2023年11月6日月曜日

20231106 中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.303-306より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」pp.303-306より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600274
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600271

 西欧における政治革命と相並んでの産業革命こそは、ヨーロッパの世界覇権を確立せしめる決定的要素となった。西欧の侵略に対し、辛うじて自ら支持し来った、東亜の清朝、西亜のトルコ二大国も幾度かの反抗の後、ついに戟を投じて敵の軍門に投降せざるを得なくなったのである。オスマン・トルコの衰頽とともに西アジアの没落が始まった。西アジア社会の没落は、それが最古の文明を有し、最も進み過ぎたる社会の没落であるが故に、必然の結果としてその苦悶が最も深刻であった。オスマン帝国領土の分割は、まず北方におけるバルカン半島小民族、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャの独立に始まり、次いで南方におけるエジプトの独立で、一段落となった。

 エジプトは先に十字軍の勇将大サラジンを開祖とするアユビド王朝衰えて、奴隷的傭兵の有力者代る代る立ちてマメルウク王朝と称せられ、やがてオスマン・トルコの領土となったが、傭兵軍閥の勢力盛んにして、トルコ皇帝は総督を派遣したるも政令始めより徹底し能わなかった。その後ナポレオンのエジプト遠征あり、フランス軍の撤退に乗じてエジプトを実力をもって征服統一したのが、バルカン生れの傭兵出身マホメット・アリその人である。当時先住の傭兵軍閥の勢いなお盛んにて、アリも最初はこれを利用して自己の勢力伸長に資したが、ようやくにしてその制御し難きを思い、強豪480名をカイロ城内に招いて饗宴の後、一網打尽にこれを誅殺した。アリ王朝の基礎ここにおいて確立し、オスマン・トルコ朝廷より世襲の総督たることを認められたのであるが、その土地の重要性はやがて英国の食指を動かさずにはおかなかった。スエズ運河の工事は最初フランス人の手によって着手成功したのであるが、英人は国王イスマイルの財政困難に乗じて運河会社を買取し、さらに金銭を国王に貸しつけて、エジプト国家を破産に導いたのである。国家の破産、そは本質上乞食の破産以上にむつかしいことであるが、破産を宣告し得る敵国があって始めて可能である。エジプトは破産の結果国家を競売に付す代りに、英仏の保護下に準禁治産者の宣告を受けることになった。エジプト人はかかる謀略の進行に対して不満やる方なく、ついに「エジプト人のエジプト」なるスローガンを掲げて暴動を起こしたが、英国軍隊によって鎮圧され、この時以来英国のエジプト占領は第一次世界大戦の勃発まで引き続き、大戦中に英国は完全にこれを保護国と化して現在に至っているのである。

 スエズ運河の開鑿は、東西洋間の歴史的交通路を一変せしめ、インド洋、紅海、地中海を経由する航路が世界最大の交通動脈幹線となった。エジプトは英国にとって本国とインドを連結する連鎖の最も重要なる一環となっている。この南方海上交通路に対して北方にはロシアが建設したる北方シベリア鉄道があって、東西洋の一連絡路となっている。ただしこの鉄道の敷設せられたのは既に過去の時代に属する。新時代の要求する交通路は、やはり古代のいわゆる「絹の路」すなわち中国の開封、中国より蘭州、敦煌を経て天山南路に入り、パミール高原を越えてロシア領トルキスタンの河間地方、サマルカンドの付近に出で、これより裏海、黒海の南岸もしくは北岸を通過して地中海に到達する路線ではあるまいか。はたして然らば、シリア地方は再び東西交通の孔道を扼して昔日のごとく世界を動かす支点となり得る望みがある。

