2020年2月16日日曜日

20200215 先日の投稿記事が再度ランク・インしたことから思ったこと

先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インしたことを記しましたが、その翌日もまた、再度、順位が上がってのランク・インとなりました。こうしたことは、これまでになかったことから少し驚かされました。また、以前にも書きましたが「当記事の閲覧者数はあまり伸びないのでは・・。」と考えていたことから、これもまた不思議に思われるところです・・(笑)。

とはいえ、これまた以前に幾度か書いたことではありますが、自信の作成したブログ記事として比較的多くの方々に読んで頂いている場合であっても、そこからの効果や影響といったものは、これまで感じられたことはなく、そこから「おそらく当ブログ記事による周囲への効果は、大体その程度なのだろう・・。」と思うに至るわけです・・(苦笑)。

しかし、他方で、当ブログ記事が「その程度」のものであるからこそ、あまり傍目を気にせずに、現在に至るまで(好き勝手に)記事作成を継続出来ているようにも思われます。そのため、ブログ記事による効果や影響といったことは、少なくとも自身の場合、あまり考えない方が、継続的な記事作成のためには好都合であるように思われます・・(笑)。

さて、先日の投稿記事にてモテない、ロスジェネ云々といった、どちらかと云えば自虐的とも受け取れることを(苦笑)を書きましたが、他方において、大変充実していたと感じられる時期もあり、とりわけ、和歌山在住の修士課程院生の頃は、それまでの人生で最も多くさまざまな分野の書籍を読み、議論をしていたと云えます。そして、特に、ここでの議論の経験があるからこそ、対話形式でのブログ記事が作成出来ていると云えます。また、この頃は、自身が変わっていてもイジられることもなく、いや、当時については、周囲にいた方々の方が自身などよりも変わっていたのかもしれません・・(笑)。ともあれ、ここで書籍を読む習慣が身体化され、そして必要であれば精読するような習性も、ある程度、身に付けたことから、現在に至るまで、その時々に必要とする文献、そして自身の興味に基づいた文献をも読み続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。

そして、当ブログについて考えてみますと、どうにか、ここまで記事作成が為されている要因として、さきに述べた経験と共に歯科生体材料学分野にいた時の経験そして記憶が、かなり大きなウェイトを占めると云えます。それは換言しますと、鹿児島在住時の経験・記憶であると云えますが、これについては「この時期のことを書きたい!」と比較的強く思う反面で、未だに自身でも理由が分からないのですが、それにブレーキを掛ける力が発動され、今に至るまで思うように書けないでいます・・。しかし、今後、この時期のことををスムーズに書くことが出来るようになる内面での変化を待ち、これを題材として、新たなブログ記事を作成していきたいと考えています・・。

また、感覚的なハナシではありますが、さきの和歌山在住時の経験は、ブログ記事を継続的に作成するための、どちらかと云えば技術的要素としてのウェイトが多く、他方で、鹿児島在住時の経験や記憶は、もちろん、さきの和歌山と同様、技術的要素も少なからずあるのですが、それと同時に、当ブログ継続のための推進力となる内面・精神的要素については、かなり多く、ここでの経験や記憶に依拠しているように思われるのです・・。

そうしたこともあり、この時期のことを記事題材としたいと考えているのですが、さきに述べたように、どうもここで抑制がかかってしまうのです・・。しかし、今しばらく書き続けていますと、また何らかの変化が生じるとも思われますので、性懲りもなく、続けようと思います・・(笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。










2020年2月13日木曜日

20200213 先日投稿の記事がランク・インして思ったこと・・

本日の徳島は気温が20℃まで上がり、春のような1日でした。また、この陽気は今週中は続くとのことですが、来週になりますと、また冬日に戻るとのことです。このようなことを書いていますと、不図「三寒四温」というコトバを思い出しましたが、このコトバはおそらく、丁度、今の時季を指すものであるように思われます・・。

