2017年8月6日日曜日

20170806 KODANSHA INTERNATIONAL LTD.刊 Hyoe-Murakami著 『Japan The Years of Trial1919-52』pp.178-180より抜粋引用

KODANSHA INTERNATIONAL LTD.刊
Hyoe-Murakami著
『Japan The Years of Trial1919-52』pp.178-180より抜粋引用
ISBN-10: 087011610X
ISBN-13: 978-0870116100

『The Potsdam Declaration was published on July 26 in in the name of Truman, Churchill, and Ciang Kai-shek. With in the Japanese government, it was Foreign Minister Togo who insited most strongly that Japan should agree to its terms; he had taken note of the fact that they could be interpreted as implying something other than unconditional surrender. The fact that Stalin was not among the signatories of the declaration also gave him grounds to suppose that the Soviet Union, faithful to the neutrality pact, and had mediated on Japan’s behalf. The terms laid down in the declaration-the limiting of Japanese territory to the four main islands, the restriction of the function of the Japanese government, occupation, disarmament, and the punishment of war criminals among them-were extremely harsh, and there was plenty of food for doubt and uneasiness; yet, as Togo saw it, to let this opportunity to begin negotiations go by would be even more fatal. Nevertheless the opposition of the military was as implacable as ever. Suzuki put forward compromise proposal, whereby the press was to report the declaration without any comment whatsoever, thereby giving a signal that Japan was paying heed to it.

The morning editions of the twenty-eighth, however-despite the government’s attempts to impose restraints-carried headlines referditional surrender as ''plot by the three powers'' and dismissing the call for unconditional surrender as ''preposterous.'' Hastly, Suzuki personally called a press conference at which he stated that the attitude of the Japanese government toward the Potsdam Declaration was one of ''mokusatsu''. As Suzuki intended it, this word was the equivalent of the English ''no comment,'' but in Japanese broadcasts directed overseas it turned out as ''ignore,'' and New York Times of July 30 carried a headline annoucing that Japan had rejected the Allies' final call for it to surrender. Thus President  Truman lost any chance of checking use of the atomic bomb at the last moment. The Japanese government, in short, still expecting that the Soviet Union would mediate on its behalf, had attached insufficient importance to its own response to the Potsdam Declaration.

At 3 A.M. on August 6, the Enola Gay took off from the base on the island of Tinian carrying the first atomic bomb ever to be dropped on mankind, and at some time past 8A.M. arrived in the sky over Hiroshima. The bomb, suspended from a parachute, exploded at a point 600 meters above ground level. It was 8:15, at which time the city’s clocks stopped forever. A single bomb wiped out an entire city. Thirteen square kilometers of the center were seared by the terrifying blast, heat, and radiation; at least two hundred thousand citizens either were killed instantly or died after days-in some cases, months-of suffering. As the plane in which Dr. Nishina Yoshio-an atomic physicist who flew to Hiroshima at Japanese army orders-arrived in the sky over Hiroshima, one glance was enough to tell him that it could only have been an atomic bomb. His judgment was confirmed by foreign broadcasts. On the afternoon on August 8, on receiving formal notification from Dr. Nishina that the weapon dropped on Hiroshima had unquestionabley been an atomic bomb, Prime Minister Suzuki realized that the war must be brought to a rapid conclusion and directed Cabinet Secretary Sakomizu to summon a meeting of the Supreme Council for the Conduct of the war for the following day.』

20170805 台風の九州南部接近の報に接して

A「総投稿記事数が700に到達したのちもペースを落とさず、ほぼ毎日記事作成を行ってきましたが、本日はどうも記事作成の意欲が湧かず、色々と書籍、文献等をあたってはみましたが、それでもあまり、さきの状況とは改善されないでいます・・(苦笑)。

このまま本日に関しては記事作成を休もうかとも思いましたが、書籍の抜粋引用であれ、ともかく記事を作成しようと思い立ち、今現在このように何かしら文章の作成をはじめている次第です・・。

そういえば、現在台風が九州南部に接近しつつあるとのことで、目下のところ、これが心配ではあり、またたとえ台風が上陸するにしても、あまり大きな被害を齎さないことを願っています。

