2021年3月29日月曜日

20210329 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.169-170より抜粋

 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.169-170より抜粋

今、街頭で、西アフリカやバングラデシュの飢饉のため募金が行われている。ところが私の学生時代には、専ら「冷害で餓死に瀕した東北の農民」のために、街頭募金が行われていたのである。今では想像もつくまい。「トチの実もドングリも食べつくし、ワラモチで飢えをしのいでいます。」といって、その実物を机に並べて街頭に立ったグループもあった。私はどうもこういうことは苦手で、「寄付はするが、街頭には立たない」とことわったため、ひどく非難されたので、今でもおぼえている。こういうこと、すなわち「国民が飢えに瀕しても原爆や戦艦を造る」といったことは、多くの民族が通過しなければならぬ一段階なのかも知れない。だがそれはいずれの国民が行おうと結局はすべて無駄なのである。いまどき、一、二個の原爆や水爆をつくるということは、太平洋戦争の直後に戦艦大和をつくるぐらいの愚行であり、軍事的に見れば、栄光を追う老いぼれの老将軍や軍事委員会主席の白昼夢に基づく浪費にすぎない。

だが、ここで誤解してならないことは、そういう状態を、その国民であれ当時の日本人であれ、圧政とは受けとらなかったことである。ここに軍備というものがもつ奇妙な魔力、子供を異様にひきつける、あの魅力にも似た魔力がある。当時の日本人が、物すごい軍備の重圧下に苦しみうめき、かつ怨嗟の声をあげていたかのように言うのは、戦後の創作された虚構であり、当時はそういうことを言う人は例外であり異端者であって、一般はむしろ逆で、われわれのような「いわゆるインテリ」(この言葉は当時は一種の蔑称であるが)が、ちょっとそういった批判を口にすれば、最も苦しんでいるはずの農民から面詰されるのが普通であった。彼らは軍備を、軍艦や戦闘機や砲を、血と汗できずきあげた誇るべき自分たちの共有財産のように考えており、それらにケチをつけるような者は、ただではおかない、といった面があった。

一方、軍の側にも明らかにこれに対応する考え方があった。人間より兵器を大切にしたことは、前にもいったように事実であるが、兵器について必ずいわれたことで、今では忘れられている言葉は、「御紋章」と同時に「お前たちの父母の血と汗の結晶である」という言葉である。この考え方は海軍にもあったようで、大和出撃の動機の一つが「国民に多大の犠牲を強いて造った戦艦を戦わずして敵の手に渡すことは出来ない」ということだったそうである。いわば「身分不相応」な軍備が国民に極限ぎりぎりの犠牲を強いつづけてきたことを実感している当時の軍人には、「共有財産」を活用もせずに、勝手に敵手にわたして平然と「降服」することは、何としても出来ないことだったのだろう。誤解を恐れずにいえば、私がその立場にいれば、やはり同じことをしたであろうということである。

陸軍には一種の「農民尊崇主義」のようなものがあった。これは前に秦郁彦氏も指摘されたが、日本の陸軍には、都会人とかインテリとかを、最後の最後まで、「陸軍という身内」に入れようとしなかったそうで、これは米英軍にもドイツ軍にも見られなかった大きな特徴だそうである。

同時に反射的に「都市のインテリ」は昔から陸軍を嫌った。「どうせ兵隊にとられるんなら海軍に行きなさいよ。陸軍なんてドロ臭い」とは当時のインテリ女性がよく口にした言葉である。従ってインテリの陸軍嫌いは戦後のことでなく、戦前からの伝統であり、おそらく、これが今でも尾を引いて、自衛隊への批判乃至はいやがらせは、ほぼ陸上自衛隊に集中し、海上自衛隊は実質的にはその対象からはずされているわけであろう。だが当時は農村ではこの感じは一変していた。しかし何らかの意見が活字になるのは、ほとんど「都市インテリ」の場合であり。そのため、何となく陸軍は戦前から全日本人の怨嗟の的だったかのような印象が今では一般的になっているから、陸軍と農民との間に非常に強い「身内意識」あるいは「共同体意識」があったことは、今の人には意外であろう。だがこの関係は、軍隊内における「農民出の下士官」と「都市インテリの兵士」との間の、一種の相互的嫌悪感といったものに、良く表れている。下士官とか軍曹とかいう言葉は、戦後はもちろんのこと、戦時中ですら一種の「蔑称」として使われていたことが、上記の関係を象徴的に示しているであろう。


