昨日投稿したブログ記事はどうしたものか、それなりに多くの閲覧者を得ることが出来ました。
興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
とはいえ、本日こそはブログ記事の投稿を止めておこうと考えていたのですが、これまた上記のような状況により、記事を書くことに決めた次第です・・(苦笑)。
さて、昨日投稿した記事後半に記した抜粋引用部とは、なかなか面白い箇所もあったのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
戯曲と小説の違いとは、考えてみますと、たしかに抜粋引用部にて述べられているような傾向があるのではないかと思われます・・。
そして、こうしたことを音楽についてかりそめに適用してみますと、現代の一般的な音楽とは、ほぼ、そのメロディーより感じ得る情感、あるいは歌詞にて述べられている世界観、物語といったものは概ね戯曲的(直線的)なものではないかと思われます。
それに対しクラシックの楽曲などを考えてみますと、たとえばそれが戯曲に用いられた楽曲であった場合においても、現代の楽曲一般ほど戯曲的特徴(直線的)を備えるものではなく、何といいますか、そのメロディーから惹起される情感とは、悪くいえば悠長、あるいは良くいえば壮大といった感じを受けるのではないかと思います。
たとえばワーグナーの「リエンツィ(最後の護民官)」序曲、ベートーベンの「エグモント」序曲あるいは戯曲用の楽曲でなくともベートーベンの第5交響曲「運命」などからは共通してある種の勇壮さと共に激動、悲劇といった複数の情感を惹起させ、同時にそれは現代の楽曲一般ほどにメロディーから惹起させる情感が限定されていないと考えられます・・。
そういえば、エグモントの序曲は、どうしたわけか歴史映像、映画などで革命の場面で用いられることが多いように思われます・・。
もとい、しかし、そうであるからといってクラシックの方が現代の楽曲全般より良い、優れていると主張したいわけでなく、おそらく、それぞれ楽曲が作曲された時代の音楽そのものに対する感覚、価値観が異なり、また、より単純な視点からは、楽曲一つの長さも大きく異なることから、上記のような感じを受けるのではないかと思われます・・。
そして、ここまで書いていて思い起こした楽曲はスタンリー・キューブリック監督「バリー・リンドン」にて用いられたシューベルトのピアノ3重奏曲第2番作品100であり、この楽曲はまさに、現在の季節にふさわしく、同時にその変化する旋律から複数の情感が惹起せられるのではないかと思います。
また、シューベルトよりも150年近く前のバロック期の作曲家コレッリによるヴァイオリン・ソナタ作品5番内の通称「ラ・フォリア」(この楽曲は映画「ジェファーソン・イン・パリ」に用いられていた)もまた、さきの楽曲と同様、この季節に合っているのではないかと思います・・。
そして、今度は、その映画題名から時代は現代に移りスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」を思い起こさせます・・(笑)。
そして、この楽曲もまたそのメロディー、旋律からこの季節が相応しいのではないかと思います。
しかしながら一方において、何といいますか、それら時代の異なる楽曲から得られる情感とは、さきに述べたように「冬に合う」という意味においては共通していると思われるものの、やはりさきに述べたようにそれぞれ(惹起される情感が)異なるのではないかと思いますが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年1月21日土曜日
2017年1月19日木曜日
20170119 鹿児島での登山等から思ったこと・・
本日の首都圏もまた大変肌寒く感じる一日でした。
さて、昨日投稿した記事に書いた通り2009年暮れ、および翌2010年はじめは実験(試料作製)にて明け暮れておりました。
そして2009年の仕事おさめの直前に、師匠から「おい、開聞岳に登らんか?」と尋ねられ、二つ返事にて、その年明け早々に開聞岳に登ることになりました。
開聞岳については以前投稿したブログ記事にて記しましたが、思い起こしてみますと鹿児島在住期間を通じ三度登ったのではないかと思われます・・。
そしてこの2010年1月での登山とは昨2009年11月の出来事によりあまり気勢が上がらず、おそらくそうした状態を見かねた師匠が誘ってくださったのではないかと思います・・。
登っている最中「どうや、やっぱり自然はええやろ?実験も楽しいけれど、そればかりではのお・・。」といった感じに時折話しかけてくださいました・・。
このような調子で登頂した開聞岳頂上は他の登山客もあまりおらず、冬の澄んだ空気にて、はるか南の方角に屋久島の宮之浦岳が望むことができました。
そして、この2010年とは、これを皮切りに師匠、講座の方々と登山に行くことが度々ありましたが、おそらく、そのお蔭で春を過ぎた頃になりますと大分元気を取り戻すことが出来ましたのではないかと思います・・。
また、ここまで書いており不図思い起こしたことは同年11月初頭に開催されたインドネシアでの学会の投稿原稿を登山に向かう自動車の中にて師匠に(数人分)添削して頂いたことです・・(笑)。
この時登った山は、たしか大隅半島の高隅山あるいは周辺の横岳、平岳であったと記憶しております。
このように思い起こしてみますと、登山とまではいかないハイキング程度をも含めますと、それなりに数多く行っていたのではないかと思われます。
