中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ pp.97-99より抜粋
ISBN-10 : 4121507150
ISBN-13 : 978-4121507150
世界は重苦しい傾向にある。社会は分裂し、かつ閉鎖的になってきた。そのことは、英国のEU離脱を決めた英国民投票を含む、各国の投票結果として表れている。だから、私は米大統領選でトランプ氏が勝つと予想した。この傾向は今後も続く。
トランプ氏の勝利に失望する人々がいるが、トランプ氏は民主的に選出された。米国の民主主義は機能している。
しかし「米国第一」を強調するトランプ氏は、開かれた社会や国際主義に対する脅威である。ナショナリズムの台頭という脅威だ。
今日の世界は一九一〇年頃の世界と比較できる。当時も科学技術は進歩し、民主主義は機能し、グローバル化が進行していた。世界は民主的で満ち足りた発展を手にすることも可能だったはずだが、閉鎖的なナショナリズムの台頭が野蛮を生み落とした。二度の世界大戦だ。今日の世界も自らを閉ざそうとしているように見える。
私の考える二〇一七年の最大の脅威は日米と中国の紛争だ。トランプ氏はロシアを友、中国を敵と見なしている。
南シナ海で人工島を建設する中国の動き、核・ミサイル開発を強行し続ける北朝鮮の動きなどを加算すると、アジアは爆発寸前の状況にある。東シナ海と南シナ海で起こりうる全てのことが心配だ。大きな危険がそこにある。もし将来、日米と中国が戦争に至る事態になれば、世界戦争に拡大するだろう。そうならないように私たちは今、脅威の存在をしっかりと知っておく必要がある。
軍事的な火種はこの他に五つ。ロシア対ウクライナなどの旧ソ連領、インド対パキスタン、中東、アフリカ中央部、そしてイスラム過激派組織「イスラム国」。「イスラム国」はイラクで支配地域を失うかもしれないが、リビアなど別の国で新たなる支配地域を得るに違いない。
そして更なるテロが起きる。並外れた数の難民・移民が発生する。世界は緊張をはらみ、不安定になる。
だが「世界の警察官」はいない。米国はオバマ政権時代にその役回りから降りている。「アラブの春」の後に軍事クーデターの起きたエジプトに介入せず、化学兵器を自国民を使用したシリアのアサド政権をたたかなかった。米国は既に世界から手を引きつつあるのだ。私は二〇〇六年に米国が撤退する世界に警鐘を鳴らしたが、現実のものになりつつある。
2024年5月26日日曜日
2024年5月21日火曜日
20240520 混迷する国内外の情勢と未来への不安
2020年初頭から本格的に感染拡大が始まった新型コロナウィルス感染症に始まり、2022年2月からの第二次宇露戦争、そして翌23年10月にイスラム教原理主義組織ハマースによる奇襲攻撃を契機として勃発したパレスチナ・イスラエル戦争は、なおも収束することなく今なお続いています。くわえて、その期間の世界各地では、クーデターによる政権の転覆、あるいは内戦状態の継続、元首の暗殺(未遂も)そして地震、台風などの天災などが相次ぎ、それ以前と比べて世界情勢が不安定化してきていると云えます。
そして、この世界情勢から、普段、そうしたことに(そこまで)強い興味・関心を抱かなかった私をも注視せざるを得なくなり、また、皮肉なことであるのか、情報収集のために視聴していた海外報道動画から英語を学ぶ機会にもなりました。正直なところ、当初、私も「そこまで長い期間(1年以上)戦争は続かなないだろう」とタカを括っていましたが、東欧での戦争は既に2年以上が経過し、侵攻以来、世界情勢はさらに不安定化して、既存の国際秩序に対する挑戦とも見受けられる出来事も世界各地で頻発していると云えます。そこから、わずか3年ほど未来の世界も、それがどのような様相になっているのかを予測することは困難と云えますし、また、その予測され得る未来には、我が国にとって嬉しくない出来事も含まれますので、なおのこと未来について考えることが躊躇されます・・。
そうしたことから、たしかに昨今の世界情勢は、おそらく、私がもの心がついてから、もっとも厳しい状況にあると云え、さらに国内においても政界、財界、マスコミ、芸能界などでの不祥事が明るみになり、それらに対する信頼が大きく揺らぎ、そして、それが以前のように戻ることは相当困難であろうと思われます。
そして、さきの厳しい世界情勢よりも、新型コロナ禍以来、国内で明らかになった不祥事による混乱の方が、自らの日常感覚とも接点があるように思われ、あるいは、それらの多くは、以前から燻っていたものでもあり、ここに来て、火薬庫での火事のように次々と誘爆を起こしているといった観があります。
今後、それらがどのようなカタチで収束して、さらに新たな価値観が形成されていくのかは、興味深いところではあるのですが、しかしながら、世界情勢は前述のとおりであるため、様相としては「鬼の居る間の洗濯」であるように思われます。そして、こうした状況を我が国の歴史を遡り検討してみますと、近いところで、19世紀半ば過ぎからの幕末期が似ているのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、幕末期では幸運なことに、日本以外の地域にて欧米列強間の植民地獲得などをめぐる紛争があり、あるいは国内で市民戦争があったりと、我が国のみに列強の武力が集中することはなかったため、外国からの大きな干渉を受けずに、何度か国際的な危機もあったものの政治体制を明治新政府にリフォームすることが出来て、どうにか近代国家として進むことが出来たのではないかと思われます。
その意味では、現在の方が危機としては深刻であると思われます。悲観的な見方をしますと、これから先、2030年に至るまでに、外国からの攻撃により、太平洋戦争以来の規模での人的被害が我が国になければ、それはかなり大きな僥倖と云えるのではないかと思われます。
と悲観的なことを書いてしまいましたが、これが杞憂であればと強く願います。また、それに加えて、こうした、いわば内憂外患の時期であるからこそ、次の時代フェーズにて我が国が実力を示し、出来るだけ良い国際的地位に立つためにも、教育、特に高等教育に注力することが、とても大事であるのではないかと考えます。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
