2016年2月20日土曜日

20160220 風邪をひいたハナシ

A「季節の変わり目であるためか、先日風邪をひいてしまいました。
私は、これまでにあまり風邪をひいたことはなかったのですが、今回ひいた風邪はなかなか強烈であり、特に頭痛がひどく、目を開けているのも辛かったです。
また、これは現在なお完治しているとはいえず、ブログ記事作成も困難な状態であると思います・・(苦笑)。」

B「・・はあ、風邪をひいていたのですか・・それは結構辛いですね。
しかし、それでも一応ブログの記事は作成していたようですが、大丈夫だったのですか・・?」

A「いえ、現在もなお完治していませんので、記事作成時もかなり面倒といいますか辛く、自身の記事を作成することは先ず無理であると思い、書籍からの抜粋をいくつかブログの記事として充てた次第です・・。
そして現在に至り、どうにか記事を作成できる程度にまでは回復してきたと思いましたので、現在のこのBさんとの会話を少し題材とさせていただき、次のブログ記事を作成してみようと考えております・・(笑)。」

B「そうですか・・しかし、そうした治りかけの頃が一番厄介であるとも聞きますので、あまり無理をしないで、ブログ記事を作成することもないと思いますがどうでしょうか?」

A「ええ、とりあえず「ブログ作成者体調不良につき、数日間ブログ連載を休止します。」と投稿しようと思いましたが、それであれば、何かしら書籍の抜粋が出来るのではないかと考え、まあ、そのようにした次第です。
加えて、ここ数日間は頭痛のため、一切書籍を読むことができなかったのですが、これは今考えてみますと、案外良いことであったかもしれません・・。
普段、その意味も特に考えず、何気なく行っている行為が、どのような意味を持っているのかを考えさせる良いキッカケとなったのではないかと思います。
また、その意味において、私の読書とは今後もう少し考えてみても良いのかもしれません・・。」

B「・・そうですか、しかし今になって、これまで続けてきた読書を考え直すというのは、難しいのではないかと思います。
つまりAさんは読書が好きであるから、いつそれが始まったのかわかりませんが、読書を続けてこられたのだと思います・・。
そして、それがAさんの作成するブログ記事に対して如何なる影響を与えてきたのかは分かりませんが、文章の作成において、参考として他の文章を読むということは、まあ、ごくごく一般的なことであると思いますので、今後のブログ記事作成のためにも、何かしらの読書は続けた方がいいのではないかと思いますが、どうでしょうか・・?」

A「ええ、まあそれは仰る通りなのですが、一方において「読書ばかりしていると自分で物事を考えられなくなる。」という意見もありますので、私の場合は今回の風邪を良い契機として、敢えてしばらく読書から離れてみるのも悪くないのではないでしょうか・・?
そして、後にこの読書をしない状態にて書かれた自身のブログ記事を見て「ああ、これよりも以前の読書をしていた時期に書いた記事の方が良かった。」と思いましたら、また、読書をしつつ記事の作成を試みようと思います・・(笑)。」

B「・・それは、どうでしょうか?
私はAさんがここまでブログを書き続けることが出来たのは、ひとえに、これまで続けてきた読書の経験によるのではないかと思いますが・・?
また、これまでに投稿したブログ記事も、半分以上が書籍からの抜粋ですよね?
そうしたことは、何といいますかこれまでのAさんのブログの本質を成しているものであると思いますので、あまり変化させない方が良いのではないかと思いますが・・?」

A「・・はあ、なるほど、いわれてみると、たしかにそうであるかもしれませんね・・。
では、とりあえず、次に投稿するブログ記事は、事前数日間、書籍を読んでいない状態にて作成したということに留めておきます・・。
とはいえ、先日投稿した全ブログが200記事を越えたあたりから、よくわからないプレッシャーらしきものを感じるようにもなりましたので、そこからどうにか逃れ、且つブログ記事の作成を続けるためには、何かしら周囲の状況を変化させることは有効なのではないかと思います・・。」

B「そうですか、そうすると今回の風邪ももしかすると、そのプレッシャーによって生じたのかもしれませんね?
また、以前投稿した記事に書かれていたブログの閲覧者数が増えたということも、嬉しい反面、やはりプレッシャーを感じることもあるのではないでしょうか・・?
そのような中、風邪を引いたということは、それら周囲の状況に捉われている部分も少なからずあるのではないでしょうか?」

