2023年3月9日木曜日

20230309 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」 pp.204‐205より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」
pp.204‐205より抜粋
ISBN-10 : 4163646205
ISBN-13 : 978-4163646206

大分前のことだが、源田実氏が「ベトナム戦争は、純軍事的に見れば北ベトナムの実質的敗北に終ることは明らかだ」といった意味のことをいわれ、当時これが「勇気ある発言だ」と書かれていたのを何かの雑誌で見たが、瞬間ムカッとしたのである。今それを言うなら、なぜ、太平洋戦争の前にそれを言わないのか!米・英・中三国との戦争の結果は、あなたには「純軍事的に見れば、はじめから明らか」であったではないか。あなたは軍人ではなかったのか。軍事の専門家ではなかったか。他国のことに発言するくらいなら、なぜ自らの祖国とその同胞のために発言しなかったのか。

 もちろんベトナムについて発言することすら勇気がいるのだから、当時の日本で、日本について同じような発言をすることは、死を覚悟しなければ出来なかったであろう。しかし、たとえ、代表的な新聞が社説で「対米開戦」を主張しようと、それは本多勝一氏のように「百人斬り」を近代戦の実態と考え、これを確固たる「事実」と主張しているアマのハッスルにすぎず、それに対したとえ一知半解人が双手をあげてこれに賛同しようと、それは専門家の判断の基準にはならないはずである。

 その場合、専門家は、たとえいかなる罵詈雑言がとんで来ようと、たとえ、いわゆる「世論」なるものに、袋叩きにあおうと、殺されようと、専門家には専門家としての意見を言う義務があり、それをはっきり口にする人が、専門家と呼ばれるべきであろう。ただ私は、宮沢浩一教授の「ペンの魔力」という一文を読んだとき、つくづく戦争中を思い出したのである。次にその一部を引用させていただく。

 わが国では、各地のいわゆる公害裁判で、原告に加担するマスコミがすでに結論がでているとばかりに、被告の訴訟活動に不当な圧力をかけている。被告会社の主張を科学的に裏づけようとする鑑定証人に加えられるペンの暴力によって、専門家は発現を事実上封ぜられる。裁判の場では、両当事者は対等の立場で、使用しうる限りの科学的知識を動員して、その主張の合理性を争わねば、真実を誤る。

 法律の適用についていかにすぐれた能力を持つ裁判官でも、科学的な判断には、専門家の助けを借りなければならない。冷静に戦わされる専門家の意見に耳を傾け、原告・被告の言い分をじっくり聞いて判断を下さなければならないのに、先走った感情論から、被告側の鑑定人の足をひっぱる応援部隊が、「資本家の走狗」よばわりする図は、中世の暗黒裁判に似ている。

 金沢大学の学長が、イタイイタイ病問題での、まわりの付和雷同性をたしなめると、今度は学生が騒ぎ、マスコミが弾劾の論陣をはる。いつになったら、この頓馬なセンセーショナリズムがなくなることだろう。

 教授は「この頓馬なセンセーショナリズム」と書いておられるが、戦争中は文字通り「この頓馬なセンセーショナリズム」の連続であり、「百人斬り競争」という記事は、その一つだったにすぎない。

 そしてこういったセンセーショナルな記事の連続が、専門家の口を封じ、アマだけを異常にハッスルさせるという結果になった。それが、秦郁彦氏の指摘した戦争末期の実情であろう。そして小規模ならば、太平洋戦争と同じのこのパターンの事件は、国内の至るところでくりひろげられているように思われる。

2023年3月7日火曜日

20230306 ブログ記事の作成と「力の配分へのバランス」について・・

おかげさまで、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1963に到達します。そして、今後当記事を含めて新たに37記事投稿することにより、当面の目標としている2000記事に到達出来ます。

これは、今後毎日1記事を投稿することにより、1カ月と数日程度にて達成が可能との目途が立ちますが、おそらくことはそこまでスムーズには進まず、その2倍程度の期間、すなわち2カ月半ほどで(どうにか)達成出来ればと考えています。