くわせて、先日の投稿記事にも記しましたが、陽も以前に比べ長くなり、そうしたことから、季節が徐々に春へと推移していることがうかがわれます。

さて、おかげさまで、先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インとなりました。正直なところ「この記事の閲覧者数はあまり伸びないだろう。」と考えていたため、これには多少意外の感があります。そしてまた、「こうした内容の記事も寛容に受け入れて頂けるのであれば大変ありがたい。」というのが、このランク・インに対する率直な感想と云えます・・。

ともあれ、こうした内容の記事を書く自身ではありますが、子供の頃から変わっている、あるいは周囲から浮くことも少なからずあるためか、たびたびイジメられました・・(苦笑)。そしてまた、おそらく今後もそのような感じではないかと思われます・・。また、イジメられる悪影響としては、なかなか自然に自信を持てなくなることであるように思われます・・。

以前に比べますと、そうではなくなりましたが、それでも、権柄ずくな態度をされたり、こちらの意見を全く聞かずに勝手に罰ゲーム的に何かを押し付けてくるようなことをされますと、かなり腹立たしくなるのと同時に凹み、滅入ってきます・・。

また、それに加えて、イジメの後遺症によるものか、自然に自信があるように振舞えないことから、小中高から現在に至るまで異性にモテないことも、現在まで尾を引いていると云えます・・(苦笑)。

とはいえ、このようにモテなかったことから、いくつかの分野での知識や経験を積むことが出来たとも云えますので「自分にとってどちらが良かったのか?」と問うてみますと、「これはこれで良かったのではないか・・?」と思える時もしばしばあると云えます・・(苦笑)。

そしてまた、こうした「メゲない」のか「いいかげん」であるのか分からない(多分、これらはかなり親和性があるのではないかと思います・・(笑))自身が、ロスジェネ世代のど真ん中であることは、偶然であるのか、あるいは何らかの必然であるのか、これもまたイマイチよく分かりませんが、面白いところであるようにも思われます・・。

さらにここで、ロスジェネ世代と書いていて不図、岩波書店刊行の、だいぶ以前に読んだ記憶のある「きけわだつみのこえ」という著作が思い出され、少しだけ目頭が熱くなってきました・・(苦笑)。

20200213 創造や生産のジレンマについて・・

当記事を含めて、残り58記事の投稿により、総投稿記事数が1300に到達します。本日から毎日1記事の投稿を行いますと、来る4月の半ば前には達成出来る目算が立ちますが、さすがに毎日の投稿はキビしいと思われるため、出来るだけ毎日に近く続けていこうとは思いますが、それでも2日に1記事程度の更新となっても、そこまで悪くはないように思われます・・。

さて、昨日は文章が書けなかった時期のことについて書きましたが、この時期は現在思い返してもみても暗く、鬱々とした日々であり、またそれは、現在においてもなお、完全に晴れているわけではないのですが、いつか、これが晴れ渡る日は来るのでしょうか・・(苦笑)。

しかし、あるいはまた、こうして暗く、鬱々とした気分を現在に至るまで、いくらか引き摺っているからこそ、ブログ記事の作成を継続することが出来ているとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。

何故ならば「人は完全に安楽・快適な状態になると、そこから逃れるための創造をしなくなるからだ。」とも云われるからであり、これに関しては多少悔しくはあるものの、全くの的外れではないように思われます・・(苦笑)。

しかしながら、他方で、より多くの創造をするように、外部からの働きかけ・圧力によって出来るだけ安楽・快適な状態にならないように仕向け続けていると、遅かれ早かれ、いつか内面に破綻が生じるのではないかと思われます・・。

そして、おそらく、こうした一種の創造性や生産性についてのジレンマのようなものは、古来から存在し、あるいは、こうした様相・メカニズムについて、より良い解決をはかるための仕組みが、宗教であったり、さまざまな思想であるようにも思われます。

また、こうした宗教や思想が、何処で、どのようにして発生し、その後どのように伝播・発展していったかについて考えてみますと、さまざまな国や地域における宗教や思想といった所謂、形而上的なものに対する親和性・相性のようなものが分かるのではないかと思われます。

そして、それに対して、さきの創造性や生産性についてのジレンマをより具現化したものと云える、国・地域における支配・被支配の構造、そして、それらの歴史についてを重ね合わせて考えてみますと、宗教や思想といったものが、どのような条件下において繁茂し、また逆に、衰弱・枯死してしまうのか、ということが、ある程度理解出来るのではないかと思われるのですが、さて、その意味で、現在の我が国は、いかなる状況と云えるのでしょうか・・(笑)?

