2024年2月7日水曜日

20240206 昨日久しぶりに自らの文章を作成して思ったこと

本日の首都圏は昨日の降雪の影響もあってか、これまでよりも一段と寒く感じられ、また場所によっては残雪により足元が悪く移動に少し難儀しました。また他方で、当ブログの方は、おそらく、さきの積雪とは関係ありませんが、久々に自らの文章によるブログ記事を作成・投稿しました。

この昨日の記事題材は、今後何回かにわたる予定であり、続きの記事の重要な部分については、断片的ではありますが、過日の訪問直後に作成しました。そして本日も、この「訪問記」の続きを作成しようと考えていましたが、以前の独白形式のブログ記事作成の感覚を取り戻そうと、考えをあらためて、さきほどから当ブログ記事を作成しています。

ここ最近は主として書籍からの引用記事を作成・投稿してきましたが、引用記事については、まだ題材のストックがあり、またそれは日課とも云える短時間での数冊の斜め読みなどによって、不定期ながらも、さらに随時蓄積されています。

しかしながら一方で、さきの経緯で引用記事の候補となった著作の記述を後日あらためて少し身を入れて読んでみますと「そこまで適当ではないかもしれない・・」と感じ方、考えがあらたまることも少なからずありますので、こうしたいわば観念的な採掘作業は継続する必要性があるように思われます・・。

さて、書籍に関しては、昨年末に購入して読み進めている白水社刊オーランド・ファイジズ著「クリミア戦争」上巻は、ようやく終りが見えてきました。そして次に下巻の購入が望まれるところですが、これは今月中旬を目安したいと考えています。ともあれ、これまで私はクリミア戦争について断片的な知識しか持っていませんでしたが、今回の多少難儀している読書により、以前よりも若干、その様相が分かるようになってきた感じがあり、さらに著作内にある19世紀当時の社会についてのさまざまな記述から、21世紀現在の未だ混乱がおさまらない東欧・中東地域での様相とも相通じる、通底すると思われるものが少なからず見受けられました。

しかし、当著作に関しては、文庫本のように比較的気軽に犬耳をしたり朱線を入れることに対して抵抗感があり、後日、興味深い記述を引用記として作成する際に少し難儀するのではないかと予感させられます・・。また他方で、その折には頁を開きしばし斜め読みをしていると、読み進めていた時の感覚が想起されてきて、そして次第に、そうした記述の場所も思い出されてくるのではないかと幾分楽観的に構えている側面もまたあります・・。

これは後日検証してみると面白いかもしれません。

そして、そのように考えてみますと、これまで一連の当ブログは自らの読書経験と継続している読書により成立しているとものと云え、これがなければ、おそらく、継続的に自分なりの文章を作成することは出来なかったと云えます。それ故、私は外出の際に、いつも何かしらの書籍を持ち歩いているのだとも云えますが、しかし、その淵源は既に小学生の頃からであり、またその当時から電車通学の期間が長く続いたことから、その癖はさらに固定化されていったのだと思われます。くわえて、幼稚園から小・中学校の頃は近辺に神田神保町の古書店街があったことも、そうした癖の助長や固定化に有意に寄与しているのではないかと思われます・・。自らの年齢、世代が変っても、その都度、興味深いと感じ、読み進めることが可能な書籍を見つけることが出来ることは、悪くはないように思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。








2024年2月5日月曜日

20240205 令和・歯科医院訪問記①訪問に至るまでの経緯

昨年の初夏、突然、下顎の左側の小臼歯のあたりが痛くなり、当初は我慢していましたが、それも出来なくなり、以前から訪問の機会があった都内東部の歯科医院に問い合わせたところ、すぐに診察して頂けることになりました。

待合室からチェアに通されてエプロンをつけ、うがいをして待っていると、担当の歯科医師がやってきました。こちらの先生は、これまで何度かお話したこともある中堅どころの先生であり専門領域は口腔外科であるとお聞きしていました。