またその後、師匠、講座の先輩方が周囲からいなくなりますと、週末になると一人で原付にて「脇田」電停まで行き、そこから市電に乗り「天文館通」あるいは「いづろ通」まで出向き、そこから脇田、宇宿まで徒歩にて戻り、登山、ハイキングの代わりとしておりました・・。
こうした街歩きの場合、途中幾つか大型の書店などにも立ち寄ることが出来たため、これはこれで良かったとも思われます・・(笑)。
さて、ここまで書いており、不図、ここ最近の数回にわたる鹿児島での出来事を記したブログ記事、およびつい先日公表された三島由紀夫と外国人翻訳者との対談記録テープ内容に関連するのではないかと思われるゲーテ著「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」からの記述を以下に示そうと思い立ちました。
「小説でも戯曲でも、われわれが見るのは、人間の性質と行為とである。両者の差別は単に外形にあるのではない。
即ち一方では、人物が話をし、他方では、通常その人物について語られるというような点に、差別があるのではない。
だが、情けないかな、多くの戯曲は対話体の小説に過ぎない。これでは、戯曲を書簡体で書くこともできないことはない。小説では特に心情と事件とが現されねばならない。
戯曲では性格と行為とが現されねばならない。小説は徐徐に進行し、主人公の心情が、どんな方法によるにせよ、全体の急速な進展を引き止めるのでなければならない。戯曲は急ぐべきもので、主人公の性格は終局に向かってまっしぐらに進むべきであって、ただそれが食い止められているのでなければならない。小説の主人公は受動的であるべく、少なくとも甚だしく能動的であってはならない。戯曲の主人公には活動と行為とが望ましい。小説では偶然の働きを許すことはできるが、それは常に人物の心情によって導かれねばならない。
これに反し、人間の関与をまたず、独立した外的の事情によって不測の破局へ人間を駆って行く運命は戯曲にのみ存在する。偶然というものは愁嘆場をひき起こしはするが、悲劇的な情態を作り出すことはできない。これに反し、運命は常に恐ろしいものでなければならない。そして、罪のある、あるいは罪のない、互いに独立した行為を、不幸に結びつけるような場合には、運命は最も高い意味で悲劇的となる。こういう考察は再び、あの驚嘆すべきハムレットと、この作品の特性との考察にもどった。みんなは次のように言った。
この主人公は元来心情を持つだけである。また彼に起こって来るものは事件だけである。したがってこの戯曲には小説のように間ののびたところがある。しかし全体の結構は運命の描くところであり、全曲は恐ろしい行為から出発している。
また主人公はたえず恐ろしい行為に向かって駆り立てられている。したがってこの戯曲は最高の意味で悲劇的であり悲劇的結末に終わるほかないのである。」
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
そして、上に示した抜粋引用部と、さきに述べた事柄との関連性については如何お考えになるでしょうか・・(笑)?
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
さて、昨日投稿した記事に書いた通り2009年暮れ、および翌2010年はじめは実験(試料作製)にて明け暮れておりました。
そして2009年の仕事おさめの直前に、師匠から「おい、開聞岳に登らんか?」と尋ねられ、二つ返事にて、その年明け早々に開聞岳に登ることになりました。
開聞岳については以前投稿したブログ記事にて記しましたが、思い起こしてみますと鹿児島在住期間を通じ三度登ったのではないかと思われます・・。
そしてこの2010年1月での登山とは昨2009年11月の出来事によりあまり気勢が上がらず、おそらくそうした状態を見かねた師匠が誘ってくださったのではないかと思います・・。
登っている最中「どうや、やっぱり自然はええやろ?実験も楽しいけれど、そればかりではのお・・。」といった感じに時折話しかけてくださいました・・。
このような調子で登頂した開聞岳頂上は他の登山客もあまりおらず、冬の澄んだ空気にて、はるか南の方角に屋久島の宮之浦岳が望むことができました。
そして、この2010年とは、これを皮切りに師匠、講座の方々と登山に行くことが度々ありましたが、おそらく、そのお蔭で春を過ぎた頃になりますと大分元気を取り戻すことが出来ましたのではないかと思います・・。
また、ここまで書いており不図思い起こしたことは同年11月初頭に開催されたインドネシアでの学会の投稿原稿を登山に向かう自動車の中にて師匠に(数人分)添削して頂いたことです・・(笑)。
この時登った山は、たしか大隅半島の高隅山あるいは周辺の横岳、平岳であったと記憶しております。
このように思い起こしてみますと、登山とまではいかないハイキング程度をも含めますと、それなりに数多く行っていたのではないかと思われます。
またその後、師匠、講座の先輩方が周囲からいなくなりますと、週末になると一人で原付にて「脇田」電停まで行き、そこから市電に乗り「天文館通」あるいは「いづろ通」まで出向き、そこから脇田、宇宿まで徒歩にて戻り、登山、ハイキングの代わりとしておりました・・。
こうした街歩きの場合、途中幾つか大型の書店などにも立ち寄ることが出来たため、これはこれで良かったとも思われます・・(笑)。
さて、ここまで書いており、不図、ここ最近の数回にわたる鹿児島での出来事を記したブログ記事、およびつい先日公表された三島由紀夫と外国人翻訳者との対談記録テープ内容に関連するのではないかと思われるゲーテ著「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」からの記述を以下に示そうと思い立ちました。
