2022年5月7日土曜日

20220507 中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」pp.38‐40より抜粋

中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」
pp.38‐40より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122056586
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122056589


私の在局中、私の知るかぎり患者から暴行を受けた医者はなく、ただ一人、殴られたり追いかけられたりして被害を受けたのは、HO先生、ホウさんが唯一人だと聞いた。つまり、あまりにホウさんが優しいので、患者のほうでもついこの相手与し易しと思ったのかもしれない。
 にもかかわらず、ホウさんはみんなからひそかに尊敬されていた。表にこそ出さないが、物凄くガクがあり、それこそ何でも知っているというもっぱらの噂であった。
 入局してしばらく経って、たまたま図書室にいたホウさんに向って、私はー今はその言葉を忘れてしまっているがー或るドイツ語について尋ねてみた。それは精神医学用語であると共に、文学用語でもあったからである。他の先生に訊いたとて、満足する答は得られそうもない、むろん教科書などには載っていない難解な用語であった。
 すると、ホウさんはこう答えた。
「さあ、ぼくは知らないが、ひょっとするとこの本に載っているかも知れないから、調べてごらん」
そして、本棚の中のぶ厚い一冊を指さした。私がそのドイツ語の本を開いてみると、果たしてくわしい説明が記されていた。
 むろんのこと、初めからホウさんは知っていたのである。だが、あくまで謙虚なそのお心が、「さあ、ぼくは知らないが」と言わせたのだ。単に学問がある先生なら私も幾人も知っている。だが、慶応精神科の歴史を通じておそらくもっともガクがあったであろうホウさんのこの優しい謙虚さ。このような方と一時なりとも一緒にいられたことは、私の人生の幸せ言える。HO教授が退職されるときに同窓会報に載せられた一見随筆のようなユーモアに富んだ小論文は、医学のほかは大して知識とてない日本の医者たちへの模範文とも言えるであろう。日本の学者は確かに優秀ではあるが、学問バカ、専門家バカばかりがこの世に溢れているようだ。
 そこへ行くと、外国の医学書の論文の中には、医学だけではなく、歴史、文学、美学などに造詣の深い、読んでいて教えられるものが沢山ある。
 私のもっとも好きな本は、精神薄弱者の研究者、ドイツの故ホルスト・ガイヤ―博士の「馬鹿について」であろう。原書のほうは、ラテン語やギリシャ語が多方面にわたってちりばめられていて、私の読みこなせるものではない。末尾に、ユーモアに満ちた警句や逸話が並んでおり、これまでも書いたことがあるが、あえてもう一度引用しておこう。
 「勤勉は馬鹿の助けにはならない。勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない」
また、誰でもその名は知っている有名なクレッチマーの大著「体格と性格」は、まずシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」からの引用文があり、こう書きだされている。
 「普通人びとは悪魔といえばたいてい痩せていて、細い顎に尖り髭をうすく生やしていると考えるのだが、一方肥っちょはどこか気立ての良い愚かさを備えていることになっている。陰謀をめぐらす者は傴僂で軽い咳ばらいをする。齢とった魔女は干乾びた顔つきをしている。朗らかで淫らな雰囲気の場所では、でっぷりとした騎士フォルシュタフが鼻を赤くし禿頭をぴかぴかさせながら姿を現す。常識あるおかみさんは、ずんぐりしてまんまるな姿で手を腰にあて、腕を張っている。聖者たちはひょろりとした姿で、手足は長く、眼光は鋭く、顔色は蒼ざめゴート人のような厳かな物腰だ。
 手短にいえば、節操高い人と悪魔とは尖り鼻で、ユーモアがわかる人は太い鼻をしていなければならぬということだ。これはどういう意味であろうか?さしあたって、これだけのことは言えるであろう。つまり、民衆の空想が幾世紀にもわたって語りつがれながら結晶化したところのものは、客観性をもった民族心理学的記録であり、おそらくは研究者にとっても多少注意を払うくらいの値打ちのある大衆観念の沈殿物であるかもしれない」
 どうですか、皆さん。医学書としては文学的ではなかろうか。

