2025年6月4日水曜日

20250604 最近の「揺さぶられる経験」について、読書と対話から

 ここ最近は数日間隔にてブログ更新をしており、来たる6月22日の当ブログ開始から丸10年を迎えるまでに、総投稿数2350に到達出来れば良いと考えています。そして、その後もあまりペースは変えず、更新を続け、2400記事まで到達して、そこで一旦、本格的にブログやSNSから離れたいと考えています。
 とはいえ、近年は当ブログ以外にも、いくつかの公開される文章の作成も継続していることから、文章の作成からは、全く離れるわけではありませんし、また、インプットである読書の方は、身の入れ方に濃淡はあれど、継続すると思われます。
 読書と云えば、直近投稿記事にて述べた宮台真司先生による『制服少女たちの選択 After30Years』は、第3章に至り、300頁を過ぎましたが、日頃より動画などで宮台先生の言説に触れ、慣れているはずの私であっても、少なからず揺さぶられるものがあり、そして、この「揺さぶられる」体験とは、同著作内にある「不可逆的な感覚の変化」に相当するのではないかと思われました。
 また、当著作を読み進めていて想起されたのが、アルベール・カミュによる「転落」という作品です…。ともあれ、そうしたことが当著作を私にとって興味深いものにしているのですが、他方、当著作の第一部にて多くの頁が割かれている「援助交際」について、これらの取材がされた地域には、かつて私が在住した和歌山市や鹿児島市は入っていなかったのではないかと漠然とながら思われました。
 つまり、あくまでも感覚的ではありますが、同著、第一部にて述べられていることは、東京や首都圏近郊の都市であれば、(残念ながら)割とスンナリと納得させられるのですが、和歌山市や鹿児島市に当て嵌めてみますと、どうも「いや、あそこでは、そうはならないのでは…?」と思われるのです…。
 このことは、つい先日、訪問させて頂き、お話を伺った和歌山大学経済学部の先生も同意されていましたので、あるいは、そうした地域社会の相違を踏まえた、社会の変遷の様子なども大変興味深いと思われました。
 さて、上記のとおり、先日また、国内外の情勢や我が国の高等教育にまつわる事情についてお話を伺うため、和歌山を訪問しましたが、その際も、同著を電車、飛行機、電車、ホテルにて読み進め、睡眠不足のままで、先生の研究室を訪問させて頂くことになりました…。そしてまた、そこでのお話も、さきと同様「揺さぶられる」ものがあり、とりわけ我が国の高等教育の今後については、かねてよりではありますが、さらに暗澹たるものが感じられました…。
 我が国は今後5~10年での舵取りにより、その後の浮沈や興廃が決まるという言説は、ここ最近、複数分野にて見聞きしましたが、それは、当然ながら、高等教育においても同様であり、しかしながら、その対策とは、医系・理系分野の強い大規模な大学に集中的に研究資金を投入して世界に通じる革新的な技術の研究開発をはかるといった性質が強いものであり、そして、そうした状況とは、たしかに人文社会科学系にとっては苦々しいものであるのでしょうが、他方において、現実の状況とは、今後5年程度で多くの大学が閉学となり、また生き残った余力のある私立大学はおそらく、近隣の医療介護系専門学校の吸収合併をするようになると考えます。首都圏や都市圏では、また様相が異なるかもしれませんが、それ以外の多く地域では、伝統ある私学の高等教育機関の学部構成の多くが既に、そのようになっていると見受けられますので、そうした学部構成こそが、地域において受容され得る、私学高等教育の様相であるように思われます…。
 一方、国公立大学においても、今後さらに統合化が進行し、たとえば、事務部門や実験機器などの技術部門などは複数学部・大学での共有や統合化の方向へさらに進んでいくと思われます。他方、先述した医系・理系の強い大学に対しては相対的に多くの研究資金が投入されることが予想されるため、今後、国公立大学間での格差はさらに拡大すると考えられます。
 しかし、話題が高等教育になりますと、私はどうしても「医療介護系人材を養成する新たな専門職大学の新設を!」と考えます。
 このことは、先日訪問の和歌山においても申し述べた次第です。AIや各種デジタル技術を教育内容に盛り込み、実践的な英語教育を行い、学生各々が得意な文系科目を選択科目として履修する、中小規模の専門職大学を、既存の私立・国公立を問わない大学、および企業や医療機関などが出資をして、そこに医療系のシンク・タンクとなどが旗振り役となり新設することは、現在からすれば、一見、時代に逆行しているようにも見えるのでしょうが、それは生え変わりやターン・オーバーのようなものであり、閉学が続くさなかに、新たに統合された大学や、さきに述べたような新たな種類の大学(専門職大学)の新設がされることは、むしろ自然な現象であると考えます。
 いや、これまで、そうした変化を高等教育全体が拒み続けてきたために、現在のような大学間格差の拡大が既定路線といった状況になってしまっているのではないでしょうか?

