A「昨日は不図「ブログ記事の作成を止めておこう・・。」と考え、どちらかというと意図的に記事作成を止めました。
その理由とは、昨日は休日ということもあり、また目標とする500記事まで年内に到達することが可能であるならば、多少の小休止もまた合理的な判断ではないかと考えたためです。
加えて1日意識的に休むことにより、如何なる影響が自身の記すブログ記事に生ずるのかを確認することもまたできます・・。
とはいえ、こうしたことをこの程度長々と記しますと「それはただのサボりの言い訳ではないのか?」と思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが、たしかにそれは穿った見方として間違いではないと思われますし、意識しなくとも、あるいは、文字に記さなくとも、おそらくそうした心情とは、正直なところないとは言い切れません・・(苦笑)。
とはいえ、一方において、これまで多少の断続はありながらも、どうにか継続的と云える程度にはブログ記事を作成してきましたので、その見地にて考えて頂ければ、たとえサボりの部分が多少あったとしても、それは今後のブログ記事作成を円滑に行う為の小休止であったと認識、見做して頂くこともまた出来るのではないでしょうか・・?
そして、それすらもまた「言い訳ではないのか?」と追及されるのであれば、そこから先は私も何もその点に関しては記すコトバがありません・・(苦笑)。
さて、この点はこのくらいにしまして、先日、これまで投稿しましたブログ記事において度々取り上げた作家北杜夫の小説が映画化されていることを知りました。
この小説につきましては、これまでに読んだことがありませんが、とりあえずは、以前ブログ記事に記しました、かねてよりの企図にしたがい同著の「楡家の人びと」を読んでみようと思います。
また、長編小説といえば、今春~夏にかけて読みました野上彌生子著「迷路」の次となりますが、この「楡家の人びと」もまた、さきの「迷路」と時代背景が重なるため、なかなか面白く読むことが出来るのではないかと考えております・・(笑)。
しかし、そう考えてみますと、どうも最近の私は、この時代(戦間期~戦中、戦後)を舞台にした長編小説を好んで読んでいるようです・・。
さらに加えて、それ以前(2007~2008)に読んだ大西巨人著「神聖喜劇」もまた、主に戦中を舞台(この著作は主人公の作中での回想あるいはかつて読んだ著作からの想起により、描かれる時代が実に多岐に渡る。)としていることから、あるいはこの時代(戦間期~戦中、戦後)とは、おそらく我が国の近代文学がある程度成熟した、それに加え、認識し得る我が国の歴史の中で最も波瀾に富んだ時代(の一つ)であることから小説、物語などに対し格好の時代背景を提供するのではないかと思われます・・。
とはいえ、そうしたかつての我が国社会の一面を「活写」したと思われる著作とは、これまでに映像化されたということは(少)ないようです・・。
これはなかなか面白いことであると思うと同時に、おそらく現今の我々の社会においては技術的云々よりも、それを演じる方々のそれら小説、物語の登場人物への同期化した行動、言動つまり演技が困難であるのではないかと思われます・・(時代精神との同期化が困難・・?)。
その点においてやはり、かつて製作されたこの時代(戦間期~戦中、戦後)を舞台にした映像とは、舞台となった時代と製作された時代が比較的近い(当事者が存命)ことから、何といいますか、無理なく、その舞台となった時代として製作された映像を観ることが出来るのではないかと思われます・・。
あるいは、こうした現象とは、我が国の映像作品にのみ当てはまるものなのでしょうか・・?
とはいえ、こうしたことからもまた、おそらく国民性の一端らしきものは看取、認識することが出来るのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年10月31日月曜日
2016年10月30日日曜日
20161029 月間総閲覧者数20000到達 各地の名水 および書籍からの抜粋(養老孟司著「カミとヒトの解剖学」より
おかげさまで、昨日投稿したブログ記事は思いのほか、多くの方々に閲覧して頂いたようです。
また、今月も残すところ僅かではありますが、昨日の時点にて月の閲覧者総数が20000人に到達しました。
また、これまで7月より月間総閲覧者数が20000人に到達しておりましたが、今月はそのペースが若干早いようであり、このままのペースで行きますと31日には2万数千人にまで到達するのではないかと思われます。
しかしながら、以前もブログ記事にて記しましたように、ここから月間総閲覧者数が30000人に到達するまでが一苦労を要するのではないかと思われます・・。
とはいえ、現今の状態まで、どうにかこうにかブログ記事の作成を継続することが出来た主な要因とは、閲覧してくださっている皆様に因っております。
また、昨今は「はてなブログ」においても、こちらで作成した記事をコピペして投稿しておりますが、もしかすると、これもまた、何かしらの影響があるのではないかと思われます。
しかし、何れにせよ、ここまで飽きずに興味を持ち閲覧してくださっている皆様、どうもありがとうございます。
今後もとりあえずキリのいい500記事までは継続的に記事を作成するつもりですので、どうぞよろしくお願いします。
また、閲覧して頂いて、興味深い、面白いと思われましたら「★」・「いいね」などを押して頂きますと、大きな励みになりますので、こちらもどうぞよろしくお願いします(笑)。
さて、先日仕事にて都内某所に行きますと(この地域に出向いたことはこれまでになかった。)商店街の中に鹿児島の物産を扱うお店があり、入ってみました。
比較的新しいそのお店に置いてある商品とは、やはり焼酎がメインであり、次いでお茶、さつま揚げといった感じでした。
また鹿児島ではよく見受けられたペットボトルの「高牧の森の水」が置かれており、これは迷わずに購入しました・・(笑)。
そういえば、現在、コンビニにて購入するペットボトルの水とは、大抵の場合ファミリーマートの「霧島の水」であり、これを飲むとおそらく偽薬効果のようなものであると思われますが、何となく元気になるような感じがします(笑)。
また、都内には各道府県の物産店が多く存在しますが、私はこうしたお店に入り、その物産、商品を見ることが好きであり、また、そこでは大抵、その土地の名水をペットボトルに詰めたもの(大抵のお店にはあります。)を購入します。
そして、それらを飲み、自身とその土地の相性らしきものを感じてみるのですが、これはおそらく首都圏であるからこそ気軽に出来る自身を用いた面白い実験?ではないかと思われます・・(笑)。
さて、ここまで記していて、不図思い起こした著作、養老孟司著「カミとヒトの解剖学」からの一節(pp.225ー228)を抜粋引用し、下に示そうと思います。
あるいはこの抜粋引用部もまた、さきに述べた内容と多少関連があるのかもしれません・・。
「山本七平氏は、歴史について言う。
歴史的に見るといいましても、例えば「方丈記」を見ますと、歴史を「流れ」という自然現象のように見ているわけで、どこから来て、どっかへ流れていってしまう。
ここには「創造・終末」という発想がないわけです。
さらに興味深いのはこのときの鴨長明の見方で、彼は岸辺に立ってその流れを見ているという見方をしているわけです。
いわばこの「流れ」と自分とは関係ない位置にいるわけで、歴史を荷っている自分の生涯は、その‘‘流れ”-というと語弊がありますが―の一部分だという見方はしていないわけです。
そして彼自身は、それを横目で見つつ、出生から死亡までこの世を通過するという形で、自分自身を把握しているわけです。
そして人間が流れと共に流れているなら、それは相対的な意味での動きではなくなりますから、共に流れている人間にとっては動いていないのと同じことで、そして時間の経過とともに生まれかつ世を去るという形で個々の人や事象が把握されれば、結局は、動かない中を通過しているのと同じ意識です。
山本七平氏もそうだし、丸山眞男もそうだが、日本人には「歴史」という観点がないという指摘がなされる。
キリスト教もマルクシズムも同根であるから、そこに「流れる」歴史観と、我々の歴史観は異なって当然である。
山本氏は、日本人は「まだ足りない」でやって来たと書かれる。
民主主義がまだ足りない、福祉がまだ足りない。
歴史観がないのも事実だし、「まだ足りない」も本当であろう。
しかし、山本氏の言われる「歴史観がない」も「まだ足りない」の一種かもしれないのである。
文化というものの中に閉じこもるかぎり、あっちの文化に飛んだり、こっちの文化に飛ぶことは可能だが、どちらにも共通し、どちらをも基礎づける、「普遍」を構築することはできない。しかし歴史とは、もともと普遍を構築しようとする努力ではないのか?
