2015年9月15日火曜日

井筒俊彦著「意識と本質 精神的東洋を索めて」岩波書店刊pp.90-95より抜粋 其の2

其の1からのつづきです。
「脱然貫通」という言葉で表現される意識のこの突然の飛躍転換がいかに激烈な実存的体験であったかは、その決定的瞬間の実感を描く朱子の文章に生々と写されている。
「突如、真夜中の静寂(しじま)を劈く烈しい雷鳴(表層意識のかたく閉ざされた闇の厚みを、耳を聾するばかりの凄まじい雷鳴が貫通する)。と、見る間に、数かぎりない扉が一斉に開く(突然、深層意識が発動し、それに呼応して太極の扉が四方八方に向って開かれて、この意識と存在の原点から無数の事物が発生してくる光景を目撃する)」と。そして、この異常な体験を通じて、「無心(未発達の至極における深層意識)そのものの中にあらゆる経験的事物(已発の状態における現象界のすべて)が内含されていることを悟ったなら、その時、その人は、まさに「易」の創始者その人と面々相対して立つ(太極そのものと完全に一化している)と言っていいだろう」と朱子はこの文を結ぶ(「朱子文集」三十八。原文は詩。ここには大意を取る)。
こんな烈しい実存体験にまで人を導くはずの「窮理」の道。経験界に存在する事物について、一つ一つの「理」を探る、というが、果たして文字通りすべての物の「理」を窮め尽さなくてはならないのだろうか。程子の門下でも朱子の門下でも、それは大きな問題だった。竹一つ、椅子一つにしても、その「理」を窮めるにどれほどの時日を要するのか見当もつかない。もし本当に、ありとあらゆる事物の「理」を一つ残らず把握してはじめて「貫通」するものであれば、生命がいくつあっても足りないだろう。
ある人が伊川に問うた、「格物(窮理)を実践するためには、あらゆる物について、それぞれのその理を窮め尽さなくてはならないのでしょうか。それとも、ただ一つの物だけ取り上げて、その理を完全に窮めてしまえば、あとはそのまま万理に貫通することができるのでしょうか」。
伊川は答える、「たった一つの物の理を把握しただけで、どうして一時に万理に貫通することができよう」。だが、と彼は付け加える、そうかといってまた、天下にあるかぎりの一切の理を窮め尽せというわけではない、と。先に引用した一文(「遺書」十八)がこれに続く。曰く、「今日は一物の理を窮め、明日はまた別の一物の理を窮めるというふうに、段々に積習していくべきであって、こうして窮め終った理が多く積ると、突然、自らにして貫通体験が起こるのだ」と。つまり、あらゆる事物のあらゆる「理」を窮めなくとも、習熟の度が或るところまで来ると、突然、次元転換が起こる、というのである。
ということは、しかし、「窮理」の最終的目的からすれば、事物の「理」、すなわち一物一物の「本質」そのものがそれ自体として問題なのではない、いやそれも問題であり重要であるにしても、むしろそれより、こうした修練を通じて、事物をそういう形で、そういう次元で、見ることの出来る意識のあり方を現成させることの方が、はるかに重要なのだということである。そのような意識の次元が拓かれて、全存在世界の原点である「太極」そのものを捉えてしまえば、ひるがえってその立場から、経験的世界の個々の事物に分殊して内在する個別的「太極」を窮め尽すことなど、いともたやすいことなのである。
意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)
意識と本質
井筒俊彦

