2015年11月22日日曜日

20151121 我が国における水稲耕作について

国内の地域性を検討、考察する際、水稲耕作およびそれに伴う民俗を扱うことは柳田國男民俗学以来の稲作を過度に重視したものとして、また古来より存在する他の作物農耕文化を軽視するものとして、批判される傾向もある。

しかしながら、我が国の主食が現在尚、水稲耕作により栽培される米であることは紛れもない事実であり、その栽培、多作に執念を燃やし続けてきた歴史を反映するものである。

その歴史の背景には様々な要素により構成された背景観念、日常性が、地域毎に類似、相違性を持ちながら存在するものと考える。

その意味において地域性とは、地域における特徴的な観念構成要素の相違、濃淡および、それらの表出傾向であると考えることができる。


以上のことを踏まえ地域性を検討、考察する場合、特に我が国にて水稲耕作に伴う民俗を扱うことは、それが古来より継続し為され、地域に住む集団に大きな変動が無い場合、そこに貫かれた観念および、それらの特徴的な表出の傾向を認識することができるのではないかと考える。


我が国に水稲耕作が伝来、伝播そして定着した時代は、縄文時代晩期~弥生時代であるとされている。

また、その詳細な年代については幅がある。

しかし、共通して云えることは、水稲耕作が当初、朝鮮半島を含む大陸に近い北部九州地域に波状的に伝来、定着し、その後、主に瀬戸内海を経て西日本各地に急速に伝播したことである。


現在我が国にて栽培されている米は丸く、粘り気のある温帯性短粒種のジャポニカ米に分類されるものである。

その原種は植物学的に長江(揚子江)の中下流域で栽培されていたものであると推定されている。

以上のことから、我が国における水稲耕作の伝来は、長江(揚子江)中下流域から、幾つかのルートを通り、波状的に北部九州地域に伝来、定着し、その後西日本各地に急速に伝播したものと考えるのが妥当である。

加えて、当初我が国に伝来した稲とは、その植物的特性から温暖湿潤な西日本が栽培好適地、可耕地であったと考えられる。

しかし、これは約一万年続いた縄文時代において、農耕が全く行われなかったことを意味するのではなく、遅くとも縄文時代後、晩期(紀元前千年頃)の西日本においては、陸稲を含めた雑穀、芋、豆類を主とした農耕が規模は不明ながらも一般的に行われていたものとされている。

また、縄文時代とは、その晩期を除き現在に比べ気候が温暖であり、特に東北、東日本においては、その人口規模から、豊富な落葉広葉樹林がもたらす動植物に依存し食料獲得が比較的容易であり農耕を食料獲得の主軸とする必要のない、いわば成熟した狩猟採集文化が営まれていたと考えられている。


一方、当時の西日本は、主に常緑性広葉樹林(照葉樹林)が多い植生であることから東北、東日本と異なり食料獲得を狩猟採集に大きく依存することが当初から困難であったものと考えられている。

このことを示唆する材料として、これまでに国内にて発見、発掘された縄文時代の遺跡の地域分布は、極端に東高西低であることが挙げられる。

そして、それを基づいて考えられる当時の人口の地域分布もそれと同様の傾向を示すものであったものと考えられている。


また、我が国の水稲耕作伝来以前における農耕の主な起源とは、縄文時代後期頃(紀元前二千~三千年頃)大陸より伝来した照葉樹林文化に含まれるものであったと考えられている。

照葉樹林文化とは、ヒマラヤ南麓、中国南部、東南アジア北部内陸部に起源を持つ、全体の傾向として南方的色彩の強い生活文化である。

加えて我が国に伝来した前述の短粒種ジャポニカ米の起源とされる長江(揚子江)中下流域もまた、この照葉樹林文化に包括される地域に属する。


照葉樹林文化を示す具体的生活文化とは先ず食文化に関連するものとして、焼畑農耕による芋、雑穀類の栽培、鵜飼による淡水漁撈、なれずし、味噌、納豆など発酵食品、喫茶の習慣などが挙げられる。

工芸文化に関連するものとして、竹細工、養蚕、漆器の製作などが挙げられる。

そして、精神文化に関連するものとして歌垣の風習、山上他界観、来訪神、死体から穀物の種子が化生する神話の存在などが挙げられる。

これらのうちの多くは現在の我が国において容易に見出す事が可能である。

しかし同時にこれら全てが縄文時代後期(紀元前二千~三千年頃)の一時期に集中的に伝来したとは考え難く、これらも水稲耕作と同様、波状的、段階的に伝来したものと考えられる。