 ともあれ、先日の和歌山訪問においても、我が国が好ましくない状況であることを痛感し、また読み進めている『制服少女たちの選択 After30Years』の記述からもショックを受けて多少落ち込み気味ではありますが、それでもまだ頁は続き、そして読んでみたいとは思いますので読み進めます。


*加筆修正後
 ここ最近は数日の間隔でブログを更新しており、来る6月22日のブログ開設10周年までに、投稿数を2350本に到達させたいと考えています。その後も、これまでと大きくペースを変えることなく2400本まで更新を続けたうえで、一区切りとして、本格的にブログやSNSから離れてみようと検討しています。

 もっとも、ここ数年は当ブログ以外にも、継続的に、いくつかの公表される文章を作成していますので、まったく書かないわけではありませんし、また、インプットとしての読書も、熱の入り方に濃淡があるにせよ、今後もおそらく継続していくものと思われます。

 読書といえば、直近の投稿記事でも触れましたように、現在は宮台真司先生の『制服少女たちの選択 After30Years』を読み進めており、第3章に入り、すでに300ページを越えたところです。ふだんから宮台先生の動画を視聴し、その発言内容の真率さ(過激さ)には、ある程度馴染んでいるはずの私であっても、本書の内容には少なからず心を揺さぶられるものがありました。その「揺さぶり」の体験は、作中でにある「不可逆的な感覚の変化」にも通じると思われます。

 くわえて、当著作を読み進めるうちに、ふとアルベール・カミュの『転落』を思い出しました。こうした連想も含めて、当著作が私にとって印象深い一冊となっているのですが、一方で、第1部で大きく取り上げられている「援助交際」について記述された地域のなかに、かつて私が暮らしていた和歌山市や鹿児島市は含まれていなかったのではないか、という印象も持ちました。感覚的な話ではありますが、本書の描写は首都圏や大都市圏では理解できる一方で、それを和歌山や鹿児島に当てはめてみると、どうも違和感が残ります。

 この感覚については、先日お目に掛かった和歌山大学経済学部の先生も共感してくださり、地域ごとの文化や社会構造の違いを踏まえたうえでの社会変容の見方の重要性を、改めて実感しました。

 ちなみに今回の和歌山訪問の際も、電車、飛行機、ホテルで当著作を読み進めていたのですが、そのため、寝不足の状態で先生の研究室を訪ねることとなってしまいました。それでも、当日うかがったお話には、まさに同著と同様「揺さぶられる」ものがあり、特に我が国の高等教育の未来については、かねてより感じていたものが、さらに暗澹たる思いとなりました。

 「我が国は、今後5~10年の舵取りにより、浮沈・興廃が決まる」—そうした趣旨の言説を最近各分野でよく耳にしますが、それは高等教育においても例外ではありません。現在進められている大学改革は、医系・理系分野に強みを持つ大規模大学へと研究資金を集中的に投入し、国際競争力のある技術開発を志向する傾向が顕著です。人文社会科学系にとっては厳しい状況と云えますが、それが現実であることもまた否めません。

 私見では、おそらく今後5年程度で、相当数の私立大学が閉鎖を余儀なくされ、また、体力のある私学は、地域の医療・介護系専門学校を吸収する方向に進んでいくと考えられます。特に首都圏・大都市圏以外の地域においては、すでにそのような学部構成となっている大学も多く、これは地域社会が高等教育機関に求める機能を反映した結果でもあるのでしょう。

 国公立大学においても、今後さらなる統合が進むものと思われます。事務部門や研究支援部門の共通化が進められ、大学間格差は医系・理系の研究資金格差を背景にさらに拡大していく可能性が高いと考えます。

 こうした議論になると、私としてはどうしても「医療・介護系人材を育成する新たな専門職大学の創設を」と申し上げたくなります。実践的な英語教育やAI・デジタル技術を取り入れ、学生が得意な文系科目を選択科目として履修できるような中小規模の専門職大学を、既存の大学や医療機関、企業などの連携によって新設する。こうした構想は一見、時代に逆行しているように見えるかもしれませんが、実際には制度の“新陳代謝”であり、閉学の進む中でこそ、こうした新たな大学形態が必要とされるのではないかと感じています。