A「・・・たしかにそうした周囲の状況に捉われている可能性もあると思います・・。
しかし、それだからといって、今回引いた風邪もそうしたプレッシャーに因るものではないと思います・・。
これはやはり、季節の変わり目であることと、多少寒い環境にいたことが直接の原因ではないかと私は考えています。
またプレッシャーを風邪と安易に結び付けるのは、自身の精神衛生的にも、またそれ以前に、実際問題として事実とは異なるのではないかと思います・・。
聞く方々がどう解釈されるにせよ、やはり自分の認識した事物の内容を重視して、それを発信することが、現在私が継続するブログの本質であると思います。
また、それは安易に変えるべきものではないのではないでしょうか?
その上でこのブログを通じて発信した内容が多くの方々に共感を持って読んでいただき、そこから何かしら感じて、考えていただけるきっかけとなれば、それこそが意味のあることではないかと思いますが、どうでしょうか?」

B「ええ、そうであるかもしれません・・。
しかし、意識する、しないに係らず、やはりAさんの場合、ブログ記事の作成と併行して、読書は継続した方が良いと思います。
しかし、実験的にある程度の期間、読書を止めてみるのも面白いかもしれません、そしてそれがブログ記事に対してどのような影響があるのかというのもまた面白い実験であるかもしれません(笑)。」

A「ええ、それは追々試してみようと思います・・(笑)。」


「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」

2016年2月19日金曜日

ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」三交社刊pp.19-21より抜粋20160219

「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。
そのあと、この河から光明が流れ出て行くようになったんだ―騎士たちが出立して行ったと言うのかい?それでもいいさ。
だが、それはね、平原を妬いて突っ走る野火、雲間にひらめく稲妻のようなものだ。われわれ人間の生なんてはかないものだ―せいせいこの古ぼけた地球が回り続ける限り、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、暗黒はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ。まあ想像してごらんよ。地中海に浮かぶ―ああ、なんて言ったっけな―そうそう、トライトリームという立派なガレー船の副長だった男が、突然、北辺に行けと命令された時の気持をね。
急いでゴール人の地の陸路横切って北海に出て、古代ローマの軍団の船の一艘の司令を任されるわけだ。
物の本にあるところを信用すれば、彼らはそうした船を、一月か二月のうちに、何百と造ったものだそうだ―ずいぶんと器用な連中だったに違いないね。
さて、世界の最果て、鉛色の海、煙色の空、六角アコーディオンと同じくらいの堅牢さしかない船―その船に兵糧、兵士、その他あれこれを積んで、その船長がこのテムズを遡ってくるところを想像して見たまえ。砂州、沼沢、森林、蛮民、―文明人の口に合うものなどほとんどなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。
―寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、―空気のなかにも、水のなかにも、薮のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない。だが、もちろん、船長は任務完遂、それも、あれこれ思い惑うこともなく見事にやってのけたのかもしれない。
彼らこそが暗黒に立ち向かうに十分な強さを備えた男たちだった。
もし、ローマにいくらかのよいコネがあり、このひどい気候風土を生き抜いたあかつきには、やがてラベンナの艦隊への昇進もあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ。
あるいはだな、トーガを身にまとった人品いやしからぬ少壮のローマ市民が―さいころ遊びでもやり過ぎた挙句ににさ―一旗揚げ直してみるともりで、知事とか、収税吏とか、はたまた商人などに混じる一行に加わって、この土地にやって来たところを想像してみよう。
まず沼地に上陸し、森や林を抜けて、やがてどこか内陸の駐屯地にたどり着く。そこで、彼は未開地の荒涼さ、全くの荒涼さがすっぽりと彼を包み込んでしまったと感じるのだ、森のなか、ジャングルのなか、そして野蛮人の胸の奥にうごめいている荒野の神秘な生命のようなもの全体が、ひしひしと身に迫ってくる。
そうした神秘に参入する儀式や手ほどきなどありはしない。彼はその理解を絶したもののただ中で生きてゆかねばならず、それはまた、嫌悪すべきことでもある。
ところが、その神秘はある魅惑も備えていて、それが彼の心にじわりじわりと作用を及ぼしてくる。
嫌悪感の蠱惑とでも言えようか。思っても見たまえ。日々につのる後悔、逃げ出したいとあせる気持、それができない腹立たしさ、結局は屈服し、ただ憎悪が残るのだ」
「闇の奥」
ISBN-10: 4879191620
ISBN-13: 978-4879191625
ジョセフ・コンラッド