20200506 ブログ記事の作成と読書から思ったこと、新書の面白さ

前回の記事投稿によって、総投稿記事数が1772に達し、本記事を含めて28記事の投稿により、当面の目標としている1800記事に到達します。先日、4月末から当ブログの更新を5日ほど休みましたが、後日、どうにか1800記事まで到達することが出来ましたら、今度は5日どころか、あるいは1カ月以上休もうと考えています。

そして、おそらくは、また再開して、そこから1年ほどで新たに200記事作成し、2000記事まで到達することが出来るのではないかとも思われてきます。そうしますと、概ね8年間にて2000記事を作成したことになりますが、継続期間は置いておき「2000記事」について考えてみますと、私の行為としては相対的に継続した方であると云えます。また、それ以上の期間、継続してきた行為について考えてみますと、それは、以前にも述べましたが読書であると云えます。

とはいえ、こちらも以前と比べますと、大分馬力が落ちた感があると云えますが、そうした中で、かねてより興味関心を抱いている、いくつかの分野についての書籍を飛び移りつつ読んでいることが良いのか、読み進めるテンポは、分野や書籍内容によって異なってきますが、ともあれ、どうにか続けることが出来ているとは云えます。

また、当初は未知であった分野での著作を何冊か、どうにか苦労しつつも読み進めて、自分なりの認識を得たと感じた時などは、年齢により多少鈍化した感はあるものの、やはり、それなりに高揚するものであり、そしてまた、それを宥めて燃料とすることにより、さらに、その先の興味関心の駆動へと繋がるとも云えます。

そして、その当初の足掛かりとなった著作は、私の場合、いや、多くの方々にとっても「新書」である場合が多かったのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか?

この新書という書籍の様式は、世界規模にて、どの程度まで一般的であるのかは分かりませんが、しかしながら、これまで未知であった分野への初手の一冊としては、適切であるのではないかと考えています。

そして、その新書を読了し、さらに深めたいのであれば、同著者による、もう少し文量の多い著作に取り掛かれば、また、それなりに「知の手ごたえ」を感じることが出来るのではないかと思われます。

私はそのようにして、いくつかの分野での著作を読み進めてきて、年齢により多少、馬力も衰えてはきましたが、それでも、自覚する、ある種の未熟感からか、未だに「もう少しは伸びしろがあるのではないか」と(いつも)思われるのです・・。

そういえば、先日来から読み進めている我が国古代史についての著作は、さらに頁が進み、古墳時代初期に至り、徐々にまた面白くなってきたように感じられます。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。








2022年5月6日金曜日

20220505【架空の話】・其の94 【モザイクのピースとなるもの】【講義篇①】

ええと、こちらは口腔保健学科と口腔保健工学科の共通教養科目「歯科英語」の講義室で良かったですか?

あッ、口腔保健工学科の方々がそこにいますので、ここで良いですね。いや、良かった良かった。それでは、すぐにPCをセットしますので、ちょっと待っていてくださいね。ええと、プロジェクター機器への接続ケーブルはこれかな・・?あ、これで大丈夫のようですね・・。そして・・あッ、PC画面が映りましたね。では、今回の講義スライドを出しますのでもう少々お待ちください・・。

はい、では、これですぐに講義に入れるようにしましたので、少しだけ自己紹介などをさせてください。口腔保健工学科の皆さんとは歯科理工学実習や講義の時に度々お目に掛かっていて御存知であると思いますが・・ええと、では、口腔保健工学科の皆さんはどうぞ挙手をしてください・・。