「小説でも戯曲でも、われわれが見るのは、人間の性質と行為とである。両者の差別は単に外形にあるのではない。
即ち一方では、人物が話をし、他方では、通常その人物について語られるというような点に、差別があるのではない。
だが、情けないかな、多くの戯曲は対話体の小説に過ぎない。これでは、戯曲を書簡体で書くこともできないことはない。小説では特に心情と事件とが現されねばならない。
戯曲では性格と行為とが現されねばならない。小説は徐徐に進行し、主人公の心情が、どんな方法によるにせよ、全体の急速な進展を引き止めるのでなければならない。戯曲は急ぐべきもので、主人公の性格は終局に向かってまっしぐらに進むべきであって、ただそれが食い止められているのでなければならない。小説の主人公は受動的であるべく、少なくとも甚だしく能動的であってはならない。戯曲の主人公には活動と行為とが望ましい。小説では偶然の働きを許すことはできるが、それは常に人物の心情によって導かれねばならない。
これに反し、人間の関与をまたず、独立した外的の事情によって不測の破局へ人間を駆って行く運命は戯曲にのみ存在する。偶然というものは愁嘆場をひき起こしはするが、悲劇的な情態を作り出すことはできない。これに反し、運命は常に恐ろしいものでなければならない。そして、罪のある、あるいは罪のない、互いに独立した行為を、不幸に結びつけるような場合には、運命は最も高い意味で悲劇的となる。こういう考察は再び、あの驚嘆すべきハムレットと、この作品の特性との考察にもどった。みんなは次のように言った。
この主人公は元来心情を持つだけである。また彼に起こって来るものは事件だけである。したがってこの戯曲には小説のように間ののびたところがある。しかし全体の結構は運命の描くところであり、全曲は恐ろしい行為から出発している。
また主人公はたえず恐ろしい行為に向かって駆り立てられている。したがってこの戯曲は最高の意味で悲劇的であり悲劇的結末に終わるほかないのである。」
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
そして、上に示した抜粋引用部と、さきに述べた事柄との関連性については如何お考えになるでしょうか・・(笑)?
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年1月18日水曜日
20170118 「孤独な作業」について・・
本日の記事投稿により総投稿記事数が515記事になります。昨年12月はじめの500記事到達以来、これは早いものであるのかは、よく分かりません。
とはいえ、あまり先を急がず、且つ休み過ぎないで年半ばに至るまでに600記事に到達すれば良いのではないかと考えています。
さて、本日も多少帰宅時間が遅くなったため、ブログ記事の作製・投稿は止めておこうと思いましたが、昨日の記事投稿後の反応(読まれている記事の傾向)が大変面白かったことから、本日分の記事作成をはじめた次第です・・(苦笑)。
このことからも、これまで一連のブログ記事とは、こうした読んでくださっている方々の大変面白い反応により為されているこことが分かります・・(笑)。
また、そのように考えてみますと「さきに挙げた読んで頂いた方々が示す傾向・特徴が、如何なる経路・作用により自身の(新たな)記事作成意欲に結びついているのであろうか?」は、ほぼ当然のものとして感じ、そしてそれに基づいて行動してきましたが、考えてみますと、そこには、なかなか面白い「何か」が潜んでいるのではないかとも考えさせられます・・(笑)。
また、そのように考えてみますと、世に多く存在すると思われる、いわゆる「孤独な作業」とは、その孤独度において多寡があるものの、それら行為が何らかのカタチを為すものであれば、それは「絶対的な孤独」とはいえないものであり「誰かか見ているのではないか?」とも考えることができます・・。 『集合的無意識』
このことを書いていますと不図思い起こされることは2009年11月に兄が亡くなり、茫然自失としていた12月の講座の忘年会の帰路、鹿児島中央駅(西駅)近くにて、お師匠が『おい、がんばれい!必ず誰かが見ておるぞ!』と云われたことに触発されてか年末年始も一人で実験室に通い詰め最適と思われる試料作製に挑んでいたことでした・・。
それが功を奏したのか翌2010年には学会発表に適う程度の精度を持つ試料作製のメソッドを得ることが出来るようになったのかもしれません・・(笑)。
また、そこでさらに思い起こしたことは、試料を試作し、師匠の研究室に持っていき、その出来を見てもららいますと、おもむろに試料を窓際に置いてある実体顕微鏡の試料台に乗せ、ランプを点灯し、観察しながら評価を述べ「おおし、これで接着強さを測ってみい!」あるいは「よっしゃ上等、上等やってこい!」と云われ、意気込んで試験機まで持って行き、実験を行っていたことです・・(笑)。
そこで私もその真似をして、実体顕微鏡とまではいきませんでしたが、高倍率のルーペを購入し試料作製のさまざまな段階において観察を行うようになりました・・(笑)。
そして、こうした行為を重ねていきますと、先日のブログ記事にて述べた『ある程度多くの試料を見ておりますと、そのうちに向こう(試料)の方から何かしら語りかけてくるような感じがあるのではないかと思います・・。』といった感じになるのではないかと思います・・(これが高じるとD2病となる・・(苦笑))。
それ故、あらためて2010年秋とは、そうしたことを実感として感じていた時期であったと云えます・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
