2022年11月16日水曜日

20221116 株式会社文藝春秋刊 大岡昇平著「対談 戦争と文学と」 pp.283-284より抜粋

pp.283-284より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4168130509
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4168130502

司馬 歩兵は肉体一つですから敗勢の場合でも、斬り込みをやって死ぬとか、ある意味では変化の可能性がたくさんあるわけですかれど、戦車隊ですと機械力が劣弱の場合、それが絶対的なもので、運命についての可能性などは少しもありません。暗いものでした。ただ鋼板の厚みで、国家の力がからだで否応なしにわかってしまうという、そういうわかり方はあの戦車に入っていますとありました。敵の鋼板は、とても厚くて、自分の小さな大砲ではタドンを投げたようでカスリ傷もあたえることができない。日本のほうは、体裁はととのっているけれど、いざ戦場に出ると豆腐みたいに砲弾で貫かれてしまう。あの97式中戦車は、できあがったときには国際的水準に近い戦車だったようですが、しかしすぐ時代遅れになっています。昭和12年のことでしたか、戦闘機が7万円、爆撃機が20万円のとき、戦車は35万円だったそうですから、日本の国力ではモデルチェンジができないわけです。ノモンハンが終わったころに量産のコースにのったシロモノで、独ソ戦を経た欧米のレベルからみればとても・・。太平洋戦争の初期のマレー作成のときは、駐留英軍が装甲車程度しか持っていませんでしたから、相対的に威力はありませんでしたけれど・・、あとはずっと、役立たずでした。

大岡 ノモンハンのときに、だめだということは証明されているわけだからねえ。あれより大型は作らなかったのですか。

司馬 日本の国内鉄道が狭軌でしょう。ですから日本の貨車の幅で戦車の幅が決まるわけですから大型はだめだったんですね。

大岡 レイテにも戦車はきましたが、もっぱら、大砲を引っぱたり、連絡に使うつもりでもってきたらしい。馬はすぐ死んじゃうのでね。ところが、戦車ってのは、すぐ飛行機に見つかっちゃうんで、昼間は広いところには出られない。夜だけ動き回っていたらしい。

司馬 沖縄でもそうです。沖縄にも、戦車隊が一個連隊おりましたが、実際には使いものにならない。飛行機や相手の戦車にどんどんやられちゃいますから。そうすると、温存されてきて、他がみんなやられたのに戦車だけが残っては申しわけないというので、夜襲をかけた。戦車で夜襲はできないというのは、常識ですけれど、大きな音がしましてね、それに、夜襲には、無線が使えない。無線による指揮ができないとなると、バラバラになるおそれがある。であるのに夜陰いっせいに動きだして、敵の方角へ進んだんです。全滅しなければ申しわけないという非戦術的理由だけで。むろん相手の大砲にドカドカと迎え撃たれて、20分ほどで全滅したしたという。ここらへんがなにか、日本の旧国家のすがたですね。

大岡 レイテ島でも、ペリリュー島でも、敵があがった晩、やはり夜襲をかけて全滅してしまう。戦車隊はおいといても、すぐ見つかっちゃうし、邪魔になるばかりなんです。ほかにやることがないから、潰してしまう。終末的思想とでもいうほかないですねえ。

2022年11月15日火曜日

20221114 株式会社岩波書店刊 森嶋通夫著「日本はなぜ没落するか」 pp.11-15より抜粋

株式会社岩波書店刊 森嶋通夫著「日本はなぜ没落するか」
pp.11-15より抜粋
ISBN-10: 4006032056
ISBN-13: 978-4006032050

 動物の場合は、死んで往くものと生まれてくるものに殆ど差はないから、集団の質はほぼ一定である。しかし文化を身につけている人間は、死んで往くものが身につけていた文化と異なった文化を身につける子供が生まれてくるから、集団の質は変わってくる。