2016年2月18日木曜日

Laurence Van Der Post著 「The seed and the sower」Vintage classics刊 pp.33-34より抜粋 20160218

Even when I have had to punish you, I felt you understood it was not I, Hara, who wanted it, but that it had to be, and you never hated me for it.
Please tell me now: you English I have always been told are fair and just people: whatever other faults we all think you have; we have always looked upon you as a just people.
You know I am not afraid to die.
You know that after what has happened to my country I shall be glad to die tomorrow.
Look, I have shaved the hair off my head, I have taken a bath of purification, rinsed my mouth and throat, washed my hands and drunk the last cupful of water for the long journey.
 I have emptied the world from my head, washed it off my body, and I am ready for my body to die, as I have died in my mind long since.
Truly you must know, I do not mind dying only, only, only, why must I die for the reason you give?
I don’t know what I have done wrong that other soldiers who are not to die have not done.
We have all killed one another and I know it is not good, but it is war.
I have punished you and killed your people, but I punished you no more and killed no more than I would have done if you were Japanese in my charge who had behaved in the same way.
I was kinder to you, in fact, that I would have been to my own people, believe it or not, than army rules and rulers demanded.
 If I had not been so severe and strict you would all have collapsed in your spirit and died because your way of thinking was so wrong and your disgrace so great.
If it were not for me, Hicksley-Ellis and all his men would have died on the island out of despair.
It was not my that the ships with food and medicine did not come.
I could only beat may prisoners alive and save those that had it in them to live by beating them to greater effort. And now I am being killed for it.
I do not understand where I went wrong, except in the general wrong of us all.
 If I did another wrong please tell me how and why and I shall die happy.

「The Seed and the Sower」

ASIN: B005F3GKTC

Laurence Van Der Post

20160218 求職活動時におけるカバンのハナシ

A「先日求職活動で出た際、ビジネスバッグを持っていたのですが、普段私はデイパックばかり使用しているためか、帰宅しましたら変に肩が凝っていました。
やはり、バッグなども普段使用しているものから突然変えると、何か違和感を覚えるようですね・・(苦笑)。」

B「・・はあ、求職活動での外出となりますと、背広を着ていたということになるのですか?」

A「・・ええ、そうでしたが、それが何か?」

B「うん、背広を着ている時はやはり一般的にはビジネスバッグというか、手提げカバンを用いますので、それはまあ、仕方ないのではないでしょうか?
あるいは、求職活動時の緊張によって肩が凝ったのではないですか?」

A「・・ああ、たしかにそういった要素も多少はあると思います。
しかし私のこれまでの経験から、この肩凝りの原因とは、求職活動時の対人的な緊張によるものよりも、慣れない手提げカバンを持ち、ある程度の時間歩いたことに大きく因るのではないかと思います・・。
このあたりは体感、実感的なことですので、客観的にうまく立証することは難しいのですが・・(苦笑)。」

B「まあ、それはAさんがそう仰るのでしたら、そうであると思いますが、それでも求職活動時で背広を着用している際、デイパックを背負うのは、やはり少し似つかわしくないような気がするのですが・・。」

A「・・ううむ、それはどうでしょうか?
たしかに首都圏のサラリーマンの方々などを見ておりますと、そうであるかもしれませんが、大学、特に理工系の分野では学生も教職員もデイパック率が高いように思います。
ですからそれはBさんが仰るほど特異でないとも思います。
また、さきの求職活動において私がデイパックでなく、手提げカバンを用いたことには、一種そうした首都圏の傾向を私が何となく感知したことに因るのかもしれません・・(笑)。
とはいえ、より広い視野で考えてみますと、背広にデイパックとは、そこまで特異なことではないように思われますが、どうでしょうか・・?」