とはいえ、あまり先を急がず、且つ休み過ぎないで年半ばに至るまでに600記事に到達すれば良いのではないかと考えています。
さて、本日も多少帰宅時間が遅くなったため、ブログ記事の作製・投稿は止めておこうと思いましたが、昨日の記事投稿後の反応(読まれている記事の傾向)が大変面白かったことから、本日分の記事作成をはじめた次第です・・(苦笑)。
このことからも、これまで一連のブログ記事とは、こうした読んでくださっている方々の大変面白い反応により為されているこことが分かります・・(笑)。
また、そのように考えてみますと「さきに挙げた読んで頂いた方々が示す傾向・特徴が、如何なる経路・作用により自身の(新たな)記事作成意欲に結びついているのであろうか?」は、ほぼ当然のものとして感じ、そしてそれに基づいて行動してきましたが、考えてみますと、そこには、なかなか面白い「何か」が潜んでいるのではないかとも考えさせられます・・(笑)。
また、そのように考えてみますと、世に多く存在すると思われる、いわゆる「孤独な作業」とは、その孤独度において多寡があるものの、それら行為が何らかのカタチを為すものであれば、それは「絶対的な孤独」とはいえないものであり「誰かか見ているのではないか?」とも考えることができます・・。 『集合的無意識』
このことを書いていますと不図思い起こされることは2009年11月に兄が亡くなり、茫然自失としていた12月の講座の忘年会の帰路、鹿児島中央駅(西駅)近くにて、お師匠が『おい、がんばれい!必ず誰かが見ておるぞ!』と云われたことに触発されてか年末年始も一人で実験室に通い詰め最適と思われる試料作製に挑んでいたことでした・・。
それが功を奏したのか翌2010年には学会発表に適う程度の精度を持つ試料作製のメソッドを得ることが出来るようになったのかもしれません・・(笑)。
また、そこでさらに思い起こしたことは、試料を試作し、師匠の研究室に持っていき、その出来を見てもららいますと、おもむろに試料を窓際に置いてある実体顕微鏡の試料台に乗せ、ランプを点灯し、観察しながら評価を述べ「おおし、これで接着強さを測ってみい!」あるいは「よっしゃ上等、上等やってこい!」と云われ、意気込んで試験機まで持って行き、実験を行っていたことです・・(笑)。
そこで私もその真似をして、実体顕微鏡とまではいきませんでしたが、高倍率のルーペを購入し試料作製のさまざまな段階において観察を行うようになりました・・(笑)。
そして、こうした行為を重ねていきますと、先日のブログ記事にて述べた『ある程度多くの試料を見ておりますと、そのうちに向こう(試料)の方から何かしら語りかけてくるような感じがあるのではないかと思います・・。』といった感じになるのではないかと思います・・(これが高じるとD2病となる・・(苦笑))。
それ故、あらためて2010年秋とは、そうしたことを実感として感じていた時期であったと云えます・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年1月17日火曜日
20170117 20110311の記憶から・・
A「これまでしばらく2010年の出来事について記しておりましたが翌年の2011年3月には東日本大震災が発生しました・・。
この時も私は鹿児島におりました。
また震災当日は金曜日であり、加えて当地では徐徐に陽気が良くなっている頃でもあったことから講座の先輩等と県内の温泉に向かっているところでした・・。
到着後、温泉脱衣所に設置してあるテレビの前に多くの人々が集まっていることから「何ごとであろう?」と、その間から観ますと、どうやら東北、関東にて大規模な地震が発生したことを知りました。
そして、それぞれの関東在住の親類、知人などに電話にて連絡をとり、また車内にてラジオを聞いてみますと、関東はともかく東北の特に太平洋岸はどうやら大きな被害を受けているらしいということが分かりました・・。
以上のような過程にて私は東日本大震災のことを知った次第です。
その後、福島県在の原子力発電所における大震災からの影響の推移、報告などが報道されると講座の方々は、その理工学の知識に基づき推論をされ「報道されている内容がおかしいのではないか・・?」といったことを述べられておりましたが、このことは後日、ほぼ同様の内容を他の理工学関係の方もまた仰っていたことから、ある程度の専門知識があれば、それは「おかしい」と感じることが出来る内容であったことが分かりました。 『炉心溶融』
『合金の液相点』
しかし、当時の私は自身の研究内容およびそれに関連する事柄以外の専門知識的なことはあまり分からず、ただ、それらのハナシを肯定的に聞いていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
とはいえ、そうしたハナシとは実際のところ、声を大にして、コトバを尽くして説明したとしても「空気を読まないけしからん言説!」として結果的に排除されるのが我が国社会の全般的な特徴といっても良いのではないでしょうか・・?
また、そのように書いておりますと、こうしたことは何も理工学系の知識に限らず人文社会科学系学問からの見地から出た主張においても(より一層)同様の過程を経ることが多いのではないかと思われます・・。 『三島由紀夫』
つまり、いつの頃か、いやあるいは昔から我が国とは、表面上においては学問的なもの全般を大切に扱うような「そぶり」は見せるものの、そうした(学問的)見地に基づいた意見、主張を実際に納得して聞き入れる、取り入れるといったことは、生死、健康に関与する医学的なもの以外は「殆どない」といって良いのではないでしょうか・・?
