2018年4月24日火曜日

20180423 主に書籍からの抜粋引用 岩波書店刊 吉見俊哉著 『大学とは何か』より

先日より読み進めていた新書も去る土曜日に読了しました。その著作は岩波書店刊 吉見俊哉著 『大学とは何か』であり、読んでいる際に何度か読み進むのを止めて考えさせられました・・。
これまで当ブログにて述べてきたことではありますが、自身は元来が人文社会科学系の人間であり、そこから、高等教育において教養教育を大事にした方が良いとは考えているのですが、しかしそれは、現在の我が国においては困難であるように思われるのです・・。

おそらく現在の大学が持つ一般的な傾向は、将来において役立つ専門的知識の獲得に主眼が置かれ、また、それはそれで正しいとは考えるのですが、ただ、それのみに、いくらか近視眼的にピントを合わせ過ぎているのではないかとも思われるのです・・。

しかしまた、他方で、少子化が進み、学生数全体が減少している昨今の状況においては、大学においても、市場をめぐる企業のように、何か一つの顕著な傾向・動きが生じると、それを基軸として競争のようなものが否応なく生じ、そして、その中で孤高を保つことは実質的に困難であると思われますので、仕方がないのかもしれませんが・・。

そして、そのように考えてみますと『では大学とはそもそも一体誰のものか?』といった根本的な疑問が生じてくるわけですが、それについて面白い記述がありましたので、以下に抜粋引用しようと思います。

岩波書店刊 吉見俊哉著 『大学とは何か』pp.235‐236より抜粋引用
『この半世紀に及ぶ大学改革で問われ続けたのは、「大学はだれのものか」という問題だった。かつての帝国大学では、この問いへの答えは明白だった。大学は国家のためのもので、それはすなわち天皇のためのものだった。新制大学で、当然ながらこの前提は否定された。それでは戦後、大学は「国民のため」のものになったのか。しかし、戦後の大学を特徴づけてきたのは私立大学の利益目的の大拡張であり、理工系の規模拡大であった。
その結果、大量の品質保証された「会社員」や「技術者」が養成された。つまり戦後の大学が貢献したのは、経済成長に突き進む企業社会であった。それなら大学は、「天皇」のものから「企業」のものになったのか。しかし、他方で大学は、企業が求める有用性からはずれる教養知を保持し続けた。そのような知を擁護してきたのは大学教師たちであったから、大学はその教師たちのためにあったことになるのだろうか。彼らは、国家という主人が消えた大学で、自ら主人となったのだろうか。

六〇年代末の学生の叛乱は、これらのいずれとも異なる仮説を立てた。彼らからすれば、大学は学生のもの」だった。
たしかに、バリケードのなかの「もう一つの大学」は、学生たちのものであった。しかし、四六答申も、永井の公社化構想も、大学を学生たちのものだとは考えていない。学生は大学の不可欠の担い手だが、大学は彼らだけのためにあるのではない。学生が大学の主人であるとすると、かつての「闘う学生」の時代はともかく、八〇年代の「消費する大学」の時代には、大学は移り気な消費者のためのサービス財になってしまう。

だから大学が、単に国家のものでも、産業界のものでも、教師たちのものでも、さらには学生たちのものでもないとするならば、大学はいったい誰のものなのか。

すでに見たように、カントやデリダ、あるいは南原繁など、近代的大学概念の転換点に直面した思想家たちは、この問いに一定の答えを与えてきた。彼らが主張したのは、何らかの人類的普遍性である、大学はこれまでも何度かの危機に際し、目前の関係者の利害を超える普遍的な価値を標榜してきた。そして中世から近代への境目、あるいは現在のように、この価値への信憑が失われるとき、大学は重篤な危機に直面してきた。

この普遍的な価値への志向を保持し続ける限りにおいて、大学は完全には法人になりきることができないが、しかし法人としての大学は、そのような価値を顕示し、それに支えられるのでないと、どこにでもある知識サービス産業と変わらないものになってしまう。社会に適合した法人の持続可能なマネジメントと普遍的価値への奉仕、この両面を未来の大学はいかに組み合わせていくべきだろうか。』


さて、なかなか考えさせられる文章ではないでしょうか?