 むしろ、こうした流れを拒んできたことこそが、現在の大学間格差の拡大や制度疲労をもたらした要因であるようにも思われます。

 ともあれ、今回の和歌山訪問においても、我が国の高等教育と社会全体が抱える問題の深刻さを改めて認識することとなりました。そして、『制服少女たちの選択 After30Years』を通じてもまた、多くの衝撃を受け、少し気分が沈んでしまったのも事実ですが、それでも、まだページが残されておりそして、読み進めたいという思いはあることから、やはり最後まで読むべきであろうと思われます。

そして、今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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ISBN978-4-263-46420-5

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2025年6月2日月曜日

20250601 公的キャラクターの立ち上げと言語感覚の変容について

 過日、かねてより読み進めていたユヴァル・ノア・ハラリによる新作「ネクサス」情報の社会史上下巻を読了して、次に間髪を置かずに、以前に購入して積読状態であった宮台真司著「制服少女たちの選択 完全版 After 30 Years」を読み始めました。こちらの著者である宮台真司先生のことは、かれこれ10年以上前からいくつかの著作や動画などを通じて知っており、以前にも当ブログにて述べましたが、2012年に歯科理工学実習と歯科衛生士学科の歯科英語の講義が重なった時期に、何と云いますか、公的な場で自らが話すキャラクターといったものがないことに気が付き、こちらの宮台先生をはじめ何人かの方々の話し方を真似、それらを混淆させて、急ぎ、自らの公的な面でのキャラクターを立ち上げたわけですが、面白いもので、こうした公的なキャラクターとは、一度立ち上がり、それで自らの公的な側面が駆動しはじめますと、それに引き摺られるのか、それまで既存の話し方などにも変化が生じます。これは以前のホテル・フロント勤務の際とはまた異なり、何と云いますか、より話す際での能動性が求められるようになるのです。つまり、こちらからより多く話さなければならず、その反面、言葉遣いや言い回しなどは、分かり易いながらも、無難なものにせざるを得なくなります。つまり、ある程度の人数を相手として、90~180分程度、それなりに内容のあることを話し続けることは、おそらく、そこまで簡単なことではなく、そのためにも話し方は、より多くの方々が理解し得る無難なものへと落ち着いて行くのが自然であるということになります。とはいえ、では、そうした大勢に向けた無難な話し方の選択肢は、多くないと考えられそうですが、そうでもないところがまた悩ましいところであり、私の場合、先述のように、当時、よく動画を視聴していた宮台真司先生、新潮CDの小林秀雄の講演、そしてDJのピストン西沢氏の三氏の話し方を真似て、自分なりに昇華させようと試みました。また同時に当時はほぼ毎日、何らかの英語の科学論文を読んでいましたので、そのようにして既存のものとは異なる言語文化にしばらくの期間浸っていますと、自然、自らが用いる言語にも変化が生じ、そして、その先に、当時在住の鹿児島市内の洋書が置いてある比較的大規模な書店に行き、それまで興味を持つことがなかった英語小説の背表紙を見て、突然、その題名の和訳が自然と頭に浮び、さらに頁を開いてみると「あら不思議!」大体の文章は読めるようになっていることに気が付くのです…。そしてそこから、米国の空手映画の練習シーンを髣髴とさせますが、つまり重要なことは、こうした能力の進化や向上とは、すぐには実感されることは少なく、黙々と向上を目指して単調ながらも活動していくさなか、突如として気付く契機といったものが自然なカタチで齎されるのではないかと思われるのです。そしておそらく、そうしたことは、たとえ誰かが文章で精確に著しても、理系論文によくある実験メソッドのような種類の普遍性がないため、正しく伝播することが困難であるのではないかと考えます。そしてまた、そうした学問としての性質の根本的な相違が理系・文系双方の間にあるのではないかと思われた次第です。
 今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!