『豊洲地下水』
そして、それが我が国の極度に此岸的あるいは即物的と見做される一つの根源ではないかと思われます・・。
あるいはそれを擁護するならば、そうした(短絡的とさえいえる)心的態度を保持し続けなければ、さまざまな段階における激しい内部競争にて生き残ることが困難であるのが、我が国社会の特徴であるのかもしれません・・。
とはいえ「それらをどうにか改善させる何か良い方法があるのか?」と問われましたら現在のところ「それはよく分かりません・・今後の課題といたします・・」といってお茶を濁すことくらいしか出来ません・・(苦笑)。
それでも、このことを考えてみますと「それは小学校あるいはそれ以前の段階にて自然発生的に生じるスクールカーストにその淵源は既にあるのではないか?」と考えつつも、その一方において「いや、そうしたことはあまり干渉してはいけないことではないか・・」とも考えてしまうのです・・。
これは一体何故でしょうか・・(笑)?
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
この時も私は鹿児島におりました。
また震災当日は金曜日であり、加えて当地では徐徐に陽気が良くなっている頃でもあったことから講座の先輩等と県内の温泉に向かっているところでした・・。
到着後、温泉脱衣所に設置してあるテレビの前に多くの人々が集まっていることから「何ごとであろう?」と、その間から観ますと、どうやら東北、関東にて大規模な地震が発生したことを知りました。
そして、それぞれの関東在住の親類、知人などに電話にて連絡をとり、また車内にてラジオを聞いてみますと、関東はともかく東北の特に太平洋岸はどうやら大きな被害を受けているらしいということが分かりました・・。
以上のような過程にて私は東日本大震災のことを知った次第です。
その後、福島県在の原子力発電所における大震災からの影響の推移、報告などが報道されると講座の方々は、その理工学の知識に基づき推論をされ「報道されている内容がおかしいのではないか・・?」といったことを述べられておりましたが、このことは後日、ほぼ同様の内容を他の理工学関係の方もまた仰っていたことから、ある程度の専門知識があれば、それは「おかしい」と感じることが出来る内容であったことが分かりました。 『炉心溶融』
『合金の液相点』
しかし、当時の私は自身の研究内容およびそれに関連する事柄以外の専門知識的なことはあまり分からず、ただ、それらのハナシを肯定的に聞いていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
とはいえ、そうしたハナシとは実際のところ、声を大にして、コトバを尽くして説明したとしても「空気を読まないけしからん言説!」として結果的に排除されるのが我が国社会の全般的な特徴といっても良いのではないでしょうか・・?
また、そのように書いておりますと、こうしたことは何も理工学系の知識に限らず人文社会科学系学問からの見地から出た主張においても(より一層)同様の過程を経ることが多いのではないかと思われます・・。 『三島由紀夫』
つまり、いつの頃か、いやあるいは昔から我が国とは、表面上においては学問的なもの全般を大切に扱うような「そぶり」は見せるものの、そうした(学問的)見地に基づいた意見、主張を実際に納得して聞き入れる、取り入れるといったことは、生死、健康に関与する医学的なもの以外は「殆どない」といって良いのではないでしょうか・・?
『豊洲地下水』
そして、それが我が国の極度に此岸的あるいは即物的と見做される一つの根源ではないかと思われます・・。
あるいはそれを擁護するならば、そうした(短絡的とさえいえる)心的態度を保持し続けなければ、さまざまな段階における激しい内部競争にて生き残ることが困難であるのが、我が国社会の特徴であるのかもしれません・・。
とはいえ「それらをどうにか改善させる何か良い方法があるのか?」と問われましたら現在のところ「それはよく分かりません・・今後の課題といたします・・」といってお茶を濁すことくらいしか出来ません・・(苦笑)。
それでも、このことを考えてみますと「それは小学校あるいはそれ以前の段階にて自然発生的に生じるスクールカーストにその淵源は既にあるのではないか?」と考えつつも、その一方において「いや、そうしたことはあまり干渉してはいけないことではないか・・」とも考えてしまうのです・・。
これは一体何故でしょうか・・(笑)?
