A「直近ここ二回の投稿記事は思いのほかに多くの方々に読んで頂けました・・。
また自身としても、かつての記憶に基づいた記事を作成している方が、あまりハナシの展開などを気にせずに書くことが出来ることから、そうした記憶が何らかの契機、刺激によって励起されている状態であれば、かなり書き易いと云えます・・(笑)。
また、こうした記憶とは、先日聞いたハナシによりますとエピソード記憶というものに分類され、それは情動を伴う、かなり具体的な記憶であるとのことです・・。
それに対し、意味記憶というものもまた存在するとのことですが、これは意識して憶えた事柄、つまり学習などによって培うといった性質が強いものであるとのことです・・。
その意味において、冒頭にて述べた直近二回の投稿記事とは、たしかにエピソード記憶に基づく傾向が強いといえますが、自身の場合、おそらくそれ以前に、根本においてエピソード記憶優位といった性質を持っているのではないかと思われます・・(笑)。
そして、このことから多少敷衍して考えてみますと、少なくとも個人レベルにおいて、あるいは一般的な見地からにおいても、エピソード記憶とは、音声言語あるいは口語と親和性があり、意味記憶とは文字言語あるいは文語と親和性があるのではないかと考えられますが、如何でしょうか・・?
さらに文系学問でのさまざまな領域において、ある程度まとまった歴史(思想史、軍事史、文学史など・・)を扱う分野においては、基本的に、エピソード、意味双方の記憶(知識)を持つことが重要ではあるのですが、それをまとめ上げ、モノガタリと為す場合について考えてみますと、されはやはり音声言語、口語、エピソード記憶的な要素の方がより重要であるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
そして、そのように考えてみますと、歴史とはいくら洗練、抽象化し、公式のような普遍性を持った図式にて展開することを説明することが可能になった場合においても、その根本、基層にあるものが、さきに述べたような情動を伴うような記憶であることから、国内地域間、国際間にて共有、認識され得る通史的なもの、モノガタリとは成立が困難ではないかと思われるのです・・。
とはいえ、そうしたこと(国内地域間、国際間における通史の編纂)を実際に試みることによって、さまざまな地域、国レベルでの歴史認識の相違といったものが明瞭化され、それによってはじめて、明瞭化された相違点を包括し説明し得る歴史像の編纂が可能になるとも思われますので、とりあえず専門家、研究者レベルにおいて、そうした試みを為すことは有意義ではないかと考えます・・。
また、そのような経緯を経て、はじめて国レベルでのエピソード記憶とも云えたものが地域、国際間にて通じる意識化された、意味記憶に転化することが出来るのではないかと思われるのです。
さらに、そうしたことから、ある意味我々とは、日常生活におけるさまざまな刺激からも半ば無意識的にではあるかもしれませんが、エピソード記憶を意味記憶に転化する作業を行っているのかもしれません・・・。
今回はとりとめのないハナシではありましたが、以降また、記憶が励起される契機を得次第、これまでの記事の続きを書いてみようと考えています・・。
『口承から、それを筆記、そして筆記されたものを更に洗練し、簡潔な文章にする作業』
また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
2017年5月29日月曜日
20170528 昨日、先輩との会話で思い出したこと・・【昨日の続き】
本日は久しぶりに文系院時代の先輩の先生と割合長時間にわたって話す機会を持つことができました・・。
そのため、その対話から惹起した考えを本日分の記事主題にしようと思いましたが、その一方、昨日分の投稿記事も思いのほか多くの方々に読んで頂けたことから、本日はその続きを書こうと思います。
本日の対話の記憶はまた熟成?された後に題材にします(笑)。
そこで我々は「あそこの日本人グループに飛行機は何時に飛ぶ予定か知っていますか?」と聞いてみようと内輪話をはじめた矢先、我々に話しかけてきた人がいた・・。
「もしかして君たちは***学会に参加する方々ですか?」
それはスーツ姿の若干細身の壮年男性であり、また、その口調は明瞭であり、若干高めの関西イントネーションが入ったものであった。
我々のうちの一人が、おそるおそる「はい、そうですが・・もしかして先生も***学会に参加されるのですか?」と尋ね返すと
「ええ、私も参加者です。どうやらジョグジャカルタ行きの***便は遅れているようで、さきほどまで色々と聞いて廻っていたのだけれど、君たちはこの便が何時頃飛ぶか知っていますか?」とのことであった。
それに対して「はい、実は我々も同じ***便に搭乗予定なのですが、このフライト予定時刻が知りたく、周りに聞いてみようと思っていたところなのです・・。」
「はあ、なるほど、お互いにフライト予定時刻を知りたいところなのですね・・それは困りました・・。」
そしてほんのしばらく沈黙のあと、おもむろに一人の現地人と思しき身なりのキレイな青年がこの男性に近づき、英語で何かを話しかけた。
その内容はこちらまでは明瞭に聞こえないものの、どうやら飛行機のフライト予定時刻に関することのようであった・・。
この会話が終わり、青年が手を振って別れたあと、さきほど話しかけてきた男性は我々の方に向かい「君たち安心してください、今聞いたところ、空港側からの最新の情報によると、あと1時間程で我々が乗る予定の***便はフライトするとのことです。」と云い足早にまたどこかに去って行った・・。
「あと1時間で飛ぶのか・・この情報は信頼して良さそうですね・・。」と一人が云うと別のサイエンス系に詳しい先輩が当初いぶかしげな声で「・・・あの顔、どこかで見たことがあるなあ・・。」と、しばらく考えてから、思い出したように「・・そうだ!多分今の先生は**大学の**先生だ!去年の***学会の招待講演で来ていた先生で、再生医療ではかなり有名な先生だ・・いやあ、すごい人に話しかけられたな・・。」と感激を交えて語った。
