2015年11月22日日曜日

20151118 兄そして社会について・・

A「段々と寒くなってきていますが、体調はどうですか?」


B「ええ、特に問題ありませんが、この時期になりますと6年前の丁度この時期に亡くなった兄のことを思い出しますね・・。
兄と私は小さい頃よくケンカをしたものでしたが、高校時代あたりから色々と話すようになり、南紀、和歌山在住時には首都圏歯科大学の大学院生であった兄が何回か訪ねてきてくれました。
その時、一緒に合川ダムに釣りに行ったり、陶芸体験をしたり、あとは県内の古墳巡りも行きましたね・・・
その際、有田市の藤並神社境内にある泣沢女古墳を見学したのですが、首都圏ではあまり見られない普通の街並みの中にある神社境内に立地する古墳に甚く感心したようで、説明板を読み、周囲を丹念に見回っていました。そして、説明板に古墳の被葬者が12歳程度の女性であると書かれていたのを読み、兄はおもむろに「うーん、これは多分上顎6番、第一大臼歯の咬耗の具合によってその様に考えられたのだろうな・・。」と言ったことを憶えています・・。
当時の私はその意味が分かりませんでしたが、後に歯科技工学校に入りその意味を知りました。」


A「ああ、もう6年になるのか・・あれはたしか2009年だったね。Bさんもその時はずいぶんつらかったでしょう・・。」


B「ええ、あの時は鹿児島在住一年目でしたが、兄の死後3ヶ月程度はどうも事態が呑み込めず、ただ呆然とした状態であったことを憶えています・・。
忌引後、鹿児島に戻り数日経った頃、講座によく来られる方々と話しをしていましたら、そのうちの御一人が鹿児島市内で開業されていた兄と同じ歯科大学御出身の歯科医師の一人が若くして亡くなられていることを世間話、井戸端会議の様に声をひそめながらも強調する口調で話された時はショックでめまいがしました。そして何故か拳を強く握り締めていました・・。
その方は性格の悪い方ではないと思いますので、もしかしたら、兄の死で呆然としている私に喝を入れる目的でその様なことをいわれたのかもしれません。
しかし、それでもこういったことをその時、その場所で普通に話しに出すことの出来るという、ある種のサディズム、嗜虐性とは、口ではどんなにキレイごとをいおうとも現実の我々の社会から絶対になくならないのではないかと思います・・。
また、こういった良くいえば野趣あふれる教育的な発言、悪くいえば、ことばの暴力ともいえるものは、先進諸国の中でも高い自殺率を誇る我が国においては、当然の様にあまねく存在するものであり、また特に日本社会に興味のある海外の方々は、こういった人の心を強く揺さぶる発言が、一見周囲にわからないように、記憶されないように、さりげなく為されているのが我々日本人の社会の一面であることを認識されると、より日本文化の深層への理解が深まるのではないかと思います・・。
そしてこれは民度の問題以前に、何といいますか業の深さに原因があるのではないかと思います。また同時に、これは地域・文化圏毎においてかなり大きなブレ、偏差があるのではないかと思います。」


A「うん、ちょっと迷信じみているような感じもするけれど、日本社会一般にはたしかにそういったドロドロとした一面があるね・・。
実際私もそういった経験は君よりも多くあるとは思うけれども、そこで大事なのは、その後で少し間を置いてから激昂せずに冷静に指摘することではないかな・・?
まあ、しかしそれ以前に問題であると思うのは、表面的な態度は現代的であり洗練されていても、その内面、中身においては、どす黒い情念が渦巻いているような行為態度を何やら良いものとしなければならない社会であり、また、そういった行為態度を大人の常識、洗練されたものとして身につけていかねばならない若い世代は大変痛々しいものがあるねえ・・。
その意味で現在進展中の国際化とは、こういったドロドロした因習的な要素が以前よりかは若干希薄にもなるのかもしれないが・・。
あるいは若い頃の能動的な激しい運動によってあらかじめ昇華するべきものなのかもしれない・・。
いや、それよりも若い世代は、もし本当に必要であると思うならば、団塊の世代がかつてそう試みた様に、その時代の覇権を握っている方々を物理的な方法で排除して構わないのではないかとも思います。
結局将来においてツケを支払わせられるのは彼等であるのだから、そのくらいの権利は行使しても良いのかもしれない・・。
また、最近のお笑い界で私が不思議に思うのは、何故かつて「赤信号みんなで渡ればこわくない」などといった当時でいえば明確に反社会的ないくつかのネタにより一世風靡した現在のあの大御所芸人が、某若手芸人コンビのネタが原爆、反日と関連する可能性が強いということで、非難できるのかということです・・。
両者共にテレビの画面で見てきた私にはどうしてもその様に見えてしまう・・。
もっとも、ほとんどの人々はそういったことをすぐに忘れてしまうのでしょうが・・。
そして、当事者達は毎度のことの様に問題をすり替えたりして、上手く逃げおおせるのでしょうが・・しかし長い目で見ると実はそれが問題であったのかもしれない・・。
あるいはこういったことは我が国の社会ではタブーなのかもしれないね・・。」