早速、診療がはじまり一通り診察してからレントゲンやCTの撮影を行い、あらためてチェアに戻ると、すぐに先生が戻って来て、今しがた撮影されたモニターの画像を見つつ症状の説明をはじめました。

それによると「この痛くなっている歯は、長年にわたる食いしばりの癖により、過剰な咬合圧がかかり、そのために歯全体に亀裂が入ってしまい、その割れ目から色々なものが歯の中に浸透し、それが歯髄の方にまで達して奥の方で炎症を起こし膿が溜まっている。」とのことでした。

こうした症状は「歯根破折による根尖性歯周炎からの歯根膿疱」といわれるものであり、特段珍しくはない症例とのことでした。

ともあれ、その治療法としては、まず歯の神経がある場合はそれを取り去り、次に根の方に溜まった膿を排出して、そこを清潔にしてから薬剤を詰め、再度炎症が生じないように処置を行い密閉して、そこから膿疱を起こした歯の処置を行うといった流れになりますが、こうした歯根破折(割れてしまった歯)の場合、一般的には、その歯はもう使い続けることは出来ないため、抜歯して、その欠損部に部分床義歯やインプラントなどによる補綴治療を行います。

しかしながら、こちらの先生によると「私は口腔外科が専門であり、これまで既に数多く治療してきているのですが、この割れてしまった歯を一旦抜歯して、その割れた部分を接着して使える状態にして、あらためて欠損部にその接着した歯を植えなおすことも可能ではあるのですが・・。」とのことでした。

この治療法は「破折歯の接着治療」と称されるものであり、以前に少し聞いたことはありましたが、実際に自分がそれを受ける可能性があるとまでは考えたことがなかったため、少し躊躇していましたが、先生の様子を見ていますと、至って平静であり、そこから「先生、割れてしまった歯を一旦抜いて、接着剤を用いて接着してから、また植え戻すということは本当に出来るのですか・・?」と尋ねると、これまた至って平静な様子で「ええ、まあ割れ目の走行の入り方などにもよりますが、これも見た感じでは、そこまで複雑に割れ目が入っていなかったようですので、おそらく大丈夫であると思います。」とのことで、出来るだけ自分の歯を生かして使いたい私としては、他の補綴方法よりも優先して、この「破折歯の接着治療」を受けることにしました。

ちなみにこちらの先生は、御実家は山梨県山梨市にあり、そこから首都圏の某老舗歯科大学に進学そして卒業されてから、沖縄にある大学病院にて臨床研修医を経て、同大学病院の歯科口腔外科に医員として6年間ほど勤務されてから、御実家の山梨市の歯科医院に戻り、そして週1日は、さきの都内東部の歯科医院にて勤務医をされているとのことでした。

山梨から東京の歯科大学へ、そして卒業後は沖縄に渡るといった背景には一体何があるのかと興味を抱き、治療に入る前のちょっとした雑談などから話が進展して、やがて私が山梨市の医院を訪問させて頂く運びとなりました。それが決まったのが昨年の暮れであり、そして訪問の日程は翌、本年の1月下旬に決まりました。

私としても、こうした取り組みは初めてであり、どのような要領で進めて良いのかよく分からないものの、とりあえず始めた次第です。また近日中に続編を作成予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


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2024年2月4日日曜日

20240204 株式会社紀伊国屋書店刊 ロバート・グレーヴス著 高杉一郎訳「ギリシャ神話」pp.166‐167より抜粋

株式会社紀伊国屋書店刊 ロバート・グレーヴス著 高杉一郎訳「ギリシャ神話」pp.166‐167より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 431400827X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4314008273

