本日の首都圏は昨日と比べ気候も良く気温も上がり、比較的過ごし易い一日でした。また先日来の風邪・体調不良のため上手く声が出ませんでしたが、ここに来てようやく回復しつつあります。
普段はあまり気にすることがありませんが、普通に声が出るということは大事なことであり、これが出来ないと日常生活においても多くの支障があることを痛感しました・・。
また、昨年の3月も風邪をひいていた記憶があるため季節の変わり目とは、体調もまた季節に合わせて変化し、そしてその影響も受けやすくなっているのかもしれません。
そういえば、当ブログを始めた時期と丁度同じ時期に帰郷しましたので、ブログと同様、あと数ヶ月にて関東地方の在住期間が三年になります。さすがに三年程度在住すると慣れたのではないかと思われるところですが、残念ながら未だに関東地方の気候風土に慣れたという実感はありません・・(苦笑)。特に冬の寒さに関しては何やら寒さの質に相違があるのではないかと思われるのです・・。
また、季節にも多少関連することですが、現在の関東地方在住時に時折所用にて地方に出向くことがありますと、大抵の場合、その地方独特の自然環境より生じた『大気』といったものを感じます。おそらくこれが地方の特性・特徴(地域性)に対して何らかの影響を与えていると思われますが、その科学的な観点からの作用機序・メカニズムは、そう簡単には理解出来るようなものではないように思われます・・。
さて他方で、そういった意味で関東地方、特に首都圏、東京では、こうした自然環境に基づく地域独特の『大気』といったものは希薄であるように思われるのです・・。あるいはそのような環境の方がさまざまな創造的活動を行うに際しては都合が良いのかもしれません・・(これは未だに疑問です)。
ともあれ、自身はこれまでに在住したいくつかの西日本地方都市の気候風土に適応した後、再び関東・首都圏に住むことになりましたので、それは無意識あるいは身体レベルから不本意と感じていることから、未だに季節の変わり目にて体調を崩すようにも思われるのです。
それ故、今後は気候が比較的温暖で温泉が多く、柑橘類がよく採れるような地域に住みたいです。おそらく自身は、これまでの経験から、そうした『大気』を生み出す地域と、身体レベルでの親和性を持つに至ったのではないかと今回の風邪・体調不良を通じて体得したように思います。
ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
近年から現在までに列島各地において発生した、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
本日の首都圏は朝からの降雨で気温も上がらず、久々に冬が戻ってきた感がありました。
今現在なお、若干病み上がり気味の自身としては、こうした日は若干辛いものがありますが、明日以降はまた天気が回復し、気温も上昇するとのことですので、それに期待しようと思います・・。
さて、本日投稿分の記事は、つい先日読了したサミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』内の記述を以って充てようと思います。さきほど改めてこの記述を読んでみますと、概ねその通りであると思うと同時に、非西欧社会である我が国の社会においては、少なくとも日常的には聞くことが出来ない意見であるように思われました・・。そしてまた、人文社会科学系分野の重要性とは、一つにそういったところにあるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?
