2018年4月18日水曜日

20190417 何かを格好いいと思うに至る起源について トレンチ・コートから

本日の首都圏は夕刻前より雨が降りはじめ、また気温の方も日暮れに伴いグンと下がったように思われます。さらに明日は寒くなるとのことですので、本日着用のコートにライナーを着けて出ようと考えています。

そうしたことから、ライナーにて暖かさを調節出来るコートはなかなか合理的で便利であり、特にこの時季に用いるのに適しているのではないかと思われます。

現在自身が用いているそうしたコートは、厚手のコットンとポリエステル混紡布地のトレンチ・コートであり、元来軍用の死蔵品(デッド・ストック)であったことから頑丈であり、なかなか重宝しています。また、昨今街を歩いていますと、男女問わず多くトレンチ・コートが着用されており、このコートは現在流行しているように見受けられます。

しかし、その名称が示すようにトレンチ・コートは塹壕戦が一般的になった第一次世界大戦時における英国軍の軍服が起源であり、それが世界各地の一般社会にまで広がってきたものです。また、社会にて広く着用され、認知されるようになった後も、当初は主に男性用の衣服として認識されてきました。我が国においても、最近に至るまで『このコートは男性が着用するもの』といった認識があったのではないかと思われます。

また自身は日本人であり、起源の地である欧州の人々と人種・体型が異なることから、このコートは似合わないと考え、興味を持つことはありませんでした。しかし、数年前に突如として『なるほど、我々日本人でもトレンチ・コートが似合う人もいるものなのだな・・』と考えを改めるに至りました。もちろん、そうした変化が生じるためには、契機といったものが必要であり、自身にその契機をもたらしたのは、体型が(理想化されがちな)欧米人に近いスマート・スリムな方々ではなく、身長も決して高くなく、さらにその体型はどちらかと云うと小太り気味のずんぐりとした方々でした。さらに、そのように感じたのは自身のみではなかったようであり、その時周囲にいた、より若い方々もそのように感じていたことを後になり聞きました。

もう一つの契機は、さきとほぼ同年代の方であり、こちらの方がより日常的にトレンチ・コートを着用されているといった感じがあり、その着慣れた感じが、どうも日本人離れして且つ本質を掴んでいるように感じられた次第です。

ともあれ、こうした契機により、トレンチ・コートを見直すのと同時にある格好を『カッコいい』と感じさせる本質とは一体何であるかと考えるに至りましたが、これはイマイチ分からず、ただ、体型などとは多少次元が異なる発散する一種の雰囲気のようなものが少なからず関与しているのではないかと思われました・・。

しかしながら、おそらく我々が日常的に用いる『ファッション』といったコトバには、こうした個々人で異なる雰囲気といったものは考慮せず、あくまでも即物的・唯物論的・マニュアル的もしくは悪くすれば物神崇拝的なニュアンスをも含まれているようにも感じられます。また、そうしますと、そこで新たに構築された(ある意味独自の)位相・価値観といったものが自然発生的に枝分かれして生じて行くのかもしれませんが、しかし、おそらく、そうしたことを繰り返す・常とする文明は、世界規模において独創的にして普遍的なものを創造するといったことが徐々に困難になっていくように思われる(ガラパゴス化の起源の一つ?)のですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに列島各地にて発生、もしくは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害により被災された(されている)諸地域の各種インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
ISBN978-4-263-46420-5



2018年4月17日火曜日

20180415 昨日投稿記事から思ったこと 背景学問の重要性について・・

昨日の天気予報によると本日は終日降雨とのことでしたが、結局のところ夜に至るまで雨は降りませんでした。また、昨日投稿の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。しかしながら、当記事は作成はしてみたものの、その内容が、これまでにブログ記事として述べた内容と異なることから、上手く書くことが出来たように思われません。

傾向として、当ブログでは、我が国の近現代史であれば概ね戦前・戦中までを題材として扱い、そしてその中から看取された特徴・傾向などを現代社会に照らし合わせ、記事として述べてきたと云えます。そして、昨日記事にて、はじめて戦後冷戦期を題材として記事を作成しました。また、書いた後になり気が付いたことですが、おそらく当記事作成の背景には先日読了したサミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』そして同じくDVDにて観たスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』からの影響があったのではないかと思われます。特に後者映画作品に関しては最近映画を観る習慣が乏しくなった中で久しぶりに観ましたが、かなり面白く、以前に好んで観たフレデリック・フォーサイス原作の映画とも通じる部分が少なからずあるように思われました。

