2022年3月12日土曜日

20220311 集英社刊 サミュエル・ハンティントン著 鈴木主税訳『文明の衝突』上巻 pp.292-297より抜粋

集英社刊 サミュエル・ハンティントン著 鈴木主税訳『文明の衝突』上巻
pp.292-297より抜粋

ISBN-10: 4087607372
ISBN-13: 978-4087607376

ロシアを別とすれば、旧ソ連の共和国のなかで人口が最大で最も重要な国は、ウクライナである。歴史上、ウクライナが独立国だったことは何度もある。だが、近代の大半はモスクワが政治的に支配する地域の一つだった。決定的な出来事は1654年に起きた。ポーランドの支配にたいするコサック人の反乱を指導したボグダン・フメリニツキーが、皇帝に忠誠を誓うことに同意し、その見返りとしてポーランドにたいする反乱の支援を受けたのだ。そのときから1991年までのあいだ、1917年から1920年の短い期間に独立共和国だった以外は、いまのウクライナにあたる地域は政治的にモスクワの支配下にあった。だが、ウクライナは異なる二つの文化からなる分裂国だ。西欧文明と東方正教会の文明をへだてる断層線がウクライナの中心部を走っており、しかもその状態は何世紀もつづいている。かつてウクライナ西部は、ときにはポーランドやリトアニアやオーストリア・ハンガリー帝国の一部だったこともあった。国民の多くは東方帰一教会の信者であり、東方正教会の儀式を行うが、ローマ教皇の権威を認めている。歴史的に、西部のウクライナ人はウクライナ語を話し、民族主義的な考え方をする傾向が強い。他方、東部のウクライナ人は圧倒的多数が東方正教会系であり、大部分がロシア語を話す。1990年代前半には、ウクライナの全人口の22%をロシア人が占め、ロシア語を母語とする人びとが31%を占めた。小中学校も、ロシア語で教育しているところが多数を占めた。クリミアは圧倒的多数がロシア人であり、1954年までロシア連邦の一部だったが、その年にフルシチョフがウクライナに帰属させた。建前のうえでは300年前のフメリニツキーの決意を認めたということである。

 ウクライナの東部と西部のちがいは、そこに住む人びとの意識にあらわれている。たとえば1992年末に、ウクライナ西部のロシア人の三分の一がロシアにたいする敵意に苦しんでいると答えたが、キエフでそう答えたのはわずか10%だった。東西の分裂が劇的にあらわれたのは、1994年7月の大統領選挙だった。現職のレオニード・クラフチュクは、ロシアの指導者と緊密に協力しあいながらもみずからを民族主義者と称していたが、西ウクライナの13州で勝ち、得票率が90パーセントを超えたところもあった。対立候補のレオニード・クチマは、選挙戦のあいだにウクライナ語の演説を練習し、東ウクライナの13州をクラフチュクに匹敵する得票率で獲得した。クチマは最終的に52%の得票率で当選した。事実上、1994年のウクライナの国民は1654年のフメリニツキーの選択をわずかの差で承認したことになる。この選挙は、あるアメリカ人の専門家によれば「西ウクライナのヨーロッパ化したスラブ人と、ロシア系スラブ人の考えるウクライナの理想像との分裂を反映し、それを明確にしさえした。それは民族の分裂というよりも、文化のちがいなのである」

 この分裂のために、ウクライナとロシアの関係には3通りの発展の可能性が考えられた。1990年代前半、両国のあいだには決定的に重要な問題が存在した。それは核兵器をめぐる問題であり、クリミア問題であり、またウクライナに住むロシア人の権利や、黒海艦隊や経済的な関係の問題であった。多くの人びとが武力衝突を予想し、そのために西欧の評論家のなかには、西欧はウクライナの核兵器保有を支持してロシアの侵略を防ぐべきだと主張する者もいた。しかし、重要なのが文明であるなら、ウクライナ人とロシア人とのあいだに武力衝突が起こることは考えられない。両者ともスラブ人で、大半が正教会系であり、何世紀にもわたって緊密な関係を保ち、両者のあいだの結婚もごく普通に行われている。大いに論争を呼ぶ問題をかかえ、どちらかの国にも過激な民族主義者の圧力がかかっているにもかかわらず、両国の指導者は努力を重ねて、こうした紛争の鎮圧におおむね成功している。1994年半ばのウクライナの選挙で、ロシア志向を明確にした大統領が選ばれたことにより、両国間の対立が激化する可能性は低くなった。旧ソ連の他の地域ではイスラム教徒とキリスト教徒のあいだに深刻な争いが起って、ロシアとバルト三国のあいだでも緊張が高まり、戦闘も勃発している一方で、1995年現在、ロシアとウクライナのあいだには武力衝突は事実上一度も起こっていない。