井筒俊彦著「意識と本質 精神的東洋を索めて」岩波書店刊pp.90-95より抜粋 其の1

但し、人間の意識は、その表層的能力だけをもってしては、経験界の事物全体を、一つの壮麗な「本質」として見通すことはできないし、また事物の一々をこういう「本質」秩序の一環として捉えることもできない。それを可能にするためには、宋儒の立場からすれば、どうしても「静坐」による意識の深層能力の開発が必要だし、またそれを通じて、その観点から、表層意識の認識機能にも新しい意義付けをすることが必要になってくる。そして、このようにして開発された表層、深層両方にわたる全意識の認識能力を挙げて、表層から深層に及ぶ存在界の真相を探求する。それが「格物窮理」である。なお、ここで存在界の真相とは、言うまでもなく、事物の「本質」構造を意味する。
このように「窮理」が、意識の表層から始めて、次第に深層に向う道であるかぎりは。そしてまた上述のとおり、意識の深層領域が意識のゼロ・ポイント(意識の無の極点であって同時に意識の有の始点)に究極するものであるかぎりは、「窮理」の道程は、意識即存在の根本原則に従って、その極限において、存在のゼロ・ポイント(存在の絶対無であって同時に有の始原、「無極にして太極」)に到達するものでなくてはならない。この全過程をみごとに素描した朱子の文章を思い出す。曰く、「致知在格物(知を致すは物に格(いた)るに在り)と経文にある、その意味するところは、もし我々は己れの知を完全無欠にしようと望むならば、経験界に存在する一々の物について、それぞれの理(本質)を窮め尽くそうとする努力が必要だ、という。思うに、人は誰でも、その霊妙な心のうちに必ず知(事物の本質認知の能力)を備えており、他方、天下に存在する事物、一つとして本来的に理を備えていないものはない。ただ(心の表層能力だけしか働いていない普通の状態においては)事物の理を窮めるということができない。つまり、せっかく人間の心に備わる知もその本来の機能を充分に果たすことができないというわけだ。
されば、儒教伝統における高等教育においては、必ずまず何よりも真っ先に、学人たちに、自分が既に理解しているかぎりの事物の理を本として、およそ天下に存在するすべての事物の理を次々に窮め、ついにその至極に到達することを要求する。こうして努力を続けること久しきに及べば、ある時点に至って突如、豁然として貫通するものだ。そうなれば、一切の事物の表も裏も、精も粗も、あますところなくそっくりそのまま開顕し、同時にその心の広大無辺の働きが残りなく明らかになる」(「大学章句」五章補伝)。
ここに語られている「豁然貫通」―「本質」直観に関わるこの決定的実存体験を指して、「脱然貫通」またはそれに類する表現もよく使われる、例えば、程伊川、「今日、一件に格(いた)り(一物の理を窮め)、明日また一件に格(いた)る。積習するところ既に多く然して後、脱然として自ら貫通するところあり」(「遺書」十八)。また張横渠、「こいねがわくは心を遊ばせて浸熟し、一日、脱然として大寐の醒むるを得るがごとくならんのみ」(「張子全書」十四)。

岩波理化学辞典 第5版 岩波書店刊pp.767-768より抜粋

相転移
相変化(phase change)ともいう。温度、圧力、外部磁場、成分比などの変数の変化によって物質が異なる相に移る現象。
原子、分子などミクロの構成要素の相互作用による協力現象である。
相転移には第1種相転移と第2種相転移がある。
固体の融解、同素変態(→変態)、液体の気化などは第1種相転移に属し、鉄などの強磁性体がある転移点(キューリー温度)で常磁性に変るのは第2種相転移の例である。

1)      第1種相転移(phase transition of the first kind). 熱平衡状態として2相の化学ポテンシャルμ1,μ2が等しいという条件で定まり、温度T,圧力Pによるそれらの1次導関数は不連続となるので、1次相転移(first order transition)ともよぶ。この場合、エントロピーや比体積は不連続であり、転移熱(潜熱ともいう。それぞれの場合、融解熱、蒸発熱などという)が伴い、P-T面における2相共存線についてクラウジウス―クラペイロン式が成立する。相1から相2への転移には新しい相2の核の生成が必要なので、準安定な過熱あるいは過冷却として相1が転移点を越えてある限界まで存続し続けることがある。

2)      第2種相転移(phase transition of the second kind). 化学ポテンシャルの1次導関数が転移点で連続で、転移熱(潜熱)はなく、また比体積の不連続もない。
2次導関数は不連続で、比熱や磁化率などが転移点で不連続となるので、2次相転移(second order transition)と呼ばれる(3次以上の導関数の連続性を論じることによって、より高次の相転移を定義することもできる)。比熱が転移温度の上下でギリシャ文字のラムダのように発散する場合が多いが、それをλ転移という。このタイプの2次相転移は臨界現象と呼ばれ、一般にある秩序変数に関する秩序―無秩序転移であって、合金結晶中の原子配列規則化、磁性体における種々の磁気的秩序の生成(磁気転移)、常伝導状態から超伝導状態への転移、液体ヘリウムの超流動状態への転移など、重要かつ興味ある多くの例がある。
2次相転移の理論は非常に進歩し、臨界点付近の異常性について深い理解が得られている。→臨界指数。
 