 しかし欧米諸国では文化の変化はそれほど大きくない。自国内での自発的な変化が大部分であり、よそから文化を移入するとしても、その「よそ」もまた欧米文化の伝統の中にあるから、移入による文化の変化は大きくない。(ただし旧植民地帝国では大きい変化があった。)

 だが日本の場合、死んで往く老人が、伝統的な日本文化を身につけており、生まれてきたものは欧米文化をより多く身につけるとするならば、出生と死亡がもたらす文化交替は集団の質を激変させることになる。特に敗戦後、戦前、戦中の国粋的な文化が、戦後のアメリカ文化によって置き換えられることによって、日本の人口の質は急変してきた。

 特別な考察をすべきは、戦後の教育改革である。それは日本の人口の質に画期的な変化を引き起こす筈だと考えられていた。戦前は忠君愛国、挙国一致を促進させるような教育が行われた。国民道徳の規範は政府によって、一方的に定められ、学校は産業側の労働需要に応じるように、多様化されており、高等教育も高給職に将来就く人を供給するだけに制限されていた。だから大学はエリートを育成するためのものだった。

 こういう教育体制は、占領軍によって破壊された。中等教育は複線路線でなく、特殊な職業に適した専門化された学校を最小限にしか許さない単線路線のものにさせられた。その上高等教育期間はエリート養成のための専門教育ではなく、市民のため国民のための高い水準の教育をつける所と考えられるようになった。国家が必要とする高い知識を生徒や学生に教え込むという姿勢は教育の場から一掃され、自由主義、個人主義が教育の根幹となった。

 こうして国家主義的教育を受けた年長者と自由主義教育を受けた若年者が、戦後日本に共存するようになったが、彼らの中間には戦前教育を幼い時に受け、後に戦後教育に切り替えられた過渡期の人が介在した。これらの人の中には、殆どが戦前教育で、その後僅かに戦後教育を受けたというような、種々の年齢層の人が混在した。戦後教育は1946年に始まり(完全な戦後教育を受けたのは1939年に生まれた人からである)戦前教育(旧制大学教育)は1953年に終了した。(1930年生まれの学生が最後の卒業生である)から、過渡期は8年ということになる。

 切り替えは円滑でなかった。戦後の思想教育ー自由主義と個人主義ーは、それまでの全体主義、国家主義の教育をしていた教師によって教えられたからである。自由主義や個人主義が履き違えられることが多く、誤解されたこれらの主義は、好ましくない影響を被教育者に及ぼす。だから欧米の学校では自由主義、個人主義とは何であって、何でないかについて徹底的な議論が教室で生徒相互間、生徒と教師の間で行われるのに、日本ではそういうことは殆ど行われなかったと言える。教師自身がそれらについて無知に近かったからである。小学一年から大学を卒業するまで16年の間、戦後教育のみを受けた純粋戦後教育派の場合でも、しっかりとした思想的核心を持ちえなかったと言ってよい。

 戦後の第一年は純粋戦後期に属する一年分の人がいた他は、全員それまでの戦前教育に一年分の戦後教育を付加した過渡期の人であった。戦後17年目に純粋戦後教育に完全に受けた人が初めて現れた。(大学に進学せず高等学校限りで就職する人は13年目に純粋戦後派が出現した。)いま64歳までを労働人口とすると、純粋戦前派が労働人口から消滅してしまうのは、戦後49年経った時ーいまから4年前ーである。そのうえ過渡期の人々が労働人口から消え去るのは、今から更に4年経った後である。教育改革は日本国民を洗脳したのである。それは極めて徐々の洗脳であっただけに、完了するのに非常に長い時間を要したのである。