 二つ目の、もっと実現の可能性のある道は、ウクライナが断層線にそって分裂し、二つの独立した存在となって東側がロシアに吸収されるというものだ。分離問題が最初にもちあがったのは、クリミアに関してだった。クリミア共和国は人口の70%がロシア人であり、1991年12月の国民投票では、ウクライナのソ連からの独立にたいする支持がかなり高かった。1992年5月にクリミア議会はウクライナからの独立を宣言することを決議したが、ウクライナの圧力でその決議を撤回した。しかしロシア議会は、1954年のウクライナへのクリミア半島割譲を撤回すると決議した。1994年1月、クリミアでは「ロシアとの統合」を主張していた候補者が大統領に当選した。これによって一部の人びとが抱いた疑問は、「クリミアは第二のナゴルノ=カラバフやアブハジアになるのだろうか」というものだった。その答えは明確な「ノー!」だった。クリミアの新大統領が、独立を問う国民投票を実施するという公約をしりぞけ、キエフの政府と交渉したからだ。1994年5月、クリミア議会が1992年の憲法の復活を決議し、ふたたび難しい局面を迎えた。その憲法は、事実上ウクライナからのクリミアの独立を認めるものだったのだ。だが、このときもロシアとウクライナ双方の指導者が自制して、この問題が暴力に発展するのを防ぎ、二か月後にロシア寄りのクチマがウクライナの大統領に選ばれたことにより、クリミアの分離運動はおさまった。

 しかし、この選挙によって、ますますロシア寄りになりつつあるウクライナから西部が 分離する可能性がでてきた。ロシア人のなかには、それを歓迎する者もいるようだった。ロシアのある将軍はこう言った。「ウクライナ、というよりも東ウクライナは、5年か10年、あるいは15年のうちに戻ってくるだろう。西ウクライナなどどうにでもなれ!」だが、そのような東方帰一教会の影響下にありながら西欧寄りであるウクライナが存続できるのは、強力かつ効果的な西欧の支援がある場合だけだ。そして、西欧がそのような支援をするのは、西欧とロシアの関係が極度に悪化し、冷戦時代に似た状況になった場合だけだと思われる。

 三つ目のさらに可能性の高いシナリオは、ウクライナが統一を保ち、分裂国でありつづけ、独立を維持し、おおむねロシアと緊密に協力しあうというものだ。核兵器と軍隊の移転の問題が解決すれば、最も深刻な長期的問題は経済に関するものとなり、部分的に共有する文化と緊密な個人的関係によって、その問題の解決がうながされるだろう。ロシアとウクライナの関係が東欧にもたらすものは、ジョン・モリソンが指摘したように、フランスとドイツの関係が西欧にもたらすものと同じだ。後者が欧州連合の核をなすのとちょうど同じように、前者は正教会系の世界の統一に不可欠な核なのである。

2022年3月11日金曜日

20220311 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.281-283より抜粋

東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.281-283より抜粋
ISBN-10 : 4488010512
ISBN-13 : 978-4488010515
 

電灯・・・当時、愚かな連中は未来がすぐそこにあるように感じていた。エジプトで地中海と紅海を結ぶ運河が開通して、アジアに行くのにアフリカを迂回する必要がなくなった(迂回航路が不要になって、多くの正直な海運会社が被害を受けることになる)。万国博覧会が開催された。その建築物を見ると、オスマンによるパリの解体工事はまだ序の口だったと思われた。アメリカでは東から西まで大陸を横断する鉄道の敷設が完成しようとしていた。ちょうど黒人奴隷が解放されたところで、この下等民族が国全体を侵略して、ユダヤ人よりひどい性悪の混血の溜まり場に変えてしまうに違いない。アメリカの南北戦争で潜水艦が登場し、水兵は溺死ではなく窒息死するようになった。両親の世代が吸っていた立派な葉巻は貧弱な紙巻煙草に変わり、一分で燃えつきて喫煙者の愉しみは消え失せた。しばらく前からフランス兵士は金属の箱に保存されて傷んだ肉を食べていた。アメリカでは、水圧ジャッキで建物の高層階に人を運ぶ密閉された小部屋が発明されたという噂だった。-土曜日の夜にジャッキが故障してその小部屋に人が二晩閉じ込められ、水と食料どころか空気がなくなって死んでいるのが月曜日に発見されたというニュースさえすでに届いていた。