2021年3月27日土曜日

20210327 岩波書店刊 丸山 眞男著 古矢 旬編「 超国家主義の論理と心理 他八篇」 pp.385‐388より抜粋

岩波書店刊 丸山 眞男著 古矢 旬編「超国家主義の論理と心理 他八篇」 pp.385‐388より抜粋
ISBN-10 : 4003810430
ISBN-13 : 978-4003810439

19世紀における世界市場の形成は、従来「世界史」の激動の彼岸にあった広大な「未開地域」を国際社会の中に引き入れた。この歴史的変動は、ふるくから独自の文化と伝統を形成してきた極東諸国にもっとも大きな衝撃として現れた。

日本は種々の歴史的条件によって、いち早くこの衝撃を主体的に受け止めて、一応ヨーロッパ型の主権的民族国家を樹立することに成功し、19世紀末にはやくもヨーロッパ帝国主義と轡をならべて植民地分割競争に乗り出した。

しかし他の極東諸民族は日本の勃興に刺戟されて民族的独立の方向に歩み出す以前に、あるいはその動向の脆弱な間に、集中的な帝国主義の侵略を蒙って植民地ないし半植民地の境涯に陥った。

やがて帝国主義による資本輸出は伝統的生産様式を押し潰し、交通網の発達は多かれ少なかれ閉鎖的な共同体秩序を破壊したために、資本と軍靴の無慈悲な足跡の下から、ほとんど不死身のエネルギーをもった民族解放運動が20世紀に入って至るところに勃興した。

ヨーロッパにおける英・仏・独・オランダなど主要植民帝国の弱化と、今次大戦における日本帝国主義の崩壊といった一連の歴史的過程を経て、現在アジア・アラブの民族運動は世界政治のもっとも重要な因子の一つとなっている。

これをヨーロッパ的なナショナリズムの範疇でどこまで捉えられるかは、大きな疑問が存在するが、やはりそこにはナショナリズムとよばれて然るべき要素が作用していることも否定できない。

むろん、一口にアジア・ナショナリズムといっても、その間にかなりの地域差があるが、その内部的相異を超えて、これをヨーロッパ・ナショナリズムから共通に区別する特性に着目すれば、まずこれら地域の社会構成において、ヨーロッパともっとも顕著な対照をなすのは、いわゆるミドル・クラスの欠如である。

上層部には60パーセントから80パーセントにおよぶ超高率の地代を収奪する半領主的な巨大地主や、先進国の外国商社と結んだ買弁資本が位し、そのすぐ下には人口の圧倒的多数を占め、ほとんど文盲な貧農と、恐ろしく劣悪な労働条件下にある鉱業その他、主として原料生産業および交通関係の労働者、および種々の雑役に従事する半プロレタリアの大群が位する。

その間にわずかに小規模の民族資本、小商人、ヨーロッパ的教養を受けた知識層(官吏・軍人を含む)が擬似ミドル・クラスを形成するにすぎない。

ナショナリズムの巨大なエネルギーを提供するのは、いうまでもなく下層の極貧大衆であり、彼らの非人間的な生活条件と擬似ミドル・クラスの不安定性とは、そのナショナリズムにきわめて急進的な、しばしば熱狂的な性格を賦与している。

富と権力を持った土着支配層は、外国帝国主義との取引を有利にするため、こうした大衆運動を利用し、ある場合には指導するが、決定的な状況ではしばしば帝国主義と結んでこれを押し潰す役割を演ずる。したがってアジアのナショナリズムはイデオロギー的にも政治運動としても非常に屈折がはげしく、その「急進性」も、ときにはコンミュニズムとして、ときにはウルトラ・ナショナリズム(とくに激烈な反西欧主義)の様相を帯びて発動する。