それを聞いた私はあまり事情に通じていないことから、ただ、スゴイ先生に話しかけられて、出発予定時刻まで分かったということで満足したが、後になり他の便で来られ現地にて合流した同じく事情に詳しい別の先輩院生に**先生について尋ねてみると「なに!君等空港で**先生に話しかけられたの?それはスゴイな・・!」とのことであり、やはりスゴイ先生であることが分かった次第です・・(苦笑)。
ともあれ、その後約1時間程待ったのち、飛行機は無事に離陸し、1時間程のフライトで目的地のジョグジャカルタに到着した・・。
時刻は既に夜となっていたが、空港では学会が開催される大学側から迎えの車が待機して頂いたことには感激した。
到着時刻が遅いということもあり、我々は空港から泊地であるホテルに直行したが、その途中の街並みは日本のそれとはまた違った感じで明るく賑やかであった・・。
ホテル正面入り口には検問所らしきものがあり、入場する車両を一台一台検査していた。
この光景から不図、この時持参していた小説「影の獄にて」を原案として映画化した大島渚監督「戦場のメリークリスマス」の一場面を思い出した。
ともあれ、ホテル到着後、我々は早々にチェック・インを済ませ、用意して頂いていた夕食代わりの軽食を食べ、明朝の朝食会場に行く時刻を決め、各自の部屋に入り休むことにした・・。
この日はこの日で、なかなか刺激の多い一日でした・・。
*続きはまた後日書いてみようと思います・・。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨年2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震により被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
そのため、その対話から惹起した考えを本日分の記事主題にしようと思いましたが、その一方、昨日分の投稿記事も思いのほか多くの方々に読んで頂けたことから、本日はその続きを書こうと思います。
本日の対話の記憶はまた熟成?された後に題材にします(笑)。
そこで我々は「あそこの日本人グループに飛行機は何時に飛ぶ予定か知っていますか?」と聞いてみようと内輪話をはじめた矢先、我々に話しかけてきた人がいた・・。
「もしかして君たちは***学会に参加する方々ですか?」
それはスーツ姿の若干細身の壮年男性であり、また、その口調は明瞭であり、若干高めの関西イントネーションが入ったものであった。
我々のうちの一人が、おそるおそる「はい、そうですが・・もしかして先生も***学会に参加されるのですか?」と尋ね返すと
「ええ、私も参加者です。どうやらジョグジャカルタ行きの***便は遅れているようで、さきほどまで色々と聞いて廻っていたのだけれど、君たちはこの便が何時頃飛ぶか知っていますか?」とのことであった。
それに対して「はい、実は我々も同じ***便に搭乗予定なのですが、このフライト予定時刻が知りたく、周りに聞いてみようと思っていたところなのです・・。」
「はあ、なるほど、お互いにフライト予定時刻を知りたいところなのですね・・それは困りました・・。」
そしてほんのしばらく沈黙のあと、おもむろに一人の現地人と思しき身なりのキレイな青年がこの男性に近づき、英語で何かを話しかけた。
その内容はこちらまでは明瞭に聞こえないものの、どうやら飛行機のフライト予定時刻に関することのようであった・・。
この会話が終わり、青年が手を振って別れたあと、さきほど話しかけてきた男性は我々の方に向かい「君たち安心してください、今聞いたところ、空港側からの最新の情報によると、あと1時間程で我々が乗る予定の***便はフライトするとのことです。」と云い足早にまたどこかに去って行った・・。
「あと1時間で飛ぶのか・・この情報は信頼して良さそうですね・・。」と一人が云うと別のサイエンス系に詳しい先輩が当初いぶかしげな声で「・・・あの顔、どこかで見たことがあるなあ・・。」と、しばらく考えてから、思い出したように「・・そうだ!多分今の先生は**大学の**先生だ!去年の***学会の招待講演で来ていた先生で、再生医療ではかなり有名な先生だ・・いやあ、すごい人に話しかけられたな・・。」と感激を交えて語った。
それを聞いた私はあまり事情に通じていないことから、ただ、スゴイ先生に話しかけられて、出発予定時刻まで分かったということで満足したが、後になり他の便で来られ現地にて合流した同じく事情に詳しい別の先輩院生に**先生について尋ねてみると「なに!君等空港で**先生に話しかけられたの?それはスゴイな・・!」とのことであり、やはりスゴイ先生であることが分かった次第です・・(苦笑)。
ともあれ、その後約1時間程待ったのち、飛行機は無事に離陸し、1時間程のフライトで目的地のジョグジャカルタに到着した・・。
時刻は既に夜となっていたが、空港では学会が開催される大学側から迎えの車が待機して頂いたことには感激した。
到着時刻が遅いということもあり、我々は空港から泊地であるホテルに直行したが、その途中の街並みは日本のそれとはまた違った感じで明るく賑やかであった・・。
ホテル正面入り口には検問所らしきものがあり、入場する車両を一台一台検査していた。
この光景から不図、この時持参していた小説「影の獄にて」を原案として映画化した大島渚監督「戦場のメリークリスマス」の一場面を思い出した。
ともあれ、ホテル到着後、我々は早々にチェック・インを済ませ、用意して頂いていた夕食代わりの軽食を食べ、明朝の朝食会場に行く時刻を決め、各自の部屋に入り休むことにした・・。
この日はこの日で、なかなか刺激の多い一日でした・・。
*続きはまた後日書いてみようと思います・・。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨年2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震により被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
2017年5月28日日曜日
20170527 本日、先輩との会話にて思い出したこと・・
本日は帰宅が遅くなったことから、ブログ記事作成を止めておこうと考えましたが、さきほどまで会っていた方々との会話にて過去のことが思い出されたため、それを題材として何かしら書こうと思い立った次第です。