また、その伝来経路とは必ずしも後の水稲耕作のそれと同一ではなく、中国南部、東南アジアの地域から主に日本海流(黒潮)によって伝来したと考えられる。

その意味において、稲が南洋より海上の道を経て我が国に伝来したと考える柳田國男の著作「海上の道」とは全否定されるものではない。


また、紀伊半島西部地域においてもこれらの生活文化が現在尚自然な形で継続しているといえる。

具体例として有田川における鵜飼いが挙げられるが、この特徴的な漁法は他に愛知、岐阜、島根、山口等の各県、そして京都府などにおいて見出す事が可能である。

そしてその起源とは中国の長江(揚子江)中下流域において見出すことが可能であるが、朝鮮半島においては見出すことができない。


なれずしに関しては、地域内に各種魚類を用いたものが存在するが、この種の発酵食品の起源も前述地域にある。

これと類似するものは朝鮮半島においても存在するが、その起源は我が国と同一であると考える。

それ故、我が国における発酵食品が全面的に朝鮮半島より伝来したと考えることは、その種類の多さ、分布地域の広さから見て困難であるものと考える。


ともあれ、縄文時代晩期(紀元前千年頃)から気候が冷涼化する。

このことにより特にそれまで人口の多かった東北、東日本では、既存の狩猟採集を基軸とする生活様式の保持が困難となり、さらにその後、大陸では戦乱が続き、そこから逃れるため周辺の比較的平穏な地域に避難、移住した。

その結果、朝鮮半島を含む大陸に居住していた人々が水稲耕作などの文化を携え波状的に日本列島に渡来したものと考えられる。

一方、主に列島中山間、海浜地域に散居していた在来の縄文人達は前述の環境変化に伴い、徐々に低地に移り、水稲耕作を受容したものと考えられる。

そして、その受容、定着が概ね平穏に為された要因とは、双方の保持していた背景文化の起源における類似性、親和性にあったのではないかと考える。

20151118 兄そして社会について・・

A「段々と寒くなってきていますが、体調はどうですか?」


B「ええ、特に問題ありませんが、この時期になりますと6年前の丁度この時期に亡くなった兄のことを思い出しますね・・。
兄と私は小さい頃よくケンカをしたものでしたが、高校時代あたりから色々と話すようになり、南紀、和歌山在住時には首都圏歯科大学の大学院生であった兄が何回か訪ねてきてくれました。
その時、一緒に合川ダムに釣りに行ったり、陶芸体験をしたり、あとは県内の古墳巡りも行きましたね・・・
その際、有田市の藤並神社境内にある泣沢女古墳を見学したのですが、首都圏ではあまり見られない普通の街並みの中にある神社境内に立地する古墳に甚く感心したようで、説明板を読み、周囲を丹念に見回っていました。そして、説明板に古墳の被葬者が12歳程度の女性であると書かれていたのを読み、兄はおもむろに「うーん、これは多分上顎6番、第一大臼歯の咬耗の具合によってその様に考えられたのだろうな・・。」と言ったことを憶えています・・。
当時の私はその意味が分かりませんでしたが、後に歯科技工学校に入りその意味を知りました。」


A「ああ、もう6年になるのか・・あれはたしか2009年だったね。Bさんもその時はずいぶんつらかったでしょう・・。」


B「ええ、あの時は鹿児島在住一年目でしたが、兄の死後3ヶ月程度はどうも事態が呑み込めず、ただ呆然とした状態であったことを憶えています・・。
忌引後、鹿児島に戻り数日経った頃、講座によく来られる方々と話しをしていましたら、そのうちの御一人が鹿児島市内で開業されていた兄と同じ歯科大学御出身の歯科医師の一人が若くして亡くなられていることを世間話、井戸端会議の様に声をひそめながらも強調する口調で話された時はショックでめまいがしました。そして何故か拳を強く握り締めていました・・。
その方は性格の悪い方ではないと思いますので、もしかしたら、兄の死で呆然としている私に喝を入れる目的でその様なことをいわれたのかもしれません。
しかし、それでもこういったことをその時、その場所で普通に話しに出すことの出来るという、ある種のサディズム、嗜虐性とは、口ではどんなにキレイごとをいおうとも現実の我々の社会から絶対になくならないのではないかと思います・・。
また、こういった良くいえば野趣あふれる教育的な発言、悪くいえば、ことばの暴力ともいえるものは、先進諸国の中でも高い自殺率を誇る我が国においては、当然の様にあまねく存在するものであり、また特に日本社会に興味のある海外の方々は、こういった人の心を強く揺さぶる発言が、一見周囲にわからないように、記憶されないように、さりげなく為されているのが我々日本人の社会の一面であることを認識されると、より日本文化の深層への理解が深まるのではないかと思います・・。
そしてこれは民度の問題以前に、何といいますか業の深さに原因があるのではないかと思います。また同時に、これは地域・文化圏毎においてかなり大きなブレ、偏差があるのではないかと思います。」