具体的には、当ブログ開始から丸8年となる、来る6月22日までに2000記事への到達が叶うのであれば、その経緯はあまり問わないのが、ここ最近での記事作成方針であり、出来るだけ、それが実現出来るように、可能である日は記事作成を行おうということになります。つまり、あまり怠け過ぎず、且つ、根を詰め過ぎずという、所謂バランスのとれたスタンスにて記事作成を行うことが、継続にとっては重要であるように思われるのです。

記事作成にあぶらが乗っている時は、昨今でも「もう一つ引用記事でも・・」となることがありますが、そこで(調子乗って)新たに作成すると、後になり、思いのほかに疲れており、数日間、記事作成を休止するといったことも度々あります・・(苦笑)。それ故、さきの「バランスののとれた記事作成へのスタンス」が重要なものとして認識されるのです。

また、こうした所謂「発信活動」への注力の程度について、あらためて考えてみますと、私の場合、思い起こされるのは、過日投稿の数記事にて述べました2012年の出来事です。そこでも述べましたが、当時の私は、これまでのなかで最も躁的になっており、さきの「力の配分へのバランス」のようなことはあまり考慮していなかったものと記憶しています・・。

そしてまた、この2012年初秋に、これまでに何度か当ブログ記事題材とさせて頂いた人文系分野での勉強会に初めて参加させて頂きました。当時在住していた鹿児島からLCCにて関空まで飛び、そこから電車にて和歌山に入りしましたが、この勉強会の頃は、前述のように躁的であったのと同時に、歯科理工学実習と歯科衛生士科の教養英語を担当させて頂いていた時期でもあり、そのノリにて勉強会での発表もさせて頂きましたが、その時の様子もまた比較的鮮明に記憶に残っています・・。

そのように考えてみますと、やはり躁的な状態である方が、記憶などに関する頭脳の働きは概して活発であるようですが、その後に、揺り戻しのように来る虚脱や鬱のような状態を避けるためにも、躁的になる要素を制御しつつ、記憶や感性を働かせることが、さきの「力の配分へのバランス」の要点であるのではないかと、これまでの経験を鑑みて考えるのです。

その意味において、1000記事到達後から現在に至るまでは、ブログ記事作成に対する活力全体は、それ以前と比べて有意に減衰したと云えますが、しかし同時に、その明らかに減衰した活力で、さらに1000記事近く更新出来ているということは、自慢できるほどのことではありませんが「力の配分へのバランス」については、多少は上達したのではないかとも思われるところです。

とはいえ、これについては今しばらく判断を保留して2000記事までは、前述のようにあまり無理をせずに、且つ、そこまで怠けずに継続していきたいと考えています。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2023年3月5日日曜日

20230304 【書籍をめぐる縁】その2:ブログとSNSとの連携による効果?

先日、読了した著作についてSNSにて発信したところ、何と、その著者ご本人からの反応がありました。これは、去る1月30日投稿分の「昨日のSNS上での出来事から思ったこと【書籍をめぐる縁について】」においても述べたことではありますが、読んだ著作のことをSNSに発信して、それに著者ご本人から反応があることは、やはり現在に至っても驚かされます。とはいえ、先日の出来事については、著者である先生とは、これまでに何度かお目に掛かったことがあり面識もあることから、SNS上でのこうした反応からは、また異なった不思議な感じを受けましたが、同時に全く悪いものではありませんでした。端的に、私にとっては未だ慣れない、新たな種類の刺戟であったのではないかと思われます。

当ブログをはじめて7年8カ月ほどになり、またこれをツイッターにて連携投稿するようになってからは3年2カ月ほどになります。そして、この連携投稿をはじめて、しばらく経ってから、さきのような出来事が生じるようになりましたが、これは前述のように私にとっては未だ驚くべきことであり、その意味において私はツイッターでは未だ新参者であるのだと云えます・・(苦笑)。