*以降、書籍からの抜粋引用です。
集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上巻 pp.100-102より抜粋引用
ISBN-10: 4087607372
ISBN-13: 978-4087607376
『有史以来、世界の言語の分布は世界の勢力の分布を反映してきた、最も広く使われる言語ー英語、マンダリン、スペイン語、フランス語、アラビア語、ロシア語ーは現在も過去も最高の勢力を誇る国の言語であり、それらの国々は他国の人々にこれらの言語を使うよう積極的にうながした。
勢力分布が変化すると使用言語の分布も変化する。世界の各地に、「イギリスとアメリカは二世紀にわたって植民地や商業、産業、科学、金融などの分野で力を発揮し、高等教育、政治、防衛、技術などの分野ではかなりの遺産を残した」。イギリスとフランスは自分たちの言語を使うよう植民地に強制した。しかし、旧植民地の大部分は独立後、程度や成功の度合いに差こそあれ、帝国の言語ではなく自国の言語を使おうとしてきた。ソ連の最盛期には、プラハからハノイにいたるまでロシア語がリングアフランカとして使われてきた。ロシアの勢力の衰退にともない、二次言語としてのロシア語の使用も減衰していった。他のかたちの文化についても言えることだが、国力が増すと、その国の言葉を話す人が言語に関して独断的になり、他国の人びとはその国の言葉を習得しようとする。
ベルリンの壁が崩壊した直後、統一ドイツが新しい巨大な怪獣になるかと思われたころには、英語に堪能なドイツ人が国際会議でドイツ語を話す傾向が目立った。日本の経済力に刺激されて日本人でない者が日本語を習おうとしたし、同じように中国が経済発展をとげると中国語ブームが起こった。
香港では急速に英語にかわって中国語が支配的になりつつあり、東南アジアに進出している中国人が大きな役割を果たしていることもあり、それらの地域における国際ビジネスの交渉ではだいたい中国語が使われるようになっている。
他の文明に比して西欧の力が徐々に衰えるにつれて、英語をはじめとする西欧の言語が他の社会で使われる機会や、社会と社会のコミュニケーションに使われる機会は徐々に減っていくだろう。遠い将来のある時点で、西欧にかわって中国が世界で支配的な文明になれば、英語は世界のリングアフランカとしての地位をマンダリンにゆずることになるだろう。
旧植民地が独立をめざして動きだし、独立が進むにつれて、ナショナリストのエリートたちは自国の言語の使用を奨励し、またはみずから使用して、帝国の言語を抑圧するようになった。
そうすることで、彼らは自分が西欧の植民地主義とちがうことを示し、彼ら自身のアイデンティティを確認したのである。しかし独立後、これらの社会のエリートたちは一般大衆と自分は違うことを示す必要もあって、英語やフランス語あるいは西欧の他の言語を流暢にあやつることでそれを示した。その結果、非西欧社会のエリートたちは自分たち自身の社会の住民よりも、西欧人や同じエリートを相手としたコミュニケーションの方がうまくいくというような事態がしばしば見られる(似たような状況が十七世紀と十八世紀の西欧でも見られ、出身地の異なる貴族たちはたがいにコミュニユケーションはフランス語で問題なくできたが、自国の地方の言葉は話せなかった)。
非西欧社会では二つの正反対の傾向が見られる。一方では、大学レベルで英語がますます使われるようになり、資本と顧客を獲得するための世界的な競争で卒業生が効率よく働けるように準備している。他方では、社会と政治の両面からの圧力で、一般にますます自国語が使われるようになっている。』
昨今より現在までに列島各地にて生じた、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
先日来より読み進めていた国際政治学の著作上下巻を本日電車内にて読了しました。以前にも書きましたが、この分野の著作は近年読んだことがなかったため、苦労しましたが、読了してみますと、やはりそれなりの達成感を感じます。そしてまた『今後もこの分野の著作であれば、ある程度は読めるのではないだろうか?』とも思うに至ります・・(笑)。
また、振り返ってみますと、自身は概ねそのようにして、いくつかの分野での知識を積んできた自覚がありますので、現在では、これはこれで一つの学問に対する正攻法であると考えています。
また、そうした行為が蓄積しますと、次に生じるのは、一種の相転移であるのか、ある程度基礎の習得が為された言語にて書かれた同分野の著作を読解することが出来るようになるといったことであるように思われます。
また、そうした段階(相転移)を経るに際して、相応しいと思われる分野とは実証性・再現可能性が問われる自然科学系学問分野ではないかと思われます。