そして、この世界情勢から、普段、そうしたことに(そこまで)強い興味・関心を抱かなかった私をも注視せざるを得なくなり、また、皮肉なことであるのか、情報収集のために視聴していた海外報道動画から英語を学ぶ機会にもなりました。正直なところ、当初、私も「そこまで長い期間(1年以上)戦争は続かなないだろう」とタカを括っていましたが、東欧での戦争は既に2年以上が経過し、侵攻以来、世界情勢はさらに不安定化して、既存の国際秩序に対する挑戦とも見受けられる出来事も世界各地で頻発していると云えます。そこから、わずか3年ほど未来の世界も、それがどのような様相になっているのかを予測することは困難と云えますし、また、その予測され得る未来には、我が国にとって嬉しくない出来事も含まれますので、なおのこと未来について考えることが躊躇されます・・。
そうしたことから、たしかに昨今の世界情勢は、おそらく、私がもの心がついてから、もっとも厳しい状況にあると云え、さらに国内においても政界、財界、マスコミ、芸能界などでの不祥事が明るみになり、それらに対する信頼が大きく揺らぎ、そして、それが以前のように戻ることは相当困難であろうと思われます。
そして、さきの厳しい世界情勢よりも、新型コロナ禍以来、国内で明らかになった不祥事による混乱の方が、自らの日常感覚とも接点があるように思われ、あるいは、それらの多くは、以前から燻っていたものでもあり、ここに来て、火薬庫での火事のように次々と誘爆を起こしているといった観があります。
今後、それらがどのようなカタチで収束して、さらに新たな価値観が形成されていくのかは、興味深いところではあるのですが、しかしながら、世界情勢は前述のとおりであるため、様相としては「鬼の居る間の洗濯」であるように思われます。そして、こうした状況を我が国の歴史を遡り検討してみますと、近いところで、19世紀半ば過ぎからの幕末期が似ているのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、幕末期では幸運なことに、日本以外の地域にて欧米列強間の植民地獲得などをめぐる紛争があり、あるいは国内で市民戦争があったりと、我が国のみに列強の武力が集中することはなかったため、外国からの大きな干渉を受けずに、何度か国際的な危機もあったものの政治体制を明治新政府にリフォームすることが出来て、どうにか近代国家として進むことが出来たのではないかと思われます。
その意味では、現在の方が危機としては深刻であると思われます。悲観的な見方をしますと、これから先、2030年に至るまでに、外国からの攻撃により、太平洋戦争以来の規模での人的被害が我が国になければ、それはかなり大きな僥倖と云えるのではないかと思われます。
と悲観的なことを書いてしまいましたが、これが杞憂であればと強く願います。また、それに加えて、こうした、いわば内憂外患の時期であるからこそ、次の時代フェーズにて我が国が実力を示し、出来るだけ良い国際的地位に立つためにも、教育、特に高等教育に注力することが、とても大事であるのではないかと考えます。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
2024年5月19日日曜日
20240519 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」 pp.37-39より抜粋
株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」
pp.37-39より抜粋
ISBN-10 : 4309467458
ISBN-13 : 978-4309467450
ロシアは自由民主主義の代替モデルを現に提示しているが、このモデルは首尾一貫した政治的イデオロギーではない。むしろそれは、少数の寡頭制支配者が国の富と権力の大半を独占し、それからマスメディアを統制して自らの活動を隠し、支配を強固にする政治的慣行だ。民主主義は、「すべての人を一時、一部の人をつねに騙すことはできるが、すべての人をつねに騙すことはできない」というエイブラハム・リンカーンの原理に基づいている。もし政府が腐敗していて、人々の生活を向上させられなければ、いずれ多くの国民がそれに気づいて、政権を交代させる。だが政府がマスメディアを統制すれば、リンカーンの論理を崩れる。国民が真実に気づけなくなるからだ。寡頭制政権はマスメディアの独占を通して、失態をすべて他者のせいにすることを繰り返し、外部の脅威(それが実在のものであれ架空のものであれ)へと注意を逸らすことができる。
そのような寡頭制の下で暮らしていると、医療や汚染といった退屈な事柄に優先する、何かしらの危機が絶えず存在するかのように思いこまされる。国家が外部からの侵略や極悪非道な破壊活動に直面していたら、病院の混雑や河川の汚染を気に病む暇がある人などいるだろうか?腐敗した寡頭制政権は、次から次へと危機をでっち上げ、いつまでも支配を続けることができる。
もっとも、この寡頭性モデルは実際に耐久性があるとはいえ、それに魅力を感じる人はいない。自らのビジョンを誇らしげに詳しく語る他のイデオロギーとは違い、寡頭制の支配者たちは自らの慣行を誇りに思っておらず、他のイデオロギーを隠れ蓑に使う傾向がある。たとえば、ロシアは民主主義国家を装い、指導部は寡頭制ではなくロシアのナショナリズムと東方正教会の価値観への忠誠を公言する。フランスとイギリスの右翼の過激派は、ロシアの支援を仰いでプーチンを礼賛してもおかしくないが、彼らを支持する有権者でさえ、実際にロシアのモデルをコピーしたような国には住みたくないだろうー腐敗が蔓延し、各種のサービスは機能せず、法の支配は絵空事で、信じられないほど不平等な国には。見方によっては、ロシアは世界でも指折りの不平等な国で、富の八七パーセントが一〇パーセントの富裕層の手に集中しているという。フランスの右派の政党「国民連合」を支持する労働者階級の人々のどれだけが、この富の分布のパターンを自国で真似たいと望むだろう?
