2016年8月13日土曜日

20160812 主に昨日の続き【書籍からの抜粋引用あり】中井久夫著「アリアドネからの糸」

昨日記し稿した記事(20160811)もおかげさまで投稿翌日にしては、閲覧者数が伸びました。どうもありがとうござます。
この記事は主に自身の経験およびそこから生じた個人的な見解について述べた次第ですが、こうした見解が今後出来るだけ広く拡散してくれたら面白い社会になるのではないかと思いますが、これを読まれた皆様は、どのように考えますでしょうか?
加えて、予め正直に申し述べておきますと、このブログ記事(20160811)にて記されている、学会発表などの場において用いられる英語についての見解とは、特にオリジナルといったわけではなく、以前より師匠をはじめ周囲の方々が述べられていたことであり、私もまた自然とそれに賛同するようになった次第です。

また、これを端的に申しますと「海外留学により流暢、キレイに話すことができるようになった英語能力と、自国内での研鑽によって培われた傍から聞くと、幾分いかめしく、古風な論文英語での能力とは、前者に比べ後者が決して劣るものではなく、むしろ第一義的に我々は日本人であることから考えると、こちら(後者)の方が、それを得るための労苦などから勘案すると、より価値があるのではないであろうか?」ということになります。
その意味において、昨日のブログ記事に記された研究者、院生(?)の発表態度とは、私に感銘を与えるものであり、且つ、その発表内容が(私にとっても)比較的分かりやすく、明晰であったことを考えると、益々その感を強くさせます。
そのように考えてみますと、古より現代に至るまで外来語の習熟を余儀なくされた我々およびその祖先等は、古においては隣国の文字言語である漢文を訳しながら読むことを学び、また近代以降に多く流入した西欧各言語においても、概ね同様の態度を以って接しました。その結果、再生産されるものとして、日本風の漢文および同様の英文といったものが生じ、また、そうした文化(?)とは、現在もなお脈々と生き続けているのではないかと思います・・。また、他面において、明治維新以降、太平洋戦争の敗戦、あるいはその後しばらくまでの医学教育におけるドイツ語においてもまた、同様のことがいえるのではないかと思います。しかし、何れにせよ、これら日本風の外来語による会話、文章にて、その意味が精確に相手に通じるのであれば、特に問題はないのではないでしょうか・・?
そして、こうしたことを国内に当て嵌めて考えてみますと、各地方における訛りにおいても本質的には同じであり、とりあえず意味が精確に通じれば良いのではないかとも思われますが、如何でしょうか・・?
・・・その点面白いことに、大学というところは基本的に関東弁、標準弁が用いられるところであり、教員、学生さん等は様々な出身地を持っているはずなのですが、大抵何故か皆さん、関東弁・標準弁を用いておりました・・。

・・・そして、ここまで記していて、不図以前抜粋引用しました中井久夫の文章が想起されましたが、もしかすると、ここに何かしら関連があるのかもしれません・・。
ともあれ、それを下に示します。」


中井久夫著「アリアドネからの糸」みすず書房刊pp.134-137より抜粋
「身体の外傷は八ヶ月すれば有機化されるが、心の外傷は恒久的に治癒しないことがありえる。」ということもできるであろう。なお、覚醒剤を使ったことのある者が長年経ってから起こす覚醒剤を使った時の異常体験のフラッシュバックも、古型の記憶の装置となんらかの関係にあるものであろう。いっぽう、新型の記憶は極限状況においては麻痺する。
これら侵入症候群と対をなすとされている麻痺・狭窄症状numbing or constrictionであると私は思う。そして、一般に考えられているように両者は交代して現れるのではなく、古型の記憶の賦活が目立つが、新型の記憶の麻痺が目立つかの相対的な違いにすぎないと私は思う。おそらく、古型の記憶はヒト以前に遡るであろう。
ゾウがかつて苛めた相手を何十年か後に攻撃したという話がある。
これに対して新型の記憶は成人言語性の成立以後である。
つまり、言語と結びついていてヒトだけである可能性がある。では人類史上いつごろのことであろうか。
その歴史的時期は不明であって、ある人は非常に古い時期にこれを措定するであろうが、無文字社会における成人文法性のあり方、そこにおける個人史の形と意味についての研究があまりに不足していること、無文字社会への共感が得にくいことのために、私はこれ以上深入りすることは避けたい。
ただ無文字言語と有文字言語との差には注目しなければならない。
無文字言語は語彙が数千を越えることができないようである。
無文字言語に近い現代の方言の語彙もその範囲である。
また、文脈を形成し維持して、文を文脈から遊離させないために、反復や常套句を盛んに使用し、複合的な文章形成を避けるという点も特徴的である。方言が成人言語でないということはできないが、もっとも発達している日本方言である関西弁でも、それを使って今書いているような議論文を私は書けない。無文字言語の世界をわれわれは方言によってかいまみることができそうである。