人間という存在が「生まれつき、自然に」持っている道具、つまり人体と、その中に位置する脳とは、どこの土地でも、どの時代でも、ほとんど変わりはしない。
それ以外に、人間の物差はあるか。
歴史観が「ない」文化と、「ある」文化とに共通する基盤とはなにか。
「ない文化」が「ある文化」に喧嘩を仕掛けても、「ある」文化が「ない」文化を尻に敷いても、答えにはならない。
文化の興亡があるばかり。
しかも、どちらもたかだか一・五キロの脳が考えることに過ぎないではないか。
この普遍という物差を、わが国では「人」と表現するのであろう。人間とはどういうものか。
「不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」と、長明は無責任なことを言う。
しかし、この先を追求しなかった方が悪い。
鴨長明の責任ではない。長明自身は、「不知」と、問題を提起しているのである。
「方丈記」にこう書かれているのを見れば、長明が人間の歴史について、無関心だったはずがないとわかる。
この文章を、一言にして尽くす歴史の定義ととることすら、不可能ではない。
問題は歴史が「あるか、否か」ではない。
歴史とはなにか、である。
あるいは、歴史の前提はなにか、である。
それはそれぞれの社会の、政治的、文化的な存在基礎と、密接に関わっている。
天皇制は歴史ではないのか。
これは生物学で言えば、「生きた化石」であろう。
丸山氏の言うように、「永遠としての現在」がこの国の歴史観であるなら、歴史観が「ない」のではなく、それが歴史観なのである。
そこでは、視覚の関与する時が、瞬間と永遠に分別される。
そして、その間をすべてが「流れる」。
山本氏の書かれるように、鴨長明が傍観者のように見えるとすれば、そこでは、視覚の特徴が明瞭に出ているからである。
「観」とは目、すなわち視覚系の機能であって、ここでは視覚が表面に出ているが、じつは長明の前提は「流れ」あるいは「運動」である。
長明の文章は、私には、むしろ流れと視覚の関係を述べようとしたと読めるのである。
「人間が流れとともに流れているなら」、確かに、ともに流れている人間どうしは相対的には動かない。それなら、流れない意識は、長明のどこにあるのか。なにかが止まっていなければ、「流れ」はない。
答えを言えば、それが長明の視覚であろう。「方丈記」の書き出しは、まさにそれを言っているのである。
ここでは、運動と水という質量、それが絶えず動いてとどまらないことを言うとともに、それが示す「形」が動かないことを、一言にして提示する。
形の背後には、視覚系がある。
長明の文章は、われわれの脳の機能に対するみごとな説明であり、時を内在する聴覚ー運動系と、時を瞬間と永遠とに分別し、時を内在することのない視覚との、「差分」によって、われわれの時の観念が脳内に成立することを明示する。
これが、ひいては歴史観の基礎を表現しているのではないか。
人はあるいはこれを、深読みだと言うかもしれない。
しかし西行や長明の時代に、哲学や理学があるわけではない。「方丈記」に存在するのは、感覚的な表現だけに見えるかもしれぬ。
しかし、本当にそうか。
人間の脳は、西行の頃も、いまも、まったく変わりはしない。
当時存在したのは、具象的な表現法のみであり、その表現法にだまされて、思考の内容まで、具象的と即断しているだけではないのか。
それは歴史における進歩主義ではないか。
後の時代ほど、人間がものがわかっているとは限らない。
哲学的には、他人の思考内容を対象とする議論は、客観的証明を欠く点で悪名が高い。
しかしそれは、表現の具象性が、内容に抽象性がないことの証拠にもまたならないことを、同時に意味しているのである。」
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震、そして昨今の山陰東部にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」
「カミとヒトの解剖学」
ISBN:4-480-08674-9
JANコード:9784480086747
また、今月も残すところ僅かではありますが、昨日の時点にて月の閲覧者総数が20000人に到達しました。
また、これまで7月より月間総閲覧者数が20000人に到達しておりましたが、今月はそのペースが若干早いようであり、このままのペースで行きますと31日には2万数千人にまで到達するのではないかと思われます。
しかしながら、以前もブログ記事にて記しましたように、ここから月間総閲覧者数が30000人に到達するまでが一苦労を要するのではないかと思われます・・。
とはいえ、現今の状態まで、どうにかこうにかブログ記事の作成を継続することが出来た主な要因とは、閲覧してくださっている皆様に因っております。
また、昨今は「はてなブログ」においても、こちらで作成した記事をコピペして投稿しておりますが、もしかすると、これもまた、何かしらの影響があるのではないかと思われます。
しかし、何れにせよ、ここまで飽きずに興味を持ち閲覧してくださっている皆様、どうもありがとうございます。
今後もとりあえずキリのいい500記事までは継続的に記事を作成するつもりですので、どうぞよろしくお願いします。
また、閲覧して頂いて、興味深い、面白いと思われましたら「★」・「いいね」などを押して頂きますと、大きな励みになりますので、こちらもどうぞよろしくお願いします(笑)。
さて、先日仕事にて都内某所に行きますと(この地域に出向いたことはこれまでになかった。)商店街の中に鹿児島の物産を扱うお店があり、入ってみました。
比較的新しいそのお店に置いてある商品とは、やはり焼酎がメインであり、次いでお茶、さつま揚げといった感じでした。
また鹿児島ではよく見受けられたペットボトルの「高牧の森の水」が置かれており、これは迷わずに購入しました・・(笑)。
そういえば、現在、コンビニにて購入するペットボトルの水とは、大抵の場合ファミリーマートの「霧島の水」であり、これを飲むとおそらく偽薬効果のようなものであると思われますが、何となく元気になるような感じがします(笑)。
また、都内には各道府県の物産店が多く存在しますが、私はこうしたお店に入り、その物産、商品を見ることが好きであり、また、そこでは大抵、その土地の名水をペットボトルに詰めたもの(大抵のお店にはあります。)を購入します。
そして、それらを飲み、自身とその土地の相性らしきものを感じてみるのですが、これはおそらく首都圏であるからこそ気軽に出来る自身を用いた面白い実験?ではないかと思われます・・(笑)。
さて、ここまで記していて、不図思い起こした著作、養老孟司著「カミとヒトの解剖学」からの一節(pp.225ー228)を抜粋引用し、下に示そうと思います。
あるいはこの抜粋引用部もまた、さきに述べた内容と多少関連があるのかもしれません・・。
「山本七平氏は、歴史について言う。
歴史的に見るといいましても、例えば「方丈記」を見ますと、歴史を「流れ」という自然現象のように見ているわけで、どこから来て、どっかへ流れていってしまう。