 日本のいわゆる高度成長期(1950~70年)の労働人口(ただし全員が大学を卒業したと仮定して22歳から64歳までの人)のうち、戦前派、過渡期、戦後派の階層への割り振りは次のようになっている。1950年には全員が戦前の教育を受けた人である。1960年には35年分の高年者層が戦前派、7年分の若年者層が過渡期、純粋戦後派はゼロである。高度成長最後の年には、25年分の高年者層が戦前派、8年分の中間層が過渡期の教育を受けた人達で、9年分の若年者層が戦後派の教育を受けた人達である。このように見れば高度成長に貢献した労働人口の大部分は戦前教育を受けた人だといえる。

 これに反してバブルの絶頂期の1990年は、60歳から64歳までの人は戦前に教育を受けている。続いて8年分が過渡期の人で占められ、29年分の若年者は戦後に教育を受けている。このように日本の労働人口が受けている教育の内容は、時間と共に変化してきた。教育改革は占領軍司令部(GHQ)の命令で一挙に行われたから、教育内容は即座に変えられたが、戦前のイデオロギーは教育を受けた人の頭脳の中に体化された形で、長い期間にわたって効力を保った。このような形で、旧体制は新体制の世界の中で抵抗しつづけたのである。革新は急進的であっても、体制には、効果を弱め保守化してしまう緩衝装置が備わっていたのである。

2022年11月13日日曜日

20221113 株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻pp.525-527より抜粋

株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻pp.525-527より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480084886
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480084880

三島はまた、大衆社会の商業主義を利用することでも、またそれに利用されることでも、おそらくもっとも徹底していた作家である。彼は、美的密室に閉じこもっているどころか、居合い抜きや、裸の写真展覧会や、仲間をひきつれての自衛隊の訓練への参加や、大衆伝達機関の注意を引く行動をつぎつぎに思いつき、実行した。1912年の乃木将軍の切腹は、偶然に発見されるまでは、誰にも知られないようなし方で行われた。1970年に三島が自衛隊に乗り込んで切腹したときには、放送局も新聞社も、本人からあらかじめその時と場所を予告されていたのである。戦後の大衆社会のなかで、何人かの小説家は「有名人」になり、俳優や歌手や運動選手と同じように、TVの画面で商品の広告をするようになった。しかし三島ほど絶えず「センセイショナル」な「ニューズ」の中心であり続けた作家は他にない。それが彼の第二の面である。

 しかし小説家としての三島は、「仮面の告白」(1949)から「金閣寺」(1956)まで、売るためにのみ書いたのではない。彼の価値観は、その美学も政治的信条も、高度成長社会の大衆のそれではなかった。何十万の読者に訴えるためには、小説の根底にある価値観が、大衆のそれと一致するか、少なくとも一致しているかのような印象を大衆に与えなければならない。中里介山や大仏次郎や吉川英治は、それぞれの時代に、その条件をみたしていた。経済的膨張の時代に、その条件をみたしたのは、司馬遼太郎(1923~96)である。司馬の主人公は、もはや「剣豪」ではなくて、知的英雄であり、もはや架空の役者ではなくて、実在の人物に近く、幕末や維新や日露戦争の、綿密に考証された歴史的状況のなかで動いている。その小説の英雄=主人公は、私生活においては型破りで、仕事においては正確な状況判断と強い意志により優れた指導性を発揮する実際家である。管理社会のなかで型にはめられた「モーレツ社員」の分裂した夢―型からの脱出と型のなかでの成功の願望は、鮮やかにもここに反映していた。しかも読者はその小説を通じて「歴史」を知る、あるいは少なくとも波瀾万丈の小説を愉しみながら「歴史」を学ぶと信じることができるのである。

20221112【架空の話】・其の102 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑰】

E先生は早々に一杯目のビールを飲み干していたためジョッキを下げようと取りつつ「E先生、次は何を注文しますか?」と訊ねた。すると「ああ、ちょっと焼酎があるか聞いてみて、あれば芋焼酎をロックでください。」とのことであった。すると、このやり取りを聞いていたTO先生が「E先生、ここには熊本に多い米焼酎も鹿児島に多い芋焼酎も置いてありますが、銘柄はあまり多くはありません。」とアドバイスを頂いたが、これにより彼が北隣の熊本県の御出身であることが思い出された。