そしてまた同時に、昨今、前述のような出来事が続いて生じたことから「私のツイートも新参者なりに、少しは認知はされるようになってきたのかもしれない・・。」とも思われるのですが、これをもう少し考えますと、過日(2月25日)投稿分の「先日の「源泉の感情」と「雑談的会話」の続き・・」にて述べました、2012年春~秋の歯科理工学実習を終えてから、同年晩秋から翌年早春にかけての興味深い出来事とも、通底する何かがあるようにも思われるのです。

とはいえ、これにつきましては、また別の近い機会に述べてみたいと考えています。

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2023年2月28日火曜日

20230228 株式会社岩波書店刊 ロバート・グレーヴス著 工藤 政司訳「さらば古きものよ」下巻 pp.204-208より抜粋

株式会社岩波書店刊 ロバート・グレーヴス著 工藤 政司訳「さらば古きものよ」下巻 pp.204-208より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003228626
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003228623

T・E・ローレンス大佐(1888~1935。イギリスの考古学者・軍人・作家)に初めて会ったとき、彼はたまたま夜会服に正装していた。あれは1920年の2月か3月のことだったに違いない。オールソウルズ・カレッジでは賓客接待の夜で、そのさい彼は7年間の特別研究員に任命された。夜会服姿は目に注意が集中するが、ローレンスの目はたちまち私をとらえた。人工の光で見てみてもはっとするほど青い目で、彼は話し相手の目をけっして見ようとはせず、衣服や手足の目録をつくりでもするかのようにちらちらと上下に動かす。私は偶然の客にすぎず、居合わせた少数の人々は顔見知りだった。ローレンスは神学の欽定講座担当教授(オクスフォード・ケンブリッジ両大学、およびスコットランドの大学に設けられた講座。ヘンリー八世の創設。その後の同様な講座担当教授にもいう)とシリアのギリシャ哲学者が初期キリスト教に与えた影響、わけてもガリラヤ湖にほど近いガダラ大学の重要性について話し合っており、使徒ヤコブが書簡のなかでガダラの哲学者の一人(私はムナサルクスだと思う)を引用したと言った。彼はさらに、メレアグロス(紀元前一世紀ごろのシリア出身の詩人・哲学者)や、ギリシャの詞華集に寄稿したシリア系ギリシャ人について話し、彼らの詩の英訳を出版するつもりだと言った。私はここで話に加わり、メレアグロスが一度いささか非ギリシャ的な使い方をした明けの明星のイメージに触れた。ローレンスは私に顔を向け、「さては詩人のロバート・グレーヴスだな?君の本は1917年にエジプトで読んだけど、すごくいいと思ったよ」と言った。

