2023年7月10日月曜日

20230709 19世紀後半から続く我が国の「文明開化」・「開化」について③

そして、実際にそうであったからこそ、訪問から郵便そして電報から電話やメールへと、進化とも云える変化を遂げてきたのではないかと考えます。これは要するに、あまりやりたくない仕事は避けて快適に生きたいというわがままな要求や、あるいは働いても報われないといった不満から、さきの活力節約の側の力が大きくなり、やがて事態の変化・発展をもたらす力へと成長するのではないかと思われるのです。以上が、さきに述べた「義務に対しての消極的な活力節約と、道楽に対しての積極的な活力消耗の双方が相互作用」を具体的に述べたものですが、これら性質の相互作用とは、往々にして同時代での道徳観と合致するものではなく、あるいは非難されることもあるのでしょうが、しかし実際のところ、こうしたダイナミズム(相互作用の過程)を経ることなしに、事物とは進化的に発展することは難しいのではないかと思われます。

そして実際、この活力節約の願望から生まれた様々な発明や技術と、活力消耗という娯楽としての側面が絡み合い、混沌とした開化現象が生じています。これは、人間生来の進歩を追求する本能的な傾向から派生する一種のパラドックスであると云えます。しかしながら、我々は何千年もの間に時間をかけて進化してきた結果、生活はより楽にはならず、実際の困難さはあまり変わらないのです。これは開化の進展に伴い競争が激しくなり、生活が違う意味でますます困難になってきたからであると云えます。例えば、勉強の競争において小学生と大学生では異なるかもしれませんが、根本的には同じ課題に直面していると云えます。つまり、昔と現代の人々では、幸福度や不幸度には違いがあるかもしれませんが、生存の不安や努力に関しては昔と変わっていないということになります。あるいは異言しますと、かつては生き残るために戦って必死に努力をしましたが、今では生きるかどうかではなく、どのような状態で生きるかという競争が展開されているのだと云えます。

ここでは我が国の開化の特殊性について説明します。一般的な開化とは、内発的であるのに対し、我が国の開化は外発的であると云えます。内発的な開化とは、自然な形で内部から進展することであり、外発的な開化とは、外部の力によって形を取らざるを得ないことを意味します。その意味において西洋の開化は自然な流れで進んできたと云えますが、それは我が国の開化とは異なります。他国と接触する際には影響を受けることは避けられませんが、長期的に見れば、日本の開化は比較的内発的に進んできたと言えます。ただし、鎖国政策が終わり、突如として西洋文化の影響が強く現れたことは例外的な衝撃でした。日本の開化は急速に変化しました。外部の刺激によって自己の能力を失い、他者の意見に従わざるを得ない状況に陥ったのです。この状況は一時的なものではなく、数十年前から続いており、今後も続くでしょう。我が国には他に方法がないため、外部の刺激によって押され続けるのです。その理由は明らかです。先述の開化の定義に戻れば、西洋の開化は労力を節約し、娯楽に積極的に取り組む方法を持っています。つまり、内発的に進んできた段階で、急に複雑な開化が現れ、私たちに圧力をかけたのです。

この圧力により、我々は自然な進展ではなく、無理に発展せざるを得ない状況になりました。そのため、近代以降の我が国での開化は、ゆっくり進むことはできず、大きなステップにて進まなければなりません。足が地面に触れる時間は短く、そして一部のみを通過します。他の部分は通過しません。これが外発的という意味です。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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