人間は足を使って投票する。私は世界を旅して回る間に多くの国で、アメリカやドイツ、カナダ、オーストラリアに移住したいという、おびただしい数の人に出会ってきた。中国や日本に移り住みたいという人も何人かいた。だが、ロシアへの移民を夢見ている人には、まだ一人も会ったためしがない。
ISBN-10 : 4309467458
ISBN-13 : 978-4309467450
ロシアは自由民主主義の代替モデルを現に提示しているが、このモデルは首尾一貫した政治的イデオロギーではない。むしろそれは、少数の寡頭制支配者が国の富と権力の大半を独占し、それからマスメディアを統制して自らの活動を隠し、支配を強固にする政治的慣行だ。民主主義は、「すべての人を一時、一部の人をつねに騙すことはできるが、すべての人をつねに騙すことはできない」というエイブラハム・リンカーンの原理に基づいている。もし政府が腐敗していて、人々の生活を向上させられなければ、いずれ多くの国民がそれに気づいて、政権を交代させる。だが政府がマスメディアを統制すれば、リンカーンの論理を崩れる。国民が真実に気づけなくなるからだ。寡頭制政権はマスメディアの独占を通して、失態をすべて他者のせいにすることを繰り返し、外部の脅威(それが実在のものであれ架空のものであれ)へと注意を逸らすことができる。
そのような寡頭制の下で暮らしていると、医療や汚染といった退屈な事柄に優先する、何かしらの危機が絶えず存在するかのように思いこまされる。国家が外部からの侵略や極悪非道な破壊活動に直面していたら、病院の混雑や河川の汚染を気に病む暇がある人などいるだろうか?腐敗した寡頭制政権は、次から次へと危機をでっち上げ、いつまでも支配を続けることができる。
もっとも、この寡頭性モデルは実際に耐久性があるとはいえ、それに魅力を感じる人はいない。自らのビジョンを誇らしげに詳しく語る他のイデオロギーとは違い、寡頭制の支配者たちは自らの慣行を誇りに思っておらず、他のイデオロギーを隠れ蓑に使う傾向がある。たとえば、ロシアは民主主義国家を装い、指導部は寡頭制ではなくロシアのナショナリズムと東方正教会の価値観への忠誠を公言する。フランスとイギリスの右翼の過激派は、ロシアの支援を仰いでプーチンを礼賛してもおかしくないが、彼らを支持する有権者でさえ、実際にロシアのモデルをコピーしたような国には住みたくないだろうー腐敗が蔓延し、各種のサービスは機能せず、法の支配は絵空事で、信じられないほど不平等な国には。見方によっては、ロシアは世界でも指折りの不平等な国で、富の八七パーセントが一〇パーセントの富裕層の手に集中しているという。フランスの右派の政党「国民連合」を支持する労働者階級の人々のどれだけが、この富の分布のパターンを自国で真似たいと望むだろう?
人間は足を使って投票する。私は世界を旅して回る間に多くの国で、アメリカやドイツ、カナダ、オーストラリアに移住したいという、おびただしい数の人に出会ってきた。中国や日本に移り住みたいという人も何人かいた。だが、ロシアへの移民を夢見ている人には、まだ一人も会ったためしがない。
20240518 株式会社国書刊行会刊 井上文則著「天を相手にする: 評伝 宮崎市定」pp.125-128より抜粋
株式会社国書刊行会刊 井上文則著「天を相手にする: 評伝 宮崎市定」pp.125-128より抜粋
ISBN-10 : 4336062765
ISBN-13 : 978-4336062765
昭和七年一月十八日、前年に起こった満州事変を受けて、反日感情が広まる中、上海において日蓮宗の僧侶が中国人に襲われて死傷する事件が起こり、これがきっかけとなり、二十八日には日中両軍は武力衝突に至った。これが第一次上海事変である。現地駐留の日本軍は苦戦したため、二月二日に犬養内閣は、第九師団と混成第二十四旅団を派兵したが、これらの部隊も苦戦した。そのため、犬養内閣はさらに二月二十三日に第十一師団と第十四師団を増派することに決めた。そして、この十四師団こそ宮崎の属する宇都宮師団に他ならなかった。
増派の決定がなされた翌二十四日に、宮崎には電報で召集がかかった。軍服をはじめ軍装一式の準備がなかった宮崎は、その日のうちに急ぎ調達に京都市内南部の伏見に行った。翌二十五日の早朝には、父市蔵が召集令状をもって京都に来た。宮崎は、同日午後一時には京都を出立。まだ満一歳にならない娘を残しての出征である。東京の上野駅では、飯島忠夫と、その女婿窪田潔夫妻が宮崎を見送った。
宮崎は、深夜十二時ごろに宇都宮に着いた。雪が降っていた。翌朝、二尺ほど積もった雪の中を輜重大隊の兵営に出勤し、馬廠長に任じられた。馬廠とは、軍馬の管理をするところである。しかし、実際には、時代は既に自動車の時代となっており、物資を輸送する馬はなく、将校用の馬しかなかった。馬廠には六十名の隊員がおり、宮崎はその指揮官になった。六十名の隊員は、「多く群馬、栃木、長野県下の農民が始めて狩り出された者で、素朴で忍耐強い。この部隊を率いてなら、一戦争戦えそうという頼母しさがあった」。なお、輜重大隊は、五個中隊と馬廠からなっており、中隊は人員百二十名で、馬廠の倍であったが、馬廠は中隊と同格に扱われ、馬廠長は幹部会議に中隊長と共に出席することになっていた。三月六日、十四師団は盛大な市民の見送りの中、宇都宮を出立した。
八日、京都駅を通過、ここで宮崎は、同僚や三高生の見送りを受けた。京大の羽田亨、矢野仁一も来ていた。この時、前章で述べたように羽田は、小川琢治から軍刀を借りて来て宮崎に手渡した。これは市上に軍刀が払底して手に入らなかったためである。小川は、古刀剣の研究でも有名で、宮崎に貸し与えられた軍刀も宗正の銘を持つ備前刀の名刀であった。軍刀には、「従軍行 送宮崎文学士応召従軍」と題する次のような漢詩も添えられていた。
江南飛雪未催春 江南雪を飛して未だ春を催さず
浪雑鼓声圧滬浜 浪は鼓声を雑えて滬浜を圧す
投筆従軍吾老矣 筆を投じて軍に従うには吾老いたり
ISBN-10 : 4336062765
ISBN-13 : 978-4336062765