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年来より現在に至るまでに列島各地にて発生した、あるいは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5






2018年4月22日日曜日

20180422 常軌を逸した衝動を持ちつつ角の取れた文章を書き続けようと試みること・・

昨日投稿分の記事は思いのほか多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。そこで選んだ主題は現在の我が国社会においては特に相応しいのかもしれませんが、しかし、歴史とは一面において、まさしく、そうした世代交代と社会勢力図の変遷そのものであるとも云えます。そして、その中で繰り返される旋律のようなものを認識し、それを如何なる形式であれ表出することが、人文社会科学系学問全般の根源にある大きな衝動であると考えます。

以前にも述べたことですが、それは詩歌、物語、論文いずれの形式であれ構わないのですが、そこで大事なことは自身の考えを精確に述べることであり、そうすることにより、その考えは有機的なものとして積層・蓄積してゆき、そして時を経て、その考えは新たな段階・相に至ることが出来ると思われるのです。

その意味において、このブログは有意義であり、当初と比較しますと、少なくとも文章としてはいくらかは読み易くなり、また、その述べるところも、公正中立であるとは云えないでしょうが、多少は角が取れてきたのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・(笑)?

しかしまた、ここで大事なことは、文章において角が取れてくるのは良いのでしょうが、しかし、そもそも文章を作成し、それを公表するという行為は、職業での必要性を除いては、いくらかは常軌を逸したものであり、また、自覚の有無に関わらず、そうした(常軌を逸した)衝動により、こうした個人ブログなどは継続されているということです・・(笑)。

文章の角が取れることは結構なことなのでしょうが、同時に文章には顕れない内面にて、常軌を逸した衝動を保持し続けることも文章作成の継続では、かなり重要であるように思われるのです・・。

これまで記事作成を継続して、ある程度明瞭に思うことは、たしかに、さきに『衝動』と評した『勢い』らしきものなしにブログ記事作成を含めた継続的な文章の作成は困難であるということであり、くわえて、この『衝動』がある程度継続出来たとしても、それに対しての読み手の存在が皆無であれば、その衝動の継続もまた困難になってくるだろうということです。

その意味において今後、自身が1000記事の到達であれ、3年間のブログ運営が為されたとしても、それはこれを読んでくださっている方々のおかげでもあるのです・・。

また、おそらく常軌を逸しているであろう自身が、必死に角が取れた文体を目指しつつ、装いつつも、その考えることろを精確・正直に述べようとする行為の中に他者から見て、如何なる面白さがあるのかよく分かりませんが、それでも、さきに述べたように読んでくださっている皆さまのおかげにて、ここまで継続することが出来ています・・。

そして、自身の文体の獲得もまた、このあたりの事情と何らかの関連があるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年来より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全確保、諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

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2018年4月21日土曜日

20180421 眠いなかで思ったこと・・世代交代による社会勢力図の変化?

ここ最近どうも眠いことが多いのは、よく聞く五月病によるものなのでしょうか?考えてみますと、たしかにこの時期は、季節が冬ベースから本格的に春ベースになる時期であり、この季節の変化への身体的な対応が為される過程により、こうした現象が生じるのではないかと思われます。

さて、本日もまた、さきに述べたように電車内においても眠く、それでも先日から読んでいる新書は、ある程度読み進み、読了まで余すところ20頁程になりました。眠くはあっても興味を持ち読み進めている著作を読む際は、やはり多少正気になり集中し、そして背筋もいくらか伸びているように思われます。しかし、面白いことに私の場合、集中して書籍を読んでいますと、キーボード前での当ブログの作成と同様に徐々に前かがみの猫背気味になってくるのです。そこで時折我に返り、再び背筋を伸ばしてから再開するのですが、この癖はなかなか治らないようです・・(苦笑)。

また、本日は休日ということもあり、これまでにも比較的ブログ記事を読んで頂いているのですが、そのなかでもとりわけ『大岡昌平「俘虜記」およびその他について』が多く読んで頂いており、その原因について考えてますと、昨日投稿分の記事内容にあるのではないかと思われました・・。

そして偶然ではあるのですが、昨今読み進めている他の一冊が新潮選書 松本健一著『三島由紀夫と司馬遼太郎「美しい日本をめぐる激突」』であり、この著作もまた、つい先日読了した中公新書 吉田裕著『日本軍兵士』と関連性があるように思われます。それは、両作家(三島由紀夫・司馬遼太郎)それぞれの思想的な相違の基層にあるものは、太平洋戦争時の経験によるものが大きいといった、ある程度一般化し得る言説が、その結節点になるものと思われます。

ともあれ、ここまで書いており、面白いと感じたことは、太平洋戦争にて悲惨な経験をされた世代の著述家の方々が、この十年あたりで徐々に亡くなられていくに伴い、我が国社会の変に偏った右傾化・国粋化主義的な傾向もまた徐々に強くなっていったと思われることであり、これは端的には世代交代による社会勢力図の変化であると云えるのですが、ただ危惧されることは、そうした我が国社会にて生じている変化が、如何なる世界情勢での変化の歯車に噛み合う、対応するかということであり、その点について明治維新から太平洋戦争に至るまでの70年あまりを参照して考えてみますと、どうも現在もまた、さきの70年と同様、あまり良い方向には噛み合う、対応しているように思われないのですが、さて如何でしょうか・・? 