ここには「創造・終末」という発想がないわけです。
さらに興味深いのはこのときの鴨長明の見方で、彼は岸辺に立ってその流れを見ているという見方をしているわけです。
いわばこの「流れ」と自分とは関係ない位置にいるわけで、歴史を荷っている自分の生涯は、その‘‘流れ”-というと語弊がありますが―の一部分だという見方はしていないわけです。
そして彼自身は、それを横目で見つつ、出生から死亡までこの世を通過するという形で、自分自身を把握しているわけです。
そして人間が流れと共に流れているなら、それは相対的な意味での動きではなくなりますから、共に流れている人間にとっては動いていないのと同じことで、そして時間の経過とともに生まれかつ世を去るという形で個々の人や事象が把握されれば、結局は、動かない中を通過しているのと同じ意識です。
山本七平氏もそうだし、丸山眞男もそうだが、日本人には「歴史」という観点がないという指摘がなされる。
キリスト教もマルクシズムも同根であるから、そこに「流れる」歴史観と、我々の歴史観は異なって当然である。
山本氏は、日本人は「まだ足りない」でやって来たと書かれる。
民主主義がまだ足りない、福祉がまだ足りない。
歴史観がないのも事実だし、「まだ足りない」も本当であろう。
しかし、山本氏の言われる「歴史観がない」も「まだ足りない」の一種かもしれないのである。
文化というものの中に閉じこもるかぎり、あっちの文化に飛んだり、こっちの文化に飛ぶことは可能だが、どちらにも共通し、どちらをも基礎づける、「普遍」を構築することはできない。しかし歴史とは、もともと普遍を構築しようとする努力ではないのか?
人間という存在が「生まれつき、自然に」持っている道具、つまり人体と、その中に位置する脳とは、どこの土地でも、どの時代でも、ほとんど変わりはしない。
それ以外に、人間の物差はあるか。
歴史観が「ない」文化と、「ある」文化とに共通する基盤とはなにか。
「ない文化」が「ある文化」に喧嘩を仕掛けても、「ある」文化が「ない」文化を尻に敷いても、答えにはならない。
文化の興亡があるばかり。
しかも、どちらもたかだか一・五キロの脳が考えることに過ぎないではないか。
この普遍という物差を、わが国では「人」と表現するのであろう。人間とはどういうものか。
「不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」と、長明は無責任なことを言う。
しかし、この先を追求しなかった方が悪い。
鴨長明の責任ではない。長明自身は、「不知」と、問題を提起しているのである。
「方丈記」にこう書かれているのを見れば、長明が人間の歴史について、無関心だったはずがないとわかる。
この文章を、一言にして尽くす歴史の定義ととることすら、不可能ではない。
問題は歴史が「あるか、否か」ではない。
歴史とはなにか、である。
あるいは、歴史の前提はなにか、である。
それはそれぞれの社会の、政治的、文化的な存在基礎と、密接に関わっている。
天皇制は歴史ではないのか。
これは生物学で言えば、「生きた化石」であろう。
丸山氏の言うように、「永遠としての現在」がこの国の歴史観であるなら、歴史観が「ない」のではなく、それが歴史観なのである。
そこでは、視覚の関与する時が、瞬間と永遠に分別される。
そして、その間をすべてが「流れる」。
山本氏の書かれるように、鴨長明が傍観者のように見えるとすれば、そこでは、視覚の特徴が明瞭に出ているからである。
「観」とは目、すなわち視覚系の機能であって、ここでは視覚が表面に出ているが、じつは長明の前提は「流れ」あるいは「運動」である。
長明の文章は、私には、むしろ流れと視覚の関係を述べようとしたと読めるのである。
「人間が流れとともに流れているなら」、確かに、ともに流れている人間どうしは相対的には動かない。それなら、流れない意識は、長明のどこにあるのか。なにかが止まっていなければ、「流れ」はない。
答えを言えば、それが長明の視覚であろう。「方丈記」の書き出しは、まさにそれを言っているのである。
ここでは、運動と水という質量、それが絶えず動いてとどまらないことを言うとともに、それが示す「形」が動かないことを、一言にして提示する。
形の背後には、視覚系がある。
長明の文章は、われわれの脳の機能に対するみごとな説明であり、時を内在する聴覚ー運動系と、時を瞬間と永遠とに分別し、時を内在することのない視覚との、「差分」によって、われわれの時の観念が脳内に成立することを明示する。
これが、ひいては歴史観の基礎を表現しているのではないか。
人はあるいはこれを、深読みだと言うかもしれない。
しかし西行や長明の時代に、哲学や理学があるわけではない。「方丈記」に存在するのは、感覚的な表現だけに見えるかもしれぬ。
しかし、本当にそうか。
人間の脳は、西行の頃も、いまも、まったく変わりはしない。
当時存在したのは、具象的な表現法のみであり、その表現法にだまされて、思考の内容まで、具象的と即断しているだけではないのか。
それは歴史における進歩主義ではないか。
後の時代ほど、人間がものがわかっているとは限らない。
哲学的には、他人の思考内容を対象とする議論は、客観的証明を欠く点で悪名が高い。
しかしそれは、表現の具象性が、内容に抽象性がないことの証拠にもまたならないことを、同時に意味しているのである。」
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震、そして昨今の山陰東部にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」
「カミとヒトの解剖学」
ISBN:4-480-08674-9
JANコード:9784480086747
2016年10月29日土曜日
20161028 夜間の山道の走行など・・
5年間のサラリーマン生活の後に大学院修士課程に入学しましたが、その当初は色々と慣れないこともあり、色々と苦労をしたように思います(院生研究室の席など)。
また、知人、友人が一人もいないところに飛び込んだわけですから、やはり、入学当初の時期とは自然、一人でいることが多かったです・・。
しかしながら、(文系)大学院というところは面白いところであり、院生研究室に持ち込み、置いてある書籍について(当時としては)かなり込み入った、難解な質問をしてくる人が普通にいました・・(笑)。
これはやはりボケとツッコミが根付いている近畿、関西地方であるからかもしれません・・(笑)。
ともあれ、そうした環境であったが故に、自然発生的にさまざまなことについて議論を交わすようになったのではないかと思います。
さらに面白いことは、そうした議論を研究室前、図書館前などで行っていると時折、教員が参加されてきたことです・・。