去る2010年11月初頭、私達はインドネシアのジョグジャカルタにて開催される学会に参加するため、鹿児島を発った。
とはいえ、鹿児島からインドネシアまでの直通便はないことから、一旦関西国際空港まで行き、そこからジャカルタ行きの便に乗ることとなった。
また、関西国際空港発ジャカルタ行きの便の出発時間が割合と早かったことから、前日に大阪入りし、なんばにて一泊することになった。
鹿児島を発ち、伊丹空港まで行き、そこから陸路にてなんばまで行ったが、なんばに到着したのは、たしか夕刻前、午後3~4時くらいであったと記憶している。
そのまま、何もせずに前泊地であるなんばの宿に滞在するのも面白くないと思い、私は南海線にてかつて滞在した和歌山まで足を伸ばすことにした。
南海線の和歌山市駅に着いたのは、夕刻であった。
その駅前の街並みは季節のためか既に薄暗かったが、それでも約3年振りの和歌山市駅に私は大興奮して、そのまま駅前の大通りを直進し、和歌山城を左手に眺めつつ三年坂通りまで出て、そこで左折、直進し、岡公園のところで右手に入り刺田比古神社に参拝した。
また幸いなことに、この時刻でも社務所は開いており、参拝の後に絵馬を一つ頂いた。
この絵馬はインドネシアまで持参し、帰国後お師匠のもとに送った。
この神社が古代豪族大伴氏の氏神を祀る一つの社であると聞いていたからだ・・。
この参拝により、この度の急きょの和歌山行きの目的を果たしたような気分となり、私は軽い足取りにて、和歌山市駅までぶらくり丁を経由しつつ帰った。
時刻は既に午後7時を過ぎており、殆どの店は閉まってはいたものの、かつて時折通ったカレー屋、交差点を渡ったところすぐにある和歌山ラーメン(中華そば)の店は開いており、厨房の排気口から流れてくる匂いにより和歌山在住時の記憶が刺激された・・。
そしてまた、去る四月に勉強会で和歌山を訪れた時もまたこれと同様の経験をした・・。
和歌山市駅に到着すると、特に理由はないものの後ろ髪を引かれる思いでなんば行きの切符を購入し、帰路についた・・。
なんばの宿に着後、既に時刻も遅かったことから私は学会に同行する院の先輩方と会うことなく、そのまま部屋に戻り、風呂に入ったのち、持参した小説ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著「影の獄にて」を読みながら寝入っていた・・。
翌朝の出発時刻は早く、ホテルロビーにて先輩院生等と待ち合わせインドネシアに向けて出立した。
学会開催地周辺(ジャグジャカルタ)では以前から続いていた近隣の火山噴火(ムラピ山)によってスケジュール通りの航空機の運航が危ぶまれていたが、関西国際空港発ジャカルタ行きの便は特に支障なく出発した。
飛行時間は概ね7時間程度であったが、この間、私は持参した小説を読んだり、寝入ったりを繰り返していた・・。
そうしてジャカルタには無事に着いたものの、我々の行く先とは、そこからさらに国内便に乗る必要性があり、この国内便が、さきの火山噴火によって、かなりスケジュールが乱れていた。
仕方がないので、我々は一通り空港内を徘徊し、出発便の待合所にてしばし時間を潰すことになった。
しばらく待合所にいると、周囲にも、同じ目的を持った日本人らしきグループが散見していることに気が付いた。
そこで我々は「あそこの日本人グループに飛行機は何時に飛ぶ予定か知っていますか?」と聞いてみようと内輪話をはじめた矢先、我々に話しかけてきた人がいた・・。
*続きはまた思い出した時に書いてみようと思います・・。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨年2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
去る2010年11月初頭、私達はインドネシアのジョグジャカルタにて開催される学会に参加するため、鹿児島を発った。
とはいえ、鹿児島からインドネシアまでの直通便はないことから、一旦関西国際空港まで行き、そこからジャカルタ行きの便に乗ることとなった。
また、関西国際空港発ジャカルタ行きの便の出発時間が割合と早かったことから、前日に大阪入りし、なんばにて一泊することになった。
鹿児島を発ち、伊丹空港まで行き、そこから陸路にてなんばまで行ったが、なんばに到着したのは、たしか夕刻前、午後3~4時くらいであったと記憶している。
そのまま、何もせずに前泊地であるなんばの宿に滞在するのも面白くないと思い、私は南海線にてかつて滞在した和歌山まで足を伸ばすことにした。
南海線の和歌山市駅に着いたのは、夕刻であった。
その駅前の街並みは季節のためか既に薄暗かったが、それでも約3年振りの和歌山市駅に私は大興奮して、そのまま駅前の大通りを直進し、和歌山城を左手に眺めつつ三年坂通りまで出て、そこで左折、直進し、岡公園のところで右手に入り刺田比古神社に参拝した。
また幸いなことに、この時刻でも社務所は開いており、参拝の後に絵馬を一つ頂いた。
この絵馬はインドネシアまで持参し、帰国後お師匠のもとに送った。
この神社が古代豪族大伴氏の氏神を祀る一つの社であると聞いていたからだ・・。
この参拝により、この度の急きょの和歌山行きの目的を果たしたような気分となり、私は軽い足取りにて、和歌山市駅までぶらくり丁を経由しつつ帰った。
時刻は既に午後7時を過ぎており、殆どの店は閉まってはいたものの、かつて時折通ったカレー屋、交差点を渡ったところすぐにある和歌山ラーメン(中華そば)の店は開いており、厨房の排気口から流れてくる匂いにより和歌山在住時の記憶が刺激された・・。
そしてまた、去る四月に勉強会で和歌山を訪れた時もまたこれと同様の経験をした・・。
和歌山市駅に到着すると、特に理由はないものの後ろ髪を引かれる思いでなんば行きの切符を購入し、帰路についた・・。
なんばの宿に着後、既に時刻も遅かったことから私は学会に同行する院の先輩方と会うことなく、そのまま部屋に戻り、風呂に入ったのち、持参した小説ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著「影の獄にて」を読みながら寝入っていた・・。