 シリア地方はオスマン朝トルコの支配下において、帝国内交通の重心であり、アレッポに駐在するトルコ総督の支配を受けた。第一次世界大戦に際して、英仏連合軍の占領するところとなり、戦後北方シリア本部はフランスの委任統治に、南方パレスチナは英国の委任統治となった。シリアは後に土着民の反抗あって叛乱起り、ダマスカスの包囲という大事件も起ったが、結局フランスは名目上の独立を与うるに決し、シリア、レバノン両共和国の成立を見た。が、ただし実権は言うまでもなくベイルート駐在のフランス総督の手中にある。パレスチナは英国の斡旋により、全世界に散在するユダヤ人をここに集めて、流浪の民に故郷を与えんとし、ユダヤ人の移住続々開始せられたるところ、先住のアラビア人は既得の権利を失わんことを虞れて反抗運動を始め、幾度か両民族の間に流血の惨事を引き起した。英国は両者の調停につとめ、トランスヨルダンを分離して純然たるアラビア地域とし、海岸に近きパレスチナをもって両民族共住の地域と定めんとしたが、アラビア人の不満はこれによって緩和されず、英国にとりては両民族の衝突、敵愾心の激化は思う壺なれど、それがやがて反英運動に転向することも容易に起り得べきをもって、自らの謀略のためにかえって痛し痒しで困しみつつある。

 メソポタミア、すなわちチグリス、ユーフラテス両河の灌漑する平野には現今イラク王国をある。この地方は第一次世界大戦中に、英将モードが主としてインド兵を率いてバスラに上陸し、トルコ兵を取り、北上して平定したる地方であって、戦後英国の委任統治となったが、間もなく反英暴動の蜂起を見、英国も已むなく実力者現王朝の始祖ファイサル一世を迎えてその主権を承認し、ただ財政上の実権を掌握して政治外交を指導するにて満足せねばならなかった。

2023年11月5日日曜日

20231105 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.13-17より抜粋

東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.13-17より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4488010512
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4488010515

ユダヤ人について私が知っているのは、祖父が教えてくれたことだけだ。「奴らはとびきりの無神論者だ」というのがその教えだった。「奴らがまっさきに考えるのは、幸福はあの世じゃなくこの世で実現するべきだということだ。だからこの世界を征服することだけを考えて行動するんだ」

 ユダヤ人の亡霊のせいで、私の子供時代は暗かった。祖父が語ってくれたのは、人を欺こうとこちらをうかがうぞっとするような彼らの目つきだとか、媚びるようなにやにや笑い、ハイエナのように歯をむき出しにした唇、ねちっこく腐りきった醜い視線、鼻と唇とのあいだの皺は憎しみが刻み込まれていつも落ち着かないとか、南国の鳥の奇怪な嘴のような鼻とかだった・・・そして、彼らの目、その目は・・。興奮すると、焦げたパンののような色の虹彩をぎょろつかせるが、その目は、18世紀にわたる憎悪による分泌物で肝臓が腐っている病状を示し、歳とともに深く刻まれるたくさんの細い皺の上でゆがんでいる。ユダヤ人は20歳ですでに老人のように衰弱して見える。微笑むと目は腫れぼったい瞼でふさがって細い線になってしまうが、それは抜け目なさのしるしとも、好色のしるしとも言われると祖父は詳しく説明した。話がわかるくらいに私が大きくなると、祖父は教えてくれた。ユダヤ人はスペイン人のようにうぬぼれが強く、クロアチア人のように無知蒙昧、レバント人のように強欲で、マルタ人のように恩知らず、ジプシーのように図々しく、イギリス人のように不潔で、カルムイク族のように脂ぎっていて、プロイセン人のように傲慢で、アスティ人のように口が悪い。おまけに、抑えがたい情欲に駆られて不義密通に走るのだと。その原因は割礼にある。一部切除された突起物の海綿体と矮小な体型との釣り合いが取れなくなって、勃起しやすくなる。

 何年も何年も毎晩のように私はユダヤ人を夢に見てきた。
幸運にも彼らに出会ったことはない。子供の時にトリノのゲットーで出会った売女(しかし、二言三言、言葉を交わしたにすぎない)と、あのオーストリアの医師(あるいはドイツの医師、だがそれは同じことだ)を別にすれば。

