2018年2月6日火曜日

20180205 総閲覧者数30万人を目前にして・・【対話形式】

A「たしか先月20日あたりにこれまでの総閲覧者数が29万人に到達し、そしておそらく本日か明日あたりには、これが30万人に到達するのではないかと思われます。」

B「はあ、1月20日からでしたら、まだ20日も経っていないですね・・そこで1万人の増加となると、ここ最近の閲覧者数は多かったようですね。」

A「ええ、あまり意識することはありませんでしたが、多い日は1000人に到達したこともあり、1月全体では1万5千人以上の方々に閲覧して頂きました。」

B「それは、なかなかスゴイことのように思われるのだけれど、そこから何か変わったこと感じられるようなことはありましたか?」

A「いえ、それがこれまでに全くといって程に無く、自身としても『本当にそれだけの方々に読まれているのだろうか?』と多少疑わしく思うくらいですがBloggerはそうした数字をあまり水増ししないということでしたので、まあ、本当にそれだけの方々に読まれているのではないかと考えています・・。」

B「まあ、我々日本人はそういったところでは変に奥ゆかしいところがあるし、いやむしろ突然ブログの感想らしきことを云われても君の場合はうろたえるんじゃないかな?(笑)」

A「・・ああ、なるほど、それはたしかにそうであるかもしれませんね・・(苦笑)。しかし、考えてみてください、これで今日、明日中に総閲覧者数が30万人に到達しましたら、そうですね、それが全て日本人であるとすれば、大雑把に我が国の全人口の約400人に1人が私のブログを閲覧したということになりますので、それはそれで驚くべきことではないかと思われるのですが・・。」

B「まあ、おそらくそこまではいかなくて、読んでいる方々は定期的・継続的に読んでいると思いますので、実際はその百分の一程度の方々がAさんのブログのいわば固定客といったところではないでしょうかね・・?」

A「・・そうしますと、随分と少なくなりますが、それで数千人以上にはなりますので、私の作成するブログ記事の内容で、それだけの人数に読んで頂けるというのも、かなりスゴイのではないかと思われるのですが・・(苦笑)。」

B「・・たしかに君のブログは記事の主題にいくつかの種類があるようだけれども、分からない時は全く分からないし、面白い時はなかなか面白いこともあるからね・・まあ、その意味からも、たしかにそれだけ読まれていることは、案外スゴイことであるのかもしれませんね・・(笑)。」

A「ええ、そして、今後はとりあえず900記事まで書いてみて、様子を見ようと思っているのですが、しかし900記事まで書きますと、今度は1000まで書かざるを得なくなるのではないかと思います・・(苦笑)。」

B「うん、1000記事まで書けるのであれば書いてみたら良いのではないですかね?おそらくそれも人生初の経験で、上手くすれば何か面白いことが起きるかもしれませんし(笑)。」

A「・・そうですかねえ・・たしかにこれはこれで初の試みでもありますので、出来る限りは続けてはみたいとも思っていますがね・・しかし、やはりこの寒い時期はどうも、活性が落ちるのか文章を書くのがいささか面倒になるようです・・(苦笑)。ですから900記事に到達したら数日間休んでみようと考えているのです・・。」

B「まあ、それはどうぞご自由にすれば良いと思いますが、折角それだけの読んでくださっている方々がいるのであれば、やはりキリの良い1000記事まで書いてみた方が良いように思いますね・・。」

A「・・はあ、やはりそのようなものですかね・・(そうした返答をしつつAはかつて行った実験に用いた試料についてを心中にて想起していた・・)。

~以下2009年夏頃の鹿児島にて~

A「お呼びでしょうか?」

B「おお、実験中すまんな!それでオマエの実験の方はウマくいっとるのか?」


A「ええ、新しく入った研磨機はかなり良いですね!あれのおかげで効率的にジルコニアの鏡面研磨が出来ると思います・・あとはサンドブラストした表面と#1200まで研削した表面をそれぞれSEM観察を行って、次にそれらの平均的な表面粗さを計測して、XRDにかけてから、試料条件に陶材を築盛、焼成して接着強さを測定したいのですが、この段階が前回と同様なかなか難しいのではないかと思われます・・。」