*加筆修正後
 過日、かねてより読み進めていたユヴァル・ノア・ハラリによる新作『ネクサス 情報の社会史』上下巻を読了し、その次に、以前に購入して積読状態となっていた宮台真司著『制服少女たちの選択 完全版 After 30 Years』を読み始めました。
 著者である宮台真司先生のことは、10年以上前からいくつかの著作や動画などを通じて知っていました。一方で、以前にも当ブログで述べたように、2012年、歯科理工学実習と歯科衛生士学科での歯科英語の講義を重なり引き受けた時に、自らの「公的な場で話す」キャラクターがないことに気づきました。
 その際、宮台先生をはじめとする何人かの方々の話し方を参考として、それらを統合や混淆させる形で急ぎ、自分なりの公的キャラクターを立ち上げたわけですが、興味深いのは、そうしたキャラクターが一度立ち上がり、その公的側面が駆動し始めると、それに引き摺られるように、それまでの話し方にも変化が生じていくことです。
 これは以前のホテル・フロント勤務時での状況とは異なり、より能動的に話す姿勢が求められるようになるという点で特に顕著でした。つまり、こちらから積極的に話す必要がある一方で、言葉遣いや言い回しについては、分かりやすく、かつ無難なものとして、落ち着いて対応する必要があると云うことです。
 一定の人数を前に90~180分程度、それなりに内容のある話を話し続けることは、おそらく容易なことではなく、そのためにも、話し方は、前述のように、より多くの人に伝わる無難な表現へと自然に収束していくのではないかと考えます。
 とはいえ、大勢を対象とした「無難な話し方」の選択肢もまた、決して少なくはないようにも見受けられます。そこにまた、ある種、選択肢の多さ故の悩ましさがあるわけですが、私の場合は当時よく動画を視聴していた宮台真司先生、新潮CDによる小林秀雄の講演、そしてDJピストン西沢氏の話し方の三者を真似し、自分なりに昇華させようと試みました。
 また同時期には、ほぼ毎日、英語の科学論文を読んでいたため、既存とは異なる言語文化に一定期間浸っているうちに、言語感覚にも徐々に自然な変化が生じたのだと云えます。
 そして、その延長として、当時在住していた鹿児島市内にある、洋書を扱う比較的大規模な書店に赴いた際、それまでほぼ関心を持たなかった英語小説の背表紙を眺めているうちに、突然その題名の和訳が自然と頭に浮かび、さらに頁を開いてみると「あら不思議!」、大体の内容を読めるようになっていたことに気が付くのです…。
 こうした状況は米国の空手映画に登場する修行シーンを彷彿とさせるような体験でしたが、要するに、こうした能力の進化や向上とは、即座に実感できるものではなく、むしろ地道に継続していくなかで、あるとき突然、自然な形で気づかされる契機が訪れるものなのだと思われます。
 そしておそらく、そのような過程とは、たとえ誰かが精確に文章として記述したとしても、理系論文にあるような普遍性を持つ「実験メソッド」とは異なり、他者に伝播させることが困難であると考えます。
 このような点において、理系と文系の学問のあいだには、根本的な性質の相違があるのではないかと思われます。 
 そして、今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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2025年5月25日日曜日

20250524 総投稿記事が2340を超えていたことから思ったこと

 さきほど見たところ、当ブログの現時点での総投稿記事数は2341となっていました。そうしますと、二つ前の投稿により、ある程度キリの良い2340記事に到達していたことになります。また、以前であれば、そうした節目を題材として記事を作成していたものですが、あるいは、投稿記事数への関心は波があるのかもしれませんが、ここ最近はあまり気にしていませんでしたので、冒頭のようになったのだと云えます。とはいえ、来る6月22日には、当ブログ開始から丸10年になりますので、それまでには、もう少しキリの良い2350記事には到達したいと考えています。

 また、総閲覧者数は、現在のところ累計で93万人を少し超えた程度となっています。これについても、日常的に特に注意を払っているわけではありませんが、10年近くという継続期間で93万人と捉えてみますと、単純計算では、年間で約9万3000人、月間でおよそ7800人、そして1日では250人程度の方々に閲覧されていることになります。もちろん、閲覧者数は日毎で偏差があり、1日で1000人を超える日もあれば、他方で、更新を行わずブログ自体を開かない日などは、一桁に留まることもあります。そして、それらすべてを統合した平均が250人となっています。

 この数値が、ブログとして相対的にどの程度の水準であるのかも、ここ最近はとくに関心を持ってはいませんでしたが、私見としては、個人運営のブログとしては、そこまで悪くはないと考えています。また、2015年に開始して、2025年までの10年近く、更新しつつ継続しているブログというのも、そう多くはないと思われますので、内容の良し悪しはさておき、その継続自体が、ある種の個性にはなっているのではないかと思われます。