昭和七年一月十八日、前年に起こった満州事変を受けて、反日感情が広まる中、上海において日蓮宗の僧侶が中国人に襲われて死傷する事件が起こり、これがきっかけとなり、二十八日には日中両軍は武力衝突に至った。これが第一次上海事変である。現地駐留の日本軍は苦戦したため、二月二日に犬養内閣は、第九師団と混成第二十四旅団を派兵したが、これらの部隊も苦戦した。そのため、犬養内閣はさらに二月二十三日に第十一師団と第十四師団を増派することに決めた。そして、この十四師団こそ宮崎の属する宇都宮師団に他ならなかった。
増派の決定がなされた翌二十四日に、宮崎には電報で召集がかかった。軍服をはじめ軍装一式の準備がなかった宮崎は、その日のうちに急ぎ調達に京都市内南部の伏見に行った。翌二十五日の早朝には、父市蔵が召集令状をもって京都に来た。宮崎は、同日午後一時には京都を出立。まだ満一歳にならない娘を残しての出征である。東京の上野駅では、飯島忠夫と、その女婿窪田潔夫妻が宮崎を見送った。
宮崎は、深夜十二時ごろに宇都宮に着いた。雪が降っていた。翌朝、二尺ほど積もった雪の中を輜重大隊の兵営に出勤し、馬廠長に任じられた。馬廠とは、軍馬の管理をするところである。しかし、実際には、時代は既に自動車の時代となっており、物資を輸送する馬はなく、将校用の馬しかなかった。馬廠には六十名の隊員がおり、宮崎はその指揮官になった。六十名の隊員は、「多く群馬、栃木、長野県下の農民が始めて狩り出された者で、素朴で忍耐強い。この部隊を率いてなら、一戦争戦えそうという頼母しさがあった」。なお、輜重大隊は、五個中隊と馬廠からなっており、中隊は人員百二十名で、馬廠の倍であったが、馬廠は中隊と同格に扱われ、馬廠長は幹部会議に中隊長と共に出席することになっていた。三月六日、十四師団は盛大な市民の見送りの中、宇都宮を出立した。
八日、京都駅を通過、ここで宮崎は、同僚や三高生の見送りを受けた。京大の羽田亨、矢野仁一も来ていた。この時、前章で述べたように羽田は、小川琢治から軍刀を借りて来て宮崎に手渡した。これは市上に軍刀が払底して手に入らなかったためである。小川は、古刀剣の研究でも有名で、宮崎に貸し与えられた軍刀も宗正の銘を持つ備前刀の名刀であった。軍刀には、「従軍行 送宮崎文学士応召従軍」と題する次のような漢詩も添えられていた。
江南飛雪未催春 江南雪を飛して未だ春を催さず
浪雑鼓声圧滬浜 浪は鼓声を雑えて滬浜を圧す
投筆従軍吾老矣 筆を投じて軍に従うには吾老いたり
羨君徇国我忘身 羨む君が国に徇いて身を忘れんと欲するを
なお、小川の次男は中国古代史の貝塚茂樹、三男はあのノーベル賞をとった湯川秀樹である。三高生のひとりとして、この場にいた青山光二は、この時の様子を次のように記録している。「確か昭和七年、私が三年生のとき、宮崎教授に召集令状がきた。第一次上海事変が始まった年てあり、満州事変は前年九月すでに火蓋を切っていた。宮崎教授が現役訓練をうけた陸軍将校であるのを私たちは知らなかった。というより、知って意外に思った。まったくの学者肌で、陸軍軍人といった風格はどこにもなかったからである。
誰が云いだしたのか、宮崎教授が原隊へ向けて出発される日、生徒一同が京都駅に集まって歓送しようということになった。
当日、京都駅ホームは、手に手に赤い旗を持った三百人を越える三高生で文字通り埋まった。赤い旗は応援団の備品で、夏の対一高戦のとき全校生による応援団が用いたもの。野球やボートレースの応援に、一高は白、三高は赤の幟や応援旗をそろえて威勢を張った。
「宮崎教授、ばんざい」
の声が、駅のホームをどよもし、下り列車のブリッジに立った軍装の宮崎教授は、挙手の礼を返している。
宮崎教授、当時三十一歳。陸軍尉官の軍服に革長靴、革のベルトに軍刀を吊った姿はいかにも凛々しいが、平素おとなしすぎて、どことなくジジムサイ感じさえする風貌が、凛々しい軍装で一変するというわけには行かず、むしろ軍装がイタにつかぬおもむきさえ見てとれるのが気の毒、というより、こういう人物が戦場へ引っ張りだす国家というものが、そのとき理不尽に思えてならなかった。
’’紅萌ゆる’’を合唱する声が起こっている。召集されて戦場へおもむく教授の、たしか第一号ということもあったかもしれないが、やはり、学生のあいだで宮崎教授は人気があったのだろう。京都駅に三百人もの生徒が集まって見送るというのは、かなり異常なことだった。レジスタンスというほどの気分はなかったが、集まった学生のあいだに、
ー宮崎さん、むだ死にせずに、生きて帰ってきてください。
という、声にならない声がわだかまっていたのは、たぶん事実だった。そんなことを宮崎教授にじっさいに云った学生もいたような気がする。
発車のベルが鳴り、学生たちは旗を振って、’’紅萌ゆる’’を合唱していた。
なお、小川の次男は中国古代史の貝塚茂樹、三男はあのノーベル賞をとった湯川秀樹である。三高生のひとりとして、この場にいた青山光二は、この時の様子を次のように記録している。「確か昭和七年、私が三年生のとき、宮崎教授に召集令状がきた。第一次上海事変が始まった年てあり、満州事変は前年九月すでに火蓋を切っていた。宮崎教授が現役訓練をうけた陸軍将校であるのを私たちは知らなかった。というより、知って意外に思った。まったくの学者肌で、陸軍軍人といった風格はどこにもなかったからである。
誰が云いだしたのか、宮崎教授が原隊へ向けて出発される日、生徒一同が京都駅に集まって歓送しようということになった。
当日、京都駅ホームは、手に手に赤い旗を持った三百人を越える三高生で文字通り埋まった。赤い旗は応援団の備品で、夏の対一高戦のとき全校生による応援団が用いたもの。野球やボートレースの応援に、一高は白、三高は赤の幟や応援旗をそろえて威勢を張った。
「宮崎教授、ばんざい」
の声が、駅のホームをどよもし、下り列車のブリッジに立った軍装の宮崎教授は、挙手の礼を返している。
宮崎教授、当時三十一歳。陸軍尉官の軍服に革長靴、革のベルトに軍刀を吊った姿はいかにも凛々しいが、平素おとなしすぎて、どことなくジジムサイ感じさえする風貌が、凛々しい軍装で一変するというわけには行かず、むしろ軍装がイタにつかぬおもむきさえ見てとれるのが気の毒、というより、こういう人物が戦場へ引っ張りだす国家というものが、そのとき理不尽に思えてならなかった。