A「うん、ちょっと迷信じみているような感じもするけれど、日本社会一般にはたしかにそういったドロドロとした一面があるね・・。
実際私もそういった経験は君よりも多くあるとは思うけれども、そこで大事なのは、その後で少し間を置いてから激昂せずに冷静に指摘することではないかな・・?
まあ、しかしそれ以前に問題であると思うのは、表面的な態度は現代的であり洗練されていても、その内面、中身においては、どす黒い情念が渦巻いているような行為態度を何やら良いものとしなければならない社会であり、また、そういった行為態度を大人の常識、洗練されたものとして身につけていかねばならない若い世代は大変痛々しいものがあるねえ・・。
その意味で現在進展中の国際化とは、こういったドロドロした因習的な要素が以前よりかは若干希薄にもなるのかもしれないが・・。
あるいは若い頃の能動的な激しい運動によってあらかじめ昇華するべきものなのかもしれない・・。
いや、それよりも若い世代は、もし本当に必要であると思うならば、団塊の世代がかつてそう試みた様に、その時代の覇権を握っている方々を物理的な方法で排除して構わないのではないかとも思います。
結局将来においてツケを支払わせられるのは彼等であるのだから、そのくらいの権利は行使しても良いのかもしれない・・。
また、最近のお笑い界で私が不思議に思うのは、何故かつて「赤信号みんなで渡ればこわくない」などといった当時でいえば明確に反社会的ないくつかのネタにより一世風靡した現在のあの大御所芸人が、某若手芸人コンビのネタが原爆、反日と関連する可能性が強いということで、非難できるのかということです・・。
両者共にテレビの画面で見てきた私にはどうしてもその様に見えてしまう・・。
もっとも、ほとんどの人々はそういったことをすぐに忘れてしまうのでしょうが・・。
そして、当事者達は毎度のことの様に問題をすり替えたりして、上手く逃げおおせるのでしょうが・・しかし長い目で見ると実はそれが問題であったのかもしれない・・。
あるいはこういったことは我が国の社会ではタブーなのかもしれないね・・。」


B「・・ええ、それはたしかにありますね。
我々の社会は何でも正面から取り組む、戦いを挑むのをどうも記紀の時代から佳しとしない傾向があると思います。
別件逮捕的なものであったり、ああいうのは何ともいえず人を不安にさせるものがありますね・・。
何というかジョージ・オーウェルの「1984」の世界みたいなところがあるのです。まあ、それが全体主義的社会の特徴であるならば、日本とは少なくとも近代以降、現代に至るまで全体主義的な社会であり、おそらく今後もそうなのでしょう・・。
転機となりそうな出来事は時折起きるのですが、いつの間にかそれらも収束、安定してまた全体主義的な社会に再帰着するのです。
ですから、それが本来の自然体なのではないかと思います。
しかし、そうした傾向は案外他の多くの国の社会においても同様であるのかもしれません・・それが全体主義的であるかどうかは別として・・。
とにかく、こうした社会の傾向に対する不断の警戒というものの価値が見出されないまま、欧米を直接的始原とする科学・技術的知識を吸収、駆使して同等の位置に到達したのが現代の日本をはじめとするアジア諸国、いや、最近は欧米自身もそうであるのかもしれません・・。
そして、その科学・技術の粋たるものがパソコン・スマホなどの情報機器なのでしょうが、同じ文字を読むのでもそれら機器のモニターから読むのと、紙面から読むのではその後に生じる想念、思考に違いが出てくるのかもしれません・・。
これはもしかしたら木簡から紙面への変化などよりも大きなものなのかもしれないです。何故ならば筆書という一種の身体性の要素が大きく欠落したからです・・。」


A「うん、最近の国際社会はネットの普及によってか、何でもスピード、正確さが要求されているようで、その結果、人間の機械化あるいは機械への人間の適応によってより一層拍車がかかり、チャップリンのあの映画みたいなことが再び生じつつあるのかもしれないね・・。
これは仕方のないことなのでしょうか・・?
・・いや、ともあれ、さきほどの我が国のドロドロした因習的な要素についてだけれど、実はああいったものが引き起こす「怒り」とは、エネルギーに変えられるものであり、それはノーベル賞を受賞されたあの先生の発言にも見られます。
また、その怒りとは、例外はありますが、その多くは若いうちにしか持ち得ないものであり、それは通常、年齢の上昇、あきらめと共に減衰してゆくものです・・。
そして、その若さ故の怒りからのエネルギーにより主体が創造したものが、世間と感応して人気となり、経済的効果が生じ、その結果、一時的にではあるが、世間を活性化させます。そして人気、経済的効果により主体はエネルギーの源であった怒りを持ち得なくなることから、そのエネルギーの供給源を他に求めつつも創造を続け、それがまた世間と感応して、活性化が為されるサイクルが繰り返されるのではないだろうか・・。
その様な一連の流れが時間の経過により感応、活性化の度合い、程度が鈍化、低下すると、今度は新陳代謝の様に新しい主体による一連のサイクルが再び始まるのでしょう。
これは内燃機関にて動く無限軌道の様なもの、あるいはまたフレーザーの「金枝篇」内の「殺される王」もしくは中国の易姓革命の言説などを想起させますね・・。」


B「なるほど・・何だか抽象的であるのか具体的であるのかよくわからないお話でしたが、いわんとする内容はよくわかります。また、私もその考えには賛成できる部分が多くあります。ただ、少し不思議に思うのは、そのお話は、男性を主体として想定されているのですか?あるいは女性はその話しのどこに位置づけられる存在なのですか?」