 
  • ISBN-10: 4000800906
  • ISBN-13: 978-4000800907

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    エルンスト・ユンガー著 「労働者・支配と形態」 月曜社刊 pp.149-151より抜粋 

    「同時代人が技術について為しうる証言は、貧弱なものでしかない。特に人目を引くことは、技術者自身が、人生をその広がり全体において把握する一つの形象の中に自らの使命を描きこむことができない、ということである。
     
    その理由は、技術者が、なるほど個別的労働性格を代表するにせよ、全体的労働性格との直接的関係を全く持たない、という点にある。この関係を欠く場合には、いくらその個別的性能が優れていても、結合力のある、内的に矛盾のない秩序について語ることは到底できない。全体性の欠如は、自らの特殊な問題設定を決定的な地位にまで持ち上げようとする無規律な専門家主義の台頭に見て取れる。しかし、たとえ世界が技術者によって完全に設計され尽くしたとしても、重要な問題のどれ一つとして決着を見ることはできないであろう。
     
    技術と本当の関係を保つためには、技術者以上の者になることが必要である。人生と技術との関係を考察しようとする場合に、否定的な結論に至るか、肯定的な結論に至るかに関わりなく、常に計算を合わせなくさせる誤りは、実は同一である。この根本的誤謬は、人間を技術の創造者と見るか、それらの犠牲者と見るか、いずれにせよ、人間を技術と直接的に関係付けしてしまう点にある。この場合、人間は自分が制御できない力を呼び出してしまった魔法使いの弟子として現れるか、あるいは人工の楽園への道を突き進む絶え間ない進歩の創造者として現れるか、いずれかになる。
     
    しかしながら、人間が技術と直接的でなく間接的に結び付けられていることを認識するならば、ひとは、これと全く異なる判断に到達する。つまり技術とは、労働者の形態が世界を動員する方法なのである。人間が決定的に技術との関係を取り結ぶ程度、人間が技術によって破壊されるのではなく支援される程度は、労働空間において通用する言語に熟達することにほかならない。この言語は、文法のみならず形而上学をも有するがゆえに、他のどんな言語よりも重要で深遠である。この関連において、機械は、人間同様、二次的な役割を演じる。機械は、この言語が語られる発声器官の一つにすぎないのである。
     
    さて、技術を、労働者の形態が世界を動員する方法として理解すべきであるとするならば、まず、技術がこの形態の代表者、すなわち労働者に特に適合しており、その意のままになる、ということが証明されなければならない。しかし次に、労働空間の外部にある絆の代表者たち、たとえば市民やキリスト教徒や国民主義者はいずれも、技術とこうした適合関係に立たない、ということが示されなければならない。むしろ技術には、そのような絆に対するあからさまな攻撃や秘められた攻撃が含まれているにちがいない。
     
     これらは実際にともに事実であり、我々は以下において幾つかの事例を手掛かりにそれを確認することにしよう。曖昧さ、とくに、技術に関する発言のほとんどが帯びるロマン主義的曖昧さは、確固たる視点の欠如に起因する。ひとが非常に多様な出来事の不動の中心として労働者の形態を認識するやいなや、曖昧さはすぐに消滅する。この形態は、総動員を促進する一方で、この動員に抵抗するもの全てを破壊する。それゆえ技術的な変化という表面的出来事の背後に、包括的な破壊と世界の別種の構成とが生じていることが証明されなければならない。これら二つのいずれにも全く特定の方向性が存在する。」

    労働者―支配と形態

    労働者・支配と形態



    