翌朝の出発時刻は早く、ホテルロビーにて先輩院生等と待ち合わせインドネシアに向けて出立した。
学会開催地周辺(ジャグジャカルタ)では以前から続いていた近隣の火山噴火(ムラピ山)によってスケジュール通りの航空機の運航が危ぶまれていたが、関西国際空港発ジャカルタ行きの便は特に支障なく出発した。
飛行時間は概ね7時間程度であったが、この間、私は持参した小説を読んだり、寝入ったりを繰り返していた・・。
そうしてジャカルタには無事に着いたものの、我々の行く先とは、そこからさらに国内便に乗る必要性があり、この国内便が、さきの火山噴火によって、かなりスケジュールが乱れていた。
仕方がないので、我々は一通り空港内を徘徊し、出発便の待合所にてしばし時間を潰すことになった。
しばらく待合所にいると、周囲にも、同じ目的を持った日本人らしきグループが散見していることに気が付いた。
そこで我々は「あそこの日本人グループに飛行機は何時に飛ぶ予定か知っていますか?」と聞いてみようと内輪話をはじめた矢先、我々に話しかけてきた人がいた・・。
*続きはまた思い出した時に書いてみようと思います・・。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
昨年2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
2017年5月26日金曜日
20170526 新規の知見・論証の仕方などについて・・
昨日分の投稿記事も思いのほか多くの方々に読んで頂けたようです・・。
さて、あらためてこの記事を読み直してみますと、記事前半部と後半部の書籍からの抜粋引用部の間に多少論理の飛躍が認められるとも思われましたが、輿論凝集の速度と、それを構成している各個人の意見、すなわち内面における活力とは、輿論の凝集速度が外部環境(機器の整備、上からの政策など)によって、より早くなると、その構成分子である各個人の内面の活力といったものは、その『速度』によって、一見活発に動いているように見えるものの、それは単に周囲の環境に対しての反応あるいは対応しているだけであり、この判断は難しいのかもしれませんが、厳密な意味での内面活力の発露、能動性、内発性といったものに関しては、必ずしも活性化しておらず、むしろ疲弊、劣化していることの方が多いのではないかと思われます。
特にそうした状態が継続する場合においては・・。
そして、そこまで書いてみてはじめて記事前半部と記事後半部の書籍からの抜粋引用部との間に断層のない何かしらの繋がりらしきものを見出すことが出来るのではないかと思われましたが如何でしょうか・・?
また、それに関連して『これまでに作成した一連の記事において果たして新たな知見の指摘などはあったのであろうか?そしてそれは誰が判断するのであろうか?』といったことを書いたことがありましたが、おそらくその『新たな知見』というものにも幾つかの種類があり、それが比較的明瞭であるのが、おそらく理系学問分野のそれであると思われます・・。
自身は以前、そうした分野の一つにおいて、新たな知見とまでは行かなくとも、その一般化にわずかに寄与する程度のデータを示したことはあったのではないかと考えます。
とはいえ、そのデータも現在となっては既に過去のものであり、かつて私が行ってきた実験の対象であった歯科材料およびその加工機器の系自体がその後大きく進化発展を遂げたのです・・。
また、そのような進化発展が速い比較的新しい材料であったからこそ、当時、さまざまな従来の実験方法によって得た知見が新規のものとして認識されていたのではないかとも思われます・・。
そして、ここまで書き、期せずして記事冒頭部に述べたことと何やら類似するような感じを受けましたが、果たしてそれは気のせいでしょうか・・(笑)?
いや、ともかく、気のせいであろうがなかろうが、あくまでも個人的な考えではありますが、現在継続しているブログ記事の作成とは、一面において、その当時行ってきたことを自身への定着化、血肉化を試みるため、あるいは自身を燃え尽き症候群にしない(戻さない)ために行っているともいえるのです・・(苦笑)。
ここまで書きますと『その間に如何なる関連があるのか?』と思われるかもしれませんが、自身にとってはその間には多いに関連があるのです・・(笑)。
さて、ハナシを少し戻して、その他の『新たな知見』について考えてみますと、文系学問分野においては一般的に理系学問ほど、それが明瞭ではなく、文系学問においてはむしろ文章の運び、論の進め方といった『論証の仕方』に、より新たなものとしてのの価値が置かれていることが多いのではないかと思われます・・。
つまり、文系学問の場合、結果は既出の文献と同様であったとしても、その『論証の仕方』の方がより重要であると云えるのです。
無論、これは理系学問においても同様であり、その過程の厳密さが求められるのですが、しかし、理系学問においては、どちらかというと『結果における新しい要素』が我々の生活の変化に何かしら関与することが多いことから、そちらの方により重点が置かれるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
さて、あらためてこの記事を読み直してみますと、記事前半部と後半部の書籍からの抜粋引用部の間に多少論理の飛躍が認められるとも思われましたが、輿論凝集の速度と、それを構成している各個人の意見、すなわち内面における活力とは、輿論の凝集速度が外部環境(機器の整備、上からの政策など)によって、より早くなると、その構成分子である各個人の内面の活力といったものは、その『速度』によって、一見活発に動いているように見えるものの、それは単に周囲の環境に対しての反応あるいは対応しているだけであり、この判断は難しいのかもしれませんが、厳密な意味での内面活力の発露、能動性、内発性といったものに関しては、必ずしも活性化しておらず、むしろ疲弊、劣化していることの方が多いのではないかと思われます。
特にそうした状態が継続する場合においては・・。
そして、そこまで書いてみてはじめて記事前半部と記事後半部の書籍からの抜粋引用部との間に断層のない何かしらの繋がりらしきものを見出すことが出来るのではないかと思われましたが如何でしょうか・・?
