2024年2月10日土曜日

20240210 株式会社 草思社刊 ポール・ケネディ著 鈴木主税訳「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉」pp.223-224より抜粋

株式会社 草思社刊 ポール・ケネディ著 鈴木主税訳「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉」pp.223-224より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4794204914
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4794204912

 ナポレオンの没落から半世紀あまりのあいだに形成された国際関係には、独特な性格がある。そこには一時的なものもあったが、その反面、いつまでも尾をひいて現代の特徴をつくっているものもある。 

 その第一は、世界経済の統合が進み、(一八四〇年代以降は)とりわけ顕著になってきたことである。世界経済が相互にからみあって、いっそう多くの地域が大洋の両側をつないで両大陸にまたがる貿易と金融のネットワークのなかに組み込まれていく。このネットワークの中心は西ヨーロッパであり、とくに大英帝国だった。イギリスが経済の覇権を握ったこの時代は、同時に輸送と通信手段が大きく改善され、多くの産業技術が地域かた地域へとすみやかに伝わっていって、製造業の生産高が急激に増大し、その刺戟を受けて農業や原材料部門でも新たな分野の開拓が進んだ時期である。関税障壁が崩されて、重商主義政策が展開され、自由貿易と国際協調という理想が広く受け入れられて、新しい国際秩序が生まれ、世界では大国が抗争を繰り返した十八世紀とはまったく様相が一変したかに見えた。このころには、一七九三年から一八一五年までの戦いー十九世紀には「大戦」と呼ばれたーによる混乱と疲弊にこりて、保守主義者も自由主義者もともにできるだけ平和と安定を求めるべきだと考え、ヨーロッパの協調や自由貿易など、さまざまな手段が編み出された。当然、商業および産業への長期的な投資が伸び、世界経済の成長が促進されることになる。

 この時代にみられる第二の特徴は、長期にわたる大国間の戦闘がなかったといっても、国家間の利害の衝突がすべて解消されたわけではなかったことである。とにかく、ヨーロッパと北アメリカは未開発地域をめぐって激しい征服戦争を繰り広げていたし、海外への経済進出には多くの場合軍事行動がともない、非ヨーロッパ社会が世界の生産高に占める割合は急激に減少する。さらに、ヨーロッパの列強のあいだの地域紛争や散発的な衝突も起こったし、とくに領土の帰属や国境の決定をめぐっての争いは多かった。しかし、これからみるように、一八五九年のフランスとオーストリアの戦いや一八六〇年代のドイツ統一戦争のような公然たる敵対行動は期間も地域も限られていたし、クリミア戦争でさえとても大戦争とはいえなかった。ただし、アメリカの南北戦争だけは例外で、これについてはのちほど検討する。

 第三に、産業革命に端を発するテクノロジーの進展が、陸海の軍事技術にも影響をおよぼしはじめていた。だが、この変化はこれまでにいわれてきたよりもずっとゆっくりしたもので、十九世紀後半になってやっと鉄道や電信、速射砲、蒸気エンジンの利用、装甲艦などが戦力の決定的な指標になる。新しい技術の導入によって、大国は火力でも機動性でも主導権を握り、海外でもわがもの顔にふるまうのだが、陸海の軍隊の指揮官がヨーロッパの戦いの概念を見直すようになるのはそれから何十年も先のことである。とはいえ、技術の変化と産業の発展の二つが原動力となって、陸でも海でもさまざまな影響をおよぼし、やがては大国の力関係にも変化が生じてくる。

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