2017年4月23日日曜日

20170423 書店に行き、偶然手に取った書籍から思ったこと・・

昨日投稿分の記事においても述べましたが、現在となって思うことは、対話形式の文体の方が独白形式の文体に比べ、同じ文字数を書く場合においては大分書き易いと云えます。

あまり大したことではないかもしれませんが、これは自身にとっては発見といって良いものでしょう。

さて、本日は久しぶりに大規模書店に行き、興味のある分野の書籍コーナーを徘徊しておりましたが、その中で横溝正史の某作品を何気なく手に取り読み、その次に同じ書棚に並んでいた夢野久作の某作品をはじめて手に取り読んでみたところ、その文体が何とも云えず面白く、しばらくの間読み入ってしまいました・・。

この著者による作品は怪しげな作風・内容であるとの評により、これまで敬遠、食わず嫌いであったのですが、実際に読んでみますと『はまる人にははまる』のではないかといった感想を得ました(笑)。

重ねて私見ではありますが、その文体および物語の進行の仕方とは、同じ九州福岡出身の大西巨人による「神聖喜劇」にも相通じる『何か』があるのではないかと思われますが如何でしょう?

また、さらに思うことは、こうした書簡形式の文体、回想などが物語随所に挟まれる物語の進行の仕方とは、読み手側にとっては多少取っ付きにくいのかもしれませんが、我が国における小説、物語の叙述形式としては、そこまで異端視されるべきものでもないと考えます。

また、今後機会を見つけ、そうした叙述形式を採る作品を自身で探してみようと思いましたが、とりあえずは一冊、夢野久作の著作を読んでみようと思います。

また、それと関連があり、以前のブログ記事にも書いた記憶がありますが、昨今どうしたわけかタイムリープ、タイムスリップもののドラマ・映画作品が多いようですが、おそらく現今もてはやされるそうした作品(のみ)によって歴史およびその時代精神を理解しようと試みることは(かなり)危ういものであり、それは我が国において特徴的とも云える、外からの圧力、プレッシャーが生じた際のヒットポイントをずらす、はぐらかすような傾向・心性に親和性を持っているのではないかと思われます・・。

インターネットが普及した現在においては、おそらくそうした我が国の表層のみでの反応・共感しているようなしぐさに隠された真意・底意あるいは場合によっては無気力などは、諸外国に広く認識されつつあるのではないかと思われます・・。

それ故、やはり大事であると思うことは、実際のところ興味を持っていないことに対して、無理に外面を取り繕い、興味があるように見せることよりも、ただ各々主体が能動的な興味を持ち取り組むことが出来る何かを見つけ、そしてそれを社会が容認することではないかと思うのですが如何でしょうか・・?

おそらく、こうしたことは理想論以前の問題ではないかと思われます・・。

さて、そこで不図思い出した文章を以下に示します。

岩波書店刊 中江兆民著 「三酔人経綸問答」P.25より抜粋引用
『人間社会のあらゆる事業は、たとえて言えば、酒のようなもの、自由は酵母のようなものです。ブドウ酒でもビールでも、材料がいかによくても、もし酵母というものがなければ、材料はみな桶の底に沈殿して、アルコールをかもし出させようととしてもダメです。専制国の事物は、みな酵母のない酒です。みな桶の底の沈殿物です、ためしに専制国の文芸を見てごらんなさい。ときには見るべきものもあるようだが、よくよく観察すると、千年たっても一様、万個あっても一種、変化のすがたなどありはしない、作者の視覚聴覚にうったえる現象は、みな桶の底の沈殿物にすぎず、作者もまた沈殿した精神で、これを模写する。変化のすがたのないのは、当然じゃありませんか。』