また、それに関連して『これまでに作成した一連の記事において果たして新たな知見の指摘などはあったのであろうか?そしてそれは誰が判断するのであろうか?』といったことを書いたことがありましたが、おそらくその『新たな知見』というものにも幾つかの種類があり、それが比較的明瞭であるのが、おそらく理系学問分野のそれであると思われます・・。
自身は以前、そうした分野の一つにおいて、新たな知見とまでは行かなくとも、その一般化にわずかに寄与する程度のデータを示したことはあったのではないかと考えます。
とはいえ、そのデータも現在となっては既に過去のものであり、かつて私が行ってきた実験の対象であった歯科材料およびその加工機器の系自体がその後大きく進化発展を遂げたのです・・。
また、そのような進化発展が速い比較的新しい材料であったからこそ、当時、さまざまな従来の実験方法によって得た知見が新規のものとして認識されていたのではないかとも思われます・・。
そして、ここまで書き、期せずして記事冒頭部に述べたことと何やら類似するような感じを受けましたが、果たしてそれは気のせいでしょうか・・(笑)?
いや、ともかく、気のせいであろうがなかろうが、あくまでも個人的な考えではありますが、現在継続しているブログ記事の作成とは、一面において、その当時行ってきたことを自身への定着化、血肉化を試みるため、あるいは自身を燃え尽き症候群にしない(戻さない)ために行っているともいえるのです・・(苦笑)。
ここまで書きますと『その間に如何なる関連があるのか?』と思われるかもしれませんが、自身にとってはその間には多いに関連があるのです・・(笑)。
さて、ハナシを少し戻して、その他の『新たな知見』について考えてみますと、文系学問分野においては一般的に理系学問ほど、それが明瞭ではなく、文系学問においてはむしろ文章の運び、論の進め方といった『論証の仕方』に、より新たなものとしてのの価値が置かれていることが多いのではないかと思われます・・。
つまり、文系学問の場合、結果は既出の文献と同様であったとしても、その『論証の仕方』の方がより重要であると云えるのです。
無論、これは理系学問においても同様であり、その過程の厳密さが求められるのですが、しかし、理系学問においては、どちらかというと『結果における新しい要素』が我々の生活の変化に何かしら関与することが多いことから、そちらの方により重点が置かれるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年5月25日木曜日
20170525 意見統一の早さとその内容について思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】
既投稿の記事で、多くの閲覧者を得た記事を紹介する記事は時折作成してみると良いのかもしれません・・(笑)。
さて、ここ最近は人と話していても、その人がどちらかといえば保守的な考え方であったとしても、社会におけるさまざまな価値が混乱していると認めることが多いように思われます・・(まだまだNは少ないですが・・)。
あるいは、こうしたことは通常であっても都市部において、より顕著に認められることである(価値の新陳代謝が激しい)と思われますので、現状とは、それに拍車が掛かってきているということになるのかもしれません・・。
そして、その原因の一つであったのか、あるいは結果であったのか分かりませんが『とりあえず表層さえ良ければいい』といった野狐禅的ともいえる考えが(特に都市部、首都圏において)普通、自然となっているように思われます・・。
無論、自身においても、そのことに無縁ではなく、正直なところこの記事を書いていても、多少身につまされるものがあるのですが・・(苦笑)。
また、おそらく社会のある部分においては、変わることなく、脈々と続いている文化といったものも少なからずあるのでしょうが、一方、大々的な宣伝、広告活動が為される都市部、首都圏においてはマスメディアと、そうした広告主企業が連携協力(結託)して、さきに述べたような価値の混乱、そして『表層さえ良ければ・・』といった、見方によれば活気はあるものの、いささか上滑りな一連の文化を惹起、助長しているようにも思われるのです・・。
とはいえ、昨今こうしたことは各方面においても見受けられることであり、あるいはこうした各方面での一連の現象とは聊か短絡的であるかもしれませんが、スマートフォンの普及と何かしら関連があるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・?
つまり、スマートフォンの普及した国の社会において周辺国際情勢が緊張すると『より速い速度にて』国内社会における国粋的、排外的傾向の増大、凝集といった現象が認められるようになるのではないでしょうか・・?
