2024年3月5日火曜日

20240304 2150記事に達して思ったこと:即自的から対自的への過程について

 直近、3月2日の引用記事投稿により、総投稿記事数が2150に到達しました。そして、そこからさらに50記事更新することにより、当面の目標としている2200記事に到達することができます。

50記事は、毎日1記事の更新により、2カ月弱の期間で達成可能ですが、若干余裕を持たせ、来る5月半ばでの到達を目指し今後も継続したいと思います。また、5月半ばでの2200記事到達を想定しますと、当ブログ開始から丸9年となる6月22日も近く、おそらく、そこまでは継続するものと思われます。

しかしながら、以前にも述べましたが、9年間の継続が出来たのであれば、さらに1年追加して、10年間継続することも、そこまで困難ではないようにも思われてきますので、あるいは、2025年の6月まで、どの程度の記事数になるかは分かりませんが、続けることになると思われます。

とはいえ、ブログ開始当初は継続期間などは全く考えず、ただ、自らの吐露したいことをブログ記事として作成してきましたが、そうした思いや考えが思いのほかに多かったのか、300記事程度までは、そのような感じであったと云えます。

また、当時の記事は、現在読んでみますと、さまざまな考えが重複しつつ、繋がり合っていたことに気付かされ、また、それが現在に、どのように結節しているのかといった疑問も惹起され、そこから、当時、記事の題材としたことが、現在に至るまであまり変わらない、私の興味の方向性なども看取され得ます。

そうした題材は、当ブログを継続的に読んでくださっている方であれば、おそらく、お分かり頂けると思われますが、銅鐸や古墳などであると云えます。そして、私がこれらに興味を抱くようになったのは、現在から20年ほど遡る、今世紀初頭、南紀白浜に在住していた時期でした。

それ以前の私は、そうしたことにはあまり興味を持つことなく、ただ、漠然と大学院のヨーロッパ文化専攻に進みたいと考えていました。しかしながら、当時の私の日常はヨーロッパ文化とはほど遠い南紀白浜にあり、この地域はあまり多くの人々が住んでいないにもかかわらず、古くからの人跡が数多くあり、それが古社であったり、その境内に立地する古墳であったり、あるいは何かの遺構であったりしました。

くわえて面白いことは、そうした古社や古墳、遺構などにまつわる現代まで伝わっている伝承や口碑があることでした。こうしたことは首都圏で育った私としては大きな驚きであり、また同時に、我が国の歴史文化については、ある程度の知識を持っていると、秘かに自負していた私にとっては、大きな挫折ともなりました。

そうしたなか、紀伊田辺の書店での立ち読みや、当時普及したてのインターネット検索などで、面白そうな著作を見つけては、少しずつ読んでいますと、さきの地域の言い伝えや口碑の内容とも類似あるいは相通じるものがあることが、ボンヤリとながら認識されてくるのです。こうした経緯は、現在、振り返って、こうして文章化しますと、おそらく、その通りであったとは云えるのですが、しかし、その実際の経緯には、我がことながら、明確な意図や計画といったものはありませんでした。また、自然な興味の推移といったものは、概ね、そのような様相になるのではないかとも思われます。

ともあれ、さきに述べたような経緯で、徐々に読む著作にも変化が生じ、やがて現代語訳版の「日本霊異記」(「日本国現報善悪霊異記」にほんこくげんほうぜんあくりょういき)などの古典もごく自然に読むことが出来るようになりました。

そういった意味で、和歌山を含む近畿圏とは全般的に、歴史文化の重層化の仕方、そしてその現代での有様といったものは、そこに住んでいますと、徐々に、そして自然と感覚的に理解出来るようになり、そしてそこからの文献、著作などを通じた対自的なものとしての認識へもまた、比較的自然に至ることが出来るののではないかと思われますが、ここで面白いと思われることは、地域の歴史文化を生きたモノとして見るためには、自らが生れ育った場所・地域での生活経験のみでは困難であり、どこか他の地域での(数年にわたる、埋没した)在住経験・日常生活を経て、そうした認識の仕方を得て、そしてそれを用いて、自らの故郷や、あるいはまた、他の地域を対自的なものとして理解・認識することが出来るようになると思われるのです。

とはいえ、現在の私を鑑みますと、そうした異郷での在住期間が長く、そしてまた、その過程において自分自身も変わってしまい、全体としては疲れてしまったように思われるのです。それはおそらく鹿児島在住期間での生命の燃焼度が、それまでと比べ、顕著に強かったからであるのではないかと思われるのです。

時折、研究室でご一緒させて頂いた先生方や、その他で知遇を得た先生方から、当ブログを読まれているのかいないのか「よく昔のことを憶えているね。」といった主旨のことを仰って頂きますが、それは端的に、先述の生命の燃焼度が強かったからであり、その要因は、人の情感を励起させる当地の風土や習俗、あるいは個人的には、兄の死や指導教員の予期せぬ退職などにより、精神が「危機モード」になっていたからであると思われます。

そして、そうした緊張はあまり長い期間続けることは出来ず、学位取得を頂点として徐々に弛緩そして緩慢なものになり、それをどうにか制御するために、学位取得の2年後である2015年より、当ブログをはじめたのだとも云えます。また、この公表を前提とするブログが現在まで(どうにか)継続することが出来ているのは、さきに述べた鹿児島在住期間に「危機モード」になり、生命の燃焼度も強まり、公開の文章を作成するような(してしまうような、ある種、躁的とも云える)精神のスタンスを覚えた(覚えてしまった)からであるのではないかと思われるのです。

このことにつきましては、まだ思うところがありますので、後日、またの機会に述べたいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


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