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年1月16日月曜日
20170116 再度2010年秋の出来事について・・
ここ最近2010年の出来事を思い出し、ブログ記事に書いておりましたが、本日不図思い出したのは同年の10~11月頃に講座のある方の発案により、師匠および講座の方々と鹿児島市内照国神社に厄払いの祈願に参拝したことです・・。
丁度この時期とは2010年のノーベル化学賞受賞者が発表され、そこに邦人研究者が2名含まれていることに喜んでいる時期でもありました。
ともあれ照国神社に厄払い祈願のため参拝しますと、お神酒として頂いたのが焼酎であったことに師匠が驚かれ「おおい!鹿児島ではお神酒も焼酎やぞ!」と周囲の弟子共に話されていたことを思い出します・・(このハナシは不思議なことに後の福岡在住時での雑談と妙に符合しました・・(笑))。
この頂いた焼酎は、その晩、師匠のご自宅で皆で頂くことになりましたが、その時私は飲まず、運転手役であったと記憶しております。
また、このお神酒の焼酎を頂いた晩、師匠のご自宅にて観たニュース番組が、さきの邦人研究者2名を含むノーベル化学賞の受賞でした・・。
そのように思い起こしてみますと、この時期とは、さきのブログ記事に記したことをも含め、さまざまな出来事があったことがあらためて認識されます・・(笑)。
さらに、ここまで書いていてまた思い起こしたことは、おそらくこれと同じ時期に講座にてトマト鍋パーティを行ったことです・・。
この時の鍋パーティーは当地名産の豚・鳥のブランド肉をふんだんに使用し、なかなか贅沢であり、また、その味もまた用いた材料に相応しいものでした・・。
ともあれ、そのようなことを思い起こしてみますと、修士院生の頃もよく週末の夜半、市内の中華そば店に度々、思い付きのように出向いていたこともまた同様に思い起こされます・・(笑)。
それに加え、さきの鹿児島での鍋パーティー、師匠ご自宅の酒盛りなどに共通して「何が面白かったのか?」と現在になり考えてみますと、おそらく、それは、その「会話」であったのではないかと思われるのです・・。
現在、あのような会話が為されることは殆どなく、その意味において日々の生活を幾分味気ないとも思うこともあります。
しかしながら、そうした環境、場の良さとは、現在であるからこそ、はじめて、その価値が分かるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。
とはいえ、正直なところ、再度そうしたリベラルな(学究の)環境に身を置きたいとは考えております・・。
そして、再びまた、そうした環境に身を置くことになれば、以前よりかは幾分賢明に処することが出来るのではないかとも思います・・(苦笑)。
おそらくご承知の通り、私は元来あまり賢明とはいえない性分であり、上記に記した経験のように、一つ一つ身体で認識していかなければ、理解することが出来ない性分ではないかと思われます・・(苦笑)。
しかしまた、以上全てを振り返り省みて、そうしたことをこのように記す行為とは、果たして賢明なことなのであろうか?とも、不図考えてしまうのです・・(苦笑)。
また同時にこの調子ですと再度昨年のような頻度にてブログ記事を投稿するとになりそうですので今後また多少投稿の頻度を控え、具体的には、春が訪れ気温が暖かくなり、コートがいらなくなる頃までに600記事に到達することを目標とします・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
丁度この時期とは2010年のノーベル化学賞受賞者が発表され、そこに邦人研究者が2名含まれていることに喜んでいる時期でもありました。
ともあれ照国神社に厄払い祈願のため参拝しますと、お神酒として頂いたのが焼酎であったことに師匠が驚かれ「おおい!鹿児島ではお神酒も焼酎やぞ!」と周囲の弟子共に話されていたことを思い出します・・(このハナシは不思議なことに後の福岡在住時での雑談と妙に符合しました・・(笑))。
この頂いた焼酎は、その晩、師匠のご自宅で皆で頂くことになりましたが、その時私は飲まず、運転手役であったと記憶しております。
また、このお神酒の焼酎を頂いた晩、師匠のご自宅にて観たニュース番組が、さきの邦人研究者2名を含むノーベル化学賞の受賞でした・・。
そのように思い起こしてみますと、この時期とは、さきのブログ記事に記したことをも含め、さまざまな出来事があったことがあらためて認識されます・・(笑)。
さらに、ここまで書いていてまた思い起こしたことは、おそらくこれと同じ時期に講座にてトマト鍋パーティを行ったことです・・。
この時の鍋パーティーは当地名産の豚・鳥のブランド肉をふんだんに使用し、なかなか贅沢であり、また、その味もまた用いた材料に相応しいものでした・・。
ともあれ、そのようなことを思い起こしてみますと、修士院生の頃もよく週末の夜半、市内の中華そば店に度々、思い付きのように出向いていたこともまた同様に思い起こされます・・(笑)。
それに加え、さきの鹿児島での鍋パーティー、師匠ご自宅の酒盛りなどに共通して「何が面白かったのか?」と現在になり考えてみますと、おそらく、それは、その「会話」であったのではないかと思われるのです・・。
現在、あのような会話が為されることは殆どなく、その意味において日々の生活を幾分味気ないとも思うこともあります。
しかしながら、そうした環境、場の良さとは、現在であるからこそ、はじめて、その価値が分かるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。
とはいえ、正直なところ、再度そうしたリベラルな(学究の)環境に身を置きたいとは考えております・・。
そして、再びまた、そうした環境に身を置くことになれば、以前よりかは幾分賢明に処することが出来るのではないかとも思います・・(苦笑)。
おそらくご承知の通り、私は元来あまり賢明とはいえない性分であり、上記に記した経験のように、一つ一つ身体で認識していかなければ、理解することが出来ない性分ではないかと思われます・・(苦笑)。
しかしまた、以上全てを振り返り省みて、そうしたことをこのように記す行為とは、果たして賢明なことなのであろうか?とも、不図考えてしまうのです・・(苦笑)。
また同時にこの調子ですと再度昨年のような頻度にてブログ記事を投稿するとになりそうですので今後また多少投稿の頻度を控え、具体的には、春が訪れ気温が暖かくなり、コートがいらなくなる頃までに600記事に到達することを目標とします・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年1月15日日曜日
20170115 年代記的な事柄を記すにあたり思うこと・・
A「先日ブログ記事にて記した2010年の出来事とは、その後の2011年に入り、多少は自身に対しても影響を与えたようであり、各々の期間に撮影された自身の写真などを見ますと、何かしら異なった印象を受けます・・。
そして、このように多少年代記的に自身のことを書いてみるのもまたなかなか面白いものであることが理解できました・・(笑)。
こうしたことは日常生活においてあまり意識することはないと考えますので・・。
また、そのように考えてみますと時間の経過とは、一般的に云われるように残酷であると同時に、意識してみますとなかなか面白いこともまたあるようにも思われます・・(笑)。
さて、こうしたことを書いておりますと、想起されるのはトーマス・マン著「魔の山」であり、この著作においては、主人公が従兄のいるスイス・ダヴォスの療養所を訪れてからの数カ月間に多くの文量が割かれ、それに対し、その後、療養所を去るまでの期間はどちらかというと飛び石的に描かれております。
このことは、著者自身その著作内にて意識の流れと関連させ述べており、またトーマス・マンに心酔していた北杜夫も、その著作「楡家の人びと」のなかで、さきのトーマス・マンと類似した見解を述べておりました・・。
とはいえ、こうした意見、見解が普遍的であるかどうかは分かりませんが、私にとっても2009~2013年の鹿児島在住期間においては、たしかにその前半といえる2009~2010年の期間においてさまざまな出来事が大挙して生じており、この意見、見解にある程度合致しているといえます。
それに比して、後半である2011~2013年とは、どちらかというと前半の期間に生じた出来事から派生、対応するようなカタチで、また、さまざまな出来事が生じていたように思えます・・。
とはいえ、こうしたことは畢竟、感覚的なことでありますので、その判断(実際にそうであるのか?)とは、なかなか難しいように思いますが、さて如何でしょうか?