A「なるほど、それは面白い指摘だね(笑)。
私の意見では、実はこの一連のサイクル、流れを無意識ながらも支配、統御しているのが女性なのではないかと思います・・。
しかし現在様々な事物が多様化しているように、女性にも色々あって、先程の主体者に位置づけられるような方も現代社会では多く見られます。
これは特に様々な分野における先駆的存在の女性がそうなのではないでしょうか?
古来より、そして特に近代以降、少なくとも我が国の社会では、こうした先駆的存在を社会の同質性を乱す因子として往々にして同性、異性問わず結果的には排斥する傾向があります。
その一方、同質性を重視する女系的な要素の力が若干弱まっている現在であるからこそ、先駆的な女性は同性からの同調圧力、排斥を免れ、頭一つ越える存在になることが比較的容易になっているのではないかとも思います・・。
しかしそれでも、これもまた私個人の意見だけれども、女性研究者、専門職の方々の自身の研鑽、努力により磨き上げ、鍛え上げられたいわゆる女子力とは、世のほとんどの男性から見れば、ほぼ妖刀であり、御自身が気付かないうちに男性を傷つけていることが多いのではないだろうかね?・・(苦笑)。」


B「はあ、なるほどです・・。
あまり同意したくないですけれど、仰ることよおくわかります(笑)。
それで、今のお話で私が思い出したのが、以前私のブログにてとり上げた若松孝二監督の「千年の愉楽」という映画です。Aさんも、もし機会がありましたら是非一度御覧ください。多分、今のお話を思い出されるのではないかと思います。また、そういえば、亡くなった兄とも、よく読んだ本や映画に関しての話しをしていましたが、不思議と兄とはそういった好みが似ておりまして、最近は音楽自体あまり聴かないのですが、兄から教えてもらった曲は今でも私のお気に入りに入っています。それらのうちの一曲であるm-floの「Come Again」は現在尚かなり良い曲であると思っています。あ、この一連の会話はまた個人特定の要素を除きブログの題材にしようと思いますが、丁度兄の七回忌ということもありますので前の曲を動画サイトから共有しようと思います・・。」


A「ああ、それはいいね。」







2015年11月15日日曜日

20151115 文系と理系

A「相変わらずブログを続けているようですね。」
B「ええ、こういったことでもしていないと、どうも落ち着きませんので・・。
しかし、これでも時々何かの拍子に落ち込みそうになり、そして胃のあたりに痛みが走ることがあります。
こういうのは、やはりストレスに因るのだろうとは思いますが、それでも、とりあえず現在の自分が出来ることをあまり先のことを考えずにやっていく以外ないのだろうなと思います・・。
そして、それがこのブログであったり、現在の求職活動であると思っています。
しかし一方、こういったことを継続できる期間というのも、ある程度限定されているのだとも思います・・。
それが今夏にはじまり、思いのほか長く続いてしまっている感じはします。
この一連の活動が今後どのようなかたちで一応の終局を迎えるのかは今のところ想像もつきませんが、このようなノンフィクションのようなフィクションの対話形式を用いてその状況を記録しておくのはあながち悪いことではないと思います(笑)。」
A「うーん、私はその点そういった期間はあまり経験していないから、それはそれで貴重であり、また、そういうのは誰かがきっと見ているから、まあ気を強くもって「先ず隗より始めよ」を実践する以外、今のところないと思います。
それに君はまだ若いからね。
人文社会科学系の研究者で最もアブラが乗るのは40歳から50歳の期間だっていうから、まだまだ大丈夫だよ。」

B「はあ、そのような傾向があるのですか・・?
そういわれますと、私もどこかで似た様なことを聞いた憶えがありますが、そこでは研究者の創造的な能力のピークが30代後半から40代前半であると聞いたような気がしました・・。
そうしますと今Aさんからお聞きしました年代と若干異なるのは、もしかしたら、学問分野による違いなのでしょうか?」

A「うーん、明言はできないけれども、昔ながらの人文社会科学系の学問とは、その学問的基盤がある程度出来上がるまでにかかる時間が理系学問のそれに比べ、長くかかるのではないかな?だからアブラが乗る時期が少し遅いのかもしれないね・。」
B「はあ・・そうでしょうか?
それでしたら何故、医歯薬獣医学部などの修行年限、そして工学部なども現在では概ね六年制であるといってもいい状況のなか文系学部のそれは四年制なのでしょうか?」

A「ああ、それはなかなかいいところを突いてきましたね(笑)。
君も知っていると思うけれど理系諸学問とは、大学という研究施設での特殊な機器、設備を用いて学問、研究をしなければならないことに加え、文系諸学問と比べ在学中に憶えることが要求される対象、事柄が多いことが、その原因ではないかと思います。
そして、それが理系諸学問が「実学」とされる理由であり、また、それは一面において事実であると思います。しかし、だからといって文系諸学問が虚学であるとか、内容がないとは決して思いませんけれどもね・・。その意味で文系諸学問とは、社会に出て、はじめてその意味、それが何を指していたのかが分かる様なものが多いのではないかな?それだから必要があると思った時に院にでも行けばいいのではないかと私は思うのだけれどね・・。」

B「はあ、なるほど・・その御意見は大分前にAさんからお聞きして、その様にしましたけれども、それは現在のあまり好ましくない求職活動における状況を除けば、仰るとおりであると思います。また、これは決して皮肉などではなく、私としては思ってもみなかった面白い方向に進んだと思っています(笑)。」