古型の静止型記憶が成人期までどんどん積み重なっていったとすれば、それはちょうど未整理の写真が何年、何十年分も溜まったようなもので、そういう不精をしてしまえばアルバムに仕立てることが大仕事になる。
新式の記憶が立ち現れる必要があったのは、ヒトの記憶容量の増大に促されてのことではあるまいか。ここで晩年のロラン・バルトが「(一枚一枚の)写真は未来を持っていない」といったのが思い合わされる。

古型の記憶は絶対音階の世界、新型の記憶は相対音階の世界にたとえられるかもしれない。絶対音階を持つことは音楽家には非常に重要な前提条件といわれるけれども、絶対音階を持った人の不幸もある。駅や百貨店で鳴っている音楽を私が聞き流せるのは相対音階しか持っていないからである。絶対音階を持ってしまった人にはすべて音程の狂った音に聞こえて苦しくてたまらないであろう。実際そういう少女のそういう訴えを聞いたことがある。ここで自閉症児が特定のサイクルの音に反応して落ち着かなくなることが思い合わされる。たとえば冷蔵庫を止めるとそれだけで問題が解消する。彼ら彼女らはひょっとすると絶対的音階優位の世界から脱皮できなかった人ではあるまいか。電話帳一冊をまるごと覚えられるという異能も「絶対音階」的な世界に属するものではなかろうか。」
アリアドネからの糸
アリアドネからの糸
・ISBN-10: 4622046199
・ISBN-13: 978-4622046196

中井久夫

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年8月11日木曜日

20160811 学会での印象的な光景

どうしたわけか、昨日記し投稿したブログ記事(2060810)は投稿初日にしては、なかなか多くの閲覧者数を得ることができました。

読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そして、この記事(20160810)の内容に多少関連しますが、私はこれまでに幾つかの学問分野における研究者および未来の研究者達に接する機会を持つことが出来ました。

そして、ここからは私見となりますが、彼等、彼女等の多くは、各々が所属する学問分野特有の世界観を持っており、その世界観の特徴(これは未だ感覚的なものであり、上手く言語化することはできませんが)より鑑みますと、昨日の記事(20160810)に記した指摘、反応とは、文系的というよりも理系的なそれであり、また、そうであったからこそ、その指摘、反応とは、私にとって新鮮、鮮烈なものとして感受されたのではないかと思います・・。

そして、ここまで記して不図想起することは、以前出席させて頂いた国際学会にて、自身の発表を終え、他の会場での発表を見学していますと偶然、日本語訛り(加えて、そのイントネーションから西日本御出身であることが想像される)の強い英語にて明朗に話し発表をされている女性研究者、院生(?)を見かけたことです。
そして、発表後、西欧在の某大学研究者数名から矢継ぎ早に質問を受けておりましたが、彼女はこれに特に動じることもなく、時には身振り、手振りも交え、発表時と同様、明朗な日本語(西日本)訛りの英語にて質問に応じておりました・・。

