株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.27‐29より抜粋
ISBN-10 : 4106038250
ISBN-13 : 978-4106038259
レバノンでは、2005年から2006年にかけて、政治体制に大きな変化が進んでいった。米国がイラクでフセイン政権を短期間で崩壊させ、兎にも角にも民主化プロセスを推進して、選挙で選ばれた新政権と新体制を成立させたことは、アラブ世界に波紋を及ぼした。この波紋は、レバノンでは、フセイン政権と同様にバアス党のアラブ民主主義を掲げて強権的な独裁体制を敷くシリア・アサド政権によるレバノン進駐への反対運動、シリアの支配下で勢力を伸ばすシーア派政治・軍事組織のヒズブッラー(日本の報道ではヒズボラ」と表記されることが多い)への逆風という形で、まずは表面化した。2005年2月14日に、親西欧派で、サウジアラビアに支援された、スンニ派の最有力政治家ラフィーク・ハリーリー元首相が、首都ベイルートの海岸大通りで何者かによって爆殺されたことを契機に、シリアのレバノン進駐に反対する大規模な抗議行動が組織され、シリア軍を撤退に追い込んでいく。イランとシリアの支援によって台頭したヒズブッラーにとって、これは大打撃だった。しかしヒズブッラーはここから巻き返していく。ヒズブッラーは自らも大規模な抗議行動を組織して対抗し、国政を膠着状態に追い込んでいった。
レバノン政治は、この本のテーマとなる宗派対立の元祖・家元とも言えるような存在である。中東の政治や紛争と「宗派」との関わりを理解するために、レバノン政治を見ておくことは欠かせない。レバノンは、中東の宗教と政治の関係が集約されている場所と言っていい。レバノンの国家の構成そのものが、宗派による社会の分裂を前提としており、宗派単位で議員が選出され国民が代表される制度が導入されている。宗派ごとに権力や権益が配分され、宗派間のバランスによって平和と安定が保たれる「宗派主義の政治」が、国家の成立の当初より制度化されてきた。
2005年から2006年にかけて、このレバノンの宗派主義の政治が目まぐるしく展開し、バランスが崩れた。決定的だったのは、「2006年レバノン戦争」あるいは「イスラエル・ヒズブッラー戦争」である。2006年7月から8月にかけて、ヒズブッラーがイスラエル軍から激しい空爆を受け、多大な損害を蒙りながらも、凌ぎ切った。これにより、レバノン政治の中でシーア派のヒズブッラーが優位に立つと共に、アラブ世界全体での威信も高めた。イラクでのシーア派主導の政権の誕生に続き、レバノン政治でも、シーア派が主導権を握った、あるいは少なくとも決定的な拒否権を握ったことが、明瞭に示された。
レバノンの内政や内戦が、国内で完結することはない。レバノンを歴史的に自国の領土とみなす隣国シリアや、シーア派勢力を支援するイラン・スンニ派勢力を支援するサウジアラビアが、国際法上は独立した主権国家であるレバノンの内政に、当然のように関与し介入する。そのことをレバノンの諸勢力も当然と考えており、むしろ積極的に外部の支援者・支援勢力を呼び込む。レバノン国内に、権利を奪われたまま居住するパレスチナ難民もまた、外部と必然的につながった内政の一要因である。パレスチナ問題は、現在は中東の紛争の主な要因とは言えないものの、アラブ世界で、あるいは中東・イスラーム世界全体で象徴的な関心を惹く問題であり、ここに関与することで、様々な勢力が存在感を示そうとする。かつてはリビアなどが、最近はカタールなどが、支援の手を差し伸べてかき乱す。レバノンはまた、西欧諸国や米国やロシアなどが中東に関与する際の入り口となる場所でもあった。特にフランスは、旧宗主国として、またカソリックが多数を占める国としてレバノンに深く関与し続けている。フランスは、カソリックの傘下にある中東固有のキリスト教マロン派(レバノンの人口の約21%を占める)と、経済的・文化的結びつきを依然として深く持っている。旧宗主国でカソリックを支援するフランスを背後にしたキリスト教マロン派が建国以来特別な地位を占め、サウジアラビアに支援されたスンニ派がマロン派と共に主導していたレバノン政治の既存の体制を、イランやシリアによって支援されたヒズブッラーが台頭して脅かした。それによって、中東はいっそう「宗派対立」の雰囲気が立ち込めていくことになる。
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