    エルンスト・ユンガー著 川合全弘訳「労働者 支配と形態」月曜社刊pp.50-51より抜粋

    形態を見ることは、ある存在をその生の全体的で統一的な充溢において認識することである限り、革命的な行為である。


    道徳的美的評価も学問的評価も超えたところで起こるという点に、この出来事の大いなる優越性が存在する。


    このような領域でまず重要なことは、あるものが善か悪か、美か醜か、誤か正かということでなく、それがいかなる形態に属するのかということである。

    これとともに、十九世紀に正義という語の下に理解されていたもの全てと全く相容れないような仕方で、責任の範囲が拡大する。

    すなわち個々人がどの形態に属するのかということが、彼の身分証明となったり、また罪となったりするのである。


    このことが認識され承認される瞬間に、非常に人工的となった生が自らを保護するために設けた、あの恐ろしく複雑な装置は崩壊する。

    なぜなら、我々がこの研究の冒頭で野生の無垢と名づけたあの態度は、もはやそれを必要としないからである。

    これは存在による生の修正であり、生の新たないっそう大きな可能性を認識する者は、徹底的に遂行されるこの修正を歓迎する。


    新たないっそう大胆な生を準備するための手段の一つは、解き放たれて独断的となった精神の価値基準を否定すること、市民時代に人間に対して行われてきた教育作業を破壊することにある。

    このことが根本から遂行されるためには、そしてこのことが世界を百五十年ほど前に逆戻りさせる一種の反動として遂行されないようにするためには、この学校を最後まで通過してしまうことが必要である。

    いまや重要なことは、次のような捨て身の確信を持つ類いの人間を教育することである。

    すなわち抽象的な正義や自由な研究や芸術家的良心などの主張は、市民的自由の世界内部で一般に認められうる審級よりももっと高い審級の法廷で自らを証明しなければならない、という確信がそれである。


    このことがまず思考において行われるとするならば、それは、敵とは敵の得意分野で戦うべきである、という理由からである。

    生に対する精神の反逆への最善の応答は、精神に対する精神の反逆である。

    我々の時代を高度かつ残酷に享受するためには、この爆破作業に参加することが不可欠である。
    ISBN-10: 4865030050
    ISBN-13: 978-4865030051

