*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
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彼はまた、ホワイトハウスを電話に出させるためにあらゆるチャンスを利用した。アメリカのジャーナリストと交流し、彼らを首相別邸のチェッカーズに招くようになった。
アメリカではラジオの聴取者が増える一方だったので、彼は臆面もなくアメリカの聴衆に向けて演説を行うようになった。有名な1940年6月4日には次のように直接的な訴えで演説を終えている。
ヨーロッパの大部分、伝統ある国の多くがゲシュタポなどナチス支配の嫌悪すべき組織の手に落ちました。あるいは落ちんとしています。しかし私たちは萎れてはなりません。負けてはなりません。最後まで戦い抜きます。私たちはフランスで闘います。海上で、洋上で戦います。高まる信念と強靭さをもって空中で戦います。海辺で戦います。上陸地で戦います。野で戦い、街路で戦います。丘で戦います。けっして屈服しません。そしてもしも、私は一瞬たちともそうなるとは信じませんが、イギリス全土、あるいは大部分が服従を強いられたり、飢えたりしたならば、イギリス艦隊によって武装され、護られた海のかなたのわれわれの帝国が闘争を続けるでしょう。神のお導きにより、新世界が全力で旧世界を救い、解放するために足を踏み出してくれるまで。
神に祈っている点に注目していただきたい。今でもそうだが、神は当時のアメリカ政治においてイギリスよりもかなり大きな役割を果たしていたのである。彼は7月のオラン演説のクライマックスと同じ方式を使った。自分の行動についての判断を「アメリカ合衆国に」委ねたのである。
ゆっくりとではあるが、チャーチルの試みは成果を出しつつあった。しかしそれは困難な道のりであり、対価も大きかった。第一に、駆逐艦と基地の取引があった。イギリスは50隻の退役駆逐艦と引き換えにトリニダード、バミューダ、そしてニューファウンドランドの基地をアメリカに引き渡したのだ。古いバスタブのような駆逐艦は浮かせるのも一苦労で、1940年末までに使用可能になったのはわずか9隻だった。
次にアメリカは何がしかの武器を売ることに同意した。しかし中立法に基づき、イギリスは即座の現金払いを要求された。1941年3月、アメリカの巡洋艦がイギリスの最後のなけなしの金塊50トンを受け取るためにケープタウンに派遣された。借金のかたに薄型テレビを押収する管財人のようなものだった。アメリカにあったイギリス企業は最安値で売却された。イギリスが自分たちは実質破産しているのだと抗議し始めると、アメリカ政府はイギリスの真の支払い能力を調べにかかった。まるで年老いた生活保護費の受給者が財産隠しをしていると咎める社会保障局のようだった。
将来の支払いを見込んで続けられた武器貸与については、チャーチルは「史上最も高潔な行為」と表向きは言っていたかもしれない。しかし内輪では、イギリスはアメリカに皮をむかれ、骨まで鞭うたれていると言っていた。武器貸与の条件として、アメリカはイギリスの海上貿易に干渉することを言い張り、イギリスが大いに必要としていたコンビーフをアルゼンチンから輸入することを停止させた。
武器貸与法は、終戦後もイギリスが自国の商業航空政策を運用する権利を妨げ続けた。この損得抜きの高潔なはずのアメリカ政府の行為に対して、イギリスはなんと2006年12月31日にやっと支払いを終えた。その日、当時財務省の経済担当副大臣だったエド・ボールズ氏が8330万ドル、4250万ポンド相当の最後の小切手とアメリカ財務省に対する感謝の手紙を書いた。戦時債務の支払いに関して、これほどまでに卑屈な几帳面さを示した国がほかにあっただろうか。
アメリカは第二次世界大戦の初期の段階でイギリスが大量の現金を吸い上げ、その流動性のおかげで最終的に大不況から脱出でいたのだという見方もある。アメリカの戦争マシーンを始動するクランクの役割を果たしたのはイギリスの金だった。ところが、アメリカにとって申し分ない条件だったにもかかわらず、1941年の初め頃、アメリカの政治家の多くは、この合意はイギリスにとって寛大過ぎると考えた。結局、法案は下院で260対165の票決で可決されたが、イギリスに法外な金額で救命胴衣をくれてやることを拒否したこれら165人の議員たちは一体何を考えていたのだろうか。彼らは旧世界が沈むのを見たかったのだろうか。実際、そういうことを一瞬考えた者もいただろう。
