2023年2月12日日曜日

20230212 株式会社三省堂刊 ウィル・バッキンガム著 小須田 健 訳「哲学大図鑑」 pp.134‐137より抜粋

株式会社三省堂刊 ウィル・バッキンガム著 小須田 健 訳「哲学大図鑑」
pp.134‐137より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4385162239
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4385162232

二種類の真理がある。理性の真理と事実の真理だ
ゴットフリート・ライプニッツ(1646年~1716年)

 初期の近代哲学は、しばしば二つの学派に区分されるものとして提示される。合理主義学派(こちらには、ルネ・デカルト、ベネディクトゥス・スピノザ、イマヌエル・カントらが含まれる)と、経験主義学派(こちらには、ジョン・ロック、ジョージ・バークリーそしてディヴィッド・ヒュームらがふくまれる)だ。

実際には、それぞれに異なる哲学者たちを二つのはっきりしたグループに分けることなど簡単にできる話ではない。なにしろ、このグループの本質的なちがいは、認識論的なものであった。

つまりそれは、私たちはなにを知りうるか、自分たちが知っているということをどうやって私たちは知っているのかといった点にかんするちがいであった。簡単に言うなら、経験主義者たちは知識は経験に由来すると述べ、合理主義者たちは知識は理性的反省によってのみ獲得されうると主張するのであった。

 ライプニッツは合理主義者であったが、理性の真理と事実の真理のあいだにライプニッツが設けた区分は、合理主義と経験主義との論争に興味深いひねりをくわえるものであった。ライプニッツが主著「モナドロジー」で述べるところによるなら、原理的にあらゆる知識は合理的反省によって到達可能だ。だが、私たちの合理的能力につきまとう欠点のせいで、知識を獲得する手段として経験にも依拠せざるをえない。

心のなかの宇宙

 ライプニッツがどのようにしてこの結論にいたりついたかを見るには、彼の形而上学、つまりライプニッツが宇宙はどのように構成されていると考えたかを、わずかでも理解しておく必要がある。

ライプニッツによるなら、世界のあらゆる部分、あらゆる個々の物は、ある明瞭な概念ないし「観念」をともなっており、その観念のおのおのには、それ自身が本当のところなんであるのか、さらにはほかのものとどう関連しているのかにかかわるいっさいが内包されている。

宇宙のなかのありとあらゆるものが連結しあっていればこそ、あらゆる観念がほかのすべての観念と連結していることになるのだし、さらにこの連結をたどって宇宙全体の真理を発見することも、原理的には理性的反省の力だけで可能になるとライプニッツは主張する。こうした意味での反省が、ライプニッツの「理性の真理」という考えへつうじてゆく。だが、人間精神には、そうした真理のうちのごく少数のもの(たとえば幾何学の真理のような)しか把握できない。そのため経験にも頼らざるをえず、そこから「事実の真理」が生れる。

 こうして、たとえば雨が降っていると知ることから、地球上のどこかほかの場所では明日なにが起こるかを知ることへと推論を進めることが可能となる。ライプニッツの考えでは、その答えは、宇宙が「モナド(単子)」と呼ばれる個別的で単純な実体から構成されているという事実に潜んでいる。おのおののモナドはほかのモナドから分離されていて、それぞれが過去・現在・未来のあらゆる状態における全宇宙の完全な表象をふくんでいる。この表象がすべてのモナドのあいだで同調(シンクロナイズ)すると、あらゆるモナドが同じ内容をもつことになる。神が事物を創造したのはこのようにしてだとライプニッツは語る。つまり、あらゆる事物は、「前もって確立されている調和状態」にあるのだ。

 ライプニッツは、すべての人間精神がそれぞれ一個のモナドであり、したがって宇宙についての完全な表象をふくむと主張する。だから私たちには、原理的に言って、この世界およびそれを越えたものについて知りうるすべてを、ただ自分自身の精神を探索するだけで知ることができる。たとえば、ベテルギウス星について私がもつ観念を分析するだけで、ついには、いま現在のベテルギウス星の表面温度を決めることすらできるだろう。だが実際には、私が絶望的なまでにーライプニッツの用語で言うなら、「無限に」-複雑なために、またそれぞれを私が網羅することができないために、ベテルギウス星の温度は、理性の真理なのかそれとも事実の真理なのか。その答えを見つけるには経験的な手法に訴えかけるのが筋なのかもしれないが、私の理性的反省によってそれを発見できたほうがよかっただろう。だから、それがどちらの真理であるかは、私がどのようにしてその答えにいたりついたかに左右される。だが、これがライプニッツの言いたいことなのだろうか。