    エルンスト・ユンガー

    2015年9月14日月曜日

    林房雄著「大東亜戦争肯定論」 番町書房刊 pp.72-77より抜粋

    「さて、ここまで書いてきた時、「朝日新聞」(38年9月1日付)に作家榊山潤氏が面白い歴史随筆を発表しているのが目にとまった。曰く、「明治維新の変革は、英国の対日謀略だという説がある。
    もちろん戦後の新説だが、それによると、その中心人物は長崎にいた大砲商人グラバーであった。英国公使パークスがその後ろだてであったのはいうまでもない。グラバーは薩摩の有力者小松帯刀を抱き込み、その手を通じて土佐の坂本竜馬を抱きこんだ。
    以来、竜馬は日本側の工作要員として、目ざましい活躍をした。
    ・・・彼の奔走によってまとまった薩長の盟約も、背後にあるグラバーの力であった。
    グラバーはさらに、岩倉具視を抱き込み、宮廷工作をした。鳥羽伏見の戦いによって、グラバーの役目は終わった。
    この戦に、負けるはずのない幕府軍が敗れたのは、薩長方に英国の巧妙な協力があったからである。」
    私もおどろいたが、正直榊山氏はもっとおどろいたに違いない。榊山氏が目をまるくしている顔が目に見えるようだ。
    かの坂本竜馬は英国謀略機関の工作要員、スパイであったというのだから、まさにおどろくに足る「新説」である。
    「こういう説を、頭から信用するわけにもゆくまいが、といって、採るに足りない珍説として笑い捨てることもできない。明治維新は複雑怪奇である」と榊山氏はつけ加えている。「仏公使ロッシュが、土台のくさりかけた幕府の補強策にやっきとなったのは、衆知の事実である。これと張合った英国が、薩長支援にけんめいであったのも、かくれない事実である。英国は古い銘柄を捨て、薩長の成長株を買った感じだが、右の新説によると、強引に薩長を成長株に育て上げたということになる。・・・英の謀略では、岩倉はもちろん、西郷も大久保も木戸もグラバーのヒモつきだったといっている。そうして、小松帯刀が江戸開城を機に晴れの舞台から退き、その数ヵ月前に坂本竜馬が暗殺されていたことに、不審の目を向けている。そう言えば、作家石原慎太郎も坂本竜馬を扱った戯曲で、竜馬の暗殺者は会津見廻組ではなく、薩摩藩士であったと書いていたように記憶する、この「新説」は榊山氏よりも前に石原氏の耳にも入っていたかもしれぬ。榊山氏は「グラバー機関の工作文書」のコピーが実在していて、それが割と安い値段で手に入るかもしれぬと言っている。誰かが「新説」を安く売り歩いているのだ。私はそんな売り手を信用しないが、推理歴史小説の材料としてなら、材料払底の作家諸氏には興味があるかもしれない。
    とんだ「昭和研究会事件」である。尾崎秀実ならぬ坂本竜馬が優秀な国際スパイであり、犬飼健ならぬ御曹司小松帯刀が巻き込まれ、近衛公ならぬ岩倉具視をあやつった。西郷、大久保、木戸の「維新の功臣」にも「グラバー機関」のヒモがついていたというのだから、まさに大珍説である。こんな貴重な材料を安く売ったり買ったりしたのでは、歴史の神様に相済まない。グラバーという武器商人が維新の「舞台裏」で活躍していたことは衆知の事実だ。彼は大量の武器を、初めは幕府に、後には佐賀や土佐、特に薩摩と長州に売り込んだ。薩長両藩に対しては汽船の秘密購入やイギリスへの留学生密航の世話もしている。グラバーは日本に関する限り、パークス公使の先輩であった楫西光雄氏「政商」の中のグラバー伝によれば、オールコック公使に代わって着任したパークスはキング提督とともに長崎のグラバー邸を訪問し、酒宴の後、二人きりで夜を徹して密談した。その時、パークスはまだ幕府援助論者であったが、グラバーは日本の政治的実権は薩長両藩に移っている事を主張してゆずらなかった。パークスもまたゆずらず、議論の途中で夜があけてしまった。その後パークスは自ら薩摩に赴き、島津久光や西郷隆盛に会い、帰途再び長崎に立寄って、グラバーの肩をたたいて、「おれは愚かであった。今までお前のことばを信じなかったが、始めて目が覚めた」と言ったという。「ハリー・パークスと薩長の間に立って、壁をこわしたのが自分のした一番の手柄であった」とグラバーは述懐している。「私は世間からして金儲け主義だと思われていたかもしれぬけれども、私の気性はお前も知っている。それは金儲けという事もあったけれども単純にそれのみじゃなかった。一番最初日本の主権は天皇にあって、それが徳川に移った。それからまた廻って天皇に移るということが自分にはわかった。それが所謂薩長に力を添える考えを起こした多少の動機になっている。・・・徳川政府の叛逆人の中では、自分が最も大きな叛逆人だと思った。」(「政商」)グラバーとはそんな商人であったようだ。ちょっとしたアラビアのローレンス型だが、果たして「グラバー機関」なるものが存在したか。私はイギリス・ブラック・チェムバーの歴史には、そこまで詳しくない。「グラバー機関存在説」の究明は榊山潤氏にまかせ、スパイ扱いにされた坂本竜馬に名誉回復は「竜馬がゆく」の著者司馬遼太郎氏にお願いして、先に進むことにしよう。ただ、私がここでこの「珍説」を取上げた理由は二つある。それだけ申し上げておく。一つは、この「珍説」は明らかに左翼の維新研究の畸形の落し子だということだ。戦前派たると戦後派たるを問わず、左翼学者たちが書いた維新史を読んでいると、私は歴史の壁画館の中で赤いクレヨンをふりまわしている悪童の群れを思い出す。彼等は競争して壁画の上に赤絵具をぬりたくる。最も醜怪にぬり上げた者が勝だ。悪童どもは維新の人物と事件をできるだけ醜悪に描き出すことが「真実の探求」だと心得ているかのように見える。彼等は日本にはまだソ連流または中共流の「人民革命」が必要であり、必然であると信じている。日本に革命を起こすためには、日本の歴史を、できるだけ野蛮に、できるだけ醜怪に、不正と愚行ろ暴行にみちた無価値無意義なものとして描き出す必要がある。彼等は「共産革命」という政治目的のために、日本人の歴史に泥をぬることが「学問の使命」だと思い込んでいるのだ。坂本竜馬スパイ説、岩倉、西郷、大久保、木戸ヒモツキ説もここから生まれた。さすがに学者と名のつく諸家はこんな「怪写真」を公然と売り歩くことはしない。しかし、エロ写真売りとトップ屋は左翼くずれの中にもいる。彼等の売込みに、榊山潤氏のような無邪気な小説家がひっかかる。私は革命はきらいではない。革命を恐怖しなければならぬどんな理由も持ち合わせていない。日本の現状にも決して満足していない。だから、明治維新史を読むたびに心がおどるのであるが、「輸入された革命」即ち外国の指令による革命などというものは存在し得ないことを知っている。もし存在したら、それは単なる外国の武力による侵略と征服にすぎない。
    日本の革命は日本人の歴史の醜化からは生まれない。
    明治維新を「理想化」することがいやなら、せめて「あるがままに見る」がよい。維新の志士・革命家の肖像さえ正しく描き得ない孫悟空学者諸氏の学説が日本人の精神を再建し、来るべき「日本革命」の原動力に成り得るはずはない。
    その二は「グラバー機関」の存在如何にかかわらず、この「珍説」を生み出すほど十分に深く、パークスは薩長の内部に、ロッシュは幕府の内部に食い入っていたということだ。「パークス路線」に乗っても、「ロッシュ路線」に乗っても、日本は植民地化される。「薩長人」も「幕人」もこの日本の危機を本能的に、したがって正確に見抜いていた。
    西郷も勝もそれを見抜き、徳川慶喜も山内容堂もそれを見抜いていた。彼等はそれぞれの立場から、英仏の謀略に抵抗したのだ。岩倉具視と坂本竜馬を、西郷隆盛と勝海舟を「謀略家」であったというのは少しも彼等の不名誉にはならない。彼等は英仏の謀略に抵抗するためには、時に自ら謀略家にならざるを得なかったのだ。」
    大東亜戦争肯定論
    林房雄
    大東亜戦争肯定論 (中公文庫)
    ISBN-10: 4122060400
    ISBN-13: 978-4122060401
     