この段階(相転移)においては歴史・文学といった国々によって異なる知識の集積・体系を持つ学問分野では実際問題として扱い難いのではないかと思われます。
もちろん、歴史・文学といった人文社会科学系学問は一国の文化の要ではあるのですが、同時に本質的にその学問分野に付随する実証性・再現可能性などの普遍的性質をマトリックスとして他言語を学ぼうとする場合においては必ずしも相応しいものとは思われません。
くわえて、以前から指摘している我が国の全般的な性質といえる即物性・此岸性を加味して考えてみますと、より一層強く云えるのではないかと考えます。
つまり、我が国の特徴的な性質とも云える即物性・此岸性と自然科学性学問の真髄である実証性・再現可能性とは親和性があり、これは今後、更なる高齢化が進む我が国の高等教育の進路について考える上で熟慮してみる価値があるのではないかと思われます・・。
自身の考えるその一つの試案は、現今の人文社会科学系学部・学科の定員を減らし、これまで専門学校・短期大学・大学のルートが併存している医療・介護資格養成校を全面的に四年制大学化し、そこでの専門教育に含まれる知識の普遍的性質を基軸として他言語を効果的に習得することが出来る仕組みを構築することです。
そして、そうしたことがある程度出来るようになれば、自然と身に着いた習性にて歴史や文学などの著作を楽しむことが出来るようになるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
そういえば、本日読了した著作はサミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』上下巻であり、大変興味深い著作であったことから、後日、特に興味深いと思われた記述を抜粋引用してみようと考えています。
また当著作内で東アジア、我が国についての記述は、現在であっても当て嵌まる部分が多いように思われますので、興味をお持ちの方は是非御一読をおススメします。
近年より現在に至るまでに列島各地において生じた、もしくは今現在も継続している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
*ChatGPTによる改編文章
先日より読み進めていた国際政治学の大部な著作を、本日電車内にて読了いたしました。近年この分野の書物を読む機会がなかったため苦労しましたが、読了後には一定の達成感を覚え、今後も継続的に読解できるのではないかという感触を得ました。
振り返れば、私はこれまでも未知の分野の著作を読み切ることで基礎を習得し、徐々に理解の幅を広げてきました。この過程は、一定の段階に達すると理解の質が飛躍する、いわば「相転移」と呼べる現象を伴います。そして、この相転移が最も生じやすいのは、実証性と再現可能性を基盤とする自然科学系の学問であると考えています。自然科学は普遍的な言語構造を持ち、国や文化による解釈の揺らぎが少ないため、他言語での習得にも適しています。
一方、歴史や文学などの人文社会科学は、各国固有の文化的前提を伴うため、普遍性を基軸とした言語習得には必ずしも適していません。我が国の文化的特質とされる即物性・此岸性を踏まえても、自然科学の普遍性は高等教育の再構築において重要な鍵となると考えます。
私が提案したいのは、人文社会科学系学部の定員を適正化し、医療・介護資格養成を目的とする教育機関を四年制大学に統合することです。四年制大学において、医療・生命科学を基軸とする普遍的な知の体系を学び、その延長として他言語を効果的に習得できる仕組みを整備すべきだと考えます。基礎的な普遍知が定着すれば、その後に歴史や文学に触れることも自然な知的営みとして成立するはずです。
本日読了したサミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』は、東アジアと日本の位置づけに関して、多くの示唆を含んでいました。刊行から年月を経た現在においてもなお有効性を保つ指摘が多く、改めて精読する価値があると感じました。後日、特に注目すべき箇所を引用・紹介する予定です。
最後に、近年相次ぐ地震・水害・火山噴火などにより被害を受けた地域の復興と、安全の確保を心より祈念いたします。
当ブログを始めた詳細な時期に関しては、これまであまり気に留めていませんでしたが、気になりましたので、さきほど調べてみますと、最も古い記事は2015年 6月22日投稿のものでした。そうしますと、今年の同日まで記事作成を行うと丁度3年間記事作成を継続したことになります。以前から目標として述べている1000記事の投稿はもちろんですが、それと同時にさきの3年間の記事作成の継続もまた、出来れば達成してみたいです。
