2017年5月25日木曜日

20170525 意見統一の早さとその内容について思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】

既投稿の記事で、多くの閲覧者を得た記事を紹介する記事は時折作成してみると良いのかもしれません・・(笑)。

さて、ここ最近は人と話していても、その人がどちらかといえば保守的な考え方であったとしても、社会におけるさまざまな価値が混乱していると認めることが多いように思われます・・(まだまだNは少ないですが・・)。

あるいは、こうしたことは通常であっても都市部において、より顕著に認められることである(価値の新陳代謝が激しい)と思われますので、現状とは、それに拍車が掛かってきているということになるのかもしれません・・。

そして、その原因の一つであったのか、あるいは結果であったのか分かりませんが『とりあえず表層さえ良ければいい』といった野狐禅的ともいえる考えが(特に都市部、首都圏において)普通、自然となっているように思われます・・。

無論、自身においても、そのことに無縁ではなく、正直なところこの記事を書いていても、多少身につまされるものがあるのですが・・(苦笑)。

また、おそらく社会のある部分においては、変わることなく、脈々と続いている文化といったものも少なからずあるのでしょうが、一方、大々的な宣伝、広告活動が為される都市部、首都圏においてはマスメディアと、そうした広告主企業が連携協力(結託)して、さきに述べたような価値の混乱、そして『表層さえ良ければ・・』といった、見方によれば活気はあるものの、いささか上滑りな一連の文化を惹起、助長しているようにも思われるのです・・。

とはいえ、昨今こうしたことは各方面においても見受けられることであり、あるいはこうした各方面での一連の現象とは聊か短絡的であるかもしれませんが、スマートフォンの普及と何かしら関連があるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・?

つまり、スマートフォンの普及した国の社会において周辺国際情勢が緊張すると『より速い速度にて』国内社会における国粋的、排外的傾向の増大、凝集といった現象が認められるようになるのではないでしょうか・・?

そして、それはスマートフォンの普及により増大、凝集といった『我々の内面における動的要素』は早くなるものの、同時にそれは活気はあるものの、いささか上滑りなものとなってしまうのではないかとも思われるのです・・。

そして、ここまで書いており不図想起した文章がありましたので、以下にそれを示します・・。

筑摩書房刊 丸山眞男著 「忠誠と反逆」pp.110-111より抜粋引用


ISBN-10: 4480083987

ISBN-13: 978-4480083982

『内面的な被縛感およびそれと不可分に結びついた忠誠の自発性が、忠君愛国象徴の普遍化に比例して弛緩し、体制への大量的なコンフォーミティが造出されるようになった日露戦争頃を境として、青年層とくに知識青年層の「遼陽の大激戦よりも寧ろ壮士芝居の評判に多く心を動かす」気風(徳富蘇峰)、「国家よりも個人を重んじ、政治家よりも俳優を志望する」傾向(三宅雪嶺)がいたるところで語られるようになった。
蘇峰が「憂ふべきは非戦論者にあらず無戦論者なり」として、「吾人は今日生噛りのトルストイ論を受け売りする輩に与せずと雖も、彼等は少なくとも眼中国家あり。
・・聊か与に談ずるに足るを認む。
但だその国家存亡の大事を余所に見て、何等の喜憂を覚えざる、無頓着の輩に至りては、殆ど済度の途に窮せざるをず。
・・・知らず、現在の青年に果たして此の無戦論者無きを証言し得る者ある乎」(「青年の風気」明治三十七年九月)といっているように、こうしたアパシイはまぎれもなく忠誠と反逆との双方からの隠退にほかならなかった。
しかしその由って来るところがどこにあるかは、自由民権的発想の「旧時代性」を指摘し否定することからその「平民主義」を発足させ「将来の日本」を展望した蘇峰によってではなく、かえって三宅雪嶺などの「伝統主義者」によって鋭く認識されている。
すなわち雪嶺は、「国家を無視するの思想の蔓延」憂慮する者が「大抵防止の方法として愈々益々教育勅語を普及すべしと」いうけれども「事実に於いて、勅語の奉読の、徒に形式に流るる」点を衝き、むしろそうした「冷国家」「熱個人」(蘇峰の表現ー前掲論文)の傾向こそ、明治政府が数十年前に、「民権運動の頓に興隆し、之に気勢を添ふるの青年になるより、苟も学校に奉職し又は在学する者は、決して斯かる運動に加はるべからざる旨を訓令し、尚ほ自由民権に類する思想を教科書より除かしめ」るといった教育方針が漸く結実したものである、「権力者は教育の心得のある凡物を使用するの便利を覚え、権威を仮して教育家を支配せしめ、予期の如く平穏無事なるを得たるも」結局「ニ三十年を経て予想以上の結果」をもたらすことになったと指摘した(「国民思想の頽唐を防ぐの便法」『想痕』大正四年、所収)。