    林房雄著「大東亜戦争肯定論」番町書房刊pp.172-176より抜粋

    私の試論に対する反論がだいぶ方々に現れてきた。
    私はまじめにそれらを読んでいる。
    教えられた部分は虚心に受け入れるつもりである。
    ただ、それらは現在のところ、「日支事変」と「太平洋戦争」に関するものが多い。
    私の試論はまだそこまでは進んでいない。その時が来たらお答えするであろうが、ここで一言だけふれておきたいのは、明治以後に日本が行った諸戦争の前半は民族独立戦争であり解放戦争であっても、後半は帝国主義的侵略戦争であったという折衷意見である。この分析は右派にも左派にもある。そんなに簡明に分析できたら話しは簡単であるが、それでは最近の百年間の歴史は説明できず、何の実りももたらし得ないことがわかったので、私は「東亜百年戦争」という仮説を立てたのだ。
    右のような折衷意見は解剖学者が解剖に専心して生きた人間を見失ったのとよく似ている。
    歴史は生きた人間がつくったものだ。あらゆる人間的なもの―大矛盾と小矛盾、過失と行きすぎ、善意に発した悪業、誤算と愚行、目的と手段との逆倒、予想できなかった障害による挫折と脇道、その他、ありとあらゆる人間的弱点を含みつつ進行する。
    歴史家はまず人間学者でなければならないのだ。