そして、それはスマートフォンの普及により増大、凝集といった『我々の内面における動的要素』は早くなるものの、同時にそれは活気はあるものの、いささか上滑りなものとなってしまうのではないかとも思われるのです・・。
そして、ここまで書いており不図想起した文章がありましたので、以下にそれを示します・・。
筑摩書房刊 丸山眞男著 「忠誠と反逆」pp.110-111より抜粋引用
『内面的な被縛感およびそれと不可分に結びついた忠誠の自発性が、忠君愛国象徴の普遍化に比例して弛緩し、体制への大量的なコンフォーミティが造出されるようになった日露戦争頃を境として、青年層とくに知識青年層の「遼陽の大激戦よりも寧ろ壮士芝居の評判に多く心を動かす」気風(徳富蘇峰)、「国家よりも個人を重んじ、政治家よりも俳優を志望する」傾向(三宅雪嶺)がいたるところで語られるようになった。
蘇峰が「憂ふべきは非戦論者にあらず無戦論者なり」として、「吾人は今日生噛りのトルストイ論を受け売りする輩に与せずと雖も、彼等は少なくとも眼中国家あり。
・・聊か与に談ずるに足るを認む。
但だその国家存亡の大事を余所に見て、何等の喜憂を覚えざる、無頓着の輩に至りては、殆ど済度の途に窮せざるをず。
・・・知らず、現在の青年に果たして此の無戦論者無きを証言し得る者ある乎」(「青年の風気」明治三十七年九月)といっているように、こうしたアパシイはまぎれもなく忠誠と反逆との双方からの隠退にほかならなかった。
しかしその由って来るところがどこにあるかは、自由民権的発想の「旧時代性」を指摘し否定することからその「平民主義」を発足させ「将来の日本」を展望した蘇峰によってではなく、かえって三宅雪嶺などの「伝統主義者」によって鋭く認識されている。
すなわち雪嶺は、「国家を無視するの思想の蔓延」憂慮する者が「大抵防止の方法として愈々益々教育勅語を普及すべしと」いうけれども「事実に於いて、勅語の奉読の、徒に形式に流るる」点を衝き、むしろそうした「冷国家」「熱個人」(蘇峰の表現ー前掲論文)の傾向こそ、明治政府が数十年前に、「民権運動の頓に興隆し、之に気勢を添ふるの青年になるより、苟も学校に奉職し又は在学する者は、決して斯かる運動に加はるべからざる旨を訓令し、尚ほ自由民権に類する思想を教科書より除かしめ」るといった教育方針が漸く結実したものである、「権力者は教育の心得のある凡物を使用するの便利を覚え、権威を仮して教育家を支配せしめ、予期の如く平穏無事なるを得たるも」結局「ニ三十年を経て予想以上の結果」をもたらすことになったと指摘した(「国民思想の頽唐を防ぐの便法」『想痕』大正四年、所収)。
今回も、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
さて、ここ最近は人と話していても、その人がどちらかといえば保守的な考え方であったとしても、社会におけるさまざまな価値が混乱していると認めることが多いように思われます・・(まだまだNは少ないですが・・)。
あるいは、こうしたことは通常であっても都市部において、より顕著に認められることである(価値の新陳代謝が激しい)と思われますので、現状とは、それに拍車が掛かってきているということになるのかもしれません・・。
そして、その原因の一つであったのか、あるいは結果であったのか分かりませんが『とりあえず表層さえ良ければいい』といった野狐禅的ともいえる考えが(特に都市部、首都圏において)普通、自然となっているように思われます・・。
無論、自身においても、そのことに無縁ではなく、正直なところこの記事を書いていても、多少身につまされるものがあるのですが・・(苦笑)。
また、おそらく社会のある部分においては、変わることなく、脈々と続いている文化といったものも少なからずあるのでしょうが、一方、大々的な宣伝、広告活動が為される都市部、首都圏においてはマスメディアと、そうした広告主企業が連携協力(結託)して、さきに述べたような価値の混乱、そして『表層さえ良ければ・・』といった、見方によれば活気はあるものの、いささか上滑りな一連の文化を惹起、助長しているようにも思われるのです・・。
とはいえ、昨今こうしたことは各方面においても見受けられることであり、あるいはこうした各方面での一連の現象とは聊か短絡的であるかもしれませんが、スマートフォンの普及と何かしら関連があるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・?
つまり、スマートフォンの普及した国の社会において周辺国際情勢が緊張すると『より速い速度にて』国内社会における国粋的、排外的傾向の増大、凝集といった現象が認められるようになるのではないでしょうか・・?
そして、それはスマートフォンの普及により増大、凝集といった『我々の内面における動的要素』は早くなるものの、同時にそれは活気はあるものの、いささか上滑りなものとなってしまうのではないかとも思われるのです・・。
そして、ここまで書いており不図想起した文章がありましたので、以下にそれを示します・・。
筑摩書房刊 丸山眞男著 「忠誠と反逆」pp.110-111より抜粋引用
ISBN-10: 4480083987
ISBN-13: 978-4480083982
『内面的な被縛感およびそれと不可分に結びついた忠誠の自発性が、忠君愛国象徴の普遍化に比例して弛緩し、体制への大量的なコンフォーミティが造出されるようになった日露戦争頃を境として、青年層とくに知識青年層の「遼陽の大激戦よりも寧ろ壮士芝居の評判に多く心を動かす」気風(徳富蘇峰)、「国家よりも個人を重んじ、政治家よりも俳優を志望する」傾向(三宅雪嶺)がいたるところで語られるようになった。
蘇峰が「憂ふべきは非戦論者にあらず無戦論者なり」として、「吾人は今日生噛りのトルストイ論を受け売りする輩に与せずと雖も、彼等は少なくとも眼中国家あり。
・・聊か与に談ずるに足るを認む。
但だその国家存亡の大事を余所に見て、何等の喜憂を覚えざる、無頓着の輩に至りては、殆ど済度の途に窮せざるをず。
・・・知らず、現在の青年に果たして此の無戦論者無きを証言し得る者ある乎」(「青年の風気」明治三十七年九月)といっているように、こうしたアパシイはまぎれもなく忠誠と反逆との双方からの隠退にほかならなかった。
しかしその由って来るところがどこにあるかは、自由民権的発想の「旧時代性」を指摘し否定することからその「平民主義」を発足させ「将来の日本」を展望した蘇峰によってではなく、かえって三宅雪嶺などの「伝統主義者」によって鋭く認識されている。