B「・・たしかに理工系の先生や学生はデイパック率が高いかもしれませんね・・。
では、それはどのような理由に因るものなのでしょうか?」

A「・・これはあくまでも推測ですが、理工系の学問においては特に合理性を求める傾向が強いと思います。
そして、この傾向を携帯するカバンの種類に適用してみますと、デイパックの場合、荷物を持ちながらも両手が空いているということが合理的と認識するのではないでしょうか?」

B「はあ、そうですか・・。
しかし、ひと口で理工系といいましても工学部、理学部それに加えて農学部、医学部、薬学部、歯学部、看護学部などと様々あると思いますが、それらの中においても同様な傾向が認められるとAさんは考えるのですか?
そして、それがもしわからないのであれば、文系諸学部のそれと共にデイパック使用率を調べてみるとなかなか面白いいかもしれませんね(笑)?」

A「ああ、それはたしかに面白い試みですね(笑)。
また、それに関連して考えてみますと、降雪地帯ではさきほどの理由により、手提げカバンよりもデイパックを日常において用いる可能性が高いのではないかと思われます。
あるいはまた、こうしたことは、男女といった性差においても随分異なってくるのかもしれません。
そして、そうした学問分野のみならず、地域、世代、性差などといった要素に基づいて調査してみますと、なかなか面白く、何かが見えてくる可能性もあるかもしれません。
 
B「・・ええ、それはたしかに面白いかもしれませんね。
また、同時に海外においてはそうした事情はどうなっているのでしょうかね?」

A「なるほど、そこまで考えてみますと、それはまたそれで面白いかもしれませんね・・。
しかし、それはいいとして、こうした携帯するバッグ種類の傾向を調べて得られた結果のデータとは、一体どのような役に立つのでしょうか・・?」

B「・・そうした調査とは、何も目先の何かに対して役立つから行うというわけでなくても良いのではないでしょうか?
また、どのような学問分野においても基礎研究とは大体そういったものではないでしょうか?
昨今の社会的傾向とは、実学重視であるといいますが、一方において実学と虚学?との明瞭な境界線、マージンラインなどといったものは実際に存在するのでしょうか?
また、もしも、そうしたものが実際に存在するのであれば、それを平易な表現を用いて説明して多くの方々に納得して頂くことは可能なのでしょうか?
加えて、そうした現在の我が国における実学重視という価値観および傾向も、今後割合簡単に変わってしまうことも充分に考えられるのではないでしょうか?
そして、そうであるからこそ、実際その時代に存在した様々な傾向を資料、データとして残すということには、多くの映像資料などと比べてみても、勝るとも劣らない大きな価値があるのではないかと思います・・。
また、まさしくそこに、さきほどいいました基礎研究の価値があるのではないかと思いますが・・。」

A「・・そうですね、結果的に日の当たりやすい実学的な研究分野において大きな成果を上げられた研究者の方々の多くもまた、基礎研究の価値、重要性を説かれますね・・。」

B「ええ、ですから多分、自らの内面から湧出する知的好奇心を堰きとめたままにしておかないということが大事であるのではないかと思います・・。
また、そうした好奇心とは、当初において即物的な実利と結び付かなくとも、何かしらの形で研究、探求し続けるのが良いのではないかと思います。」

A「・・はあ、なるほど、それでしたら私が現在継続して書いている一連のブログにもそういった要素があれば良いのですが、最近はどうもよくわかりません・・(苦笑)。
ですから、今の私にできることは、とりあえず書き続け、また求職活動を続けることではないかと思います・・。」


「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」


2016年2月17日水曜日

北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」新潮社刊pp.137-138より抜粋 およびスタンリー・キューブリック監督「突撃」(1957) 終幕場面 20160218 

Directed by Stanley-Kubrick
ending scene

北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」新潮社刊pp.137-138

「翌日は出港の予定であったが、三十年来の濃霧のため河口に四十隻の船がつまってしまい、出港できぬという。結局この霧のため二日半出港がのびた。

出港がのびると酒や煙草はシールされているので不足してくるし、むろんのことベルギーの金は使いきっている。私はまだ少々ドルやマルクを持っているが、今後どういう事態が起こるかわからぬので無駄には使えない。いつ出港になるかわからぬため上陸許可が出るのは午後も遅くか夜になってからである。

