2023年10月29日日曜日

20231028 株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.27‐29より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.27‐29より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106038250
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106038259

レバノンでは、2005年から2006年にかけて、政治体制に大きな変化が進んでいった。米国がイラクでフセイン政権を短期間で崩壊させ、兎にも角にも民主化プロセスを推進して、選挙で選ばれた新政権と新体制を成立させたことは、アラブ世界に波紋を及ぼした。この波紋は、レバノンでは、フセイン政権と同様にバアス党のアラブ民主主義を掲げて強権的な独裁体制を敷くシリア・アサド政権によるレバノン進駐への反対運動、シリアの支配下で勢力を伸ばすシーア派政治・軍事組織のヒズブッラー(日本の報道ではヒズボラ」と表記されることが多い)への逆風という形で、まずは表面化した。2005年2月14日に、親西欧派で、サウジアラビアに支援された、スンニ派の最有力政治家ラフィーク・ハリーリー元首相が、首都ベイルートの海岸大通りで何者かによって爆殺されたことを契機に、シリアのレバノン進駐に反対する大規模な抗議行動が組織され、シリア軍を撤退に追い込んでいく。イランとシリアの支援によって台頭したヒズブッラーにとって、これは大打撃だった。しかしヒズブッラーはここから巻き返していく。ヒズブッラーは自らも大規模な抗議行動を組織して対抗し、国政を膠着状態に追い込んでいった。

 レバノン政治は、この本のテーマとなる宗派対立の元祖・家元とも言えるような存在である。中東の政治や紛争と「宗派」との関わりを理解するために、レバノン政治を見ておくことは欠かせない。レバノンは、中東の宗教と政治の関係が集約されている場所と言っていい。レバノンの国家の構成そのものが、宗派による社会の分裂を前提としており、宗派単位で議員が選出され国民が代表される制度が導入されている。宗派ごとに権力や権益が配分され、宗派間のバランスによって平和と安定が保たれる「宗派主義の政治」が、国家の成立の当初より制度化されてきた。

 2005年から2006年にかけて、このレバノンの宗派主義の政治が目まぐるしく展開し、バランスが崩れた。決定的だったのは、「2006年レバノン戦争」あるいは「イスラエル・ヒズブッラー戦争」である。2006年7月から8月にかけて、ヒズブッラーがイスラエル軍から激しい空爆を受け、多大な損害を蒙りながらも、凌ぎ切った。これにより、レバノン政治の中でシーア派のヒズブッラーが優位に立つと共に、アラブ世界全体での威信も高めた。イラクでのシーア派主導の政権の誕生に続き、レバノン政治でも、シーア派が主導権を握った、あるいは少なくとも決定的な拒否権を握ったことが、明瞭に示された。

 レバノンの内政や内戦が、国内で完結することはない。レバノンを歴史的に自国の領土とみなす隣国シリアや、シーア派勢力を支援するイラン・スンニ派勢力を支援するサウジアラビアが、国際法上は独立した主権国家であるレバノンの内政に、当然のように関与し介入する。そのことをレバノンの諸勢力も当然と考えており、むしろ積極的に外部の支援者・支援勢力を呼び込む。レバノン国内に、権利を奪われたまま居住するパレスチナ難民もまた、外部と必然的につながった内政の一要因である。パレスチナ問題は、現在は中東の紛争の主な要因とは言えないものの、アラブ世界で、あるいは中東・イスラーム世界全体で象徴的な関心を惹く問題であり、ここに関与することで、様々な勢力が存在感を示そうとする。かつてはリビアなどが、最近はカタールなどが、支援の手を差し伸べてかき乱す。レバノンはまた、西欧諸国や米国やロシアなどが中東に関与する際の入り口となる場所でもあった。特にフランスは、旧宗主国として、またカソリックが多数を占める国としてレバノンに深く関与し続けている。フランスは、カソリックの傘下にある中東固有のキリスト教マロン派(レバノンの人口の約21%を占める)と、経済的・文化的結びつきを依然として深く持っている。旧宗主国でカソリックを支援するフランスを背後にしたキリスト教マロン派が建国以来特別な地位を占め、サウジアラビアに支援されたスンニ派がマロン派と共に主導していたレバノン政治の既存の体制を、イランやシリアによって支援されたヒズブッラーが台頭して脅かした。それによって、中東はいっそう「宗派対立」の雰囲気が立ち込めていくことになる。