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年から現在までに列島各地にて発生したあるいは現在発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全の確保、諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

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20180420 日常性における相違から地域性が看取される

本日は帰宅が遅く、また目標とする5月内での1000記事到達まで若干の余裕があることから、記事作成をやめようと考えましたが、本日以降もまた、こうした日がないとは断言出来ないことから、半ば惰性のようにして記事作成を開始した次第です(苦笑)。

さて、天候に関しては本日は良い陽気であり、日中はかなり温暖であったといえますが、しかしやはり日が翳ってきますと急激に気温が下がり冷涼となり、今後しばらくは春物のコートをしまうことが躊躇されます。他方、南九州でのこの時期四月後半は、既に気温も大分上がり、暑いと感じる日が徐々に増えてきた頃であったと記憶しています。
そして、当地でのこの時季は半袖シャツの上に以前も当ブログにて書いた薄手のファティーグ・ジャケットをよく着用していましたが、当時よく着用した一着はさすがにボロボロになりましたので捨ててしまいましたが、これは以前も書きましたが、和歌山市のぶらくり丁はずれの洋品店にて購入し、以降数々のフィールド・ワーク、千葉県市川市に戻ってからの日用大工に用いました。そしてその頃から、いい具合に色が落ち、ペンキのハネなども付いてクタビレてきましたので、さらに頻繁に用いるようになりましたが、こうした古着のジーンズに対するような審美感覚は、国内においても普遍的ではないようであり、その後鹿児島にてこれを着用していますとミリタリー・ジャケットを着ている≒右側の方々、あるいは、ペンキのハネがある色落ちしたヨレヨレ気味のジャケットを着用している≒粗雑な感性の持ち主という評価に収束し易い傾向があることを知るまでに多少時間がかかりました・・(苦笑)。

そして、その点においては少なくとも関西南部地域(大阪府南部・和歌山県)は事情が異なるようであり、特に和歌山においては『タキシードとジャンパー』というコトバがあるくらいに、ハレとケの衣服が画然とされ、また余程のことがなければ、ハレの衣服を着用する習慣がないことから、当地の男性の日常的な服装から、その背景をも安易に判断することは困難であるといえます。また、同時に、そうした文化土壌の地域であったことから、自身もさきのファティーグ・ジャケットを当地在住の期間、違和感なく着用出来ていたのかもしれません・・(余談となりますが和歌山県では古代より続く国造家があり、ある意味で我が国全体の縮小図を見ている感じがありました。)。

ともあれ、それは人の評価において、見た目以上の何かを大切にしているのか、あるいは単に実用一辺倒の価値観の所産によるものか分かりませんが、こうした日常性における価値観の相違から、計測可能な数値的なものとは異なるものの、ある程度明瞭にそれぞれの地域性らしきものの輪郭が一部ではあれ見えてくると思われるのですが、さて如何でしょう?そして、こうした認識や判断において重要なことは記憶であり、個人の記憶を現在の損得に基づく打算による同調圧力にて封殺しようと試みるのは、国内・国際双方における我が国のお家芸であると昨今は国際的にもある程度認知されるようになってきたのは、おそらくインターネット・PCによる、さまざまな情報の記憶技術の進化発展によるものが大きいのではないかと思われます。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

霧島連山の硫黄山の噴火が沈静化しつつあるとのことですが、今後も近隣の方々のご無事を祈念します。

過去数年より現在に至るまでに列島各地において発生したあるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全の確保、諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

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2018年4月20日金曜日

20180419 文章を作成する背景・基層にある意識・記憶について

当記事を含めて38記事作成投稿することにより総投稿記事数が1000記事に到達します。おそらくそれは来月末頃になると思われますが、同時にその後しばらく6月22日(確認できる最も古い記事が2015年6月22日の投稿であった。)まで続けることにより、当ブログは3年間継続したことにもなります。1000記事という記事数の区切りも重要ではありますが、同時に3年間の継続も達成可能であれば、達成してみたいと考えています。そのため、今後1000記事まで到達し、数日間休んだ後、記事作成を再開し6月22日まで継続してみようと思います。