・・ああ、やっぱりあの奥の方で固まっていますね・・。どうぞ遠慮しないで前方の席に座ってください・・(笑)。・・しかし、そうしますと、残りの皆さんは口腔保健学科ということになりますが、おそらく50名以上はいらっしゃるのでは・・?私がK医専大に入った頃は口腔保健学科の定員が40名であったと思いますので、その後も増員しているのですね・・。それで、皆さんの学年は何人いらっしゃるのですか?・・えッ65人!それで口腔保健工学科の方は20人で私が在籍していた頃と変わりはありませんので、また大分増えましたねえ・・。そうしますと、この教室に85人の学生さんがいて、そのうちの男子学生さんは口腔保健工学科の10名だけということですか・・。こうした状況は嬉しいのだか肩身が狭いのだかよくわかりませんね・・(笑)。

えッ、私はこの共通教養科目である「歯科英語」は履修しなかったのか?ということですか・・?ええ、私は二年次からの学士編入でしたので一年次の科目は履修していないのです。それで、口腔保健工学科の皆さんはご存じであるかもしれませんが、ここを卒業した後、K大学の院に進み、現在はセラミックス系の歯科材料についての研究をしているのですが、歯科系に進む以前は、人文系分野の院生でした・・。ええ、そちらの方は修了して、修士の学位は取得させて頂いています・・。

そうした背景がありまして、これまで、こちらの科目を担当されていたH先生が、今年度からしばらく**に留学されることになりましたので、その期間の代役として、私が選ばれたわけではあるのですが、実のところ、こうした科目の講義経験ははじめてとなりますので、皆さん、どうぞよろしくお願いします・・。

しかしまた、指導要領はH先生からお聞きしていて、教材や資料一式もお預かりしていますので、まあ出来なくはないとも思いますが・・。

では、本題に入りましょうか・・。ええっと、教科書の方は指定のISYK出版の「歯科衛生士・歯科技工士のための歯科英語」で良かったですよね、これは皆さんもう持っていますね・・。ああ、注文はしているけれどもまだ手許に届いていない方々については、今日は、近くの方に見せてもらうようにしてください。

このテキストには基礎的な歯科臨床用語や、主要な歯科材料の名称などは、一通り網羅されていると思いますので、大学を出たあとの色々な場面でも役立つのではないかと思います・・。また、テストの方は、主にこちらのテキストから出題することになると思います。くわえて、それぞれの章に関連する英語論文なども、事前にH先生から預かっていますので、それらを資料として、さらに深掘りした歯科英語の講義が出来ればと考えています。

そして、その後の時間は「歯科英語」にとらわれない、より一般的な英語を題材として講義をしてみたいと思っています。そこで、その題材となる何か良い著作を御存知でしたら、どなたか教えてください・・。来週まで待ちますが、もしも特にないようでしたら、私が選んだ著作にて進めさせて頂こうと思いますが、いいですか?

・・はいッ。皆さんにとってはそこまで難しいものではないと思いますが、現在、私が教材として検討しているのはジョージ・オーウェルによる「Down and out in Paris and London」(「パリ・ロンドン放浪記」)です。・・いや、たしかに世界的に知られているディストピア小説「1984年」と同著者によるものではあるのですが、こちらの一冊はノンフィクションであって、何といいますか、記述がいちいち具体的なのです。そして、この現象や物事の記述の仕方、いや、それ以前にある視座のようなものは、皆さんが現在学んでいる歯科医療や医療全般とも相通じるものがあるのではないかとも私には思えるのです・・。

・・・と、まあ、こじ付けや牽強付会とも云える意見をここで述べてしまいましたが、そうでなくとも、この一冊は面白いと思いますので、皆さんがよければ、これで進めたいと思います。

もちろん、他に何かご意見があるようでしたら、講義の後でもいいですので、どうぞ仰ってください。

それでは、本日の所定のテキストを用いた講義に入りましょうか・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。













2022年5月5日木曜日

20220504【架空の話】・其の93 【モザイクのピースとなるもの】【実習篇①】

「以前に行った精密鋳造の実習の頃よりも、さらに少し暑くなってきましたが、今回は皆さんに「鑞付け」の実習をして頂きます・・。

さて、今回の「鑞付け」でもまた、以前の鋳造実習と同様、溶けた合金(溶湯)を扱いますので、少し暑いかもしれませんが白衣はキチンと着用していてください。ええ、もし袖が長いようでしたら、腕まくりの要領で調節してください。あッ、その白衣は袖口を絞ることが出来るのですか・・。