2023年10月28日土曜日

20231027 岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳 『オーウェル評論集』pp.264-267より抜粋

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳
『オーウェル評論集』pp.264-267より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003226216
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003226216

だがここで、前にふれた点にもどってみたいーすなわち世間一般にユダヤ人差別があることは誰もが認めるくせに、自分もその一人だということは認めたがらないという事実である。教養のある人びとは、ユダヤ人差別は許すべからざる罪であり、ほかの人種差別とは別格のものだと考えている。自分がユダヤ人を差別していないことを証明するためなら、誰もが広告をふるう。というわけで1943年には、ポーランドのユダヤ人のために神の救いを祈る礼拝式が、セント・ジョンズ・ウッドのシナゴーグで催されたのだった。ロンドン市当局はぜひ出席したいという意向を明らかにして、当日は官服に鎖をさげたロンドン市長、各地区の教会代表、英国空軍、国防市民軍、看護婦、ボーイスカウトなどの代表が出席した。表面だけ見れば、これは不幸なユダヤ人との連帯をしめす感動的な催しであった。

だが本質的には、これは正しいことをしようという意識的な努力だったのであって、出席者それぞれの本音は、まずほとんどが別物だったのである。この地区はロンドン市内でもなかばユダヤ人地区であって、ユダヤ人差別のつよい所である。シナゴーグでわたしのまわりにいた人びとの中にも、この傾向のある人があきらかにまじっていた。それどころか、国防市民軍でわたしの小隊の隊長だった人物など、集会の前から「りっぱに成功させねば」ととくに熱心だったけれども、この人物は以前はオズワルド・モズリー(357頁の訳者注参照)の黒シャツ隊の一員だったのである。こういう感情的矛盾があるかぎり、英国でユダヤ人に対する集団的暴行が容認されたり、ユダヤ人差別が立法化されるといった、さらに重大な結果になることはありえない。それどころか、今のところでは、ユダヤ人差別が世の中の眉をひそめさせないようになることさえ考えられない。だが、これは大いに安心してよいことのようでいて、実はあまり頼りにならないのである。

 ドイツのユダヤ人迫害は、むしろユダヤ人差別の問題が真剣に検討されなくなるという弊害を生んだ。英国では1、2年前に世論調査機関が短期間の不充分な調査をおこなっているが、ほかにもこの問題に関する調査はおこなわれていると考えられるのに、その結果は極秘のままで公表されていない。