 前述のとおり、10年近く(どうにか)継続してきたことにより、このブログそのものが、私の思考や志向の変遷や歩みを示すものとなっており、また、それを文章として記録する営みは、年を重ねるごとに、自らの中での意味を徐々に深めているように感じられます。

 とくに2020年以降は、コロナ禍、第二次宇露戦争、ガザ紛争など、国際情勢も徐々に混乱の度合いを強めて現在に至っており、それらの様相を自分なりに理解するため、書籍を読み、情報収集しているうちに、これまで知らなかったいくつかの分野に関しての知見も得ることができました。それもまた、ブログの継続という基盤があったからこそ可能になったのではないかと考えます。

 また、2020年1月からはエックス(旧Twitter)も開始し、それ以来、当ブログとの連携も続けています。これにより、新たな閲覧者層を得ることができたと云えます。実際、ブログ閲覧者数の増加が見られるようになったのも、同時期からであり、そこから、SNSとの連携が一定の効果を持ち得るのだと云えます。

 しかし他方で、エックス(旧Twitter)などのSNSという媒体は、全般的に思考を深めるというよりも、感情的な反応が先行しやすい性質があると思われます。この視点から、ブログという形式が持つ「遅さ」や「長さ」は、依然として有効なものであると、むしろ以前よりも強く考えるようになりました。そして、閲覧者との距離を考慮しつつ、自らの考えを文章化し、さらに掘り下げていくという行為には、それがたとえ不完全なものであったとしても、蓄積されるだけの価値はあるのではないかと考えています。

 そして今後、2350記事、10年間の継続を達成できたとしても、ある程度長い期間の休止はするにしても、ブログ自体を止めることは考えていません。むしろ、その先に、どのような変化があるのかを観察してみたいと考えています。

そして今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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2025年5月20日火曜日

20250519 歯科理工学と文系ネタの融合について:私見として

 直近、5/17投稿分の記事は、投稿2日目としては比較的多くの方々に読んで頂けていました。当記事を読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、鹿児島や和歌山など、具体的な地域をブログ記事題材としますと、閲覧者数が伸びやすい傾向も認められました。

 さて、直近投稿記事の文末にて触れた「さらに続き…」を題材として今回は進めます。すでに述べたとおり、私には少々“文系ネタ”に拘るクセがあります。そのクセに対して、当時周囲におられたた方々からは概ね真面目そして鷹揚に対応して頂いたことは現在においても感謝しています。振り返ってみますと、師匠が退職された2010年末頃から始めた英論文のひとり音読が契機あるいは転機となり、その後の変化が生じたと云えます。もちろん、そこに至るまでの過程は大変苦しかったものの結果的には、現在においては、最低限の挽回はできたのではないかとも考えています…。

 また、当時の専攻であった歯科理工学と、英論文の音読や文系などを随時、行き来するような態度は、当時の私にとっって不可欠な呼吸法のようなものであり、歯科理工学のみを掘り下げても行き詰まるなかで、他分野での何らかの活動をすることによってアイデアが湧いたり、思考を拡げてくれたと思われることが度々ありました。

 もっとも、2010年秋に師匠が退職されて、2013年夏の学位取得に至るまでの約3年間は、私にとっては人生の非常事態と云える期間でした。そこでの精神的な消耗や疲労は、現在にも影響を及ぼしていると考えます。くわえて昨今ではSNSなどでの情報の洪水も重なり、睡眠の質まで蝕まれているようにも思われます…。とはいえ、大抵、どの分野の院生でも、学位取得前に何らかの精神的危機を経験すると聞き及びますし、そしてまた、その辛さの相対的な比較は困難であろうと考えます。

 2010年の教授(師匠)退職の翌年、2011年に准教授の先生も定年退職となり、先輩院生の先生方も次々と修了されて、研究室の人員が一気に減少しました。そして、その穴埋めの役割もありつつ迎えた2012年の歯科理工学実習では、毎回かなりの疲労感を覚えた一方で、自分の裁量が増したことにより、実習工程の説明やその雑談などに文系ネタを(ふんだんに)織り交ぜることも出来ました。しかしもちろん、本題である実習項目の各解説は例年通り、国内外のテキストや関連論文を読み込み、準備しておりましたので、質自体に問題はなかったと考えます。また文系ネタの多用についても、事前に研究室の先生方からご了承を頂いていたため、学位が取れようが取れまいが、この実習を「人生最大の見せ場」として発奮していた記憶があります…(笑)。