他方、以前より読み進めている国際政治学の著作が、残り数十頁ではあるものの昨今の体調不良のため若干停滞気味ですので、とりあえずはこれを読了し、そして著作文中にあった面白い記述を抜粋引用しブログ記事としてみたいと考えています。
この著作を読むにあたり、近年、国際政治学関連の著作を読んでいないため、それなりに苦労しつつも読んでいますと、これまで知らなかったことが種々書かれており勉強になります。また、あくまでも感覚的なことではありますが、一つに我が国の社会全般において不足しているのは、こうした種類の認識ではないかとも思われるのです・・。
つまり、『ある程度シリアスに世界が我が国をどのように見ているか』といったことですが、おそらく明治時代以前の我が国とは、それを気にせずに、ある程度までは充足していた社会であったことから、それが本来の姿であるのかもしれませんし、また、その時代においてはたしかにそれで良かったのかもしれませんが、しかし現在とは、たとえ社会全般がさきの本来の姿に戻りつつあるとしても、その一方では、さまざまな情報が国際レベルにて日常的に行き来している社会でもあるのです。
つまり新聞・テレビなどに頼らなくとも、インターネットにより、ある程度精確に、その国の傾向・特徴(民度も)などが分かってしまうのです。しかし、そうであっても通常では考えられないような行動をしてしまうことが、自身をも含む我が国全般としての特徴ではないかと思われるのです・・。
そして、それがそうしたことを論点として他国より指摘・糾弾されますと『内政干渉だ!』とばかりに反論をするのは、それこそ論点をずらしているのではないかと思われるのです・・。
こうしたことは、さまざまなことに適応することが出来ると思われるのですが、特に強く感じるのは我が国の一部のアイドルやアニメに対してです・・。
自身はそれを憎むわけではありませんが、たしかに一面において我々日本人には、ある種の本能に基づく欲求をあまり隠すことなく、そしてアイドル・アニメなどといったカタチとしてその欲求を何かしらの文化にまで洗練・昇華した気にはなっているものの、傍目にはその本質は何ら変わっていないといったことが往々にしてあるのではないかと思われるのです・・。
本能に近い原始的な欲求に基づいた文化コンテンツばかりが(まさに)商業的に量産され、また、そうしたものが何の違和感もなく・憚ることもなく社会に受け入れられ、繁栄している社会・国とは、やはり傍目から見ますと、少なくとも尊敬に値する文化水準にあるとは見做されないように思われるのですが、さて如何でしょうか?
それでも私は自身と同様、今後の我が国に期待しています。
現在までに列島各地にて発生した、もしくは今現在も継続している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5
今回の記事投稿により総投稿記事数が930に至ります。そして今月内あと10記事の投稿により1000記事まで残り丁度60記事(2カ月分)となります。また、先日来の風邪による体調不良を考慮し明日は記事作成を休みます。どうぞよろしくお願いします。
さて、本日の首都圏は日中気温が上がり比較的暖かでしたが、陽が落ちてからは急激に寒くなったため早々に引き返しました。ここ数日くらいでしょうか、街なかを移動していますと少し雰囲気が変わっているように思われます・・。それは以前にもブログ記事にて書いた2012年夏頃に隣国元首が我が国固有の領土に上陸した時とどこかしら似ているように思われます・・。
あるいはこれを別言してみますと、所与・既成に近いものであった権威・価値観に亀裂が進展しているといった感じであると云えます。こうした時期とは表面上は静かではあるのですが、そうであっても、これは何らかの相変態が生じつつもグラフ上ではプラトーな時期のようなものであると思われます。そして、その先に新たな展開があるのでしょうが、何れにせよ今後も注視して行きたいところです。
しかし、自身をも含め、何らかの普遍的な正義の源泉・正典といったものがない社会とは、一度権力の座に就き、そしてそれが安定しますと、何と云いますか一種の万能感らしきものを無意識ながら自身あるいはその属する勢力に対して感じ得るようになり、そしてそこから徐々に行き過ぎが生じ、結果、社会からの非難を惹起させるといったメカニズムがあるように思われます・・。
あるいは、こうしたメカニズムとは我が国のみならず、伝統的な正義の源泉・正典となる宗教がある国々においても同様であるのかもしれませんが、程度の問題として、それは宗教の存在により、ある程度緩和される性質があるのではないかと考えます。
また『我が国とは良い時にはトコトン良いが、悪い時はトコトン悪い』といった意見をこれまでに何度か聞いたことがありますが、これも、さきの我が国社会にて正義の源泉としての宗教が存在しないことにある程度関係しているのではないかと思われますが、如何でしょうか?