A「まあ、君の場合はたしかに月並みではないね(笑)。しかし私の場合だってその時々の必要性、興味に従い大体やってきたようなものだからね・・それで60歳でようやく学位をもらえたのだよ・・。そういえばあの時は銀座の**ホテルの中にある中華料理店で集まって祝賀会を開いたけれども、君はわざわざ南紀から来てくれたね。」

B「ああ、そうでした。Aさんよく憶えていますね!それにしても還暦で学位を頂くという様な世界とは、文系ではかつてはよく聞きましたけれども、これは理系分野におけるそれとは大きく異なりますよね。」

A「うん、そうだね。
まあ文系でも取得し易い分野があるとは聞くけれども、少なくとも私の年代などでは学位などなかなか取得できないものだったよ・・。これは君の好きな夏目漱石の時代の価値観に近いのかもしれないね(笑)。それでも今後はそういった傾向もどんどん変っていくと思うよ。」

B「ええ、多分その様になっていくと思います。
それでもそうすると今度は私みたいな変なのが多く出てくるのではないかと思います・・。私としては、それは良いことであるとは思うのですが、しかし修了後の就職先を考えてみますと、今のところ暗澹たる心境にならざるをえません。
そういえばAさんは「はかせが百人いる村」って御存知ですか?」

A「ええ、それは前に聞いたことがあります・・。大学院重点化政策の結果、その受け入れ先に問題があるのだろうね・・。こういうのは太平洋戦争の日本側の戦記を読んでいるようです・・(溜息)。しかし残念ながら私ではどうすることもできませんが。」

B「まあ、しかし私などはそのおかげでここまでこられたのかもしれませんので、あまり文句をいえたものでもないのかもしれませんが・・(苦笑)。しかし、私を同年代の平均的な男性と比べると、欠落している、忘れてきたことが多くあることに時折愕然とします。
それに加え、一連の求職活動においてヘタに学位を持っていることが不利に作用したと思われるようなことが幾たびかあり、それでかなり落ち込んだこともあります・・。
そして、そういった価値観、心境が優勢になり定着しますと多分マズイことになるのだろうなと思います・・。ただ、こういった、どう見ても好ましくない状況にて、おかしくなることを防いでくれている要因とは、これまで様々な異なった分野に身をおいて特に悪いこともせずにどうにかやってきたという自覚と、かつて自分ができなかったことができるようになり、そして採用されるかどうかはわかりませんが、とりあえず応募できる職もかつての自分に比べ多くあるということですかね・・。それ故、現在は前にいいましたとおり、自分のできることを続ける以外ないのではないかと思います。」

A「うん、そうだね。それはよく分かるよ。もう少し気を落さずにがんばってみてはどうかね?」

B「ええ、どうもありがとうございます。そうしてみます。」

参考URL:博士の就職難~解決の道がみえてきた




2015年11月12日木曜日

20151112 食文化について

A「先日神保町に行きましたら、立ち食いのステーキ屋さんを見つけました。
これまでにそういった店は見たことがなかったので、ビックリしました。
しかしこの時は生憎昼食後でしたので、今度機会を見つけて一度行ってみようと思います。」

B「ふーん、たしかに立ち食いのステーキ屋さんは私も聞いたことがなかったなあ・・。
どちらかというとステーキなどは豪華なハレの食事であるイメージが強いからね、立ち食いといういかにも「ケ」つまり日常の食事にはそぐわないからねえ。
まあ、しかしそう考えると、寿司なども江戸前寿司の起源は屋台の立ち食いだし、うなぎもそうだと聞くからね、だから海外からの食文化であるステーキが舶来、非日常の食事から日常の食事への路線を辿った結果であるとも見られるかもしれないね・・。」

A「ああ、なるほど、たしかにいわれてみるとそうですね。
あと、私はこれまで国内有数の畜産県に住み、そこでは肉が身近な食材であり、また面白い肉の食べ方を知りましたが、しかし、そこでもステーキであれ、とんかつであれ立ち食いの店はありませんでした・・。
まあ、そう考えますと「立ち食い」という食べ方のスタイル自体、決して格好いいものではないとは思いますが、時間と場所の効率化の所産として極めて合理的いや、都会的なものなのかもしれません・・。」

B「うん、私もこれまで国内外で色々なところに住んできたけれど、立ち食いの店があったのは概ね都市圏であったから、そうした必要性のない場所、地域では発生する要因がないのかもしれないね。
あと、君が今いった面白い肉の食べ方とはどんなものだったのかね?」

A「ええ、もしかしたらBさんは既に御存知であるかもしれませんが、南九州の方では鳥を刺身で食べます。私はそれまで鳥を刺身で食べたことはありませんでしたが、慣れたら結構好きになりました(笑)。
それに北隣の熊本では馬を刺身で食べますし、南の沖縄などでは山羊を刺身で食べます。
ですから九州南部から沖縄の地域では、日本全国における魚と同様、鳥獣肉を刺身で食べる文化が一般的、普通であるのではないでしょうか?」

B「鳥刺しは聞いたことがあるけれど、残念ながらこれまでに食べたことがないなあ・・しかし馬は別として鳥や山羊を刺身で食べるのは正直ちょっと抵抗があるなあ・・。
それで君はまた機会があったらまたそれらを食べたいと思いますか?」