 私はドイツ人をよく知っているし、彼らのために働いたことさえある。思いつくかぎり、最低の人種だ。平均してドイツ人はフランス人の二倍の糞をひり出す。腸が脳髄の分まで過剰に活動しているからで、彼らの肉体の劣等ぶりを表している。蛮族侵入の時代、ゲルマンの諸部族が進んだ道には、考えられぬほど大量の人糞があちこちに残っていた。何世紀ものあいだ、フランス人旅行者は、道端に残された異様に大きな糞を見ると自分がアルザス国境を超えたのだとすぐに察しがついた。それだけではない。臭汗症つまり汗の嫌なにおいはドイツ人特有のものであり、ほかの人種の尿には15パーセントしか含まれていない窒素がドイツ人の尿には20パーセント含まれていることが証明されている。

 ドイツ人はビールとあの豚肉ソーセージをがつがつ飲み食いするせいで、いつも腸を詰まらせて生活している。ある晩私は、一度だけ行ったミュンヘンに滞在中、かつては大聖堂だったらしい場所でイギリスの港のように煙が充満し、脂身とラードの悪臭が漂う光景を目撃した。男女のカップルさえ、一杯で象の群れの渇きを癒せるほど巨大なビール・ジョッキを両手で握りしめていた。鼻を突き合わせて獣じみた愛の言葉を交わす様子はにおいを嗅ぎ合う二頭の犬のようで、けたたましく下品に笑い、濁っただみ声で大はしゃぎをし、
体に油を塗っていた古代の円形闘技場の格闘家のように顔と四肢はいつも脂で光っていた。

 奴らはいわゆる「ガイスト」をがぶ飲みする。それは酒のことだが、この麦の酒のせいで、若い頃から頭が鈍ってしまう。だからライン川の向う側では、ぞっとするほど凶悪な人相を描いた絵画と死ぬほど退屈な詩しか芸術作品が生れなかったのだ。音楽については言うまでもない。今ではフランス人まで夢中になっている騒々しくて陰気なあのワグナーの話ではない。少し聴いただけだが、バッハの作品にはまったくハーモニーがなくて冬の夜のように冷たいし、ベートーベンの交響曲は無作法な馬鹿騒ぎだ。
 ビールを暴飲するせいで、奴らは自分の柄の悪さにまったく気がつかないのだが、その極みはドイツ人であることを恥じていない点だ。ルターのような大食漢で好色な修道士(修道女と結婚するだと?)を、聖書を母語に翻訳して台無しにしたというだけで真面目に受け止めたのだ。誰が言ったのか、ドイツ人はヨーロッパの二大麻薬、アルコールとキリスト教を濫用している。

20231104 当初に対話形式記事を多く作成した背景について

本日もまたこの時季としては陽気が良くなり、日中は上着はいらず、半袖でも十分でした。とはいえ世界に目を転じますと、さる10月7日イスラム教スンニ派の民族・原理主義組織ハマースが実効支配するガザ地区と隣接したイスラエル側への奇襲攻撃を契機としてはじまった新たなパレスチナ・イスラエル戦争、そして昨年2月24日から今なお続く宇露戦争も、その帰趨が明らかにならないままであり、さらに、その他にも世界各地で、いや端的に、世界規模で暗雲が立ち込めているのが現状であると思われます。

そしてまた、この先も予断を許さない状況であると云え、わたしとしては自分なりに現在の国際情勢を精確に理解したいと考え、また偶然にも神田古本まつりが開催されたこともあり、出来るだけ関連書籍を読むことに努めてはいますが、理解が深まり、そして次の進展についての自分なりの見解といったものはまだ出て来ません・・。とはいえ、こうしたことは知識が乏しい方が、色々な想像が出来るためであるのか、さまざまな考えが浮かんではくるようですが、その分野に関する新書や専門書を読んでみますと、そう簡単には、ある程度、精確と云い得る知見・見解を述べることは出来ないことが分かってきます・・。しかしそれでもなお読み進めて行きますと、次第に、それまで培ってきた異なった分野での知見や学識の全てと化合して、ようやく、満たされた容器の縁から滴が垂れるようにして自らの知見・見解と云えるものが、わずかながら生じてくるのではないかと思われるのです。