また、用いている英語の表現方法、語彙などから、この方の専攻は医歯薬系あるいは理工学系専攻の方であったと思われます・・。

私はそれ以前に学会などにおいて、この様な光景に遭遇したことがなかったため、大変新鮮、鮮烈なものとして記憶していた次第です。

そして、それと同時に「このような女性研究者が今後、より多くあらわれるようになると、社会とはどのように変化してゆくのであろうか・・?」とも思った次第です。

私としては、そうした未来とは、なかなか面白いのではないかと思われ、またかつて、そうした思いを幾度か周囲の方々に語ったこともありました・・(笑)。

しかし、それと同時に、それがこの先に何らかの社会現象として生じた場合、さらにその後において、その現象に社会全般が便乗し、結局のところ、どうもおかしな方向に行ってしまうのではないか・・?
といった危惧もまた生じてきます・・。

大岡昇平の「俘虜記」などを読みますと、そのような自然に生じた現象に対し、後に全体が便乗し、結局のところおかしな方向に行ってしまうといった具体例に満ち、そのことから、いささか暗い気分にさせてくれますが、おそらくこれは少なくとも、近代以降の我が国社会における特徴の一つであると評しても良いのではないかと思います・・。

あるいは丸山眞男の述べるところの「既成事実への屈服」なども同じようなモデルに対する異なった視点からの表現であるのかもしれません・・。

そして、その同じ社会が「この先の未来だけを見つめる」といったことにヤケに力を入れていることは、何かしら不可思議、おかしな、良からぬものを感じさせます・・。

そして、情報技術が進化発展を遂げた現代においては、おそらく海外の方々に対し、そうした我が国のあまり好ましからぬ特質らしきものが透けて見えてきているのではないかとも思います。

それに加え、一つに、そのようなところから昨今の近隣諸国からの我が国に対する驕りもまた生じているのではないかと考えさせられますが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月半ば過ぎに熊本を中心に発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来る限り早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。













2016年8月10日水曜日

20160809 山椒・ミカン科・蜜柑・・

昨日のブログ記事において山椒、椒(はじかみ)について記しましたが、元々山椒とは植物としては蜜柑などの柑橘類に近いとのことです(同じミカン科)。

そのように考えてみますと、現在の我が国において山椒が多く栽培、生産されている県は和歌山県であり、特に有田郡有田川町のそれが有名であり、また同様に、この地域一帯とは、紀州みかんの栽培、生産においても知られておりますので、元々そうした植物(蜜柑、柑橘、橘)を栽培するのに適した地域であると思われます・・。

ちなみに、この有田郡の湯浅(あるいは南隣の日高郡由良町)とは醤油発祥の地として知られております。

また、不思議なことに有田川町と隣接する有田市の海岸に立地する「椒(はじかみ)古墳」とは長屋王の墳墓との伝説がありますが、実際はそれよりもかなり古いものであり、おそらく5世紀中、後期に造営された近畿地方における最初期の横穴式石室の様式を持つ古墳であるとされています。

また、当古墳から出土した甲冑とは、奈良県五條市猫塚から出土した極めて半島、大陸的要素が強い蒙古鉢形冑と呼ばれるものであり、その兜の形状はいくぶん洋梨を彷彿とさせます・・。

ともあれ、このように山椒から、それが属する植物のミカン科、そして国内における蜜柑の一大産地である有田郡、有田市一帯、さらにその地に存在する古墳の名称が「椒」(はじかみ)であること、さらにまた、その古墳が近畿地方における最初期の横穴式石室様式(我が国におけるその最初期のものは九州北部に多い)を持つものであるということは、なかなか面白いことではないかと思われますが如何でしょうか?
また、この椒古墳からさらに古くなりますが、記紀の垂仁天皇の御代に記されている、天皇の不老不死への御希望から、常世国に生えている非時香菓(ときじく)の実(これを食べると不老不死になるという)を求めて田道間守(たじまもり)が常世国へ派遣されたという伝承があります。
しかし残念ながら田道間守の非時香菓(ときじく)の実を持参しての帰着は垂仁天皇在命中には叶わず、このことを嘆いて田道間守(たじまもり)は垂仁天皇御陵墓の傍らにて亡くなったとされています・・。

そして、この不老不死をもたらす非時香菓(ときじく)の実こそが柑橘であったのではないかと考えられております。

また、一説には、田道間守が常世国から我が国に持ち帰った非時香菓(ときじく)をはじめに植樹した場所が、さきほどの蜜柑の一大産地である有田郡、有田市の北に隣接する和歌山県海南市であったとされています・・。

そして、こうしたことに何かしらの関連性はあるのでしょうか・・?