    分析と解剖に終始して綜合をわすれることも禁物である。
    分析しただけで綜合できない者は死体を切り刻む解剖屋にはなれても歴史家にはなれない。
    わずか百年間の日本歴史を綜合的に解釈できなくて、何が歴史家であるか!
    何度お繰り返したように、私の「東亜百年戦争説」は一つの仮説である。
    これは卑下した意味ではない。仮説とは決して思いつきやデタラメのことではなく、学問のための、真理発見のための設定だ。英語ではTheory,日本語では「理論」とも訳されていることは御存知のとおりである。
    私は専門の歴史家ではないが、若い頃から日本の歴史に非常な興味と関心を持った。持たざるを得なかった。
    というのは、私はちょうど日本のナショナリズムの最盛期であり、同時に最初の崩壊の徴候を示し始めた明治40年代に少年として育ち、社会主義思想の最初の開花期である大正末年に高等学校と大学の学生であった。
    私の思想経歴は例えば河上肇博士がたどったような激しい国家主義から「無我の愛」を経て社会主義に至るという自然なコースとは逆に、いきなり河上肇博士の「貧乏物語」と「社会問題研究」を読むことから始まった。
    続いて、発生したばかりの日本共産党の学生部隊となり、「資本論」も完読せず、レーニンとトロツキーとスターリンのパンフレットを読むことだけで「実際運動」の中を右往左往した。日本の歴史については何も知らなかった。しかも、確信的な天皇制打倒論者であり、インタナショナリストのつもりでいた。
    この確信がゆらぎはじめたのは、入獄によって日本歴史と日本人の伝記を読む機会を与えられた時からである。
    これはおかしいぞと思い始め、母と妻にたのみ、手に入るかぎりの歴史書を集めて差し入れてもらった。
    私の「転向」が始まった。「転向」の原因を弾圧のみに帰するのはまちがっている。
    刑務所というものは―私の知っているのは日本のそれだけだが―外の人が想像しているほど恐ろしいものでも陰惨な場所でもない。刑務所だけでは思想犯は転向しない。
    出獄して、私は「青年」を書き、再入獄して、また歴史書を読み、「壮年」を書いた。共に三十代の作品である。三十半ばから戦後にかけて「西郷隆盛」十二巻を書いた。
    これも歴史の勉強になった。
    私は思想遍歴または思想成熟の経過は別にくわしく書く時があろう。ここで言っておきたいことは、「東亜百年戦争」という仮説は、かれらの私なりの勉強中の中から生まれたもので、例えば当代野次馬精神の親玉、大宅壮一氏が茶化したような「ひろげ得るかぎりひろげた大風呂敷」などというものではない。
    マルクスの唯物史観も一つの有力な仮説である。それは在来の史観では発見できなかった多くの歴史的真実を発見させてくれた。
    しかし、マルクスの天才をもたぬ日本の「マルクス主義者」諸氏は日本歴史に対するその適応をあやまったようだ。
    彼等の適応方法は唯物史観をただの内在史観(一つの民族と国家の発展と崩壊の原因をその内部にのみ求めようとする史観)に終わらせてしまった。例えば井上清教授の「天皇制」を読むと、日本の太古には、輝かしく人民的な原始共産制があったというマルクス・エンゲルスの「楽園神話」が何の論証もなしに書き込まれている。
    その他の「マルクス主義者」の著書もまた、古代の天皇制は奴隷制であり、明治天皇制は封建主義からブルジョア共和制の過渡期に出現する「絶対主義」だと規定しているのが多い。
    彼等の「学説」によると、日本歴史もまた絶対に階級分裂と階級闘争によって「内在的」に発展しなければならぬ。
    そのために、封建制の内部における資本主義の萌芽としてのマニュファクチュアに関する実りのない大論争が起こったり、大ナショナリストで君主制論者の福沢諭吉がアメリカ風の民主主義にされてしまったり、自由民権運動がソ連式の人民的反天皇制革命闘争だとこじつけられたり、全くテンヤワンヤである。
    特に日支事変と「太平洋戦争」に関しては、ただひたすらに略奪的侵略的非人道的反文明的闘争であり、すべての戦争がそうだというのならまだわかるが、日本人だけが史上空前の戦争犯罪者扱いにされているので、そんな赤っ面の大悪党が私たちのあいだに住んでいたのかと、思わずまわりを見まわしたくなるほどだ。
    私の「百年戦争説」は日本の歴史と日本人の歩みの真実の姿に近づくための仮説である。「内在史観」に対してはむしろ「外在史観」(民族、国家の発展の動機をそれ自身の内部だけではなく、外部からの圧力に対する抵抗に求める。例えばトインビーの「挑戦と応戦の理論」)だが、必ずしも民族のみを重んじて階級を無視しているわけではない。左翼も右翼もない。真実だけが真実なのだ。まだ先は長い。道草が多すぎると思われる読者もあることだろうが、私としては精いっぱい慎重に歩いているつもりである。結論より批判と論証に力を入れねばならぬ。

    林房雄
    大東亜戦争肯定論
    大東亜戦争肯定論 (中公文庫)
    ISBN-10: 4122060400
    ISBN-13: 978-4122060401