お酒が入り、しばし時間が経つと、皆よく話すようになった。さきに到着した理工学のMA先生と院生は、CH先生をはじめとするクリニックとの共同研究を進めているとのことであったが、その内容の詳細は秘密保持契約(NDA)を締結しているとのことで、あまり教えて頂けなかったが、画像など医療情報についての研究開発とのことであった。

理工学研究者のMA先生の外見は、前述のように強面な感じであったが、宴席ということもあり、熊本ご出身のTO先生と、もう一人の同席者である副院長のHR先生とで、何やら話が盛り上がっていた。

内容は、こちらに聞こえたところによると、MA先生は酒に弱く普段は飲酒の習慣はないが、こちらの料理が美味しいため、普段よりもお酒が進んでいるといった内容であった。

すると傍らのCH院長が「MA先生はお酒はあまり強くはないのですね・・。分かりました。でしたら、このコース料理の〆でデザートが出るのですが、これにお酒を使ったものを出してみたいと思うのですが如何でしょうか?」と訊ねられた。

対してMA先生は「・・そうですか、お酒を使ったデザートですか。それは具体的にどのようなものですか?」と返事をされた。すると、これまでMA先生との一連の会話に入っていたHR副院長が「院長、それは私も気になりますね。どういったデザートですか?」とかぶせてきた。

CH院長は「ああ、先日、このお店で出して頂いたもので、そこまで手の込んだものではないのですが、抹茶アイスにペドロヒメネスのシェリー酒を垂らしたもので、これであればお酒が苦手な方でも、おそらく美味しく頂けると思います。」とのことであった。

私やE先生などは当時、お酒と云えば焼酎とビールぐらいしか知らなかったことから、このやり取りを聞いていて興味が昂進したようであり、CH院長の隣席にいたE先生は「CH先生、そのシェリー酒というものを飲んだ経験がないのですが、出来ましたら私も、そのデザートを頂いてみたいのですが・・?」と若干控えめなトーンで申出ると「そうですか、分かりました・・。でしたら、皆さん、本日のデザートは、この卓上のコースメニューによると、高知柚子のシャーベットということになっていますが、これを抹茶アイスのペドロヒメネスのシェリー酒をかけたものに変更することは可能か、お店側に訊ねてみますか?」とCH先生はE先生を含めて皆に訊ねた。続けて「このデザートは、もうしばらくで到着されるKA顧問からも高評価を頂いて、最近は、ご自宅での食事のデザートに、市販のアイスクリームにペドロヒメネスのシェリー酒を垂らしたものを召し上がっているとのことです。」と付け加えると、少し間を置いてから、MA先生が代表した感じとなって「対応が可能であれば、皆さん、そちらに変更しましょうか・・。」との返事をされると、早速、CH院長はお店のスタッフに問い合わせた。

やがて、さきほど我々を案内した黒のギャルソン・エプロンを着けたスタッフがやって来て、しばしCH先生と話すと、すぐに「はい、デザートの変更は可能であると思いますので、早速調理スタッフにその旨を伝えてきます。」と云い、入口で一礼をして足早に去っていった。

あとで聞いた話によると、シェリー酒は、スペイン南部のアンダルシア地方で醸造されている当初は航海中での保存のためにアルコールを強化した白ワインの一種とのことで、その中でも特に、通常の葡萄よりも甘さが凝縮されている干葡萄からつくられるペドロヒメネスは、その飲み口は極甘であり、アルコール飲料といった感じが乏しく、たとえるならば、液状にしたプルーンといった感じであり、これをバニラや抹茶などのアイスクリームに少量かけて食べると、シェリー酒とアイスクリームとの味が止揚された感があり、たいへんに美味しいものであった。