B「・・ふむ、まあ平均的な表面の試料をぎょうさん作れるようになったんは大した進歩や、結構、結構。まあ接着強さの測定方法も、おいおい考えていけば、ええアイデアも浮かんでくるやろ、それでオマエは歯科技工士で鋳造用のバーナーと遠心鋳造機の使い方はもちろん心得ているやろ?」

A「はあ、一般的なバーナーと鋳造機でしたら大丈夫だと思います。あと、つい先日**先生からバーチカルタイプの遠心鋳造機の使い方を教わりました・・あれはなかなか珍しいモノですね、ただ、一歩間違えると攻城兵器のカタパルトになりそうですが・・。」

B「ほうか、ウチにそんな鋳造機があったのか?・・それとオマエは修士号持っとったな?」

A「はあ、分野は歯科理工とは関係ありませんが一応持っています・・いや、それでも鋳造に関しては、かつてのテーマと一脈通じるとも云えるのですが・・。」

B「なんじゃそりゃ?・・まあええ、それで**先生も承知しているんやがオマエは来週から学生実習の鋳造と一緒にロウ付けの方も見てくれ、詳細は**先生が教えてくれるはずや。」

A「ロウ付けですか?はい、それでしたらやらせて頂きます!・・それで機材に慣れるために実験室にあるバーナーをいじってみても良いですか?」

B「ああ、火には気いつけいよ。それと、大丈夫やと思うが**先生にちゃんと了解を取ってからやれえよ。」


今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨今、日本列島各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被災された諸地域の復興を祈念しています。

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2018年2月4日日曜日

20180204 我が国の近代化を下支えしたものとは・・『Japan』を代表するもの?

二年後の2020年に東京にてオリンピックが開催されること、近年、海外からの観光客が増加していることから首都圏、東京において『Japan』を謳った様々な宣伝が多くあるように思われます・・。

そうした宣伝、ポスターなどを見ますと明治近代化以降、現代に至るまでの我が国とは、諸外国との関係において自国『Japan』をどのように認識し、イメージしてきたのだろうかと考えさせられます。

徳川時代の我が国とは、多くサムライ、浮世絵、力士、芸者などによって象徴化されるようですが、はじめのサムライとは明治近代化以降は、文武の役人、教師などとなり我が国を支え、そして動かしました。

中でも特に職業軍人は往古の武士道を唱え、それをある種の理想・規範としました。

しかし1945年の敗戦の結果、これら職業軍人は廃され、文の方の役人と実業界の商工業者が残りました。彼らは敗戦後の平和を是とする社会において新たに力を注いだ富国政策の実施にあたりました。そして彼らは朝鮮戦争の勃発により生じた特需景気の波に乗り『Japan』を代表する顔ともなりましたが、そのがめつさから世界中にてあまり良い顔をされていなかったことは、現在の我が国、特に首都圏あるいは著名な観光地周辺に在住していれば自然と理解することが出来るのではないかと思われます。

一方、徳川時代の農村・農民は、ある程度保護されてきましたが、後の明治近代化以降、富国強兵政策の踏み台、犠牲となってきたのは、常にこの地域・階層であったと云えます・・。

戦争が勃発し、兵士として多く召集されるのは、主にこの地域の青年達であり、また経済的不況ともなれば、そのしわ寄せを最も多く被るのもまた、この地域でした。

その一方で、経済的好況の恩恵は都市の方により多く齎され、地方・農村へは最も遅く、そして少なく齎されます。

こうした状況にあっては農村地域が長い歴史を経て築いてきた文化・伝統・活力などは次第に衰頽していき、また同時に我が国文化の根幹を支えてきた何か(規範・モラル?)もまた衰頽していったのではないかと思われます【昭和11年(1936年)に都心部にて発生したクーデターの指導者たちは、そうした状況を抜本的に変革し得る存在として帝を恃んでいたのではないだろうか・・?】。

おそらく明治近代化以降、現在に至るまで、この点においては変わることなく概ね歴代の政治はこれを食い潰し、無駄なエネルギーに変換させ発散するように導いてあるいは強いてきたのではないかと考えさせられることがあります・・。

おそらく、こうした精神の中にあると云える何か(規範・モラル?)を護ることを知らなければ、もしくは護ることをよしとする規範のようなものがなければ、たとえ表面的には繁栄を遂げようが、それは決して長く続くものではないようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年、日本列島各地にて生じた地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被災された諸地域の復興を祈念しています。