今回も、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」



2017年5月24日水曜日

20170524 これまで5月内で最も多く読まれた記事について・・

A「昨日分の投稿記事は思いのほか多く読まれており、少し驚きました。

さて、今月も後半に入ってよりしばらく経ち、もう間もなく6月となりますが今月5月にて最も多く読まれた記事は5月5日投稿分の『再び荷物の整理をしていて思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】』であり、次に多く読まれていた記事との差はあまり大きくありませんでしたが、ともかくそのような結果となっております。

おそらくこの記事は記事後半の書籍からの抜粋引用部が興味を惹いたのではないかと思われますが、たしかに、ここで述べられているような考えとは、おそらく我が国において少なくとも広くは認知されておらず、また現今の社会情勢においてもより一層、高等教育≒職業教育の傾向が強まってきているものと考えます・・。

とはいえ、それは社会の趨勢であり、それに対しあくまでも反対し続けるのも実際問題としては困難であると思われますので、たとえば、高等教育における医療・介護科目あるいは技術科目の選択必修化といったことは、自身の経験から、あながち悪いことではないと考えます・・。

何故ならば、我々人間とは、実際に手を用いる何らかの継続的な作業を通じて、より、その思考、思想が練れてくるのではないかと考えるからです・・。

つまりは、そのような実際の作業経験を通じ理系学問に対して興味が湧く方もいるであろうし、一方、そこでの経験から文系学問への興味が加速する方も少なからずいるであろうということです。
おそらく、作業経験が理系あるいは文系学問への能動的な興味に発展するのかとは、その個々人の基層にある天然の資質にかかっているものと考えます。

そして、当然ではありますが、そこには本質的には学問間の上下関係はありません・・。

そこではじめて、さきに挙げた記事抜粋引用部のミルの主張および同著者の文章を引き論を進めた福沢諭吉の精神とも、どうにか折り合いがつくのではないかと思われるのですが、如何でしょうか?

とはいえ、そこで重要なことは、それら科目群【医療・介護・技術】が必修になる場合において、能動的な興味を惹起させずにそれらが単に創造的回避、処理の対象としてしまってはいけないということです・・。

【小林秀雄が『教育とは、教育者が現れることだ』とどこかで述べておりましたが、それはこうした意味もあるのかもしれません・・。
また、このことは高等教育のみならず、どの教育段階においても共通して云えることではありますが・・。】

おそらく、近代以降の我が国の教育制度とは、その早急な近代化、西欧化を推し進めるあまりに、制度、カタチの輸入、定着ばかりにこだわり、その持続的な発展性、持続可能性についてはあまり考えてこなかった、考える余地がなかったのではないかと思われることがあります・・。
【こうしたことは軍隊教育を具体例として述べられることが多い。】

そして、その悪弊とは、戦後期においても受け継がれた結果が現在のあまり芳しくない諸状況ではないかとも思われます・・。

そういえば、ここまで書いており不図思ったことは、先日読了した増田俊也著『七帝柔道記』の登場人物たちのハビトゥスは福沢諭吉著『福翁自伝』のそれに近いのではないかということです・・。

興味を持たれた方は是非読み比べてみてください・・(笑)。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」





20170523 迷信ではないと考えますが不可思議な現象:集合的無意識・シンクロニティー

本日も若干帰宅が遅くなり、日をまたいだ現在【24:22】より記事作成を開始しております。

また、さきほど気が付いたのですが、昨日の記事投稿によって総投稿記事数が630に到達しておりました・・(笑)。

そしてあと残り20記事にて600記事から700記事到達までの路程の半分に至るわけですが、おそらくそれは来月6月中には達成することが出来るのではないかと思われます・・。