 さて、以上、鹿児島の度量の広さと鷹揚さへの感謝から始まり、実習での文系ネタ多用を正当化するような文章になってしまいました…(苦笑)。しかしながら、そうした行為をするためにも、ある程度の下調べと準備が不可欠です。そうしたことから、この時期(非常事態)は、現在では私を支える重要な要素になっているとも云えます。そして、私にとって当ブログを作成することは、そこで培ったものを維持そして発展させるための行為であるとも云えます。さらにまた、今回の当記事も、その延長線上にあると云えます。それ故、これからもしばらく、自らの経験を基礎として、新たな視点や見解を提示しつつ継続することが出来れば良いと考えておりますので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。また今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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2025年5月18日日曜日

20250517 過日の投稿記事から思ったこと:鹿児島の地域性?

 過日の投稿記事にて、鹿児島在住時代、私が在籍した研究室周辺におられた方々の鷹揚さには少なからず助けられたと述べましたが、その後、しばらく考えてみますと、この鷹揚さは、地域性の発露の一種であるのではないかと考えるに至りました。九州のなかでも、とりわけ熊本と鹿児島は、未だ女性蔑視的な文化が残存していると、しばしば聞かれますが、そうした女性を蔑視する差別的な感覚と、さきの鷹揚さが、どのようにして併存しているのかと考えてみますと、それなりに興味深く、また、自らが実際にその地域で住んでみますと、その実相をよく理解出来るようになるのではないかと考えます。そして、地域に住み、経験を積み、その実相を理解出来たと思った時には、おそらく多くの場合、そうした性質、地域性をわざわざ言語化して論うことに抵抗を覚えるようになっているのではないかと考えます…。
 私は鹿児島のことを比類なく素晴らしい場所であるとか、逆に、信じられないほど野蛮で危険きわまりない場所であると述べたいわけではありません…。鹿児島は、その歴史が示すように、鎌倉時代の下司職(げししき)そして地頭職(じとうしき)からはじまり、19世紀後半の近現代まで、700年ほど一領主家によって統治されたという、我が国でも珍しい歴史を持つ地域であり、そして、そうした地域の社会では、過去の残渣とも云えるような、封建的あるいは権威主義的な面も少なからずあり、私もそれを度々経験したと云えますが、しかしまた他方では、たしかに前述した鷹揚さもまた、少なからずあったとも云えるのです…。この鹿児島の地域性とも云える鷹揚さについては、以前に引用記事を作成していましたので、以下にその記述をコピペします。

『このように薩摩藩が琉球固有の文化を残したのは、あくまでも政治上の思惑であり、琉球の文化に高い敬意を払ったからではなかった。琉球からみれば薩摩藩は憎むべき侵略者そのものだ。その点を踏まえたうえでなお、薩摩藩には多様な文化が並立して存在することを良しとする、度量の広さがあったーそう言っても差し支えないのではないか。』

 引用文中の「度量の広さ」こそが、さきの「鷹揚」とほぼ同じものを示していると考えます。そう、おそらく、彼等彼女等は意識的に、あるいは良心的に振る舞おうとして、度量が広かったり、鷹揚であったりするのではなく、むしろ、ごく自然に振る舞っていて、他地域の人々の尺度からは、度量が広いであるとか、鷹揚であると感じさせる性質があるのだと考えます。この性質については、私の記憶に比較的強く残っているものがあります。それは、大学院2年目の2010年秋に師匠が退職されて、意気阻喪としていた研究室でしたが、実験や英論文読みなど、やらなければならないことは幾つもあり、そして、そうしたイヤな気分を紛らわすためもあって、実験の空いた時間に英論文を音読していましたが、当初、その音読の音量は周囲への遠慮や配慮もあり、控えめに呟くように読んでいましたが、のちに控えていた国際学会での初の口頭発表に向けて、より実践的なものにしようと、通常の音量、さらに出来るだけ抑揚をつけて情感を込めて読むようにしましたが、それをしばらく続けていても、研究室の先生方、あるいは隣の研究室の先生方から苦情や苦言が届くことは一度もありませんでした。その後、この実験室での英論文の音読の習慣は、翌2011年も継続して、その年の暮れには、師匠門下の最年長で、当時他講座の助教をされていた先生から「歯科衛生士の専門学校で英語の講義をしてみないか?」との打診を頂き、翌2012年春からその講義をさせて頂くことになりました。これはおそらく、さきの習慣を知りつつ打診されたと考えられますので、それは、私の経験としては有益に作用したと云い得ます。そしてまた、たとえ意図せずとも、私のそうした性質を引き出してくださったのは、鹿児島の地域性と云える「鷹揚さ」や「度量の広さ」であると考えることから、さきに述べたように印象深いものとなっているのです。また、これにつきましては、さらに続きがあるのですが、それにつきましては、また別の機会に述べたいと思います。ともあれ、丸10年の継続に近づいたことから、もう少しやる気を出すために、本日も何やら書き始めた次第ですが、思いのほかに筆が乗り、文量も増えました。5月病とも云われるほどに、本格的に春めいて暖かくなりますと、人の精神は浮ついて不安定になるのかも知れず、私の方もあまりブログ記事作成に意欲が湧きませんでしたが、ここに来て、まだ、このくらいの時間で、この程度の文量を作成出来ることが出来ることが自覚されましたので、今しばらく、これを維持そして継続して、来る6月22日の当ブログ開始丸10年を迎えることが出来ればと考えています。
 そして今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!