以前聞いたコトバで『ブログは1000記事書くと何かが変わる』もしくは『ブログは3年間継続すると成功する』といったものがありましたが、現在においても当初と比べれば変わったと思われますし、また、現在の当ブログも成功しているとは決して云えませんが、雑記的な内容の記事が多い割には、多くの方々に読んで頂いているのではないかと思われます。そして、これがさきの1000記事の到達、3年間の継続により更に変わる、成功するのであれば『とりあえずそこまで継続する』といった程度の野心は、むしろ健全であると考えます。

さて、先日来より電車内にて読み進めている新書も、おそらく今週中に読了に至ると思われますが、そこから気が付いたことですが、電車内にて読んでいる著作は、あまりその他の場所では読まないということであり、家に居る時などは、また異なった分野の著作を読んでいると云えます。そして、この家に居る時に読む著作に関しては、特に季節が温暖になってきますと、古代史特に古墳関連の著作の頁を開くことが多くなると云え、それがおそらく作成するブログ記事の内容に対してもいくらか反映しているように思われます。

自身にとって温暖になり活性が上がるにつれ、この分野の著作を読む傾向があることは、その背景・原因が分からないにしても、なかなか興味深いことであり、心理学的な見地からしますと、何らかの意味を見出すことが出来るのかもしれません・・(笑)。

また、この古代史・古墳関連の著作を読む際は、その背景もしくは基層となる記憶には西日本の気候風土があると云えます。そしてさらには、自身がこれまでに曲がりなりにも文章を書き続けることが出来ている背景・基層にもまた西日本の気候風土による何らかの大きな作用があるように思われるのです。こうした要素はおそらく各人各様の事情が思われますが、自身の場合、それが西日本であるということになるのです・・。そしてもしも今後自身が西日本に住むことになった場合、自身は何を背景・基層として文章を書くことが出来るようになるのでしょうか・・(笑)?

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

新たに霧島連山の硫黄山が噴火したとのことです。近隣の方々のご無事を祈念します。

近年から現在までに列島各地にて発生したあるいは現在発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全の確保、諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

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2018年4月19日木曜日

20180418 目途が立つことと 抽象的・具象的なことについて

本日の首都圏は終日雨模様であり、また気温も上がらず、さながら季節が一月程前に戻ったようでした。また明日は天気は晴れ、気温も日中20℃程度まで上がるとのことですが、こうした気温の大きな変動はなかなか面倒なものがあります・・(苦笑)。

その一方、当ブログは、昨日の記事投稿により、総投稿記事数も961に至り、残すところ40記事未満の投稿にて1000記事へ到達します。未だ1000記事に当達していませんが、それでも現在の調子にて記事作成を今後しばらく継続することは、これまで作成してきた期間と比較しますと、そこまでの困難を伴うものではないと思われることから、何と云いますか1000記事到達までの目途がある程度立ったように感じらるのです。とはいえ、もちろんこれにて楽観視することは出来ませんが、ただ端的に、1000記事への到達が現実味を帯びてきたということになるのでしょうか?

思い返してみますと、かつて200~500記事程度を作成していた時期は、100記事毎の区切りが、かなり大きく、そして嬉しく感じられ、500記事への到達の際は嬉しさのあまり、なかなか寝付けなかった記憶があります(笑)。しかし、そこからの更なる記事作成の継続に伴い、この喜びの感情は減衰していき、最近に至っては作成記事数のことを忘れていることすらあります・・(苦笑)。しかしそれでも、どうにか記事作成は継続出来ていますので、こうした感覚の変化・推移もまた、一つのブログ記事作成の継続に伴うものであり、また、それはさまざまな行為に付随する『慣れ』の感覚の一種であるようにも思われます。とはいえ、現在はさきに述べたように、ある程度大きな区切りへの到達であっても、それに伴う喜びの感情はあまり湧出してきませんが、それでも実際に1000記事にまで達してみますと、突然それが変わるようなこともあるのでしょうか?いずれにせよ、こうしたことは実際に経験してみなければ理解できないと思われますので、何はともあれ、今後もしばらくは記事作成を継続してみます。