28 オルペウス

a トラーキアの王オイアグロスとムーサのカリオペーの息子であるオルペウスは、ギリシャが生んだもっとも有名な詩人で音楽家だった。アポローンが彼に竪琴をあたえ、ムーサたちがそのかなでかたを教えたので、野獣たちさえ彼の音楽に聞きほれたばかりでなく、木石までも動きだして彼のかなでる調べのあとを追いかけたほどである。トラーキアのゾーネでは、山樫の老樹の木立が彼をとりかこんでさまざまにおどりまわり、さて彼がその場を立ちさったときの最後の踊りの形そのままの姿で、いまも立ちならんでいる。

b エジプトをおとずれたあと、オルペウスはアルゴナウテースたちの遠征に参加して、彼らとともに海路コルキスに渡った。途中、いろいろな困難はあったが、オルペウスの音楽がこれを切り抜けさせてくれた。遠征から帰ってくると、彼はエウリュディケー、一説にはアグリオペーと結婚して、トラーキアに住む野蛮なキコーン族のあいだに身をおちつけた。

c ある日のこと、ペーネイオス河流域のテムペーの近くで、エウリュディケーはたまたまアリスタイオスに会ったが、彼はいきなり彼女を犯そうとした。あわてて逃げようとしたとき、あやまって踏みつけた蛇にかまれて、彼女は世を去った。しかしオルペウスは、妻をとりもどそうとして、勇敢にもタルタロスへ降りていき、テスプローティアのアオルノンで口をひらいている奈落への道を通った。タルタロスに到着すると、彼はその哀切な歌の調べで、冥府の河の渡し守カローン、番犬のケルベロス、死者をさばく三人の裁判官を魅了したばかりでなく、永劫の呪いをうけた者たちの拷問の責苦を一時的ながらとめてやることさえできた。そして冥府の支配者ハーデースの残忍な心をすっかりやわらげたので、エウリュディケーを上の世界へつれもどすゆるしをかちとることができた。ただし、ハーデースはひとつだけ条件をつけた。それは、彼女が無事に太陽の光のもとに帰りつくまで、オルペウスはけっしてうしろをふりむいてはならないということであった。エウリュディケーは、オルペウスの竪琴の調べに導かれ、暗い路を通って彼のあとについて地上へとあがっていった、ふたたびまぶしい陽の光を見たオルペウスは、そこではじめて、はたして彼女が自分のあとについてきているかどうかをたしかめようとして思わずふりかえった。そして永遠にいとしい妻を失ってしまったのである。

20240203 株式会社講談社 講壇社学術文庫刊 谷川健一著「魔の系譜」pp.21-22より抜粋

株式会社講談社 講壇社学術文庫刊 谷川健一著「魔の系譜」pp.21-22より抜粋
ISBN-10: 4061586610
ISBN-13: 978-4061586611

私は、ユーラシア大陸に縁由をもつといわれるイザナギの呪的逃走のドラマを思い出した。そのドラマは、こうした横穴式古墳を舞台におこなわれた。イザナミは産の苦しみのなかで死に、金銅の王冠は重たく死者にのしかかっていた。彼女の筋肉をつなぐ腱は石棺のなかで溶け、骨に膠着しようとしている。 

 そこはもはや殯宮ではない。死者の黄泉返りをねがって生者が歌舞することはおろか、火を焚くなどもってのほかのことだ。それなのにイザナギは櫛の歯を欠いて火を点じたのだ。封印された石棺の影が、壁に大きくゆれうごく。石壁に刻まれた円は孔雀の怒った羽のようにイザナギにおそいかかる。イザナギは思わずあと退りする。

 しかし屍姦したいとさえ思う愛する女への愛情が、イザナギをふたたび捉える。彼は思い切って石棺のふたを開いた。ところがどうだったか、。屍体には、死臭にとりかこまれて蛆や蛇がたのしげに這っていた。

 イザナギは顔をそむけて逃げ出した、つまずいた拍子に石棺のふたが轟然と鳴って、石室の天井に反響する。石壁の円や三角形も、玄室から羨道へと逃げるイザナギを追っかける。横穴式古墳は両者の愛を、生と死の葛藤に引き裂いた。イザナギは入り口を大岩でふさいだ。そして有名な、あなたの治めている民を、日に千人くびり殺そう、それならば千五百人生もう、という問答が交わされる。死者を守る円や三角形の番人たちは、日本最初の逃走劇のしたしい目撃者となったのだ。