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2025年5月16日金曜日

20250515 継続による変化について思ったこと

 来る6月22日で、当ブログは開始からちょうど丸10年になります。その節目に向けて、ここ最近は多少、ブログの更新に重点を置き、現状としては当記事を含めて、あと2記事、追加で投稿することにより、総投稿記事数は2340に達し、さらに10記事を追加すれば、節目となる丸10年になるまでに2350に到達出来ます。

 さて、2015年6月22日から2025年6月22日までの全日数は3652日になります。そして、その期間での2350記事の投稿となりますと、単純計算で、約3日で2回の更新を継続してきたことになり、異言しますと、10年間の全日数のうち6割以上の日にブログを更新してきたことになります。

 如上のように、3日で2回ほど、継続的に文章(ブログ記事)を作成した場合、それが何らかの有意な変化をもたらすのではないか―そう考えることも時にはあります。しかし実際には、これまでの「丸8年」「丸9年」の節目においても、とくに明確な変化を感じた記憶はありません。そのため、今回の「丸10年」で、たとえ桁が増えるとはいえ、急激に有意な変化が生じるとは考えていません。

 とはいえ、10年という区切りから、何らかの中・長期的な影響を及ぼす可能性があるとも考えています。というのも、私自身、それ以前には「公表を前提とする文章の作成を、10年にわたり継続した」という経験を持っていませんでした。そのため、この点からは、多少の達成感や自信に繋がる部分もあるように思われます。

 もっとも、世の中には私などよりも長期間、多くの読者の方々を得つつ、ブログを継続されている方々も少なからずおられます。それ故、たとえ10年間続けられたとしても、それにより得られる自信や達成感は、絶対的なものではなく、あくまでも、ささやかで相対的なものになると思われます。

 とはいえ、継続からは、たとえ可視的な成果や変容の自覚が乏しくとも、おそらく我々の無意識の層においては、確かに、何らかの変化を生じさせていると考えます。それは、たとえ自覚に乏しくとも、文章の作成という行為そのものに、自らの思考や視点を明晰にする効果があると考えるためです。

 10年近く、当ブログを作成し続けてきましたのは、端的に読んで頂いている方々への発信であると同時に、自分自身との対話でもありました。今後、どのような頻度で更新していくかは定かではありませんが、できれば、もうしばらく継続したいと考えています。ともあれ、多くの場合、変化とは、体感出来るほど急激に生じるようなものではなく、継続された時間のなかに含まれており、ある機会などで振り返ることで、不図、気が付くといったものではないかと思われます。

そして今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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2025年5月14日水曜日

20250513 異分野でのリテラシーについて(道なき道を行くために…)