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2022年11月12日土曜日

20221111 【架空の話】と独白形式での記事作成との間にある違いから思ったこと

おかげさまで、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1885に到達します。そして、あと15記事の投稿により、当面の目標としている1900記事に到達します。おそらく、現在の調子にて記事作成を継続すれば、今月内での1900記事到達も夢ではありません。そして、次の目標は2000記事ということになりますが、これは早くて来年の本格的に春の陽気となる前、そして遅い場合であれば、当ブログ開始から丸8年となる来年の6月22日までにどうにか達成出来ればと考えています。これを換言しますと、およそ170日にて100記事の作成を要するということになりますが、そのように考えてみますと、この設定はそこまで辛いものではないとも思われますが、しかし、先日罹患した新型コロナウィルス感染症のようなことが、今後はないとも云えませんので、記事作成の頻度が遅くとも、どうにか目標に到達出来そうな状態であっても気を抜かずに、出来るだけ多くの記事を作成をしていきたいと思います。

さて、本日は【架空の話】の続きを作成しようと考えており、その話の展開も時折、考えてはいましたが、いざ作成の段に至ると、特にイヤでも、また着想がないわけでないのですが「本日も普通の独白形式にて作成しよう」と思い直し、こうして先ほどより記事作成を始めました。そして、このあたりまで作成してみますと「あるいは【架空の話】の続きを作成してみても、大体同じような感じであったのでは?」とも思い、少し後悔するのですが、それでも、たとえ、同程度の文字数の文章であっても、こうした独白形式の記事と【架空の話】では、作成時に入る心のギアのようなものが異なり、独白形式の場合は、現在もまた、そうですが、ひたすら逡巡しながら作成することが多いのに対し、【架空の話】では、話の筋となる記憶が励起されている状態であれば、それを言語化していくことは、あまり難しいものではなく、あるいは気が乗って集中しつつ【架空の話】を作成している自分に気が付くこともあります。そうした時は大体、文章の作成は早いものであり「知らぬ間にここまで作成していたのか・・」といった感を受けることがしばしばあります。

しかし、であるからといって、記憶が励起されてさえいれば【架空の話】は速やかに作成出来るといったものでもないようで【架空の話】では、概ね半分以上が自らの記憶に基づいていますが、そうした記憶とは、もとより時間的に一つながりの出来上がった物語のようなものではなく、時間軸の中に散在する記憶の断片を組合せ、そして新たな物語【架空の話】を作成していくのです・・。そして、ここまで書き連ねていて不図思い出しましたが、こうしたパッチ・ワーク的とも云える物語の作成方法は、以前に作成したブログ記事にてそれと知らずに言及していましたが、本邦神話の物語としての構造に類似しているように思われるのです。

本邦神話においては、大雑把な時間軸としては、古いところから新しいところへ流れていると云えますが、それに散りばめられた挿話や登場人物などに関しては、必ずしも新旧の順がさきと同様と云うわけでもなく、あるいは登場人物に関しては、複数の人物を一人格に統合したとされるような登場人物もいます。

こうしたことを【架空の話】の作成においても、特に意識せずに、半ば無意識にて行っていたことに対して、上述のように意識を向けてみますと、自分の精神にあるものと、我が国の神話によって示される物語の構造との共通性が見出されたようで、それはそれで興味深く思われてきます。

こうしたところには、何か説明出来るような要因といったものはあるのでしょうか?