また、台風に関してですが、九州南部にて遭遇する台風とは、やはり首都圏における台風と異なり、何と云いますか、より自然の脅威といったものを感じさせます・・。
(古代人が台風にカミを見たのは西日本に在住してはじめて実感として分かりました。)

また、このことは和歌山、南紀においても同様であり、殊に北海道からこの地に転勤となり、しばらくの期間とは、このすさまじい雨・台風に大きなショックを受けたことをおぼえています(北海道にはあまり台風が上陸しない)。

とはいえ、我々人間とは概ね、どの地域であれ、しばらくそこに住んでいると、その環境に慣れるものであるらしく、今現在の私とは、さきの自然環境といったものに関しては、ほぼどうしようもないものであるため言及しませんが、その他の環境に関しては『むしろ首都圏の方がおかしいのではないか?』と思うことが多々あります・・。
(朝夕の電車のラッシュ、行列、都心部の雑踏、空気の悪さ、騒音・・)。

また、そうは考えるものの、実際の生活においては以前よりも大分、この首都圏特有の慌ただしさにも慣れつつはあると云えます。

しかしそれでも、これが『自分にとって良い』ものであるとは、どうしても思うことが出来ません・・。

また、以前投稿したブログ記事においても書きましたが、そうした内面における『葛藤』(理想と現実のギャップ)こそが、ブログ記事といったカタチであれ、文章を書き続ける大きな原動力となっているのではないかとも思われます・・。

とはいえ、この程度までどうにかこうにかブログ記事を書き続けていますと時折思うことは『おそらく何処に住もうと当初はしばらく逡巡・呻吟するかもしれないが、何かしらは書き続けることは出来るのではないだろうか?』ということです。

もちろん、これはあくまでも今現在においては希望的観測の域を出ませんが、同時に以前よりも『それが出来るのではないか?』といった実感もまた強くなってきています・・。
(しかしながら、この『実感』がまたクセモノなのかもしれない・・(苦笑)。)

ともあれ、いずれにせよ、このさき未だどうなるか見当もつきませんが、ここまでブログ記事を書き続け、そして上記のような実感をも持ち得るに至ったことは、これまでに(かなり)稚拙なものも多いと思われる一連のブログ記事を読んでくださっている方々のおかげであると云えます。
(おかげさまで、これまでに総計24万人ほどの方々に閲覧して頂きました。)

今後も800記事の到達までは書き続ける予定ですので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

また、今回に関しても、ここまで読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を受けた地域の諸インフラの復旧、そしてその後の早期の復興を祈念しています。』












2017年8月5日土曜日

20170804 昨日との関連:部分と全体:歴史と思想、文系学問全般さらには理系学問も?

A『本日の首都圏もまた気温が上がらずに比較的過ごし易い一日でした。

また、本日は比較的遠くへ出かけたためか、今現在多少疲れています・・。

実際、こうした日とは恒例となっているブログ記事作成を多少面倒に感じるわけですが、書き始めた以上、ある程度書き、本日分の記事作成を行わなければならないと思うのですが、なかなかその記事作成は思うようには捗ってはくれません・・(苦笑)。

さて、昨日分の投稿記事『全体の文脈から考える【書籍からの抜粋引用および歴史について】』もまた投稿翌日にしては多くの方々(36)に読んで頂けました。

くわえて、本日は日中のブログをチェックしない時間帯に比較的多くの方々(120程度)に記事を読んで頂き、冒頭に書いた疲れている日に、こうした現象が生じることは『皮肉ではあるまいか?』と思う一方、新たな記事作成の意欲も湧いてきます・・(笑)。

そうした次第で、本日分の作成記事に関しては、昨日分投稿記事と関連することを書いてみようと思います。

これまでにブログ記事作成にて行った書籍からの抜粋引用と引用元書籍全体内容との関連について考えてみますと、概ね『そこまでは的外れではない』と考える一方で『果たして(本当に)それで良いのか・・?』とも考えることがあります。