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20180203 888回目の投稿【最近の求職活動について】

888回目の記事投稿ということで、今回は昨今再開した大学職種公募への応募について書いてみようと思います。
私の場合、修士と博士にて専攻分野が異なり、またその経緯とは、少なくとも一般的とは云いかねることから端的にかなりキワモノであると云えます・・。
とはいえ、そうした私の持つ特性・背景とは、必ずしも全ての局面にてマイナスに作用するものでもなく、数は少ないでしょうが、また努力も必要でしょうが、自身の特性を生かすことが出来る職種はあると考えています。

また、この大学職種公募への応募活動は経験された方々は重々承知されていると思いますが、流れ的には、まずJREC-INサイトにて職種を検索し、その中で応募資格・仕事内容などから応募可能であると思われた職種を選択し、応募機関に電話・メールなどで連絡し、自身の背景概略をお伝えし、職務遂行が可能であるか、応募資格を満たしているかなどを確認し、応募を決めますと、必要書類の作成をはじめることになります。

一つの大学に提出する書類は少なくなく、たいていの場合、履歴書、職務経歴書、研究業績書、主要業績およびその要旨そして職務への抱負となります。また、大学により独自の書式があることが多く、一度作成したものを他の応募へ、そのまま用いることは難しいと云えます。

研究分野・職務内容等によって多少異なるかもしれませんが、公募件数全体は春から夏にかけて増えていき、また冬になってから、わずかに増えるといった傾向があるように思われます。

私の場合、書類を夜に作成し、翌日の外回りの際に郵便局から簡易書留にて発送することが多いのですが、この発送料がなかなかバカにならず、必要書類が多い公募への応募の場合は一件の発送にて1000円近くかかることもあります・・。

そして、多くの場合、書類発送から二週間ほど経ちますと結果が通知されるのですが、ほとんどの場合、封書にて送付されてきました。

これが薄い封筒であれば、その中身は、ほぼ紙一枚の不採用通知であり、また厚いものであっても発送した必要書類と一緒に不採用通知が入っていることも度々ありました・・。

これまで三ケタに手が届く程、こうした書類を作成、発送してきましたが、当初この不採用通知が届くと、かなり落ち込み、またそれがいくつか続きますと『自分は無価値な人間ではないだろうか・・?』といった考えが頭をよぎるようになります・・。

それでも、こうした経験とは、同じような道に進まれている方々は既に経験されていますので『ここで心が折れてしまっては元も子もない』と考え、自分を奮い立たせようと他の活動を試みるわけですが、これを行うことにより、たしかにいくらか早く落ち込みから回復するように感じられました。

また、こうした時の活動は『必死さ』らしきものが伝わるのか、良い結果をもたらすことも時折ありました・・。

そして、そうした時期のしばらく後、書類選考を通過して面接にまで呼んで頂いたこと(2017年11月)がありましたが、この時はかなり嬉しく感じ一人で変な踊りをしていたように記憶しています・・(苦笑)。

しかし、その後、書類選考を通過しても今度は面接に受からないのです・・。ある意味こちらの方が書類選考に落ちるよりも一層精神的にこたえ『自分の何がダメであったのだろう・・?自分はどこからも必要とされていない人間ではないか・・?』といった、より一層自虐的とも云える疑念が生じ、まさしく目の前が真っ暗になるといったような感じに陥るのです・・。

周囲のこうしたことを経験された方々からは『面接に呼ばれはじめるのは良い兆しである』と聞かされ、またそれは自身の経験からも肯定できるのですが、おそらく現在のここからは、まだもう少し先であるのではないかと思われます・・。

とはいえ、これまでに推薦書を書いてくださり、また照会先としてお名前・連絡先を拝借させて頂いた先生方は、毎回応募の度にお引き受けくださり本当に感謝しています。また今年一連のキャンペーンを最後にしますので、どうぞよろしくお願いします。

また、これを読んで頂いた皆さま、これまであまりブログ記事にて自身の求職活動を書くことはあまりありませんでしたが、今回888回目の記事ということで多少詳しく書いてみました。今後とも陰日向問わず応援して頂けましたら幸いです。

近年、日本列島各地において生じた地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被災された諸地域の復興を祈念しています。