しかしながら、ヒトはこうした年代記に類することを述べる際、たとえ無意識あるいは結果的であったとしても、上記のような何かしらの観念的な基軸あるいは物語のスジといったものを採用しなければなりません・・。
そうでなければ、それは単なるグラフ的な年表といえるでしょう・・。
そのように考え、私の鹿児島在住期間を当て嵌めてみますと、前半に生じた出来事を後半に生じた出来事に対応させるカタチにて述べるのが適当ではないかと思われるのですが、そのような場合、どうも記述の手法において心もとなさをおぼえるため難しいように思われるのです・・(苦笑)。
また、個人的には後半である2012年以降に生じた出来事の方が自身に与えた影響は大きかったのではないかとも思われますので、それぞれ記しながら、その都度、それらの関連性について示唆していくのが適当ではないかと考えるに至ります・・。
ともあれ、今後もまた、機会がありましたら、それら期間での出来事を記していきたく思います。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
そして、このように多少年代記的に自身のことを書いてみるのもまたなかなか面白いものであることが理解できました・・(笑)。
こうしたことは日常生活においてあまり意識することはないと考えますので・・。
また、そのように考えてみますと時間の経過とは、一般的に云われるように残酷であると同時に、意識してみますとなかなか面白いこともまたあるようにも思われます・・(笑)。
さて、こうしたことを書いておりますと、想起されるのはトーマス・マン著「魔の山」であり、この著作においては、主人公が従兄のいるスイス・ダヴォスの療養所を訪れてからの数カ月間に多くの文量が割かれ、それに対し、その後、療養所を去るまでの期間はどちらかというと飛び石的に描かれております。
このことは、著者自身その著作内にて意識の流れと関連させ述べており、またトーマス・マンに心酔していた北杜夫も、その著作「楡家の人びと」のなかで、さきのトーマス・マンと類似した見解を述べておりました・・。
とはいえ、こうした意見、見解が普遍的であるかどうかは分かりませんが、私にとっても2009~2013年の鹿児島在住期間においては、たしかにその前半といえる2009~2010年の期間においてさまざまな出来事が大挙して生じており、この意見、見解にある程度合致しているといえます。
それに比して、後半である2011~2013年とは、どちらかというと前半の期間に生じた出来事から派生、対応するようなカタチで、また、さまざまな出来事が生じていたように思えます・・。
とはいえ、こうしたことは畢竟、感覚的なことでありますので、その判断(実際にそうであるのか?)とは、なかなか難しいように思いますが、さて如何でしょうか?