 生活はますます便利になり、誰もが喜んでいた。離れた場所にいながら会話できる機械や、ペンを使わずに書く機会の研究が進んでいた。偽造すべき原本というようなものがこの先も存在するのだろうか。

 人々は香水店のショーウィンドゥに見とれていた。ワイルドレタスの樹液には肌を若がえらせる効果があるとされ、キナの増毛効果が称賛された。バナナのポンパドゥール・クリーム、カカオ脂の乳液、パルマ・スミレの白粉、これらはいずれも色っぽい女性をさらに魅力的にするために発明されたものだが、今ではお針子娘も使っていた。多くの仕立て屋で彼女たちに代わって縫い仕事をする機械が導入されはじめたので、お針子娘は愛人になる用意ができていたのだ。

 新時代の唯一の興味深い発明は、座って用を足せる陶製の便器だった。

 しかしこの私にしても、こうした目に見える人々の熱狂ぶりが帝国の終焉を示していたことに気づいていなかった。万国博覧会でアルフレート・クルップは見たこともない巨大な大砲を展示した、50トンの重量があり100ポンドの砲弾が発射可能だった。皇帝はとても気に入ってクルップにレジオン・ドヌール勲章を授与したほどであったが、ヨーロッパ各国に売りつけようとしていたクルップから武器の価格表が送られてくると、なじみの兵器会社を持っていたフランス軍上層部から注文を取りやめるよう説き伏せられた。一方、プロイセン国王がこれを購入していたことは言うまでもない。

 ナポレオン三世はかつての判断力を失っていた。腎臓結石のせいで、乗馬どころか食事も睡眠も取れず、保守派と妻の言いなりだった。彼らは今でもフランス軍が世界一だと信じていたが、実際は40万人のプロイセン軍に対してせいぜい10万人の兵士がいただけだ(あとになってわかったことだが)。すでにシュティーバーはシャスポー銃に関する報告書をベルリンに送っていた。フランスではシャスポー銃が最新鋭の小銃だと考えられていたが、実際はすでに博物館行きになりつつある代物だった。しかも、フランスにはプロイセンのような情報組織ができていないというのがシュティーバーの自慢だった。


2022年3月9日水曜日

20220308 読書やブログ記事作成の継続によって見えてくるもの・・【身体感覚?】

ここ最近の記事投稿の様子を見たところ、今月2月に入ってからは6日まで連続にて新規の記事投稿を行っていました。そこで、ここ数カ月での新規投稿の様子を確認したところ、その前の先月2月もまた、これと同程度での新規の記事投稿を何回か行っていることに気が付きました。
自身としては、あまり頑張らずに当ブログを続けて行きたいと考えていましたが、あらためて、これまでの投稿頻度を認識しますと、以前の1000記事到達に至るまでの期間(ほぼ毎日)と同様とまでは行かないもの、期せずとして、また、我が事ではありますが、それなりに頑張ってしまっているようにも見受けられます。

しかしながら、以前にも当ブログにて述べましたように、概ねこの程度の頻度にて新規投稿を行わないと、来る6月22日(当ブログ開始から丸7年)までに当面の目標である1800記事に到達することは困難であると思しきことから、多少先が思いやられはしますが、またしばらく、出来るだけ毎日、何かしら足掻いて作成して行きたいと考えています。

また、残念なことではあるのですが、同じくここ最近は、東欧地域にて国家間の全面戦争が勃発し、世界規模での緊張が高まっているのが現状と云えます。私が生きている間にも、世界の何処かで何度か紛争や戦争は生じていましたが、感覚的には、今回の戦争は、一方から他方へのまさしく侵略であり、しかもそれは、かつて帝国主義の時代での世界分割にも参画していた、いわば古くからの強国の後継国によるものであることが印象的でした。しかし同時に、こうした出来事を契機として、あらためて、この国の我が国に対する、あるいは近年の東欧および中東地域での活動を、書籍などを通じて情報を得て行きますと、徐々にではありますが、それらの中から、共通するいわば連続性のようなものが見えてくるのです・・。