はい、今回の実習では、この実習室で鑞付けに用いる試料を作製してから、そして隣の鋳造実習室で鑞付け作業を行う流れになります。電気炉はもうセットしてから数時間は経っていますので、お気づきの方もいるかもしれませんが、現時点で、向うの部屋(鋳造実習室)はもうかなり暑くなっているはずです。そうした事情もありますので、これまた以前と同様、こまめに水分は摂ってください。

・・あッ、それと、今回も技工用のバーナーを使いますので、髪が長い方は、後ろで束ねるようにしてください。技工作業の際に大変ですし、バーナーの火で髪が燃えてしまうような事故も避けたいですからね・・。

それと、今回は目の前のバーナーに備え付けのワックスタンクにあるワックスは使用しないで、これまた予め机の上に準備してあるスティッキーワックスを主に使います。成分は箱に記載されていて、また箱の中の説明書にも書いてあると思いますので、そちらを参照してください。ええ、もう箱は開けて大丈夫ですよ・・。そう、よければ手に取って触ってみてください・・。今回の実習に使うワックスはどんな感じですか? ええ「触っただけでは分からない」ああ、たしかにそうですね・・。しかし、もう少し触ってみてください。以前の鋳造実習で用いたインレーワックスやパラフィンワックスやユーティリティーワックスとは少し違いませんか・・?ええ、色が違うのはたしかにそうですね・・。その他には・・ああ、そうですね。持った感触が硬いですね・・。これは以前の鋳造実習の際、スプルー途中に付ける「湯だまり」に用いたユーティリティーワックスのような柔らかい材料と比べると、大分違うように感じられるのではないでしょうか?

そしてまた、こうした性質から、どのような用途のワックスであるか検討してみるのも面白いかもしれません・・。

では、次に今回用いるワックスインスツルメンツですが、これらも前にお伝えしたように、あまり長時間バーナーの火を当てないでください・・。先週の実習後、一昨日になってから全部を熱湯に入れて、しばらく浸けてから、取り出して、まだ熱いうちにウェスでワックスを拭き取ってキレイにしました。おそらく、今回の実習の後もやることになるとは思いますが、皆さんも使用する各器材は出来るだけキレイに使いましょう。まあ、言うまでもないことであるのかもしれませんが・・。

あと、机の上に今回の鑞付け実習での試料作製の工程毎でのサンプルも置いていますが、では、これらを用いて今回の実習行程の説明を続けさせて頂きます。

では、まず、こちらのサンプルには、二つの曲げられた金属板が、石膏様の材料で満たされた型枠内に設置されていることが分かると思います。そして、これら二つの金属版の間には、ごく僅かな間隔があることも認められると思います。

そして、この間隔に、溶けた合金すなわち「鑞」を流し込み、二つの金属板を「鑞付け」することが今回の実習の目的になりますが、はじめに、これらの間隔が広すぎても、あるいはわずかであっても双方が接触していても試料作製は困難になります。その間隔は、実習書に記載があると思いますが、大体、0.05~0.2㎜程度内に収めてください。具体的に表現しますと髪の毛1、2本程度の間隔になりますので、今回もまた、そこそこ慎重な作業になると思います。

また、この微細な間隔を保持したままで二つの金属板を固定するのに用いるのが、さきほど皆さんに触って頂いたスティッキーワックスになります。そして、そのように考えてみますと、さきほど、そちらの方、ええと、Aさんですか?がスティッキーワックスを触った感想で仰っていた「持った感触が硬い」にも何か意味があるのではないかとも考えられますね・・。