いや、あるいは我が国は元来、宗教や思想といったものからは縁遠く、古くからのリジッドな支配・被支配の構造が現在に至るまで続いているのでしょうか?こうしたことは多少本を読んだ今になってもイマイチよく分かりません・・(苦笑)。とはいえ、であるからこそ、やはり歴史は面白いのだとも云えるのかもしれません。






2020年2月12日水曜日

20200212 文章が書けなかった時期について

現在読み進めている岡義武による「国際政治史」は、半ば過ぎまで至り、この調子にて読み進めれば、来月初旬あたりには読了することも出来るのではないかと思われます。

他方で、当ブログに関しては、先日、2月9日の投稿により、総投稿記事数が1240に到達し、来る6月22日のブログ開始から丸5年の日迄に50数記事を新たに投稿することにより、5年間で1300記事を投稿してきたことになります。

しかし、これを達成するためには、今後2~3日に1記事の新規投稿を要するため、現在の自身にとっては、そこまで簡単であるとは云えません・・(苦笑)。しかしそれでも、以前の全くといって良いほどに文章を書けなかった時期と比べますと随分良くはなっていると云えます・・。

この全く書けなかった時期のことについて、もう少し詳細に思い出してみますと、それ以前はSNSなどを通じて普通に書くことが出来ていたことから、このいわば断層のような時期に一体何があったのだろうかと思うに至ります・・。

具体的に、その時期は2015年後半あたりからであり、この時期のことは思い出してみますと、未だに喉を絞められるような感じになり、おそらく当時は精神的に危機的な状況にあったのではないかと思われます。そして、その同時期から当ブログをはじめたわけですが、このブログがなければ、さきの危機的状況をどうにか乗り越えることが困難であったのではないかとも思われます・・。

そしてまた、こうした、おそらく内面の葛藤から生じる危機的状況を乗り越えるためには、それまでの全ての経験といった内的資産を燃料として投入するという覚悟がなければ、乗り越えることは困難であったのではないかと思われるのです。しかし、そうであっても、自身の場合、この時期は精神的に衰弱しきった中で、どうにか書籍からの抜粋引用を主とした記事作成を行っていたといった状態でした・・。

また、自身の文章による記事を作成してみても、作成した記事は徒に嫌悪感を齎すのみであり、こうした自分の作成した記事を読み返したくない時期も、ブログをはじめて、ある程度安定して記事作成を行う頃になってもしばらく続き、具体的に2016・2017年は、そうした時期であったと記憶しています。

とはいえ、現在になり、当時作成した記事を読み返してみますと、そこには文章表現としては稚拙と思われるものが多くあるものの、そこで述べられていることには、何と云いますか、現在にも繋がる「自身の考えの核」と云えるものがあるように感じられるのです。

そのように考えてみますと、この弱り切っていた時期にも、それなりの意味があったのかもしれません。またそれは、その時期から現在に至るまで、どうにか、このブログ記事の更新を通じ、前進しているという感覚を持ち続けることが出来たから、そのように考えることが出来るのかもしれません・・。

とはいえ、今後、何に導かれて当ブログを継続出来るのか分かりませんが、来る6月22日までは、どうにか続けて行きたいと思います。そして、その時の自分は当ブログの更なる継続について、どうのように思うのでしょうか・・。

現在の自身としては、とりあえず5年間継続することが出来たのであれば、そこで止めても問題はないようにも思えるのですが・・(笑)。














 