チャーチルはその手のアメリカ人たちを味方に引き入れなければならなかった。ところがその年の終わりには、これら同じアメリカの国会議員たちをチャーチルは手なずけていた。1941年12月のクリスマスの翌日、彼らは議場を埋め尽くした。チャーチルが演説をするために立ち上がる前から、全上院議員、下院議員が歓呼の声を上げてやまなかった。何が彼らの気持ちを変えたのだろうか。
そう、パールハーバーでちょっとしたことが起きたのである。日本による奇襲があったのだ。その数日後、ヒトラーがアメリカに宣戦を布告するという常軌を逸した決定をした。これらのことがようやくアメリカの議員たちをしてイギリスと一体感を持つに至らせるのに役立ったのかもしれない。
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英語圏の書籍出版の状況を見ていると、何か顕著な現象が起きた時の「初動」だけであれば、日本の方がかなり早いことが多い。つまり、戦争とか革命といった大変動が起きた時に、日本で最短で三カ月もすれば、その問題に関する専門家(あるいは専門家を称する人)たちを焚きつけて、どうにかこうにか、分析したり、解説したり、背景を説明したりする本が市場に出てくる。もちろんそれらは玉石混淆である。その対象を以前かた見ていた著者が、ちょうどその問題について論文を書いていたりする場合、それを元にした本を出せば、それなりの水準になることがある。しかし自薦・自称の「専門家」による急ごしらえの本は、多くの場合は、長くはもたない、ほんの数カ月で賞味期限が切れてしまう程度の深みと正確さのものとなる。
それに対して、英語圏では、専門家の本はそう簡単に出ない。ある問題について、行き届いた専門書が出るには、通常は、ほぼ十年はかかるものである。つまり、例えば、1989年に冷戦構造が崩壊するという予想外の大事件が生じた。これを受けて、ねぜこの年に冷戦が崩壊したのか、そこから翻って冷戦という事象は何だったのか、という課題について、英語圏で専門的な本が出てくるのは、1990年代も末になってから、あるいは2000年を過ぎてからが本番、ということになる。当然、専門的な本が出る頃には、冷戦崩壊という事象はとっくに過去のものとなっており、人々の一般的な関心は薄れてしまっている。しかし、世間の関心の浮き沈みとはほとんど無関係に、大学世界の内部で営々と研究が積み重ねられ、毎年の学会で議論され、部分的に論文として発表され、学術出版社でまずは著者と出版契約が結ばれ、原稿が出てから別の専門家の目に触れさせて、幾度もの改稿を経て、ようやく完成し、市場に出る、そこまでの時間と手順を経て世に出た本は、そう簡単には古くならない。英語圏の学術書の信頼性は、そこまで時間をかけることのできる制度が整っており、それを許容する社会があるからである。学術書が、世間・読者の「消費者」としての関心という、いわば「需要」にはあまり左右されず、書き手とその背後にある大学を中心とした学術共同体の「供給」の論理にもっぱら従って生産されているから、そも言うことができよう。ただしこれには当然弊害もある。既に述べたように、専門的・学術的な本が出た時には、対象となる事件や事象は遠い昔となっており、今まさに人々が関心を持っている問題には、即座に専門的な書物が提供されないことがある。
日本のように、商業出版社が学術的な出版の一部分をかなり積極的に担い、しばしば編集者が読者の需要を察知して、それを専門家に依頼し、いわば「需要」に引っ張られて多くの学術的な著作が刊行される。というのは、諸外国を見渡してもそれほど多くの類例を見ない。それによって、何か大きな事件を起きた時に、「初動」はかなり早い。編集者が注目の分野に目配りを利かせて、専門家にあらかじめ原稿を依頼していた時などは、世界的に見ても早期に、高水準の専門的著作が世に出ることがある。当然これにも弊害はあり、専門家が世間の関心に合わせて急いで著作を書き上げなければならず、話題になると繰り返し同じようなテーマで本を書き続けなければならないため、一冊一冊の水準が十分に高くならず、深みも足りないものとなりかねない。
このように、少し脱線して、英語圏の学術的・専門的な著作の出版を、日本の場合と対比させてきたのだが、この英語圏の学術出版にも、近年に変化が見られる。英語圏の学術書・専門書でも、やや日本型に近い、即応性の高いタイプの本が出るようになっているのである。
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