 三角形が神聖な観念であったことは、すでに縄文時代に三角形の土板が護符の役目をはたしているのでも分かるが、埴輪の人物のかぶる帽子や王冠に好んで三角文がつけられるのは、三角形からみちびき出される絶対性の観念が、威厳にみちた王者の飾りにふさわしいものだったからである。王塚古墳(福岡県)の石室いちめんに彩色された三角文は、星空にまがうばかりの死者の宇宙の実在感を私たちに示してくれる。

 装飾古墳のなかには、直線の実在感を私たちに示してくれる。

 装飾古墳のなかには、直線の交叉軸に弧をからませた、いわゆる直弧文と呼ばれる文様がある。アイヌの厚司文様や大礼服の金モールの飾りが、袖口から襟からしのびこむ悪霊を防ぐための模様だったのは、その紐をかたくむすんで、その意味を解きがたくしたような入り組んだ形式が、悪霊どもをとまどわせて、その侵入を防ぐ効果があると信じられたからではあるまいかと考えられているが、縄文土器の奇怪な文様も、装飾古墳の直弧文も同様の効果をあげる目的でつくられたにちがいない。

2024年2月3日土曜日

20240203 株式会社講談社 講談社学術文庫刊 吉田敦彦著「日本神話の源流」pp.180‐185より抜粋

株式会社講談社 講談社学術文庫刊 吉田敦彦著「日本神話の源流」pp.180‐185より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061598201
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-406159820

 日本神話との特異な類似に、われわれが注目したもう一つのギリシャ神話は、オルペウスの冥府行きを主題とするものであった。ナルト叙事詩の中には、われわれが前にオルペウス型神話に与えた「死んだ妻を上界に戻すため、冥府を訪問した男の冒険を主題とする話」という定義と正確に合致する話は見られぬようである。しかしながら、オルペウス神話の影響がイラン系遊牧民のあいだにまで強くおよんでいた痕跡は、この叙事詩伝説中につぎのような形で、明らかにみて取れると思われるのである。

 ナルト叙事詩中には、英雄の冥府訪問を主題とする二篇の説話があり、その主人公はいずれもナルトのソスランである。一方の話では、ソスランは彼が遠征に出かけた留守のあいだに、ナルトたちによって冥府に投げこまれた母のサタナを救出するために死者の国に赴き、冥府の王バラステュルの許可を得て、母を上界に連れ帰ることに成功したとされている。もう一方の話では、彼はオルペウスやイザナギと同様、冥府に亡妻を訪問したとされているが、この時のソスランの冥府訪問の目的は、死んだ妻を生き返らせることではなく、太陽の娘と結婚するため、亡妻の助けを借りることであった。

 しかしながら、この話には、主人公が冥府で与えられた禁令を守らなかったために、不幸な目に遭ったという、オルペウスとイザナギの話に共通する、前述した禁忌の話根とよく似たモチーフが含まれている。

 ソスランは、冥府を出発する前に亡妻から、帰途になにを見ようとも、けっしてそれに手を触れぬようにと、注意された。彼は、最初のうちはこの注意を守って、まず道の上に黄金の山を、つぎに黄金のきつねの尻尾を見ても、それらに眼もくれず通り過ぎた。しかし最後に古ぼけた帽子を見つけると、「これまでどんな宝物にも手を触れずにきたのだから、こんなつまらぬ物の一つぐらい拾っても何ということもあるまい。こんな古帽子でも家に持ち帰って女たちにやれば、石臼を磨く雑巾の役ぐらいにはたつだろう」

 とつぶやき、拾い上げて帯のあいだに挟んだ。

 彼はそのまま道を急いだが、ナルトの村の近くまでくると、疲れて一休みすることにした。そして馬を木につなぎ、鞍を外してやると、彼は突然気まぐれを起こし、この愛馬に向かって、「お前の急所はどこか、すぐにいえ、いわぬと痛い目に遭わすぞ」