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。






20170422 【対話形式】研究分野と背景文化の違いについて・・

A「最近Bさんはブログに使っている自身の画像をモノクロ写真からイラストに変えましたね?」

B「ええ、あまり大きなことではありませんが、自身の気分の変化を狙ったものです・・(笑)。」

A「はあ、それでもこのイラストはBさんの特徴が出ていると思いますので、これはこれで良いのではないですか?
それよりも、最近何か変わったことはありましたか?」

B「・・いえ、これといって大きな変化はありませんが、ブログ記事も600に到達しましたが、引き続き何かを書いてみたいと思うことぐらいでしょうか・・(笑)?
とはいえ、ここで独白形式にて更に記事作成を継続するのも少し大変なようですし、これもまた、気分を変えるという意味で、何となく対話形式にて直近は書いています・・(笑)。
そうしましたら、面白いことに、あまり閲覧者数は以前と変わらないようですので、今後しばらく対話形式にて記事を書き続けてみようかと考えています・・(笑)。」

A「はあ・・対話形式の方がやはり文章、記事とは書き易いものなのですか?」

B「ええ、自分としてはこちらの方が独白形式のものに比べ大分書き易いと感じています。
しかしそれでも、その基礎にあるものとは、実際の対話の記憶ですので、こちらの方も継続的に補充しなければならないのですが・・(笑)。
ですから、ここでのBさんとの対話もまた、どこかでブログ記事の材料にする可能性は充分あります・・(笑)。
もちろん個人特定はされないようには書きますが・・。」

A「・・まあ、個人特定の件は大丈夫だと思いますが、やはり対話形式の方が文章とは書き易いものなのですね・・。
私も今後その形式にて文章を書く機会があるかは分かりませんが、それは少し大事なことであるのかもしれません・・。
あ!あと、それに加えて最近再度求職活動を開始されたとのことですが、その手応えはどうですか?」

B「それはまだ始めたばかりですので何とも云えませんが、今度は出来るだけ自身に合うと思われる職種に精選して応募しようとは考えています・・。
しかし実際のところ、果たしてそれで良いものであるのかとは分からず、まあこれも暗中模索の手探りで行っています・・(苦笑)。」

A「そうですか・・そんなに簡単に、すぐには見つからないかもしれませんが、粘り強く探して、これまでのBさんのさまざまな経験を生かせる大学職種が見つかることを期待しています。」

B「ええ、どうもありがとうございます・・。
また、そうしたやりとりがなければ、どこかで挫け斃れていたと思いますので、それを糧にして引き続き探し続けることにします・・。
しかし、それでもAさんも現在の職に就かれる前に***で**の仕事をされていた時期がありましたが、あの当時はやはり大変でしたか・・?」

A「ええ、あの当時はやはり自分なりに苦しんでいたと思いますよ・・。
それでも、そうした中、時折Bさんから電話があったり手紙を書いてくださいましたよね・・?
また、他にもそうした連絡を頂くことが時々ありましたので、現在考えてみますと、あの時期は、そういったものに助けられた部分が少なからずあると思っています・・。
それでもBさんの場合は歯科理工学?でしたか、そちらの関係の方々もいらっしゃると思うのですが、そちらの方々からの反応はどうなのですか・・?」

B「ええ、歯科方面の方々がいらっしゃらなければ、現在の仕事もかなり危うかったと思いますし、現在もまた、仕事を含めてさまざまな相談をさせて頂いているところなのですが、しかし歯科方面の方々とは、概ね、現在も何らかのカタチにて大学と関係されていることが多く、おそらく文系ほどに実社会と大学が離れているといった感覚ではないことから、自身としては話していて時折、何とも云えないもどかしいギャップみたいなものを感じることがあるのです・・(苦笑)。
しかし、これは仕方のないことであると思いますが・・。」

A「・・そうですか、たしかに医療関係は普通に開業している医師、歯科医師であっても大学と繋がっているところが多いですからね・・。
これはたしかに人文社会科学系あるいは他の学問分野とは大きく異なるのかもしれませんね・・なるほど・・。」

B「ええ、やはりそれぞれの学問分野とは背景となる文化もまた異なっていますので、そこから見える大学や研究機関といったものの見え方、像が違ってくるのではないかと思います。
とはいえ、自身の場合、幸いにもAさんも含め現在でも連絡を取っている人文社会科学系の大学教員、研究者がおり、またそうした事情とは、これまた幸いなことに歯科関係においても同様ですので、願わくは、今後、それらを社会にて繋ぎ合せるような職種に就きたいと思うところなのですが、なかなか難しく簡単には行かないのかもしれません・・(苦笑)。