また思慮のある人びとも、ユダヤ人がうさんくさいようなことは意識して言わないようにしている。1934年以後は、絵葉書からも、新聞雑誌からも、ミュージック・ホールからも、「ユダヤ人を種としたジョーク」はまるで魔法のように消えてしまったし、小説などにかんばしからぬユダヤ人を登場させたりするのも、ユダヤ人差別だと見なされるにいたった。パレスチナ問題のときにも、進歩的文化人のあいだでは、ユダヤ人の主張が当然だとして、アラブ側の主張にはいっさい耳を貸さないことが当然の礼儀だった。この態度は、それなりに理由の正しいものだったかもしれない。だが問題はその態度の根本が、ユダヤ人は苦しんでいるいるのだから彼らを批判してはならないという感情だった点にある。つまりヒットラーのおかげで、ジャーナリズムはいっさいユダヤ人を批判しないという事実上の自己規制に入り、反面個人の心にひそむユダヤ人差別は上向きとなって、感受性も知性もある人びとのあいだにさえ、かなりひろまるという不幸な状況に陥ったのである。この現象は、1940年に亡命者たちが拘留されたときにとくに目についた。当然のこととして、心ある人びとはすべて、不幸な外国人を見境なく留置したりすることには抗議しなければならないと思ったのだ。こうした外国人の大部分は、ヒットラーに反対だから英国へ来たにすぎない人びとなのである。だが個人的な話になると、その感想はまるで違っていた。亡命者のなかには少数ながらきわめて無分別なまねをするものもいて反感を買ったのだが、この反感の底には、彼らの多くがユダヤ人だというので、やはりユダヤ人差別の意識がひそんでいたのだった。労働党のある大立者ー名前はあげないが、英国ではもっとも尊敬されている人物の一人であるーが、わたしに向かってきわめて乱暴に言ったことがある。「あの連中にはこっちから頼んで来てもらったわけじゃないんだからね。英国へ来たいんなら、その責任は自分でとってもらおうじゃないか」。だがこの人物といえども、外国人の拘留に反対する請願や声明を出すとなれば、むろん参加するにちがいない。こういう、ユダヤ人差別というのは罪悪であり恥辱であって文明人ならそんなことは考えないという気持、それがこの問題をふかく追求するのがこわいという人さえいくらでもいるのだ。つまり世間にユダヤ人差別があるというだけではすまず、自分も同じ意識をもっていることを認識するのがこわいのである。

2023年10月25日水曜日

20231024 記憶発現の流路および引用記事作成の効用について

おかげさまで、昨日分の投稿により総投稿記事数が2060に到達しました。今月中も引続き、出来るだけ多くの記事を投稿出来ればと考えています。とはいえ、以前に述べた今月内の目標である2060は既に達成され、くわえて本日は、昨日午前に鹿児島から帰ったばかりということもあり、記事作成を休止しようと考えていましたが、さきほどから動画サイトにて報道動画をいくつか視聴していたところ、どうも落ち着かなくなり、こうして新規での記事作成を始めた次第です。

さて、さきに述べた鹿児島訪問ですが、これは久しぶりであり以前の訪問は4年前でした。その訪問時と比較しますと、鹿児島の中心市街地は、さらに新たな要素が追加され、変化もまた数多く見受けられました。そして繁華街である天文館界隈は相変わらず活気があり、到着当日の天文館ではアーケード入口にてジャズ・コンサートが開催されており、関東・首都圏とはまた異なった様相の賑わいを見せていました。そして、おそらく、この「異なった様相」をさらに精査することにより、その街、都市、そして地域の一側面を理解することが出来るのだと考えますが、それについては、ここでは扱わず、今回の記憶を加上して引続き考えていきたいと思います。

また、面白いもので、久々に「勝手知ったる」と勝手に思っている街を一人で歩いていますと、周囲の景色、あるいは呼吸する大気からも、これまでとは異なる在住期間での記憶が想起されるのですが、これらの記憶は捏造したものではありません。おそらく、我々は記憶の捏造を行うことにより、肝心の「記憶」本来の機能が徐々に損なわれていってしまうのではないかと思われます・・。

この「記憶の捏造」は、異言しますと「自己欺瞞」とも云えますが、こうしたことは、おそらく私を含めて大半の人々が半ば日常的に、あるいはごく自然に行っているとも云えます。また、これには自分の精神を守る機能もあるのだと思われますが、この「記憶の捏造」の仕方、傾向にも地域毎に特色のようなものがあり、そうしたことはその土地に住みつつ、そこでの神話や口碑などをある程度読み込むことにより、何となく理解することが出来るようになると考えます。