 といって問いただしはじめた。馬は最初はなかなか答えようとしなかったが、ソスランが怒って激しく打ったために、ついにしぶしぶ口を開き、「私を殺す唯一の方法は、蹄の裏側を下から上へ突き通すことです。それ以外のやり方では、わたしを殺すことは絶対にできません。ソスランよ、ではあなたの急所はいったいどこにあるのですか」といった。ソスランが、「わたしの身体はすべて鋼鉄だが、ただ膝の部分だけが普通の肉でできている。だからパルセグの車輪がひざに当たれば私は死ぬ。それ以外の方法ではわたしを殺すことは絶対にできない」と答えると、馬は、「神があなたの過失を許したまうように。あなたは、わたしとあなたを破滅させたのです。あなたがさっき拾われた帽子が、今どこにあるか探してごらんなさい。あれはゲテグの息子の、ずる賢いシュルドンだったのです」といった。

 ソスランはあわてて帯のあいだをあらためてみたが、いわれたとおり、古帽子はいつのまにかなくなっていた。こうして彼は、冥府で与えられた亡妻の注意を最後まで守らなかったために、変身して彼の帰りを待ち伏せていた。ずるいシュルドンに、自分と自分の馬の弱点を知られてしまう破目に陥ったのである。そしてこのことは、結局彼の死の原因となる。

 ここで問題にしているソスランの冥府訪問の話に関して、われわれの注意をひくもう一つの点は、主人公のソスランが、死者の国に亡妻を訪ねるというオルペウス型に近いモチーフを含むことの話の中でだけ、例外的に、ギリシャ神話のオルペウスを髣髴させるような、霊妙な魔力をもつ音楽の奏者として、再度にわたち描写されていることである。

 ソスランのこの冥府訪問の目的は、前述したように、太陽の娘と結婚するための助けを亡妻に求めることであった。

 彼はあるとき、一頭の不思議な鹿の跡を追っていくうちに、太陽の娘の住む城に行き着き、そこで自分がこの美女の婚約者として定められた人物であることが知らされた。しかしそれと同時に、彼は結婚の条件として、いくつかの難題を課された。そしてその一つの、冥府に生える樹の葉を獲得するという課題を果たすために彼は亡妻の助けを得ようとして、死者の国を訪問したとされている。

 ところで、この太陽の娘の住居に足を踏みいれたときに、ソスランはフェンデュルという二弦の楽器を奏で、妙なる楽の音を鳴り響かせた。するとこの音楽に誘われて、野の獣や空の鳥が、彼の周囲に集まって演奏に耳を傾け、城の壁まで踊り出し、遠くの山々もこだまを返して伴奏をつとめたと物語られている。

 また太陽の娘との結婚の条件として、彼に要求されたことの中には、百頭の鹿と、百頭の野生の山羊と、百頭のその他の野獣と、すべてで三百頭の獣を集めて引き渡しという課題が含まれていたが、これを果たすために、彼は冥府から帰還した後に、野獣の主のエフサティから笛を借り受け、これを吹き鳴らすと、その音楽につられて三百頭の獣が、たちまちのうちに集まったといわれる。

 冥府訪問を中間に挟むこの二つの場面でのソスランは、明らかに霊妙な音楽の力で、野獣や木石をも感動させたといわれる、ギリシャ神話のオルペウスと酷似している。絃楽器をかき鳴らして、鳥獣や山にまで反応を起こさせたという最初の場面におけるこの類似の度合いは、ことにいちじるしいといえよう。

 このように、ナルト叙事詩のソスラン伝説の中には、その原型であったステップ地域のイラン系遊牧民の古神話に流入していたと考えられる、ギリシャのオルペウス神話の影響の痕跡が、かなりの変容を蒙りながらも、種々の形で明瞭に保存されていると思われるのである。