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2018年2月3日土曜日

20180203 888記事到達を前にして【ブログ継続の根本にあるもの?】

昨日の首都圏にはまた雪が降り、一時はこのまま積もるのではないかと危ぶまれましたが、どうにか積もることはなく、また交通網に大きな影響もなく本日に至っているようです。

とはいえ、この足元からの寒さはあまり変わることなく、今後しばらくはこうした状況が続きそうですが・・。

さて、さきほど一連のブログ記事を眺めていますと投稿直後より多くの方々に読まれる記事がある一方で、投稿直後は、あまり多くの方々には読まれなかったものの、細々と継続的に読んで頂いている記事もあることがあらためて分かりました。

継続的に記事を作成していますと、時折、そうしたことが意識上に現れることがあります。

それでも何故、それらの記事が継続的に読んで頂いているのか、そして、それら記事を読んで頂いている方々とは毎回決まった方々であるのか、あるいは不特定、分散的であるのかということは、自身としては興味深く思うところではあるものの、それを認識するための術は残念ながらありません・・。
こうしたことはブログ記事の作成においては気にしても仕方のないことであるのかもしれませんが(苦笑)。

さて、多少ハナシが変わり、先月、おかげさまにて総閲覧者数が29万人に到達しましたが、今後おそらく数日のうちに30万人に到達するものと思われます。

万単位の人数となりますと、感覚的に把握することが可能な人数ではなくなり、何と云いますか、統計学的な数値としてしか認識出来なくなるようです・・(苦笑)。

そうしたことから、冒頭にて述べたことをも含め、こうしたこと(閲覧者の内訳・把握仕切れない閲覧者数など)は、総じて特に気にして仕方のないことであるのかもしれません。

その一方で、こうしたことは実際に観察された現象・事実であるとも云えるため、気にしなさ過ぎもまた、作成するブログ記事に対して何らかの良からぬ影響を及ぼすのではないかとも思われるのです・・(苦笑)。

くわえて、以前に述べたことではありますが、記事の作成においては緊張し過ぎない脱抑制のスタンス(精神の立ち位置?)を保持することが重要であると考えるのですが、それと同時に、矛盾するようですが、さきに述べたことを加味・考慮することもまた重要であるように思うのです。

しかし、こうしたことは斯様にコトバ・文章として述べることは特に難しくないのですが、それを『実行すること』にある程度の困難が伴うのではないかと云えます・・。

そして、おそらく、そのスタンスを保持しつつ文章作成を実行することは、まさしくそれを継続することによってのみ保持され、漸進的にあるいは鍾乳石の生成のように為されていくのではないかと思われるのです・・。

さて、そこまで書いており不図思い起こされたのが、あと2記事(今回の投稿を含めるとあと1記事)の投稿により8のゾロ目である888記事へ到達することです(笑)。

これまで、こうした区切りでの記事投稿と同様、あまりテンションは上がりませんが、一記事ずつ積み重ね、そこまで至っていることは、こうした機会の到来において多少は強く感じられるようであり、それは今後の記事作成への意欲へもまたいくらかは結び付くようにも思われます(笑)。

そしてまた、現在の投稿ペースを維持することにより今月半ば頃に900記事まで到達することもまた予測されますが、今後とも、あまり緊張することなく、また同時に脱抑制に過ぎることもないように、しばらく作成し続けますので、どうぞよろしくお願いします。

そして、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨今、列島各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被災された諸地域の復興を祈念しています。