すなわち雪嶺は、「国家を無視するの思想の蔓延」憂慮する者が「大抵防止の方法として愈々益々教育勅語を普及すべしと」いうけれども「事実に於いて、勅語の奉読の、徒に形式に流るる」点を衝き、むしろそうした「冷国家」「熱個人」(蘇峰の表現ー前掲論文)の傾向こそ、明治政府が数十年前に、「民権運動の頓に興隆し、之に気勢を添ふるの青年になるより、苟も学校に奉職し又は在学する者は、決して斯かる運動に加はるべからざる旨を訓令し、尚ほ自由民権に類する思想を教科書より除かしめ」るといった教育方針が漸く結実したものである、「権力者は教育の心得のある凡物を使用するの便利を覚え、権威を仮して教育家を支配せしめ、予期の如く平穏無事なるを得たるも」結局「ニ三十年を経て予想以上の結果」をもたらすことになったと指摘した(「国民思想の頽唐を防ぐの便法」『想痕』大正四年、所収)。
今回も、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年5月24日水曜日
20170524 これまで5月内で最も多く読まれた記事について・・
A「昨日分の投稿記事は思いのほか多く読まれており、少し驚きました。
さて、今月も後半に入ってよりしばらく経ち、もう間もなく6月となりますが今月5月にて最も多く読まれた記事は5月5日投稿分の『再び荷物の整理をしていて思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】』であり、次に多く読まれていた記事との差はあまり大きくありませんでしたが、ともかくそのような結果となっております。
おそらくこの記事は記事後半の書籍からの抜粋引用部が興味を惹いたのではないかと思われますが、たしかに、ここで述べられているような考えとは、おそらく我が国において少なくとも広くは認知されておらず、また現今の社会情勢においてもより一層、高等教育≒職業教育の傾向が強まってきているものと考えます・・。
とはいえ、それは社会の趨勢であり、それに対しあくまでも反対し続けるのも実際問題としては困難であると思われますので、たとえば、高等教育における医療・介護科目あるいは技術科目の選択必修化といったことは、自身の経験から、あながち悪いことではないと考えます・・。
何故ならば、我々人間とは、実際に手を用いる何らかの継続的な作業を通じて、より、その思考、思想が練れてくるのではないかと考えるからです・・。
つまりは、そのような実際の作業経験を通じ理系学問に対して興味が湧く方もいるであろうし、一方、そこでの経験から文系学問への興味が加速する方も少なからずいるであろうということです。
おそらく、作業経験が理系あるいは文系学問への能動的な興味に発展するのかとは、その個々人の基層にある天然の資質にかかっているものと考えます。
そして、当然ではありますが、そこには本質的には学問間の上下関係はありません・・。
そこではじめて、さきに挙げた記事抜粋引用部のミルの主張および同著者の文章を引き論を進めた福沢諭吉の精神とも、どうにか折り合いがつくのではないかと思われるのですが、如何でしょうか?
とはいえ、そこで重要なことは、それら科目群【医療・介護・技術】が必修になる場合において、能動的な興味を惹起させずにそれらが単に創造的回避、処理の対象としてしまってはいけないということです・・。
【小林秀雄が『教育とは、教育者が現れることだ』とどこかで述べておりましたが、それはこうした意味もあるのかもしれません・・。
また、このことは高等教育のみならず、どの教育段階においても共通して云えることではありますが・・。】
おそらく、近代以降の我が国の教育制度とは、その早急な近代化、西欧化を推し進めるあまりに、制度、カタチの輸入、定着ばかりにこだわり、その持続的な発展性、持続可能性についてはあまり考えてこなかった、考える余地がなかったのではないかと思われることがあります・・。
【こうしたことは軍隊教育を具体例として述べられることが多い。】
そして、その悪弊とは、戦後期においても受け継がれた結果が現在のあまり芳しくない諸状況ではないかとも思われます・・。
そういえば、ここまで書いており不図思ったことは、先日読了した増田俊也著『七帝柔道記』の登場人物たちのハビトゥスは福沢諭吉著『福翁自伝』のそれに近いのではないかということです・・。
興味を持たれた方は是非読み比べてみてください・・(笑)。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
さて、今月も後半に入ってよりしばらく経ち、もう間もなく6月となりますが今月5月にて最も多く読まれた記事は5月5日投稿分の『再び荷物の整理をしていて思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】』であり、次に多く読まれていた記事との差はあまり大きくありませんでしたが、ともかくそのような結果となっております。
おそらくこの記事は記事後半の書籍からの抜粋引用部が興味を惹いたのではないかと思われますが、たしかに、ここで述べられているような考えとは、おそらく我が国において少なくとも広くは認知されておらず、また現今の社会情勢においてもより一層、高等教育≒職業教育の傾向が強まってきているものと考えます・・。
とはいえ、それは社会の趨勢であり、それに対しあくまでも反対し続けるのも実際問題としては困難であると思われますので、たとえば、高等教育における医療・介護科目あるいは技術科目の選択必修化といったことは、自身の経験から、あながち悪いことではないと考えます・・。
何故ならば、我々人間とは、実際に手を用いる何らかの継続的な作業を通じて、より、その思考、思想が練れてくるのではないかと考えるからです・・。
つまりは、そのような実際の作業経験を通じ理系学問に対して興味が湧く方もいるであろうし、一方、そこでの経験から文系学問への興味が加速する方も少なからずいるであろうということです。
おそらく、作業経験が理系あるいは文系学問への能動的な興味に発展するのかとは、その個々人の基層にある天然の資質にかかっているものと考えます。
そして、当然ではありますが、そこには本質的には学問間の上下関係はありません・・。
そこではじめて、さきに挙げた記事抜粋引用部のミルの主張および同著者の文章を引き論を進めた福沢諭吉の精神とも、どうにか折り合いがつくのではないかと思われるのですが、如何でしょうか?