その視座から、さきに挙げた中東・東欧地域双方共に私は専門分野としたことがないため、先述のように、いまだに精確な理解に基づく自らの見解や知見を述べることは出来ませんが、それでも以前と比べますと、それぞれの背景は理解出来るようになってきたとも云えます。

そういえば、2015年7月に亡くなった親戚(伯父)は中東地域を専門の一つとしていましたが、日常的な会話で、それが話題に挙がったことは、あまりありませんでした。それでも、この親戚は好物であったお酒を飲むと時折、イスラエル在住の頃の思い出話をされ、それはそれで面白く興味深いものでした・・。

また、この親戚は「学者や研究者で酔っ払った時に自分の専門分野に関連した面白いことを云えるのはホンモノである可能性が高い」といった主旨のことも、まさにご自身が酔った状態の時に話されていましたが、これはその時には半ば眉唾モノとして聞いていましたが「これは案外本当であるのかもしれない・・」と最近思うようになりました。

さらに、この親戚は私が和歌山在住の折にも関西方面での学会出席の機会を利用して訪ねて来てくださり、その後、修士号を取得してご自宅まで報告に行きますと、近くの飲み屋に連れ出て祝ってくださり、そしてまた、その後もどうしたわけか機会がある毎に呼んでくださるようになりました。

そうした機会で大変印象に残っているのは2007年頃、主であった祖父母が亡くなり、無人となっていた伊豆の家に休日を利用して掃除や手入れに行っていたこの親戚から、庭掃除の手助けとして呼ばれて電車で訪問した時のことです。この時は丁度盛夏であり、日中は汗だくになり、あまり食事も摂らないままで雑草の刈取りや枝の伐採などを行い、その後夕方になり、近くのスーパーまで夕食や飲み物を買い出しに出かけ、戻ってきますと冷房をきかせた室内で夕食(ほぼ刺身)を摂りつつお酒を飲みながら、色々な話をされるのですが、あれは現在になって考えてみますと興味深く面白いものであり、そこから、当ブログ初期での対話形式記事の題材となっているものも複数あります。

また、そのように考えてみますと、私が当ブログ初期の頃に対話形式を多用したことは、それなりに理に適っており、それまでの、この親戚を含めた、さまざまな方々との対話の記憶がなければ、あるいは異言しますと、書籍などによる知識や見識、たとえそれらが身体化(インカーネーション)されていても、それだけでは私の場合、当ブログを8年以上継続することは出来なかったと云い得ます。

しかし面白いもので、ではまた初心に返って対話形式のブログ記事を作成してみようかと思うことは今のところありません、しかし今後またしばらく継続していますと、何かしらの内面での変化が生じてくるようにも思われますので、今しばらく、具体的には2100記事程度までは継続してみようと考えています。

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2023年11月3日金曜日

20231102 株式会社 草思社刊 ポール・ケネディ著 鈴木主税訳「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉」pp.28-30より抜粋

株式会社 草思社刊 ポール・ケネディ著 鈴木主税訳「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉」pp.28-30より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4794203233
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4794203236

前近代のすべての文明のなかで最も進んでおり、優位を誇っていたのが中国である。15世紀の人口は1億から1億3000万人で、ヨーロッパの5000万から5500万人にくらべて圧倒的に多く、すぐれた文化をもち、灌漑のほどこされた豊かな耕地はすでに11世紀からりっぱな運河で結ばれており、教育程度の高い儒者の役人が職階制度の整備された行政機構を動かしていた。その洗練された統一国家ぶりに、訪れる外国人は羨望の目を見張ったのである。たしかに、中国文化はモンゴル部族の激しい攻撃にさらされた経験があり、フビライ・ハーンに侵略されてその支配下にあったこともある。だが中国は、征服者によって変化するよりも。征服者のほうを変えてきた実績をもつ。1368年に明王朝が成立してモンゴルを追い払い、中国の統一をはたしたとき、かつての秩序や学問の多くは温存されていたのである。「西欧」の科学を尊重する教育を受けてきた読者がいちばん驚くのは、中国文明における技術水準の高さであろう。中国えは昔から大きな図書館が存在した。可動活字による印刷は早くも11世紀に登場しており、まもなく大量の書物が印刷されている。運河建設と人口の増加に触発されて、貿易や産業も発展した。中国の都市は、同時代の中世ヨーロッパの都市よりもずっと大きく、交易路も遠くまで延びていた。早くから紙幣が利用されて、商業の発展と市場の成長に大きな役割をはたしている。11世紀末には、中国北部には巨大な製鉄産業が起こり、主として軍事用および支配者の用に供するため、毎年12万5000トンの鉄を産出していた。たとえば、100万人を超える軍隊だけでも巨大な鉄製品市場を形成していたのである。この産出量が産業革命期のイギリスのそれよりもはるかに多いことに注目すべきであろう。産業革命はなんと7世紀もあとのことなのだ。さらに中国人は最初に火薬を発明したともいわれ、明が14世紀末にはモンゴルの支配者を打倒したときには大砲が使われている。