A「そうですか・・まあ、いずれにしましても、さまざまな最新の出来事の砂かぶりの地、東京から御自身に合うと思われる職種を探してください。」

B「そうします・・そういえばAさんがいる大学にはたしか医学部はなかったと記憶していますが看護、介護系の学部はありませんでしたか?
そこで仕事のハナシになってしまって恐縮なのですが、少し伺いたいことがありまして・・・・」


ここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」







2017年4月22日土曜日

20170421 医療・介護系資格養成課程の一部共通化について【対話形式】

A「作成記事が600に到達した後も、ほぼ流れにて数日間記事作成を行い、本日こそは記事作成を休もうと考えましたが、つい先ほど、不図、先日、知人との会話にて出てきたことを思い出し、これを書いてみようと思い立ちました・・(苦笑)。

以下、対話形式にて・・

B「・・どうだい、仕事の方は上手くいっていますか?」

A「ええ、ボチボチで、あまり良いとは云えませんが、それでもつい先日、直接的には仕事とは関係がないところでいくつか面白いことがありましたので、今後それらがさらに進展し、良い具合で進んでくれたら良いとは考えていますね・・(笑)。」

B「そうですか・・そういえば先日読んだ新聞記事で看護師、理学療法士、作業療法士などの医療資格と介護福祉士、社会福祉士といった介護系資格の学校での養成課程の基礎的な部分が、ある程度共通化することが模索されていると書かれていましたが、これは以前にAさんが話していたことに近くはないですか・・?」

A「・・ええ、たしかにその様な内容のことを以前、B先生にお話ししていたと思いますが、それは本当ですか?」

B「うん、つい先日の**新聞の一面記事に載っていましたよ。
私はこれを読んで「おお、Aさんの云っていたことに近いな。」と思って憶えていたのですが、こうした制度が出来れば、今後の社会にて見込まれる人材不足が、一人が複数の資格を取得することによって、ある程度は解消できるのかもしれませんね・・。
また、それに加えて君が云っていた医療・介護系の資格養成の専門学校と文系大学が合併するような動きが加われば、更に良くなるかもしれませんね・・。」

A「たしかにそれはそうなのですが、しかしそれは今現在の段階では、まだ多少困難ではないかとも思われます・・。
何故ならば、双方共にそれぞれの学問分野における既存の伝統といったものがありますからね・・。
つまり、その場合、それぞれの学校、大学の教育システム、カリキュラムを大幅に変えたり、さらにはそれぞれの組織自体もまた、大々的に変えないと多分ダメですからね・・。
ですから、B先生に云うのも何ですが、それは医学部、歯学部などといった、既に養成課程において伝統のある組織、カリキュラムがある学問分野と同一視して考えることは難しいのではないでしょうか・・。
・・とはいえ、やはり、そうした変革とは、必ずしも必要というわけではありませんが、今後その必要性が増大する可能性が高い、医療・介護分野における多職種連携においては、養成段階基礎教育の共通化によって使用専門用語が共有されることは大変都合の良いことであるとは思うのですが・・。」

B「・・まあ歯科医学分野においても医歯工連携やチーム医療の必要性が叫ばれてはいますが、それはあくまでも既存の各分野研究者、教員に対してのアプローチといった色彩が強く、それらを養成する段階、つまり学生たちに対する学部、学校教育に関してとは聞きませんから、やはり、こうした養成段階基礎におけるカリキュラム、履修科目の共通化とは、現段階では君のいう通り難しいのだろうねえ・・。
それと、資格養成の専門学校と文系大学との合併もまた、現在の社会が示す少子化に伴う大学全体の斜陽化に対して良い効果を齎すのではないかと思われますが、これもおそらく前と同様、難しいのだろうねえ・・。」

A「・・ええ、もちろん、現在の状況とは決して楽観視出来るようなものではありませんが、それでも幾つかの資格間の養成段階基礎における共通化とは、少なくとも悪い兆しではないと考えますので、今後もしばらく情勢を静観するのが良いのではないでしょうか・・?」