2020年2月11日火曜日

20200210 スランプの時にはどのような記事を作成すれば良いのか・・

ある程度の期間、継続的にブログ記事を作成していますと、滑らかに文章が出てくる時期と、そうでない時期があることに気が付かされます。おそらく、そこには何らかの原因があるとは考えますが、それが一体何であるかについては、未だによく分かりません・・(苦笑)。


以上のことを踏まえ、おそらく今現在の私は、そうでない時期、つまりはスランプに近い状態にあるのではないかと感じられています・・(苦笑)。

また、そうした状態であるならば、特に無理をして記事作成を行う必要もないと思われるのですが、他方において、以前と比べますと比較的容易にこうした文章を作成することは出来るようになり、また、こうしてある程度書き連ねて行きますと、興に乗ると云いますか、離陸滑走する飛行機のようにフワッとどこかで宙に浮かぶと云いますか、あるいは、何らかの主題らしきものを見出し、それに沿ってどうにか書き進めることが可能になるようであり、そしておそらく、その推進力の役割を果たしているのが、通常はあまり意識していない「文体」ではないかと思われます。

とはいえ、この「文体」についても、未だ現在「自分の文体を獲得した!」と十全に意識出来たことはなく、ただ、その進歩?については、かつて自分が作成した文章の加筆修正を行う際、以前と比べ、あまり考えずに比較的無造作な感じで出来ることが、その進歩らしきものを示しているのではないかとも思われるのです・・。

そして、面白いことに、この無造作に文章の加筆修正を行っている時に、何となく、自分が手作業で研磨などの仕上げ作業を行っているような感覚を持つのです・・(笑)。この感覚もまた、ここ半年程度の比較的最近のものであり、この感覚は未だ自身の中で普遍化し得るものであるかどうか不明ではありますが、文章として著しておけば、後になり、この感覚の自身にとっての普遍性を検討することも出来ますので、とりあえず、書いておくに越したことはないと思われる次第です・・(笑)。

とはいうものの、こうした感覚が、文体の確立に関係があるのか、もしくは文章力の向上を示しているのかについては、精確には分かりかねるところですが、そうであっても、文章の加筆修正が手研磨と同程度の感覚に至るということは「文章の身体化」とも評することが可能であることから、少なくともブログ開始当初の自身と比べますと、いくらかは進歩したのではないかと思われるのです。

そしてまた、今後のいくらか面白いであろうと思われることは「こうした作業を続けてゆくと、次はどのようなことが生じるのか?」ということであり、さらに続けて「その生じることは、これまでに読んだどの著作の記述に類似するのか?」ということです・・(笑)。

文体の獲得に関しての記述は、これまでに何度か読んだ記憶がありますが、概してそれらでは「比較的明瞭な経験」とのことでした。私は、自身を鋭敏な人間ではないと考えていますが、同時に、こうした「明瞭な経験」を見過ごすほどに鈍感でもないと考えています。そうしますと、今後、何かの拍子に「文体の獲得」という明瞭な経験をするのであろうと思われるのですが、果たしてそれは何時のことになるのでしょうか・・(笑)。

ともあれ、文章があまり滑らかに出てこない、こうしたいわばスランプの時期には、上記のような自身に対する懐疑・疑問といったものを書いてみますと、一ブログ記事程度の文章にはなり、また、そこに共感し得る何か、さらには普遍性らしきものがいくらかでもあれば、それはそれでブログ記事としては、そこまで悪くはないのかもしれませんが、同時にそこには、いくらかの記事作成者の甘えといったものもあると云えます・・(苦笑)。



















2020年2月9日日曜日

20200209 ブログ掲載情報についての対話形式

A「まだ寒い日が続いていますが、風邪などをひかずに元気で過ごしていますか。」

B「ええ、おかげさまでどうにか元気でやっています。また、ここ最近は少しだけ、陽が長くなってきたようにも思います。あと1カ月もしましたら、多少は春めいてくるのではないでしょうか?」