私はそれでも街へ出て行って、中央駅あたりの店で二、三枚の絵はがきを買い、一ドル紙幣をくずした残りで幾刻かを過ごした。

ある午後は映画を見た。西部劇の看板のでている館にはいって行ったら、なんだか様子がおかしい。古風なフランス軍の軍服なんかきたカーク・ダグラスがしきりと呼子を吹きながら突撃している。
西部劇は次週のもので。これは第一次大戦の仏軍の物語なのである。
英語をしゃべっているのだがとてもわからず、フランス語とオランダ語らしい字幕があるがこれは目に一丁字もない。
功をあせった上官がカーク・ダグラスの将校に無理な攻撃を命じて失敗してしまうのだが、最後に三人ばかりの兵士が死刑になってしまうところがよくわからない。また捕虜みたいなドイツ娘が兵隊の前で歌など唄うがこれまた関連がわからない。どうも未だにわからない。」

「どくとるマンボウ航海記」
ISBN-10: 4101131031
ISBN-13: 978-4101131030  北杜夫
 

金関丈夫著「発掘から推理する」岩波書店刊pp.52-56より抜粋 20160217

「万葉集」の巻一に、カグ山とミミナシ山との争いを歌ったものがある。争いの原因はウネビ山を中にした恋愛の三角関係である。

しかし、山と山とが恋愛したり、喧嘩したりするということは、いったい何のことだろう。
単なる擬人法で、山の名は借りものにすぎないのだ、と片づけるとしても、まことに不可解な発想法である。この歌の意味はいまだにはっきり説明されていない。

説明の手がかりは、まず恋愛のほうにある。
一方が男で他方が女でないと恋愛は成り立たない。
現に山のうちには、山城の男山とか、日光の男体山にように、性を有するものがあり、日光の文字も二荒(ふたら)のニコウをもじった吉祥字で、もとの二荒はふたつの神山である。 その一方が男体だから、ここにはちゃんと女体山(女貌山または如宝山)がある。 紀伊や大和の妹背山、大和の二上山も北が男岳、南が女岳である。
古い記載では、「常陸国風土記」に筑波山の西峰が雄神、東峰が雌神であったり、「肥前国風土記」には、杵島の三山の一つはヒコ神、一つはヒメ神、これにはミコ神、すなわち子供まであった。ウネビ山のミホトの地名は、いつも問題になるが、ウネビが女性なら、ミホト(女陰)のあるのは当然だろう。縦に削られた山の凹みにこの名をつけて読んでいる例は朝鮮にもある。

これらの例でわかるように、山には男神と女神とがあり、山にも性があるからには、これをそれぞれ、男神女神として祀る社会があったことになる。 一つの山が男女二峰に分かれているならば、これを祀る二つの社会も全体としては二つに分かれた、一つの集団だった、と考えられよう。 国分直一教授は下関市の蓋井島で、いまも部落が男山と女山とを祀る二つの集団に分かれていることを明らかにして、日本における双分社会の存在の問題に、一つの大きな手がかりを与えた。

古い姿を想像すると、これら男女の山神は、年一、二度の両集団の合同の祭りに、それぞれ男女の姿をとって出現し、和合の神事をいとなんだものらしい。
今も日本の多くの地方で、男女神の婚交の神事をやって、年の豊穣を祈るのは、そのなごりと見られる。 

讃岐の琴平神社の十月の祭りには、上の頭司と下の頭司、すなわち二つの宮座の頭のあいだに、婚礼の盃をとりかわす式が行われて、双分社会の合同の神事が、後世の宮座のそれに影響を与えていることを暗示している。

それはそておき、それぞれに男女神を祀る二つの社会の合同の祭事は、これらの外婚性の両集団の、定時の結婚や交易-市が立つ-の機会でもあった。

さきの筑波や杵島の山々に、男女の定時の集団婚の行われた記事があるのは、この山神の祭りと無関係ではない。

しかし、和合の前には、山と山との争いの場面があった。
相聞といえば恋愛そのもののように近ごろでは考えているが、これは男女が即興的な歌のやりとりをすることで、その歌は相手をやりこめて屈服させたり、屈服されまいと争ういわば歌あらがいである。
折口信夫博士は、平安朝の女房文学の発達は、この、境界(逢坂関)における定期の歌あらがいを考えないとわからないといっている。