B「うん、とりあえず事態は変わってはきているようですから、現段階ではそれで良いのかもしれませんね・・。」

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。

2017年4月20日木曜日

20170420 昨日の補稿、数においては南多北寡 形式においては南新北古

A「昨日の投稿記事はあまり多くの方々に読まれることはないであろうと考えておりましたが、その予想に反し、割合多くの方々に読まれておりました。

さて、昨日投稿記事の主な主張点とは、紀伊半島における出土銅鐸の傾向とは、一つ目に全体の数においては概ね南多北寡であること、次いで、その出土銅鐸形式においては南新北古であることです。

おそらく古式の銅鐸とは、近畿中央部(奈良平野)あるいは山陰西部(出雲)にそのオリジナルがあり、更にそのオリジナルの祖型とは九州北部にあったのではないかと思われます。

つまり銅鐸という弥生時代の青銅製祭器とは、その製作手法である鋳造の伝来経路(大陸・朝鮮半島➡北部九州➡山陰・山陽➡近畿)に沿って、その祖型、古式そして新式への変遷が為されたものと考えられます。

そして、そこから紀伊半島、和歌山とは、当時の倭国(西日本)の辺縁地域であったと云えます。

また、その点において面白いのは四国であり、四国は東部では銅鐸の出土が多数認められるものの、西部におけるその出土は認められておりません。

さて、四国南部を東西に包括する高知県とは、県東部に銅鐸の出土が集中し、それらは中型~大型の新式およびそれに近いものが多く、その出土傾向とは、対岸の中、南紀での出土傾向と類似しているとも云えます。

また高知県東部に隣接する徳島県においても吉野川流域を中心に多数の銅鐸が出土しており、その形式は、高知県東部と比較した場合、全体的に古段階のものが多いと云えます。

その意味において、さきに述べた和歌山県における銅鐸の出土傾向の特に形式に関してを紀伊水道を挟んで鏡のように類似した様相、像を示しているのが徳島県、高知県東部といった四国東部ではないかと考えられます。

また、さらに北に隣接する香川県については、おそらく四国内にて比較軸となる何かしらの要素が存在するとは考えられるものの、おそらく香川県に関しては、瀬戸内海を挟んだ兵庫県、岡山県あるいは淡路島との関連性が強いのではないかと考え、今後の更なる考察対象としていきたいところです・・。

本日は記事作成を予定はしておりませんでしたが、さきに述べた通り、昨日投稿記事を読んで頂いた方々が思いのほか多かったことから、補稿のようなカタチにて書きました。

とはいえ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





2017年4月19日水曜日

20170419 具象よりも抽象の方が時としてより写実的・・観念的?【600記事到達】

以前のブログ記事に書いた通り、本格的に暖かくなる前にどうにか600記事に到達することができました。

本日よりしばらくブログ記事作成を止めておこうと考えましたが、いざPCの前に座り、閲覧者数および読まれた記事を眺めますと、不思議なことにまた何か書いてみたいと思い始めるのです・・(苦笑)。

さて、ブログ当初にて述べたいくつかの銅鐸に関しての記事に関連し思ったことですが紀伊半島(主に和歌山県下)にて出土した銅鐸とは、相対的に水稲耕作における可耕面積が広く、多くの人口が居住可能である(県北部の)紀の川下流域にて出土した銅鐸の数が多くなく、またそれら出土銅鐸とは古段階の小、中型(~50㎝程度)のものが多いと云えます。

それに対し、同可耕面積が相対的に狭小であり居住可能人口が多いとは考えられない中~南紀に属する南部川以南の各河川(富田川を南限とする)の下流域にて出土した銅鐸とは、概して、出土数が多く、そして新段階、大型のものが多いと云えます。

その他、幾つかの地域における事例を検討することにより、弥生時代の銅鐸祭祀文化についてある程度普遍的に云えることは、当初、その鋳造技術が十分に進化発展していなかったことから、小型の銅鐸が石による鋳型を以って製作され、それが貴重な祭器として、既存の比較的大きなムラ、集落に一つ、二つ程度ずつ配付されたのではないかということです。