残念ながら、その共通する連続性のようなものは、未だ私の知識・見識が不十分であるため、判然と言語化することは出来ませんが、ともあれ、そうした「見えてくる」といった感覚が、歴史や、より実地に即したものと云える国際関係論などを学ぶ際にとても重要になってくるのではないかと思われるのです・・。

いうなれば、それは一種の身体感覚であるようにも思われますが、こうした感覚の育成においては、どうも我が国は苦手であるように思われるのです。他方において、これもまた身体感覚とも云える医科系の臨床技術などについて我が国は、いかなる文化的背景・文脈によるものか、古くから高水準を維持していると思われます。

そして、ここまで作成していて、不図、加藤周一による「今昔物語」について述べた文章が思い出されてきましたが、その文章は未だ当ブログに引用記事として投稿していませんので、後日あらためて、その文章を記事として投稿したいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年3月7日月曜日

20220306 昨日投稿記事の閲覧者数から思ったこと【耐性低下を補うもの?】

おかげさまで昨日投稿の記事は、投稿翌日の自身オリジナル記事としては多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、本日は新規での記事作成は止めておこうと考えていましたが、さきの閲覧者数であったことから、何かしら作成しておこうと考えをあらためて、さきほどからPCに向かっています。

昨日投稿の記事により、総投稿記事数が1725に到達していました。そうしますと、先日1700記事到達の際に次なる目標として定めた1800記事までの路程の四分の一にまで達したことになります。

これは、進捗状況としての評価は分かりませんが、ともあれ、このまま記事作成を続け、今月末には1740記事、来る4月末には1760記事、その先の5月末には1780記事、そして、当ブログをはじめてから丸7年となる6月22日には、当面の目標である1800記事まで到達することも、そこまでは困難でなく可能であるように思われます。

異言しますと「当ブログ7開始7年を迎えるまでに、目標である1800記事までの到達が可能」ということになりますが、これは粗く考えて、今後6月22日まで、1月に20+α記事作成することにより達成される目途が立ち得ますが、同時にこれは現在の私からしますと、達成可能ではあるものの、いささかキツイようにも思われます・・。しかし他方で、作成する記事のうち、またいくらかを書籍からの引用、あるいは先日不図思い付いたアイデアになりますが、これまでに作成した各々【架空の話】に、さらに何かしら別の挿話あるいは関連する書籍からの引用などを記事に組み込み、それらを新たな記事としてカウントすることにより、いくらかは、キツさが和らいで、そして達成の目途もより立ち易くなるように思われます。

さて、そのキツさですが、これは年齢の上昇と伴に、その耐性が明らかに低下しており、昨日の投稿記事にて述べた院生時代の講義や実習が重なった日などは、アパートに帰宅して玄関を入ってすぐの場所で、そのまま寝落ちしてしまったこともありましたが、たしかにこれは、前日からの準備なども含めて、また高温の炎を扱うことから、それなりに体力を消耗し、疲労を伴うものであったと云えます。それ故、当時の私はこの時期にだけ、エネジー・ドリンク*ッド・ブルと*カリスエットを1:5程度で割ったものを500mlのペットボトルに入れて持っていました。

そうしたエナジー・ドリンクを飲む習慣がない私からしますと、その効果は明らかにあったと思われますが、同時にその常用はあまりお奨めしません。その理由は、こうしたドリンクは体力を前借りするようなものであり、その後の疲労の具合がより激しいものになると感じられるからです。

他方で、さきに述べた耐性の低下を補うためには、やはり、何かしらの運動が良いのではないかと思われますが、これは現在のところ休日の散歩にて、大抵は5㎞以上、そして多い日には10㎞以上歩いていますので、これは継続しつつ、さらに走ることにより、新たな記事着想を得ることが出来るかもしれないことから、今後、もう少し暖かくなってきましたら、かなり久しぶりではありますが、また走ってみようかと考えています。