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2018年2月1日木曜日

20180201 文藝春秋刊 夢野久作著『近世快人伝』pp.27-30より抜粋引用

文藝春秋刊 夢野久作著『近世快人伝』
pp.27-30より抜粋引用
ISBN-10: 4168130460
ISBN-13: 978-4168130465
『維新後、天下の大勢を牛耳って、新政府の政治と、新興日本の利権とを併せて壟断しようと試みた者は、所謂、薩長土肥の藩閥諸公であった。
その藩閥政治の弊害を打破るべく今の議会政治が提唱され初めたものであるが、そもそもその薩長土肥の諸藩士が、王政維新、倒幕の時運に参画し、天下の形勢を定めた中に、九州の大藩筑前の黒田藩ばかりが何故に除外されて来たのか、筑前藩には人物が居なかったのか。もしくは居るとしても、天下を憂い、国を想う志士の気骨が筑前人には欠けていたのかというと、ナカナカそうではない。
事実はその正反対で、恐らく日本広しと雖も北九州の青年ほど天性、国家社会を患うる気風を持っている者はあるまいと思われる。そうした事実は、明治、大正、昭和の歴史に出て来る暗殺犯人が大抵、福岡県人である実例を見ても容易に首肯出来るであろう。
維新前の黒田藩には、西郷南洲、高杉晋作に比肩すべき大人物がジャンジャン居た。流石の薩州も一時は筑前藩の鼻息ばかりを窺っていた位である。
有名な野村望東尼を仲介した西郷、高杉の諸豪は勿論、その他の各藩の英傑が盛んに筑前藩と交渉した形勢は筆者の幼少の時に屡々、祖父母から語って聞かされた事である。
但しそれ等筑前藩の諸英傑が、何故に維新以後、音も香もなくこの地上から消え失せてしまったかという、その根元の理由に考え及ぶと、筆者も筆を投じて暗然たらざるを得ないものがある。
 筆者の祖先は代々黒田藩の禄を喰んでいた者だから黒田様の事はあまり云いたくない。しかし何故に維新後に筑前閥が出来なかったか・・・という真相を明らかにするためには、どうしても左の二つの事実を挙げなければならぬ事を遺憾とする。
一, 当時の藩公が優柔不断であった事。
二, 黒田藩士が上下を問わず人情に篤く、従って藩公に対する忠志が、他藩の藩士以上に潔白であった事。
ところでここで今一つ、了解しておいてもらわねばならぬ事は、昔の各藩の藩士が日本の国体を知らなかった・・換言すれば昔の武士というものは、自分の藩主以外に主君というものは認識していなかった事である。
これは誠に怪しからぬ事で、今の人には到底考えられない、同時にあまり知られていない大きな事実で、同時に時節柄、御同様まことに不愉快な史実でもあり得るのであるが、しかしこの史実を認識しないで明治維新の歴史を読んでいると飛んでもない錯覚に陥る事がある。すくなくとも王政維新なる標語を各藩に徹底させるのが、どうして、あんなに骨が折れたのかと不思議の感に打たれるので、黒田藩では特にこうした傾向が甚だしかった事が窺われるようである。
そこへ藩公が優柔不断と来ているからたまらない。佐幕派が盛んになると勤皇派の全部に腹を切らせる。そのうちに勤皇派が盛り返すと今度は佐幕派の全部を誅戮する。そうすると藩士が又、揃いも揃った正直者ばかりで、逃げも隠れもせずにハイハイと腹を切る・・といった調子で、最初から一方にきめておけば、どちらかの人物の半分だけは救われたろうに、藩論が変わるごとに行き戻りに引っかかってバタバタと死んで行ったのだからたまらない。とうとう黒田藩の眼星しい人物は、ほとんど一人も居なくなってしまった。たまたま脱藩して生野の銀山で旗を挙げた平野次郎ぐらいが目っけもの・・という情けない状態に陥った。
しかし世の中は何が仕合せになるか、わからない。こうした事情で明治政府から筑前閥がノックアウトされたという事が、その後に於けると頭山満、平岡浩太郎、杉山茂丸、内田良平等々の所謂、福岡浪人の闊歩の原因となり、歴代内閣の脅威となって新興日本の気勢を、背後から鞭撻しはじめた。・・・何も、それが日本のために仕合せであったに相違ないと断定する訳ではない。随分迷惑な筋もあったに違いないが、しかしそうした浪人の存在が、西洋文化崇拝の、唯物功利主義の、義理も、人情も、血も、涙も、良心も無い、厚顔無恥の個人主義一点張りで成功した所謂、資本家、支配階級の悩みの種となり、不言不語の中に日本人特有の生命も要らず名も要らず、金も官位も要らぬ底の清浄潔白な忠君愛国思想を天下に普及、浸潤せしめた功績は大いに認めなければならぬであろう。従って歴史に現れない歴史の原動力として、福岡人を中心とする所謂九州浪人の名を史上に記念しおく必要がないとは言えないであろう。』