さて、つい先日、文系の師匠より届いた封筒に先月刊行された書籍の序論部が掲載された冊子、別刷が同封されており、本日これを読了しました。

この書籍は主に歴史、国際政治について書かれたものですが、その序論部においては歴史の定義、語源よりはじまり、如何なる経路によって各国が保持する固有の歴史認識がさまざまな国際間での摩擦の原因となっていくかが述べられており、ある意味タイムリーであると思われました・・。

また、それに加えて、これまでに自身が作成したブログ記事においてもいくつか、歴史あるいは歴史認識を主題としたものがありましたのであるいはそれに対する一種の反応、返答であったのかもしれません・・。

また、こうしたことを書いており不図思い出されることは、これまでに開催された勉強会において、発表内容は各々に任され、また、その発表内容について互いに相談することなどないはずであるのに、それぞれの発表内容が関連していたり、あるいはその骨子部分となる論理のメカニズムに類似性が認められたことです・・。

勉強会後にこれを不思議に思い、他の出席者である知人に聞いてみたところ「ええ、それはたしかに不思議かもしれませんね、しかし、そういったことはあまり珍しいことでもないと思いますよ・・。」と、いたって平静な口調で返答されました・・(笑)。

こうした不可思議ともいえる現象がいかなるメカニズムにて生じるのか分からず、あるいはそれ以前に発表された内容などの間に類似性を看取する自身の感性の方が少し普通ではないのかもしれないとも考えましたが、こうしたことを疑いはじめますとキリがなく、本当に普通ではなくなりそうでしたので、自身の日常的な感覚を信頼し、おそらく、こうした現象の背後にあるものとはユング心理学でいうところの集合的無意識、シンクロニティーによるものではないかと結論付けることにしました・・(笑)。

とはいえ、たとえその現象が集合的無意識から生じるシンクロニティーと称されるものであったとしても、それが何故、如何なるメカニズムにて生じるのかとは、依然分からず、また、おそらく今後も明瞭、論理的にこれを理解することは出来ないのではないかと思われます・・。

一方、あくまでも私見ではありますが一つ思うことは、こうした現象は、何かしら創造的な作業に熱中し、打ち込んでいる時期あるいはその直後の時期にどうも生じ易いのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した一連の地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


2017年5月23日火曜日

20170522 「ジレンマ・悩み」と「慎重さ、思慮深さ」について対話形式

A「本日の首都圏は日中気温も上がり、夏日といっても良い日でした。
地域によっては30℃以上にもなったとのことから、本日は全国的に夏日であったと思われます。

また、自身に関しては帰宅が若干遅くなったことから、本日に関してはブログ記事作成を断念しようと思いましたが、何かしら書いておかないと、多少多少気が咎めることから、現在、日をまたぐ寸前ではありますが、記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。
習慣とはなかなか恐ろしいものではありますが、今後もし他の文書等の作成により記事作成を断念する必要がある場合は、躊躇なく記事作成を断念したいと考えております・・(笑)。

そして、本日に関しては対話形式にて記事作成を行います・・。

A「どうです、最近何か変わったことはありましたか・・?」

B「いえ、特にありませんが、また幾つか応募してみようかという公募職種を見つけました。」

A「はあ、そうですか・・それで、その職種とはどんなものですか?」

B「ええ、今回見つけましたのも大学でのコーディネーター職です。
もしかしたら、ここ最近こうした職種の必要性が高まってきているのかもしれません・・。
とはいえ、その職種が自身に合っているのか、再度応募要項、職務内容等をよく読んでみて応募すべきか考えることにします。」

A「・・しかし応募しないことには何も始まらないけれども、一方で、そのあたりはとても重要ですからね、それでもこれまでの経験でBさんも御自身のことが以前よりかは、よく分かってきたのではないですか・・?」

B「・・まあ、たしかにそれはそうなのですが、しかし私の場合は御存知の通り何の因果か、これまでにいくつかの分野、職種を横断してきましたので、他の方々に比べた場合、何といいますか、未だに自身の『専門分野』というものが我が事ながらよく分からない、分かっていないのではないかと思うことがあるのです・・(苦笑)。
とはいえAさんの仰る通り、それらには応募しなければはじまりませんので、その相反する要素【応募しなければはじまらない:自身のことがよく分からない】が自身の中で何とも云えないジレンマらしきものを引き起こしているのではないかと思われるのです・・。」

