2017年5月24日水曜日

20170524 これまで5月内で最も多く読まれた記事について・・

A「昨日分の投稿記事は思いのほか多く読まれており、少し驚きました。

さて、今月も後半に入ってよりしばらく経ち、もう間もなく6月となりますが今月5月にて最も多く読まれた記事は5月5日投稿分の『再び荷物の整理をしていて思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】』であり、次に多く読まれていた記事との差はあまり大きくありませんでしたが、ともかくそのような結果となっております。

おそらくこの記事は記事後半の書籍からの抜粋引用部が興味を惹いたのではないかと思われますが、たしかに、ここで述べられているような考えとは、おそらく我が国において少なくとも広くは認知されておらず、また現今の社会情勢においてもより一層、高等教育≒職業教育の傾向が強まってきているものと考えます・・。

とはいえ、それは社会の趨勢であり、それに対しあくまでも反対し続けるのも実際問題としては困難であると思われますので、たとえば、高等教育における医療・介護科目あるいは技術科目の選択必修化といったことは、自身の経験から、あながち悪いことではないと考えます・・。

何故ならば、我々人間とは、実際に手を用いる何らかの継続的な作業を通じて、より、その思考、思想が練れてくるのではないかと考えるからです・・。

つまりは、そのような実際の作業経験を通じ理系学問に対して興味が湧く方もいるであろうし、一方、そこでの経験から文系学問への興味が加速する方も少なからずいるであろうということです。
おそらく、作業経験が理系あるいは文系学問への能動的な興味に発展するのかとは、その個々人の基層にある天然の資質にかかっているものと考えます。

そして、当然ではありますが、そこには本質的には学問間の上下関係はありません・・。

そこではじめて、さきに挙げた記事抜粋引用部のミルの主張および同著者の文章を引き論を進めた福沢諭吉の精神とも、どうにか折り合いがつくのではないかと思われるのですが、如何でしょうか?

とはいえ、そこで重要なことは、それら科目群【医療・介護・技術】が必修になる場合において、能動的な興味を惹起させずにそれらが単に創造的回避、処理の対象としてしまってはいけないということです・・。

【小林秀雄が『教育とは、教育者が現れることだ』とどこかで述べておりましたが、それはこうした意味もあるのかもしれません・・。
また、このことは高等教育のみならず、どの教育段階においても共通して云えることではありますが・・。】

おそらく、近代以降の我が国の教育制度とは、その早急な近代化、西欧化を推し進めるあまりに、制度、カタチの輸入、定着ばかりにこだわり、その持続的な発展性、持続可能性についてはあまり考えてこなかった、考える余地がなかったのではないかと思われることがあります・・。
【こうしたことは軍隊教育を具体例として述べられることが多い。】

そして、その悪弊とは、戦後期においても受け継がれた結果が現在のあまり芳しくない諸状況ではないかとも思われます・・。

そういえば、ここまで書いており不図思ったことは、先日読了した増田俊也著『七帝柔道記』の登場人物たちのハビトゥス福沢諭吉著『福翁自伝』のそれに近いのではないかということです・・。

興味を持たれた方は是非読み比べてみてください・・(笑)。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」





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