さて、次は試料作製に用いる金属板についてです。皆さんの目の前に銅とステンレス鋼を材料とした二種類の概ね同一寸法の金属板がありますが、全ての両端、つまり鑞付け部位となる部位については予め比較的高番手のサンドペーパーで研削して酸化膜は除去していますが、これらの金属板をはじめに屈曲させて、後で型枠内の埋没材に固定し易い状態にしてから、両金属板の間隔を設定し、そのままの状態を保持したままで、こちらのスティッキーワックスを用いて固定します。

使用する金属板の種類ですが、今回は班員が丁度10人ですので、出席番号最初の5人が銅板を用いて、そして後半の5人の方々はステンレス鋼を用いて試料を作製して頂きます。また、私も皆さんと一緒に試料を作製しようと思いますので、それぞれの工程の中で分からないことやご質問などがありましたら声をかけてください。

では、はじめにそれぞれの試料作製に用いる二枚の金属板を選んでから、そちらの器具を用いて両方とも屈曲してください。」

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。








2022年5月4日水曜日

20220503 株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.137-141より抜粋

株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.137-141より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4582532071
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4582532074

海軍陸戦隊は、次に行われた1884年、85年のエジプト遠征にも参加し、ハルツームにとらわれたゴードン将軍救出にむかった。イギリス軍は小型砲艦に何丁かのガトリング銃を積んでいったのだが、実際に戦場で使われたのは、チャールズ・ベレズフォード率いる、少人数の陸戦隊兵士たちが装備したガードナー銃一丁だけだった。ベレズフォードの一行は一個小銃隊に同行し、アブー・クレイでアラブ人の襲撃にあった。イギリス軍はすぐにガードナー銃を中心に方陣隊形を整え、デルウィーシュたちの襲撃を撃退しはじめた。だが実際には、ガードナー銃は70発を撃ったところで早くも故障してしまった。しかし、そうした効果だけでも、兵士たちは十分に勇気づけられた。ベレズフォードは、自らこう語っている。「私が銃を撃つと敵は並んだまま次々と倒れていく。まるで将棋倒しのような眺めだった」。そして、海軍陸戦隊の兵士はここでもまた、機関銃を守るために捨て身の勇気を見せられることを証明している。この戦いの途中、なんとベレズフォードは自分の機関銃を方陣の外に運びだした。その途端、デルウィーシュたちが攻め込んできた。その後の白兵戦の間に、ベレズフォードの部下八人、すなわち、そこにいた海軍陸戦隊全員が、次から次へともう一度機関銃を作動させようと試みるうちに、全滅させられてしまった。ここまでくると、ベレズフォードの機関銃への愛着は多少行き過ぎにも思える。この後、メテムネ奪回のために出兵したイギリス軍銃隊には、七ポンド砲を装備した中隊が随行した。「だが、ガードナー銃はなかった。その理由はどうも、臀部の腫れ物がひどくて、ベレズフォードが従軍できなかったためらしい。時には、ベレズフォードはガードナー銃を自分の私物だと思っていたような印象を受ける」。

 エジプトとスーダンでの戦いは、1898年に山場をむかえた。その年、イギリス政府はもうこれで遠征を終りにしようと思っていた。しかし、このころ、遠征軍はすでにマクシム銃を装備しており、その信頼性は疑いようもなかった。遠征の最後の決戦は、オムドゥルマンの戦いだった。ここで、デルウィーシュたちの大軍はイギリス軍の前線に何度も突撃をしかけたが、そのたびに圧倒的な小火器の銃撃によって撃退された。この大量の火力のなかで最も威力を発揮したのがマクシム銃だった。イギリス軍に同行していたドイツ人従軍記者はこう書いた。「銃の射程を合わすのに手間どったが、それが終わると敵はばたばたと倒れていった。デルウィーシュたちの突撃を撃退するのに六丁のマクシム銃が大きな役割を果たしたことは明らかである」。別の従軍記者は、その日の夕暮れの戦場の有り様を伝える記事で、この武器がもたらした戦果についてこう書いている。