2021年3月26日金曜日

20210326 みすず書房刊 ロバート・グレーヴス著 多田満智子・赤井敏夫訳「この私、クラウディウス」pp.9‐11より抜粋

 みすず書房刊 ロバート・グレーヴス著 多田満智子・赤井敏夫訳「この私、クラウディウス」pp.9‐11より抜粋

ISBN-10 : 462204806X
ISBN-13 : 978-4622048060

この序論の巻を終える前に、シビュラとその予言について、いささか付け加えておきたい。クマエでは、一人のシビュラが死ぬと他の巫女が跡目を襲うが、有名なシビュラもあれば、無名のシビュラもある、と私は述べておいた。きわめて名高い一人はデモフィレといい、アエネアスが冥界へ降る前に宣託を伺った巫女である。時代が下ってヘロフィレというのが有名だが、彼女はタルクィニウス王のもとに来て、彼が払う気がせぬほど法外な高額で予言集を買い取るようにすすめた。王が拒むとー話によればー彼女はその一部を焼きすて、残り部分に同じ高値をつけた。今度という今度は、王は好奇心にかられてそれを支払った、という。ヘロフィレの持参した神託は二種類ある。すなわち、未来に関わる警告、あるいは明るい見通しの予言と、かくかくしかじかの前兆が起ったら、神意を宥めるために捧げるべき生贄についての指示と。その後時の経過とともに、何であれ顕著な、真実と証明された、私人への託宣がこれに付け加えられた。ローマが何か異様な前兆や災禍に脅かされるような時には必ず、元老院は「シビュラの書」を管理している神祇官たちに、それを参照するよう命じる。するとつねに対策が見つかるのである。その書は火災のために二度も一部消失したが、失われた神託は担当責任者の神祇官たちの共同の記憶によって復元された。その記憶は多くの場合きわめて誤りの多いものであり、だからこそ、アウグストゥスは、明らかに霊感によらない挿入や復元を排して、予言集の権威ある定本を作る事業に着手したのである。かれはまた、権威に乏しいすべての個人的シビュラ神託集を、他の入手可能な公けの予言集と共に集められるだけ集めて破棄した。その数は二千を超えた。かれは「シビュラの書」を校訂本を、パラティヌス丘の自分の宮殿近くに建立したアポロ神殿の神像の台座の下の、鍵のかかる戸棚におさめた。アウグストゥス個人の歴史関係の蔵書から、一つの稀書が、かれの死後しばらくして私の所有に帰した。「原典のうちに含まれながら、アポロの神祇官に偽作っとして斥けらるる神託を集めしゆえに、シビュラの珍本」と称せられるものである。神託の韻文は、アウグストゥス自身の美しい筆跡で書写され、かれ独特の誤った字の綴りが見られる。はじめは無知からの間違いだったのに、その綴りに長年固執して、しまいにはそれを誇りとしていたほどであった。それらの文章の大部分は、恍惚状態だろうと醒めた状態だろうと、決してシビュラが述べたものではなく、無責任な連中が自分や自分の名誉を高めようとして、あるいは敵対者の家を呪うために、自家製のでたらめな予言を神の託宣と称しているにすぎない。クラウディウス家はこの手の偽作にとりわけ熱心であったようだ。とはいえ一つか二つの託宣は十分に古雅な言葉で述べられ、その霊感は神に由来すると思われた。その明白で驚愕すべき意味内容のゆえにアウグストゥスはーかれの言葉はアポロの神祇官にとって掟であったー正典の中に編入させぬ決意をしたに違いない。この小さな書はもう私の手許にない。しかし真正の予言と思われるそれらの託宣のうち、もっとも忘れがたいものを、ほとんど一字一句あやまたず想い起こすことが出来る。この神託はギリシャ語で記され、(正典の中の初期の大方の神託がそうであるように)おおざっぱなラテン語の韻文訳がそえてあった。

20210325 株式会社 筑摩書房刊 山田風太郎著 「昭和前期の青春」pp.87‐89より抜粋

株式会社 筑摩書房刊 山田風太郎著 「昭和前期の青春」pp.87‐89より抜粋

ISBN-10 : 4480433317
ISBN-13 : 978-4480433312

もう一つ、試験奇談がある。当時数学の三角法は五年生になってからであった。ところが私はそのはじめの一カ月ほど停学をくらっていたので、出てみてもサイン、コサイン、すべてチンプンカンプンである。もともと数学はニガ手だから、追っかけて勉強する気などさらさらない。とうとうまるっきりわからないで通してしまった。

