランプといっても良い私としては心身共に大変に辛い状態を経て、今現在に至っていることは分かるのですが、では、私はその何れかの時期において自身の文体なるものを獲得したのであるかとは、自身ではなかなか自覚、認識し難いのではないかと思います・・。
    あるいは私は相当鈍いのかもしれません・・(苦笑)。

    とはいえ、今現在に至るまでどうにかブログ記事といった形ではありますが、文章を書き続けることが出来ているという現状とは、昨年の今頃の時期から比べますと(自身としては)大した進化ではないかと思いますし、また、そのように考えておかないと、精神衛生上良くないと思います・・(苦笑)。

    しかし、それと同時に今後私の書く文章とは現在よりももっと分かりやすく明晰なものとなるのでしょうか・・?

    そういえば、昨年春に関西某所にて行われた勉強会に出席、発表した私に周囲の方々は「おそらく最近のAさんは理系の文章ばかり読んでいるのではないか?」といった意味のことをいわれました。

    たしかにその当時はそうでありましたが、同時にその時はこのような形で文章を書くことが大変困難であり、そこで用いたレジュメとは2~3行程度の短文を行を空け書き連ねているような感じでした。

    当時書いたレジュメがデータとして残っていれば良かったのですが、残念ながら今現在手元にありません・・。

    もしそれが残っていたらブログの1日分の投稿記事にはなっていたかもしれませんので、これは大変残念です(笑)。

    しかし、そこまで書いていて不図思い出したのは、かつて記していた日記です。

    この日記に関しては、つい先日ブログ記事にて少し取り上げましたが中にはイタイことも(少なからず)記されており、現在それを読んでみますと自身のことながら大変恥ずかしいです・・(苦笑)。
    とはいえ、今後またブログ記事作成が難航しそうな時は、そこから記事の題材を見つけてみるのは悪くないアイデアであると思います。

    また、同時に荷物箱の奥には和歌山在住時の日記も残っていると思われますので、今後如上の様な状態となりましたら、こちらもまた活用してみたく思います。

    とはいうものの、今現在においても私には文体の獲得ということがイマイチよくわかりません。

    今後書き続けてゆくことにより、多少なりともあるいは自分なりに分かってくるものなのでしょうか?

    ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
    また2カ月前の九州、熊本での大地震で被災された地域の諸インフラの復旧、それに連なる復興を祈念しております。」