この争いは結局の和合を予想したものだが、しかしそれを長びかせて、できる限りのレジスタンスをすることが必要だった。 沖縄の久高島では、ついこのあいだまで「刀自覓ぎ」の風習があり、それは婚礼の席上から、花嫁は山林に逃亡する。 十日、二十日はこれをアクセレートしなければ、和合による祈念の霊力が強まらない。 結婚には、単なる個人的な人間関係でなくて、個々の場合でもこうした、集団的な、宗教的な意味があったのだ。

この行事では、男女神の和合の結果として一身に両性をそなえたミコ神が誕生する。
これが絶大な霊力をふるい、あらゆる予想的の害物を退治して、その年間の安泰と豊穣とをもたらす。これが祭りのクライマックスである。

こうした行事は、東南アジアの農耕民のあいだでは広くのこっており、ジャワでは同じく性的、外婚的双分化社会の合同祭事で生まれた男女双生神の、ひどく劇的なロマンスとなってのこり、また芳賀日出男君の報告によると、インドのベンガル地方の、バロンという神劇では、女装の英雄が悪蛇を退治して、いけにえの娘を救うという。
日本では、これはある種の神話や物語に反映してのこっている。
オロチを退治する前のスサノオノミコトは、頭に櫛をさす。これは女装を意味している。
ヤマトタケルも女装してクマソタケルを退治する。
アマテラスも神功皇后も、大事の前には男装を必要とした。五条橋の牛若や、ヒヒ退治の岩見重太郎に至るまで、みなこれである。これらの神話は、社会の害を除くのにこうした双性の霊力を必要とした思想の反映である。

この思想から、単なる女巫や男覡ではなく、一身に両性をかねた双性の神人が崇められることにもなる。
琉球では、こうした神人を尊ぶ風が今でものこり、現に女装の覡が存在している。

われわれが発掘した鹿児島県種子島広田の、弥生前期末の遺跡から、昭和三十三年に見出した一体の人骨は、その装身具を一見したところでは女性としか思われない。しかし発掘者のあいだに討論を重ねたあげく、結局男性ときまった。

男性としては非常に女らしい男だ。
ところが、おもしろいのは、この人骨が他の男性人骨にはけっして見られない、豊富な装身具を身につけていることである。
同じような装身具は、この遺跡人の風習から見て女巫を思わせる数多くの女性骨にみられるものであるが、その中でも最も豊富につけているのがこの男である。
それのみならず、その額には、他には一例も見られない特殊な装身具をつけた跡がのこっている。
それを幅広の鉢巻の正面に固定して、若いときから常用した、そのために生じた骨の変化も見られる。
装身具といっても、これらはみな呪具である。すなわち、彼は霊力もっともあらたかな人物、最も畏怖された呪師だったということになる。
南島の、今ものこる双性神人の、最も古い祖先の一人だったということになる。

「発掘から推理する」
「発掘から推理する」
ISBN-10: 4006031300
ISBN-13: 978-4006031305
金関丈夫


2016年2月16日火曜日

20160216 ブログ閲覧者数について

A「先日のブログにて閲覧者数が増加したと書かれていましたが、その後はどうなりましたか?」

B「ええ、今現在のところ凡そ300~500程度で安定しております。それでも日によって随分偏差はありますが・・。」

A「はあ、そうですか・・そうすると、以前に比べ2倍程度の閲覧者数でどうにか安定しているということですね。
それで今後の目標などは何かあるのですか?」

B「・・とりあえず現在の目標は、自身の作成記事であれ、書籍からの抜粋であれ、記事を書き続けるといったところでしょうか?
閲覧者数といった具体的な数値を目標として定めてしまいますと、どうも私の場合、あまり上手くいかないのではないかと思います・・。
といいますのは、元来私のブログとは、多くの閲覧者を集めることを企図したものではありませんし、この後に及んでそうした方向に転進(笑)するのは、良いことではないと思うのです。
しかし一方において、閲覧して頂いているということは、どこかで念頭に置いてはありますが・・。
それ故、こうした記事を作成するということには、ある種のバランス感覚のようなものが多少なりとも求められるのかもしれません。
それが私にあるかどうかは別としても・・(笑)。」