 私はどぎまぎしたが、悪い気はしなかった。彼はさっそく若い詩人について訊きはじめた。最近の詩の事情に疎いのでね、と言うので、私は知るかぎりのことを伝えた。

 ローレンスはエミール・ファイサル(1906?~75)サウディアラビア国王〈1964-75〉の顧問を務めた平和会議を終えてまもないころで、「叡智の七つの柱」の第二稿に手を入れているところだった。特別研究員の地位は、アラビアの反乱の正規の歴史を書くことを条件に彼に与えられたのである。私は午前中の講義の合間に彼の部屋をよく訪れた。しかし彼は夜に仕事をして夜明けに寝るので、11時前や11時半という時間はさけた。彼自身は酒を飲まなかったが、用務員にオーディット・エールの入った銀製ゴブレットを持たせてよく使いによこした。オーディット・エールは大学で醸造されてオーディット・デイ(会計検査日)などに飲まれたところからその名がついた、大麦湯のような口当たりのビールだが強かった。シュレスヴィヒ‐ホルシュタインのアルバート王子が新築された博物館の開館式に招かれてオクスフォード大学に来たことがあり、式のまえにオールソウルズ・カレッジで食事をとったさいオーディット・エールの口当たりのよさに騙されてつい飲みすぎ、午後遅く帰るときにはブラインドを引いた車で駅まで送られるはめになった。ローレンスの戦時中の活動についてはっきりしたことは何も知らない。もっとも兄のフィリップが1915年にカイロの情報局で彼と一緒で、トルコの戦力の分析に当たっていたことはわかっている。反乱に関しては訊いたことがない。彼がその話題を好まないように見えたことが一つ‐ロウエル・トーマス(1892-1981。アメリカの著述家・ジャーナリスト・旅行家。第一次大戦で出会ったT・E・ローレンスについて書いた「アラビアのローレンスと共に」〈1924〉がベストセラーになった。その後長くラジオのニュースキャスターとして活躍〈1930-76〉が現在、「アラビアのローレンス」についてアメリカで講義している‐もう一つは私と彼の間に戦争のことは口にしないという申し合わせがあったためだ。何よりも私たちは戦争の後遺症に苦しんでおり、オクスフォード大学を現実とも思えぬほどの憩いの場として楽しんでいた。だから、フルスキャップにぎっしり書かれた「叡智の七つの柱」の長い原稿は居間のテーブルにいつも積んであったけれども、私は好奇心をおさえた。彼はときおり、戦前にメソポタミアで行った考古学の仕事について話した。しかし、私たちがいちばん論じ合ったのは詩、それも現代詩だった。彼は、詩人と聞けばだれかれの別なく会いたがり、私を通じて知りあった代表的な詩人の中には、シーグフリード・サスーン、エドマンド・ブランデン、メイスフィールド、それから後日のことになるが、トーマス・ハーディ(1840-1928。イギリスの詩人・小説家)らがいた。彼は素直に詩人を羨み、詩人にはなにか理解すれば得るところのある秘密のようなものがある。という思いこみがあった。彼はチャールズ・ダウディ(1843‐1926。イギリスの作家・旅行家。作品に「アラビア砂漠旅行記」など)を崇拝し、第二の父と慕っていたアシュモリアン博物館のホーガス館長を通じて紹介してもらった。彼には詩人を特殊な生き方や考え方の体現者というより、むしろ技術的な言葉の魔術師と考えているようなふしがあったが、私にはこれに反論するだけの知識がなかった。その後何年かたっていくらか分かってきたときには、説得するのは難しいと気がついた。彼にとっては、絵画、彫刻、音楽、詩などは類似した活動で、使われる媒体が違っているだけだ。

20230227 株式会社講談社刊 倉本一宏著「戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで」 pp.154‐158より抜粋

株式会社講談社刊 倉本一宏著「戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで」
pp.154‐158より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4062884283
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062884280

白村江の戦の対外的な目的に関しては、以前から言われていることであるが(石母田正「日本の古代国家」)、「東夷の小帝国」、つまり中華帝国から独立し、朝鮮諸国を下位に置き、蕃国を支配する小帝国を作りたいという願望が、古くから倭国の支配者には存在し、中大兄と鎌足もそれにのっとったのだということなのだろう。

 それでは、国内的な目的、対内的な目的というのは、いかなるものだったのであろうか。

 第一の可能性として、中大兄が派兵に踏み切った段階というのは、百済の遺臣鬼室福信たちが唐の進駐軍に対して叛乱を起こし、各地で勝利を収めてした時期であった。その時点で百済遺臣は倭国に使者を遣わして、援軍の派兵を要請してきたのである。

 その際、使者は絶対に客観的な事実を言うわけはない。自分たちはすでに大勝利を収めていて、あたかも、もう少しで唐軍を半島から駆逐することができるとでもいうようなことを言ったことは、おそらく間違いあるまい。したがって、中大兄と鎌足は、そのような誇張された情報に乗ってしまったことになろう。実際に、福信たちは緒戦においては勝利がつづいていたわけであるし、使者の情報が誇張を含んだものであると判断したとしても、あながち虚偽の情報でもあるまいと判断し、倭国からの援軍が合流すれば、ほんとうに最終的な勝利を得ることができると考えたとしても、不思議ではない。現在から見れば無謀な戦争だったけれども、当時の情勢としては、本気で勝つ目算もあったという可能性、また実際に勝つ可能性もあったという可能性もあった、ということを考えるべきであろう。