20230211 小説、物語などから認識される、さまざまな状況について

ここ最近、日が長くなり、また気温も上下しますが、日中の最高気温が少しづつ上がってきたように感じられます。また当ブログも、今回の記事投稿により、1950記事に到達します。さらに、そこから50記事の追加投稿により、当面の目標としている2000記事に到達することができるわけですが、こちらについては、当ブログ開始から丸8年となる、来る6月22日までに達成出来れば良いと考えています。

そうしますと、これから凡そ130日の間に50記事の新規投稿ということになりますので、概ね2.6日に1記事の投稿頻度となります。これであれば、そこまで苦とならずに(どうにか)到達することが出来るようにも思われますが、また今後、事情により、記事作成をしない期間がある可能性も数度見込まれることから、今後もしばらく、毎日の記事作成を目指して続けて行こうと思います。

そういえば、先日投稿の「昨日のSNS上での出来事から思ったこと【書籍をめぐる縁について】」は、おかげさまで、最近投稿したオリジナルのブログ記事としては、比較的多くの方々に読んで頂くことが出来ました。これを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そしてまた、それに関連してか、あるいは偶然であるのか、ここ最近相次いで、読んでいる小説の話題になったことがありました。その話の中で私がカレル・チャペックによる「山椒魚戦争」を挙げたことから、その直後に岩波文庫版のそれを書棚から見つけ、またしばらく読んでいたところ、興味深い記述をいくつか見つけたため、その一つを引用記事としたのが去る2月8日投稿分となります。

カレル・チャペックの作品は、去る2020年頃から新型コロナウィルス感染症が国内で拡大し、緊急事態宣言が発出された頃に「白い病」(戯曲)が話題となり、書店にて平置きされていた時期がありました。そして前出の小説「山椒魚戦争」は、昨年2月末からのウクライナ・ロシア戦争、そして近年の中華人民共和国による台湾進攻への懸念などとも関連あるいは通底する要素があるように思われます。

とはいえ、これらの作品は、それぞれフィクションとして書かれていますが、そこで大変興味深いと思われることは、もちろん、和訳文ではあるのですが、作中のさまざまな記述、描写などに、ある種の「現実感」があることです。

その具体的な一例として、去る2月8日投稿分の引用記事が挙げられますが、同時に、この引用部は、当著作を知った契機となった以前の2016年に引用記事を作成した荒俣宏による「理科系の文学誌」内にある「山椒魚戦争」についての記述が、まさに、この引用部に該当すると思われるのです。

そのように考えますと、私は2016年に「理科系の文学誌」から「山椒魚戦争」を知り、その2年後に当著作を読み、そこからさらに5年後、各種報道などで知る世界情勢から当著作が思い出されたわけですが、この一連の経緯から考えられことは、さまざまな規模での状況の様相とは、情報を多く収集することのみでは認識が困難であり、こうした小説、物語などをモデル、仮説として、そこから現実での要素を加味、検討をして、徐々に(現実との)整合的な認識へと至ることが出来るのではないかと思われるのです。そして、おそらく、この段階において、より重要であると思われるのが「文字、文章による伝達であること」であると思われるのですが、さて、如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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ISBN978-4-263-46420-5

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2023年2月9日木曜日

20230208 株式会社岩波書店刊 カレル・チャペック著 栗栖 継訳「山椒魚戦争」 pp.265‐266より抜粋

株式会社岩波書店刊 カレル・チャペック著 栗栖 継訳「山椒魚戦争」
pp.265‐266より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003277414
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003277416

山椒魚学校が国有化されたことによって、事態は簡単になった。どの国でも、山椒魚は、その国の言葉で教育されたからである。山椒魚は外国語を、比較的熱心に学ぶのだが、彼らの言語能力には、奇妙な欠陥があった。それは一つには、発声器官の構造によるものであり、一つには、どぢらかというと、心理的な原因によるものだった。たとえば、彼らは多音節から成る長い単語を発音するのが困難で、一音節にちぢめようとし、短く、すこしばかり蛙の鳴くような声で発音した。rと発音するところをlと発音し、歯擦音の場合は、心持ち舌たらずだった。文法上必要な語尾を落としたし、「私」と「われわれ」の区別が、どうしても覚えられなかった。彼らには、ある単語が女性であるか、男性であるかは、どうでもいいことだった(交尾期をのぞいて、性的に淡白であることが、こういうところに現れているのかもしれない)。