 以前より私は文系ネタになりますと、少し拘るクセがあり、それは歯系院在籍時においても同様でした。そして、現在、大変運が良かったと思われることは、歯系院にて周囲におられた方々は総じて、私の文系に拘るクセを否定せずに、鷹揚に構え、さらには、そうした話題をこちらに振ってこられたことです。考えられるその理由は、以前にも当ブログにて述べましたが、私が在籍した歯科理工学研究室とは、国内全ての歯科大学・大学歯学部にある基礎系の研究室の一つであるのですが、臨床系の研究室とは異なり、研究室の長である教授が臨床資格を有する歯科医師(あるいは医師)でないことも少なからずあり、そして、私が在籍した研究室の教授(師匠)も歯科医師ではなく、歯学と工学で博士号を取得された所謂ダブル・ドクターの研究者でした。それ故にか、研究室での駄弁り交じりの会話の内容も多岐にわたるものでした。そうしたなかに、文系ネタに拘る私を入れますと、やはり当初は、色々と波風が立った記憶がありましたが、研究室の長である教授自らが、さまざまな話題の会話を好まれ、また、それらの見解についても、その確からしさの概要は見抜き、あるいは説明しますと、対話により、その概要を理解される、まさに優れたリテラシーの研究者であり、その門下の先生方もまた、ある一つの比較的狭い分野での研究で一生を過ごされるようなタイプの方々はいなく、総じて、それぞれの道なき道を進むようなタイプであると云えます。そのため、納得して頂くまでは本当に大変でしたが、一度納得をされると「なるほど…」と割とアッサリと理解される方々でした。これを端的に云いますと「理屈が通じる」場所であったのです。また私も、先生方に対し、文系ネタで煙に巻こうとはせず、手持ちで最も信憑性のある見解や知見を提供し続けました。そして、これが出来たのは、現在になって考えてみますと、やはり大学という環境があり、そして当時の私に専門(歯科理工学)以外の著作を読む習慣があったからであると云えます。そのように考えてみますと、その当時から、その後も現在に至るまで、おそらく私もまた自らの道なき道を行っているのではないかとも思われてきます。そして近年(特に20年代以降)、世界情勢をはじめ我が国の状況もまた、混乱の様相が強まりつつあるなかでは、私は分かりませんが、こうした道なき道を行くタイプの方々が、本領や真価を発揮されていくようになるのではないかと思われましたが、さて、どうなっていくのでしょうか?
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

【加筆修正後】
 以前より私は文系的な話題になると少し拘るクセがあり、それは歯系院在籍時においても同様でした。現在、振り返り、きわめて運が良かったと思われることは、その歯系院において、私の文系についての拘りを特に否定せず、むしろ鷹揚に受け止められ、さらには、その文系ネタで、逆にこちらに質問されるような方々が周囲に少なからずおられたことです。

 その理由と考えられることは、以前、当ブログにて述べましたが、私が在籍した歯科理工学研究室とは、国内すべての歯科大学・大学歯学部に設置されている基礎系の研究室の一つであり、そこは臨床系の研究室とは異なり、研究室の長である教授が、歯科医師(あるいは医師)などの臨床資格を有していないことも少なくなく、私が在籍した研究室の教授(師匠)もまた、歯科医師や医師ではなく、歯学と工学の両分野で博士号を取得された、いわゆるダブル・ドクターの研究者であったことです。

 そのためか、研究室での会話の内容も多岐にわたり、そこに、私のように文系ネタに拘る人間が加わると、やはり当初は、多少、波風が立った記憶があります。しかしながら、研究室の長である教授自身が、さまざまな話題を好まれ、また、そこで出た見解についても、その確からしさの程度を見抜かれたり、あるいは追加説明により、さらなる対話を通じて理解されるといった優れたリテラシーから、特に険悪な雰囲気になることはありませんでした。

 そして、その門下の先生方もまた総じて、比較的狭い分野に専心して研究されるようなタイプの方々ではなく、いずれも、それぞれの「道なき道」を進むようなスタイルを持たれた先生方であると云えます。それ故、当初こちらが述べる知見や見解を納得して頂くまでは本当に大変でしたが、しかし一度納得されると、「なるほど、そういうものか……」と、意外なほど、あっさり理解してくださるといった、まさに「理屈が通じる」先生方であると云えます。

 他方、私の方も、先生方に対し、文系ネタで煙に巻くようなことはせず、自身の知り得る最も信頼性の高い見解や知見を提供し続けていました。そして、それができたのは、そこが大学という環境であったこと、そして当時の私に、専門(歯科理工学)以外の著作を読む習慣があったことによるのではないかと考えます。

 斯様に振り返ってみますと、当時から現在に至るまで、私自身もまた「道なき道」を歩んでいるのではないかという思いが、ふと湧いてきます…。近年、特に2020年代以降は、世界情勢をはじめ我が国の状況も混迷の度合いを深めつつありますが、こうした時代においてこそ、私は別としても、道なき道を行くタイプの方々のが本領や真価を発揮されるようになるのではないか――といった予感も不図、抱かれましたが、果たしてこれからどうなっていくのでしょうか。

そして今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!


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