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2022年11月11日金曜日

20221110 ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.80-82より抜粋

ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.80-82より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4478116393
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4478116395

最近、軍国主義の復活が話題になっている。「司法の危機」や四次防も軍国主義の復活と結びつけて論ずる人もあるようである。したがって、現在の危機といえば、だれしも軍国主義の復活に結びつけて考える。だが、軍国主義の復活とはなんだろう。あまり体系的には考えられてはいないようである。人びとの考え方を要約すると、スケープ・ゴート(scape goat)主義すなわち優越要因主義(dominant factor theory)の一種に帰着する。つまり、簡単にいうと、一群の腹黒い軍国主義者があって、彼らの陰謀によってデモクラシーは転覆させられ、軍国主義は復活するというのである。もとより、学者や評論家は、こんな簡単な議論はしない。平易なことでも難しく表現しないと彼らの商売は成り立たない。しかし多くの場合、彼らの論旨は、せんじつめればここに帰着する。すなわち、絢爛豪華な表現と持って回った言い回しをはぎとり、論理の骨格だけを抽出してみると次のようなタイプが析出されよう。まず、彼らの議論は友敵二分論から始まる。敵となるのは、特定の個人のこともあるし、集団、制度、イデオロギーにもなる。ここが、商売がら、ソフィスティケイト(sophisticate)されたところである。この「敵」が、デモクラシーの制度を掘り崩し、アンティ・デモクラシーの宣伝をなし、味方を陥れようとしているから断固として戦わなければならないというのである。そして、この努力が足りなければ、昔のような軍国主義が復活するとして、反軍国主義キャンペーンが義務づけられることになる。

 しかしこのような考え方は、それがどれほどソフィスティケイトされた修飾語でかざられようと、科学的にはあまり重要な議論であるとは思えない。科学的推論の特色は、全体的パースペクティヴのもとにおける諸要因間の複雑な相互作用を考慮に入れ、体系的分析によって常識では知られないような情報を提供するにある。「予期せざる結果」の説明、これこそ科学的推論のメリットでなければならない。

 スケープ・ゴート主義に対しては、まず、次のような疑問が浮かぶ。デモクラシーの没落は、腹黒い軍国主義者の陰謀によるものではなく、自らの内部に没落の萌芽を内包していることによるのではないのであろうか。もしそうだとすれば、自称デモクラートが努力すればするほどデモクラシーの没落は早まり、軍国主義の復活を助けることにならないのだろうか。戦後デモクラシーのチャンピオンと自任している人びとの思想と行動が、その本質においては、おそろしく反デモクラシー的であり、彼らが意識において誠実であろうと努めれば努めるほど欺瞞も再生産され、デモクラシーの墓穴を掘ることにはならないであろうか。

 社会現象を科学的に分析する場合に留意しなければならない重要なことは、社会で行動している人びとの意図が、そのままストレートに実現されるとは限らないということである。一般に社会現象は、無限に波及を繰り返し、フィードバックしてくるから、思いも及ばない結果を生じることが多い。したがって、行動者の意図よりも行動のパターンそのもの、波及過程の連関システムの分析が重要になってくる。したがって、軍国主義者復活の問題を論ずるに際しても、人びとがどのような意図を持っているかという問題だけでなしに、行動のパターン、社会構造などがまた、重要な分析対象となる。さて、このように分析の視点を設定してみると、注目すべき事実に導かれる。行動のパターン、社会構造に関する限り、戦前のいわゆる軍国主義者も、戦後の日本人もほとんど変わってはいない。この発見は、ある人びとにはショッキングかもしれないが、科学的分析の結果による、まぎれもない事実である。もし、この分析が誤りないとすれば、現代の危機も、戦前の破局と同型のものではなかろうか。それは一部の人びとの陰謀や心構えの結果生ずるのではなく、行動のパターンとその連関メカニズム作動の結果として、いわば思いもかけなかった結果として発生するのではなかろうか。

2022年11月10日木曜日

20221109 先日「ブロガー」にて閲覧者数の急増があったことから・・

ごく稀に、当ブログを運営している「ブロガー」サイトでの1日の閲覧者数が1000人を超えることがあります。そしてつい先日、10月28日が1896人と、過去半年にて最も多い閲覧者数となっていましたが、こちらについては未だ、その理由は分かりません。また、読んで頂いていた記事は多岐に渡っていることから、単一の理由により、あまり早急に、この閲覧者数の急増は説明しなくても良いのではないかと思われました。