そしてそれは部分と全体の関連全般についてもいえることであり、自身の身近なところで考えてみますと、歴史についてがまさしくそれに該当するのではないかと思われます。

また自身は、これまでにそうしたことを(ほぼ無意識ながら)疑問に持ち、考えつつ(ある程度)歴史に関する書籍を読んできたのではないかと思われます。

それはつまり『この時代・地域の歴史に関しては(読書にて)何となく分かったが、他の時代・地域との関連とはどうなっているのであろうか・・?』といった興味・疑問であり、これが積み重なってきますと、それら一つ一つが鎖の輪のようなものとなり、全体としての鎖のようなものを認識出来るようになり、さらに今度は他の鎖(全体像)との関連に思いが及ぶようになるのです・・。

以上の経緯にて、全体としての鎖(歴史の流れ)にまで考えが及びますと、その内容とは、包括的な内容を扱うものの多くがそうであるように、ある程度抽象的なものとなり、歴史というよりも思想・哲学といったものに近づいていくのではないかと思われます・・。

当初、私はこの思想・哲学といったものが全く分からず、また人に聞いてみても、自身の理解力のなさ故にか要領を得ることが出来ませんでした・・(苦笑)。

しかし、さきに書いたように、ある程度歴史に関しての知識・知見を得るようになりますと、ごく自然な流れとして、歴史を題材とした思想・哲学に関しての著作を読むことが出来るようになっていきました(20代前半頃であったと思う)。

また、多くの思想・哲学とは、その知識背景の多くを歴史的なものに負っているのではないかと考えます。

その意味においては、おそらく経済学・社会学・政治学・民俗学など全てもまた、そうではないかと思われます・・。

端的に、それらは『我々人間の蓄積された営み【歴史】に対するアプローチの仕方の相違』といったものに還元し得るのではないかと考えます。

そして、ここからは、さすがに極端な意見ではあるかもしれませんが、自身の場合、その後専攻した歯科理工学においても概ねそのようなアプローチにて臨みましたが、これは同時に【まさしく】目に見えて現在進行形の歴史【加工製作技術の進化発展】そのものであり、そこにさまざまな実験を以って参入することが面白く且つ、遣り甲斐のあることと感じていたのではないかと思われます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。』












2017年8月3日木曜日

20170803 全体の文脈から考える

本日の首都圏もまた昨日、一昨日と同様にあまり気温が上がらず過ごし易いといえば過ごし易いのですが、同時に『八月初旬でこの程度の気温で大丈夫であるのか?』とも考えてしまいます・・(笑)。

さて、昨日投稿分記事も投稿翌日にしては多く方々(27)に読んで頂けました。

そして本日の作成記事は、電車での移動の際にノートに書き留めた着想に基づき書き進めていきます。

これまでに自身が投稿したブログ記事のなかで、書籍・文献からの抜粋引用が占める割合は低くはないと云えます。

また、これはブログ記事作成を始めた当初の時期においては、より高い割合を占めていたと云えます。

そうした当時の状況にて時折(私のブログ記事作成を知る)知人と話しておりますと以下のようなご意見を頂くことがしばしばありました。

『たしかに書籍内の面白い記述をブログ記事として抜粋引用するのは面白い試みであると思いますよ、しかし、その記述が書籍全体の中で、どういった意味合い、どの程度の重みを持つものであるのかが、記事を読んでいる方々には往々にして伝わらないと思いますので、そのことは今後もう少し考えてみても良いのではないかと思いますが・・。』

このご意見とは、至極真っ当なものであり、また現在自身も時折、そうしたことを考えることがあります。

つまり書籍全体の文章の流れ、文脈のなかで、果たしてその(抜粋引用)『部分』が如何なる意味を持つのであるかとは、それが当初から恣意的な操作であることから、より注意して行う必要があるのだといえます。

また、当然といえば当然ですが、これまでに抜粋引用に用いた書籍とは、その殆どが(以前に)通読したものであり、またその選択とは、ある程度(自分なりに)注意して行っているとは考えますので、おそらくその大半においては、抜粋引用部をブログ記事にて読んだ方々が、抜粋引用元書籍の大意、全体の文脈を(大きく)誤解されることは少ないのではないかと考えます・・。