 こうした文化的・技術的水準の高さを考えれば、中国が海外遠征や貿易に乗り出したのも当然であろう。磁気羅針盤も中国人の発明品の一つで、中国の平底帆船(ジャンク)は、スペインのガレー船に匹敵する大きさがあり、インドや太平洋の島々との交易で、陸路を行く隊商と同じくらいの利益をあげていたと思われる。それより何十年も前から揚子江流域では海戦が繰り広げられー1260年代に宋を制圧するため、フビライ・ハーンがやむなくつくりあげた大艦隊には弾丸発射装置が備えつけられていたーその流域では14世紀初めに穀物取引が栄えている。1420年に明の海軍は1350隻の軍艦を保有し、そのうち400隻は巨大な海上要塞で、250隻は長距離航海のために設計されていたという記録がある。この艦隊にはくらべるべくもないが、ほかにも民間の船団があって、すぐ朝鮮、日本、東南アジア、さらには遠く東アジアまで航海して、海上貿易に課税した中国に巨大な収入をもたらしていた。

 最も有名な公式の海外遠征は、三保(宝)太監として知られる宦官の提督、鄭和が1405年から1433年にかけて七回にわたって行なった航海である。その船団はときには何百隻もの船と何万人もの乗組員を擁し、マラッカからセイロンを経て紅海の入口、さらにはザンジバルまで航行した。そして、各地の支配者に贈り物をする一方で、意に従わない相手には北京の力を誇示している。ある船は東アフリカからキリンを持ちかえって皇帝に献上したし、またある船は中国の天子の威光を認めなかったセイロンの愚かな地方領主を連れかえった。(念のために指摘しておけば、中国はポルトガルやオランダをはじめ、インド洋を侵略したヨーロッパ諸国とちがって、掠奪したり住民を殺戮したりはしなかったらしい。)歴史学者や考古学者が明らかにしている鄭和の船団の規模や力量、航海能力ーなかでも最大級の船は長さ600フィート、排水量1500トンにおよんだーからして、エンリケ航海王子がセウタの南へ遠征する数十年前に、彼らはアフリカを回航してポルトガルを「発見」することもできただろう。

 だが、中国の遠征は1433年の航海が最後となり、3年後には皇帝の勅令で遠洋航海用の船舶の建造が禁止された。さらにその後、2本以上のマストをもつ船そのものを禁止する特別命令が出される。以後、船乗りは天津と杭州を結ぶ大運河を往来する小さな船に傭われるしかなくなり、鄭和が使った巨船は陸に引き上げられて朽ち果てた。海の向こうにはさまざまな機会がひろがっていたにもかかわらず、中国は世界に背を向けるほうを選んだのである。

2023年11月1日水曜日

20231031株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著「中東 危機の震源を読む」pp.322-325より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著「中東 危機の震源を読む」pp.322-325より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106036436
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106036439