2024年2月2日金曜日

20240201 株式会社河出書房新社刊 ウンベルト・エーコ著 和田 忠彦監訳 石田 聖子・小久保 真理江・柴田 瑞枝・高田和弘・横田さやか 訳「ウンベルト・エーコの世界文明講義」 pp.17-18より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ウンベルト・エーコ著 和田 忠彦監訳 石田 聖子・小久保 真理江・柴田 瑞枝・高田和弘・横田さやか 訳「ウンベルト・エーコの世界文明講義」
pp.17-18より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309207529
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309207520

 科学とは、この時代を生きる愚か者が、前世代の天才が到達した地点を越えることを可能にするあらゆる訓練のことである。この引用句とベルナルドゥスが言ったとされる文言のあいだには、八世紀の時間が経過しており、そのあいだに何かが起った、つまり、哲学的および神学的思想における父と子の関係について言及していた言い回しが、科学の進歩という性格を示す言い回しへと変化したのである。

 その起源である中世にこの箴言が人気だったのは、前世代の紛争を、一見変革的ではない方法で解決することに役立っていたからだ。古人はまちがいなくわたしたちよりも巨大だった。だがわたしたちは、小人ではあっても、巨人の肩に座ることで、すなわち、かれらの知恵を利用することで、かれらよりもよく見ることができる。この箴言は、元来慎ましいものであったのだろうか、それとも傲慢なものだったのだろうか。はたしてその意味するところは、わたしたちは古人よりもよく知っているが、それはかれらがわたしたちに教えてくれたことだ、ということだったのか、それとも、古人に負うところはあるにしても、わたしたちはかれらよりかなり多くのことを知っている。ということだったのか。

 世界はしだいに年をとる。というのが、中世文化のなかでよく扱われるテーマのひとつだったことを考えると、ベルナルドゥスの箴言はこう捉えられるのではないか。〈世界は年をとる〉mundus senescit〉からこそ、わたしたち若い世代は古人より年をとる、しかし、古人のおかげでわたしたちは、かれらの成し遂げられなかったことを理解したり、実際に云ったりすることができる。シャルトルのベルナルドゥスは、この箴言を文法の議論の分野で提案した。そこでは、古人の文体の知識とその模倣という概念が鍵であった。だが、証人であるソールズベリーのヨハネスによれば、ベルナルドゥスは古人たちを卑屈に真似する師弟たちを叱ったという。問題は、古人のように書くことではなく、かれらと同じくらい上手に書くことを学ぶことであり、わたしたちが古人に着想を得たように、後世の人たちがわたしたちから着想を得るようでなくてはならない。と言っていたそうである。したがって、今日のわたしたちの解釈と同じではないにせよ、オリジナリティや革新しようという勇気に対するよびかけが、ベルナルドゥスの箴言にはあったわけだ。 

 箴言は「わたしたちは古人より遠くが見える」と言っていた。この隠喩は明らかに空間的なもので、地平線へむかう歩みを意識している。歴史を未来へとむかう前進的な運動として、万物創造から贖罪へ、贖罪からキリストの復活の勝利への歩みとする見方は、カトリック教会の教父たちによる発明だったということを、わたしたちは忘れてはならない。したがって、好むと好まざるとにかかわらず、キリスト教が存在しなければ(ユダヤのメシア信仰が背後にあったとしても)、ヘーゲルもマルクスも、レオパルディが懐疑的に「偉大で進歩的な未来」とよんだものについて議論することはできなかったわけである。

2024年1月31日水曜日

20240131 岩波書店刊 宮崎市定著 礪波護編「中国文明論集」 pp.21-25より抜粋

岩波書店刊 宮崎市定著 礪波護編「中国文明論集」
pp.21-25より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003313313
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003313312