’’紅萌ゆる’’を合唱する声が起こっている。召集されて戦場へおもむく教授の、たしか第一号ということもあったかもしれないが、やはり、学生のあいだで宮崎教授は人気があったのだろう。京都駅に三百人もの生徒が集まって見送るというのは、かなり異常なことだった。レジスタンスというほどの気分はなかったが、集まった学生のあいだに、
ー宮崎さん、むだ死にせずに、生きて帰ってきてください。
という、声にならない声がわだかまっていたのは、たぶん事実だった。そんなことを宮崎教授にじっさいに云った学生もいたような気がする。
発車のベルが鳴り、学生たちは旗を振って、’’紅萌ゆる’’を合唱していた。
2024年5月17日金曜日
20240516 株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.231-232より抜粋
株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.231-232より抜粋
ISBN-10 : 4480083960
ISBN-13 : 978-4480083968
人間を差別し、階級の区別を強調する方法はいろいろあるが、税の不平等はその最たるものである。それはきわめて有害なうえ、階級間の乖離を生み出し、この不平等と乖離をともに、いわば治癒不能にしかねないからだ。税の不平等がもたらす結果を見れば、その理由がわかるだろう。ブルジョアと田舎貴族とが、もはや同じ税を払う義務がないとすれば、課税基準と徴税こそが、年ごとに階級の差を鮮明に浮かび上がらせることになるだろう。特権者ならだれでも、民衆と混同されないほうが実際大いに得策だと考えて、ひとり孤立するために新たな努力を惜しまない。
公共の問題は、ほとんどが税に始まり税に終るものばかりだから、ブルジョアと田舎貴族の納税義務が平等でなければ、両階級が一緒に審議をしたり、共通の要求や意識をもつ理由はもはやない。いわば行動をともにする契機も意図もなくなったなら、両階級をわざわざ分離しておく必要もない。
バークは、フランスの古い制度を実際よりも美しく描写してみせた。彼はそのなかで、わが国の貴族制度に好意を抱きつつ、ブルジョアたちはある官職を取得することによって容易に爵位を得ることができる、と主張している。彼には、それがイギリスの開かれたアリストクラシー(上流階級)と類似の現象と思われたようである。確かにルイ十一世は。授爵を増加した。これは、貴族の地位を低下させる措置だった。その後の歴代国王も、金を得るために惜しみなく爵位を与えた。ネッケルによれば、当時貴族の爵位を得るための官職の数は四〇〇〇にも達していた、という。これは、ヨーロッパのどの国にも見られない事態だった。バークが指摘したフランスとイギリスの類似点は、むしろ誤解に基づくものにほかならなかった。
ISBN-10 : 4480083960
ISBN-13 : 978-4480083968
人間を差別し、階級の区別を強調する方法はいろいろあるが、税の不平等はその最たるものである。それはきわめて有害なうえ、階級間の乖離を生み出し、この不平等と乖離をともに、いわば治癒不能にしかねないからだ。税の不平等がもたらす結果を見れば、その理由がわかるだろう。ブルジョアと田舎貴族とが、もはや同じ税を払う義務がないとすれば、課税基準と徴税こそが、年ごとに階級の差を鮮明に浮かび上がらせることになるだろう。特権者ならだれでも、民衆と混同されないほうが実際大いに得策だと考えて、ひとり孤立するために新たな努力を惜しまない。
公共の問題は、ほとんどが税に始まり税に終るものばかりだから、ブルジョアと田舎貴族の納税義務が平等でなければ、両階級が一緒に審議をしたり、共通の要求や意識をもつ理由はもはやない。いわば行動をともにする契機も意図もなくなったなら、両階級をわざわざ分離しておく必要もない。
バークは、フランスの古い制度を実際よりも美しく描写してみせた。彼はそのなかで、わが国の貴族制度に好意を抱きつつ、ブルジョアたちはある官職を取得することによって容易に爵位を得ることができる、と主張している。彼には、それがイギリスの開かれたアリストクラシー(上流階級)と類似の現象と思われたようである。確かにルイ十一世は。授爵を増加した。これは、貴族の地位を低下させる措置だった。その後の歴代国王も、金を得るために惜しみなく爵位を与えた。ネッケルによれば、当時貴族の爵位を得るための官職の数は四〇〇〇にも達していた、という。これは、ヨーロッパのどの国にも見られない事態だった。バークが指摘したフランスとイギリスの類似点は、むしろ誤解に基づくものにほかならなかった。
以下Geminiによって生成された要旨になります。
税の不平等は、階級間の関係を悪化させ、階級を分断・乖離させる要因となる。
- ブルジョアと田舎貴族が異なる税率を負担すると、課税基準と徴税が階級差を明確化し、特権階級が民衆と混同されるのを避けるようになる。
- 公共問題は税金に関連していることが多いが、両階級の納税義務が平等でない場合、共通の利益や意識を持つことができなくなり、協力する必要性がなくなる。
バークは、フランスの貴族制度がイギリスの上流階級に似ていると誤解していた。
- フランスでは、ルイ十一世以降の王が金儲けのために爵位を乱発し、貴族の地位を低下させた。
- イギリスでは、ブルジョアは官職を取得することで爵位を得ることができたが、フランスとは異なり、貴族の地位を低下させるものではなかった。
2024年5月15日水曜日
20240514 株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」 pp.163‐165より抜粋
株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」
pp.163‐165より抜粋