その後、銅鐸祭祀集団の領域拡大、および鋳造技術の進化発展、具体的には、製作に用いる鋳型が石製から砂製に変化したことにより、随意に大型化、多量生産化することが可能となり製作された新式大型の銅鐸とは、新たに開拓、入植したムラ、集落毎に対し配付され結果的に、前段階に比べ相対的に多くの銅鐸が配付されたのではないかと考えます。

そして上記のような、ある程度具体的な歴史の流れ、様相を認識し、出土した個々の銅鐸を検討する際の指標として挙げられることは、その大きさ、形状、装飾の程度およびその傾向などであると考えます。

そして、これら要素を総合的に検討考察することにより、個々銅鐸の凡その出土地域および製作年代とは見当をつけることが出来るのではないかと考えます。

そして、こうしたことは、おそらく銅鐸のみならず、石器、墳墓、他の青銅製祭器(銅鏡、銅矛、銅剣、銅戈など)、古墳造営様式、武具、生活道具などにおいても同様に応用することが可能ではないかと考えます。

そして、そうした見方にある程度慣れてきますと、今度は更なる興味対象への相転移らしきものが生じ、具体的なモノから、その地域、国などの性質、特徴といった観念的な要素への興味へと至ることが少なからずあるのではないかと思われます。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。




2017年4月18日火曜日

20170418 【おかげさまで】600記事に到達することができました。

つい先日、先月に続き再び歯科理工学の師匠にお目にかかりました。

師匠は年齢も65歳となりますが、それでも未だなお、御自身の手で試料作製、各種機器分析を行っているとのことであり、そのことから、当たり前のハナシではあるかもしれませんが、本当にこの分野の実験、研究が好きであることを感じさせます・・(笑)。

加えて、今後もしばらく歯科専門雑誌への連載が続くとのことで、その創造性と情熱に素直にアタマが下がる思いです・・。

また自身もそのような師匠のもとで研究出来たことを誇りに思うところですが、その一方、この点では文系の師匠も決して負けてはおらず、あるいは似たようなところがあり、先日お目にかかった際も、昨今より研究、執筆課題として取り組んでいる歴史上の出来事、および、それがどのような意味を現代社会において持つか、といったことを相変わらずの聞き取り易いが早口気味の少し高めの声で説明、話されているのを聞いている時は、さきの師匠とお目にかかった時と幾分類似した『感じ』にとらわれたことが思い起こされます・・。

そして、こうした『感じ』とは、以前もブログ記事にて書きましたがおそらく『情念引力』と称されるものであり、それは学問・研究などにおいて極めて大きな意味を持つのではないかと考えます・・。

自身の場合、幸か不幸か周囲にこうした方々が割合多くいたことから修士、博士での専攻分野の大きな宗旨替えを行ったにもかかわらず、どうにかなった、どうにかなってしまったのではないかとも思われます・・(苦笑)。

それを異言しますと、これら師匠、周囲の方々が持つ一種の『引力』により、どうにか各々の終着点まで辿り着くことが出来たのではないかということです・・。

無論、自身もある程度は努力したとは考えますが、しかし、おそらくそれだけでは、こうしたものとは、どうにもならないことがあるのではないかと思われます・・。

また、そのように考えてみますと、さらに大きくは、その地域が持つ何かしら『不可知な力』によって動かされた部分も少なからずあるのではないかとも思うに至るのです・・。

とはいえ、こうした考えとは、一般的には迷信的、カルト?と、とらえられるところではあるのでしょうが、それでもなお、当時、自身が経験した多くの重要と思われる局面において、自身の知情意では到底及ばない、それこそ『不可知な力』が作用したのではないかと思われるのです・・。

しかし不思議に思うことは『では一体どのような原因あるいは作用機序によって、こうしたことが生じたのか?』ということであり、これはこの先も自分なりに考え続けようと思います・・。