こうした状況になりますと、多少は恐縮して議論の白熱度が下がるのが一般的であるのかもしれませんが、さきに述べたような環境に既に慣れている方々(決して多数派ではありませんが)は、話しコトバこそ多少丁寧にはなりますが、その白熱の度合いに関しては、特に下がるということもなかったように思います・・。
また当初、こうした現象を不思議なものと思いましたが、私の方もそれに慣れるにしたがい、あまりそうしたことを考えなくなっていきました・・(笑)。
加えて、教員の方々もまた、院生に反論をされたからといって憮然としたり、不機嫌になるということもなく、どちらかというと、鷹揚な調子で且つ真剣に議論を楽しんでおられるようでした。
また、こうした議論は長いものになると、数時間も続き、夏から秋にかけての時季などは、数人で各々持っているクリアファイル、バインダーなどで扇ぎながら、蚊を払いながら、さきに述べた場所にて議論を続けていたことを憶えています。
現在考えてみますと、これはなかなか贅沢なものであったのかもしれません・・(笑)。
そしてまた同時に、この議論の経験があったからこそ、これまでに1年以上、ブログ記事作成を継続することが出来、また、一連の対話形式を用いた記事を記すことが出来たのではないかと思われるのです・・。
しかし、それと同時に思い起こすことは、この時期、自分なりに数多くの書籍を読んだことです。
おそらく、この時期とは、それまでの人生の中で最も濃密に多くの書籍を読んだ時期であったのではないかと思われます・・。
さらに、この時期に以前投稿した「もう一人の師匠についてP51 兵器開発事情 武器貸与法」の師匠が関西にて開催された学会の日程を利用し、こちらに訪れて頂いたことが幾度かありました。
これらの折は、自動車にて紀伊半島の様々な旧所、遺跡等を巡り、私が述べるそれらの解説や見解を興味深く聞かれ、また、時においては異なる見解、欧米での類似した事例などを述べられましたが、それらもまた大変興味深く、面白いものでした。
また、別の機会では、新たな弟子(当時大学1年生)と思しき学生さんを連れて来られたこともありましたが、これもこれで大変面白く、また、この時に印象的であったことは、深夜の山道を走行の折、如何なる理由に因るものか、鹿に遭遇することが大変多かったことです・・。
当時、夜間の山道を走行することは特段珍しいことではなかったのですが、これほど鹿に遭遇したことは後にも先にもありませんでした・・。
また、夜間の山道の走行といえば、さきに述べたよく議論を行っていた方々(連中)と9月の後半に山奥のダム湖へ釣行した帰路の折、車内にてワーグナーの「ワルキューレの騎行」、シベリウスの「フィンランディア」等のノリのクラシック音楽を大音量で流し、同じく夜間(深夜)の山道を走行したことです・・。
これは現在思い返してみますと、多少恥ずかしく思わなくもないです・・(苦笑)。
また、この時「フィンランディア」を聴いて一人が「ダイ・ハードや!ダイ・ハードや!」と叫んだことが大変印象的であり、憶えております・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しております。」
また、知人、友人が一人もいないところに飛び込んだわけですから、やはり、入学当初の時期とは自然、一人でいることが多かったです・・。
しかしながら、(文系)大学院というところは面白いところであり、院生研究室に持ち込み、置いてある書籍について(当時としては)かなり込み入った、難解な質問をしてくる人が普通にいました・・(笑)。
これはやはりボケとツッコミが根付いている近畿、関西地方であるからかもしれません・・(笑)。
ともあれ、そうした環境であったが故に、自然発生的にさまざまなことについて議論を交わすようになったのではないかと思います。
さらに面白いことは、そうした議論を研究室前、図書館前などで行っていると時折、教員が参加されてきたことです・・。
こうした状況になりますと、多少は恐縮して議論の白熱度が下がるのが一般的であるのかもしれませんが、さきに述べたような環境に既に慣れている方々(決して多数派ではありませんが)は、話しコトバこそ多少丁寧にはなりますが、その白熱の度合いに関しては、特に下がるということもなかったように思います・・。
また当初、こうした現象を不思議なものと思いましたが、私の方もそれに慣れるにしたがい、あまりそうしたことを考えなくなっていきました・・(笑)。
加えて、教員の方々もまた、院生に反論をされたからといって憮然としたり、不機嫌になるということもなく、どちらかというと、鷹揚な調子で且つ真剣に議論を楽しんでおられるようでした。
また、こうした議論は長いものになると、数時間も続き、夏から秋にかけての時季などは、数人で各々持っているクリアファイル、バインダーなどで扇ぎながら、蚊を払いながら、さきに述べた場所にて議論を続けていたことを憶えています。
現在考えてみますと、これはなかなか贅沢なものであったのかもしれません・・(笑)。
そしてまた同時に、この議論の経験があったからこそ、これまでに1年以上、ブログ記事作成を継続することが出来、また、一連の対話形式を用いた記事を記すことが出来たのではないかと思われるのです・・。
しかし、それと同時に思い起こすことは、この時期、自分なりに数多くの書籍を読んだことです。
おそらく、この時期とは、それまでの人生の中で最も濃密に多くの書籍を読んだ時期であったのではないかと思われます・・。
さらに、この時期に以前投稿した「もう一人の師匠についてP51 兵器開発事情 武器貸与法」の師匠が関西にて開催された学会の日程を利用し、こちらに訪れて頂いたことが幾度かありました。
これらの折は、自動車にて紀伊半島の様々な旧所、遺跡等を巡り、私が述べるそれらの解説や見解を興味深く聞かれ、また、時においては異なる見解、欧米での類似した事例などを述べられましたが、それらもまた大変興味深く、面白いものでした。
また、別の機会では、新たな弟子(当時大学1年生)と思しき学生さんを連れて来られたこともありましたが、これもこれで大変面白く、また、この時に印象的であったことは、深夜の山道を走行の折、如何なる理由に因るものか、鹿に遭遇することが大変多かったことです・・。
当時、夜間の山道を走行することは特段珍しいことではなかったのですが、これほど鹿に遭遇したことは後にも先にもありませんでした・・。
また、夜間の山道の走行といえば、さきに述べたよく議論を行っていた方々(連中)と9月の後半に山奥のダム湖へ釣行した帰路の折、車内にてワーグナーの「ワルキューレの騎行」、シベリウスの「フィンランディア」等のノリのクラシック音楽を大音量で流し、同じく夜間(深夜)の山道を走行したことです・・。
これは現在思い返してみますと、多少恥ずかしく思わなくもないです・・(苦笑)。
また、この時「フィンランディア」を聴いて一人が「ダイ・ハードや!ダイ・ハードや!」と叫んだことが大変印象的であり、憶えております・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しております。」
2016年10月27日木曜日