 第二の可能性として、もしかしたら負けるかもしれない、だけれども朝鮮半島に出兵して、戦争に参加するのだ、と中大兄が考えていた可能性を考えてみたい。当時の兵力や兵器、それに指揮系統の整備レベルから考えて、もしかしたら唐には負けるかもしれない、ということは、明敏な中大兄のこと、心のどこかに予想していた可能性は高かろう。

 しかしそれでもなお、負けた場合に、唐が倭国に攻めてくるとは想定せずに、国内はこれによって統一されるであろうということを、中大兄と鎌足は考えたのではあるまいか。中大兄にとっては、中央集権国家を作りたい、だけど支配者層はバラバラである、地方豪族は言うことを聞かない、というような時に、ここで対外戦争を起こしてみたら、国内が統一できるだろう、という思いを持っていたのではないか。

 その際、外国でおこなう戦争だったのであるから、敗残兵が大量に帰還してくれば、国内の人びとにも、さすがに大きな損害があったことは察知できたはずである。しかしながら、それだけの情報しかないのであるから、国内向けには、こっちは大きな損害を受けたけれども、向こうにはもっと甚大な損害を与えたのだと言い張っても、誰も見ていないのであるから、わからないのである。

 さらに第三の可能性として、たとえ倭国の敗北が国内の誰の目にも自明なほどの敗北を喫したとしても(実際にはそうだったのであるが)、「大唐帝国に対して敢然と立ち向かった偉大な中大兄王子」という図式を、倭国内で主張することは可能である。つまり、中大兄たちの起こした対唐・新羅戦争というのは、勝敗を度外視した、戦争を起こすこと自体が目的だったのであり、それによって倭国内の支配者層を結集させ、中央集権国家の完成を、より効果的におこなうことを期したものであるという側面があった可能性を考えたい。

 あるいは、もっと深刻な可能性として、倭国の敗北が国内で周知の事実となってしまった場合でもない、中大兄は自らの国内改革の好機ととらえていたのではないかと考えている。

 あたかもこれから、唐・新羅連合軍が倭国に来襲してくるという危機感を国内に煽り、戦争で負けた、これから両国が倭国に攻めてくるぞ、それに立ち向って我らが祖国を守るためには、このままの体制ではいけない、国内の権力を集中して軍事国家を作り、国防に専念しなければいけない、軍国体制を作るためには、これまでとは異なる権力集中が必要である、国内の全権力を自分に与えろ、と主張しようとしていたのではないであろうか。

 じつはこのパターンが、もっとも強力な軍事国家を作ることができるのであり、中大兄にとっては、この戦争は、まさに「渡りに舟」のチャンスと認識していたことになる。

 最後に一つだけ、とんでもない可能性も提示しておきたい。従来から説かれているところであるが、白村江の戦に参加したのは、倭国の豪族軍と国造に率いられた国造軍の連合体であった(鬼頭清明「白村江」)。中央集権国家の建設をめざしていた中大兄にとって、もっとも深刻な障碍となっていたのは、まさに自己の既得権益ばかりを主張し、中央政府の命に容易に服そうとしない豪族層だったはずである。中央集権国家の建設というのは、取りも直さず豪族層の伝統的な権益(私地私民)を剥奪することに他ならないのである。

 中大兄と鎌足にしてみれば、乙巳の変依頼、自分たちの改革に対して障碍となってきていた、そしてつぎなる改革に際しても、邪魔な存在となる可能性の高かった豪族層を、対唐・新羅戦争に投入し、それらの障碍を取り除くことができる(いわゆる「裁兵」である)とでも考えたのではないであろうか。