A「うん、そうですね・・。それで、先日、君のブログには色々と宣伝が出ていると聞いたのですが、それらは何か経緯・理由があってそのようなことをしているのですか?」

B「ああ、ブログに載せているいくつかの情報についてですね・・。もちろん、それらには色々と経緯がありまして、中でも医歯薬出版株式会社様が刊行している書籍については、2年以上にわたり掲載させて頂いています。もちろん、先方会社様には了解を頂いています。それと、当ブログでの情報掲載とは関係ないとは思うのですが、この書籍は、専門書に分類されるものであるにしては奇跡的にと云っても良いほど長期間に渡って売れ続け、重版され、さらには改訂版も刊行されたとのことで出版社の方も大層驚いていました(笑)。
ですので、私のブログが、そうした現象に対して何らかの寄与があったとは思いませんが、それでも、自分のブログで取り上げさせて頂いている書籍がこのようになることは、やはり少しは嬉しいとは云えますね・・(笑)。」

A「・・ははあ、そんなことがあったのですか・・。そうした事情は通常ご自身では、なかなか分からないことだと思いますので、君のブログでの情報掲載の効果であるかは分かりませんが、それはたしかに嬉しいかもしれませんね。それと他のブログ掲載情報については、何か変わったことは起きたりしたのですか?」

B「いえ、他の掲載情報も、何と云いますか、成り行きで掲載させて頂くようになった次第でして、あまりそれらについての効果などは直接的には聞いたことがありません・・。ただ、つい先日、出張で出向いた首都圏の電車内の広告で、私のブログに情報を掲載させて頂いている一つの大学のポスターが割合大きく貼りだされていましたので、これには少し驚きました。とはいうものの、こちらの大学につきましては、それ以前から首都圏での電車内や駅構内でポスター広告を見たことがありましたので、まあ、おそらく、その流れの延長線上にあるものだとは思いますが・・。」

A「へええ、そんなこともあったのですか・・。しかし、その例では効果のほどはイマイチよく分かりませんね・・(笑)。あと、ここ最近は政治家の方の情報を掲載されているようですが、それは一体どういった経緯なのですか?」

B「・・ああ、それにつきましても、さきと同様、成り行きで掲載させて頂いている次第です。東京方面に出張に行きますと、以前からお世話になっている大学や開業されている歯科医師の先生のところへご挨拶に伺わせて頂くようにしているのですが、その話題の中で、私のブログが出てきたことがありまして、そこからの流れで掲載させて頂く流れになった次第です・・。とはいえ、これは特に悪いことではありませんし、一応、私も歯科には全く縁がないというわけではありませんので・・。」

A「ああ、そういえば、ここ最近の君のブログに掲載されていますが、おそらく、ご実家のクリニックの動画でしょうか?あれも歯科関連ですからね・・。しかし、Bさんは現在、あまり歯科とは関係のないところにいるわけですよね・・。」

B「・・ええ、以前から時折そういったことを云われることがあります。そして、たしかに私の実家は歯科関連のクリニックを運営しています。また、何代か遡ってみますと、その中には医師、歯科医師といった方々が少なからず見受けられ、また大学に残り医学部の教授になられた方も何人かいます。しかしながら、皆が皆、そうした医学研究者や開業医になっているわけでもなく、人文社会科学分野の研究者になった方々も複数いますので、私は学位こそは歯科生体材料学で頂いてはいますが、その本質はどちらかと云うと人文社会科学系であると云え、あるいは、多少大風呂敷を広げさせて頂きますと、自身の存在によって、その背景全てを統合しているのではないかとも思えるのです・・(笑)。しかし、それでも人から「医師や歯科医師になれなかった。」というような意味のことを云われますと、以前は結構凹んでいました・・。しかし、ここ5年くらいでしょうか、かなり幅が広いと云える人文社会科学系分野で、ある程度専門的なことが分かるようになることは、必ずしも医師や歯科医師になることと比べても、そこまで簡単ではないということが分かるようになりました・・。もちろん、それは自分自身についての省察のみではデータ不足であり、周りのそういった方々を見て、また、それら方々の述べるところを聞いてみて、そのように考えるに至ったわけですが・・。とはいえ、おそらく、特にこういった意見については、極めて此岸的傾向が強く、ある種攻撃性が強いとも云える我が国社会では、拒否され、さらなるイヤミを云われるのがオチなのでしょうが・・(苦笑)。しかし同時に、そうしたイヤミを云うような視座は、本当の何代にもわたる人間の営みや性質、傾向といったものへの観察や視点を欠いた、いわば近視眼的な視野に立つものであり、またそれが現代の我が国社会にて主流を成す考えであると云えますので、まあ、仕方がないのかもしれませんが、しかし、それでも、私は少なくとも、自分の考えが全面的に間違っているとは、どうしても考えられませんね・・。」