とはいえ、そこで重要なことは、それら科目群【医療・介護・技術】が必修になる場合において、能動的な興味を惹起させずにそれらが単に創造的回避、処理の対象としてしまってはいけないということです・・。
【小林秀雄が『教育とは、教育者が現れることだ』とどこかで述べておりましたが、それはこうした意味もあるのかもしれません・・。
また、このことは高等教育のみならず、どの教育段階においても共通して云えることではありますが・・。】
おそらく、近代以降の我が国の教育制度とは、その早急な近代化、西欧化を推し進めるあまりに、制度、カタチの輸入、定着ばかりにこだわり、その持続的な発展性、持続可能性についてはあまり考えてこなかった、考える余地がなかったのではないかと思われることがあります・・。
【こうしたことは軍隊教育を具体例として述べられることが多い。】
そして、その悪弊とは、戦後期においても受け継がれた結果が現在のあまり芳しくない諸状況ではないかとも思われます・・。
そういえば、ここまで書いており不図思ったことは、先日読了した増田俊也著『七帝柔道記』の登場人物たちのハビトゥスは福沢諭吉著『福翁自伝』のそれに近いのではないかということです・・。
興味を持たれた方は是非読み比べてみてください・・(笑)。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
20170523 迷信ではないと考えますが不可思議な現象:集合的無意識・シンクロニティー
本日も若干帰宅が遅くなり、日をまたいだ現在【24:22】より記事作成を開始しております。
また、さきほど気が付いたのですが、昨日の記事投稿によって総投稿記事数が630に到達しておりました・・(笑)。
そしてあと残り20記事にて600記事から700記事到達までの路程の半分に至るわけですが、おそらくそれは来月6月中には達成することが出来るのではないかと思われます・・。
さて、つい先日、文系の師匠より届いた封筒に先月刊行された書籍の序論部が掲載された冊子、別刷が同封されており、本日これを読了しました。
この書籍は主に歴史、国際政治について書かれたものですが、その序論部においては歴史の定義、語源よりはじまり、如何なる経路によって各国が保持する固有の歴史認識がさまざまな国際間での摩擦の原因となっていくかが述べられており、ある意味タイムリーであると思われました・・。
また、それに加えて、これまでに自身が作成したブログ記事においてもいくつか、歴史あるいは歴史認識を主題としたものがありましたのであるいはそれに対する一種の反応、返答であったのかもしれません・・。
また、こうしたことを書いており不図思い出されることは、これまでに開催された勉強会において、発表内容は各々に任され、また、その発表内容について互いに相談することなどないはずであるのに、それぞれの発表内容が関連していたり、あるいはその骨子部分となる論理のメカニズムに類似性が認められたことです・・。
勉強会後にこれを不思議に思い、他の出席者である知人に聞いてみたところ「ええ、それはたしかに不思議かもしれませんね、しかし、そういったことはあまり珍しいことでもないと思いますよ・・。」と、いたって平静な口調で返答されました・・(笑)。
こうした不可思議ともいえる現象がいかなるメカニズムにて生じるのか分からず、あるいはそれ以前に発表された内容などの間に類似性を看取する自身の感性の方が少し普通ではないのかもしれないとも考えましたが、こうしたことを疑いはじめますとキリがなく、本当に普通ではなくなりそうでしたので、自身の日常的な感覚を信頼し、おそらく、こうした現象の背後にあるものとはユング心理学でいうところの集合的無意識、シンクロニティーによるものではないかと結論付けることにしました・・(笑)。
とはいえ、たとえその現象が集合的無意識から生じるシンクロニティーと称されるものであったとしても、それが何故、如何なるメカニズムにて生じるのかとは、依然分からず、また、おそらく今後も明瞭、論理的にこれを理解することは出来ないのではないかと思われます・・。
一方、あくまでも私見ではありますが一つ思うことは、こうした現象は、何かしら創造的な作業に熱中し、打ち込んでいる時期あるいはその直後の時期にどうも生じ易いのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した一連の地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
また、さきほど気が付いたのですが、昨日の記事投稿によって総投稿記事数が630に到達しておりました・・(笑)。
そしてあと残り20記事にて600記事から700記事到達までの路程の半分に至るわけですが、おそらくそれは来月6月中には達成することが出来るのではないかと思われます・・。
さて、つい先日、文系の師匠より届いた封筒に先月刊行された書籍の序論部が掲載された冊子、別刷が同封されており、本日これを読了しました。
この書籍は主に歴史、国際政治について書かれたものですが、その序論部においては歴史の定義、語源よりはじまり、如何なる経路によって各国が保持する固有の歴史認識がさまざまな国際間での摩擦の原因となっていくかが述べられており、ある意味タイムリーであると思われました・・。
また、それに加えて、これまでに自身が作成したブログ記事においてもいくつか、歴史あるいは歴史認識を主題としたものがありましたのであるいはそれに対する一種の反応、返答であったのかもしれません・・。
また、こうしたことを書いており不図思い出されることは、これまでに開催された勉強会において、発表内容は各々に任され、また、その発表内容について互いに相談することなどないはずであるのに、それぞれの発表内容が関連していたり、あるいはその骨子部分となる論理のメカニズムに類似性が認められたことです・・。
勉強会後にこれを不思議に思い、他の出席者である知人に聞いてみたところ「ええ、それはたしかに不思議かもしれませんね、しかし、そういったことはあまり珍しいことでもないと思いますよ・・。」と、いたって平静な口調で返答されました・・(笑)。
こうした不可思議ともいえる現象がいかなるメカニズムにて生じるのか分からず、あるいはそれ以前に発表された内容などの間に類似性を看取する自身の感性の方が少し普通ではないのかもしれないとも考えましたが、こうしたことを疑いはじめますとキリがなく、本当に普通ではなくなりそうでしたので、自身の日常的な感覚を信頼し、おそらく、こうした現象の背後にあるものとはユング心理学でいうところの集合的無意識、シンクロニティーによるものではないかと結論付けることにしました・・(笑)。
とはいえ、たとえその現象が集合的無意識から生じるシンクロニティーと称されるものであったとしても、それが何故、如何なるメカニズムにて生じるのかとは、依然分からず、また、おそらく今後も明瞭、論理的にこれを理解することは出来ないのではないかと思われます・・。
一方、あくまでも私見ではありますが一つ思うことは、こうした現象は、何かしら創造的な作業に熱中し、打ち込んでいる時期あるいはその直後の時期にどうも生じ易いのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した一連の地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
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