しかしながら、ヒトはこうした年代記に類することを述べる際、たとえ無意識あるいは結果的であったとしても、上記のような何かしらの観念的な基軸あるいは物語のスジといったものを採用しなければなりません・・。
そうでなければ、それは単なるグラフ的な年表といえるでしょう・・。
そのように考え、私の鹿児島在住期間を当て嵌めてみますと、前半に生じた出来事を後半に生じた出来事に対応させるカタチにて述べるのが適当ではないかと思われるのですが、そのような場合、どうも記述の手法において心もとなさをおぼえるため難しいように思われるのです・・(苦笑)。
また、個人的には後半である2012年以降に生じた出来事の方が自身に与えた影響は大きかったのではないかとも思われますので、それぞれ記しながら、その都度、それらの関連性について示唆していくのが適当ではないかと考えるに至ります・・。
ともあれ、今後もまた、機会がありましたら、それら期間での出来事を記していきたく思います。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
20170114 2010年の出来事について・・
本日の首都圏は大変気温が低く、これまでとはまた異なった感じの寒さを感じさせました。
また、最近投稿したブログ記事に関しては何故か2010年のことを扱ったものが多かったことから、この年の出来事を思い起こしてみますと、この時期は所用により色々と移動をしていたことが分かりました・・。
おそらく友人が鹿児島に訪ねて来て頂いたのが9月頃であり、その後10月はじめ、東海地方にて学会が開催(この際、熱田神宮に講座先輩院生の方々と参拝した)され、それに出席、発表し、そして鹿児島に戻った翌日には師匠と講座の方々で韓国岳(2010・10/11)に登っておりました・・(笑)。
さらに翌月の11月初頭は学会発表にてインドネシアのジョグジャカルタに行っておりました・・。
そして、このインドネシアへの行き来の旅中とはムラピ山の大規模な噴火により、なかなか波瀾に富むものでありました・・。
ちなみにこの旅では関西国際空港から飛行機が飛ぶため、鹿児島を出発し、大阪なんばにて一泊することになりましたが、このインドネシアへの出立の前夜(なんばにて一泊する日)南海電車にて南下し、何の目的もなく和歌山市駅まで行き、夕刻のぶらくり丁を徘徊し、刺田比古神社に参拝したことが思い出されました・・(笑)。
ついでながら、この旅中読んでいた書籍は、訪問国と物語の主要な舞台が同一であることからローレンス・ヴァン・デル・ポスト著「影の獄にて」(「A Bar of Shadow」)を選んでおりました・・。
ともあれ、このようにあらためて思い起こしてみますと、この時期2010年の後半とは、さまざまな出来事が大挙して押し寄せてきたような感じがあったように思われます・・。
また、それは続く2011、2012年の前哨戦のようなものであったのかもしれません・・(笑)。
これらの年のことは、また後日、機会があった際、想起すると思われますが、これらもまた自身にとってはなかなか重要な年々でした・・。
特に講座の先輩院生方が修了され、私一人が院生として講座に在籍していた2012年以降とは、現在になり考えてみますと、大変ではありましたが、それ以上に得るものもまた大きい期間であったのではないかと思います・・。
そして、そのように考えてみますと、果たして現在の私とは、その時(2012年~)に比べ成長しているのであろうか?と考えてしまうのですが、こうしたことを考えてみても、当時とは色々と局面が異なるため、あまり意味はないのではなかろうかと思い、とりあえず、こうした疑問は棚上げしておこうと思うに至ります・・(苦笑)。
しかし、一つおそらく成長していると思われることは、こうした文章を継続的に書くということであると思われます・・。
とはいえ、これもまた自身の内的な必要(衝動に近い)に迫られて継続しているものであり、その意味において、単にその衝動の質、相が異なるものになっただけとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。
そして、それは成長や進化といったいわゆる前向きなものであるとは決して言い切れません。
無論、逆もまた然りではありますが・・。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
また、最近投稿したブログ記事に関しては何故か2010年のことを扱ったものが多かったことから、この年の出来事を思い起こしてみますと、この時期は所用により色々と移動をしていたことが分かりました・・。
おそらく友人が鹿児島に訪ねて来て頂いたのが9月頃であり、その後10月はじめ、東海地方にて学会が開催(この際、熱田神宮に講座先輩院生の方々と参拝した)され、それに出席、発表し、そして鹿児島に戻った翌日には師匠と講座の方々で韓国岳(2010・10/11)に登っておりました・・(笑)。
さらに翌月の11月初頭は学会発表にてインドネシアのジョグジャカルタに行っておりました・・。
そして、このインドネシアへの行き来の旅中とはムラピ山の大規模な噴火により、なかなか波瀾に富むものでありました・・。
ちなみにこの旅では関西国際空港から飛行機が飛ぶため、鹿児島を出発し、大阪なんばにて一泊することになりましたが、このインドネシアへの出立の前夜(なんばにて一泊する日)南海電車にて南下し、何の目的もなく和歌山市駅まで行き、夕刻のぶらくり丁を徘徊し、刺田比古神社に参拝したことが思い出されました・・(笑)。
ついでながら、この旅中読んでいた書籍は、訪問国と物語の主要な舞台が同一であることからローレンス・ヴァン・デル・ポスト著「影の獄にて」(「A Bar of Shadow」)を選んでおりました・・。
ともあれ、このようにあらためて思い起こしてみますと、この時期2010年の後半とは、さまざまな出来事が大挙して押し寄せてきたような感じがあったように思われます・・。
また、それは続く2011、2012年の前哨戦のようなものであったのかもしれません・・(笑)。
これらの年のことは、また後日、機会があった際、想起すると思われますが、これらもまた自身にとってはなかなか重要な年々でした・・。
特に講座の先輩院生方が修了され、私一人が院生として講座に在籍していた2012年以降とは、現在になり考えてみますと、大変ではありましたが、それ以上に得るものもまた大きい期間であったのではないかと思います・・。
そして、そのように考えてみますと、果たして現在の私とは、その時(2012年~)に比べ成長しているのであろうか?と考えてしまうのですが、こうしたことを考えてみても、当時とは色々と局面が異なるため、あまり意味はないのではなかろうかと思い、とりあえず、こうした疑問は棚上げしておこうと思うに至ります・・(苦笑)。
しかし、一つおそらく成長していると思われることは、こうした文章を継続的に書くということであると思われます・・。
とはいえ、これもまた自身の内的な必要(衝動に近い)に迫られて継続しているものであり、その意味において、単にその衝動の質、相が異なるものになっただけとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。
そして、それは成長や進化といったいわゆる前向きなものであるとは決して言い切れません。
無論、逆もまた然りではありますが・・。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
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