 それはマフーディ派[イスラム教の一派。終末論的な世界観をもつ]のいう最後の日、それも最大級のものだった。彼らは近寄ることすらできなかったのに、逃げることを拒んだ。(中略)あれは戦争ではなく、虐殺だ。(中略)折り重なった死体の山はなかったー折り重なった死体はほとんどなく、どこまでいっても一様な間隔で倒れていたのだ。頭の下にあてた靴を永遠の枕として、安らかに横たわっている者がいる。ひざまづき、最後の祈りを終えないままこときれた者もいる。そのほか、ひきちぎられてばらばらになった者もいる。

 この戦いにはウィンストン・チャーチルが同行していたために、チャーチルのいた第21槍騎兵連隊が無益な突撃をしたということ以外には、現代の神話はこの戦いについて何ひとつ語り伝えていない。だが当時、オムドゥルマンの戦いのもつ意義についてのはるかに適確な評価が、エドワード・アーノルド卿によってなされていた。マクシムはそれを自慢げに自伝に引用している。「これまで、多くの戦争の勝敗を分けてきたのは、士官や兵士たちの突撃と技量、勇敢さだった。しかし、今度の戦いを勝利にみちびいたのは、ケント在住のもの静かな科学に携わる紳士だ」。オムドゥルマンでの死傷者数は、イギリス兵28人、他国兵20人に対し、デルウィーシュの〈死者〉は11000人にものぼっていつ。この数字を見れば、アーノルド卿が特別深い洞察力を持っていたとは思わないだろう。だが、当時にあって自動火器の価値を認める用意ができていた著名人はアーノルド卿ただ一人だったといっても過言ではない。ほかの人間たちにとっては、それは、英国魂の勝利、白人の全般的な優越性を示すもう一つの実例となったにすぎない。

 だが実際、マクシム銃はオムドゥルマンの戦い以前から、アフリカで、すでにその価値を証明していた。未開拓の奥地で、さまざまな開拓者が変わることのない熱意をもって愛用していたのだ。セシル・ローズやフレデリック・ルガードのような男にとって、またイギリス領南アフリカ会社や帝国東アフリカ貿易会社のような組織にとって、ヨーロッパ人による統治をつづけていくためには、マクシム機関銃が必要不可欠だった。マクシム自身は、自分の発明品がそうした役割に用いられることを、単純に喜ぶだけだった。

2022年5月3日火曜日

20220503 株式会社講談社刊 池内恵著「現代アラブの社会思想」 (講談社現代新書)pp.208‐210より抜粋

株式会社講談社刊 池内恵著「現代アラブの社会思想」 (講談社現代新書)pp.208‐210より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061495887
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061495883

終末的争闘

 これらの人間社会や自然界の秩序を乱す前兆に続いて、あるいは並行して、第二の種類の前兆が生じるとされている。ここでは救世主や偽救世主といった超自然的存在が登場してくる。この終末的争闘には雑多な要素が混在しており、諸要素間の相互関係は明確ではないが、(1)救世主マフディーの到来、(2)偽救世主ダッジャール(キリスト教のアンチキリスト)の到来、(3)ヤージュージュ(キリスト教でいうゴグとマゴグ)の出現、(4)救世主イーサー(イエスの到来)、(5)終末の獣の出現、といった要素からなる。現代の終末論はこれらの象徴を縦横に解釈し、国際社会に関する独自の理解を発展させている。その「ハディース集」における典拠えお列挙しておきたい。

(1)救世主マフディー

「救世主マフディー」は、ムハンマドの属するクライシュ族から現れるものとされる。

預言者ムハンマドはおっしゃった。

「マフディーは私の子孫の一人である。彼は秀でた額と鉤鼻を持つ。彼は不正と抑圧に満ちた時代に現れて、地上を正義と公平さで満たすだろう。彼の支配は七年間続く」(「アブー・ダーウドのハディース集」)