A「ううむ、まあブログなどの場合、読んでいる方々が不特定多数ですからね。
そうした中で、思想的にあまり偏らず、同時に問題となりそうな言説を避け、それでありながら何かしら主張し続けるというのは、少なくとも、そこまで簡単ではないのかもしれません・・。
とはいえ、Bさんのブログ記事を読んでいますと時折Bさんの元からの志向、思想の地金らしきものが見えたりすることもありますが・・(笑)。

B「・・私の志向の地金ですか・・たしかにそういったものはあるとは思いますが、それはAさんから見て左右どちら寄りですか(笑)?」

A「ええ、それは昔からあまり変わらず多少右寄りな感じは受けます。
しかし同時にBさんの場合、その歴史、文化的な背景に対しての実感に基づいた知識あるいは敬意みたいなものを感じますので、昨今巷で流行している右寄りの言説とはまた少し違うような感じを受けます・・。
そして、それは右寄りであると同時に左寄りとも見えることがある何とも不思議なものなのですが、どうやらそれが近代以降の日本の右寄りといわれる思想の源流における特徴であるのかもしれません・・。」

B「はあ、それはどうもありがとうございます・・。
また、これまでブログを書いてきましたが、それにより何かイヤガラセらしきものを受けたこともありませんので、特に内容的に問題のあることは書いていないのではないかと思いますが・・。
あるいは単に泳がされているのかもしれませんが・・(笑)。
いや、これは自意識過剰ですね(苦笑)。」

A「まあ今現在Bさんのブログにそこまで影響力があるとは思えませんし、またブログの内容においても特に問題があるとは思えませんので、何れにせよ大丈夫だと思います(笑)。
とはいえ、戦前の社会においては、徐々に蒸返されていった感のある「天皇機関説問題」などもありますから、まあ気をつけるのに越したことはないと思います。」

B「ああ「天皇機関説」ですか・・先日読んだ新書「丸山真男の時代」にそのことが書かれていました。
それによると当時、蓑田胸喜という方が先導的な思想家であったようですが、あのくだりを読んでいますと、どうも現在の様々な報道との類似性を考えてしまいます・・(溜息)。
つまり、我々日本人には、何か絶対的な価値観を神聖視し、それに基づいて異端分子と思われるものの排撃をはじめると、まさにそれに飽きるまで続けるような傾向があるのかもしれません・・。
また、そのやり方においては、ある程度の人気者にして泳がせておいてから、おもむろに釣上げ、苦しんでいるところをおためごかし的な意見を投げつけて楽しむといった、大変湿気の多いところもまたあるのではないでしょうか・・?
そして、このような行為とは、見方を変えれば教育にもなり、またいじめにもなるので、善悪の判断が判然としないまま、今なお曖昧模糊として存在しているのではないでしょうか?
また、このような性質とは、これまでに我が国と戦ったことのある国々においては、ある程度共通の認識となっているのではないかと思いますが・・。
それは映画でいえば「戦場のメリークリスマス」「太陽の帝国」などにおいて見受けることができるのではないでしょうか?」

A「・・まあ、たしかに我が国には、そういったところがないともいえません。
そしてまた、そういったところをことさらに「無いもの」としようとするところに、これら諸外国は益々疑念を強くするようなところがあるように思えます・・。
かつての歴史におけるそうした行為の証拠とは、何も歴史的な資料だけによるものだけでなく、英訳された戦時中を舞台とした小説、あるいは邦訳されていない同様の小説などにおいても記されており、そこから得た視座に基づき現在の我が国の様々な動向を見れば、もしかしたら、そこには何の矛盾は感じないのかもしれません・・。
そして問題なのは、先方諸外国がそうした視座を我々には明示しないものの持っている一方、我々日本人はそれに一向に気付かず、良いこと尽くめの宣伝にて観光立国として安易に外貨を得ようとしようとしていることではないかと思いますが・・。」

B「・・随分手厳しい御意見であるとは思いますが、仰ることの意味はわかります・・。
しかし、そうしたいわば全体的な傾向を改善することは大変困難ではないかと思いますが、どうでしょうか・・?」
 
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。