しかし、何れにしてもなかなか面白いことではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そして、もう一つの柑橘類の産地であり、さる四月に発生した大地震によって被災された熊本の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年8月9日火曜日

20160808 山椒・椒(はじかみ)について・・

A「本日も若干帰宅が遅くなり、ほぼ日課としているこのブログ記事作成を開始する時間が遅くなってしまいました・・(苦笑)。

それでも、この後におよんで記事を作成しないことはいささか心苦しいため、本日分(20160808)の記事作成を始めました・・。

そういえば先日街を歩いていますと、うなぎ屋があり、そこから大変良い匂いが流れてきました・・。

そして、そこからさらにしばらく歩いておりますと、今度は中華料理屋があり、店先に出ているメニューを記した看板には「四川麻婆豆腐」と記されており、その横に「本場通り山椒を使っています。」と書かれておりました・・。

この二つを眺めた後、不図思ったことは「そういえば両方共に山椒を使うなあ・・。」ということです。

山椒とは英語では「Jpapanese pepper」とのことですが、おそらく中国の比較的南部の内陸部においては我が国同様あるいはそれより古くから料理などに用いていたのではないかと思われます。

また、私が中国での山椒の使用法について記されていたもので思い出すのは、たしか揚子江、長江の中下流域における漁法であり、山椒の樹皮を網に繰るんで、それを水中にて揉むと、山椒の樹皮から抽出される痺れ成分により水中の魚が気絶し、浮き上がってきたものを捕えるといった方法でした。

これはかつて大学図書館にあった書籍にて読み、何故だか妙に感心したため覚えておりました・・(笑)。

あるいはこうした漁法もまた古の我が国において存在していたのではないかと思われます・・。

また、そのように考えてみますと、もしかすると、この山椒の料理、漁への利用などもまた、以前ブログにて記した「照葉樹林文化」に包含されるものであるのかもしれません・・。

また、ここまで記していて同様に山椒で思い起こされたことは、たしか「古事記」の神武東征における浪速、大阪での敗退を喫した上陸戦のあたりに出てくる
「みつみつし久米の子らが垣下に植えし椒(はじかみ)口疼く吾は忘れじ撃ちてし止まむ」
という太平洋戦争期に突如有名になったフレーズが含まれる歌ですが、この歌に出てくる椒(はじかみ)とは山椒のことであり、大意としては「戦に負けたことを山椒のヒリヒリ感のように忘れまいぞ!」といったところではないかと思います。

そしてこれと類似する意味を持つ四字熟語が「臥薪嘗胆」であるのかもしれません・・。

ともあれ、以上の歌からは、古墳時代(多分前期?)の西日本の何処かには、家の垣根に山椒を植える習俗を持つ部族(?)がいたことが示されるのかもしれません・・。

そして、その起源とは、もしかすると、我が国の水稲耕作の故地である中国、長江中下流域にあるのかもしれません・・。

山椒とひとくちにいいましても、なかなか奥が深いものです・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年8月8日月曜日

20160807 ブログの継続について・・いっぽぎっく・肥後もっこす

おかげさまで昨日土曜日(20160806)も閲覧者が1000人に到達しました。とはいえ、このブログをはじめた当初は、あまり多くの閲覧者を望むものではありませんでした。

それでも、開始後1年ほど経ってみますと、特にSEO対策などを行っていないにも関わらず、さきに記した閲覧者数を得ることが出来るようになったことは、もちろん大変嬉しいのですが、それと同時に「私の記した記事とは、一体どのように読まれているのだろうか?」といった疑問もまた、自然に生じてくるのです・・。