そして、そうしたことを述べますと「記憶の捏造」や「自己欺瞞」を行って損なわれる「記憶」も、そこまで重大でものではないとも思われるかもしれませんが、それらが日常化して自然な行為になってしまいますと、それが徐々に蓄積して、精神にある記憶を発現するための流路のようなものを塞いでしまい、そこから、これまでに得た経験や知見などを活用することが出来なくなってしまうのではないかと思われるのです。故に、露悪的にまで正直になる必要はないとは考えますが、それでも自己が外界、あるいは内面にて認識した内容は、出来るだけ精確に言語化・文章化しようと試みることが思いのほかに重要であり、そして、この出来るだけ精確な言語化、文章化のための有効な習慣として、以前にも述べましたが、能動的に活字を読むことがあると考えます。そして、この場合の活字について、それは電子書籍などのモニターを通じて読まれるものであるか、あるいは実際の書籍から読まれるものかによって精神に与える影響は異なるのかと考えてみますと、あるいはこうしたことは、PCやスマホを扱い始めた時期、年代によっても異なるのかもしれませんが、あくまでも私見としては、書籍を通じて知った文章は、比較的記憶に残り易く、またその記憶が必要である時にも、比較的容易に参照することが出来るのではないかと思われるのです。そしてまた、そうした文章を引用記事とすることにより、また一層認識は深まり、時宜に応じ、その記述を想起することが出来るようになるのではないかと考えます。それ故、公表の是非は別として、書籍にある興味深い記述を手作業にてPCに移し替える作業は、一つ一つでは意味が乏しいようにも思われるかもしれませんが、数年継続していますと、あくまでも自らの経験に依拠するものではありますが、それら記述を時宜に応じて想起することも多少は出来るようになるのではないかと思われます・・。そして、これは自分としてはここ数年で新たに憶えた感覚であることから、私にも、もう少しは「伸びしろ」があるのではないかと思われましたが、さて、これもまた実際のところはどうなのでしょうか?いずれにしても、今しばらくの継続と注視、検討が必要であると思われます・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

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どうぞよろしくお願い申し上げます。










2023年10月24日火曜日

20231023 慶應義塾大学出版会刊 ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン 編著 小坂恵理 訳「歴史は実験できるのか」pp.215-217より抜粋

慶應義塾大学出版会刊 ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン 編著 小坂恵理 訳「歴史は実験できるのか」pp.215-217より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4766425197
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4766425192

インド各地を対象にした比較分析からは、どんな結論を導き出せるだろうか。最も重要な結論は、イギリスの植民地統治下で採用された地税徴収制度の違いによって、その後の発展の軌跡が大きく異なったことだろう。なかでも、地主ベースの地税徴収制度が採用された地域は、工作農民が地税を直接徴収された地域に比べ、学校や道路など公共財の普及が遅れた点には注目すべきだ。植民地支配が幕を閉じて40年、地主ベースの地税徴収制度が正式に廃止されてから30年が経過しても、これらの違いは確認できる。違いを引き起こしたのは地理や人口に関する条件の違いによる影響だけではないことを本章では立証した。さらに植民地時代のほかの制度の影響は考えられない。グラフのうえで発展の軌跡は、土地改革の変遷をたどるかのように非線形の曲線を描いているからだ。(図6・4)。今回の分析ではひとつ、イギリスが植民地インドに導入した制度全体の影響ではなく、特定の制度の影響が確認されたことが大きな成果として挙げられる。インドのどの県もかつては同じ宗主国の支配下にあり、今日では政治の面でも行政の面でも同じ制度が採用されているのだから、地税徴収制度がいかに長いあいだ強い影響力を発揮してきたかわかる。

 今回発見されたような結果がもたらされた理由は、経済的不平等と政治参加の二つの面から説明できると私たちは考えた。しかし、地主ベースの地税徴収制度が採用された地域とそうでなかった地域の二つのタイプのあいだで、経済的不平等はそれほど大きくなかった。大きな理由としては、地主の支配下だった地域が経済的不平等を減らすための手段として、土地改革に積極的に取り組んだ可能性が考えられる。一方、地主の支配下だった地域では政治への参加率と識字率が低く、これら数字とインフラ普及率の低さのあいだには相関関係が見られる。ただし、二つのタイプの地域での公共財の普及率の違いを、これらの変数だけで十分に説明することはできない。