20180201 【再投稿】岩波書店刊 中島岳志編『橋川文三セレクション』pp.90-93より抜粋引用

一体、明治期におけるナショナリズムの理念を支えた主体の構造はいかなるものであったか?
いうまでもなく、その心理的基礎の一貫性として考えられるものは、幕末の攘夷論にみられる士族的危機感にほかならなかった。
しかし、その実感としての危機感が、開国=維新の論理に旋回しえたのは、国際関係に対する一種の普遍的理念の媒介を必要とした。
つまり、鎖国と幕藩体制というスタティックな環境において形成された武士階級の思考様式の中から、全く新しい問題状況(国家と国家の交際もしくは対峙)への適応態度が展開するためには、そこのなんらかの変換軸が存在しなければならなかった。
この問題について、もっとも深い洞察を示したものは、丸山真男が「近代日本の思想史における国家理性」等で提示した解釈であろう。
その要旨は次のようなものであった。
まず旧武士階級の認識の中に列強対峙という国際社会のイメージが比較的スムーズに、リアリスティックに定着しえたのは、「日本の国内における大名分国制からの連想ではなかったろうか。
戦国時代の固定化としての大名分国制によって多年養われた国内的イメージは、国際的危機感に触発されて、いまや世界規模にまで拡大(丸山真男「開国」)されたためと考える。
また、国際的規模(国際法)の存在が同様に比較的スムーズに承認されるにいたったのは、「・・・要するに儒教的な天理・天道の観念における超越的な規範性の契機を徹底させることを通じて」(同上)実現されたものと考えられている。
この二つの仮説は、東海散士のナショナリズムを考える場合にも有効であろう。
この仮説と、先に引いた飛鳥井論文における集団―個人に関する解釈とを結びつけることによって、私は「佳人之奇遇」におけるナショナリズムの思想史上の定位を明らかにすることができると考える。
引用の部分に示されるように、亡国の遺臣たちの談話を聞いたとき、散士の胸中にあふれたものは、何よりも会津藩滅亡の回想であった。
これはいうまでもなく士族的実感の立場であり、その実感がそのままアイルランド、スペイン等々の独立問題に対する散士の論理的思考の基礎となっている。
封建的思考の次元で養われたナショナリズム(封建的忠誠)が、そのまま国際的規模に拡大されているのである。
散士は自己の身分と結びついた体験の含む普遍性について何ら疑わないばかりか、己のイメージを幽蘭や紅蓮、范卿の境涯と同一化して涙を流すのである。
ここではまさに大名分国制の中で養われた国家の対峙の感覚が、そのまま国際社会の事態にあてはめられている。
散士ばかりではない。一般に分国制のもとでの体験が強烈なナショナリズムへの媒介契機となった例は少なからず見出せる。そのもっとも有名なものの一つは、板垣退助が「自由党史」で述べている感想だろう。
彼は東征参謀として会津落城を実見したのであるが、そのさい、藩に殉じたものはわずか五千の藩士にすぎず、庶民はただ逃げ惑うのみであったといわれる。
さらに、前に見た福沢の場合でも、やはりその封建下の諸体験が、国際政治の論理的理解の基礎になっていた。
一方、士族的ナショナリズムの健全な側面として特徴的なことは、対外人コンプレックスの比較的少ないことであった。
それは、すべての人類の妥当する普遍的規範の意識がかれらにおいて健全に保たれていたことによるが、「佳人之奇遇」においてそれがもっともよく示されるのは、やはり散士と外国女性との交情においてであろう。
そこには近代的恋愛の複雑な内面関係はないかもしれないが、人間同士の恋愛の姿は、比較的、普遍的な感動を引き起こす形で描かれている。
これらの事情について飛鳥井は「佳人之奇遇」において「個人は民族の代表者としての意味を持っていた。
変革期において、個人はそのバックとする集団と本質的な矛盾を持たず、個人の運命はその集団の中に溶け込んでいた」と述べている。
これは概括的な意味では正しいであろうが、問題はその集団の統一核となる精神構造―そのイデオロギーの内容であろう。
ここでは、その点において、伝統的思考様式(教養)の果たした役割を合わせて考えることが必要であった。
「佳人之奇遇」におけるナショナリズムの士族的起源について、以上の様な考察を行ったのちには、その文体の問題は比較的容易に類推することができよう。
それは簡単にいえば「漢学趣味とロマンティシズム」の結合形態であったが、新たな国際社会へと開かれたヴィジョンは、当面、漢文くずしの文章でしかこれを表現することが出来なかった。
そのことは、透谷や樗牛、鴎外(とくにその「即興詩人」)、土井晩翠などについても一部適合する事情であったが、なぜそれ以外の文体が有効たりえなかったは、近代文章史において、より詳しく検討される必要があろう。

橋川文三セレクション (岩波現代文庫)
橋川文三セレクション (岩波現代文庫)
ISBN-10: 4006002572
ISBN-13: 978-4006002572
橋川文三

2018年1月31日水曜日

20180131 昨日投稿の記事についての補足:用いる言語の普遍性?