ISBN-10 : 4309407811
ISBN-13 : 978-4309407814
三島 それで僕はね、こないだ自衛隊なんかにも行って軍人によく言ったんだよ。「きみたちいまのうちにうんと一流の芸術を読んでおくれ。どれが一流で、どれが三流かということをよく読んでおいてくれ。いまだに吉川英治を一流の文学と思っているようじゃだめだぞ。
それできみらはね、僕らはきみらの将来におそれているけど、もしきみらが権力を持って、言論統制なんか始める時代がきてみろ。君らのまわりに集まってくるのは二流か三流の文士で、自分の原稿を載せてくれなかった総合雑誌をつぶして、自分をいい気な顔して見下していた流行作家を密告してやる。あいつは女のおっぱいの話を書いたから、あの本は出しちゃいかんぞ、というように密告して歩く。きみたちが判断がつかなきゃ、そういうやつの言うことをほんとだと思うだろう。おんなじばかなことを繰り返すんだよ。僕は、きみたちが、あの時代と同じにバカだと思わないけど、いまのうちに目をみがいておいてくれなきゃしょうがないじゃないか。そして一流のものだけ残して、二流から五流のものはきみたちがたたきつぶせばいいんだ」そこは言い過ぎ(笑)。
福田 いや、そのくらい言い過ぎた方がいいよ。文武両道というのは、日本の何か美徳のように言ってたけどね、これは少なくとも明治以後は離れる一方だね。
三島 これがどうしてもくっつかなきゃいけないんですよ。絶対くっつかなきゃいけない。つまり全然原理の違うものというのを見ないで、くっつけようとするでしょう。それは政治と芸術論、政治と文学論の左翼の連中の一番甘いとこ。くっつけようとする。くっつけないために両方持ってなきゃいかん。両方の原理を自分がしっかり握っていなくてはいけないと思いますね。武の原理って危険ですからね。そのために死ぬことだってあるかもわからない。文のために死ぬことはあまりないけれども、武のほうはそのためにいつか死ぬか解らないんだ。それでも両方持っていなきゃいけない。僕は絶対そう思うね。
福田 だけど、ある意味で言うと、明治以後もそうだけれども、日本というのは、平和・安定の時代に入るとね、どうしても離れるという傾向があるんだな。
三島 あるね。元禄時代もそうだ。
福田 平安時代もそうでしょう。だからそれはある意味で、明治以後の近代化、西洋化によって起った現象だけじゃなくてね、日本はもともとそういう要素があるんだよ。ところが、昔はそれでいいですよ。いまは夷狄とつき合っているんでしょう。西洋人みたいな。それなのに、日本の文化は、ことにそういうふうに文武を分けて育てたもろさを持っていますから、なおのこと武を片手に持たなきゃだめだということを感ずるんだよ。
三島 全く同感だ。ソヴィエトがこのくらい理解してくれていると思わなかった(笑)。
福田 あんた中共じゃないんですか(笑)。これは日ソ会談じゃなくて、中ソ会談らしいぞ。
三島 やっぱり話し合いは必要だ。だけど、文武両道なんということは、いまの一般インテリに言うと、フフンてなもんだね。
福田 そうだね。
三島 あの中にどういう原理が入っているか、ああいう考えの中にどういう現代の知識人の根本的な問題が入っているかということは、みんな本当に考えていないと僕は思うな。
福田 いま三島さんが自衛隊の人に説いたのとおなじことを、やっぱりいまの政治家や官僚にも説きたいよ。
pp.163‐165より抜粋
ISBN-10 : 4309407811
ISBN-13 : 978-4309407814
三島 それで僕はね、こないだ自衛隊なんかにも行って軍人によく言ったんだよ。「きみたちいまのうちにうんと一流の芸術を読んでおくれ。どれが一流で、どれが三流かということをよく読んでおいてくれ。いまだに吉川英治を一流の文学と思っているようじゃだめだぞ。
それできみらはね、僕らはきみらの将来におそれているけど、もしきみらが権力を持って、言論統制なんか始める時代がきてみろ。君らのまわりに集まってくるのは二流か三流の文士で、自分の原稿を載せてくれなかった総合雑誌をつぶして、自分をいい気な顔して見下していた流行作家を密告してやる。あいつは女のおっぱいの話を書いたから、あの本は出しちゃいかんぞ、というように密告して歩く。きみたちが判断がつかなきゃ、そういうやつの言うことをほんとだと思うだろう。おんなじばかなことを繰り返すんだよ。僕は、きみたちが、あの時代と同じにバカだと思わないけど、いまのうちに目をみがいておいてくれなきゃしょうがないじゃないか。そして一流のものだけ残して、二流から五流のものはきみたちがたたきつぶせばいいんだ」そこは言い過ぎ(笑)。
福田 いや、そのくらい言い過ぎた方がいいよ。文武両道というのは、日本の何か美徳のように言ってたけどね、これは少なくとも明治以後は離れる一方だね。
三島 これがどうしてもくっつかなきゃいけないんですよ。絶対くっつかなきゃいけない。つまり全然原理の違うものというのを見ないで、くっつけようとするでしょう。それは政治と芸術論、政治と文学論の左翼の連中の一番甘いとこ。くっつけようとする。くっつけないために両方持ってなきゃいかん。両方の原理を自分がしっかり握っていなくてはいけないと思いますね。武の原理って危険ですからね。そのために死ぬことだってあるかもわからない。文のために死ぬことはあまりないけれども、武のほうはそのためにいつか死ぬか解らないんだ。それでも両方持っていなきゃいけない。僕は絶対そう思うね。
福田 だけど、ある意味で言うと、明治以後もそうだけれども、日本というのは、平和・安定の時代に入るとね、どうしても離れるという傾向があるんだな。
三島 あるね。元禄時代もそうだ。
福田 平安時代もそうでしょう。だからそれはある意味で、明治以後の近代化、西洋化によって起った現象だけじゃなくてね、日本はもともとそういう要素があるんだよ。ところが、昔はそれでいいですよ。いまは夷狄とつき合っているんでしょう。西洋人みたいな。それなのに、日本の文化は、ことにそういうふうに文武を分けて育てたもろさを持っていますから、なおのこと武を片手に持たなきゃだめだということを感ずるんだよ。