A「それはどうでしょうか・・?
あれは慣れるまでまた何回かおなかをこわした様な記憶がありましたので、しばらくそこに住むことになりましたら、それこそハラを据えて(笑)食べる様になるのではないでしょうか?
ただ、一度既に免疫はつきましたので、以前ほど慣れるのに回数、時間はかからないとも思います。
あと福岡、博多は水炊きやもつ鍋が有名であり、実際にそれらは大変美味しいのですが、同時にあまり知られていないかもしれませんが、牡蠣が大変美味しかったです。
それで在住時に覚悟を決めて牡蠣を生でポン酢、もみじおろしで食べてみましたが、大丈夫でしかも、とても美味しかったです。
Bさんも是非福岡に行かれる機会がありましたら、牡蠣を生で食べてみてください。」

B「ふーん、そういった生食はもしかしたら郷土食文化への帰依のパスポートみたいなものなのかもしれないね・・。
それでも私は生牡蠣はちょっとこわいから遠慮したいなあ・・(笑)。
しかし福岡、博多といえば、水炊き、もつ鍋はもちろんだけれど、やはりラーメンでしょう?
私も用事で博多に行った時は、大体飲みに行くのだけれど、その時もシメはラーメンであり、何軒か東京でも有名なお店に入ったけれど、どれも美味しかったなあ(笑)。」

A「ああ、たしかに博多のラーメンは、ほとんどハズレはありませんでしたね・・。
あと、地元の人が一押しのお店にも割合多く行きましたが、どれも東京の博多ラーメンのお店よりも美味しいと感じましたね・・。
あれは調理法などの次元ではなく、水が違うのかななどと思いました。」

B「うん、博多のお店は何故か分からないけれどもどれも美味しかったね。
あと、本当かどうかわからないけれども、料理屋などは博多で成功すれば、どこでも大丈夫だといわれているらしいから、やはりレベルは高いと思うよ。
それに博多は古来より国際的な都市であるから、何というか少なくともアジア規模における普遍的なものに対するセンサーが発達しているのではないかと思うよ?
まあ、そこまでいうと思うのは、昔ながらの美味しい中華料理店が多くある都市は文化水準が高いという意見だけれど、これは誰がいっていたのかなあ・・?
まあ、とにかく福岡、博多はとても面白いところだと思うよ。」

A「ええ、その中華料理店に関してのはずいぶん穿った御意見であると思います。
また、それは多分世界規模でもいえることかもしれませんね。」

2015年11月11日水曜日

20151111 モビリティー 地域性 創造性などについて・・ 

A「どうも、その後求職活動に何か進展はありましたか?」

B「いえ、その後特に大きな進展はありませんが、また何か動きがありましたら御連絡します。」

A「早いところBさんが納得出来る職に就けると良いですね・・。」

B「ええ、早いところこの原因不明のストレスによる体調不良が治ることを願っています。
あと、最近起きた不思議な体の変化は、鼻と上唇の間のヒゲが濃くなったことです。
指でこの場所を撫でてみますと、以前と比べ明らかに表面粗さが増大していることが認められます。
ここ最近、食生活などに大きな変化はありませんので「これは一体何が原因なのか?」と思いましたね。」

A「ああ、ヒゲが急に濃くなったのはこれまでいくつか見聞きしましたけれど、あれもたしかストレスが原因ではないかといわれている様です。」

B「はあ、なるほど、そうですか・・。
鼻の下のヒゲもストレスが原因なのですか。
まあ、それでしたら髪の毛が多く抜けてしまうよりかはまだいいかもしれませんね・・。」
あと、ストレスといえば先日所用で都心に出向いた帰り、
三人の若い中国人女性グループに英語で道を聞かれました。
話す態度、様子から見ると大分洗練されておりましたが、
多分どうにか問題なく対応出来たのではないかと思います。
質問に答えている間はやはり緊張しておりましたが、それでも以前女性恐怖症であった私からすれば、ずいぶん進化したものだと我ながら少し嬉しく思いました(笑)。
しかし同時に、自分の故郷から離れた場所の女性になるにしたがい、この恐怖は薄らいでいく可能性もあるのかもしれません・・。
そして、このことをもう少し考えてみますと、私自身の把握可能な出自とは、もっとも西にいっても富山、静岡県であり、東は福島県です。
そうした中、私が様々な経験をした西日本に対しアイデンティティーを持つことは、私の家族からすれば奇異に映るようですが、私個人の意見としては、本来男性とは少なくとも若い時にはそうやって色々と動きまわる方が良いのではないかなと思います・・。
そして、この考えが社会において奇異なものとなるにつれて社会とは固定、膠着化して発展性の余地をなくしていってしまうのではないかと思います・・。」

A「はあ、それはモビリティーの概念に近いものがありますね。
あと、それは男性のみに対し適応される考えなのでしょうか?」

B「いえ、女性に関してはよくわからないので、とりあえず言及しませんでした。
しかし一方、日本の各地方、地域における文化の基盤を継続して守ってきたのは多く女性に拠ると考えますので、やはりいくら男女平等とはいいましても、性差による適した職能分担とは自然発生的に存在すると思います。
それ故、男女共に異性を真似しあえばいいといった簡単なものではないと思います・・」。