また、記事を投稿した直後、その記事と関連が深いと思われる既投稿の記事が多く読まれていることなどは不可解ではあるものの、大変興味深い現象であり、このことから、ある程度興味を持って読んで頂いていることが分かり、それが次の記事作成の意欲にもつながっています・・。

そのように考えてみますと「ではこのような反応をする(出来る)ブログ記事の読者とは、一体どのような方々なのであろうか?」と考え、それと同時に時折生じる(私としては)不思議な出来事との関連性をも考えてしまいます・・。

以上のことから、単ににPC画面上での閲覧者数が増加しているわけでもなく、それはある程度の実態を伴い増加してきたことは理解できるのですが、ただ、そのわりには、どうも「暖簾に腕押し」の感があるといったところです・・(笑)。

いや、あるいはブログの記事などは、その程度の波及効果であるのかもしれませんが・・(苦笑)。

しかし、それでもさきに記したような何かしらの反応があるということは、大変に面白いものであり、また「継続は力なり」とも申しますので、今後もとりあえず400記事程度までは更新を続け、その後も更新を続ける一方、既投稿記事の加筆修正などを試みようと大雑把に考えております。

さて、その継続というコトバで不図想起したのですが、以前在住していた鹿児島では「いっぽぎっく」というコトバがあり、これは「いっぽ」が一方で、「ぎっく」がゴムのことであり、ゴムを両方から伸ばして、その状態から片方のみ離すと一直線に弾けるのですが、その動態を人の性格にすると、一本気だが融通が利かない、それでもとにかくやると決めたら頑固にやり通すといった意味となり、そうした性格を持っているいる人を指すコトバとして使われます。

そして実際、たしかに鹿児島の方々にはこのような性格の方々が少なからずいたように思われます・・。

しかし、そうであるからといって、それが鹿児島特有というわけでもなく、おそらく北隣の肥後、熊本における「肥後もっこす」にも、ある程度類似したニュアンスがあるのではないかとも思われます。

一方で、このいわゆる頑固、一本気といった共通すると思われる性格に対し、その背景?に各々の「議論」に対する態度、払う価値が大きく異なるのではないかと思われます・・【大提灯と鍬形】。

おそらくこれは地域文化の相異によるものであるとは思いますが、それがどの程度深いものであるかとは、今現在では残念ながらまだ判然としません・・。

ともあれ、今回もここまで読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。




2016年8月7日日曜日

20160806 文章を記す際の心情について・・【円錐をらせん状に上昇・・】

おかげさまで本日(20160806)も閲覧者数が1000に到達しました。読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

さてまた、本日は所用のため都心部に出ましたが、陽光も強く、またアスファルトからの照り返しもなかなかのものであり、本格的に夏になっていることが実感されました・・。

さて、本日またブログ記事を更新しますと380記事となり、とりあえずの目標としている400記事まで残り20記事となります。

このまま順調に記事を作成・投稿することにより、今月中に400記事に到達するのではないかと思われますが、今後何かしら心境、周囲の環境の変化なども生じない保証はないため、とりあえず毎日何かしら記し続けようと思います。

また、同時に「継続は力なり」とは世間一般に流布されているコトバではありますが、現在の私の偽らざる心境としましてはイマイチその実感がなく、あるいは「この程度ではまだ継続といえる程の継続ではないのかもしれない・・。」と不図考えてしまいます・・。

また、そのように考えていた方が、この程度で変に気が大きくなるよりかは、幾分マシであると思われるため、あまり大きな心情の波を生ずるよりも、400記事という目先にある目標に到達する上においては、その路程を平穏に進むことが出来るのではないかと思われます・・(笑)。

そしてまた、そのように考えてみますと、こうした平穏のうちにブログ記事をはじめ何かしら記そうとする心情とは、かつては如上のように文章化され比較的明確に意識されるものではなく、どちらかというと『何かしらゴチャゴチャと行っているうちに記す文章の着想、閃きが訪れるのではないか?』といった心情に基づき色々と必要な文章を記していた記憶があります。

しかし、そうであるからといって、現在においては後者のような心情が全く駆逐、排除されたというわけでもなく、各々の状況において最適と思われる方法そしてその背景の心情を惹起させるのが適当であるのではないかと考えております(意識的に出来るのではあれば)。