そういえば、現在読み進めている新書はあれからいくらか頁が進み、近代以降の我が国における高等教育を主とした教育制度について述べられていますが、以前の欧米における大学制度の記述と比べますと、格段に読み進む速度が上がり、おそらく近日中に読了すると思われます。

この著作は以前にも述べましたが、その興味深いと思われた記述を抜粋引用してみようと考えています。また、そして現在も初等・高等教育が関与する案件にて国が多少揺れているようですが、こうした著作からの抜粋引用にて、わずかではあれ、そうした現今の問題に対し、歴史的背景を据えて考えてみる一つのきっかけにでもなれば良いのではないかと思います。

とはいえ、さきに述べたように教育に関する案件にて、国内が騒がしい時に、将来その主役となるべき子供たちについてはあまり聞くことがないのは、さすがに自動車・機械といった工業製品、あるいは土木工事などのハード・ハコモノの製造・建造などにおいて優れた才能・手腕を発揮する我が国らしいといえば、そうであるようにも思われるのですが、さて、如何でしょうか(笑)?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまで、列島各地にて発生、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被災された(されている)諸地域のインフラの復旧そしてその後の復興を祈念しています。


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2018年4月18日水曜日

20190417 何かを格好いいと思うに至る起源について トレンチ・コートから

本日の首都圏は夕刻前より雨が降りはじめ、また気温の方も日暮れに伴いグンと下がったように思われます。さらに明日は寒くなるとのことですので、本日着用のコートにライナーを着けて出ようと考えています。

そうしたことから、ライナーにて暖かさを調節出来るコートはなかなか合理的で便利であり、特にこの時季に用いるのに適しているのではないかと思われます。

現在自身が用いているそうしたコートは、厚手のコットンとポリエステル混紡布地のトレンチ・コートであり、元来軍用の死蔵品(デッド・ストック)であったことから頑丈であり、なかなか重宝しています。また、昨今街を歩いていますと、男女問わず多くトレンチ・コートが着用されており、このコートは現在流行しているように見受けられます。

しかし、その名称が示すようにトレンチ・コートは塹壕戦が一般的になった第一次世界大戦時における英国軍の軍服が起源であり、それが世界各地の一般社会にまで広がってきたものです。また、社会にて広く着用され、認知されるようになった後も、当初は主に男性用の衣服として認識されてきました。我が国においても、最近に至るまで『このコートは男性が着用するもの』といった認識があったのではないかと思われます。

また自身は日本人であり、起源の地である欧州の人々と人種・体型が異なることから、このコートは似合わないと考え、興味を持つことはありませんでした。しかし、数年前に突如として『なるほど、我々日本人でもトレンチ・コートが似合う人もいるものなのだな・・』と考えを改めるに至りました。もちろん、そうした変化が生じるためには、契機といったものが必要であり、自身にその契機をもたらしたのは、体型が(理想化されがちな)欧米人に近いスマート・スリムな方々ではなく、身長も決して高くなく、さらにその体型はどちらかと云うと小太り気味のずんぐりとした方々でした。さらに、そのように感じたのは自身のみではなかったようであり、その時周囲にいた、より若い方々もそのように感じていたことを後になり聞きました。

もう一つの契機は、さきとほぼ同年代の方であり、こちらの方がより日常的にトレンチ・コートを着用されているといった感じがあり、その着慣れた感じが、どうも日本人離れして且つ本質を掴んでいるように感じられた次第です。

ともあれ、こうした契機により、トレンチ・コートを見直すのと同時にある格好を『カッコいい』と感じさせる本質とは一体何であるかと考えるに至りましたが、これはイマイチ分からず、ただ、体型などとは多少次元が異なる発散する一種の雰囲気のようなものが少なからず関与しているのではないかと思われました・・。

しかしながら、おそらく我々が日常的に用いる『ファッション』といったコトバには、こうした個々人で異なる雰囲気といったものは考慮せず、あくまでも即物的・唯物論的・マニュアル的もしくは悪くすれば物神崇拝的なニュアンスをも含まれているようにも感じられます。また、そうしますと、そこで新たに構築された(ある意味独自の)位相・価値観といったものが自然発生的に枝分かれして生じて行くのかもしれませんが、しかし、おそらく、そうしたことを繰り返す・常とする文明は、世界規模において独創的にして普遍的なものを創造するといったことが徐々に困難になっていくように思われる(ガラパゴス化の起源の一つ?)のですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに列島各地にて発生、もしくは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害により被災された(されている)諸地域の各種インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しています。


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