三島 全く同感だ。ソヴィエトがこのくらい理解してくれていると思わなかった(笑)。
福田 あんた中共じゃないんですか(笑)。これは日ソ会談じゃなくて、中ソ会談らしいぞ。
三島 やっぱり話し合いは必要だ。だけど、文武両道なんということは、いまの一般インテリに言うと、フフンてなもんだね。
福田 そうだね。
三島 あの中にどういう原理が入っているか、ああいう考えの中にどういう現代の知識人の根本的な問題が入っているかということは、みんな本当に考えていないと僕は思うな。
福田 いま三島さんが自衛隊の人に説いたのとおなじことを、やっぱりいまの政治家や官僚にも説きたいよ。
2024年5月14日火曜日
20240513 記憶の索引になるものについて:南紀での生活から
昨日の投稿記事で述べたように、これまで102記事作成して、現在、休止中である【架空の話】の続編を作成したいと考えていますが、それと同時に当ブログ作成の一つの大きな契機となった「南紀での在住」についても述べたいと考えていますので、今回は「南紀での在住」について述べます。
これまで、南紀について扱った記事は比較的多く、記事文中に「南紀」という言葉が含まれる記事は100以上はあると思われます。そのため「まだ書くことがあるのか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こうしたことは面白いもので記事を作成していますと、またどこからか、その当時の新たな記憶が想起されてくるのです。
しかし、そうした記憶は毎回の記事作成時に想起されるわけではなく少なからず、重複した記憶に基づいて作成したものもあります。とはいえ、たとえ重複した記憶に基づいていても、そこで記憶を文章化して、ある程度明瞭にしておかないと、それと関連するものとして、新たな記憶もまた想起され難くなるものと考えます。
そのために性懲りもなく、また新たにブログ記事を作成しているのですが、そのネタ探しとして、既投稿のブログ記事を読み、そこからブログ記事の題材となる新たな記憶が想起されるということも度々あります。そうしたことから、当ブログが自らの記憶の索引のような役割を果たしているとも云えます。
あるいは換言しますと、これは自らの記憶を外部化または即自的なままの記憶を対自化する作業であるとも云えます。そして、そうした行為を(どうにかであれ)9年近く継続していますと、それを行う私の内面にも何らかの変化が生じるのではないかとも思われ、また、そうした変化とは、遅々とした漸進的なものであるためなのか、かねてより関心は持っているものの、それを実感することは、以前にも述べた通り、ありません・・。
さて、話を南紀に戻しますと、私は千葉県市川市の出身ではあるのですが、転勤により南紀に赴任するまでは北海道に2年間在住して、また、それ以前は、千葉県市川市と都内とを往復する生活を送っていました。つまり、まがりなりにも首都圏文化の中で生まれ育ったと云うことは出来ます。そして、首都圏の在住の方の多くがそうであるように、首都圏の文化全般が最も優れたものであることを疑うことはありませんでした。
そうした価値観での南紀への転勤は、当初、それなりに落ち込むものでしたが、転勤しますと4月の南紀の自然の薫りが濃厚な大気の中で徐々に感覚が変化して、当地の歴史文化や自然風土などに能動的な興味を抱くようになったのですが、この興味の深化の過程においては書籍などの活字媒体が重要になると思われるのです。
つまり、ある地域に住み、当地の歴史文化や自然風土に興味を持ったとしても、当初からヒアリングなどにより知見を蓄積することは困難であり、まず最初に地域についての文脈・コンテクストを感覚的なものとして理解する必要があると考えます。そして、その際に重要であるのが、さきに述べた関連する書籍を読み、自分なりの認識や理解をある程度明晰化することです。そして、その先に、さきに述べたヒアリングなどの活動などがはじめて意味を持ち得るのだと考えます。
その点について考えてみますと、私は最初の赴任地であった北海道札幌市では、初めての社会人経験であるため余裕がなかったのか、地域の歴史文化などを扱った著作を読むことはありませんでした。ともあれ、そうした経験を2年間経て南紀白浜に転勤しますと、先ずは、その南方的とも云える横溢な自然環境に圧倒されました。当初は、以前にも述べたように、自然の薫りが濃厚な大気や雨の降り方などから「ここは本当に日本なのか?」と感じることも多々ありましたが、次第に、この南紀は、都市圏から離れいくらか鄙びてはいるものの、遺跡や古い言い伝えやそれを示す碑などが少なからずあり、またそれらは首都圏でのさまざまな史跡・遺構などとはどうも趣が異なるのです。南紀のそれらの多くからは、何といいますか、その存在から主張が感じられるのです・・。
そして、そうした主張があると思われることから関連書籍を入手しようと思うに至るわけですが、ここで私が幸運であったのは、当時、アマゾンのサービスが一般的になっていたことです。もちろん、北に隣接する田辺市には当時、比較的大きな書店がいくつかあり、しばしば書籍も購入させて頂きましたが、当時刊行されたばかりであったロバート・グレーヴスによる「この私、クラウディウス」はアマゾンを通じて購入して、合川ダムへの釣行の際に持参して、一人レンタルボートの上で釣りをしつつ読み、また読みつつ釣りをしていたことが想起されます。
また、この合川ダムへの釣行の際には、釣った魚(ブラック・バス)を記録するために、これまた当時一般化しつつあったデジカメを購入、持参していましたが、しばしば魚でなく風景なども撮影することもあり、そこで撮影した風景画像を当時定期購読していた日本版「ナショナル ジオグラフィック」誌のデジカメ写真コンテストに応募して、どうしたわけか佳作として入選しました。そして、それと同時期に還暦近くであった伯父に博士号が授与されました。その祝賀会のために帰郷しましたが、当時は、その11年後に自分が分野こそ違え、同じ学位を取得することになるとは全く考えていませんでした。