 彼らの口にかかると、どの言語も性格が変わり、この上なく単純で基礎的な形に合理化された。彼らの新語、発音、それから文法的単純さは、港に働く下層の人間たちばかりでなく、いわゆる上流階級のあいだに浸透したが、こういう表現方法は新聞にまで現れるようになって、やがて一般化した。人間のあいだでも大幅は文法上の性が焼失し、語尾が脱落し、格変化がなくなった。教育を受けた青年たちまでrを発音せず、舌たらずの歯擦音を出すようになった。教養のある人びとでも、インデテルミニスムス(非決定論)あるいはトランスセンデントノ〔英語ではトランセンデンスで、先験的世界〕の意味を説明できるものは、ほとんどいなくなったが、それは、これらの単語が、人間たちにとっても、長すぎて発音しにくくなったからにすぎない。

2023年2月8日水曜日

20230207 光文社刊 宮台真司・野田智義著「経営リーダーのための社会システム論 構造的問題と僕らの未来」 pp.189‐193より抜粋

光文社刊 宮台真司・野田智義著「経営リーダーのための社会システム論 構造的問題と僕らの未来」
PP.189‐193より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4334952933
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334952938

宮台 スローフード運動は、1986年、イタリアのローマにマクドナルドの第1号店がオープンした際、市民の間え「僕らはパニーニを食べるんだ」という声が上がり、反対運動がわき起こったのをきっかけに発展しました。99年8月には、ジョゼ・ボヴェという有名なフランスの農民活動家(現欧州議会議員)がマクドナルド店舗解体キャンペーンを始め、その様子は世界中に伝えられました。人間が社会の、あるいはシステムの奴隷になってしまうのを避けようとする戦略的な運動は、90年代をピークに一定の広がりを見せたのです。

 しかし、その後の運動には陰りが見え始めます。それは、とりわけ90年代半ば以降のグローバル化の急進展で、地元商店が大規模資本の直営店やフランチャイズに置き換えられて、ファストフードが雇用を生み出す重要なシステムとして見直されるようになったためです。2018年には、フランス、マルセイユ郊外のバルテルミー地区で、地域経済の落ち込みによってマクドナルドの閉店が決まると、住民たちが「閉店反対運動」を起こしました。

これは、残念であると同時に、非常に重大な展開です。共同体が共同体であり続けるための条件はいろいろありますが、そこには経済的環境も含まれます。具体的には、グローバル化の影響による格差拡大で貧困化が進んだコミュニティでは、人々は生きていくためにあえてシステム世界を選択せざるをえず、それによってコミュニティはますます壊れて、ますますシステム世界に依存していきます。ヨーロッパ的アプローチの限界はそこに表れています。

 マクドナルド化をディズニーランド化で埋め合わせる

宮台 これに対し、アメリカではシステム世界を重視し、システム世界の全域化そむしろ徹底しようとしています。

 移民国家アメリカの社会は多人種・多民族で構成されており、人間関係は互いを知らないという「不信ベース」で成り立っています。人間集団の基本は、同じ価値や目的を持つ人たちが集まるアソシエーション(組織集団)で、行動に責任を負うのはあくまでも個人です。また、キリスト教原理主義の国なので、人々は神に見られていると感じており、汎システム化によって人間が経験する精神的不安定にも比較的耐性が強い土壌が備わっています。

 システム世界の全域化を徹底するアプローチは、こうした歴史や文化を反映したものです。一口で言えば、成員が「動物」でも回る社会の仕組みを構想しようというものです。ここで「動物」というのは、不快を避け、快に向かう性質を持つという意味です、つまり、人々の内発的な善意ー良心ーを用いる代わりに、アメとムチだけでなく、快・不快の巧妙なコントロールを行うアーキテクチャ(仕組み)による管理下を進めるという戦略です。

 飲食店を例に取ると、大資本の直営店やフランチャイズ店では、BGMの音量、照明の明るさ、座席の硬さ、家具や調度のアメニティを使って、客の滞留時間をコントロールし、単位面積当たりの収益率を上げようとします。客は、そうした戦略に気づかず、「疲れたな」とか「飽きたな」と感じて、主観的には自発的な選択として店を出ますが、そうした自発的な選択がアーキテクチャによってコントロールされています。ローレンス・レッシングは「CODE-インターネットの合法・違法・プライバシー」(山形浩生・柏木亮二訳、翔泳社、2001年)という著書で、これを「アーキテクチュアル・パワー」と呼びます。