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2022年3月5日土曜日

20220305 継続的な文章作成の基礎にある口語的な経験について

ここ数日の首都圏は、やや春めいてきて、日中は過ごし易かったですが、陽が陰ると、やはり寒く感じられます。ともあれ、そこから、もう寒さの底は過ぎたのではないかと思われますが、これからがまた、三寒四温といった感じで、徐々に暖かくなっていくのだと思われます。

また、この温暖化とは逆行するかのように、先月24日に第二次世界大戦以来最大規模とされる戦争が、東欧地域にて勃発したことは、私の気分を暗鬱としたものにします。果たして、この戦争はどのようなカタチで展開し、そして終わり、さらに、そこから極東地域に対しては、どのような影響が生じるのでしょうか?

今回の戦争が、我が国に対しては直接的な災禍をもたらさなかったとしても、その後、これに類する出来事あるいは国際間での争いは、ここ極東地域においても、近年のうちに生じる可能性は十分にあると思われます。

そして、そうした事態を認識し、さらには、ほんの少しであっても先(未来)を見通すためには、私見となりますが、歴史などの人文社会科学に対する、活きた、あるいは能動的な興味を抱き続けることが重要であるように思われます。

一連の投稿ブログ記事やツイッターでの投稿をご覧頂きますと、ご理解頂けるかと思いますが、現在の私は取得学位の分野よりも、いくつかの人文社会学分野の方に興味関心があり、それは学位取得の2013年から応力緩和のような現象として徐々に進行し、そして当ブログをはじめた2015年からは、まさに当ブログの作成によって更に拍車が掛かり、現在の状態に至ると云えます・・。

とはいえ、であるからといって、学位取得分野での研究活動をはじめとする全ての活動が無意味であったとは全く考えておらず、あの分野でのさまざまな活動があったからこそ、たとえば、現在に至るまで断続的にではあれ、当ブログにて投稿している一連の【架空の話】は作成出来ているのだと云えますし、おかげさまで、この【架空の話】は、総じて自身作成の記事としては、比較的多くの方々に読んで頂いています。くわえて、以前にも述べましたが、何人かの方々から「読んでいるよ。」とも伝えて頂きました。

文章の出来不出来などは少なからずあるとは思われますが、それでも、この【架空の話】は、概ね自身の経験に基づいており、作成している最中に、突如として当時の記憶が想起されることがあり、そこから、記憶というものの不思議さを感じることも度々あり、また、そのようにして思い出した中で「何時頃から私は、現在に至るまでの当ブログを続けることが出来るようになったのだろうか?」と考えたことがことがありましたが、これはやはり在鹿児島時代であるように思われ、就中、大学や専門学校での「歯科理工学実習」や、専門学校での「歯科英語」の講義経験が私にとって大きかったのだと思われます。

つまり、それまでの私は、何と云いますか、人前にて手を動かしつつ、話し続けるような3時間を過ごしたことはなく、また、それ以前に大勢の前で話すための自分のスタンスもなかったことから、YouTubeにて視聴していた宮台真司先生や、同じく小林秀雄や、ポッドキャストにてよく聴いていたJ-WAVEのDJであるピストン西沢氏などの話し方の真似を試みていましたが、出来の巧拙は別として、当時はそうしたこともマジメに努力していたことが思い出されます・・。

しかし、その努力によって、話し方がどうにか上手くなったとしても、その内容がある程度充実し、且つ論理的なものでなければ、自身としても不甲斐ないと思われたことから、当時の私は、そうした話し方にくわえて、自分なりに精一杯努力をして話していた記憶があります・・。

とはいえ、肝心のその内容についてですが、おそらく通常であれば、歯科理工学実習の内容に関連した学術的な内容の話をしつつ実習を進めるべきであったのでしょうが、当時の私は、教科書や実習指導書等に書かれた内容以外にて、そうしたことを面白く、自分のコトバにて話すことは困難であり、そこから自然と、当時も(あるいは現在以上に)好んでいた人文社会科学分野での話をよくしていました・・。

もちろん、教科書や実習指導書、さらに当時は先端の英語論文も読んでいたことから、実習分野と関連する学術的な知見や自分の研究領域、およびそれに近い分野のことについては、ある程度話すことが出来ましたが、しかし、それだけでは所定の3時間を費やすことは出来ません。くわえて、それは数カ月にわたって続くのです・・。

