2015年9月14日月曜日

林房雄著「大東亜戦争肯定論」番町書房刊pp.172-176より抜粋

私の試論に対する反論がだいぶ方々に現れてきた。
私はまじめにそれらを読んでいる。
教えられた部分は虚心に受け入れるつもりである。
ただ、それらは現在のところ、「日支事変」と「太平洋戦争」に関するものが多い。
私の試論はまだそこまでは進んでいない。その時が来たらお答えするであろうが、ここで一言だけふれておきたいのは、明治以後に日本が行った諸戦争の前半は民族独立戦争であり解放戦争であっても、後半は帝国主義的侵略戦争であったという折衷意見である。この分析は右派にも左派にもある。そんなに簡明に分析できたら話しは簡単であるが、それでは最近の百年間の歴史は説明できず、何の実りももたらし得ないことがわかったので、私は「東亜百年戦争」という仮説を立てたのだ。
右のような折衷意見は解剖学者が解剖に専心して生きた人間を見失ったのとよく似ている。
歴史は生きた人間がつくったものだ。あらゆる人間的なもの―大矛盾と小矛盾、過失と行きすぎ、善意に発した悪業、誤算と愚行、目的と手段との逆倒、予想できなかった障害による挫折と脇道、その他、ありとあらゆる人間的弱点を含みつつ進行する。
歴史家はまず人間学者でなければならないのだ。

分析と解剖に終始して綜合をわすれることも禁物である。
分析しただけで綜合できない者は死体を切り刻む解剖屋にはなれても歴史家にはなれない。
わずか百年間の日本歴史を綜合的に解釈できなくて、何が歴史家であるか!
何度お繰り返したように、私の「東亜百年戦争説」は一つの仮説である。
これは卑下した意味ではない。仮説とは決して思いつきやデタラメのことではなく、学問のための、真理発見のための設定だ。英語ではTheory,日本語では「理論」とも訳されていることは御存知のとおりである。
私は専門の歴史家ではないが、若い頃から日本の歴史に非常な興味と関心を持った。持たざるを得なかった。
というのは、私はちょうど日本のナショナリズムの最盛期であり、同時に最初の崩壊の徴候を示し始めた明治40年代に少年として育ち、社会主義思想の最初の開花期である大正末年に高等学校と大学の学生であった。
私の思想経歴は例えば河上肇博士がたどったような激しい国家主義から「無我の愛」を経て社会主義に至るという自然なコースとは逆に、いきなり河上肇博士の「貧乏物語」と「社会問題研究」を読むことから始まった。
続いて、発生したばかりの日本共産党の学生部隊となり、「資本論」も完読せず、レーニントロツキースターリンのパンフレットを読むことだけで「実際運動」の中を右往左往した。日本の歴史については何も知らなかった。しかも、確信的な天皇制打倒論者であり、インタナショナリストのつもりでいた。
この確信がゆらぎはじめたのは、入獄によって日本歴史と日本人の伝記を読む機会を与えられた時からである。
これはおかしいぞと思い始め、母と妻にたのみ、手に入るかぎりの歴史書を集めて差し入れてもらった。
私の「転向」が始まった。「転向」の原因を弾圧のみに帰するのはまちがっている。
刑務所というものは―私の知っているのは日本のそれだけだが―外の人が想像しているほど恐ろしいものでも陰惨な場所でもない。刑務所だけでは思想犯は転向しない。
出獄して、私は「青年」を書き、再入獄して、また歴史書を読み、「壮年」を書いた。共に三十代の作品である。三十半ばから戦後にかけて「西郷隆盛」十二巻を書いた。
これも歴史の勉強になった。
私は思想遍歴または思想成熟の経過は別にくわしく書く時があろう。ここで言っておきたいことは、「東亜百年戦争」という仮説は、かれらの私なりの勉強中の中から生まれたもので、例えば当代野次馬精神の親玉、大宅壮一氏が茶化したような「ひろげ得るかぎりひろげた大風呂敷」などというものではない。
マルクスの唯物史観も一つの有力な仮説である。それは在来の史観では発見できなかった多くの歴史的真実を発見させてくれた。
しかし、マルクスの天才をもたぬ日本の「マルクス主義者」諸氏は日本歴史に対するその適応をあやまったようだ。
彼等の適応方法は唯物史観をただの内在史観(一つの民族と国家の発展と崩壊の原因をその内部にのみ求めようとする史観)に終わらせてしまった。例えば井上清教授の「天皇制」を読むと、日本の太古には、輝かしく人民的な原始共産制があったというマルクス・エンゲルスの「楽園神話」が何の論証もなしに書き込まれている。
その他の「マルクス主義者」の著書もまた、古代の天皇制は奴隷制であり、明治天皇制は封建主義からブルジョア共和制の過渡期に出現する「絶対主義」だと規定しているのが多い。
彼等の「学説」によると、日本歴史もまた絶対に階級分裂と階級闘争によって「内在的」に発展しなければならぬ。
そのために、封建制の内部における資本主義の萌芽としてのマニュファクチュアに関する実りのない大論争が起こったり、大ナショナリストで君主制論者の福沢諭吉がアメリカ風の民主主義にされてしまったり、自由民権運動がソ連式の人民的反天皇制革命闘争だとこじつけられたり、全くテンヤワンヤである。
特に日支事変と「太平洋戦争」に関しては、ただひたすらに略奪的侵略的非人道的反文明的闘争であり、すべての戦争がそうだというのならまだわかるが、日本人だけが史上空前の戦争犯罪者扱いにされているので、そんな赤っ面の大悪党が私たちのあいだに住んでいたのかと、思わずまわりを見まわしたくなるほどだ。
私の「百年戦争説」は日本の歴史と日本人の歩みの真実の姿に近づくための仮説である。「内在史観」に対してはむしろ「外在史観」(民族、国家の発展の動機をそれ自身の内部だけではなく、外部からの圧力に対する抵抗に求める。例えばトインビーの「挑戦と応戦の理論」)だが、必ずしも民族のみを重んじて階級を無視しているわけではない。左翼も右翼もない。真実だけが真実なのだ。まだ先は長い。道草が多すぎると思われる読者もあることだろうが、私としては精いっぱい慎重に歩いているつもりである。結論より批判と論証に力を入れねばならぬ。

林房雄
大東亜戦争肯定論
大東亜戦争肯定論 (中公文庫)
ISBN-10: 4122060400
ISBN-13: 978-4122060401





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