石炭は漢頃からぼつぼつ中国で使われ、石炭という文字も、隋頃から現れているようで、宋頃になると一般に人民の間にも使われ、官営の石炭販売場も出来ております。この話は唐の末頃でありますから珍しそうに炭と言うているので当時はまだ余り盛んには用いられていなかったことが分かります。そこで李使君は坊さんの注意に従って飯を炊く時に炭を使い出来る限りの準備を整えて宴を張った。いよいよ息子たちが客にやって来て、それに御馳走を薦めるけれども、一向食べようとしない。ちょっと箸を着けてみるが、あたかも針を飲むが如く兄弟たがいに顔を見合せてやめてしまう。折角お膳を沢山並べても何も食べない。最後に飯が出た。飯ならばどこでも同じ米と水から出来ていて、わざわざ炭で炊いたものであるからきっと食べてくれるだろうと思ったところ、これも一口食べて吐き出した様子である。折角お客を歓待したつもりであったところが、少しもお気に召さなかったので、李使君非常に意気阻喪してしまった。後で坊さんに、一体どういう点が客の気に入らなかったのか聞いてもらった。坊さんが再び貴族の子弟の所に行って「あなた方は折角招待されて行ったのに何も御意に召すものがなかったのは一体どうしたのですか」と聞くと、その子供たちは「料理がその法を得ないからだ」と答えた。そこで更に坊さんが「なるほどほかの料理は法を得なかったかもしれないが、石炭で炊いた飯はどこでも同じではありませぬか」と言うと、「いやその石炭にも法がある。炭を使う時には一度焼いて煙の気を取ってしまってから料理に使うべきものである、ところが李使君の家のはその手続を履まなかったから、飯が煙臭くて食えなかった」と言うたそうであります。

 この話は別に贅沢なのに感心する訳ではありませぬが、その手続は大いに同感を表して宜しい。とにかく石炭のような火力の強いもので、しかも特にその煙気を去ってコークスにして料理に使うというのであるかた、理窟が通っております。その前の時代のように、蝋で炊くとかあるいは酒の甕を人に抱かせるとか、そういう不合理なところがない。この火力ということが、今の話に出た唐の末頃から宋にかけて非常に進歩した。石炭なので高熱を出すので、鉄ではすぐ穴があくから銅の銅釜を使い、銅禁などいう禁令を出して銭を鋳潰して器に造ることを禁じている。また単に強い火力を出すというだけではない。強い火力だけでは物は十分に処理されない。強い上に、大きな火力を出し、更に長く続くことを要する。しかもそれが際限なしではなく適当に調節出来ねばならない。その思うままに火力を支配するということがこの時代の行われたので、更に火力を通じて、あらゆる物に対する人間の支配が確立し、一般文明がずっと進歩した、中華料理がうまくなったのもおそらくこの頃からであろうと思います。奴隷に甕を抱かせないでも、立派に飲める酒が醸されるようになった。この時代は近世中国文明と共に中華料理の黎明期でもあります。それから陶磁器は世界で最初に中国で、宋の時代に完成された。現今世界の陶磁器の祖先は宋の陶磁であると言っても宜しい位でありまして、宋代に陶器が堅牢に優美に、単に実用品のみならず立派な工芸品としての価値を有するに至ったのであります。それが外国に伝わって西洋の陶器にも日本の陶器にもなった。小にしては焼栗、冬になると日本でもやるいわゆる天津甘栗ですが、あの焼栗も既に宋代に流行して、当時の都、開封に、名物として知られた焼栗屋があったということが「老額庵筆記」に見えております。小は焼栗から大は陶器の製造に至るまで、色々な方面に、火力の支配、火力の応用ということが行われております。単にそればかりでなく、当時の一般の美術工芸、あらゆる方面にわたって技術がこれがために非常に進歩しました。

 その要素を考えてみますと、およそ二つの方面があると思います。

 一つは当時、科学的知識が非常に進歩した。火力などもその一つの現れであります。科学的知識といいますと、要するに、物の性質をよく究めて、この物はこういう性質を持っている。彼の物はこういう性質を持っている、その性質と性質を組み合わせて人間に必要な物を造って行く、その土台になる物の持っている長所を究める。それが結局科学的知識と言うて宜しいと思いますが、その一つ一つの物に対して、どういう性質を持っているかを研究し、そうしてその性質を生かして使う。こういうことが宋の頃に行われたのであります。