 歴史が長期的におよぼす影響を解明すりためには、二つの目立つ要因以外にも目を向けなければならないことが、今回の結果からは重要な教訓として得られた。政治的影響を説明する手段はほかにもたくさんあるが、今回は取りあげることができなかった。以下に一部を紹介しよう。たとえば、地主に支配されなかった地域は識字率も住民の政治意識も高く、優秀な政治家が選出される可能性が高いことは考えられる。有権者が博識ならば、選挙の地元に多くの公共財を供給するだろう。二番目の可能性としては、エリートによる支配の歴史が長いと政治制度への関心が冷めて、十分な知識のないまま一票を投じてしまうことが考えられる。あるいは三番目の可能性として、地主ベースの地税徴収制度が採用された地域にとって、公共財の普及の遅れは自然の結果だったのかもしれない。これらの地域では当初、過去を消し去る作業に専念したので、かつての地税徴収制度は解体されて土地への平等なアクセスで促されたのかもしれない(これに関する証拠は、注22に記されている)。このように優先すべき課題があったため、発展を目的とするほかの政策に費やす資源も政治的資本もほとんど残らなかったとも考えられる。あるいは、エリートによる支配の歴史が長い地域では有権者の二極化が進み、選ばれた議員が公共財普及に協力しづらい環境が創造されたのかもしれない。

 長期的な発展の結果に特定の歴史的制度がおよぼす影響について、今回は比較分析という手段を用いて注目した。そして、地税徴収に関する制度が異なると、その後の発展の軌跡にどのような影響がおよぶのか、そのメカニズムに関して二つの考えられる仮説を紹介した。ただしいずれも、私たちの結論の正しさを経験によって裏付けるだけの説得力に欠けている。本章ではほかにも可能性のある複数の仮説を紹介した。今後、新たに比較歴史分析の研究があ進めば、これらについての理解はさらに進むだろう。これから詳しい研究が行われれば、歴史的制度が長期にわたっておよぼす影響について新たな仮説を生み出すことも可能だ。

2023年10月20日金曜日

20231020 株式会社筑摩書房刊 祖父江孝男著「県民性の人間学」 pp.11-13より抜粋

株式会社筑摩書房刊 祖父江孝男著「県民性の人間学」
pp.11-13より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 448042993X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480429933

私たちは、初対面のひとに、何気なく、「ご出身はどちらですか」と聞くことがある。たいして深い理由はないのだが、出身県がわかるとなぜか納得することもある。

 日本はいうまでもなく小さな島国であるが。たしかに沖縄と北海道の自然環境には大きな違いがあるが、これだけ交通網が整備されマスメディアが発達した現代にあって、出身県がどれだけの意味を持つのか、考えてみれば不思議なことである。

 にもかかわらず、私たちは相手の出身県がわかると、なにかそれまで見えなかったものが見えたような気になることがある。

 たとえば東北地方の出身と聞いただけで、「無口」「保守的」「内向的」あるいは「我慢強い」などのイメージを持ってしまう。九州出身と聞くと「情熱的」「陽気」「外向的」「質実剛健」といったイメージを浮かべる。

 そんな場合、当然、大きな疑問が湧いてくる。「はたしてイメージ通りの性格なのか」という疑問だ。県民性というものを、どこまで信じていいのかという疑問である。

 これは突きつめて考えれば「県民性は実在するか」という疑問である。青森県出身なら、誰でも無口で内向的とはかぎらない。おしゃべりで外向的な人もいるだろう。鹿児島県出身の人でも、陰気でクヨクヨ悩むタイプの人がいるだろう。したがって、固定観念に当てはめて相手の性格を決め付けるのは、はなはだ危険なのである。

濃淡はあっても県民性は実在する

 誤解のないように最初に断っておくと、県民性とは多分にイメージであることが多い。いま述べたように、東北人といえば暗くて内向的と思われ、九州人といえば明るくて情熱的に思われるのもイメージのせいである。東北と九州の風土的なイメージを、そのまま性格に反映させている。