A「しかしそれは何でも新たなことにチャレンジする時は皆そのような感じではないですか?
はじめから進む方向や答えが分かっていれば、そうした悩み、ジレンマは感じることはありませんが、同時にそうであれば、そこに進化、発展といったものは無いのかもしれませんよ・・(笑)。」

B「ええ、それも仰る通りではあると思いますが、しかし実際に応募する側の立場からしますと『見つけたら、ただ応募すれば良い』といったものでもなく、実際は意味のないことであるかもしれませんが【どうしても】色々と考えてしまうのです・・。何故ならば、それは、自身の職務、自身の人生の方向を変えるものとなるかもしれないですので・・また、私ももう、決して若いとは云えない年齢ですからね・・。
そして、このことに関しては確かに以前よりかは多少は慎重にはなったのかもしれませんが、同時にその慎重さとは、さきほどの悩み、ジレンマと比例して随伴するものではないかとも思われるのです・・。
またその一方で、自身の将来について考えた場合、こうした大学での職種に就き、わずかではあるかもしれませんが、何らかの寄与が出来ること以外、あまり想像することが出来ないのです・・。」

A「・・はあ、そうですか、そうした悩みとは確かに多少は深刻ではあるのかもしれませんが、しかし、そのような感じで考え込むことが出来るのも、さまざまな意味で現在であるからこそ可能なことであるのかもしれませんよ・・。
ですから、とりあえず現在は、そうした悩みから逃げることなく、大事にして、粘り強く応対し続ければ、どのようなカタチであれご自身で納得のいく答えを得ることが出来るのではないでしょうかね・・。」

B「・・そうですね、おそらく多少時間がかかるかもしれませんが、それ以外に有効な解決方法はないのかもしれませんね・・。
また一方で、こうしたことはあわてても仕方がありませんですし・・。」

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域にて発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」










2017年5月22日月曜日

20170521 昨日購入した小説から 【文章から滲出するものとは・・】

本日の首都圏は日中気温が上がり、夏日といっても良い陽気でした。

また、昨日購入した小説も半分以上まで読み進みました。
途中幾つかの箇所にて目頭が熱くなり、身体が火照るのを感じましたが、昨日も書きました通り、小説の読書を通じて、こうした感覚を得ることは久しくありませんでしたので、これは名著、名作であると私は思います・・。

また同時に、あくまでも自身の経験に基づくことですが、この感覚は、昨今世間にて話題となり、各種メディアにて取り沙汰されていることから書店にて立ち読みした幾つかの小説からは得ることが出来なかったものであり、おそらく、それら作品の間には何らかの違いがあるのではないかと思われます・・。

そして、そうした作品間の『違い』から生じることについて、もう少し考えてみますと、その一つの大きな要素とは読者層ではないでしょうか?

たとえば、現在我が国が世界に誇るノーベル文学賞候補ともなる作家の読者層と、冒頭に挙げた作品の読者層とは明らかに違うのではないかと思われます・・。

あるいは両生類をして戦後以来の我が国社会を寓話化した傑作とも云える著作を著し世に問うた作家の読者層とも、冒頭の作品の読者層とは微妙に異なるのではないかと思われます・・。

もしくは、さらに端的に、記事冒頭に挙げた作品を著した作家は、何と云いますか一般的な意味での『女性受け』を考えず【主要登場人物に女性が極端に少ない】に、あるいは、ただただ御自身の経験されたことを小説化しただけであるのかもしれません・・。

とはいえ、そのことから作品内での描写は優れ、同時にノンフィクション作品、ルポタージュとはまた異なった【当事者が語ることによる】迫真性を文章にもたらし、読む者に対し畏怖、感動、喜びといった情動の伝達を可能ならしめているのではないかと思われます。