20161027 文体、表現、創造などについて・・
A「本日もまた若干帰宅が遅くなりました。
さて、本日作成分のブログ記事の主題に関しても、現在特に決めておりません・・(苦笑)。
そういえば、昨日作成したブログ記事は、投稿翌日にしては、その閲覧者数が伸びました。
そのことから、やはり当ブログ記事の文体とは、こうした多少口語体に近いものの方が良いのかもしれないと思うに至りました。
また、実際、現在このように文章を記していても、こちらの文体の方がスムーズに文章が湧いてくる感じがします。
そうしますと「あるいはこれが私の「文体」であるのかもしれない。」と考えるのですが、また他のこれまでのブログをある程度読んで頂いている知人に対し、この「文体」について聞いてみますと、自身では明瞭に認識することが出来ないのですが、やはり「私の文体」というものは存在するとのことでした・・。
こうしたことは自身に強く根差してい過ぎるために、客観的なものとして認識することが困難であるのかもしれません・・(苦笑)。
しかしその一方、たとえば私が師匠(歯科理工学)の論文、文章などを読んだ場合「ああ、これは師匠の文章、文体である・・」と割合強く認識することが出来るのではないかと思われます・・。
また、これはあくまでも私見ではありますが、理系学問分野の文体とは、一種独特であると同時に、その大きな傾向らしきものとは、ある程度類似、共通しているのではないかと思われるのです。
このことは自身が歯系院に行った当初、その独特の文体、言い回し等に慣れることが出来なく、いささか苦労した記憶を思い起こさせます。
それはつまり、歯系をも含む理系的な文体、言い回しにて文章、原稿(文語、口語)などを記すといった「表現」あるいは「創造」が出来ないということです・・。
こうしたまさしくモヤモヤとした心境とは、体験された方々も少なからずいらっしゃるかと思われますが、なかなか苦しいものです・・(笑)。
そして、そうした出口の見えない暗いトンネルのような状況(モヤモヤとした心境)から脱出する為の確実ともいえる手段が、とにかく、その分野における著作、書籍を読むということに尽きるのではないかと思います・・。
また、面白いことに、そうした時期を知らないうちに過ぎます(過ぎると慣れる)と、今度は何となく、自身の思考、指向、嗜好までもが変化してしまったのではないかと思われるようになるのです・・(笑)。
さらに後になるとそうした変化が存在したこと自体をも忘れてしまうのかもしれません・・。
こうした忘却とは、あまり良いものであるとは思えません。
そして、多くの方々は記しませんが、こうしたことを実際に感じていた、認識されていたのではないかと思われるのですが、如何でしょうか・・?
ともあれ、こうした変化が人間の精神における相変態、相変化とも云えるようなものではないかと思われるのです。
一体こうした変化とは、どの程度の年代に至るまで生じ得る性質のものであるのでしょうか・・?
あるいは、こうした変化において、何かしら人類、人種、民族などにおいて各々普遍的な傾向といったものは存在するのでしょうか?
そして、そうしたものがもしも存在するのであれば、何に対し注視し検討、考察を行うことにより、その見解らしきもの(人類、人種、民族などにおける各々普遍的な傾向)を得ることが出来るのでしょうか?
そのように考えてみますと、歴史とは一面においてロマンであっても良いのですが、それと同時に「本来」は、普遍性を重んじる科学の対象の一つとして認識され得るものではないかと思われるのです。
そしてまた、そうした考えに基づき、はじめて「時代精神」「歴史感覚」といったコトバの「意味」を理解することが出来るのではないでしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」
さて、本日作成分のブログ記事の主題に関しても、現在特に決めておりません・・(苦笑)。
そういえば、昨日作成したブログ記事は、投稿翌日にしては、その閲覧者数が伸びました。
そのことから、やはり当ブログ記事の文体とは、こうした多少口語体に近いものの方が良いのかもしれないと思うに至りました。
また、実際、現在このように文章を記していても、こちらの文体の方がスムーズに文章が湧いてくる感じがします。
そうしますと「あるいはこれが私の「文体」であるのかもしれない。」と考えるのですが、また他のこれまでのブログをある程度読んで頂いている知人に対し、この「文体」について聞いてみますと、自身では明瞭に認識することが出来ないのですが、やはり「私の文体」というものは存在するとのことでした・・。
こうしたことは自身に強く根差してい過ぎるために、客観的なものとして認識することが困難であるのかもしれません・・(苦笑)。
しかしその一方、たとえば私が師匠(歯科理工学)の論文、文章などを読んだ場合「ああ、これは師匠の文章、文体である・・」と割合強く認識することが出来るのではないかと思われます・・。
また、これはあくまでも私見ではありますが、理系学問分野の文体とは、一種独特であると同時に、その大きな傾向らしきものとは、ある程度類似、共通しているのではないかと思われるのです。
このことは自身が歯系院に行った当初、その独特の文体、言い回し等に慣れることが出来なく、いささか苦労した記憶を思い起こさせます。
それはつまり、歯系をも含む理系的な文体、言い回しにて文章、原稿(文語、口語)などを記すといった「表現」あるいは「創造」が出来ないということです・・。
こうしたまさしくモヤモヤとした心境とは、体験された方々も少なからずいらっしゃるかと思われますが、なかなか苦しいものです・・(笑)。
そして、そうした出口の見えない暗いトンネルのような状況(モヤモヤとした心境)から脱出する為の確実ともいえる手段が、とにかく、その分野における著作、書籍を読むということに尽きるのではないかと思います・・。
また、面白いことに、そうした時期を知らないうちに過ぎます(過ぎると慣れる)と、今度は何となく、自身の思考、指向、嗜好までもが変化してしまったのではないかと思われるようになるのです・・(笑)。
さらに後になるとそうした変化が存在したこと自体をも忘れてしまうのかもしれません・・。
こうした忘却とは、あまり良いものであるとは思えません。
そして、多くの方々は記しませんが、こうしたことを実際に感じていた、認識されていたのではないかと思われるのですが、如何でしょうか・・?
ともあれ、こうした変化が人間の精神における相変態、相変化とも云えるようなものではないかと思われるのです。
一体こうした変化とは、どの程度の年代に至るまで生じ得る性質のものであるのでしょうか・・?
あるいは、こうした変化において、何かしら人類、人種、民族などにおいて各々普遍的な傾向といったものは存在するのでしょうか?
そして、そうしたものがもしも存在するのであれば、何に対し注視し検討、考察を行うことにより、その見解らしきもの(人類、人種、民族などにおける各々普遍的な傾向)を得ることが出来るのでしょうか?