イスラエルのガザ・ハマース攻撃は、中東と国際政治に権力の空白が重なった時期に勃発した。イスラエルではオルメルト首相が2008年9月に辞任を表明しながら新政権設立が進んでいない。オルメルトはそもそもシャロン元首相の代役だった。2005年に新党カディーマを設立したシャロンが06年1月に脳梗塞で倒れて職務遂行不能となったため、イスラエル政治では例外的に、職業軍人のキャリアを背景としないオルメルトが首相となった。しかし06年夏にレバノンのヒズブッラーへの軍事作戦の挫折で力を失い、汚職疑惑で責めたてられて辞任表明を余儀なくされた。

 カディーマ党の後継党首に選ばれたリブニ外相は、少数政党が乱立するイスラエル国家で多数派形成に失敗し組閣できず、オルメルト政権が暫定的に続いている。09年2月に予定される総選挙の結果、新たな議会多数派が形成されてはじめてイスラエル政治の空白が埋まるが、野党リクードとその党首ネタニヤフ元首相の支持率が上昇してリブニをしのぐようになっていた。今回のガザ攻撃決断の背景には、政権与党とリブニの野心があるというのが大方の推測である。

 一方、05年1月にパレスチナ自治政府大統領に当選したアッバースの任期は、厳密には09年1月9日に切れたはずである。選挙法改正で10年1月まで任期が続くというのがイスラエルと和平を進める主流派閥のファタハの苦しい説明だ。06年1月の総選挙で過半数を獲得し、07年6月にファタハとの市街戦を経てガザの支配権を掌握。イスラエルに軍事的に対峙するハマースは、自分たちこそがパレスチナ民族を正統に代表するという自信を深めている。

 ハマースが08年6月にエジプトの仲介で発効した半年間の停戦の期間を延長を拒否し、ロケット弾攻撃を再開して衝突の道を選んだのは、軍事+オプションを捨て過去の和平プロセスでの合意に縛られるファタハとの差を際立たせる狙いもある。さらに。退任するブッシュ米大統領に追い打ちをかけ体面を失わせることになったのは、反ブッシュで結束するイスラーム世界への宣伝効果が大きく、ハマースにとってこの上ない政治的成果である。

 オバマ米次期政権の中東政策は未知数で、イランとの対話を再開し、場合によってはハマースとも接触してイスラエルに厳しい対応をするという予測もあり、イスラエルとしてはブッシュ政権中にハマースの軍事能力を削いでおきたかった。

 そもそも米国の政権末期には中東情勢が流動化しやすい。2000年夏には、政権末期のクリントン大統領が和平仲介を推し進めて挫折し、直後に第二次インティファーダ(民衆蜂起)が勃発した。以来、現在に至る激しい対立が続いている。

 イスラエルとハマースの双方が、06年夏のレバノンでのイスラエル・ヒズブッラー間の戦闘を念頭に置いている。ハマースから見れば、イスラエルとの戦闘を耐え抜いてその後のレバノン政治での地位を高めたヒズブッラーに続きたい。わずかでもイスラエル側に打撃を与えられれば「戦果」として誇示できる一方、どれだけ大きな犠牲をハマースと一般市民が受けても、イスラエルの邪悪さの証明として宣伝できる。全面対決はハマースにとって政治的に最適の選択である。逆に、停戦を続ければ、イスラエルによるガザ封鎖で社会経済を崩壊させるばかりで、何ら情勢改善がなかった、という非難を受ける可能性があった。

 イスラエルとしては、対ヒズブッラー作戦の二の舞にはならない、という点を強く強調している。国際非難を避けるため報道陣の立ち入りを拒み、通信も制限し、空爆だけでなく地上部隊も導入してハマースの拠点を一つ一つ潰していく作戦を遂行している模様だ。しかし地上部隊の派遣がガザの長期的占領につながることこそが、イスラエル世論が最も忌諱する選択であり、エジプトにガザを再占領させる、といったおよそありえない選択肢までリークして世論の動揺を避けようとしている。 

 オルメルトとリブニにとっては、ガザからのロケット弾の発射を一時的にでもほとんどゼロにすることが内政上の不可欠の課題である。ガザ・エジプト国境のトンネルを介したハマースへの武器供給が止まるという説明を国民にできるような枠組みを国際社会が用意するまでは停戦を引き延ばすだろう。

 短期的にハマースの軍事力を大幅に削ぐことは可能だが、同時にハマースのパレスチナ内部やアラブ世界での政治的な威信はさらに増大する結果を伴うとみられ、中・長期的にはより深刻な問題に直面することになるかもしれない。もしハマースを根絶することができたとしても、多大な人道的被害を伴い、ハマース不在の空白にさらに過激な勢力が拠点を築くことになりかねない。

2023年10月31日火曜日

20231030 興味の方向の分岐器としての小説・・?