ともあれ、そうした自身の近況と昨日、地中海東岸某国にて生じたことが反応し、昨日の記事作成におよんだと云えますが、しかしながら、その記事はさきにも述べた通り上手く書けたように思われないのです・・(苦笑)。また、そうした実感を通じ、これまでに半ば当然のように作成してきた歴史を題材とした記事に関してもまた、機会を見つけ新たに再検討を行う必要性を考えるようになりました・・。また、それと同時にブログ記事といえども、ある程度確からしい内容を書くことを試みるのであれば、その分野における血肉化された知識・知見の重要さを改めて知りました・・(苦笑)。

さて、さきに挙げたスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』は冷戦期の国際情勢を知るために有益な一作であると思われ、出来ればロジャー・ドナルドソン監督の『13デイズ』そしてスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』あたりと一緒に観ることにより、さらにその理解は深まるものと思われます。しかしながら、こうしたことを書いておりますと、不図、文系分野での師匠の話し口調が思い起こされるのです・・(苦笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに列島各地において発生、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火など大規模自然災害により被災された(されている)諸地域の各種インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しています。



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20180417(0416分) 創造性を駆動させるための通過儀礼・・文体の獲得?

本日はインターネットにつながらない状態であることから、現在ワードにて本日分の記事作成を行い、明日昼頃に加筆修正をして当記事を投稿してみようと考えています。

本日の首都圏の天気に関しては日中においては日差しもあり、比較的温暖な一日と云えましたが、日が沈んだ夕刻頃から急激に寒くなったように感じられました。そのため、この時季はまだ上着が手放せないと云えます。

さて、一昨日(20180415)投稿分記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、そこから、時には歴史を扱った映画作品を紹介する記事を作成するのも悪くないように思われました。とはいえ、思い返してみますと、この方面での基礎的な知識は概ね、昨日分投稿記事にて述べた文系分野の師匠からのものであると云えます・・。かつて、この師匠との会話にて出てきた著作・映画作品を出来る限り読み、観て、そしてさまざまな場面にて意見を述べることにより、以前と比べれば、自分なりの考えらしきものを持つに至ったように思われます。しかし、現在あらためて考えてみますと、これまで我流にて、そうした活動を継続してきたつもりではあるのですが、果たしてその活動はどの程度自身を変化させ、成長せしめたのか?といった疑問が生じるのです。そして、この疑問について考えてみますと、それは、時折当ブログにて述べる自身文体の変化と同様、明瞭に実感・認識することは難しいものであるように思われるのです・・(しかし、当初よりそれを目的とすると、おそらく今度は変な方向に行くのではないかと思われる・・(それが現在の我が国?))。

他方、これまた同様に当ブログにて何度も繰り返していることではありますが、以前と比べてある程度明瞭に変化し、成長したと思われることは、当ブログの継続による文章作成の身体化であると云えます。

もちろん、そこには調子の波のようなものがありますが、それでも何かしら書き始めれば、ある程度の文量は作成することが出来るといった実感であり、これは文章内容・語句の簡潔さを重視する方々からしますと、無駄・余計なことと思われるのかもしれませんが、しかしながら、これも自身の感覚・実感に基づく意見ですが、我々の創造性は、始終、用いる文章・言語の簡潔さといった価値観にて拘束されていますと、次第に拘束内での文章・言語の作成の方へと注力するに至り、そして、肝心の創造性のための活力が減衰もしくは壊死してしまうのではないかと思われるのです。また、こうしたことは用いる言語体系の煩雑さなどもまた同様の効果を及ぼすのではないかとも思われます。しかし、それだからこそ、そうした言語を吸収・克服し、自身のものとする(身体化)ことを試みる価値があるのではないかとも思われるのです。そしてまた、それぞれの扱う言語を吸収・克服し得た状態こそが、まさしく文体の獲得ではないかと思われるのです。また、そのように考えてみますと、文体の獲得とは、創造性を駆動させるための通過儀礼の一つであるのかもしれないと思われてきましたが、さて如何でしょうか?