A「うーん、なるほど・・。全面的にそのご意見には肯定は出来ませんが、まあ、そういった長期間の観察に基づく意見については、我が国ではどうもベタな紋切型になってしまう傾向があり、その内容についての興味深い、血の通った議論が為されるといったこともあまりないようですので、その見解の是非については留保させて頂きます。ただ、そのBさんのご意見も大変興味深かったとも云えますね・・。」

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
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20200208 見える歴史像の倍率と分かり易さについて

先日から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、漸く全体の半分程度にまで進み、扱っている時代も19世紀後半から20世紀代に至り、自身が比較的「知っている」と思える時代に入ってきたことから、若干、読み進む速度が上がったようにも感じられます。

とはいえ、当著作は、直近に読了した同著者による「転換期の大正」と比べますと、いくらか読み進むのに手間取っていると云えます。これは、それぞれ著作を理解しつつ読み進めるのに必要とする背景知識について、自身が双方について同程度の背景知識を持っていないことに因るのではないかと考えます。

また、それに加え、双方著作で、扱う歴史それぞれの抽象度が異なることも、理解しつつ読み進める速度に、何らかの影響を与えているのではないかとも思われます。扱う歴史の抽象度が異なるということは、たとえてみますと、顕微鏡を用いて、ある物体を観察するに際しての「倍率」が異なるということに近いのではないかと思われます。

当然ではありますが、一言で「歴史」と云いましても、その動態的な様相を構成するものは過去から現在を通じ、主として我々人類であり、これを対象として「倍率」が高いということは、極限では、歴史に意識・無意識を問わず参画している、ある個人を対象とすることになると云えます。そして、この、いわば高倍率にて歴史の様相を描いたものが、伝記・評伝あるいは同時代人による日記・手記のような著作であると云えます。

こうした高倍率にて歴史を描いた、あるいは特定の個人や、ごく少人数を視座とした歴史像を眺めてみますと、その歴史像そして、そこから見出される物語に、比較的容易に入り込む・感情移入することが出来るのではないかと思われます。また、それは、そうした視座からの眺めが、読み手である我々の日常的な視座とも、大きくは異ならないからであるように思われます。

これを異言しますと、歴史を舞台として、個人や少人数集団を軸として描いた演劇や映画やドラマや小説、そしてマンガなどが、古今東西を通じて多い理由は、読み手である我々が普遍的に、そうした視座から生じる世界観に比較的容易に入り込み、感情移入が出来るからであり、そしてそれは、読み手である我々の日常的な視座とも、隔絶とは云えないほどに、大きくは異ならないからであるということになります。

つまり、歴史を対象とした観察においては、倍率を高くしますと「歴史を生きたある個人」の描写といった性質が強まり、そこから、読み手としては具体性が高まり、理解し易くなるのではないかということになります。

反対に、歴史を対象とした観察における低倍率とは、それなりに抽象的な世界であると云え、これをある程度、自分なりに理解し、さらに、さきの高倍率での観察歴史像とも、齟齬なく、関連付けることが出来る歴史観を持ち、そして、その言語による論理的な説明が出来るようになるためには、ある程度の期間の努力が必要であると云えます。

そして、こうした背景事情を敷衍したものが、まさしく、当記事冒頭に述べました、先日読了の岡義武による「転換期の大正」と比べ、現在読み進めている同著者による「国際政治史」が、多少読み進めるのに手間取っている原因として述べた「背景知識の程度」にもつながるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
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