東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.13-17より抜粋
ISBN-10 : 4488010512
ISBN-13 : 978-4488010515
ユダヤ人について私が知っているのは、祖父が教えてくれたことだけだ。「奴らはとびきりの無神論者だ」というのがその教えだった。「奴らがまっさきに考えるのは、幸福はあの世じゃなくこの世で実現するべきだということだ。だからこの世界を征服することだけを考えて行動するんだ」
ユダヤ人の亡霊のせいで、私の子供時代は暗かった。祖父が語ってくれたのは、人を欺こうとこちらをうかがうぞっとするような彼らの目つきだとか、媚びるようなにやにや笑い、ハイエナのように歯をむき出しにした唇、ねちっこく腐りきった醜い視線、鼻と唇とのあいだの皺は憎しみが刻み込まれていつも落ち着かないとか、南国の鳥の奇怪な嘴のような鼻とかだった・・・そして、彼らの目、その目は・・。興奮すると、焦げたパンののような色の虹彩をぎょろつかせるが、その目は、18世紀にわたる憎悪による分泌物で肝臓が腐っている病状を示し、歳とともに深く刻まれるたくさんの細い皺の上でゆがんでいる。ユダヤ人は20歳ですでに老人のように衰弱して見える。微笑むと目は腫れぼったい瞼でふさがって細い線になってしまうが、それは抜け目なさのしるしとも、好色のしるしとも言われると祖父は詳しく説明した。話がわかるくらいに私が大きくなると、祖父は教えてくれた。ユダヤ人はスペイン人のようにうぬぼれが強く、クロアチア人のように無知蒙昧、レバント人のように強欲で、マルタ人のように恩知らず、ジプシーのように図々しく、イギリス人のように不潔で、カルムイク族のように脂ぎっていて、プロイセン人のように傲慢で、アスティ人のように口が悪い。おまけに、抑えがたい情欲に駆られて不義密通に走るのだと。その原因は割礼にある。一部切除された突起物の海綿体と矮小な体型との釣り合いが取れなくなって、勃起しやすくなる。
何年も何年も毎晩のように私はユダヤ人を夢に見てきた。
幸運にも彼らに出会ったことはない。子供の時にトリノのゲットーで出会った売女(しかし、二言三言、言葉を交わしたにすぎない)と、あのオーストリアの医師(あるいはドイツの医師、だがそれは同じことだ)を別にすれば。
私はドイツ人をよく知っているし、彼らのために働いたことさえある。思いつくかぎり、最低の人種だ。平均してドイツ人はフランス人の二倍の糞をひり出す。腸が脳髄の分まで過剰に活動しているからで、彼らの肉体の劣等ぶりを表している。蛮族侵入の時代、ゲルマンの諸部族が進んだ道には、考えられぬほど大量の人糞があちこちに残っていた。何世紀ものあいだ、フランス人旅行者は、道端に残された異様に大きな糞を見ると自分がアルザス国境を超えたのだとすぐに察しがついた。それだけではない。臭汗症つまり汗の嫌なにおいはドイツ人特有のものであり、ほかの人種の尿には15パーセントしか含まれていない窒素がドイツ人の尿には20パーセント含まれていることが証明されている。
ドイツ人はビールとあの豚肉ソーセージをがつがつ飲み食いするせいで、いつも腸を詰まらせて生活している。ある晩私は、一度だけ行ったミュンヘンに滞在中、かつては大聖堂だったらしい場所でイギリスの港のように煙が充満し、脂身とラードの悪臭が漂う光景を目撃した。男女のカップルさえ、一杯で象の群れの渇きを癒せるほど巨大なビール・ジョッキを両手で握りしめていた。鼻を突き合わせて獣じみた愛の言葉を交わす様子はにおいを嗅ぎ合う二頭の犬のようで、けたたましく下品に笑い、濁っただみ声で大はしゃぎをし、
体に油を塗っていた古代の円形闘技場の格闘家のように顔と四肢はいつも脂で光っていた。
奴らはいわゆる「ガイスト」をがぶ飲みする。それは酒のことだが、この麦の酒のせいで、若い頃から頭が鈍ってしまう。だからライン川の向う側では、ぞっとするほど凶悪な人相を描いた絵画と死ぬほど退屈な詩しか芸術作品が生れなかったのだ。音楽については言うまでもない。今ではフランス人まで夢中になっている騒々しくて陰気なあのワグナーの話ではない。少し聴いただけだが、バッハの作品にはまったくハーモニーがなくて冬の夜のように冷たいし、ベートーベンの交響曲は無作法な馬鹿騒ぎだ。
ビールを暴飲するせいで、奴らは自分の柄の悪さにまったく気がつかないのだが、その極みはドイツ人であることを恥じていない点だ。ルターのような大食漢で好色な修道士(修道女と結婚するだと?)を、聖書を母語に翻訳して台無しにしたというだけで真面目に受け止めたのだ。誰が言ったのか、ドイツ人はヨーロッパの二大麻薬、アルコールとキリスト教を濫用している。
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