A「はあ、なるほどです。
たしかに男性に比べ女性の方が色々な意味で真面目ですから、それに伴って適した職能とはあってもいいのかもしれませんね。」

B「ええ、これも私個人の意見ですが、医療系専門職の特に臨床部門については男性よりも女性の方が適しているのではないかと思います。
それに対して男性とは概して外を動き回ったり、体をより多く使う職に就いた方が良いのではないかと思います。
しかし、こういった考えはかつての職業分類におけるホワイトカラー、ブルーカラーなどと結び付き易く、特に文化の後進、停滞地域においては、こういった傾向は著しく、そのことが将来の我が国において必要な産業構造の変化を阻害しているのではないかとも思えます・・。
同時に今後それが改善される要素も見当たりませんが・。」

A「Bさんはこれまでに様々な学部を見てきましたから、それらの学部における何と云いますか、背景文化、価値観を見聞きしてきたと思います。
そして、今の御意見とは、そういったところから出たものなのですか?」

B「ええ、確かにそういった部分もありますが、それ以前に私の認識する本質的に存在すると思われる性差に因る傾向に基づき、それに経験を付加させたものであるとした方が適切かもしれません・・。」

A「はあ、なるほどです・・。
あと、それで話は変りますが、いや、もしかしたらつながるのかもしれませんが、前のブログにて書かれていたフェリーニの「ローマ」ですが、あれと同じ様な映画を現在の日本、東京を舞台として制作することは難しいのではないかと思います。
何故ならば、あの映画の中で描かれる種類の権威に対する皮肉、批判とは現在の日本では絶対にできそうにないと思うからです。
また、平将門から太田道灌、徳川将軍家、天皇家など東京に縁のある、根付いている歴史的要素を包括し、一つの映画作品の中に置き、描く物語を作ることは、私も含め今の日本人では難しいのではないかと思います・・。
ああいった歴史物語であり、そして芸術作品でもあるものとは、要素への分解、再配列などで簡単に制作できる類いのものではないと思います・・。
ですから、ああいったものは、現在の日本の枯渇、あるいは忘却された創造性の中では作ることは難しいのではないかと思います・・。
そして、ここから少し乱暴な意見になりますが、その原因とは、端的にいうと、マンガ、スマホそしてPCではないかと思います・・。
マンガとは日本の誇るべき文化であるというのが我が国社会におけるパラダイムです。
私はそれに対し特に否定はしません。
しかし同時にマンガにより生じた想念、考え、アイデアと活字により生じたそれ等とは、次元、相が違うのではないかと思うのです。
そしてマンガにより生じたそれ等が社会において主要なものとなり多数、主流派になりますと、社会は劣化、脆弱化し、文化は単純化、浅薄になると思います・・。
そして諸外国は、そういったことは多分十分知っているのではないかと思います。
しかし同時に彼らは日本がそうなってくれた方が諸事都合が良いことも知っていますので絶対に注意はしません。
そして、こういったことを指摘すると逆に非難されるというのは現在の我々の社会なのではないでしょうか?
これが単なる杞憂であることを願います。
そして楚の屈原の悲劇性とは、こういったところにあったのかもしれません。」

B「はあ、なるほどです。
「悪貨は良貨を駆逐する」ですかね?
ともあれ、私もテレビゲームはあまり良いものであるとは思えませんね・・。
書籍もテレビゲームも極言すれば時間つぶしの道具ではあるのですが、私は頭の中が旧式なもので、テレビゲームがもたらす思考の特性が書籍のもたらすそれに比べ、決して良いものであると未だ現在認められないのです(笑)。
しかし、たしかに、こういったことによって国の未来とはまた変っていくのかもしれませんね・・。」

2015年11月9日月曜日

20151109 東京を舞台とした映画 地霊との融和・・

A「どうも、お久し振り、お元気ですか?」

B「ああ、いえ求職活動をしていますが、特に元気ではないです。最近は少し胃が痛むようになってきました・・。」

A「そうですか・・職探しの時期は辛いものがあると思いますが、まあ、どうにか無事に乗り切ってください。
そういえば、こないだ久しぶりに映画の「戦争の犬たち」を観ました。
あの頃の映画は現在の戦争、アクション映画よりも何だかドスがきいていますね・・。
まあ、フォーサイス原作の映画はどれもかなり男くさいですけれど・・(笑)。」

B「「戦争の犬たち」ですか・・たしかにあれはかなり面白かったですね(笑)。
ああいった映画は最近なかなかないですね・・。
それでも私はどちらかというと「ジャッカルの日」の方が当時のヨーロッパの空気、雰囲気が伝わってくるので好きですね。」

A「ええ、あのあたりの映画はマンガ「パイナップルアーミー」や「マスターキートン」やアニメ「カリオストロの城」などに影響を与えているのではないかと思っています。
あと「ジャッカルの日」は同じくスナイパーによる暗殺を主題としたアメリカ映画の「山猫は眠らない」と比べ、確かに全体的にヨーロッパ文化の色彩が濃厚であり、背景の街並みなどを見ていてもフェリーニの「ローマ」の様でもあり面白いと思います。
ちなみに現在の東京でフェリーニの「ローマ」を観たらけっこう興味深く観ることができるのではないかと思います。
さらに東京を舞台にして、こうした映画を制作してみるのも案外面白いのかもしれません・・。」