「人間が快・不快を感じる動物でありさえすればよい」とするこうしたアプローチは、収益率上昇にとっては有効ですが、副作用をともないます。こうしたアーキテクチュアル・パワーを用いたシステムは、客の常識的な価値観を一切当てにしないので、システム世界の全域化が進んでいけば、社会はその分、さらに「不信ベース」になりがちです。

 そうした流れを象徴するのが、モンスター・クレーマーによるカスタマー・ハラスメント(顧客・取引先からの嫌がらせ・過度クレーム)です。不信や不安が原因で、損得勘定に過剰に敏感になって、些細な不利益でヒステリーを起こす人が増えるのは、システム世界の全域化にともなう当然の副作用です。

 そうした副作用にどう対処するのか。アメリカ的アプローチでは、システム世界の全域化による副作用には、システム世界の全域化の徹底によって対処します。アメリカのマクドナルドでは、商品を受け取るまでの時間が長いことを理由に店員を殴ったクレーマー事件が発生すると、すぐさま警察に突き出して解決します。警察=行政というシステムで解決するのです。さらに、Airbnbなどでは、プロバイダーのみならず、消費者・ユーザーの振る舞いも評判スコアにカウントされますが、そうしたシステムを使うわけです。

 ここから少し話を進めます。マックス・ウェーバー研究で知られる社会学者ジョージ・リッツァは「マクドナルド化する社会」(正岡寛司監訳、早稲田大学出版部、1999年)という本を書いています。元になっているのは1980年代に書かれた論文ですが、そこで彼は「マクドナルド化(McDonaldization)」と「ディズニーランド化(Disneylandization)」という言葉を使います。

 リッツァの言う「マクドナルド化する社会」とは、人間が「動物」でありさえすれば回るような脱人間化・没人格化・損得化が進んだ社会です。そういう社会では、人々は「かけがえのない人間として扱われたい」という感情を無視されることで疎外感や不安感を抱くようになり、カウンセリングを受けなければ押しつぶされてしまうような心理状態に置かれます。

 それを対処するために使われるのが「ディズニーランド化」、すなわち祝祭的消費に因る感情的回復です。アメリカでは、マクドナルド化によって人々が抱くようになった疎外感や不安感を、ディズニーランドによって与えられる祝祭体験で埋め合わせることで、人々が感情的に破綻してシステム世界からこぼれ落ちることがないようにしているのだ、というのがリッツァの図式です。

 そこには「システムがつくり出した裂け目を、システムで埋める」というシステムのマッチポンプがあり、人間はマッチポンプの素材へと貶められています。そこには、人間を動物のような制御対象と見なすシステムの自己運動があるだけで、社会の主人としての人間という存在はほとんど完全に消え去っています。われわれの尊厳は、果たしてそれで保たれるのか。保たれないからこそ、トランプ現象や、Qアノン現象のような陰謀説のまん延があるのではないでしょうか。みなさんにじっくり考えていただきたい点です。

2023年2月6日月曜日

20230206 中央公論新社刊 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ著 清水富雄・飯塚勝久・飯塚勝久訳「モナドロジー・形而上学叙説 」pp.14-17より抜粋

中央公論新社刊 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ著 清水富雄・飯塚勝久・飯塚勝久訳「モナドロジー・形而上学叙説 」pp.14-17より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600746
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600745

ドイツが30年戦争の線から立ちなおるには、ほとんど1世紀を要した。この時代のドイツの惨状は、同時代の記録によると、たとえば人口は四分の三を失い、家畜類や財貨の損失はさらにはるかに大で、農業はもとの状態に回復するのに、ある地方では2世紀を要し、大多数の商業中心地は亡び、政治団体はあらゆる悪徳が蔓延していた。これらのすべては30年戦争に帰せられた。

 今日では、かかる状況記述には誇張があると言われ、第一に、ドイツは1618年にすでに破壊の途上にあったこと、第二に当代の記録はかならずしもそのまま信頼しがたいことが指摘されている。君主たちは金融上の義務を避けるために、諸国の損害を言いたて、市民は税をまぬがれるために、すべて自国の状態をどぎつい極彩色で描いているという。たとえばスペイン政府に対して書かれた損害表には、ある地方では破壊された村の数が存在の知られている総数以上になっている。人口の減少もある程度までは一時的な移住によるものがあり、社会的にも破壊よりは移転による。