とはいえ、それも結局のところ自身の恣意的な操作に基づく希望的観測であるといえますので、最終的には何ともいえないところではあるのですが・・(苦笑)。

また、多少ハナシは変わって、こうした認識の仕方とは歴史全体においても同様のことがいえ、たとえある時代・地域の歴史が分かったという自覚を得たとしても、それが歴史全体については必ずしも応用可能ではないということです。

そして、そうしたことから竹山道雄著『昭和の精神史』に述べられている『全体を包括する大前提のような教義・ドグマを以って個々を認識していくと、必ず間違った認識の方向に行く』という意見の意味合いが認識され得るのだと思われます・・。

しかしながら、おそらく我が国においては少なからず、こうした(一見)便利とも云える『全体を包括する大前提のような教義・ドグマ』を(半ば無意識的に)有難がる、大事にするような傾向があるのではないかと思われます・・。

それはおそらく、本質的あるいは深層において、ある事態・事物に対して能動的に考えることが面倒である場合における態度・対応であり、あるいはまた、そうした心的傾向が少なからず我が国の早急な近代化あるいは戦後の急速な復興を推し進める力であったのではないかとも思われます・・。

しかし、そうしたことは御周知のとおり、何も新しい意見ではなく、夏目漱石の講演に基づいた著作『現代日本の開化』にて明治の時代に既に述べられていることなのです・・。

そして、そうしたことを踏まえ、現在の我が国にて生じているさまざまな出来事を見聞きしておりますと、かなり悔しいことに、つじつまが合ってしまうことが多いのです・・。

これが自身の浅学非才より生じる(無意識ながらの)全体を包括する大前提のような教義・ドグマへの妄信に基づく間違った考えであれば本当に良いのですが・・(苦笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。』









20170802 昨日・一昨日投稿の記事と関連して【共感力に関してか・・?】

A「本日首都圏では午前中に何度か小雨が降り、また日中を通して曇り気味の天気であったことからか気温はこの時期にしてはあまり上昇しませんでした。

また昨日も気温に関してはこのような感じであったと思いますので、ここ数日の気温とは例年に比べ若干低いのではないかと思われます。

さて、昨日投稿分の記事は投稿後の改題によってか投稿翌日のわりには多くの閲覧者数(33)を得ることができました。
また、そこで書かれていることと関連してか、一昨日分投稿記事の閲覧者数(43)もまた同様に増加しました。

そうした状況を鑑みますと、ブログ記事を含めた文章一般、またそれに加え、話す言語においても、用いる言語の選択が重要であるということに少なからず興味を抱かれている方々も少なからずいるのかもしれないと考えさせられます。

さて、以前投稿したブログ記事においても書いた記憶がありますが『ある程度対話をしていると、その人のさまざまな背景が分かってくる』といったことがありますが、おそらく、こうしたことは言語の運用が大きな要素となる文系学問分野において特にその傾向が顕著ではないかと思われます。

しかしながら自身は以前、このことに対し懐疑的、否定的な見解を持っていましたが、どうした事情、理由によるものか、いつのまにか自身もまた、この意見を分かるようになり、そしてこれを肯定するようになっていました。

具体的には時折観るテレビ内での会話、広告に書かれているコトバ、あるいは街中で聞こえてくる会話などから、何といいますか、その軽薄さらしきものがどうも鼻についてしまうというような、どちらかというと否定的なニュアンスから、この意見を分かるようになり、また肯定できるようになったとも云い得ます・・。

あるいはこうしたことは年齢とも多少関連があるのかもしれません(苦笑)。

そして、そうしたことを自身において慎むためにも、半ば無意識的ながら言葉数が少なくなっていくのかもしれません・・(苦笑)。

しかし、それはどちらかというと消極的な逃げの姿勢であり、本来であれば、用いる言語を精確にし且つ多作多弁であるというのが理想的であるのかもしれませんが(笑)。

その意味において、現在継続しているこのブログ記事の作成とは多少は効果的であるのかもしれないと自己弁護・肯定的な考えもまた脳裏に浮かんできます(笑)。

ともあれ、それでも不思議に思うことは、さきに書いた『ある程度対話をしていると、その人のさまざまな背景が分かってくる』という現象であり、そこで得られた感覚に関しては時折は反省することもありますが、大体はそれを信じることが多いように思います。