 そのイメージに当てはめて他県人を解釈すると、相手の性格を一部しか見ていないことになる。青森県人を無口だと思い込んでしまうと、初対面の人が青森出身と聞いただけで、「この人は無口な人だな」と決め付けかねない。

 けれども、いろいろなデータにあらわれた数字や、その地域の人だけの集まりを見ていると、なるほどたしかに県民性は実在するなと思うことが多い。

 事実、ほとんどの県には最大公約数的な特徴が実在する。それがはっきりあらえあれる県と、ばくぜんとしたままの県に分かれることはあっても、県民性が実在するとしかいいようのないケースが多いのだ。 

 ではいったい、この狭い日本のなかで、なぜ県民性が生れてきたのだろうか。

 

 

20231019 光文社刊 湯川秀樹・市川亀久彌著「天才の世界」 pp.73-76より抜粋

光文社刊 湯川秀樹・市川亀久彌著「天才の世界」
pp.73-76より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4334785204
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334785208

いいご指摘をしてくださいました。いずれにしても、転換期社会で、社会経済史的に大きく変わろうとしている。具体的には奈良から京都への遷都ということをいわれましたけれども、そういうふうにみていきますと、1970年代、一挙に現代にもどりますけれども(笑)、わたしがなぜ先生にこういうことをお聞きしたかと申しますと、歴史的に現代から過去の教訓、あるいは知識というものを若干考慮に入れようとしているわけなんです。現在のような異常な世界史的な、危機的状況といいましょうか、混乱を目の前にして感じますことは、20世紀の後半から21世紀にかけて、大創造をする人間が、可能性としては多発する社会経済史的条件があるのじゃないかということ・・・。

湯川 そうでありそうに、ぼくにも思えますね。あなたのおっしゃられるように、いままでいろんな時代がありまして、ひじょうに独創的な人、あるいは天才といわれるような人がわりあいかたまって出た時代と、そうでない時代と、明らかにあるわけですね。方面によって多少時期がずれておりますけれどね。そういう点からみると、この20世紀の最後の30年というのは、やはり大きな転換期にならなければ困るわけでしょうね。

―ということは、同時に大きな才能をもった人物が・・。

湯川 出てこないと困るのじゃないか。しかし、それを出す力を人類は喪失しつつあるのかどうか、これはたいへんむつかしい問題で、たとえば管理社会とかなんとかいわれて、先進国からはなかなか出にくい。先進国でない国からは、また別の理由でなかなか出てこないということであれば、それも困るわけです。待望論というものはありうるわけですけれども、待望どおりほんとうにそういうふうになるかどうか、わたしにはまだちょっと見通しがつかないんですね。なぜかというと、一口に情報化社会とか管理社会とかいわれる新しい形態にだんだんなってくる。これはひじょうにむつかしい社会でして、そのなかでたとえば創造的なマイノリティ、少数者というものを生み出すことは、ひじょうに困難な状況があるわけでしょう。ものを考えんでもよい、考えたければコンピューターに考えさせろという式の風潮が盛んになっている。

たとえばお月さんに行こうといったら、大きなお金を使って、何万人がそのなかに組み込まれ、無事にお月さんへ行けたという状況で、そこで創造者というものはどこにいつのか、そこにも何人かの創造者がいるかもしれませんよ。しかし、それはわれわれが真の創造者といっているものとは違うわけでしょう。計画どおりお月さんへ行けるようになったということであって、なにか思いがけないものを生み出したという状況とは違いますし・・・。

―ただ、問題意識としては、いま先生がおっしゃったようなトータルな、真の意味における大創造者が、どうしても生まれてこなければならないような条件のもとにある・・。

湯川 それは認めますね。狭く日本だけの状況をみましても、市川さんやわたしが、ずっと昔から創造性ということをいつもいっていても、世間はいっこう相手にしなかった。それがこのごろは創造性の開発というようなことをしきりにいっている。まだ、こっちのいうていることばがほんとにわかっていないと思うけれども、みながそういうことを口にするようになってきたということは、たしかに変化であり、またそうなる必然性があったのでしょうな。したがって、そこから何かを期待していいのじゃないかなという感じもするわけですね。
(1971年4月21日)