ところ数年後、医者の学校にはいってみると、微分積分がある。これにサイン、コサインが出て来るのだが、右の始末だからまったくのお手あげである。

ところが学年末の試験で、事前に学校から「一科目でも五十点以下の成績のものがあるときは落第させる」との宣言があった。こちらは五十点以下どころではない。一点もだめだ。

 それは昭和二十年春、戦争はすでに末期に達し、東京は爆撃のまっただ中におかれていた。そこで学生の方から、もし試験中空襲となったらどうするか、と質問したのに対して、学校学側から、その場合は試験は中止、その課目は全員合格とする、いう返答であった。他にも試験はいくつもあり、延期してもまた空襲があるかも知れず、かつまたそれまでの空襲はまず夜に限ったから、学校側もそういう非常の方針をとらざるを得なくなったのだろう。

 ところが、その高等数学の試験当日の朝、いざ登校しようとすると、朗々と空襲警報のサイレンが鳴りわたった。私は狂喜乱舞して、「大東亜戦争はこの日のために起った!」と、絶叫して、下宿していた家の奥さんに叱られたことがある。

 中学後半のこの不勉強ぶりを、長い間私は、とにかく非行に忙しかったからと考えていたが、今思うに、しかしまともにやっていてもやはり不勉強であったかも知れない。その、まともにやる、というのができないのである。先天的に、好きなことはやるけれど、イヤなことはてんで受けつけない性分であるからだ。入学試験は、全科目、まんべんなくやる学生でなければ通らないだろう。

2021年3月25日木曜日

20210324 みすず書房刊 ロバート・グレーヴス著 多田満智子・赤井敏夫訳「この私、クラウディウス」pp.13‐15より抜粋

みすず書房刊 ロバート・グレーヴス著 多田満智子・赤井敏夫訳「この私、クラウディウス」pp.13‐15より抜粋

ISBN-10 : 462204806X
ISBN-13 : 978-4622048060

もしできることならこの物語を両親より前にさかのぼることなく、あっさり自分の幼年期からはじめたかった。系図だの家族の歴史だのは退屈なものだからである。しかし私は(四人の祖父母のうち私の出生時にただ一人存命であった)祖母リウィアについて、いささか長くはなるが語っておかねばならない。というのは不幸にして彼女は私の物語の第一部における主要人物であり、彼女の若いころのことをはっきり話しておかないかぎり、彼女のその後の行動が不可解になるからだ。祖母が皇帝アウグストゥスに嫁いだことはすでに述べたが、これは私の祖父と離婚したあとの二度目の結婚だったのである。わが父の死後、わが母アントニア、(法律上の家長たる)伯父ティベリウス、さらにアウグストゥスその人ー父は遺言によって我々遺児を皇帝の力強い保護にゆだねたーにとって代わって、祖母はわが家の実質上の家長となった。

 リウィアはローマで最も古い家系の一つであるクラウディウス氏の出であり、祖父も同様であった。今でも時おり老人たちが歌っている民謡だが、その折り返し句(リフレイン)はこうなっているークラウディウスの家系の樹には、二通りのりんごが生る。片や甘い実、片や渋い実。数の多いのは渋いりんご。その民謡の作者が渋いりんごのなかに数えているのは、ウィルギニアという自由民の娘を奴隷にして誘惑しようとし、そのあげくローマ全体を騒動にまきこんでしまった〈増長漢〉アッピウス・クラウディウス、共和政時代に全ローマの王となろうとしたクラウディウス・ドルスス、聖なるひよこが餌を食べないのを見て、「それなら飲ましてやれ」と叫んでひよこを海に投げ込み。その結果重大な海戦に敗れた〈美男〉クラウディウスなど。甘い実のうちに数えているのは、ピュロス王との危険な同盟を避けるようにローマを説得した〈盲者〉アッピウス、シチリアからカルタゴ人を追い出した〈木の幹〉クラウディウス、兄である大ハンニバルの軍に合流しようとヒスパニアを出たハスドバルを打ち破ったクラウディウス・ネロ(ネロはサビニ方言で強者を意味する)などである。この三人はみな豪胆で賢明であったばかりか有徳の人物であった。さらに民謡作家がいうには、クラウディウス氏の女たちも、いくたりかは甘いりんご。しかしこれまた数の多いのは渋いりんご。