そのように考えてみますと、歴史とは一面においてロマンであっても良いのですが、それと同時に「本来」は、普遍性を重んじる科学の対象の一つとして認識され得るものではないかと思われるのです。
そしてまた、そうした考えに基づき、はじめて「時代精神」「歴史感覚」といったコトバの「意味」を理解することが出来るのではないでしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」
2016年10月26日水曜日
20161026 文体および記事更新の頻度に関して思ったこと・・
A「先日来より記してきた記事にて用いた硬質な文体とは、記した後の疲労感が、そうでない文体にて記した場合と比べ、多少大きいと思われることから、一旦この文体にて記すことを止め、以前からの文体にて記してみようと思います。
また、それと同時に、自身の記す文体とは、その同時期に読んでいる書籍の文体からの影響をも少なからず受けるのではないかと思われます。
それ故、英語の書籍を読んでおりますと、その時に記す日本語の文体とは、英文和訳のような、いささかぎこちないともいえる文体となるのではないかと思われます・・(笑)。
そのように考えてみますと、直近まで用いてきました硬質な文体とは、現在の私にとって、その出だしにおいては調子が良いのかもしれませんが、どうもその継続が困難であり、且つ、この文体においては、文章の記述方法(内容ではない)における創造、あるいは良い意味での脱線が生じにくくなるのではないかと思われます。
それ故、私見ではありますが、おそらく論文などで多く見られる硬質な文体とは、このブログ記事のような即興的な散文に適したものではなく、時間をかけ、推敲に推敲を重ね、内容に矛盾、論旨に破綻が生じないように作成するカチッとした論文にこそ相応しいのではないかと思われます。
また、読み手側としても、硬質な文体にて記されたものは、そうでないものと比べた場合、若干読む際の疲労の具合が異なるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
さて、ブログ記事の文体については、このあたりにします。
今回投稿する記事により総投稿記事数が460となります。
先日の450記事到達から考えますと、これは早いのか、遅いのかよく分かりませんが、何れにせよ、お蔭様でまた一つの里程標を目にすることが出来ました。どうもありがとうございます。
また、そうしますと、残り40記事にて500記事に到達する次第ですが、今年が残りあと70日未満ですので、現在のペース(1日1記事)にて記事を作成し続けることにより、特に無理なく、年内に500記事に至ることが出来ると思われます。
そして、この500記事に至りましたら、ブログ記事の作成を一旦、意識的に止めてみようと思います。
そして、そうすることにより、自身の内外に何かしら多少の変化が生じ、それを感じ取ることが出来るのでしょうか・・?
これは正直なところ自身のことではありますが、苦労して作製した試料を試験機にかけ、さらにそれ(試験機にかけた試料)を電子顕微鏡にて観察する時のような好奇心が惹起することが認められます・・(笑)。
また、ここまで記しており不図思い起こしたことは、かつての鹿児島在住時、ミクシィというSNSにて、こうした文章、記事らしきものを作成していたのですが、その際は記事も現在投稿しているブログ記事よりも全般的に短く、また週1回程度の更新であったことです。
その時から比べますと、現在のブログ記事更新の頻度とは、劇的に増加しており、またそれが私が鹿児島在住の期間において進化発展した能力の一端ではないかと考えられます・・(笑)。
また、こうしたことは、当然ではあるかもしれませんが、おそらく外観からの認識、判別が困難ではないかと思われます。
とはいえ、作成者自身からしますと、この間には明らかに何かしらの内面での少なからぬ変化が生じたのではないかとも思われるのです・・。
こうした変化を的確(しかも、この場合の的確とは何か?)に言語化、文章化することは果たして可能なのでしょうか・・(笑)。
そしてまた不図思ったことは、おそらくこうしたことは、これまでいくつか過去の出来事をブログ記事として言語化、文章化することにより、はじめて思い起こし、考えのようなものとして、述べる、記すことが出来るようになったのではないかということです・・。
そうしますと今度はゲーテの
「歴史を書くのは過去を脱却する一つの方法である。」
あるいは同じく
「人間の最大の値打ちは、人間が外界の事情にできるだけ左右されず、できるだけこれを左右するところにある。世界の一切は、建築家の前にある大きな石切場と同じように、われわれの前に横たわっている。建築家の本領は、この偶然自然の石塊から、できるだけ経済的に、目的にかなうように、しっかりと、自分の心の中に生じた原型を作り上げるところにある。われわれの外部にある一切のものは要素に過ぎない。否、われわれにくっついている一切のものも要素に過ぎないと言ってよいだろう。しかし、われわれの奥深くには、あるべきものを創りだすことのできる創造力がある。その力は、われわれが、あるべきものを、われわれの外部に、あるいはわれわれの身辺に、何らかの方法で現すまでは、われわれを安らかにさせない。」
といったコトバを思い起こさせます。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震における被災地の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
また、それと同時に、自身の記す文体とは、その同時期に読んでいる書籍の文体からの影響をも少なからず受けるのではないかと思われます。
それ故、英語の書籍を読んでおりますと、その時に記す日本語の文体とは、英文和訳のような、いささかぎこちないともいえる文体となるのではないかと思われます・・(笑)。
そのように考えてみますと、直近まで用いてきました硬質な文体とは、現在の私にとって、その出だしにおいては調子が良いのかもしれませんが、どうもその継続が困難であり、且つ、この文体においては、文章の記述方法(内容ではない)における創造、あるいは良い意味での脱線が生じにくくなるのではないかと思われます。
それ故、私見ではありますが、おそらく論文などで多く見られる硬質な文体とは、このブログ記事のような即興的な散文に適したものではなく、時間をかけ、推敲に推敲を重ね、内容に矛盾、論旨に破綻が生じないように作成するカチッとした論文にこそ相応しいのではないかと思われます。
また、読み手側としても、硬質な文体にて記されたものは、そうでないものと比べた場合、若干読む際の疲労の具合が異なるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
さて、ブログ記事の文体については、このあたりにします。
今回投稿する記事により総投稿記事数が460となります。
先日の450記事到達から考えますと、これは早いのか、遅いのかよく分かりませんが、何れにせよ、お蔭様でまた一つの里程標を目にすることが出来ました。どうもありがとうございます。
また、そうしますと、残り40記事にて500記事に到達する次第ですが、今年が残りあと70日未満ですので、現在のペース(1日1記事)にて記事を作成し続けることにより、特に無理なく、年内に500記事に至ることが出来ると思われます。
そして、この500記事に至りましたら、ブログ記事の作成を一旦、意識的に止めてみようと思います。
そして、そうすることにより、自身の内外に何かしら多少の変化が生じ、それを感じ取ることが出来るのでしょうか・・?
