過日の投稿記事にて、鹿児島在住時代、私が在籍した研究室周辺におられた方々の鷹揚さには少なからず助けられたと述べましたが、その後、しばらく考えてみますと、この鷹揚さは、地域性の発露の一種であるのではないかと考えるに至りました。九州のなかでも、とりわけ熊本と鹿児島は、未だ女性蔑視的な文化が残存していると、しばしば聞かれますが、そうした女性を蔑視する差別的な感覚と、さきの鷹揚さが、どのようにして併存しているのかと考えてみますと、それなりに興味深く、また、自らが実際にその地域で住んでみますと、その実相をよく理解出来るようになるのではないかと考えます。そして、地域に住み、経験を積み、その実相を理解出来たと思った時には、おそらく多くの場合、そうした性質、地域性をわざわざ言語化して論うことに抵抗を覚えるようになっているのではないかと考えます…。
私は鹿児島のことを比類なく素晴らしい場所であるとか、逆に、信じられないほど野蛮で危険きわまりない場所であると述べたいわけではありません…。鹿児島は、その歴史が示すように、鎌倉時代の下司職(げししき)そして地頭職(じとうしき)からはじまり、19世紀後半の近現代まで、700年ほど一領主家によって統治されたという、我が国でも珍しい歴史を持つ地域であり、そして、そうした地域の社会では、過去の残渣とも云えるような、封建的あるいは権威主義的な面も少なからずあり、私もそれを度々経験したと云えますが、しかしまた他方では、たしかに前述した鷹揚さもまた、少なからずあったとも云えるのです…。この鹿児島の地域性とも云える鷹揚さについては、以前に引用記事を作成していましたので、以下にその記述をコピペします。
『このように薩摩藩が琉球固有の文化を残したのは、あくまでも政治上の思惑であり、琉球の文化に高い敬意を払ったからではなかった。琉球からみれば薩摩藩は憎むべき侵略者そのものだ。その点を踏まえたうえでなお、薩摩藩には多様な文化が並立して存在することを良しとする、度量の広さがあったーそう言っても差し支えないのではないか。』
引用文中の「度量の広さ」こそが、さきの「鷹揚」とほぼ同じものを示していると考えます。そう、おそらく、彼等彼女等は意識的に、あるいは良心的に振る舞おうとして、度量が広かったり、鷹揚であったりするのではなく、むしろ、ごく自然に振る舞っていて、他地域の人々の尺度からは、度量が広いであるとか、鷹揚であると感じさせる性質があるのだと考えます。この性質については、私の記憶に比較的強く残っているものがあります。それは、大学院2年目の2010年秋に師匠が退職されて、意気阻喪としていた研究室でしたが、実験や英論文読みなど、やらなければならないことは幾つもあり、そして、そうしたイヤな気分を紛らわすためもあって、実験の空いた時間に英論文を音読していましたが、当初、その音読の音量は周囲への遠慮や配慮もあり、控えめに呟くように読んでいましたが、のちに控えていた国際学会での初の口頭発表に向けて、より実践的なものにしようと、通常の音量、さらに出来るだけ抑揚をつけて情感を込めて読むようにしましたが、それをしばらく続けていても、研究室の先生方、あるいは隣の研究室の先生方から苦情や苦言が届くことは一度もありませんでした。その後、この実験室での英論文の音読の習慣は、翌2011年も継続して、その年の暮れには、師匠門下の最年長で、当時他講座の助教をされていた先生から「歯科衛生士の専門学校で英語の講義をしてみないか?」との打診を頂き、翌2012年春からその講義をさせて頂くことになりました。これはおそらく、さきの習慣を知りつつ打診されたと考えられますので、それは、私の経験としては有益に作用したと云い得ます。そしてまた、たとえ意図せずとも、私のそうした性質を引き出してくださったのは、鹿児島の地域性と云える「鷹揚さ」や「度量の広さ」であると考えることから、さきに述べたように印象深いものとなっているのです。また、これにつきましては、さらに続きがあるのですが、それにつきましては、また別の機会に述べたいと思います。ともあれ、丸10年の継続に近づいたことから、もう少しやる気を出すために、本日も何やら書き始めた次第ですが、思いのほかに筆が乗り、文量も増えました。5月病とも云われるほどに、本格的に春めいて暖かくなりますと、人の精神は浮ついて不安定になるのかも知れず、私の方もあまりブログ記事作成に意欲が湧きませんでしたが、ここに来て、まだ、このくらいの時間で、この程度の文量を作成出来ることが出来ることが自覚されましたので、今しばらく、これを維持そして継続して、来る6月22日の当ブログ開始丸10年を迎えることが出来ればと考えています。
