さて、本日は【架空の話】の続きを作成しようと考えており、その話の展開も時折、考えてはいましたが、いざ作成の段に至ると、特にイヤでも、また着想がないわけでないのですが「本日も普通の独白形式にて作成しよう」と思い直し、こうして先ほどより記事作成を始めました。そして、このあたりまで作成してみますと「あるいは【架空の話】の続きを作成してみても、大体同じような感じであったのでは?」とも思い、少し後悔するのですが、それでも、たとえ、同程度の文字数の文章であっても、こうした独白形式の記事と【架空の話】では、作成時に入る心のギアのようなものが異なり、独白形式の場合は、現在もまた、そうですが、ひたすら逡巡しながら作成することが多いのに対し、【架空の話】では、話の筋となる記憶が励起されている状態であれば、それを言語化していくことは、あまり難しいものではなく、あるいは気が乗って集中しつつ【架空の話】を作成している自分に気が付くこともあります。そうした時は大体、文章の作成は早いものであり「知らぬ間にここまで作成していたのか・・」といった感を受けることがしばしばあります。
しかし、であるからといって、記憶が励起されてさえいれば【架空の話】は速やかに作成出来るといったものでもないようで【架空の話】では、概ね半分以上が自らの記憶に基づいていますが、そうした記憶とは、もとより時間的に一つながりの出来上がった物語のようなものではなく、時間軸の中に散在する記憶の断片を組合せ、そして新たな物語【架空の話】を作成していくのです・・。そして、ここまで書き連ねていて不図思い出しましたが、こうしたパッチ・ワーク的とも云える物語の作成方法は、以前に作成したブログ記事にてそれと知らずに言及していましたが、本邦神話の物語としての構造に類似しているように思われるのです。
本邦神話においては、大雑把な時間軸としては、古いところから新しいところへ流れていると云えますが、それに散りばめられた挿話や登場人物などに関しては、必ずしも新旧の順がさきと同様と云うわけでもなく、あるいは登場人物に関しては、複数の人物を一人格に統合したとされるような登場人物もいます。
こうしたことを【架空の話】の作成においても、特に意識せずに、半ば無意識にて行っていたことに対して、上述のように意識を向けてみますと、自分の精神にあるものと、我が国の神話によって示される物語の構造との共通性が見出されたようで、それはそれで興味深く思われてきます。
こうしたところには、何か説明出来るような要因といったものはあるのでしょうか?
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
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