また、このことにつきましては、後日あらためて記事を作成しようと思います。本日に関しては昨日と同様【架空の話】の続きを作成しようと考えていましたが、ここで述べたことは、また何処かで、あらためて文章化することもあると思われたことから、とりあえずはドラフトとなるものとして、ここに作成しました。

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2022年3月4日金曜日

20220304【架空の話】・其の86 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑥】

やがて我々は商店街の最後にまで至り、さらに、そこから続くアーケードがなくなった道をしばらく歩いてから左に曲がると、すぐに都営バスが走る比較的大きな通りに出た。

ここからさらに、道なり南方向へしばらく歩くと、目的地の医院に着くはずであるのだが、時刻の方は14:00まで未だ若干余裕があったことから、近くにあったコンビニエンス・ストアに入り、カップのホット・コーヒーを注文して店内のイート・イン・コーナーで飲むことにした。

E先生はコーヒーに対してもこだわりがあり、一人暮らしであった学生時代は、神田界隈のコーヒー専門店にて定期的に数種類の豆をローテーションで購入され、ご自宅で豆を挽き、淹れていたのことであった。それでも、こうしたコンビニエンス・ストアのコーヒーも特に文句も云わず普通に、いや、美味しそうに飲み、そしてカップを傍らに置いて「うう、少しはシャキッとしたかな・・。」と立ったままで伸びをした。

そうした様子を眺めていた私も荷物をイート・インの備え付けの椅子の上に置いて、両手を上げて伸びをした。そして、その時、偶然に目に入った壁掛け時計は丁度13:45を指していた。

また、その様子から、さきに伸びを終えていたE先生は気が付かれたのか「あ、45分か・・ここからだったら5分もかからないで医院に着くことが出来るから・・50分にここを出ましょうか、それと、他に買っておくものがなかれば、しばらくここにいて私の荷物を見ていてください。ちょっと水を買ってきます。」と言い残し、店舗のある階下に下りていった。

やがて「ああ、こっちでは「サン*リーの天然水」は南アルプスだったんだ。これも久しぶりだな・・」と云いながら、ペットボトルを片手に持って戻ってこられた。

これには私もすぐに理解出来て「ああ、そうですね。首都圏や関東地方では「南アルプスの天然水」が主流で、Kなどの九州では「阿蘇の天然水」が主流ですからね。」と返事をするとE先生は「そうそう、私も購入してから思い出しました・・。以前、こっちに住んでいた頃は、当り前に「南アルプス」でしたが・・。あと、これが関西や中四国の方に行くとまた別の水源で、たしか「六甲」の方だったかかな?」と云われたが、これは後日「奥大山」であったことが分かり、E先生に伝えると「奥大山・・ああ、鳥取の方でしたか・・。あっちの山陰の方にも、やはり良い水源があるのですね・・。」といった反応であり納得されたようであった。

さて、そうこうするうちに時刻は13:50となり、再び出立したが、今回は目的地のすぐそばということから、自然な流れで私が「かるかん」2袋を持つことになった。というのも、このような他組織への訪問の際は、若輩ながらもE先生はK医専大のいわば「正式な使節」ということになるため、その使節としての威儀を正すためであったと云えるが、こうしたことは、こちらの大学院に入学してからしばらく経って分かったが、たしかに、少なくとも、どうでもいいことではないと云えよう・・。

コンビニエンス・ストアを出てから、またしばらく通り沿いに歩くと、やがて医院名が書かれた看板が目に入り、医院前へと至った。前に立ってみると、そこは特に変わり映えのない雑居ビルのようであったが、その入っているテナントを郵便受けや掲示された看板から確認すると、そこには目的の歯科医院のほかに、1階に訪問診療も行う内科クリニックが入り、そして地下には訪問看護ステーション、そして何やらバイオ関連事業の会社が入っており、ここでも、さきの商店街にて感じた「凝集の具合」と何やら似たようなものが感じられたが、後になって思ったことは、こちら首都圏ではKと比べて、全般的に、その地価や賃料などの事情から、必然的に土地利用の仕方が効率的に、あるいは詰込むようになる傾向があるということだが、あるいは、こうしたところ(効率性の追求)にも、ある種のセンスのようなものがあり、そして、このセンスが半導体回路の設計などにおいては意外と重要であるのかもしれない・・。