 事実、白村江の戦から九年後に起こっている壬申の乱においては、白村江の戦に参加した豪族の名は、ほとんど見られない。

 中大兄たちの思惑通り、白村江の戦における敗北によって豪族の勢力は大幅に削減され、庚午年籍の作成をはじめとして、中央権力はかなりの程度、地方にまで浸透していったのである。

 以上、さまざまな可能性を考えてみた。これらのうち、どれがもっとも中大兄の思惑に近かったのか、それとも、中大兄自身がいくつかの可能性をシュミレートしていたのか、今となっては知る由もないが、いずれにせよ、白村江の戦は、必ずしも無謀な戦争だったのではないし、勝敗をまったく度外視していたわけでもないことは、明らかであると思う。

 なおかつ、負けてもかまわない、戦争を起こすこと自体が目的だった、という側面を強調したい。しかもそれは、対外的な目的よりも、国内的な要因によって起こしたということを指摘しておきたい。

 これは戦争という国家の権力発動の持つ、非常にして明晰な論理の発現だったのである。あれほどの大敗北だったからこそ、それが先鋭に浮かび上がったということなのであろう。そしてこの敗戦以降、倭国は新たな段階の政治制度の整備に向かうことになる。


 

2023年2月26日日曜日

20230225 先日の「源泉の感情」と「雑談的会話」の続き・・

過日投稿の「1050記事 ブログ記事作成継続のエネルギー・熱源について【対話形式】」にて、2012年の歯科理工学実習のことを書きましたが、これは、直近投稿の「当ブログに関する「源泉の感情」と「雑談的会話」の重要性について」と同じであり、また他にも、この時期のことを書いたブログ記事はありますが、私としては、この時期が人生で最も躁的になっていたと思われることから、総じて印象深く、比較的鮮明に記憶に残っているのだと思われます。

加えて、この時期は、生まれて初めて経験する英語科目の講義もあり、当初はかなり不安で、講義依頼をしてくださった先生に「・・本当に私で大丈夫でしょうか?」と、お聞きすると「大丈夫、大丈夫、鶴木君、ちゃんと英語で口頭発表してるじゃないの(笑)」とのお返事であり、引き受けさせて頂きましたが、こちらも体力勝負なところがあり、マイクを用いずに続けましたが、午前の講義を終えて、PCや教材を詰めたリュックを背負うと、何故であるか、重く感じられたことが何度かあります・・(苦笑)。

とはいえ、そこからまた原付で峠を二つ三つ越えて大学に戻り、最後の準備をしてから午後の実習に備えるのです。そうしますと、一時間ほどの休憩を取る余裕はなくなり、15分ほど一休みしてから実習開始となります。

歯科理工学実習については、2012年の時点で既に3年の経験があり、それなりに慣れてきた頃でしたが、この学年で特徴的であったことは、毎年、1学年を概ね1班10人の5班に分けるのですが、その年は、そこで1班10人全てが女性の班があったことです。

これは当時の私にとっては恐ろしいことであり、また、私がこの班を担当する前の週に、その週の実習を担当されていた先生に、この班員全員が何やら抗議していた様子を見て、その烈しさから、翌週の実習日まで気分が落ち気味でしたが、当日「意を決して」いや「開き直って」と表現した方が良いかもしれませんが、説明や雑談的会話などでの人文系ネタの割合を、以前よりも多くして実習に当たりました。これは、そちらの方が私としては嘘のない、それなりに根拠のある知見を交えた話が出来るであろうと考えたためです。

しかしながら、これまでの経験に基づきますと、人文系ネタを交えたようなハナシを喜んでくださるような女性は、人文系の大学院でも少なかったと記憶しており、ほかの場所では概ね、無視されるか、嗤われるか、バカにされるといった、ネガティブな反応が圧倒的多くを占めていたと記憶しています・・。


またこれは、家族・親族の中であっても、さきのような反応が一般的であるため、そうした(人文系ネタを愛好する)心が萎えてしまうことも、少なからずあるのではないかと思われますが、そうしたことは、たとえネット社会である現在でなくとも、何らかの活動を続けていますと、色々な契機が生じるように、新たな段階に至るきっかけが得られるのではないかと思われます。それは多くの場合、人との出会いであり、いわば師匠のような存在を見出すことにより、心が萎えて枯死することは、なくなるのではないかと思われるのです・・。