ここ最近は、朝晩は「涼しい」というよりも「寒い」と感じることが多くなってきましたが、世界情勢の方は去る10月7日以降、予断を許さない状況が続いていると云えます。私としては、この世界情勢を出来るだけ精確に認識したいということもあり、以前に読んだ書籍を随時取り出し読み、それらのなかで興味深いと思われる記述を引用記事として作成してきましたが、これらの多くは、当初思っていたよりも多くの方々に読まれました。これらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

とはいえ、これら引用記事は、現在進行形である東欧・中東での戦争がなければ作成も投稿もしておらず、端的には、自分が認識する世界情勢と関連していると思われる記述を引用記事としてきましたが、これまで当ブログを継続していて、そうした意図に基づき、引用記事を連続的の作成・投稿したことはなかったと思われますので、これはこれで新たな試みであるのかもしれません。しかし、その背景にあったのは、冒頭で述べた世界各地での危険な情勢や、あるいは既に生じた戦争の衝撃の強さであったのだと云えます・・。

これまでに何度か述べてきたことではありますが、私は幼い頃からどうしたわけか「歴史もの」が好きであり、その時々で好きな時代や地域が変遷していったと云えます。そして、その興味の変遷の原動力となっていたのが司馬遼太郎のさまざまな作品であったと云えます。また、そこから派生するカタチで、他の作家や研究者による一般向け著作などにも手を伸ばして読むようになったとも云えます。

このことを具体的に述べますと、司馬遼太郎は戦国時代や幕末といった比較的人気が集中し易い傾向がある時代だけでなく、弥生、古墳時代などの古代史・考古学などついても博識であり、そのなかで同志社大学の著名な考古学者である森浩一との対談があって読み、それを通じて森浩一の著作も読むようになり、そこから徐々に幅が広がって、我が国の古代史についての自分なりの「見取り図」を得ることが出来たのだと思われます。異言しますと、司馬遼太郎の案内、紹介により、考古学者の森浩一の著作を読むことが出来るようになり、そこからまた、他著者によるものも読むことが出来るようになり、徐々に幅が広がったのだと云えます。そこから、私にとって司馬遼太郎の諸作品には、これまでとは異なる何かへ興味を向けさせるターニング・ポイントのような作用があったのだと思われましたが、他の作家についても、おそらくは、その記述文章の背景には、程度の差はあれ、これまでとは異なった何かへ興味を惹く契機といったものが含まれているものであり、そして、そうした背景が「教養」と云われるものとも結節しているのではないかと思われるのです・・。あるいはそうしますと、さまざまな興味の変化や、新たに興味を惹起させる、文章の背景にあるものが教養と関係があるとすれば、それはまた南方熊楠が述べていた、さまざまな物ごとの理(ことわり)が通過・交差する「萃点」とも関連があるのではないかとも思われてくるのです・・。

とはいえ、現在は、それとは異なった分野の著作を読み進めており、さらにその次は、つい先日購入した近現代史もしくは国際関係論に関する著作を読み進める予定であるため、こちらもなかなか先が見えてきません・・。それでも、この世界情勢を自分なりに整理して理解するためにも、さきに述べた引用記事の作成と投稿はもう少し継続した方が良いのではないかと思われました。

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2023年10月29日日曜日

20231028 株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.27‐29より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.27‐29より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106038250
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106038259