これは正直なところ自身のことではありますが、苦労して作製した試料を試験機にかけ、さらにそれ(試験機にかけた試料)を電子顕微鏡にて観察する時のような好奇心が惹起することが認められます・・(笑)。
また、ここまで記しており不図思い起こしたことは、かつての鹿児島在住時、ミクシィというSNSにて、こうした文章、記事らしきものを作成していたのですが、その際は記事も現在投稿しているブログ記事よりも全般的に短く、また週1回程度の更新であったことです。
その時から比べますと、現在のブログ記事更新の頻度とは、劇的に増加しており、またそれが私が鹿児島在住の期間において進化発展した能力の一端ではないかと考えられます・・(笑)。
また、こうしたことは、当然ではあるかもしれませんが、おそらく外観からの認識、判別が困難ではないかと思われます。
とはいえ、作成者自身からしますと、この間には明らかに何かしらの内面での少なからぬ変化が生じたのではないかとも思われるのです・・。
こうした変化を的確(しかも、この場合の的確とは何か?)に言語化、文章化することは果たして可能なのでしょうか・・(笑)。
そしてまた不図思ったことは、おそらくこうしたことは、これまでいくつか過去の出来事をブログ記事として言語化、文章化することにより、はじめて思い起こし、考えのようなものとして、述べる、記すことが出来るようになったのではないかということです・・。
そうしますと今度はゲーテの
「歴史を書くのは過去を脱却する一つの方法である。」
あるいは同じく
「人間の最大の値打ちは、人間が外界の事情にできるだけ左右されず、できるだけこれを左右するところにある。世界の一切は、建築家の前にある大きな石切場と同じように、われわれの前に横たわっている。建築家の本領は、この偶然自然の石塊から、できるだけ経済的に、目的にかなうように、しっかりと、自分の心の中に生じた原型を作り上げるところにある。われわれの外部にある一切のものは要素に過ぎない。否、われわれにくっついている一切のものも要素に過ぎないと言ってよいだろう。しかし、われわれの奥深くには、あるべきものを創りだすことのできる創造力がある。その力は、われわれが、あるべきものを、われわれの外部に、あるいはわれわれの身辺に、何らかの方法で現すまでは、われわれを安らかにさせない。」
といったコトバを思い起こさせます。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震における被災地の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年10月25日火曜日
20161025 ブラックコーヒーを飲むようになった理由
A「先日来より、過去の出来事を記しております。
面白いことに、こうした過去の出来事を題材として記しておりますと、それまでの主要な形式である、現在思ったこと、考えたことと過去の出来事を多少関連させた題材を記したものに比べ、疲労の度合いが異なるということです。
これはおそらく記事を記す際における用いる頭の部位、機能が異なるからではないかと思われます。
しかし、この過去の出来事を題材として記す形式にも慣れてきますと、さきに記した疲労の仕方もまた変化するのではないかと思われます。
あるいはまた、そこで不図思ったことは、記す文体において過去の出来事を扱う際に用いている硬質な文体とすることに因り、現在認識される、こうした疲労の仕方(硬質な文体にて記すことによりより多くの疲労が認められる)に結び付くのかもしれません・・。
そこに、どのような関連性があるのかは分かりませんが・・。
とはいえ、今回の記事も以降、先日来の硬質な文体にて過去の出来事を記してみようと思います。
それでは、続けます。
修士課程における私の師匠とは、私と同様関東、千葉県の御出身であった。
とはいえ、この師匠は、就職以来長く和歌山に在住されていたためか、その話し言葉のイントネーションとは、関東のそれであるよりも、和歌山のそれに近いものであった。
また、この師匠は、長い和歌山での在住経験により、県内地域の様々な産物、伝説、言い伝えについて博識であり、それらに対し、時折私が幾分見当違いな見解を述べると、落ち着いた口調にて「そうかなあ・・それに関しては、もう少し調べてみてはどうかな・・?」といった感じで柔らかく再考を促すといったところがあった。
また、この師匠から(勝手に)教わったもう一つのことはコーヒーであった。
それまでに私は缶コーヒーを好んで飲んでいたが、この師匠と様々な機会において会話を交わしていくうちに徐徐に私の方も缶コーヒーよりインスタントであってもブラックコーヒーを好むようになっていったのである。
こうした好み、嗜好の伝播もまたなかなか面白いものである。
しかし、こうした些細なことをも含む、好み、嗜好の伝播とは、おそらくその大半が無意識であり、そして我々が認識、意識するよりも多く生じているのではないかと思われる。
それはまた、我々の社会の各規模において見受けられる、こうした現象、傾向(生み出された流行)が、同時に我が国社会において比較的多く見受けられる「同調圧力」の基軸となっているのではないかとも思われる。
しかしながら、そうしたことを記していると、不図、これまでに記した一連のブログ記事もまた、何処からの好み、嗜好の伝播であったり、同調圧力によって継続することが出来ているのではないかとも考えるに至るのである・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」
面白いことに、こうした過去の出来事を題材として記しておりますと、それまでの主要な形式である、現在思ったこと、考えたことと過去の出来事を多少関連させた題材を記したものに比べ、疲労の度合いが異なるということです。
これはおそらく記事を記す際における用いる頭の部位、機能が異なるからではないかと思われます。
しかし、この過去の出来事を題材として記す形式にも慣れてきますと、さきに記した疲労の仕方もまた変化するのではないかと思われます。
あるいはまた、そこで不図思ったことは、記す文体において過去の出来事を扱う際に用いている硬質な文体とすることに因り、現在認識される、こうした疲労の仕方(硬質な文体にて記すことによりより多くの疲労が認められる)に結び付くのかもしれません・・。
そこに、どのような関連性があるのかは分かりませんが・・。
とはいえ、今回の記事も以降、先日来の硬質な文体にて過去の出来事を記してみようと思います。
それでは、続けます。
修士課程における私の師匠とは、私と同様関東、千葉県の御出身であった。
とはいえ、この師匠は、就職以来長く和歌山に在住されていたためか、その話し言葉のイントネーションとは、関東のそれであるよりも、和歌山のそれに近いものであった。
また、この師匠は、長い和歌山での在住経験により、県内地域の様々な産物、伝説、言い伝えについて博識であり、それらに対し、時折私が幾分見当違いな見解を述べると、落ち着いた口調にて「そうかなあ・・それに関しては、もう少し調べてみてはどうかな・・?」といった感じで柔らかく再考を促すといったところがあった。
また、この師匠から(勝手に)教わったもう一つのことはコーヒーであった。
それまでに私は缶コーヒーを好んで飲んでいたが、この師匠と様々な機会において会話を交わしていくうちに徐徐に私の方も缶コーヒーよりインスタントであってもブラックコーヒーを好むようになっていったのである。
こうした好み、嗜好の伝播もまたなかなか面白いものである。
しかし、こうした些細なことをも含む、好み、嗜好の伝播とは、おそらくその大半が無意識であり、そして我々が認識、意識するよりも多く生じているのではないかと思われる。
それはまた、我々の社会の各規模において見受けられる、こうした現象、傾向(生み出された流行)が、同時に我が国社会において比較的多く見受けられる「同調圧力」の基軸となっているのではないかとも思われる。
しかしながら、そうしたことを記していると、不図、これまでに記した一連のブログ記事もまた、何処からの好み、嗜好の伝播であったり、同調圧力によって継続することが出来ているのではないかとも考えるに至るのである・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」