そして、ここまで書いており不図想起したことは、奇しくも、この要素【当事者、経験者が書くことにより文章に迫真性をもたらし、それが読者に対して何かを伝達する】とは、以前投稿のブログ記事において書いた歴史小説、歴史を扱った著作への自身の考えとも通底しており、さらにそれは以前、自身のブログ記事について尋ねた方が「鹿児島での経験を書いた記事に割合面白いのが多いです。」と返答されたことにも共通する何かがあるのかもしれません・・。

相手の顔、態度が見えない文語、文章ではあっても、そこから感知される情報の信憑性、真偽などは、読み手によっては【ある程度】精確に伝わってしまうものであるのかもしれません・・。


とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した一連の地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。







2017年5月21日日曜日

20170520 新たに読み始めた小説から・・能動性と継続について【書籍からの抜粋引用あり】

本日は所用のため市ヶ谷~神保町方面に出向き、さきのブログ記事にて書いた夢野久作著「犬神博士」以来の新たな小説を購入しました。

この作品は以前から話題になっていたものと聞かされ、本日書店にて立ち読みしてみたところ、たしかに面白いと思われたため、購入に至った次第ですが、この作品の面白さとは、これまでに読んだ小説のなかでも特異なものであり、また大変読み易いため、読後3時間程度にて200頁ほどまで読み進むことが出来ました。

とはいえ、そのためか、アタマの中は未だボーッとし、意識の半分程度は作品のなかにあり、正直なところ、本日はブログ記事の作成を止め、この作品を読むことに集中してみようかとも思いましたが、同時に、その作中に描かれている『何かを継続することの大事さ』といった意識が励起され、本日分の記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。

この作品を読んでいて思い出すことは、自身もかつて部活動にドップリ浸かっていたことです・・。
また、この時期の記憶とは現在となっては、随分と縁遠いものとなっていたと感じておりましたが、やはり、そうした記憶とは、失われるものではなく、何らかの契機、刺激により、思い出すことが出来るようです・・。

そこから、小説をも含め文章を読むということには、その内容を感じつつ【自然に】記憶するのと同時に、自身の記憶に対し刺激を与え、想起の契機を与えるといったデュアルな意味合いがあると云えます・・。

また、勉強や研究などの本質もそうしたところにあるものと考えます。

それ故に、そうした行為とは継続が大事であり、また、ある程度継続して行っておりますと、何と云いますか、それが自転するようになり、あまり痛痒を感じずに、そうした行為をすることが可能になってくるのではないかと思われます・・。

そして、我々の社会において一般的に『本を読みなさい』と云われるその主たる理由とは、あまり明確に語られることはありませんが、こうしたところにあるものと考えます。

とはいえ、本を読むという習慣とは、本来、徐徐にそして能動的に得ていく、あるいは身体化されるものであり、決して人に云われたり、指図されたり、もしくは功利的な目的によって得られる、身体化されるようなものではないと考えます・・【このことも部活動に類似しているかもしれない】。

また、近代以降より現代に至る我が国において、さきに挙げた読書と同様『良い』とされる、さまざまな行為の根本における価値や意味といったものとは、どうも【浸透し易く、分かり易くするためか?】『経済功利的な目的一色』にて染め上げてしまっているようにも思えるのです・・【そうした目的によるものは厳密には能動性に基づくとは云えないと考えます・・】。

そして、これはおそらく現代においても高く評価されている明治日本において脱亜論および学問、特に実学の重要性を説いた思想家、教育家の考えに則していると思われがちですが、おそらくそれは間違いです・・。