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年来より現在までに列島各地において発生、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火など大規模自然災害によって被災された(されている)諸地域の各種インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しています。




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2018年4月15日日曜日

20180414 具象と抽象もしくは物理的なるものと観念的なるもののギャップから生じること

本日の首都圏は早くより曇り、そして夕刻に至る頃には断続的に小雨が降るといった状況でした。また海外においては予断を許さない事態が生じているようですが、ここ極東では有効と思われる為す術もありませんので、このまましばらく事態の推移を静観する以外ないと思われます。

とはいえ、一国が行う対外的な軍事行動の実質的な目的が、その政権の支持層の拡大・維持を狙うようなものになれば、それはかなりマズい事態であるようにも思われます。

現在は冷戦期と異なり、二大強国によるいわゆる二極構造でもなく、世界はいくつかの文化圏を基軸としたブロック化といった様相を示していると云えます。その中では冷戦期の二大強国も、かつてほどの軍事力を背景とした強権に基づく世界秩序の維持は困難になると云えます。また、そうした状況がある程度継続し、世界レベルにて、その共通認識が定着した後で、たとえばかつての威信を取り戻そう(政権の支持層の拡大・維持を目的とした)、あるいは景気刺激策の一環として軍需産業の振興をはかる政権が誕生し、そして何らかの武力行使が妥当と内外に対し説明出来るような事態が生じたならば、その政権国家が軍事行動をとる蓋然性はおそらく冷戦期より高くなるのではないかと考えます。

それが冷戦期における自国陣営内での事態であれば、軍事行動・武力行使を行っても大きな問題として扱われることは少なく、また一方で、それが対立陣営内にて生じたのであれば、非難声明などは出すのでしょうが、しかし地政学的に重要な地域である場合を除き、軍事行動をとるにまでは至らず、対立陣営の盟主国が何らかの対応をして幕を閉じるといった事態が多かったのではないかと思われます。

しかしながら、現在はさきにも述べた通り、世界がブロック化しており、そのブロックもしくそれを構成する国々の軍事力といった物理的な力においては、それぞれかなりバラつきがあるのですが、その一方で、国際社会における、それぞれの立場とは、冷戦期以降の前世紀末から現在にまで至るまでの主にインターネットによる情報技術の飛躍的とも云える進化発展により、標準化・平均化されて認識されるようになったのではないかと思われるのです。これを異言しますと、実際の世界においては国・ブロック毎に冷戦期同様の軍事力のバラつきがある一方、我々がさまざまな認識を得る抽象的なインターネット空間においては、そうしたバラつきはあまり認識され得ず、またそれが平等であるといった言説も容易に生じ、そして国際的な見解として認知されるのですが、しかし、やはりさまざまな出来事はあくまでも現場にて起きるのです・・(笑)。

上手く表現出来たか分かりませんが、おそらくこれに類する作用機序、そしてそれを更に抽象化した構造・メカニズムに含まれる具象と抽象もしくは物理的なるものと観念的なるもののギャップこそが現在世界中にて生じているさまざまな出来事の大きな要因ではないかと思われるのです・・。

その意味において世界規模にて共有され得る抽象的、観念的なるものが乏しい我が国は、見方によれば幸せであるのかもしれませんが、しかし同時に、現在の多少変化が激しい時期が終わった後の世界における国際的な存在感はおそらく戦前もしくは冷戦期に比べ、薄くなっているのではないかとも思われるのです。

また、それを多少なりとも好転する方法が、将来の我が国を支える人々に対する教育、特に高等教育にあると考えるのですが、これについては以前も何度か当ブログにて述べてきましたので、そちらを御覧頂ければと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来、現在までに列島各地にて発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の諸インフラの復旧および安全確保そしてその後の復興を祈念しています。


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著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
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2018年4月13日金曜日

20180413 最近の活動について思ったこと・・

かねてより当ブログにて歯科医療機関を主とした求人情報を掲載していることとも多少関連がありますが、現在私はいくつかの活動を行い、それぞれの活動は歯科医療機関、歯科大学、大学歯学部そして歯科衛生士養成校(大学、短期大学そして専門学校)を主たる対象としています。もとより、それらは個人の活動であり、また他に行うこともあることから、その活動は制限されるのですが、それでも自身が行った活動が何らかの効果をもたらす、あるいは何かに結実することは嬉しいものであり、今後は、それらの経験を活かし更なる拡大再生産に結び付けることが出来ればと考えています。


しかし、同時に忘れてはいけないことは、そうした経験をさせて頂いたのも、日頃よりお世話になり、またはお邪魔してお疲れの中、相談に乗って頂いた方々がおられるからであるということです。また、そうして組み立てた計画を実行し、そこから何らかの反応があったり、あるいは先方にこちらの存在もしくは活動を認知していることなどを知らされますと、それもまた嬉しく、また同時に多少身が引締まる思いもします・・(笑)。