とはいえ、今後我が国全体が考えを改め、宗教を持つようになるとは思われないし、また、それが良いとも思いませんので、このままで行くのでしょうが、それでもなお我が国の社会全体が(健全な)活気を取り戻して欲しいと考えていますので、そのための穏便な施策として、老若男女より多くの人々が能動的にさまざまな文学作品を楽しめるような環境・仕組みがあれば多少事態が良くなるのではないかと考えています。また、これは医歯薬理工系の高等教育においてこそ特に取り入れてみる価値があるのではないかと考えます。ともあれ、ここで大事なことはあくまでも『能動的に』ということであり、我が国はかつて欧米的な近代化に遅れをとったという経験を現在に至るまで引き摺り、何らかの施策を行うに際し、その施策を施される側の能動性をほぼ無視して行ってきたことが、現在に至り種々たたっているように思われるのです・・。
おそらくそれは1930年代あたりの我が国社会においてもまた同様であったのではないかと思うところですが、さて如何でしょうか・・?
また、今更書くまでもないのかもしれませんが、そうしたメカニズムについては100年以上前から夏目漱石が述べてきたことでもあるのです・・。
それでも私は自身と同様、今後の我が国に期待しています。
現在に至るまでに列島各地において生じ、もしくは今現在も継続して生じている地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5
本日の首都圏は天気は終日雨模様でしたが、気温は以前に比べて寒くはなく、病み上がりの自身としてはそこまでひどい一日ではなかったように思われました。
とはいえ、未だ体調が本調子ではないことから、本日も出来るだけ記事作成を早めに済ませて休もうと考えています・・(笑)。さて、昨日は体調不良の中、記事作成を行ったにも関わらず多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
また、そこで述べた『ある程度普遍性を持つ思想・哲学と、個人の心情との中間にある文章とも云える文学とは、おそらく理系・文系問わず、おそらく文字・文章を用いる全ての学問分野においてマトリックスとなり得る重要なものではないか?』ということは、あながち間違いではないものと考えますが、如何でしょうか?
そして、そのように考えてみますと、以前関与した歯科衛生士の教養科目の一つに和歌・短歌があったことは、当時は『この科目が歯科衛生士の職務の何に役立つのか?』と疑問を抱いていましが、さきのハナシより敷衍してみますと、それはそれでスジが通っているようにも思われるのです・・。
また、そう考えてみますと自身が文系院以来より読んでいる谷川健一の著作の多くに南九州・沖縄の民俗文化が記されていることにも、ある種の必然性のようなものがあったのではないかと思われてくるのです・・(笑)。
ちなみに、当ブログも含めて自身の作成する文章に対して『昔っぽい・古めかしい』といった評価を頂くことが時折ありますが、このことも、全く卑下するわけではなく、自身が南九州に在住したことに端を発するものと考えます。
そしてまた、そのように考えてみますと、日本語とは、全般的にその語彙の多くが南方アジアに求められ、それに対して文法は北東アジアにあるといった、ある程度一般的な見解にも整合性を見出すことが出来るようにも思われるのです・・。
これは今現在ではあくまでも感覚的なことではありますが、今後も何かしら書き続けることにより、もう少し明瞭に分かるのではないかと考えます。
また、それに多少関連すると思われるのですが、先日所用にて自身がかつて作成した文書を知人にお渡ししたところ『それに書いてある内容を理解出来る。』と割合強調して云われたことであり、それはかつての専門分野の実験に関するものであり、くわえて、その知人とは実験内容に関しても当時から色々と話し合っていましたので『それは、ごく自然なことでは・・』と返答しましたが、案外とハナシの要点はもう少し違うところにあったのかもしれません・・。
また他方で、子供の頃に周囲の大人達が英論文や洋書などを読んでいるのを見て『何でそんなものを読めるのか?』と不思議に思い尋ねたところ『なあに、自分の専門分野について書かれたものなら自然に読めるようになるよ・・』とごく普通に返答されていたことが思い出されます。
これは現在になってみますと、たしかにその通りであったと云えます・・(笑)。
しかし自身の場合、歯科理工学にてそうした経験を経て以来随分と(観念的にも物理的にも)流されてしまったように思われますが、それは当時の事情を考慮すれば仕方のないことであったようにも思われるのですが・・。