2016年10月24日月曜日
20161024 北海道からの転勤、南紀での勤務、さらなる転勤・・
A「本日は少し帰宅が遅くなりました。
さて、昨日のブログ記事の続きとなります。
私の就職後初めての赴任地とは北海道の札幌市の近郊であった。
無論、これは私にとって初めての北海道での在住経験であったが、北海道とは、冬が寒く、日射量が少なかった。
そして、この時に日光の精神に与える影響の重要性および自身が北海道を含む寒冷地に対し体質的に向いていないことを強く認識した。
とはいえ、ここで2年間在住した。
この2年間の在住期間を通じ、特に価値観が大きく変化することはなく、ただ漠然と東京を含む首都圏に戻ることを望んでいた。
そして、その次の転勤先とは和歌山、南紀であった。
東京、首都圏を通り越し、はるか遠く、和歌山、南紀が転勤先であったことは、当時の自身にとって決して嬉しいものではなく、むしろ強く落ち込む要因となった。
とはいえ、この地に赴任し、最初に感じたことは、日射量が多いということである。
また、それによりいくらか萎縮気味であった自身の精神が膨らみ、そしてほぐれていくというような感覚をおぼえた。
しかしながらこうした、しばらくの期間、日射量の少ない寒冷地に在住した後、日射量の多い温暖な地域に転居した場合、こうした現象が生じるのは特に珍しいことではないものと考える。
さらに、この南紀での在住期間を通じ、山奥のダム湖でのバス釣りをおぼえ、夏の暑い盛りに一人釣行し、ボートの上から釣糸を垂らしているのは、なかなか風情があり、また、魚が掛かった時の興奮とは、それまでに味わったことのないものであった。
私はこの南国的ともいえる南紀の横溢とした自然風土が徐徐に好きになっていった。
また、それと同時にここではサイクリングもよく行い、南紀白浜から中紀の御坊市まで日帰りで行ったことも何度かあった。
そしてまた、近隣地域を無闇に走り、迷ってしまうことも度々あった。
そうした折、目にする珍しい地名をいくつも憶えたが、これらは不思議なことに、後に当地の雨乞いに関しての研究を行った際、よく出てきたように思われる。
また、その地名のいくつかとは銅鐸の出土地でもあり、それら(珍しい地名、銅鐸の出土)の関連性とは、未だ判然としていない。
とはいえ、やはり何かしらの関連性があるのではないかと今でも考えている。
以上のような経験、経緯により、当地の歴史、文化に対し漠然とした興味を抱き、それらに関する書籍を能動的に読みはじめた頃、東京の事業所への転勤の辞令を受けた。
当初望んでいた東京への転勤がこの時期に為されることはなかなか皮肉なことであった。
そして、東京転勤の後も、この思いは終息することはなく、また当時実家近くにいたこともあり、以前より相談に乗って頂いていた方々に会い、そうした思いを述べ、相談し、やはり、かねてよりの望みに従い大学院に進学した方が良いのではないかと考えるに至った。
この時、相談に乗って頂いた方々は、特に賛成、反対することもなく、ただ、その方法に対して具体的な質問をするのみであった。
ただ、この時兄が、それまでの経緯を知ってくれていたことから、賛成してくれた。
その後、会社を退職し、必要であると思われる勉強を行い、いくつかの大学願書を入手し、必要書類を作成、入手し院試に望んだ。
また、この時期は幸いなことに、丁度、会社勤務時代に貯めていたものの価格が急騰をはじめた時期でもあり、これによりおおいに助かった。
受験した大学院は全て関西、近畿圏に立地するものであり、それぞれの先生方に事前に連絡を取っていたが、その感触とは、よく分からないものであった。
そして、結果的に二つの大学院に通り、このうちの自身が研究を望む地域により近い大学の方が良かろうと考え、そちらに進学することにした。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、そして昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
さて、昨日のブログ記事の続きとなります。
私の就職後初めての赴任地とは北海道の札幌市の近郊であった。
無論、これは私にとって初めての北海道での在住経験であったが、北海道とは、冬が寒く、日射量が少なかった。
そして、この時に日光の精神に与える影響の重要性および自身が北海道を含む寒冷地に対し体質的に向いていないことを強く認識した。
とはいえ、ここで2年間在住した。
この2年間の在住期間を通じ、特に価値観が大きく変化することはなく、ただ漠然と東京を含む首都圏に戻ることを望んでいた。
そして、その次の転勤先とは和歌山、南紀であった。
東京、首都圏を通り越し、はるか遠く、和歌山、南紀が転勤先であったことは、当時の自身にとって決して嬉しいものではなく、むしろ強く落ち込む要因となった。
とはいえ、この地に赴任し、最初に感じたことは、日射量が多いということである。
また、それによりいくらか萎縮気味であった自身の精神が膨らみ、そしてほぐれていくというような感覚をおぼえた。
しかしながらこうした、しばらくの期間、日射量の少ない寒冷地に在住した後、日射量の多い温暖な地域に転居した場合、こうした現象が生じるのは特に珍しいことではないものと考える。
さらに、この南紀での在住期間を通じ、山奥のダム湖でのバス釣りをおぼえ、夏の暑い盛りに一人釣行し、ボートの上から釣糸を垂らしているのは、なかなか風情があり、また、魚が掛かった時の興奮とは、それまでに味わったことのないものであった。
私はこの南国的ともいえる南紀の横溢とした自然風土が徐徐に好きになっていった。
また、それと同時にここではサイクリングもよく行い、南紀白浜から中紀の御坊市まで日帰りで行ったことも何度かあった。
そしてまた、近隣地域を無闇に走り、迷ってしまうことも度々あった。
そうした折、目にする珍しい地名をいくつも憶えたが、これらは不思議なことに、後に当地の雨乞いに関しての研究を行った際、よく出てきたように思われる。
また、その地名のいくつかとは銅鐸の出土地でもあり、それら(珍しい地名、銅鐸の出土)の関連性とは、未だ判然としていない。
とはいえ、やはり何かしらの関連性があるのではないかと今でも考えている。
以上のような経験、経緯により、当地の歴史、文化に対し漠然とした興味を抱き、それらに関する書籍を能動的に読みはじめた頃、東京の事業所への転勤の辞令を受けた。
当初望んでいた東京への転勤がこの時期に為されることはなかなか皮肉なことであった。
そして、東京転勤の後も、この思いは終息することはなく、また当時実家近くにいたこともあり、以前より相談に乗って頂いていた方々に会い、そうした思いを述べ、相談し、やはり、かねてよりの望みに従い大学院に進学した方が良いのではないかと考えるに至った。
この時、相談に乗って頂いた方々は、特に賛成、反対することもなく、ただ、その方法に対して具体的な質問をするのみであった。
ただ、この時兄が、それまでの経緯を知ってくれていたことから、賛成してくれた。
その後、会社を退職し、必要であると思われる勉強を行い、いくつかの大学願書を入手し、必要書類を作成、入手し院試に望んだ。
また、この時期は幸いなことに、丁度、会社勤務時代に貯めていたものの価格が急騰をはじめた時期でもあり、これによりおおいに助かった。
受験した大学院は全て関西、近畿圏に立地するものであり、それぞれの先生方に事前に連絡を取っていたが、その感触とは、よく分からないものであった。
そして、結果的に二つの大学院に通り、このうちの自身が研究を望む地域により近い大学の方が良かろうと考え、そちらに進学することにした。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、そして昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
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