個人特定の要素を除き、そうした一つの具体例を述べますと、先日ある用件にて某歯科衛生士養成校(大学、短期大学そして専門学校のうちのいずれか)に電話をかけ、担当者に繋いで頂く際、電話越しの少し遠くなる音声で「**(私が関与している活動の一つ)さんの担当の方からお電話ですよ~。」と聞きとれました。その声色から察するに、特に面倒、邪険といった様子はなく、更に踏み込んで(想像をたくましくして)みますと、これまでに何度か話題となった対象といった響きがあるように感じ取られました。そして担当の方が出て、改めて用件をお伝えしたところ「ええ**(私が関与している活動の一つ)さんの活動は憶えていまして、先日こちらでお預かりした書類につきましては年度が改まりましたので、また新たにお送り頂くことになりますが、よろしいでしょうか?」といった感じでした。

そしてつい先日、新たに書類を作成して先方にお送りしましたが、その後直ぐに今度は他の歯科衛生士養成校(大学、短期大学そして専門学校のうちのいずれか)より別件でのお問い合わせを受け、対応させて頂きました。こうしたことは集中するような性質があるのかイマイチよく分かりませんが、もう少しこうした活動を継続してみようと考えています。また、これまで就職支援活動、医院、研究室等見学のご案内は、結果的に伝手による歯科医師からのお問い合わせのみでしたが、歯科衛生士養成校の学生さん、専攻生、院生の方々で、そうした希望をお持ちの方々からのお問い合わせがあった場合も同様に対応させて頂きます。

もちろん、これまで通り歯科医師からのお問い合わせも対応させて頂きます。またこれらに関してはSNSからのお問い合わせでは対応いたしかねますので、下記メールアドレスまでご連絡頂ければと思います。そして、今後とも草の根的な歯科医療を中心としたIR活動(最近覚えたコトバです(笑))を行うつもりですので、どうぞ遠慮なくお問い合わせ頂ければと思います。

conrad19762013@gmail.com(アドレス内@を半角英数に替えてください。)

そして今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年来から現在に至るまで列島各地にて発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の各種インフラの復旧および安全確保、そしてその後の復興を祈念しています。



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20180412 閲覧者数の変遷、自身ブログおよび文章、文字について

かれこれ三年近く当ブログを運営しており、当初は1日の閲覧者数が10人にも届きませんでしたが、その後徐々に閲覧者数は増え、また急激に増えるというわけでもなく、ここ最近では1日の閲覧者数は凡そ400~1000人程度となっています。この閲覧者数が多いのか少ないのかは分かりませんが、自身の感覚としては『ブログ記事内容の割には多くの方々に読んで頂いているのではないか・・』といったところです。時折、他の人気があるブログを閲覧させて頂きますが、そうした記事の真似は到底出来なさそうに思われ、今後もこの調子にて、とりあえずキリの良い1000記事まで作成し続けるほかないように思われます・・(笑)。

また首尾よく1000記事まで到達することが出来ましたら、是非とも1ヶ月ほどブログ記事の作成を休んでみようと考えています(笑)。そして、これが一体どのような効果をもたらすのか検証してみようと思います・・(笑)。とはいえ、よくよく考えてみますと、自身は現在においてもほぼ毎日、当ブログ記事作成以外で合計して1日に1000文字程度の文章は作成していると思われます。それはメールの作成、返信などが主なものですが、それに加えて今後はもう少しハガキ・手紙などで文章を書いてみようと考え付きました。それはつい先日所用にてペンにて文章を作成していたら、その文字が我ながら下手なことに驚いたからです・・(苦笑)。元来自身は文字が上手ではありませんが、それでもある程度書き続けていれば、もう少しはまともな文字を書くことが出来ると思われるのです・・。また、文字の上手さに関しては、自身の歯科理工・文系の師匠は共にどちらかといえば悪筆の部類であり、そのことから、時折聞くことがある『文字が下手な人は教育水準が低く人間的にも問題がある』といった見解は、単なる偏見に属するものであると考えています。

とはいえ、であるからといって、文字の上手い方々を批判するわけではありませんが、事実とはむしろその反対の傾向があり独創性のある才能、卓越した学識を持つ方々は特に個性的な文字、表現を変えると悪筆の方が多いのではないかと思われるのです・・。また、そのように考えてみますと、ここからもまた、表層・外見(のみ・ばかり)を評価の基準とする古来から我が国が連綿として持つ性質・傾向を見出すことが出来るのではないかと思われます・・。