とはいえ、目下のところは、現在読み進めている件の国際政治学の著作を読了し、以前より読み進めて現在停滞気味であったYuval Noah Harari著『Sapiens: A Brief History of Humankind 』を再度読み始めようと思います・・。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
近年より現在までに列島各地にて発生した、あるいは現在も継続して生じている地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模な自然災害により被災された(されている)諸地域の安全の確保そして復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5
本日の首都圏は天気も良く、日中気温が上がり比較的過ごし易かったと思われます。
昨日投稿分の記事にて書いたとおり現在風邪気味であり、本日は大事を取り遠出は避けました。
このような、ある程度の外出を行わない日とは、刺激が少ないことから記事への着想が乏しく、その一方で、とりあえずは記事作成を行おうと現在取り組んでいます・・(苦笑)。
また、こうした日にこそ、書籍からの抜粋引用を記事とすれば良いのではないかとも思われるのですが、しかしながら、未だこの先1000記事に到達出来るか分からない現在の状況にて、書籍からの抜粋引用に頼るのは、まだ早いのではないかとも思われるのです。
それ故、書ける時には、たとえ着想がその時に得ることが出来ていなくとも、書きはじめれば、何かしらの着想は湧いてくるのではないかと信じて書き始めることが案外と大事であるのかもしれません・・。
また、本当に何も書くことが出来ない状態とは、文章の書き始めも全く出来ない状態であり、そうした状況下では書籍からの抜粋引用とは、端的に表現しますと記事数を増やすのには大変有効であり、さらにその内容も多少は書籍を読んできた自身が興味深いと思われる箇所ですので、大抵の自身の作成した記事と比較して面白いと思われますので、折角ここまで来ることが出来たのであれば、非常手段としておいた方が良いのではないかとも思われるのです・・。
それでも、本当に面白く・興味深く感じ、記事にしたいと感じた記述に関しては決して上記の限りではありませんが・・(笑)。
ともあれ、こうした半ば相矛盾する主張と思われることを、どうにか両立させることにより、これまでの記事作成を継続することが出来たとも思われますので、自身も含め個々人のこうした心情・情緒に近く、思想と表現するには微妙な領域にあるものとは、思いのほか重要であり、またそれが普遍性にて精製・ろ過されることによって思想・哲学と称されるものが出来るのではないかと思われます。
こうしたことは、抽象的、観念的ではあるのかもしれませんが、同時に宗教を持たない我々日本人にとっては特に大事なことであるように思われるのです・・。
そして、それ故に、こうしたことを文章化してブログ記事とする『意味』といったものも、おそらくわずかではあれ、あるのではないかと思われます・・。
また、ハナシは変わりますが、おかげさまで体調不良にて作成した昨日投稿分記事は多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。そして、そこで述べた我が国高等教育に対する『医療・介護系の学科を増員・増設した方が良い』という考えは基本的に変わりませんが、それに追加して、これまでに述べたことを加味しますと、大学の医療・介護系学部・学科にて履修・習得が必須の普遍的な人体・医学に関する科目と共に、さきの心情・情緒と思想の中間領域を代表する文学を出来るだけ能動的に学ぶことが出来る仕組みのようなものがあれば長い目で見て有益ではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか(私はそうしたことを仕事としてみたい・・)。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨今より現在に至るまで列島各地において生じた、あるいは現在も継続して生じている地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模な自然災害により被災された(されている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5