 しかし、誇張があるにしても真実がないわけではない。人口の四分の三を失ったか、あるいはそれほどの率でなかったかにかかわりなく、それ以前にも以後にもドイツの歴史が経験しなかった全般的な災厄であったことは事実であり、挽回しがたい災厄という実感が一般的に広がっていたことはたしかである。すくなくとも戦後のドイツ再建の仕事に直面した人々には、これが一般的印象であったであろう。

 スウェーデン軍だけでも約2000の城、18000の村、1500以上の町を破壊した、バイエルンは18000の家族と900の村を失った。ボヘミアは6分の5の村と4分の3の人口を失った、とそれぞれ主張した。ユルテムベルグでは住民の6分の1に、ナッサウでは5分の1に、ヘンネベルグでは3分の1に、ヴォルヘンビュッテルは8分の1に、マグデブルグでは10分の1に、オルミッツでは15分の1以下に減少した、という当代の記述は、伝説であるとしても、モンテーヌ将軍はナッサウで「自分自身の目で見たのでなかったら、一地方がかくも荒らされ得るものとは信じなかったであろう」と述べている。(ウェッジウッド「30年戦争」1957)。

哲学者の課題ー再統合

 しかし、戦争の直接の損害より根本的に重大であったのは、社会秩序の崩壊、権威や宗教の不断の変化動揺、それがもたらした社会の解体である。これがまさに思想家の直面する問題であり、これの再建、復興が思想家の避けがたい課題となる。われわれの哲学者ライプニッツがあえて講壇の生活を捨て、広い世間に出て活動することを意欲した動機には、かかる背景が想定されてよいであろう。この課題は哲学と宗教と政治にまたがる。具体的には、分裂対立した宗教的信条の再統一、再統合、それにつながる政治的問題である。

 これを根本的に基礎づけることは哲学の使命である。これらいっさいにわたるものが、ライプニッツがみずからに課した問題である。彼の哲学が志向するものはこれなしには理解しがたいであろう。「永遠の相のものに」人間と世界を観想することを説いたスピノザが、「神学・政治論」「国家論」を書かざるを得なかったのも、同一の哲学的使命感によるであろう。しかし、それをいかなる哲学にもとめるかは、哲学者がいかなる人間であるかによって決定される。

 ライプニッツの遠大な世界史的活動は、マインツ選帝侯に仕えることによってまずその端緒を見いだした。これ以後ライプニッツの活動には、全生涯を通じて、常に宗教、政治、哲学・科学が内面的に相交錯しており、それらがずれも独立分離していないことが彼の全活動の根本的性格である。そして、それが常に世界的規模において、「普遍的universal」な見地において行われることが、もっとも性格的なところである。

 彼が君主に仕えたのは、経済的に独立でなく、しかしスピノザのようにつつましい孤独な思索者たることに満足せず、世間の中で活動することを意欲したからではあるが、より根本的な動機としては、偉大な君主をとおして自己の大志を実現しようとしたのであろう。彼の全生涯を見ると、かならずしも一国一君主に隷属した忠実な廷臣ではない。それゆえ、彼の天才を洞察することのできた君主には信頼されたが、これを理解し得ない君主には白眼視された。結局、真に彼を用いる英邁な大国の君主に出会うことのできなかったのは彼の悲運であった。彼の真の理解者・共感者は宮廷の貴婦人だけであった。

2023年2月5日日曜日

20230205 株式会社幻冬舎刊 野口悠紀雄著「2040年の日本」 pp.279-282より抜粋

株式会社幻冬舎刊 野口悠紀雄著「2040年の日本」
pp.279-282より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4344986830
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4344986831

日本の大学は工学部が強いと思われているが、強いのは、古いタイプの工学部だ。例えば、機械工学だと、世界100位以内の大学数は4校になる(東大20位、東工大43位、京大52位、東北大72位)。コンピューターサイエンスに比べて、数も多くなるし、順位も上がる。

 機械工学は、1980年代頃までの世界で重要だった学科だ。日本では、それが、いまでも工学部の中で大きな勢力になっていることが分かる。そして、これは、現実の日本産業で、自動車産業が強いことと対応している。 

 しかし、第6章でみたように、自動車産業は大きな技術革新に直面している。とりわけ重要なのは、自動運転が進展し、自動車においてもコンピューターサイエンスの重要性が増すことだ。そのような世界において、日本の自動車産業が対応できるかどうか、大いに疑問だ。