つまり、そこで得られたものは直感的なことであると云えるのですが、こうした感覚を得るに至る経緯とは、おそらく各個人により、その過程が異なると云えるものの、何故そうしたことを前提としてさまざまな議論が出来、そしてまた、場合によっては、ある程度普遍的な見解の共有にまで至ることが出来るのかとは、考えてみますと、なかなか不思議且つ面白いことであるのかもしれません。

そしてまた、こうしたことは読書などの際にも生じることから、あるいは時代をも超える現象であるのかもしれません・・。

さて、本日に関しては一度休んでからの記事作成ということもあってか、また観念的な内容となってしまいました・・(苦笑)。

ともあれ、今回もまたここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害などの大規模自然災害により被災された地域の諸インフラの復旧、そしてその後の早期の復興を祈念しています。』










2017年8月1日火曜日

20170801 『神ってる・神憑っている』の違いから思ったこと、どちらが適当であるのか?

A「本日の首都圏は午前中は雨が降ったり止んだりを繰り返し、午後を過ぎる頃になるとか、なり本格的に雨が降りはじめたように思います・・。

そして、今現在においてはその雨もあがり、また気温はこの季節のこの時間帯にしては涼しいように思われます。

さて、昨日投稿分の記事はいくつかの音声動画と関連付けたためか、その閲覧者数は増加し今現在の時点にて28となっています。

この昨日分の投稿記事を読んでおりますと、この『いみじくすぐれたるもの』というコトバが幾分不自然ともいえる感じにて用いられておりますが、このコトバとは、たしか本居宣長著『古事記伝』にて神・迦微・カミの意味について書かれているところのものであり、端的に我が国におけるカミとは、欧米・西アジアにおけるような超越的な唯一神といったものではなく、さきの『何かしらすぐれたもの』(いみじくすぐれたるもの)全てがカミと見做されていたような社会であり、それこそ山・海・川あるいは岩・木などにも存在するものであるとされていました・・(自然崇拝・アニミズム)。

そして、その名残とは、現在においてもさまざまな神社の御祭神・ご由緒などを調べてみると分かるのではないかと思います。

また同時に、このように、我が国とは、かねてより神の数が多いことから、現在においてもカリスマと称される方々が量産され続け、また『神ってる』などというコトバが普通に使われるようになるのかもしれません・・(笑)。

そういえば、この『神ってる』というコトバを既存のコトバに直しますと『神憑っている』と概ね同じ意味になると思われるのですが、このコトバ(『神ってる』)とは、今後どの程度まで社会に定着し一般的に使われるようになるのでしょうか・・?

くわえて、この『神憑っている』というコトバからカミが(憑代に)憑依することにより、それが一般的な人間をはじめ事物とは異なった次元(カミに近いあるいはカミそのもの)の存在になるといった考えを物語っているのではないかとも思われます。
その点において、さきの『神ってる』とは、語義的にそうした『憑依』の観念が見出せないことから、微妙に『神憑っている』とは、示す内容・事情が異なるのかもしれません。

また、こうした言語の運用から、我が国全般において『カミが憑代に憑依する』といった古来からの観念を忘れつつあることを示しているのではないかとも思われます。

そうした場合、あるいは昨日投稿分の記事に書いたような『(継続的な文章の作成のためには)日常に用いる言語とは、口語・文語を問わず慎重を期して精確に選ばなければならない』に対して、あるいは多少の意味を付与することが出来るのではないかとも考えられます・・。

