2022年6月6日月曜日

20220606 早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」1暁のZ作戦 pp.136‐138より抜粋

早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」1暁のZ作戦 pp.136‐138より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504342
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504342

日本人の内部には、形而上学的な直観と動物的・本能的衝動とが隣合って存在している。だからこそ、思想が獣化され、獣性が思想化されたのである。過激分子が決行した暗殺その他の流血事件は、理想主義によって動機づけられたのである。そして、結局東洋人のための東洋をまもるべく中国へ渡った兵士たちは、南京で、多数の東洋人仲間を殺してしまったのである。

 日本人の思惟方法では、超越的なものと経験的なものー菊と刀ーの間に、何の緩衝地帯も置こうとしない。彼らは宗教的であったが、西欧的な罪の概念はなかった。同情心はあっても、人間性に欠けていた。閥による結びつきはあるが、人間としての交わりは希薄であった。強固な家族制度を持つが、個人はその中に埋没していた。ひとことで言えば、日本人は偉大でしかも精力的な民族であり、しばしば相対立する力にかりたてられ、相対立する方向に同時に進もうとする人々であった。

 そのうえ、些細な点でも、東西間には多くの相違があり、これが不必要な軋轢を助長する結果となった。西洋人が「この道は、東京へ行く道ではありませんね」と尋ねたとする。日本人はきっと「はい」と答えるだろう。ところが、その「はい」という意味は「あなたのおっしゃる言葉がそのまま正しいのです。その道は東京へ通じるではありません」ということである。日本人は、西洋人に対してただ相手の感情をそこなうまうとして、あるいは面倒な事態を避けるために、相づちを打ったり、また自分が知らないことが言えないで、ついまちがったことを教えたりするようなことをするので、誤解を生む結果となった。

 ほとんどの西洋人にとって、日本人は全く不可解な民族であった。道具の使用法一つを見てもすべて違っていた。しゃがみこんで鉄床を打ち、鋸や鉋は押さずに引いて使う。家を建てるときはまず屋根をふく。鍵をあけるには左に回す。これは方向が違うのである。日本人がする事なす事はすべて西洋人と逆である。動詞は最後にもってきて話すし、読み方も逆である。書き方も逆である。椅子に掛けずに直接床にすわる。魚は生で食べ、まだ動いている海老を生きたまま食卓に供する。身辺の最も悲しいでき事さえも笑いながら話すのである。いっちょうらの服を着たまま泥の中に落ち込んでも、白い歯を見せながら立ち上がる。わざとまちがったさしずをしておいて、自分の考えを相手にわからせる。回りくどい遠回しな態度でそばの者を押しのける。ある男を暗殺した後で、その召使いに家の中を汚したことについて詫びを言ったりする。

 西洋人たちが気づかなかった点は、日本人が近代性と西欧の流儀を付焼刃的に見にまとってはいるものの、その衣の下は依然として「東洋人」だったこと、そして封建制度から帝国主義への急速な移行があまりにも激しく進んでしまったため、西洋的な価値観ではなく、もっぱら西洋的方法に関心があった日本の指導者たちは、自由主義や人道主義を根づかせるだけの時間的余裕も気持も持つひまがなかったということだった。

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