 マフディーは「富を分配し」、その統治は預言者の慣行(スンナ)に則ったものであるとされる。また、マフディーは平和と繁栄をもたらし、作物が豊富にとれ、イスラーム教が強固に確立され、イスラーム教徒の共同体が強勢を誇る時代が到来するという。しかしマフディーの時代がいつ到来し、如何にして終わるのか、マフディーと終末の到来はどう関係しているのかといった点は「ハディース集」では明らかにされない。神学者の議論では、偽救世主ダッジャールと救世主イーサーの到来に先立つものとされている。

 このような「ハディース集」の典拠に想を得て、イスラーム史上には、しばしばマフディーを名乗る人物が現れる。19世紀後半のスーダンで起こった「マフディーの反乱」では、ムハンマド・アフマドという指導者が、自らをマフディーと称して尊崇を集めた。

(2)偽救世主ダッジャール(アンチキリスト)による「善と悪の価値転倒」

 救世主マフディーや、次に出てくる救世主イーサーといった「善」の勢力に対抗する絶対悪として「ハディース集」で想定されるのが、「偽救世主ダッジャール」である。偽救世主ダッジャールの表象にはキリスト教黙示文字のアンチキリストの影響が強くみられる。ダッジャールは「長く濃い髪を持った左目が見えない片目の男」であり、その額には「カーフィル(不信仰者)という文字が書いてあるとされる。

 ダッジャールの特徴は「善と悪」の価値を転倒させるところにある。人々に「偽りの善」、「偽りの繁栄」、「偽りの平和」を示して信じさせ、神の示した道から踏み誤らせようとするものと信じられている。これが現代の終末論に取り入れられ、アメリカやイスラエルをダッジャールと断定し、それらが提示する平和や繁栄を宗教的な見地から拒絶する根拠とされるようになる。


20220502 株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳 「チャーチル・ファクター」pp.93-96より抜粋

株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳 「チャーチル・ファクター」pp.93-96より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4833421674
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4833421676

1898年、スーダンの首都ハルツームとナイル川を挟んで西岸に位置するオムダーマンで、チャーチルは英軍による最後の騎兵隊の突撃に参加した。またしても植民地の抑圧者の側で、イギリスの支配に異を唱えたスーダンのイスラム教徒マフディー軍の反乱の鎮圧支援を行った。マフディー軍の最も大きな不満の一つは、黒人の奴隷制度を廃止しようとするロンドン政府の動きであった。このときも母ジェニーはチャーチルが兵隊兼レポーターとして配属されるよう奔走した。軍部の上層部にとっては不愉快な根回しである。しかもチャーチルの役割は重要度を増していた。ブラッド卿よりもはるかに隆々とした口ひげを蓄えたキッチナー将軍にスーダンのイスラム教徒の軍隊の場所を実際に告げる偵察役となったのである。

 作戦の目的は、イスラム教徒の指導者を敗退させ、チャールズ・ゴードン英大佐の殺害の恨みを晴らすことだった。13年前、ハルツームで大佐が無残に串刺しにされた事件は、当時の世界に衝撃を与えた。1898年9月2日午前8時40分、チャーチルは総勢6万人のダルヴィーシュ軍に向って馬を走らせていたが、すでに英軍が彼らを1時間以上にもわたって銃撃していた。チャーチルとその部隊は150人にのぼる土着の槍兵軍を相手にするものと思ってやってきたが、敵はライフル銃兵であった。

 ダルヴィーシュ軍は突然ひざまづき、イギリス軍槍騎兵の別部隊に発砲を開始した。どうすべきか?逃げるか、それとも攻撃するか?イギリス軍は攻撃することを選んだ。チャーチルは、ダルヴィーシュ軍の方向に100ヤードもない場所を担当していたが、自分が12人もの槍兵たちでぎゅうぎゅうの谷間に突進していっていることに気づいた。

 そこで彼は何をしたのか?もちろん戦い続けたのである。ひどい混戦で、ダルヴィーシュ軍の多くがボウリングのピンのようにひっくり返っていった。チャーチルはマウザー銃を10発放ち、自分も馬も無傷で攻撃を終えた。峡谷を突き抜け、ダルヴィーシュ軍と英軍とが互いに切り刻むなかを動き回った。