B「それでしたら「帝都物語」という映画が以前ありましたが、あれはどうも意味がよくわからないままでした(笑)。
しかしそれでも、そのアイデアは面白いかもしれませんね・・。
かつての東京の残影と共にオリンピックを前にした狂騒の様子を記録映画とすることは、後年その価値が認められるのではないかと思います。」

A「帝都物語」はかなり懐かしいですね(笑)。
あれは関東大震災のシーンが結構リアルであったことが印象的でしたが、私も映画の内容、意味はよくわかりませんでしたがね・・。
それでさっきいった映画の題名はそうですね「Tokyo 2015 The past and future」なんてどうですかね(笑)。」

B「ああ、それは面白いかもしれませんね。
それでも私が少し気になるのは新しく建設する国立競技場の場所なのですが、あそこは太平洋戦争中に学徒出陣の壮行会が行われたところですよね・・。
そういった過去を清め、鎮めるために、あの場所はキチンと祀った方が良いのではないかと思いますが、どうなのでしょうか・・?」

A「ええ、あまり迷信的なのもどうかと思いますが、一方でそういわれますと今度は映画「シャイニング」を思い出しますね・・。
あの映画のオチの一つは、舞台となったホテルの建っている場所はかつてネイティブ・アメリカン達の墓地であったのですが、ああいうのは本当に何か関係あるのでしょうかね・・?
しかし、そういわれると、さきほどの帝都物語の伏線でも大手町にある平将門の首塚が出てきましたが、あそこは移転、移設できないいわれがあるとのことですから、まあ、何かしらあるのかもしれませんね・・。」

B「平将門の首塚は有名ですが、あと「耳なし芳一」の壇ノ浦も有名ですね・・。
そういえば、話しは変りますが先日、木下順二の「子午線の祀り」という戯曲を読みましたが、これは「平家物語」を下地においたものですが、かなり面白かったです。
「シェイクスピアが平家物語をベースに戯曲を書いたらこんな感じになるのかな・・。」と思いましたが、これは一度読んでみる価値があると思います。
また、この戯曲も現代に再び劇として上演してみたら面白いのではないでしょうか?」

A「Bさんは戯曲も読むのですか・・。
私はシェイクスピアの作品はいくつか読んだことがありますが、日本の作品はこれまでにあまり縁がありませんでした。
それでその「子午線の祀り」はどう面白いのですか?」

B「ええ、これは加藤周一がどこかで書いていたのですが、歌舞伎などの劇での科白とは、その内容が個別的であり、そこに普遍的な意味、内容を持つものが少ないことからあまり面白くないとのことでしたが、この「子午線の祀り」は科白がシェイクスピアの作品の様で普遍性を持ち、活き活きとしていて面白いのです。
今度機会がありましたら、ブログに載せてみようと思いますので一度読んでみてください。」

A「はあ、そうですか。では今度拝読させて頂きます。
それにしても何ですか、その地霊というのは本当にいるのでしょうかね・・?
そして、もし、いるとしたらこの国立競技場にいる地霊達は一体何を今の東京、日本に思っているのでしょうかね?
こういうことは一時期三島由紀夫が書いたりしていましたが、実は現在の日本こそ、彼が心配した日本社会の未来の様相を体現しているのかもしれませんね・・。」

B「ええ、今仰ったことは抽象的ではありますが、同時によくわかりますし、時折私も考えることです・・。
上手くいえませんが、何だか日本いや世界中どこの地域、国の人間社会において男系と女系の抗争は常時為されており、その何れかが優勢劣勢であるかを示すのが、社会に生じる様々な出来事、事象、傾向ではないかと思います・・。
何だかAさんの発言よりもよほど抽象的ですが、そんな感じがします(笑)。」

A「男系と女系の抗争ですか・・確かにそういわれてみるとそうかも知れませんね・・。
それで、現在の日本社会とは、どちらが優勢であるとBさんは思っているのですか?」

B「ええ、全体的にですが、これまで圧倒的に優勢であった女系的な要素がかげりを見せているのが現在の日本の状況ではないかと思います・・。
しかし、いずれにしても、男女共に異性をバカにしてしまっては、後が恐いということを、もう少し早く学ぶべきではなかったのかなと思います・・。
まあ、それでも、どちらかというと女性恐怖症であった私がいえることではないかもしれせせんが・・(苦笑)。」

A「Bさんは女性恐怖症だったのですか!?
あまりそうは見えませんが・・。」

B「ええ、それは多分、若い時分での経験が原因ですね(笑)。そして、それがどうにか良い方向に変化・治癒していったのが、一連の西日本での生活経験によるものでしたので、現在あまり首都圏の文化に拘泥、固執していない理由の根源とは、そういったところにあるのではないかと思っています。」

A「はあ、なるほどそうだったのですか・・。
それははじめてお聞きしました。」



Trailer "Roma" (Fellini, 1972)


Trailer The Day of the Jackal