しかしその一方において、昨今これまた以前投稿のブログ記事に書いたようにアニメ、映画あるいはCMなどにおいて(安易に)過去の歴史へのタイムリープ・タイムスリップといった背景が盛り込まれることは、どうしても『道具が進化すれば(自動的に)精神も(自動的に)進化する』といったような、我が国の近代社会を特徴付けるような、あるいは具定例を挙げるならば夏目漱石著『三四郎』冒頭の広田先生との汽車内での会話のような経緯そしてそれに付随する解釈を想起してしまうのです・・(苦笑)。

とはいうものの、他方において、畢竟それもニーチェ著『ツァラトゥストラかく語りき』内の『永遠回帰』の思想、もしくはカミュ著『シューシュポスの神話』に記されている思想、あるいは和辻哲郎著『風土ー人間的考察』内のモンスーン地域における特徴的な精神風土の所産であると断じることも可能であるのかもしれませんが、しかしながら、如何なる論法によっても、そのようにして事態を認識・整理仕切ったと『思いたがる』ところこそが、見方によっては断捨離に象徴されるような『キレイ好き』といった性質に基づくものではあるのかもしれませんが、同時にそれが我が国の(普遍的な)弱点であるようにも考えられます・・(苦笑)。

とあもれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被害を受けた各地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の出来るだけ早期の復興を祈念しています。』






20170731 ブログ記事を含む文章の継続的な作成に必要なものとは・・

A「昨今、仕事にてよく歯科医院に行くことがあるのですが、そうした中の不図した会話にて『・・この先生は私のブログを読んでいるのではあるまいか?』と思うことが時折あります・・。

おそらく、それらの大半あるいは全てが私の自意識過剰によるものであると思われるのですが、それでも時折は際立って『・・やはり読んで頂いているのではなかろうか?』と強く感じさせることがあるのです・・(苦笑)。

こうしたことは、あまり考え過ぎますと(自縄自縛的であり)精神衛生上良くないと思われますので、ここに書くだけ書いて、その後はあまり考えないようにしようと思いますが、あるいはこうした考え過ぎもまたブログ記事作成を継続することによって生じる(あまりありがたくない)余禄であるのかもしれません(笑)。

とはいえ、そうしたことは決してマイナス面(変に考え過ぎる)ばかりでもないようであり、他面においては、以前に読んだ著作を新たに読む際、かつてよりもその書かれている内容を(より)考えながら、あるいは以前と異なった読み方が出来るようになるのではないかとも思われるのです。

いやしかし、こうした感覚とは、ここに特筆するまでのことでもなく、多くの方々が日常において感じていることではないかと思われるのですが、それは対書籍であるならば、そうした機に応じ、多面的に興味深く読むことが出来る著作であることを発見・認識するに至るといったことになるのでしょうが、これが冒頭に書いたように対人間である場合は、必ずしもそうとは云えず、むしろ変に意識してしまい円滑なコミュニケーションを阻害することも少なからずあるのではないかとも思われます・・(苦笑)。

そして、こうしたことは、あるいは女性よりも多く男性に多く見受けられるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

(年齢を重ねる毎に徐々に無口になっていく方とは、あるいはこうしたメカニズムが作用しているのかもしれません。
そして、それは一種の成熟と評しても良いのかもしれない。)

また、その意味において、やはり日常に用いる言語とは、口語・文語を問わず慎重を期して精確に選ばなければならないのではないかと思われるのです。

私見ではありますが、このことは、ブログ記事をも含む継続的な文章の作成を行う際に、最重視するべきことではないかと考えます。

現時点では上手く伝えることが出来ませんが、おそらくこのこと、こうした感覚が口語・文語を問わず相手に対し微妙に伝わってしまうのではないかと思われるのです・・。

さらにまた、これまた私見ではありますが、こうした感覚を認識することは、主体的な努力というよりも、おそらく自身が発見した何と云いますか『いみじくすぐれたるもの』に対する献身を通してしか認識、そしてそれに近づくことは出来ないのではないかと思われるのです。

さて、本日も一旦休んでから記事を作成したためか観念的な内容になってしまいましたが、これもあとになって読んでみて多少は思うところがあるのかもしれません・・(笑)。

そして、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害の大規模自然災害により被災された地域の諸インフラの復旧およびその後の早期の復興を祈念しています。』