また、それに加え、さきにのべた文章を記す際の二つの心情とは前者を計画性に基づく定住型農耕社会的なもの、後者を比較的多くの移動を伴う狩猟採集社会的なものと分類することが出来るのではないかと不図思いつきました・・(笑)。

あるいはこれをさらに一般的な日本史上の歴史区分による分類で当て嵌めてみますと、前者が弥生的、後者が縄文的とも称することが出来るのかもしれません・・。

さらにまた、これを戦闘における戦い方、用兵として考えてみますと、前者が槍、鉄砲といった遠距離まで威力が到達する武器を持つ歩兵による密集陣形による戦い、後者が鎧武者、騎士といった機動性、自由度が共に高い個人の一騎打ちを集団化したような戦いといった感じにとらえることもまた出来るのかもしれません・・。

このような戦闘、用兵の仕方にたとえて記しておりますと、今度は不図その昔に読んだ記憶がある石原莞爾著の「戦争史大観」の中にそのようなことが記されていた記憶があります・・。

そして、おそらく同著の中にこうした戦闘、用兵の歴史的な発展が円錐をらせん状に上昇しながら為されている様子として描いた図がありましたが、もしかすると、この図が無意識ながら以前記した「20160804 登山(開聞岳)とブログ作成・・具象から抽象へ・・」の主題の基となったのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年8月6日土曜日

20160805 文体の進化とは・・

本日はどうしたわけか体調がすぐれず、また頭も重かったのですが、これまたどうしたわけか、知人二人から連絡がありました・・。

こうした時折やってくる連絡は大変嬉しいもので、おかげさまで本日は体調があまりすぐれない中ではありますが、ブログ記事を作成することに決めました・・。

しかし、この二人が示し合わせて前後して私に連絡をしたわけではないと思われますので、むしろ、こうした現象の方が何やら不思議な感じを受けなくもないです・・(笑)。

こうした現象には何か原因、背景があるのでしょうか・・?

とはいえ、この二人が私が現在記しているブログ記事を読んで頂いているかどうかは不明ではありますが、昨春、このうちの一人からブログ作成を勧められたことを不図、思い出しました・・。

ブログ作成開始当初の頃は書籍からの抜粋が多く、また自身の文章にしても、その文体は硬く、頑なであり、また同時に脆いものであったと記憶しております・・。

そのように考えてみますと、文体においても材料などの物性のように脆性、剛性、弾性、靭性、展延性などといった表現が出来るのかもしれません・・(笑)。

そうしますと、現在記しているブログ記事の文体とは一体どのような物性としての表現が適当なのでしょうか(笑)?

しかし、そもそもそれ以前に現在の私には、ある確立された文体といったものは存在するのでしょうか?

・・とはいうものの、それと同時にかつてのブログ記事作成当初の記事と現在のそれを比較してみますと、私見として、主題の深さにおいては、かつての記事の方が相対的に深いものが多いのではないかと思われる一方、その述べたいところを記すという意味においては、最近作成された記事の文体の方が優れているのではないかと思われます・・。

あるいは、これは記事の主題が深くなくなったために生じたことなのでしょうか・・(苦笑)?

何れにせよ、抽象度が高く、分かり難くなってしまう文体と、具象的であり簡明な文体とは、とりあえず文章を記し続けることにより徐々に融和、同化してゆくものであり、またそれが文体の確立であったり、あるいは洗練といったものではないかと多少手前味噌ともいえる考えが浮かびましたが如何でしょうか(笑)?

とはいえ、これまでブログ記事を継続して作成して実感することは、何かしら書き続けることにより、以前に比べ文章として著し難かった事柄を著すことが出来るようになったことです。

そして、この所謂表現力の進化に内容、主題の深さ、充実が付随していれば良いのですが、これがさきに記したように難しいところであると思われます・・(苦笑)。

あるいはこうしたこともまた「三歩進んで二歩下がる」といった感じなのでしょうか・・(笑)?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」