2023年10月18日水曜日

20231018 株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「訂正可能性の哲学」 pp.134‐136より抜粋

株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「訂正可能性の哲学」
pp.134‐136より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4907188501
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907188504

2023年のいま、日本では人文学の評判は落ちるところまで落ちている。言論人や批評家にかつての存在感はない。有名な学者もほとんどいない。世に出てくる文系学者といえば、活動家まがいの極端な政治的主張を投げつける目立ちたがりの人々ばかりだ。SNSを開けば、文系はバカだ、非科学的だ、役に立たない、他人の仕事にケチをつけているだけだといった罵詈雑言が溢れている。ばくは文系学部の出身だが、もしいま10代の高校生だったら進学先に文系を選ぶことはありえなかっただろうと、そのような言葉に接するたびに真剣に思う。

 人文学は信頼を回復しなければならない。人文学には自然科学や社会科学とは異なった役割があることを、きちんと論理的に伝えなければならない。じつは本論はそのよう意図でも書かれてる。

 前述のように、人文学は過去のアイデアの組合せで思考を展開する。自然科学のように実験で仮説を検証するわけではない。社会科学のように統計調査を活用するわけでもない。プラトンはこう言った、ヘーゲルはこう言った、ハイデガーはこう言った、ハイデガーはこう言った・・・といった蓄積を活用し、過去のテクストを読み替えることで思想を表現する。すべての人文学がそうではないと反論されるかもしれないが、少なくともその中心を担ってきた大陸系哲学はそのようなスタイルを採る。

 人文学のこのようなスタイルは、現在では否定的に評価されることが多い。それは非化学的で権威主義的で、ときにカルト的にすらみえるからだ。そのとおりのこともある。

 けれどもぼくの考えでは、人間はけっしてそんな怪しげな営みを破棄できない。なぜならば、その「カルト的」なスタイルは、じつは人間が言語を用いて思考するかぎり避けることができない、ある条件を凝縮して反映したものにすぎないからである。その条件が、まさに本論で「訂正可能性」と呼んできたものである。

 ぼくたちは単純な加法ですら完全には定義できない。クリプキの懐疑論者を排除できない。だとすれば、真理や善や正義といった厄介で繊細な概念について、同じようにすべてをひっくり返す懐疑論者の出現をどのようにして排除することができるだろうか。人文学者はそのことをよく知っている。それゆえ人文学は、すべての重要な概念について、歴史や固有名なしの定義など最初から諦めて、先行するテクストの読み替えによって、すなわち「訂正」によって、再定義を繰り返して進むことを選んでいるのである。それは結果的に、先行者の業績を無批判に尊重する、非科学的で権威主義的なふるまいにみえる。しかしけっしてそれが目的なわけではない。

 だからぼくは本論で、訂正可能性について理論的に語るとともに、またその訂正の行為を「実践」しなければならないと考えた。ぼくはこの第一部で、家族や訂正可能性について「正しい」理解を提案したのではない。ぼくが行ったのは、ウィトゲンシュタインの哲学を訂正し、ローティの連帯論を訂正し、アーレントの公共性論を訂正する・・・といった訂正の連鎖の実践である。だから本論の結論も、いつかまた読者のみなさんによって訂正されるかもしれない。その可能性は排除できない。むしろその排除の不可能性こそが人文学の持続性を保証するのだ。

 人文学がこのようなスタイルをとるのは、けっして人文学者が愚かだからではない。人間はそもそもそのようにしてしか思考できないのだ。人文学が消滅するときがあるとすれば、それは人間が人間でなくなり、ウィトゲンシュタインとクリプキの指摘が無効化されるときなのではないかと思う。