レバノンでは、2005年から2006年にかけて、政治体制に大きな変化が進んでいった。米国がイラクでフセイン政権を短期間で崩壊させ、兎にも角にも民主化プロセスを推進して、選挙で選ばれた新政権と新体制を成立させたことは、アラブ世界に波紋を及ぼした。この波紋は、レバノンでは、フセイン政権と同様にバアス党のアラブ民主主義を掲げて強権的な独裁体制を敷くシリア・アサド政権によるレバノン進駐への反対運動、シリアの支配下で勢力を伸ばすシーア派政治・軍事組織のヒズブッラー(日本の報道ではヒズボラ」と表記されることが多い)への逆風という形で、まずは表面化した。2005年2月14日に、親西欧派で、サウジアラビアに支援された、スンニ派の最有力政治家ラフィーク・ハリーリー元首相が、首都ベイルートの海岸大通りで何者かによって爆殺されたことを契機に、シリアのレバノン進駐に反対する大規模な抗議行動が組織され、シリア軍を撤退に追い込んでいく。イランとシリアの支援によって台頭したヒズブッラーにとって、これは大打撃だった。しかしヒズブッラーはここから巻き返していく。ヒズブッラーは自らも大規模な抗議行動を組織して対抗し、国政を膠着状態に追い込んでいった。

 レバノン政治は、この本のテーマとなる宗派対立の元祖・家元とも言えるような存在である。中東の政治や紛争と「宗派」との関わりを理解するために、レバノン政治を見ておくことは欠かせない。レバノンは、中東の宗教と政治の関係が集約されている場所と言っていい。レバノンの国家の構成そのものが、宗派による社会の分裂を前提としており、宗派単位で議員が選出され国民が代表される制度が導入されている。宗派ごとに権力や権益が配分され、宗派間のバランスによって平和と安定が保たれる「宗派主義の政治」が、国家の成立の当初より制度化されてきた。

 2005年から2006年にかけて、このレバノンの宗派主義の政治が目まぐるしく展開し、バランスが崩れた。決定的だったのは、「2006年レバノン戦争」あるいは「イスラエル・ヒズブッラー戦争」である。2006年7月から8月にかけて、ヒズブッラーがイスラエル軍から激しい空爆を受け、多大な損害を蒙りながらも、凌ぎ切った。これにより、レバノン政治の中でシーア派のヒズブッラーが優位に立つと共に、アラブ世界全体での威信も高めた。イラクでのシーア派主導の政権の誕生に続き、レバノン政治でも、シーア派が主導権を握った、あるいは少なくとも決定的な拒否権を握ったことが、明瞭に示された。

 レバノンの内政や内戦が、国内で完結することはない。レバノンを歴史的に自国の領土とみなす隣国シリアや、シーア派勢力を支援するイラン・スンニ派勢力を支援するサウジアラビアが、国際法上は独立した主権国家であるレバノンの内政に、当然のように関与し介入する。そのことをレバノンの諸勢力も当然と考えており、むしろ積極的に外部の支援者・支援勢力を呼び込む。レバノン国内に、権利を奪われたまま居住するパレスチナ難民もまた、外部と必然的につながった内政の一要因である。パレスチナ問題は、現在は中東の紛争の主な要因とは言えないものの、アラブ世界で、あるいは中東・イスラーム世界全体で象徴的な関心を惹く問題であり、ここに関与することで、様々な勢力が存在感を示そうとする。かつてはリビアなどが、最近はカタールなどが、支援の手を差し伸べてかき乱す。レバノンはまた、西欧諸国や米国やロシアなどが中東に関与する際の入り口となる場所でもあった。特にフランスは、旧宗主国として、またカソリックが多数を占める国としてレバノンに深く関与し続けている。フランスは、カソリックの傘下にある中東固有のキリスト教マロン派(レバノンの人口の約21%を占める)と、経済的・文化的結びつきを依然として深く持っている。旧宗主国でカソリックを支援するフランスを背後にしたキリスト教マロン派が建国以来特別な地位を占め、サウジアラビアに支援されたスンニ派がマロン派と共に主導していたレバノン政治の既存の体制を、イランやシリアによって支援されたヒズブッラーが台頭して脅かした。それによって、中東はいっそう「宗派対立」の雰囲気が立ち込めていくことになる。