 日本が目指すべき目標として、コンピューターサイエンスの分野で世界ランキング上位100校に入る大学数の日本シェアを、日本のGDPシェア(5.9%)と同程度にすることが考えられる。そのためには、上位100校に入る日本の大学数を6校にする必要がある。いまの2校に比べて3倍にする必要がある。

 このようにして初めて、他国と同じ水準の研究・教育水準を、コンピューターサイエンスの分野で実現できるようになる。

*新しい資本主義には「大学改革」が不可欠

政府は、2022年6月、「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)を閣議決定した。岸田文雄首相が掲げる「人への投資」に重点を置き、3年間で4000億円を投じる。デジタルなど成長分野への労働移動を促すという。「新しい資本主義」は岸田政権の成長戦略の看板になる。

 しかし、大学教育が右に見たような状況では、人材面で世界水準になることは望めない。日本では、とりわけデジタル人材が不足していると言われるが、十分な教育を大学がしていなければ、人材が育つはずがない。大学ファンドの構想もあるが、金だけ出したところで、研究や教育が進むわけではない。

 また、巨額の補助金を出して、台湾の半導体メーカーTSMCの工場を熊本に誘致するが、ここで生産するのは、10年くらい前の技術を用いた半導体だ。こうした補助金をいくら出しても、最先端半導体には追い付かない。このように、いま考えられている方策では、展望は開けない。

 日本の産業を発展させるためには、基盤となる研究開発と専門的人材の育成を行う必要がある。日本が世界水準に追い付くには、大学での研究教育を根本から組み直すことが不可欠なのだ。

大学教育の状況は、未来を映し出す鏡だ。右に述べたような状況を根本的に改革しない限り、日本に未来は開けない。


20230204 「将来のビジョン」と今年の目標について・・

ここ最近は、当ブロガーでのブログ記事作成のほかに、いくつかの文章を作成させて頂いておりますが、それらはあまり大きく取り上げられるような性質のものではなりません。しかし、そうした仕事も、おそらくは当ブログの継続的な記事作成があったからこそ、どうにか出来ているのではないかと思われるのです。

また、ここ最近どのような偶然か「将来のビジョンは?」という問いを、異なる場所にて何度か受ける機会がありました。そのような問いに接し、そして考えてみますと、現在の私には「明確なビジョン」が無いようにも思われるのです。

昨年であれば、いくつかの目標を立てていましたが、全てではありませんが、それらのいくつかは周囲の皆様のおかげにより、どうにか叶いつつある方向に進んでおります。

そして「将来のビジョンは?」をさらに具体的にして「今年のビジョンはと?」と考えてみますと、またJrec-inなどのサイトを閲覧、応募して、月に何日か勤務のパートタイムにて西南日本にある医療介護系あるいは、それら学科をメインとした大学の職に就きたいと思っています。

希望する職務の内容は、教養科目の講義、大学独自の興味深い取組みなどの取材そしてその発信、あるいは首都圏での就職を希望する学生さんへの情報提供などの就職支援活動などであれば(どうにか)出来るのではないかと思われます。

また、言い換えますと、その職種に就き、西南日本と首都圏との往来を重ねることにより、また徐々に、生気を取り戻すことが出来るのではないかと思われるのです。そのためにまたJrec-inなどの閲覧を始めようと思いますが、同時に、上述職務内容にて西南日本在の大学の求人が出ることは、かなり稀であると思われますので、あるいは当ブログを読んで頂いておられる方々で「少し頭がおかしいかもしれないけれど、こんなヒトがいるよ。」と関係される方々に御周知頂き、さらにおススメして頂けましたら、大変ありがたいです。

しかし、そうした職務内容についても、たしかに重要ではありますが、あるいはそれよりも、より重要であるのは「実入り」の具合(額)であるのかもしれません・・。そして、そのように考えてみますと、私はあまり多くの額を稼ぐ技能や才能が乏しいのではないかと思われるのですが、しかし同時に、それだけが大事なものではないとも思われますので、私としては、当ブログは未だ、直接的に金銭的な利益をもたらしてくれているわけではないものの、しかし、こうした、いわば独自の取組みとは「きっかけ」になるものであると云えますので、当面の目標としている2000記事到達までは、どうにか続けたいと考えています。そして、その後については、未だ明言は出来ませんが、やはりまた何かしらの文章を作成し続けるのではないかと思われます・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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ISBN978-4-263-46420-5

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