 祖父はクラウディウス氏の最良の人物の一人であった。ユリウス・カエサルこそはあの困難な時期にローマに平和と安寧をもたらすに足る人物と信じて、かれはカエサル派に与し、エジプト戦役ではユリウスのために勇敢に戦った。ユリウスが専制的権力を狙っているのではないかという疑念が生ずると、祖父はあからさまに仲違いこそしなかったが、それ以上ユリウスの野心に協力しようとはしなかった。そういうわけでかれは神祇官職を求めてそれを手に入れ、ガリアに老兵たちの町を創設するために神祇官の資格でガリアに派遣された。ユリウス暗殺の後、帰国した祖父は、大胆にも、暗殺者たちに専制者殺害の栄誉を与える動議を提出して、当時はオクタヴィアヌスといわれていたユリウスの養子、若きアウグストゥスと、その盟友アントニウスの敵意を買っていまい、ローマから逃亡せざるをえなかった。ひきつづいて起こった争乱の中でかれはその時々に正義があると信ずる側についた。一時期、若きポンペイウスに味方し、次にエトルリアのペルージャでは、アウグストゥスに敵対してマルクス・アントニウスの弟と共に戦った。しかし、アウグストゥスが養父ユリウスの仇を討たねばならぬ立場にあり、その義務を情容赦なく果たしたとはいうものの、かれが専制君主的心情を持たず、人民の古き自由を回復しようとしていることを遂に悟ると、祖父はかれに与して、わが祖母リウィアと、当時まだ二歳であった伯父ティベリウスと共に、ローマに定住したのであった。以後、かれは神祇官の職務に満足して、もはや内戦に関与することはなかった。

2021年3月23日火曜日

20210323 1500記事の到達に際して思ったこと、および今後の記事作成について

 今回の記事投稿によって、総投稿記事数が1500に到達します。また、これまで約5.75年(5年9カ月)程、ブログ記事の作成を行ってきましたので、これを日数に換算しますと約2100日程になります。つまり、概ね2100日間にて1500記事の投稿をしてきたことになりますので、10日のうち7日以上はブログの更新を行ってきたということになります。

これを多いと見るか、少ないと見るかは、自身の中に判断基準となるものがないため分かりませんが、それでも「まあ、やったな・・。」といった思いはないとは云えません。とはいえ、今現在の時点で大きな感情の変化などは全くなく、ここにおいても「今日は1500記事到達のこと自体を記事の題材として書けば良いかな・・。」と思いつつ、キーボード上の指は動いています・・。

また今後、当ブログを継続するかにつきましては、おそらく、続けることは思いますが、その続け方については、具体的には、以前にも書きましたが、もう少し書籍からの引用部を記事としたものを増やして行きたいと考えています。

こうしたある意味「断片的な記述」をあたかもモザイク画のピースのようにして、色々と配列を変えてみて、そのニュアンスや意味合いについて考えてみるというのも、なかなか面白いのではないかと、昨年から始めたツイッターを通じて思うようになりました。

既に周知のこととは思いますが、書籍とは面白いもので、書かれた文章の意味の他に、それが著された時代背景や、その後の評価、そして、そこからの二次創作との関連など、それ単体では終わるものではなく、おそらく、どのような著作であれ、他の著作と何らかの関連性があると云えます。もとより書籍ひいては文章を作成する人間の意識自体が、そうした仕組みになっているのだと云えますが、ともあれ、そうした、さまざまな要素からの視座にて、ボクが興味深いを思った書籍内の記述を、今後さらにある程度(100~200程度でしょうか?)積み重ねることにより、何かしら面白い異なった視座を得ることが出来るのではないかと思われるのです・・。

また、この着想の基層にあるものは、大西巨人による長編小説「神聖喜劇」であると思われます。この小説は全五巻ではありますが、内容が大変に濃密であり、また、その特徴として古今東西文献の引用およびそれらについての所感が随所に散りばめられていることであり、それら全てを文脈をも理解しながら読み進めて行くのは、それなりに大変な作業であると思われます。

個人的には、当著作は、あまり若い頃に読むよりも、20代後半か30代前半のある程度、体力と知力のバランスが取れている頃に読むのが適しているのではないかと思われます。そして、それを過ぎると今度は、体力と旺盛な知的好奇心が減衰してきて、こうした長編小説を読む気力も徐々に損なわれていくのではないかと思われます。