ともあれ、ビル1階の正面出入口付近には、自転車で来院される患者さんのための駐輪スペースが設けられており、そこには少なくとも10台以上の自転車が停められていた。

やがて、その様子を眺めていた我々の側を、治療を終えたと見られる幼稚園児と思しき子供と、その母親がエレベーターから下りてきて、停めてあった電動アシスト自転車の後部座席に慣れた様子で子供を乗せて、通りを南方向へと去っていった。

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20220303【架空の話】・其の85 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑤】

食後のお茶を飲んでいたE先生は、満ち足りた表情をされていたが、やがて、おもむろに「ああ、もう13時だから13時5分にここを出ようか・・。ここからは、20分ほど歩けば先方の医院に着くことが出来ると思うから、この商店街を少し見物しながら行きましょう。」と云われた。時間配分的にも問題はないと思われたことから、これに同意して、私も「て*や」特有の小振りな湯呑に入ったお茶を飲んでみると、たしかに何とも云えず満ち足りた感じがしてきて、さらに下手をすれば眠くなってきそうであったことから、トイレに立ち、小用を足してからサッパリするために顔をゆすいだ。Kは九州の南に位置し、高温多湿なその気候風土から、タオルやハンカチなどは欠かすことが出来なく、私の場合、医専大の頃から手拭いや大判のバンダナを常に尻ポケットに収めていたが、出先でのこうした行為においては、これらはとても役に立った。

とまあれ、私がトイレから戻るとE先生も「じゃあ、私もちょっと・・」と立ち上がり、入れ替わりでトイレに向かった。やがて戻り、精算を済ませて外に出てみると、あらためて外の商店街は賑やかであり、行く手方向の右側の方を眺めると、商店街ははるか先まで続いているようであった。

そういえば、E先生がお土産として持参された蒸*屋の「かるかん」3袋は午前中にD先生に1袋差し上げて、その後の移動時、残りの2袋はE先生と私が1袋ずつ持参していた。ともあれ、そうしたすがたで商店街を歩いていると、Kでは見かけない新たな外食チェーン店があったり、あるいは関西地方の都市でよく見かけたチェーン展開のお好み焼き・たこ焼き店があるかと思えば、地元密着で古くからあると思しき魚の煮付などを並べた惣菜屋さんなどもあり、それらにくわえて、雑貨店やチェーン展開の大型ドラッグストア、そしてパチンコ屋が並び、こうしたさまざまな業種の店舗が集まっている様子は、天文館とは多少似ているものの店舗の凝集の具合やそれら店舗の構成要素がどうも異なるようにも感じられた・・。

こうした商店街の様子にはE先生も興味を示され、町中華のお店の前や、軒先におかれた惣菜には何度か足をとめられた。ちなみに、E先生は*クドナルドや天丼といった、どちらかと云うと濃い味付けを好まれる傾向が確かにあり、その他であれば、カレーライス全般は明らかに好物であり、入ったお店で注文を迷われると、すかさず「ではカレーライスをください。」と云われるような傾向があった・・。また、ハンバーグや豚の生姜焼きなどについても同様であり、そこから「この方は少し味覚嗜好のセンサーが大雑把であるのかもしれない?」と思われるかもしれないが、E先生の場合は、それ一辺倒ではないらしく、K市そして県内に留まらず、九州内での特に博多の美味しいお店については詳しく、以前にK市在住の遠い親戚である院長先生から聞いた、ポン酢が美味しい中洲川端の水炊きのお店も御存知であり、D1の頃、学会出席のために訪問した博多で、少し空いた時間を利用してポン酢を購入した際も、事前にE先生から場所の概要を伺っていた。

約言すると、たしかにE先生には、何と云うか強くて単調、一辺倒な味を好まれる悪く云えば、少し味覚音痴的とも云える一面がありながらも、他方において、さまざまな地域の料理についても楽しみ、そして評価することが出来るほどの味覚も持たれていることから、E先生をはじめとしたKの地域に住む人々の「感覚を切り替えるよう」とも感じられる、ある種の「柔軟さ」を感じたことはK在住期間中に幾度か経験して、また、何故であるか甚く感心した記憶もある・・。

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