驚くべきことに昨日投稿分の記事は120人以上の方々に読んで頂けました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

しかし、この記事は投稿時の感覚では、あまり多くの方々に読んで頂けるとは考えていませんでしたので、その理由(多く読まれた)について考えてみますと、それは記事末尾近くの記述・・

『たしかに文系の学問は重要であるのですが、おそらくその更に基層・内奥にあるものとは、実際に存在する事物と、それらに付与されている名称の対応関係が明確な体系ではないかと思われるのです。そして、そうした体系の代表例がさまざまな理系学問ではないかと思われるのですが、その対応関係がアイマイなままにて文系学問を重ねていくと、おそらく変に感覚的なものとなり、よく分からないオリジナルとは離れた感受性の鋭さを競うようなものとなってしまうのではないかと思われるのです・・。』

にあるのではないかと考えました。
そこで、この記述についてもう少し考えてみますと、ここで述べたい要点とは『実際に存在する事物と、それらに付与されている名称の対応関係が明確な体系』を個々人が認識、内在化(インカーネーション)することの重要性です。

つまり、それが為されるのであれば、その発端、取掛りとは、特に文系・理系の何れであれ構わないと考えます。

では、何故、事物と名称の対応関係にて明確な対応体系を持つ代表例として理系学問を挙げたのかというと、先ず、理系学問とは概ね、現実の世界に存在する、知覚し得る具体的な何かを対象とした学問であり、少なくとも、その根本においては目に見えない、触れることの出来ない思想・概念といったものの存在はないと考えるからです。

理系学問にて、概念・形而上的な要素が表出されるのは、多くの事物の観察結果から、ある種の普遍性の抽出を試みたことによると云えます。

ともあれ、そうしたこと(事物から普遍性の抽出)を行う為にも、具体的な事物に対する名称が厳密に定義される必要性があり、また、まさにそれが為されていることにより、それら学問とは普遍性が担保されているとも云えます。

一方、文系学問においては、もちろんそれぞれ大変重要ではあるのですが、さきの事物と名称の対応関係が、その先もしくは背景にある概念・思想的なものの性質によってか、同じ文系学問間においても随分異なることが多いのではないかと思われるのです・・。

しかし、であるからといって文系学問に用いる言語をより精選し、共有化、少なくしようとする試みは、それが良心的な意図によるものであったとしても、実際にそれを取り組む段において、当初の意図からは外れた焚書的な行動・結果になってしまうことの方が普通ではないかと思われるのです・・【『政治は可能性の芸術ではない』と云われる所以とはこういったところに具現化しているようにも思われる。】(ガルブレイスVSビスマルク(笑))

あるいは、こうした現象については、現在の国際・国内社会などを見ますと、その実状あるいは背景などを理解することが出来るのではないかとも思われます・・。
ともあれ、そこから思うことは、これまでにも幾度か当ブログにて述べてきたことではありますが、自然なカタチでの文系・理系を横断する交流の重要性です。

また、以前に抜粋引用した荒俣宏著『理科系の文学誌』によりますと『極言すれば、東洋は観念として自然科学的事実と神秘的承認とを融合させることができたのである。』(一方で、こうした見解に対して加藤周一あたりからは反論が為されるのではないかとも思われる・・)とのことであり、くわえて東洋においても我が国は、元来そうした『融合』などが得意な文化土壌であると思われますので、そうした状況が自然に醸成されるような環境整備を行えば、感性が生き生きとした若い方々は、思いのほかに早くに馴染んでいくようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?【おそらくそれは基礎研究のさらに基礎の部分となるのではないだろうか?】

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年、列島各地において生じた地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模な自然災害によって被害を被った諸地域の復興を祈念しています。


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