ともあれ、それまでの経験から、女性達と人文系ネタは概してあまり相性が良くないものと考えていましたが、この年は、さきに書いたように、午前中の教養英語講義からのハイ・テンションに乗じ、それまで以上に、人文系ネタを多く交えて話してしまいましたが、この時に、以前投稿の「【架空の話】実習・講義篇」内にあるようなことを話したのだと記憶しています。

また、彼女等のそれらに対する反応は、全体としては、あまり例年と変わったところはありませんでしたが、実習中あるいはその後の個別の質問のなかには、人文系ネタに関する興味深いものもありました・・。

そのようにして、特に問題なく、その週の実習も終えて、また、その年の実習も全て秋頃には終えることが出来ました。そして、その後の晩秋から翌2013年の早春にかけて、どうしたわけか、何度か大変興味深い出来事があったのですが、これらについてはまた別の近い機会に書きたいと考えています。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2023年2月24日金曜日

20230223 当ブログに関する「源泉の感情」と「雑談的会話」の重要性について

おかげさまで、一昨日投稿分の記事は、投稿後二日としては比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。そしてまた、この題材は、これまでの当ブログ継続の基層にあるものを扱ったことから、これを書くことにより、自らの「源泉の感情」をそこに見出し、そして、その融通無碍の性質から、相変態的に、また新たな方向性の創造を志向して動きだすことが出来るようになるのだと思われます。

その意味において、おそらく各々にある、この「源泉の感情」が、何により齎されたのかが重要になってきますが、これは人により異なると思われますが、それでも多くの方々は複数回は、そうした感情に触れる経験があると考えます。

この(「源泉の感情に触れる」)経験のもとになった出来事は人により異なるのでしょうが、私の場合、まさにそれが当ブログ継続の源泉であると考えることから、無計画に、そして小出しに、ブログ記事として書き続けてきましたが、昨今、ようやく2000記事到達もわずかに現実感が出てきて「そうした際に書いておきたいことはと・・。」と考えたところ、さきの題材が重要なものとして思い起こされ、またそれは、頻繁にツイッターにて連携投稿しているブログ記事である「おかしくなれる時期と(非典型的)知性について」の主題とも関与するものであることから「また何か、これについて書かなければと・・」と思い至り、一昨日の投稿記事となったわけですが、ここで書いた2012年の歯科理工学実習、そして歯科衛生学科での教養英語の経験は、研究室に教授も准教授もいない状況でのことであり、当時の私としては、かなり重大な出来事であったと云えます。

ともあれ、そうした経緯にて、実習やら講義を進めなければいけない私は、その主要な素養(知的背景)は人文系寄りであり、これは教養英語の講義では特に問題ないのかもしれませんが、歯科理工学実習では、先日の投稿記事にて述べた「雑談的会話」で、実習内容と関連することを、ごく自然に、雑談のようにして適宜、話すことが出来ることが重要と書きましたが、他方でもちろん、実習書や各種テキストに記載があるレポート作成上で重要と思しきことは全てお話していますが、それだけでは途中から実習が手持無沙汰になってしまうのです。

そこで、さきに書いた「雑談的会話」となるわけです。そして、2012年の私は、午前中の専門学校の教養英語の講義でのハイ・テンションをどうにか午後まで維持して実習にあたってきましたが、夕方前頃に実習を終えて後片付けをしてアパートに帰宅すると、日中の疲れのため、そのまま玄関先で寝落ちしてしまったことも何度かありました・・(苦笑)。

そして、そのようなことを思い出していますと、以前にも少しだけブログ記事にて書いたことがありましたが、実習時に自らが云ったことが、また少しずつ思い出されてくるのです。そして、それらの内容についてはまた近日中の別の機会に書いてみたいと考えています。

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