ボクの場合、正直なところ、現在では当著作全五巻を再び通読するのは、時間と気力の双方から困難であると思われますが、しかしながら、そうした著作の面白さを、今後、当ブログを通じて紹介することが出来るのは、面白く、それなりに意味とやりがいがあるように思われます。

ともあれ、今回、1500記事到達に際しても、こうしたことを書いていますので、やはり、あまり到達への実感や感慨といったものはないようです・・(苦笑)。とはいえ、緊張して煮詰まってしまい何も書けないでいるよりかは、今回のような記事であっても、とにかく書くことが出来ているのは、記事作成当初の頃から比べますと、それなりの進化とは云えるのかもしれません・・(笑)。

要は自意識の問題なのでしょうが、記事作成の継続によって何と云いますか、自意識が文章にて表現し易くなったとは、たしかに思えますが、果たしてそれが進化であったのかは、今もってよく分かりません。たしかに「文は人也」と云いますが、しかし逆に「人は文也」とは必ずしも云いませんので、やはり、人には文章にて汲み尽せないものが少なからずあるのだと云えます。そして、その汲み尽せていないものを文章化しようとする試みとは、それがどのような様式の文章であれ、やはり、それなりに面白いのではないかと思われます。また、今後の当ブログにおいては、そうしたものを自身の文章であれ、書籍からの引用であれ、出来るだけ提示してゆきたいと考えています。

これまでどうもありがとうございました。おかげさまで1500記事に到達することが出来ました。そして、今後もまた、どうぞよろしくお願いいたします!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設



一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~

ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com 

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。







2021年3月22日月曜日

20210322 記事作成の変遷と誤配について思ったこと

 目標としていた1500まで余すところ当記事を含めて2記事の投稿となりましたが、相変わらず何の実感や感慨も湧かず、今回に関しても、先ほどから、あまり気乗りしないままにて記事作成を始めました。さて、1500記事と云ったところで、そのうち実際にボクが作成したものは、精確に勘定をしたわけではありませんが、1200~1300記事ほどであると思われます。そして、その残りの多くは、書籍からの引用部分を記事としたものであり、これらは特に文章が書けないと悩んでいた、ブログ開始当初の頃に多く作成していましたが、次第に対話形式のオリジナル記事の作成へと移行して行きました。

この対話形式での記事作成は、当時は書き易かったために用いたわけですが、現在になってみますと、不思議なことに、あまり書き易いとは思われないのです。これは習慣の変更をボクの精神が驚いているからであるのか?あるいは、現在主流となっている独白調での記事作成を継続することにより、ボクの精神に何らかの変化が生じたからであるのか分かりませんが、書き手であるボクとしては興味深いと思うところです。

また今後、機会を設けて対話形式での記事作成を、ある程度の期間継続してみますと、何か新たな変化を見出すことが出来るようになるのかもしれません・・。

しかし、そうした変化は上述のように、わずかには感知されるのですが、であるからと云って確立された自分の文体の認識は未だに出来ず、そこから、1500近く記事作成を行ってきても、わずかに文章作成がスムーズになったことを感じる程度であり、独自の文体獲得の認識は未だ訪れないと云うことが出来ます・・(苦笑)。あるいは、こうしたことは人によって異なるのかもしれませんが、何か一般化し得る変化の過程といったものはあるのでしょうか・・。

ともあれ、そうしたことを気にしつつも、現在に至るまで、記事作成を継続出来ているということは、センスの有無は別としても、文章作成自体は嫌いではないということにはなるのでしょうか・・。こうしたことに関しても、ボク自身では明確な判断は出来ず、他方で「では、何故これまで記事作成を続けたのか?」と問われますと、少し考えてしまうのが実情であると云えます・・(苦笑)。

そういえば、先日読んだ書籍の「はじめに」に誤配の重要性が書かれていましたが、その意味では、当ブログもまた、さまざまな誤配あるいは偶然によって始めたものであると云えます。そして、その誤ってボクに配られた「運」によって始められた当ブログが、今に至るまでどうにか続いているということには「何か大きな意味があるのかもしれない」とも思われ、そこからも、やはり現時点では、ブログ記事を作成しているボク自身についての判断や言及は避けておいた方が良いのではないかと思われるのです・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設



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