また、そうした一種の『問い続けようという根本にある姿勢』こそが、これまでどうにか継続的にブログ記事を作成することが出来た大きな要因であると考えますので、今回の記事投稿により600記事に至る記事の主題としては、少なくとも不適当ではないものと考える次第です。

しかしながら、ここまで書いて特にこれといった感興などは生じませんが、おそらくそういったものであるのでしょう・・(笑)。

一瞬、短時間の強い感激も時には良いのかもしれませんが、同時にそれは日常的な小さな感興を感知するセンサーに対しては、必ずしも良い影響ばかりを与えるものではないのかもしれません・・(笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。おかげさまで600記事に到達することができました。

昨2016年に生じた熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。








2017年4月17日月曜日

20170417 『狂気の沙汰』あるいはそれに近いことから・・

A「昨日投稿の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。

そこから、時には、かつて書いた文章を題材とする記事もまた良いのではないかと思われました。

さて、本日の記事投稿を含め2記事の投稿により目標とする600記事に到達します。

しかしながら、今現在これといった内外の変化も認められず、おそらくこの調子にて、ある意味平穏に600記事まで到達するのではないかと思われます・・。

とはいえ、この600記事というのも、あくまでも『とりあえず』の目標であり、その後もまた暫時の休息をはさみ記事作成を継続するのではないかと思われます・・。

具体的には、ある程度時間、年月がかかっても1000記事程度の記事を作成しますと、何かしら自身でも『得たもの』や『変わったもの』が明瞭に見えてくるのではないかと思われるのですが如何でしょうか・・?

また、たしかに一連のブログ記事作成を開始した2015年6月における作成記事と、昨今のそれを比較しますと、その間には幾ばくかの変化も認められるものの、同時にその変化とは、昨日の投稿記事にて示した2006年に作成した文章と比較しますと、小さなものであると思われます・・(やはり10年の差は大きいようです)。

無論、それら文章作成時における何と言いますか、気合の入れよう、あるいは形式に沿ったものか、そうでないものか、などといった要素が各々作成された文章に何らかの影響を与えているとは考えますが、そうした要素が存在するとしても、やはりそれら作成された文章から、作成者の素の文体あるいは同様の精神といったものが透けて見えるのではないかと思われるのです・・。

それ故、ブログと云った一般に文体の形式が規定されていないものであったとしても、あるいは規定されていないブログ記事であるからこそ、より一層、文章作成者の文体、精神といったものが読まれた方々に明確に認識される(されてしまう)のではないかとも思われます・・(苦笑)。

こうしたことから、ブログ記事のようなネット上に公表される文章の継続的な作成とは、一種『狂気の沙汰』もしくはそれに近いものであると、とらえられるのも、ごく一般的であった(ある)のではないかと思われます・・(苦笑)。

しかしながら、それと同時に強調しておきたいことは、おそらく我々人間の精神とは、時として多少の苦痛を伴い、それを認識しながらも、そうした『狂気の沙汰』あるいはそれに近いことを(割合平然と)行い続けるような状態があり、また、そうした行為、経験を通じて、個々人間そして社会全体が持つ既定概念、通念を打ち破り、成長していくことが出来るのではないかということです・・。

600記事到達を前にして、このようなことを書くのは、多少、時期尚早の感がありますが、こうしたことは600記事に到達したから、特に明言できることでもないと考え、さらに次回600回目の記事投稿はどちらかというと平凡に到達する方が、更なる記事作成継続の持続可能性に結節し易いと考えるため、今回、文章の流れもあり、こうしたことを書く次第です・・。

また、あらためて書くことでもないかもしれませんが、自身の場合、これまである程度の期間、ブログ記事作成を継続出来た要因とは、これまでの期間を通じ、読んで頂いた方々が自身としては少なからずいたこと、および周囲の方々による意識的、無意識的であるかはよく分かりませんが励まし、あるいは作成された記事に対しての反応によってであった(ある)ことを追記します。

「人間が、かつてできたことを今でもできると考えるのは、きわめて自然である、未だかつてできなかったことを、できると思う人があるのは、いかにもおかしいが、珍しいことではない。
(ゲーテ「格言と反省」から)

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」