2017年5月28日日曜日

20170527 本日の知人との会話にて思い出したこと・・

本日は帰宅が遅くなったことから、ブログ記事作成を止めておこうと考えましたが、さきほどまで会っていた方々との会話にて過去のことが思い出されたため、それを題材として何かしら書こうと思い立った次第です。

去る2010年11月初頭、私達はインドネシアのジョグジャカルタにて開催される学会に参加するため、鹿児島を発った。

とはいえ、鹿児島からインドネシアまでの直通便はないことから、一旦関西国際空港まで行き、そこからジャカルタ行きの便に乗ることとなった。

また、関西国際空港発ジャカルタ行きの便の出発時間が割合と早かったことから、前日に大阪入りし、なんばにて一泊することになった。

鹿児島を発ち、伊丹空港まで行き、そこから陸路にてなんばまで行ったが、なんばに到着したのは、たしか夕刻前、午後3~4時くらいであったと記憶している。

そのまま、何もせずに前泊地であるなんばの宿に滞在するのも面白くないと思い、私は南海線にてかつて滞在した和歌山まで足を伸ばすことにした。

南海線の和歌山市駅に着いたのは、夕刻であった。
その駅前の街並みは季節のためか既に薄暗かったが、それでも約3年振りの和歌山市駅に私は大興奮して、そのまま駅前の大通りを直進し、和歌山城を左手に眺めつつ三年坂通りまで出て、そこで左折、直進し、岡公園のところで右手に入り刺田比古神社に参拝した。
また幸いなことに、この時刻でも社務所は開いており、参拝の後に絵馬を一つ頂いた。
この絵馬はインドネシアまで持参し、帰国後お師匠のもとに送った。

この神社が古代豪族大伴氏の氏神を祀る一つの社であると聞いていたからだ・・。

この参拝により、この度の急きょの和歌山行きの目的を果たしたような気分となり、私は軽い足取りにて、和歌山市駅までぶらくり丁を経由しつつ帰った。

時刻は既に午後7時を過ぎており、殆どの店は閉まってはいたものの、かつて時折通ったカレー屋、交差点を渡ったところすぐにある和歌山ラーメン(中華そば)の店は開いており、厨房の排気口から流れてくる匂いにより和歌山在住時の記憶が刺激された・・。

そしてまた、去る四月に勉強会で和歌山を訪れた時もまたこれと同様の経験をした・・。

和歌山市駅に到着すると、特に理由はないものの後ろ髪を引かれる思いでなんば行きの切符を購入し、帰路についた・・。

なんばの宿に着後、既に時刻も遅かったことから私は学会に同行する院の先輩方と会うことなく、そのまま部屋に戻り、風呂に入ったのち、持参した小説ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著「影の獄にて」を読みながら寝入っていた・・。

翌朝の出発時刻は早く、ホテルロビーにて先輩院生等と待ち合わせインドネシアに向けて出立した。

学会開催地周辺(ジャグジャカルタ)では以前から続いていた近隣の火山噴火(ムラピ山)によってスケジュール通りの航空機の運航が危ぶまれていたが、関西国際空港発ジャカルタ行きの便は特に支障なく出発した。

飛行時間は概ね7時間程度であったが、この間、私は持参した小説を読んだり、寝入ったりを繰り返していた・・。

そうしてジャカルタには無事に着いたものの、我々の行く先とは、そこからさらに国内便に乗る必要性があり、この国内便が、さきの火山噴火によって、かなりスケジュールが乱れていた。

仕方がないので、我々は一通り空港内を徘徊し、出発便の待合所にてしばし時間を潰すことになった。

しばらく待合所にいると、周囲にも、同じ目的を持った日本人らしきグループが散見していることに気が付いた。

そこで我々は「あそこの日本人グループに飛行機は何時に飛ぶ予定か知っていますか?」と聞いてみようと内輪話をはじめた矢先、我々に話しかけてきた人がいた・・。

*続きはまた思い出した時に書いてみようと思います・・。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨年2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。









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