2022年5月7日土曜日

20220507 中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」pp.38‐40より抜粋

中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」
pp.38‐40より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122056586
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122056589


私の在局中、私の知るかぎり患者から暴行を受けた医者はなく、ただ一人、殴られたり追いかけられたりして被害を受けたのは、HO先生、ホウさんが唯一人だと聞いた。つまり、あまりにホウさんが優しいので、患者のほうでもついこの相手与し易しと思ったのかもしれない。
 にもかかわらず、ホウさんはみんなからひそかに尊敬されていた。表にこそ出さないが、物凄くガクがあり、それこそ何でも知っているというもっぱらの噂であった。
 入局してしばらく経って、たまたま図書室にいたホウさんに向って、私はー今はその言葉を忘れてしまっているがー或るドイツ語について尋ねてみた。それは精神医学用語であると共に、文学用語でもあったからである。他の先生に訊いたとて、満足する答は得られそうもない、むろん教科書などには載っていない難解な用語であった。
 すると、ホウさんはこう答えた。
「さあ、ぼくは知らないが、ひょっとするとこの本に載っているかも知れないから、調べてごらん」
そして、本棚の中のぶ厚い一冊を指さした。私がそのドイツ語の本を開いてみると、果たしてくわしい説明が記されていた。
 むろんのこと、初めからホウさんは知っていたのである。だが、あくまで謙虚なそのお心が、「さあ、ぼくは知らないが」と言わせたのだ。単に学問がある先生なら私も幾人も知っている。だが、慶応精神科の歴史を通じておそらくもっともガクがあったであろうホウさんのこの優しい謙虚さ。このような方と一時なりとも一緒にいられたことは、私の人生の幸せ言える。HO教授が退職されるときに同窓会報に載せられた一見随筆のようなユーモアに富んだ小論文は、医学のほかは大して知識とてない日本の医者たちへの模範文とも言えるであろう。日本の学者は確かに優秀ではあるが、学問バカ、専門家バカばかりがこの世に溢れているようだ。
 そこへ行くと、外国の医学書の論文の中には、医学だけではなく、歴史、文学、美学などに造詣の深い、読んでいて教えられるものが沢山ある。
 私のもっとも好きな本は、精神薄弱者の研究者、ドイツの故ホルスト・ガイヤ―博士の「馬鹿について」であろう。原書のほうは、ラテン語やギリシャ語が多方面にわたってちりばめられていて、私の読みこなせるものではない。末尾に、ユーモアに満ちた警句や逸話が並んでおり、これまでも書いたことがあるが、あえてもう一度引用しておこう。
 「勤勉は馬鹿の助けにはならない。勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない」
また、誰でもその名は知っている有名なクレッチマーの大著「体格と性格」は、まずシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」からの引用文があり、こう書きだされている。
 「普通人びとは悪魔といえばたいてい痩せていて、細い顎に尖り髭をうすく生やしていると考えるのだが、一方肥っちょはどこか気立ての良い愚かさを備えていることになっている。陰謀をめぐらす者は傴僂で軽い咳ばらいをする。齢とった魔女は干乾びた顔つきをしている。朗らかで淫らな雰囲気の場所では、でっぷりとした騎士フォルシュタフが鼻を赤くし禿頭をぴかぴかさせながら姿を現す。常識あるおかみさんは、ずんぐりしてまんまるな姿で手を腰にあて、腕を張っている。聖者たちはひょろりとした姿で、手足は長く、眼光は鋭く、顔色は蒼ざめゴート人のような厳かな物腰だ。
 手短にいえば、節操高い人と悪魔とは尖り鼻で、ユーモアがわかる人は太い鼻をしていなければならぬということだ。これはどういう意味であろうか?さしあたって、これだけのことは言えるであろう。つまり、民衆の空想が幾世紀にもわたって語りつがれながら結晶化したところのものは、客観性をもった民族心理学的記録であり、おそらくは研究者にとっても多少注意を払うくらいの値打ちのある大衆観念の沈殿物であるかもしれない」
 どうですか、皆さん。医学書としては文学的ではなかろうか。

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