本日の首都圏は日中気温が上がり、夏日といっても良い陽気でした。
また、昨日購入した小説も半分以上まで読み進みました。
途中幾つかの箇所にて目頭が熱くなり、身体が火照るのを感じましたが、昨日も書きました通り、小説の読書を通じて、こうした感覚を得ることは久しくありませんでしたので、これは名著、名作であると私は思います・・。
また同時に、あくまでも自身の経験に基づくことですが、この感覚は、昨今世間にて話題となり、各種メディアにて取り沙汰されていることから書店にて立ち読みした幾つかの小説からは得ることが出来なかったものであり、おそらく、それら作品の間には何らかの違いがあるのではないかと思われます・・。
そして、そうした作品間の『違い』から生じることについて、もう少し考えてみますと、その一つの大きな要素とは読者層ではないでしょうか?
たとえば、現在我が国が世界に誇るノーベル文学賞候補ともなる作家の読者層と、冒頭に挙げた作品の読者層とは明らかに違うのではないかと思われます・・。
あるいは両生類をして戦後以来の我が国社会を寓話化した傑作とも云える著作を著し世に問うた作家の読者層とも、冒頭の作品の読者層とは微妙に異なるのではないかと思われます・・。
もしくは、さらに端的に、記事冒頭に挙げた作品を著した作家は、何と云いますか一般的な意味での『女性受け』を考えず【主要登場人物に女性が極端に少ない】に、あるいは、ただただ御自身の経験されたことを小説化しただけであるのかもしれません・・。
とはいえ、そのことから作品内での描写は優れ、同時にノンフィクション作品、ルポタージュとはまた異なった【当事者が語ることによる】迫真性を文章にもたらし、読む者に対し畏怖、感動、喜びといった情動の伝達を可能ならしめているのではないかと思われます。
そして、ここまで書いており不図想起したことは、奇しくも、この要素【当事者、経験者が書くことにより文章に迫真性をもたらし、それが読者に対して何かを伝達する】とは、以前投稿のブログ記事において書いた歴史小説、歴史を扱った著作への自身の考えとも通底しており、さらにそれは以前、自身のブログ記事について尋ねた方が「鹿児島での経験を書いた記事に割合面白いのが多いです。」と返答されたことにも共通する何かがあるのかもしれません・・。
相手の顔、態度が見えない文語、文章ではあっても、そこから感知される情報の信憑性、真偽などは、読み手によっては【ある程度】精確に伝わってしまうものであるのかもしれません・・。
とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した一連の地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
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