B「・・ええ、それはたしかにありますね。
我々の社会は何でも正面から取り組む、戦いを挑むのをどうも記紀の時代から佳しとしない傾向があると思います。
別件逮捕的なものであったり、ああいうのは何ともいえず人を不安にさせるものがありますね・・。
何というかジョージ・オーウェルの「1984」の世界みたいなところがあるのです。まあ、それが全体主義的社会の特徴であるならば、日本とは少なくとも近代以降、現代に至るまで全体主義的な社会であり、おそらく今後もそうなのでしょう・・。
転機となりそうな出来事は時折起きるのですが、いつの間にかそれらも収束、安定してまた全体主義的な社会に再帰着するのです。
ですから、それが本来の自然体なのではないかと思います。
しかし、そうした傾向は案外他の多くの国の社会においても同様であるのかもしれません・・それが全体主義的であるかどうかは別として・・。
とにかく、こうした社会の傾向に対する不断の警戒というものの価値が見出されないまま、欧米を直接的始原とする科学・技術的知識を吸収、駆使して同等の位置に到達したのが現代の日本をはじめとするアジア諸国、いや、最近は欧米自身もそうであるのかもしれません・・。
そして、その科学・技術の粋たるものがパソコン・スマホなどの情報機器なのでしょうが、同じ文字を読むのでもそれら機器のモニターから読むのと、紙面から読むのではその後に生じる想念、思考に違いが出てくるのかもしれません・・。
これはもしかしたら木簡から紙面への変化などよりも大きなものなのかもしれないです。何故ならば筆書という一種の身体性の要素が大きく欠落したからです・・。」


A「うん、最近の国際社会はネットの普及によってか、何でもスピード、正確さが要求されているようで、その結果、人間の機械化あるいは機械への人間の適応によってより一層拍車がかかり、チャップリンのあの映画みたいなことが再び生じつつあるのかもしれないね・・。
これは仕方のないことなのでしょうか・・?
・・いや、ともあれ、さきほどの我が国のドロドロした因習的な要素についてだけれど、実はああいったものが引き起こす「怒り」とは、エネルギーに変えられるものであり、それはノーベル賞を受賞されたあの先生の発言にも見られます。
また、その怒りとは、例外はありますが、その多くは若いうちにしか持ち得ないものであり、それは通常、年齢の上昇、あきらめと共に減衰してゆくものです・・。
そして、その若さ故の怒りからのエネルギーにより主体が創造したものが、世間と感応して人気となり、経済的効果が生じ、その結果、一時的にではあるが、世間を活性化させます。そして人気、経済的効果により主体はエネルギーの源であった怒りを持ち得なくなることから、そのエネルギーの供給源を他に求めつつも創造を続け、それがまた世間と感応して、活性化が為されるサイクルが繰り返されるのではないだろうか・・。
その様な一連の流れが時間の経過により感応、活性化の度合い、程度が鈍化、低下すると、今度は新陳代謝の様に新しい主体による一連のサイクルが再び始まるのでしょう。
これは内燃機関にて動く無限軌道の様なもの、あるいはまたフレーザーの「金枝篇」内の「殺される王」もしくは中国の易姓革命の言説などを想起させますね・・。」


B「なるほど・・何だか抽象的であるのか具体的であるのかよくわからないお話でしたが、いわんとする内容はよくわかります。また、私もその考えには賛成できる部分が多くあります。ただ、少し不思議に思うのは、そのお話は、男性を主体として想定されているのですか?あるいは女性はその話しのどこに位置づけられる存在なのですか?」


A「なるほど、それは面白い指摘だね()
私の意見では、実はこの一連のサイクル、流れを無意識ながらも支配、統御しているのが女性なのではないかと思います・・。
しかし現在様々な事物が多様化しているように、女性にも色々あって、先程の主体者に位置づけられるような方も現代社会では多く見られます。
これは特に様々な分野における先駆的存在の女性がそうなのではないでしょうか?
古来より、そして特に近代以降、少なくとも我が国の社会では、こうした先駆的存在を社会の同質性を乱す因子として往々にして同性、異性問わず結果的には排斥する傾向があります。
その一方、同質性を重視する女系的な要素の力が若干弱まっている現在であるからこそ、先駆的な女性は同性からの同調圧力、排斥を免れ、頭一つ越える存在になることが比較的容易になっているのではないかとも思います・・。
しかしそれでも、これもまた私個人の意見だけれども、女性研究者、専門職の方々の自身の研鑽、努力により磨き上げ、鍛え上げられたいわゆる女子力とは、世のほとんどの男性から見れば、ほぼ妖刀であり、御自身が気付かないうちに男性を傷つけていることが多いのではないだろうかね?・・(苦笑)。」


B「はあ、なるほどです・・。
あまり同意したくないですけれど、仰ることよおくわかります()
それで、今のお話で私が思い出したのが、以前私のブログにてとり上げた若松孝二監督の「千年の愉楽」という映画です。Aさんも、もし機会がありましたら是非一度御覧ください多分、今のお話を思い出されるのではないかと思います。また、そういえば、亡くなった兄とも、よく読んだ本や映画に関しての話しをしていましたが、不思議と兄とはそういった好みが似ておりまして、最近は音楽自体あまり聴かないのですが、兄から教えてもらった曲は今でも私のお気に入りに入っています。それらのうちの一曲であるm-floの「Come Again」は現在尚かなり良い曲であると思っています。あ、この一連の会話はまた個人特定の要素を除きブログの題材にしようと思いますが、丁度兄の七回忌ということもありますので前の曲を動画サイトから共有しようと思います・・。」


A「ああ、それはいいね。」







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