さて、そこで以下に書籍からの抜粋引用を示します。

慶應義塾大学出版会刊 福澤諭吉著 「文明論之概略」pp.74-75

ISBN-10: 4766416244

ISBN-13: 978-4766416244

『又英国の学士「ミル」氏著述の経済書に云く、或人の説に、人類の目的は唯進で取るに在り、足以て踏み手以て推し、互に踵を接して先を争うべし、是即ち生産進歩のために最も願うべき有様なりとて、唯利是争うを以て人間最上の約束と思う者なきに非ざれども、余が所見にては甚だこれを悦ばず、方今世界中にてこの有様を事実に写出したる処は亜米利加の合衆国なり。
「コウカス」人種の男子相合し、不正不公の羈軛を脱して別に一世界を開き、人口繁殖せざるに非ず、財用富饒ならざるに非ず、土地も亦広くして耕すに余あり、自主事由の権は普く行われて国民又貧の何物たるを知らず、斯かる至善至美の便宜を得ると雖も、その一般の風俗に顕れたる成跡を見れば亦怪しむべし、全国の男児は終歳馳駆して金円を遂い、全国の婦人は終身孜々としてこの遂円の男児を生殖するのみ、これを人間交際の至善と云わんか、余はこれを信ぜずと。
以上「ミル」氏の説を見ても亦以て合衆国の風俗に就き其の一班を窺知るに足るべし。
右所論に由て之を観れば、立君の政治必ずしも良ならず、合衆の政治必ずしも便ならず。
政治の名を何と名るも必竟人間交際中の一箇条たるに過ぎざれば、僅かにその一箇条の体裁を見て文明の本旨を判断すべからず。
その体裁果して不便利ならば之を改るも可なり、或は事実に妨なくば之を改めざるも可なり。
人間の目的は唯文明に達するの一事あるのみ。
之に達せんとするには様々の方便なかるべからず。
随て之を試み随て之を改め、千百の試験を経てその際に多少の進歩を為すものなれば、人の思想は一方に偏すべからず。』

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」




2017年5月20日土曜日

20170519 「具体的な事象の文章による写生」と「抽象的にして分かりやすい文章」

A「本日は若干帰宅が遅くなりました。現在【24:46】より記事作成を開始するのも、いささか面倒ではありますが、とりあえず書いていくうちに何かしらの着想も生まれるであろうと考え、記事作成に取り掛かった次第ではありますが、どうやらそこまで簡単には行かないようです・・(苦笑)。

さて、本日も五月らしい陽気でしたが、この時期ですと南紀の場合は既に海開きが為され、また更に南の鹿児島では汗ばむほどの陽気であったように記憶しております・・。

このように思い出してみますと、鹿児島では年間を通じて、汗ばむほどの陽気の時期が長く、現在に比べて盛んに発汗していたように思います。

また、定期的に温泉に浸かっておりましたので、これも良い発汗作用をもたらしていたと思われます。

そして、こうした気候風土に慣れ親しんだ後、突如、関東、首都圏に戻り、住むことになりますと、若いうちは早々に順応することが出来、そうでもないのかもしれませんが、生活環境のギャップに心身共にショックを受け、朝の通勤電車や街の雑踏などに対しうろたえてしまい、よく分からない挫折感を味わったものでした・・(苦笑)【現在の私は路面電車が走る街の方が好きです。】。

しかしながら、現在ほぼ毎日のように作成している、このブログ記事とは、そのごく初期のものを除き、そうした環境での経験のなかで作成されたものです・・。

そうしますと、この決して良いとは決して云えない環境の中で受ける刺激がブログ記事作成に対してはある程度効果的であるのかもしれません・・【しかし、果たしてこの場合の「良い」とは、どういった意味なのであろうか・・?】。

とはいえ、同時に、そこで気付かされることは、それら記事の多くとは、自身の直接的な環境についてはあまり言及していないということです。

より多くの記事とは、書籍などを通じて得た知見に対しての経験からの言及であったり、以前在住した地域に対しての書籍、経験を通じての言及であると思われます・・。

これは半ば無意識的にそのようになったと云えますが、その理由とは、自身のことながらよく分かりません・・。

ただ、これはあくまでも私見ではあり、普遍的な見解であるかは分かりませんが、自身【主体】の具体的な周囲の事象に対する文章による写生よりも、幾分か抽象度を上げた観念的ともいえることを文章によって著す方が、何と云いますか、自身【主体が】の文体を得る上においては適しているのではないかと思われるのです・・。

そして、こうした文章にてある程度、分かりやすく明晰な文章を書くことが出来るようになれば、自然と具体的な事象の文章による写生もまた、ある程度は出来るようになるのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか・・?

また、さらに思うことは、さきの抽象度を上げ、且つ分かりやすく明晰とも云える文章を書くことが可能になれば、それは環境の変化に対しても、ある程度の柔軟性を以って対応することが出来るのではないかとも思われるのですが、これも如何でしょうか・・?
現在これらは未だ感覚的な仮説ではありますが・・。

今回も、ここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」