そして今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

私は鹿児島のことを比類なく素晴らしい場所であるとか、逆に、信じられないほど野蛮で危険きわまりない場所であると述べたいわけではありません…。鹿児島は、その歴史が示すように、鎌倉時代の下司職(げししき)そして地頭職(じとうしき)からはじまり、19世紀後半の近現代まで、700年ほど一領主家によって統治されたという、我が国でも珍しい歴史を持つ地域であり、そして、そうした地域の社会では、過去の残渣とも云えるような、封建的あるいは権威主義的な面も少なからずあり、私もそれを度々経験したと云えますが、しかしまた他方では、たしかに前述した鷹揚さもまた、少なからずあったとも云えるのです…。この鹿児島の地域性とも云える鷹揚さについては、以前に引用記事を作成していましたので、以下にその記述をコピペします。
『このように薩摩藩が琉球固有の文化を残したのは、あくまでも政治上の思惑であり、琉球の文化に高い敬意を払ったからではなかった。琉球からみれば薩摩藩は憎むべき侵略者そのものだ。その点を踏まえたうえでなお、薩摩藩には多様な文化が並立して存在することを良しとする、度量の広さがあったーそう言っても差し支えないのではないか。』
引用文中の「度量の広さ」こそが、さきの「鷹揚」とほぼ同じものを示していると考えます。そう、おそらく、彼等彼女等は意識的に、あるいは良心的に振る舞おうとして、度量が広かったり、鷹揚であったりするのではなく、むしろ、ごく自然に振る舞っていて、他地域の人々の尺度からは、度量が広いであるとか、鷹揚であると感じさせる性質があるのだと考えます。この性質については、私の記憶に比較的強く残っているものがあります。それは、大学院2年目の2010年秋に師匠が退職されて、意気阻喪としていた研究室でしたが、実験や英論文読みなど、やらなければならないことは幾つもあり、そして、そうしたイヤな気分を紛らわすためもあって、実験の空いた時間に英論文を音読していましたが、当初、その音読の音量は周囲への遠慮や配慮もあり、控えめに呟くように読んでいましたが、のちに控えていた国際学会での初の口頭発表に向けて、より実践的なものにしようと、通常の音量、さらに出来るだけ抑揚をつけて情感を込めて読むようにしましたが、それをしばらく続けていても、研究室の先生方、あるいは隣の研究室の先生方から苦情や苦言が届くことは一度もありませんでした。その後、この実験室での英論文の音読の習慣は、翌2011年も継続して、その年の暮れには、師匠門下の最年長で、当時他講座の助教をされていた先生から「歯科衛生士の専門学校で英語の講義をしてみないか?」との打診を頂き、翌2012年春からその講義をさせて頂くことになりました。これはおそらく、さきの習慣を知りつつ打診されたと考えられますので、それは、私の経験としては有益に作用したと云い得ます。そしてまた、たとえ意図せずとも、私のそうした性質を引き出してくださったのは、鹿児島の地域性と云える「鷹揚さ」や「度量の広さ」であると考えることから、さきに述べたように印象深いものとなっているのです。また、これにつきましては、さらに続きがあるのですが、それにつきましては、また別の機会に述べたいと思います。ともあれ、丸10年の継続に近づいたことから、もう少しやる気を出すために、本日も何やら書き始めた次第ですが、思いのほかに筆が乗り、文量も増えました。5月病とも云われるほどに、本格的に春めいて暖かくなりますと、人の精神は浮ついて不安定になるのかも知れず、私の方もあまりブログ記事作成に意欲が湧きませんでしたが、ここに来て、まだ、このくらいの時間で、この程度の文量を作成出来ることが出来ることが自覚されましたので、今しばらく、これを維持そして継続して、来る6月22日の当ブログ開始丸10年を迎えることが出来ればと考えています。
そして今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
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