また、そうした性質・傾向とは書かれる言語に対してだけでなく、話される言語においても、主に評価の基準となるのは、その内容よりも口調であり、そうした世の中では丁寧な口調にて虚偽の内容を堂々と、もしくは平然と、押し出しも良く明朗に話すことが出来る、身だしなみの良い方々の方が好感を以て受け入れられるのかもしれません・・(笑)。

いや、もしかすると現在の我が国社会にて生じていること、およびそれらの報道とは、大きな意味でのバカ発見器のようなものであるのかもしれませんが、それは自国民度に対する過大評価なのでしょうか・・(笑)。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来、列島各地において発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の諸インフラの復旧および安全確保そしてその後の復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5






 









2018年4月12日木曜日

20180412 中央公論社刊 岸田秀著「ものぐさ精神分析」pp.255-257より抜粋引用

中央公論社刊 岸田秀著「ものぐさ精神分析」pp.255-257より抜粋引用
ISBN-10: 4122025184
ISBN-13: 978-4122025189

『エリクソンがさかんにアイデンティティの確立ということを説いているが、このアイデンティティなるものも、たとえば自分の土地に自分の家を建てるような具合に、自分の人格のなかに一つの実態的存在として構築できるわけのものではない。わたしがほかならぬこのわたしであるということの根拠は、わたしのうちにはない。わたしがわたしであることを支えているのは、わたしが属する集団の共同幻想であり、わたしがわたしであることを、わたしの性質、考え、身分、地位、能力などがかくかくであることを他の人びとが認めてくれているからにほかならない。この支えが崩れれば、わたしのアイデンティティは一瞬にして瓦解する。

さきにわたしは、幼児は多形妄想的であると言ったが、実をいえば、おとなだって大して変ってはいないのである。いわゆる正常なおとなとしての人格は、その多形妄想、その私的幻想の一部分の共同化によってかろうじて支えられているに過ぎない。いわば、大きな紙を数個のピンで壁にとめているようなもので、そのピンが外れれば、たちまち紙は落っこちてしまう。わたしの見解によれば、精神分裂病と呼ばれているところのものは、多い形妄想の再現または再現の途中の状態である。あるいは、その再現を防止しようとする必死の努力である。我々は誰でも、我々の超自我および自我、アイデンティティまたはセル・フイメージが、われわれの属する集団の共同幻想による支えを失えばたちまち精神分裂病となるであろう。

したがって、ある個人の属する集団のメンバーが全員一致して、当の個人を精神分裂病者にしようと思えば、理論的にはそれは可能であろう。彼が彼自身について、世界について抱いているさまざまなイメージ、感情、観念などを、単に間違っているとか、不道徳だと非難するのではなく、どうしてそう思えるのか見当もつかない、とんでもないたわごとと見なし、そのレベルでの彼とのコミュニケーションをいっさい断ち、そしてかつ、彼には本当と思えない架空のイメージ、感情、観念のレベルでなら、コミュニケーションに応じるのである。このレベルでなら、彼に対してどれほどやさしく献身的につくしてやってもよい。つまり、集団の共同幻想と彼の私的幻想とを切り離す、いいかえれば、彼の私的幻想の共同化を阻止し、それが共同化されたものでないところの共同幻想を押し付けるのである。彼の人格は二重構造を持つようになるだろう。つまり、集団に受け容れられるために押し付けられることに甘んじた共同幻想と、共同化を目指して挫折し続ける私的幻想との二重構造である。レインの用語を借りれば、前者が外的自己、後者が内的自己である。この二重構造ができれば、精神分裂病の発病の条件は整ったわけで、そのうち彼は押し付けられた共同幻想をかなぐり捨てて、その私的幻想を噴出させるだろう。

実際問題としては、おとなの個人に対してこのような企てが成功するのは、非常に難しいであろう。おとなは一般に、一つの限られた集団だけに属しているのではないから、彼の属する集団のメンバーが全員一致してそんな芝居を打つなんてことはなかなか起こり得ないであろう。また、こういうことは意識的に芝居を打つつもりでやったのでは、うまくゆかない、少なくとも意識的には、そうすることが正しいのだと思い込んでいる必要がある。したがって、実際にこういうことが可能なのは、個人がまだ幼児期にあって家族という狭い集団しか知らないときだけであろう。

精神分裂病の治療の場合は、これと逆のことをやればよいわけである。病者の私的幻想を共同化(病者と治療者との関係において)した形の擬似現実を提供し、その擬似現実を、一般社会で現実とされているところの擬似現実にだんだんと近づいてゆけばよい。そして、病者の私的幻想を社会の共同幻想に共同化するところまでもってゆけばよい。』