2021年6月25日金曜日

20210625 中央公論新社刊 中公クラシックス 柳田国男著「明治大正史」世相篇 pp.181-184より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 柳田国男著「明治大正史」世相篇
pp.181-184より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600134
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600134

都市はいつの間にか驚くほど大きくなっていた。これでは大き過ぎると思うくらいの成長ぶりを示した。それでいて、その今までの役目が依然として単純であったのである。主としては消費の標準を示そうというのが、人も官府も一致しての計画であったけれども、以前と違うのは田舎から取り寄せて使おうとせずに、できるだけ自分の手で作って、兼ねて余分のものを地方にも頒とうとする企てにあった。国を動いて居るいっさいの産物も、いったんはここに集めて入用の分を止め、残りはその整理と配分とを此方の考えできめてやろうというのが、いわゆる経済都市の自ら任じた抱負であった。新しい交通系統はまずこれを支援したのである。

 ついで諸国の田舎から移って来た者も、一人としてこの計画に加担しておらぬ者がなかった。消費の緩急と適不適は土地ごとに不同であるにしても、これを総括して指導する者は大小の都市であった。個々の生産力との釣合いまでは考えられない。買うことはできなくとも欲しい品物は来て居る。これがわれわれの貧窮感を、第一次に痛烈ならしめたのである。都市は搾取者だという類の無理な憎しみが、処々に叫ばれたのもこの結果を見てからであった。町には産し得ない商品を農村が統制して、対抗して見ようとしたのも窮策であったが、これも多くの場合にはあべこべに利用せられて、結局は双方の弱い者だけの苦しみになって居る。町にはまた町の方で、最近袂を別って来た故郷人の無情を、怨もうとして居る者が多くなって来たが、この対立ばかりはどう考えても誤解であった。

 都市を総国民の力で支持して行こうということは、最初からの約束であったといってもよい。そのためにめいめいが故郷の余りの勤労を分けて、安んじてこれへ送り込んだのであった。現に国外に対しては今でもその建設と偉大なる膨張とを、自慢にしようとする者さえ多いのである。実際また都市を大きくし過ぎて支持に困難を感ずるということを、ただちに失敗と見るにはまだ早いかもしれない。村でも湊でも幾度かこういう階段を通って、弱って衰えてはまた改造せられてい居る。都市の新しい試みは彼らの思う存分であって、まだ一度も批評せられ牽制せられたことがないのである。住民には故郷の因縁ばかりなお深く、人を他人と見、その親愛の地を互いに無視し合う風は、近く出て来た地方人ほど盛んであった。つまりは相結び相知るの必要が、今はまだ十分に感ぜられていないので、改造もまた前進の途上にあるのである。

 そういう不用意なる大小の都市の間にも、早晩に生存のための競争が現れ来て居る。汽車がその大多数を連絡してしまうと、ただちに気づかれるのは町と町との間隔のあまりに短いということであった。単なる消費と分配の町ならば、そういくつもの中心は要らぬということになって、力のやや劣ったものが苦悶し始めた。一部は何らかの特殊生産を見つけて、新たに自分の領域を拓こうとして居るのだが、他の多くはむしろこのわずかな距離の差を利用しても隣を接する都市の繁華を奪い取ろうとする。模倣はこの趣旨から急激に行われて居るのである。以前の城下町などがそれぞれに持っていた気分はそのために破れ、特色ある周囲の風景と縁が切れても、いよいよもって多くの町はいずれか一つあれば沢山ということになり、競争は必死(至)に陥った。これに中央の商業が干与すると、いっそう速やかに地方旧市の矜持は崩壊するのであった。現在の彼らはその事業の中心を中央商品の取次ぎに置いて居る。自分で作り設けまたは保持して世に示そうとするものが、ことのほかに乏しくなって居るのである。人口がひとり非凡に増加するというだけで、日本の小都市ほど各自の文化を持たぬ都市は類が少ない。あるいは大学その他の学校をも争い取ったけれども、これとても単なる繁栄の刺激であったゆえに、それを自分のものとしては愛護していない。他の幾多の官庁・兵営、もしくは道路・鉄道の引張り凧に至っては、ことに見苦しい闘奪が多く、その惨劇は今もなお持続しているのである。

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