しかし同時に、漠然とながら、大学院に進学したいとは考えていましたので、何と云いますか、そうした「夢」とは、実現に向けて実際に動き出してみますと、徐々にそこに至るまでに要する経路が明瞭になってくるといった性質があるように思われます。
ともあれ、南紀についてはまだ書きたいことがありますので、また別の機会に書いてみたいと思います。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

これまで、南紀について扱った記事は比較的多く、記事文中に「南紀」という言葉が含まれる記事は100以上はあると思われます。そのため「まだ書くことがあるのか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こうしたことは面白いもので記事を作成していますと、またどこからか、その当時の新たな記憶が想起されてくるのです。
しかし、そうした記憶は毎回の記事作成時に想起されるわけではなく少なからず、重複した記憶に基づいて作成したものもあります。とはいえ、たとえ重複した記憶に基づいていても、そこで記憶を文章化して、ある程度明瞭にしておかないと、それと関連するものとして、新たな記憶もまた想起され難くなるものと考えます。
そのために性懲りもなく、また新たにブログ記事を作成しているのですが、そのネタ探しとして、既投稿のブログ記事を読み、そこからブログ記事の題材となる新たな記憶が想起されるということも度々あります。そうしたことから、当ブログが自らの記憶の索引のような役割を果たしているとも云えます。
あるいは換言しますと、これは自らの記憶を外部化または即自的なままの記憶を対自化する作業であるとも云えます。そして、そうした行為を(どうにかであれ)9年近く継続していますと、それを行う私の内面にも何らかの変化が生じるのではないかとも思われ、また、そうした変化とは、遅々とした漸進的なものであるためなのか、かねてより関心は持っているものの、それを実感することは、以前にも述べた通り、ありません・・。
さて、話を南紀に戻しますと、私は千葉県市川市の出身ではあるのですが、転勤により南紀に赴任するまでは北海道に2年間在住して、また、それ以前は、千葉県市川市と都内とを往復する生活を送っていました。つまり、まがりなりにも首都圏文化の中で生まれ育ったと云うことは出来ます。そして、首都圏の在住の方の多くがそうであるように、首都圏の文化全般が最も優れたものであることを疑うことはありませんでした。
そうした価値観での南紀への転勤は、当初、それなりに落ち込むものでしたが、転勤しますと4月の南紀の自然の薫りが濃厚な大気の中で徐々に感覚が変化して、当地の歴史文化や自然風土などに能動的な興味を抱くようになったのですが、この興味の深化の過程においては書籍などの活字媒体が重要になると思われるのです。
つまり、ある地域に住み、当地の歴史文化や自然風土に興味を持ったとしても、当初からヒアリングなどにより知見を蓄積することは困難であり、まず最初に地域についての文脈・コンテクストを感覚的なものとして理解する必要があると考えます。そして、その際に重要であるのが、さきに述べた関連する書籍を読み、自分なりの認識や理解をある程度明晰化することです。そして、その先に、さきに述べたヒアリングなどの活動などがはじめて意味を持ち得るのだと考えます。
その点について考えてみますと、私は最初の赴任地であった北海道札幌市では、初めての社会人経験であるため余裕がなかったのか、地域の歴史文化などを扱った著作を読むことはありませんでした。ともあれ、そうした経験を2年間経て南紀白浜に転勤しますと、先ずは、その南方的とも云える横溢な自然環境に圧倒されました。当初は、以前にも述べたように、自然の薫りが濃厚な大気や雨の降り方などから「ここは本当に日本なのか?」と感じることも多々ありましたが、次第に、この南紀は、都市圏から離れいくらか鄙びてはいるものの、遺跡や古い言い伝えやそれを示す碑などが少なからずあり、またそれらは首都圏でのさまざまな史跡・遺構などとはどうも趣が異なるのです。南紀のそれらの多くからは、何といいますか、その存在から主張が感じられるのです・・。
そして、そうした主張があると思われることから関連書籍を入手しようと思うに至るわけですが、ここで私が幸運であったのは、当時、アマゾンのサービスが一般的になっていたことです。もちろん、北に隣接する田辺市には当時、比較的大きな書店がいくつかあり、しばしば書籍も購入させて頂きましたが、当時刊行されたばかりであったロバート・グレーヴスによる「この私、クラウディウス」はアマゾンを通じて購入して、合川ダムへの釣行の際に持参して、一人レンタルボートの上で釣りをしつつ読み、また読みつつ釣りをしていたことが想起されます。
また、この合川ダムへの釣行の際には、釣った魚(ブラック・バス)を記録するために、これまた当時一般化しつつあったデジカメを購入、持参していましたが、しばしば魚でなく風景なども撮影することもあり、そこで撮影した風景画像を当時定期購読していた日本版「ナショナル ジオグラフィック」誌のデジカメ写真コンテストに応募して、どうしたわけか佳作として入選しました。そして、それと同時期に還暦近くであった伯父に博士号が授与されました。その祝賀会のために帰郷しましたが、当時は、その11年後に自分が分野こそ違え、同じ学位を取得することになるとは全く考えていませんでした。
しかし同時に、漠然とながら、大学院に進学したいとは考えていましたので、何と云いますか、そうした「夢」とは、実現に向けて実際に動き出してみますと、徐々にそこに至るまでに要する経路が明瞭になってくるといった性質があるように思われます。
ともあれ、南紀についてはまだ書きたいことがありますので、また別の機会に書いてみたいと思います。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
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