 チャーチルは「敵の兵士に乗りつけ、ピストルを顔面めがけて発射し、数人を殺害した。3人は確実に死んだが、2人は重傷、残る1人はたぶん逃げおおせただろう」。こうして書くと、戦闘が一方的であったような印象を持たれるかもしれない。結局のところ、英軍にはマキシム機関銃があり、敵を持っていなかった。 

 しかし、そう考えるのは戦闘の危険性を大きく過小評価している。イギリスの兵士310人のうち、21人が命を落とし、49人が負傷した。チャーチルはのちにこう語っている。「私の一生において最も危険な2分間だったといっていいだろう」。

 いや、果たしてそうだったのだろうか?チャーチルはこの後で第二次ボーア戦争(1899~1902年)で戦い、幾度となく屈強なオランダ人農夫たちから砲火を浴びた。オランダ人はパシュトゥン人やダルヴィーシュ軍よりも射撃が上手であったし、より優れた武器を持っていた。チャーチルとボーア人の戦いの全容についてここで繰り返す余裕はないが、複数の本が出ている。少なくともそのうちの二冊はチャーチル自身の筆によるものである。

 つまるところチャーチルは24歳のレポーターとして、このイギリスにとって不幸な戦争に参加したのである。この戦いで、南アフリカの歴史小説家ウィルバー・スミスが書いたアフリカ南部の草原を舞台とする小説のページから出てきたような、奇妙な声を発するひげもじゃの奴らが、ついに新聞の一面を飾ったのだった。

 チャーチルは南アフリカのナタール植民地のコレンソと呼ばれる場所まで装甲列車に同乗した。敵に攻撃を受けて、列車は脱線。このときチャーチルは攻撃の的になりながらきわめて冷静に振る舞い、自分自身の安全を顧みず反撃した。毎度のことながら、弾丸を浴び、毎度のことながら、奇跡的に生き延びた。いったんは敵に捕まったが、捕虜収容所から逃亡し、貨物列車に飛び乗って、森に隠れた。ハゲワシに驚かされ、炭鉱に隠れ、ロレンソ・マルケス(現在はモザンビークの首都、マプト)にたどり着いたときには英雄として歓迎を受けた。

 その後チャーチルは首に懸賞金をかけられた状態で自転車部隊と同行してプレトリアを抜け、デュウェツドープという町で再び撃たれてあやうく殺されそうになった。さらに第二次ボーア戦争のダイアモンド・ヒルの戦いでは「人並みはずれた勇気」を見せた・・・。読者諸氏はそろそろおわかりだろう、私がこの章でお伝えしたかったことが。

 さらに続けてもいい。1915年に陸軍に入ると、ガリポリ戦の後、西部戦線に向かい、膠着状態の塹壕のあいだにある中間地帯に36回も出ていった。時にはドイツ戦線にあまりにも近づいたために、敵の会話が聞こえるほどだったという。チャーチルは爆弾や弾丸にいかに無頓着だったかという話もできるが、もう十分おわかりだろう。

 チャーチルは、青年時代、というより一生を通じて、並外れた勇敢さを見せた。彼に向ってどれほど多くの弾やミサイル弾が発射されたことだろう?1000発?自分の手で何人を殺したのだろう?12人?いや、おそらくもっと多いだろう。ナポレオン戦争で軍功を重ねたウェリントン公爵以降、チャーチルほど実戦を経験した首相はいない。暴力で歯向かってきた途上国の戦闘員そしておそらく非戦闘員に対して個人的に殺意を行使した首相はいない。

 チャーチルのように四つの大陸で銃撃を受けた首相もいない。ここまでくれば、賢明な読者諸氏には、チャーチルの勇敢さは疑いないものと納得していただけるだろう。とはいえ、なぜ彼がそのような性格だったのかを知りたいとも思われるだろう。