ともあれ、こうした「閲覧者数の急増」は、当ブログであれば概ね半年毎に生じています。これらも、さきに述べました通り、理由は分からないものの、7年程度ブログ記事の作成を(どうにか)継続しますと、こうした自分について新たに知った性質(この場合であれば「自分が毎日文章を作成すると、半年に一度ほどの頻度で小さくウケることがある」といったところか。)に気が付かされることが時々あります。

これらの性質は、当ブログをはじめていなければ気が付くことはなかったと思われますので、ブログは一例ですが、我々はこうした継続的な活動を通じて、自分について何事かを知って行くことが出来るのかもしれません・・。

また、その他に当ブログを継続していて思ったこととして、特に新規の知見ではないと思われますが「ある程度以上の期間、文章を作成し続けるためには、日常のどこかで(多くは仕事分野以外の)文章を読む習慣が必要ではないか」といったものがあります。

そうしますと、その継続的な文章作成のための、ある種マトリックスとなる文体があるように思われますが、それが所謂「小説」であると私は思います。また、一言で小説と云っても、その文体は多種多様であり、その中から自分に合うものを見つけるということも、それなりに知的な作業であり、また遊戯であるように思われるのです。

そして、読み進めることが出来た作家の数が徐々に増えていた中学生の頃は、その意味では充実していました・・。その当時、私が最も好んで読んでいたのが司馬遼太郎でした。この私の司馬遼太郎ブームは後日、兄弟にもうつり、特に当時は週刊ヤングサンデー誌に小山ゆう・武田鉄矢による「おーい!竜馬」という作品が連載されており、これと比較しながら司馬遼太郎による「竜馬がゆく」を読むといったこともしていました・・。

また、この両作品(「おーい!竜馬」・「竜馬がゆく」)にも端役として登場する田中顕助こと田中光顕は、維新の風雲をくぐり抜け、その後、新政府にて、いわば長州閥の傍系といった立ち位置を取り、明治、大正そして昭和14年まで生き永らえるのですが、この方による「維新風雲回顧録」は現在読んでみても大変興味深い内容であり、さきほど確認の為に書棚から手に取りパラパラと頁を繰ってみたところ、10分ほど経ってしまいました。

とはいえ、ブログ記事の作成に際しては度々そうした事態は生じますので、我に返った時に、作成している文章の展開をすぐに思い出し、さきを続けることが出来れば、特に問題はないかもしれません・・(笑)。

しかし、ここまで作成してきて思ったことは、当ブログにて、これまでに何度か取りあげた陸奥宗光ですが、この人物も、さきの「おーい!竜馬」・「竜馬がゆく」に比較的重要な役回りとして登場して来ますが、坂本龍馬と中岡慎太郎が京都の近江屋にて暗殺されると、二人が隊長を務めていた海援隊と陸援隊に隊長代理が必要となりますが、その際に海援隊の隊長代理を務めたのが陸奥陽之助(宗光)であり、同じく陸援隊のそれを務めたのが田中顕助(光顕)でした。

そのあたりのことについては、さきの田中顕助による「維新風雲回顧録」P.314あたりから書いてありましたが、ともあれ、この二人は共に、維新の志士としては、あまり恵まれた環境とは云えないところから出てきました。しかしその後、何らかの形で師匠となる存在を見出します。田中顕助は高杉晋作、陸奥陽之助であれば坂本龍馬といった具合ですが、これが、二人共同様に大きな影響を与えたのではないかと思われます。

そして、ここに来て思うことは「では、そうした影響とは、どのようなものなのであろうか?」ということであり、私がこれまでに当ブログ随所にて「文体の獲得」と述べてきましたが、あるいはそのようなこと(「文体の獲得」)も容易く出来るようになるような影響であれば、受けてみたいようにも思われてきます・・。

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